マクラーレン・MP4/3
マクラーレン・MP4/3 (McLaren MP4/3) は、マクラーレンが1987年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、スティーブ・ニコルズが設計した。1987年シーズンの開幕戦から最終戦まで使用された。
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カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | マクラーレン | ||||||||
デザイナー | スティーブ・ニコルズ | ||||||||
先代 | マクラーレン・MP4/2C | ||||||||
後継 | マクラーレン・MP4/4 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | カーボンファイバー アルミニウム ハニカム モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド インボード・ビルシュタインスプリング / ダンパー | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド インボード・ビルシュタインスプリング / ダンパー | ||||||||
エンジン | TAG ポルシェ TTE PO1, 1,496 cc (91.3 cu in), 90度 V6, ターボ (4.0 Bar limited), ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ゲトラグ製 5速 MT | ||||||||
燃料 | シェル | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | マールボロ マクラーレン・インターナショナル | ||||||||
ドライバー |
1. ![]() 2. ![]() | ||||||||
コンストラクターズ | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1987年ブラジルグランプリ | ||||||||
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概要編集
MP4/3の前モデルであるMP4/2は、1984年から1986年まで3年連続でドライバーズタイトルを獲得し、1984年と1985年にコンストラクターズタイトルを獲得した。MP4/2を設計したジョン・バーナードが1986年のシーズン中にチームを去ったあと、マクラーレンは1987年用のマシン設計チームのリーダーをスティーブ・ニコルズに任せた[1]。
MP4/3は前年までに引き続き、TAGのバッジネームを付けたポルシェ製の1500ccターボエンジンを搭載した(当初はホンダエンジンを搭載するプランもあったが、ホンダにエンジン供給を断られたため実現しなかった[2])。MP4/2に対しての外見上の大きな違いには、ヘッドレスト後方のボディカウルが絞られたこと、ラジエターのエアアウトレットがサイドポットの側面へと移されたことがある。
シャシー履歴編集
MP4/3は5台が製造された。開幕戦のブラジルGPにはMP4/3-1からMP4/3-3までの3台が用意され、プロストがMP4/3-3、ステファン・ヨハンソンはMP4/3-2を使用し、MP4/3-1はスペアカーとされた[1]。
第7戦イギリスGPで新シャシーMP4/3-4がプロスト用に用意された[1]。
第10戦オーストリアGPでは、金曜日午前中のセッションでヨハンソンがコース上に飛び出した鹿とクラッシュするアクシデントがあり[3]、MP4/3-2は大きく破損した[1]。ヨハンソンは事故後は旧プロスト車のMP4/3-3に乗り換え、マクラーレンチームは急遽MP4/3-1をイギリスから輸送した[1]。ヨハンソンはMP4/3-1でレースに出走したが、スタート直後のクラッシュに巻き込まれMP4/3-1は破損したため、MP4/3-3に乗り換えて再スタートに臨んだ。MP4/3-2は修復されることはなかった。
MP4/3-1は修復されてテストチーム用に回され、次戦第11戦イタリアGPにはヨハンソン用に新シャシーMP4/3-5が用意された[1]。
第14戦メキシコGPでは、ヨハンソンがスペアカーのMP4/3-3でレースに臨んだが、ザクスピードとクラッシュしたことでMP4/3-3が大破したため、日本GPではMP4/3-1が再度スペアカーとして使用された[1]。
1988年シーズンに向けたホンダエンジンのテスト用に、1台が改造され[1]、この車体はMP4/3Bと呼ばれた。MP4/3Bは更に2台が新造され、3台が翌シーズンに向けてのテストに使用された[4]。
成績編集
MP4/3は開幕戦ブラジルGPでアラン・プロストが勝利を挙げると、第3戦ベルギーGPでもプロストが優勝した。しかしその後はホンダエンジンを搭載するウィリアムズ優勢のレースが続き、3勝目を挙げたのは第12戦ポルトガルGPだった。この勝利はプロストにとっての通算28勝目であり、当時ジャッキー・スチュワートが持っていたF1の最多勝記録を更新するものであった。この勝利はMP4/3にとっての最後の勝利であり、1987年をもって撤退したTAGエンジンにとっても最後の優勝となった。
この年、マクラーレンはコンストラクターズランキング2位に終わった。獲得ポイント数も、137(9勝)を獲得したウィリアムズに対して、76(3勝)に留まった。
年 | マシン | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | ランキング |
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1987 | MP4/3 | 76 | 2位 | ||||||||||||||||||
1 | アラン・プロスト | 1 | Ret | 1 | 9 | 3 | 3 | Ret | 7 | 3 | 6 | 15 | 1 | 2 | Ret | 7 | Ret | ||||
2 | ステファン・ヨハンソン | 3 | 4 | 2 | Ret | 7 | 8 | Ret | 2 | Ret | 7 | 6 | 5 | 3 | Ret | 3 | Ret |
脚注編集
- ^ a b c d e f g h Doug Nye, McLaren: The Grand Prix, CanAm and Indy cars (New Edition), Hazleton Publishing, 1988 pp.297-ff ISBN 0-905138-54-6
- ^ 「F1走る魂」(海老沢泰久著、文藝春秋)pp.308 - 309
- ^ 「Grand Prix 1987」Nigel Roeback/John Townsend, January 1988 pp.108-ff, ISBN 0-908081-27-8
- ^ 「GP CAR STORY Vol.01 マクラーレンMP4/4・ホンダ」p54-55
参考文献編集
- 「GP CAR STORY Vol.01 マクラーレンMP4/4・ホンダ」三栄書房 ISBN 978-4-7796-1504-7