1987年のFIAフォーミュラ1
世界選手権
前年: 1986 翌年: 1988
一覧: 開催国 | 開催レース

1987年のF1世界選手権(1987ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第38回大会である。ブラジルジャカレパグア・サーキットで開幕し、最終戦のオーストラリアアデレード市街地コースまで、全16戦で争われた。

1987年のF1世界選手権

シーズン概要 編集

「4強+1」 編集

 
ダブルタイトルを獲得したウィリアムズFW11B・ホンダ(ネルソン・ピケ車)
 
マクラーレンMP4/3・TAGポルシェ(アラン・プロスト車)
 
ロータス99T・ホンダ(中嶋悟車)
 
アロウズA10B・メガトロン(エディ・チーバー車)
 
リジェJS29・メガトロン(ルネ・アルヌー車)

翌年にターボ(過給)エンジン世代最後のシーズンを迎える事もあり、レギュレーションによりターボ車は積載燃料が195リッター、国際自動車スポーツ連盟英語版(FISA)より支給・装着が義務づけられたポップオフバルブにより、過給圧は4バールに制限された。反対に2年ぶりに使用が解禁されたNA(自然吸気)エンジンの排気量が3,500ccに引き上げられ、性能の格差縮小が図られた。一足先にNAエンジンへ転向するチームもあったが、上位チームは全てターボエンジン搭載車で占められていた。

シーズン序盤戦はマクラーレンTAGポルシェアラン・プロストロータスホンダアイルトン・セナが2勝を分け合いポイント争いをリード。中盤戦以降は連勝したウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケナイジェル・マンセルのほぼ一騎討ちという様相を見せた。マンセルがポールポジション8回・優勝6回と最速ながらリタイアも多かったのに比べ、ピケは優勝3回ながら2位7回という安定感でポイントリードを広げた。

ドライバーズタイトル争いはシーズン終盤までもつれ、マンセルが連勝すれば逆転の可能性もあった。だが、日本GPの予選でマンセルがクラッシュし同レースを欠場することが決まったことで、自動的にピケの1981年1983年に続く3度目のドライバーズタイトルが決定した。

プロストはポルトガルGPジャッキー・スチュワートのF1最多勝記録を16年ぶりに更新する通算28勝目を挙げた。

フェラーリは開幕から速さはあったが、シーズン中盤まではこの年からVバンク角が変更されたニューエンジン関連のトラブルが多くポイントを積み重ねられなかった。第9戦ハンガリーGPゲルハルト・ベルガーが予選2位とセッティングの方向性を見出したのを機に調子が上向き、第13戦ポルトガルGPでは終盤スピンで勝利を逃したものの予選からレースを支配した。第15戦日本GPではベルガーがフェラーリにとって2年半ぶりの優勝をもたらすと、続く最終戦オーストラリアGPも完勝での2連勝を記録。「4強(プロスト、セナ、ピケ、マンセル)+1(ベルガー)」の時代を迎えた。

ホンダエンジンの活躍 編集

前年に安定したパフォーマンスを見せたホンダエンジン搭載車がこの年も強さを見せ、ウィリアムズとロータスの両チーム併せて11勝を挙げた他、イギリスGPでは初の決勝1-4位独占(マンセル、ピケ、セナ、中嶋)、イタリアGPでは決勝1-3位(ピケ、セナ、マンセル)を達成する等、表彰台の常連となった。ウィリアムズは前年の傑作マシン、FW11を熟成させたFW11Bで9勝を挙げ、シーズンを圧倒。2位に61点差をつけてコンストラクターズタイトルを連覇した。

ロータスはアクティブサスペンションの熟成に手間取りながらも、セナが得意とする公道コース(モナコGPアメリカGP)で2勝を挙げた他、中嶋もデビューイヤーの上にアクティブサスペンションやエンジンを起因とする多くのマシントラブルに襲われたほか、予選では中団に沈むことが多かったにもかかわらず、シーズン当初から堅実にポイントを稼いだ。

この様にホンダエンジンとウィリアムズとのコンビは活躍を見せたものの、イタリアGP期間中に、ホンダは翌1988年のエンジン供給先はロータスとマクラーレンとなることを発表した。1984年以降続いたウィリアムズとの契約は、1年を残して打ち切られることとなった[1][2]

アクティブサスペンション 編集

車体姿勢を油圧制御で保持するアクティブサスペンションが本格的に実戦投入された。ロータス(シーズン全戦)とウィリアムズ(イタリアGP・ポルトガルGP)が使用し計3勝を挙げたが、システムの重量や信頼性など熟成不足による課題も多く、ウィリアムズがわずか2戦のみしか使用しなかったように、この時点では他チームに普及するまでに至らなかった。

ロータスのセナが得意な市街地コースではいいところも見せたが、油圧が抜けて亀の子状態になるケースや、コンピュータのトラブルで4輪がそれぞれ別の方向に動くなどのトラブル(両方とも中嶋車)が起き、結局ロータスはこの年限りで、ウィリアムズも翌年中盤に従来のパッシブサスペンションに戻した。

中堅チーム 編集

ベネトンBMWからフォードのターボエンジンにスイッチし、ロリー・バーン作の空力処理に優れたB187テオ・ファビティエリー・ブーツェンのコンビが好パフォーマンスを見せ、3位表彰台2回とファステストラップ1回を獲得した。優勝こそなかったが、第14戦メキシコGPでは序盤から中盤までブーツェンが首位を快走した。翌年以降、フォードからワークス待遇でエンジン供給を受けることになる。

アロウズブラバムリジェなどの中堅チームも全てターボエンジンを搭載し、デレック・ワーウィックエディ・チーバールネ・アルヌーリカルド・パトレーゼアンドレア・デ・チェザリスピエルカルロ・ギンザーニなどの高い経験値を持つドライバーを擁した。

上位チームがリタイアしたレース(第3戦ベルギーGP・第14戦メキシコGP)でブラバムが3位表彰台2回を獲得するほか、予選では中嶋やヨハンソンを食うことも多かったが、シーズン全般的には3チームともに速さ、信頼性が不足しており、上位チームを脅かすまでには至らなかった(ブラバム:入賞3回・獲得ポイント数10 アロウズ:入賞6回・獲得ポイント11 リジェ:入賞1回・獲得ポイント1)。特にこの年低迷したリジェは、そのまま低迷期を迎えることとなった。

下位チーム 編集

ミナルディザクスピードオゼッラなどの、ターボエンジンを搭載するものの下位を定位置とするチームも参戦を続け、第2戦サンマリノGPではマーティン・ブランドルがザクスピードで5位、2ポイントを獲得。これは1989年まで参戦したザクスピードにとって唯一のF1でのポイント獲得となった。ミナルディのアレッサンドロ・ナニーニなどの翌年以降他チームで開花する若手ドライバーが光るところを見せたものの、速さや信頼性不足のためにいずれもポイント獲得はならなかった。

自然吸気エンジン向けタイトル 編集

なお、1987年の1年限りの実施であったものの、自然吸気エンジンを使用するチームとドライバーを対象とした別規定賞典として「ジム・クラーク・トロフィ」(ドライバー向け)と「コーリン・チャップマン・トロフィ」(コンストラクターズ向け)が制定されている。これは、1989年からの過給禁止レギュレーションへの準備段階として、先に自然吸気エンジンを使用するチームとドライバーへの救済措置であったが、翌年は両者の性能差が少なくなった為に実施されなかった。

なお、ジム・クラーク・トロフィは安定した走りで数回ポイント圏に食い込んだティレルジョナサン・パーマーが、コーリン・チャップマン・トロフィはマーチラルース・カルメルAGSなどとの戦いを制したティレルが獲得した。

開催地及び勝者 編集

ラウンド レース 開催日 開催地 ポールポジション ファステストラップ 優勝者 コンストラクター レポート
1   ブラジルグランプリ 4月12日 ジャカレパグア   ナイジェル・マンセル   ネルソン・ピケ   アラン・プロスト   マクラーレン-TAG 詳細
2   サンマリノグランプリ 5月3日 イモラ   アイルトン・セナ   テオ・ファビ   ナイジェル・マンセル   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
3   ベルギーグランプリ 5月17日 スパ・フランコルシャン   ナイジェル・マンセル   アラン・プロスト   アラン・プロスト   マクラーレン-TAG 詳細
4   モナコグランプリ 5月31日 モナコ   ナイジェル・マンセル   アイルトン・セナ   アイルトン・セナ   ロータス-ホンダ 詳細
5   デトロイトグランプリ 6月21日 デトロイト   ナイジェル・マンセル   アイルトン・セナ   アイルトン・セナ   ロータス-ホンダ 詳細
6   フランスグランプリ 7月5日 ポール・リカール   ナイジェル・マンセル   ネルソン・ピケ   ナイジェル・マンセル   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
7   イギリスグランプリ 7月12日 シルバーストン   ネルソン・ピケ   ナイジェル・マンセル   ナイジェル・マンセル   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
8   ドイツグランプリ 7月26日 ホッケンハイムリンク   ナイジェル・マンセル   ナイジェル・マンセル   ネルソン・ピケ   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
9   ハンガリーグランプリ 8月9日 ハンガロリンク   ナイジェル・マンセル   ネルソン・ピケ   ネルソン・ピケ   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
10   オーストリアグランプリ 8月16日 エステルライヒリンク   ネルソン・ピケ   ナイジェル・マンセル   ナイジェル・マンセル   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
11   イタリアグランプリ 9月6日 モンツァ   ネルソン・ピケ   アイルトン・セナ   ネルソン・ピケ   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
12   ポルトガルグランプリ 9月20日 エストリル   ゲルハルト・ベルガー   ゲルハルト・ベルガー   アラン・プロスト   マクラーレン-TAG 詳細
13   スペイングランプリ 9月27日 ヘレス   ネルソン・ピケ   ゲルハルト・ベルガー   ナイジェル・マンセル   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
14   メキシコグランプリ 10月18日 メキシコシティ   ナイジェル・マンセル   ネルソン・ピケ   ナイジェル・マンセル   ウィリアムズ-ホンダ 詳細
15   日本グランプリ 11月1日 鈴鹿   ゲルハルト・ベルガー   アラン・プロスト   ゲルハルト・ベルガー   フェラーリ 詳細
16   オーストラリアグランプリ 11月15日 アデレード   ゲルハルト・ベルガー   ゲルハルト・ベルガー   ゲルハルト・ベルガー   フェラーリ 詳細

エントリーリスト 編集

エントラント コンストラクタ シャシー エンジン タイヤ ドライバー
  マールボロ・マクラーレン・インターナショナル マクラーレン MP4/3 TAG TTE PO1(V6ターボ)(ポルシェ) G 1. アラン・プロスト
2. ステファン・ヨハンソン
  データ・ジェネラル・チーム・ティレル ティレル DG016 フォードDFZ(V8) G 3. ジョナサン・パーマー
4. フィリップ・ストレイフ
  キヤノン・ウィリアムズ・ホンダ・チーム ウィリアムズ FW11B ホンダRA167E(V6ターボ) G 5. ナイジェル・マンセル
(5.) リカルド・パトレーゼ
6. ネルソン・ピケ 
  モーターレーシング・ディベロップメント ブラバム BT56 BMW M12/13/1(直4ターボ) G 7. リカルド・パトレーゼ
(7.) ステファノ・モデナ
8. アンドレア・デ・チェザリス
  ウェスト・ザクスピード・レーシング ザクスピード 861B
871
ザクスピード F1[3](直4ターボ) G 9. マーティン・ブランドル
10. クリスチャン・ダナー
  キャメル・チーム・ロータス・ホンダ ロータス 99T ホンダRA167E(V6ターボ) G 11. 中嶋悟
12. アイルトン・セナ
  チーム・El Charro・AGS AGS JH22 フォードDFZ(V8) G 14. パスカル・ファブル
(14.) ロベルト・モレノ
  レイトンハウス・マーチ・レーシングチーム マーチ 87P
871
フォードDFZ(V8) G 16. イヴァン・カペリ
  USF&G・アロウズ・メガトロン アロウズ A10 メガトロン(BMW)M12/13(直4ターボ) G 17. デレック・ワーウィック
18. エディ・チーバー
  ベネトン・フォーミュラLtd ベネトン B187 フォードGBA(V6ターボ) G 19. テオ・ファビ
20. ティエリー・ブーツェン
  ステバーニ・オゼッラ・スクアドラ・コルセ オゼッラ FA1F
FA1G
FA1H
アルファロメオ890T(V8ターボ) G 21. アレックス・カフィ
22. ガブリエル・タルキーニ
(22.) フランコ・フォリーニ
  ミナルディチームSpA ミナルディ M186[4] モトーリ・モデルニ615-90(V6ターボ) G 23. エイドリアン・カンポス
24. アレッサンドロ・ナニーニ
  リジェ・ロト リジェ JS29B
JS29C
メガトロン(BMW)M12/13(直4ターボ) G 25. ルネ・アルヌー
26. ピエルカルロ・ギンザーニ
  スクーデリア・フェラーリSpA SEFAC フェラーリ F187 フェラーリTipo033D(V6ターボ) G 27. ミケーレ・アルボレート
28. ゲルハルト・ベルガー
  ラルース・カルメル ローラ LC87 フォードDFZ(V8) G 29. ヤニック・ダルマス
30. フィリップ・アリオー
  エンツォ・コローニ・レーシングカー・システム コローニ FC187 フォードDFZ(V8) G 32. ニコラ・ラリーニ

1987年のドライバーズランキング 編集

ドライバーズポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。ベスト11戦がポイントランキングに数えられた。

順位 ドライバー BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント[5]
1   ネルソン・ピケ 2 DNS Ret 2 2 2 2 1 1 2 1 3 4 2 15 Ret 73 (76)
2   ナイジェル・マンセル 6 1 Ret Ret 5 1 1 Ret 14 1 3 Ret 1 1 DNS 61
3   アイルトン・セナ Ret 2 Ret 1 1 4 3 3 2 5 2 7 5 Ret 2 DSQ 57
4   アラン・プロスト 1 Ret 1 9 3 3 Ret 7 3 6 15 1 2 Ret 7 Ret 46
5   ゲルハルト・ベルガー 4 Ret Ret 4 4 Ret Ret Ret Ret Ret 4 2 Ret Ret 1 1 36
6   ステファン・ヨハンソン 3 4 2 Ret 7 8 Ret 2 Ret 7 6 5 3 Ret 3 Ret 30
7   ミケーレ・アルボレート 8 3 Ret 3 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 15 Ret 4 2 17
8   ティエリー・ブーツェン 5 Ret Ret Ret Ret Ret 7 Ret 4 4 5 14 16 Ret 5 3 16
9   テオ・ファビ Ret Ret Ret 8 Ret 5 6 Ret Ret 3 7 4 Ret 5 Ret Ret 12
10   エディ・チーバー Ret Ret 4 Ret 6 Ret Ret Ret 8 Ret Ret 6 8 4 9 Ret 8
11   ジョナサン・パーマー 10 Ret Ret 5 11 7 8 5 7 14 14 10 Ret 7 8 4 7
12   中嶋悟 7 6 5 10 Ret NC 4 Ret Ret 13 11 8 9 Ret 6 Ret 7
13   リカルド・パトレーゼ Ret 9 Ret Ret 9 Ret Ret Ret 5 Ret Ret Ret 13 3 11 9 6
14   アンドレア・デ・チェザリス Ret Ret 3 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 8 4
15   フィリップ・ストレイフ 11 8 9 Ret Ret 6 Ret 4 9 Ret 12 12 7 8 12 Ret 4
16   デレック・ワーウィック Ret 11 Ret Ret Ret Ret 5 Ret 6 Ret Ret 13 10 Ret 10 Ret 3
17   フィリップ・アリオー 10 8 Ret Ret Ret Ret 6 Ret 12 Ret Ret 6 6 Ret Ret 3
18   マーティン・ブランドル Ret 5 Ret 7 Ret Ret NC NC Ret DSQ Ret Ret 11 Ret Ret Ret 2
19   イヴァン・カペリ DNS Ret Ret 6 Ret Ret Ret Ret 10 11 13 9 12 Ret Ret Ret 1
20   ルネ・アルヌー DNS 6 11 10 Ret Ret Ret Ret 10 10 Ret Ret Ret Ret Ret 1
21   ロベルト・モレノ Ret 6 1
-   ヤニック・ダルマス 9 14 5 0*
-   クリスチャン・ダナー 9 7 Ret EX 8 Ret Ret Ret Ret 9 9 Ret Ret Ret Ret 7 0
-   ピエルカルロ・ギンザーニ Ret 7 12 Ret Ret DSQ Ret 12 8 8 Ret Ret Ret 13 Ret 0
-   パスカル・ファブル 12 13 10 13 12 9 9 Ret 13 NC DNQ DNQ Ret DNQ 0
-   アレッサンドロ・ナニーニ Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 11 Ret 16 11 Ret Ret Ret Ret 0
-   アレックス・カフィ Ret 12 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret DNQ Ret Ret DNQ 0
-   エイドリアン・カンポス DSQ Ret Ret DNS Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 14 Ret Ret Ret 0
-   フランコ・フォリーニ Ret Ret DNQ 0
-   ニコラ・ラリーニ DNQ Ret 0
-   ガブリエル・タルキーニ Ret 0
-   ステファノ・モデナ Ret 0
順位 ドライバー BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント
結果
金色 勝者
銀色 2位
銅色 3位
ポイント獲得
完走
完走扱い(全周回数の90%以上走行)
規定周回数不足(NC)
リタイア(Ret)
予選不通過(DNQ)
予備予選不通過(DNPQ)
失格(DSQ)
スタートせず(DNS)
レース中止(C)
水色 プラクティスのみ(PO)
金曜日テストドライバー(TD)
2003年以降
空欄 プラクティス出走せず(DNP)
除外 (EX)
到着せず (DNA)
欠場 (WD)

ジム・クラーク・トロフィー 編集

  • 自然吸気エンジンのドライバーズタイトル
順位 ドライバー BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント
1   ジョナサン・パーマー 1 Ret DNS 1 1 2 1 2 1 3 3 2 Ret 2 1 1 95
2   フィリップ・ストレイフ 2 1 2 Ret Ret 1 Ret 1 2 Ret 1 3 2 3 2 Ret 74
3   フィリップ・アリオー 2 1 Ret Ret Ret Ret 3 Ret 2 Ret Ret 1 1 Ret Ret 43
4   イヴァン・カペリ DNS Ret Ret 2 Ret Ret Ret Ret 3 1 2 1 3 Ret Ret Ret 38
5   パスカル・ファブル 3 3 3 3 2 3 2 Ret 4 NC DNQ DNQ Ret DNQ 35
6   ロベルト・モレノ Ret 3 4
-   ヤニック・ダルマス 4 3 2 0*
-   ニコラ・ラリーニ DNQ Ret 0
順位 ドライバー BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント

*ポイント無効(ローラは1カーエントリー登録のため、追加された2台目で参戦したダルマスに選手権ポイントは与えられなかった。)

1987年のコンストラクターズランキング 編集

コンストラクターズポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。ドライバーズタイトルとは異なり全戦がカウントされた。

順位 コンストラクター 車番 BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント
1   ウィリアムズ-ホンダ 5 6 1 Ret Ret 5 1 1 Ret 14 1 3 Ret 1 1 DNS 9 137
6 2 DNS Ret 2 2 2 2 1 1 2 1 3 4 2 15 Ret
2   マクラーレン-TAG 1 1 Ret 1 9 3 3 Ret 7 3 6 14 1 2 Ret 7 Ret 76
2 3 4 2 Ret 7 8 Ret 2 Ret 7 6 5 3 Ret 3 Ret
3   ロータス-ホンダ 11 7 6 5 10 Ret NC 4 Ret Ret 13 11 8 9 Ret 6 Ret 64
12 Ret 2 Ret 1 1 4 3 3 2 5 2 7 5 Ret 2 DSQ
4   フェラーリ 27 8 3 Ret 3 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 15 Ret 4 2 53
28 4 Ret Ret 4 4 Ret Ret Ret Ret Ret 4 2 Ret Ret 1 1
5   ベネトン-フォード 19 Ret Ret Ret 8 Ret 5 6 Ret Ret 3 7 4 Ret 5 Ret Ret 28
20 5 Ret Ret Ret Ret Ret 7 Ret 4 4 5 14 16 Ret 5 3
6   ティレル-フォード 3 10 Ret Ret 5 11 7 8 5 7 14 14 10 Ret 7 8 4 11
4 11 8 9 Ret Ret 6 Ret 4 9 Ret 12 12 7 8 12 Ret
7   アロウズ-メガトロン 17 Ret 8 Ret Ret Ret Ret 5 Ret 6 Ret Ret 13 10 Ret 10 Ret 11
18 Ret Ret 4 11 6 Ret Ret Ret 8 Ret Ret 6 8 4 9 Ret
8   ブラバム-BMW 7 Ret 9 Ret Ret 9 Ret Ret Ret 5 Ret Ret Ret 13 3 11 Ret 10
8 Ret Ret 3 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 8
9   ローラ-フォード 29 9 14 5 3
30 10 8 Ret Ret Ret Ret 6 Ret 12 Ret Ret 6 6 Ret Ret
10   ザクスピード 9 Ret 5 Ret 7 Ret Ret NC NC Ret DSQ Ret Ret 11 Ret Ret Ret 2
10 9 7 Ret EX 8 Ret Ret Ret Ret 9 9 DNS Ret Ret Ret 7
11   リジェ-メガトロン 25 DNS 6 11 10 Ret Ret Ret Ret 10 10 Ret Ret Ret Ret 9 1
26 Ret 7 12 Ret Ret DSQ Ret 12 8 8 Ret Ret Ret 13 9
12   AGS-フォード 14 12 13 10 13 12 9 9 Ret 13 NC DNQ DNQ Ret DNQ Ret 6 1
13   マーチ-フォード 16 DNS Ret Ret 6 Ret Ret Ret Ret 10 11 13 9 12 Ret Ret Ret 1
-   ミナルディ-モトーリ・モデルニ 23 DSQ Ret Ret DNS Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 14 Ret Ret Ret 0
24 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 11 Ret 16 11 Ret Ret Ret Ret
-   オゼッラ-アルファロメオ 21 Ret 12 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret DNQ Ret Ret DNQ 0
22 Ret Ret Ret DNQ
-   コローニ-フォード 32 DNQ Ret 0
順位 コンストラクター 車番 BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント

ローラは1カーエントリー登録のため、追加された2台目で参戦したダルマスに選手権ポイントは与えられなかった。

コーリン・チャップマン・トロフィー 編集

  • 自然吸気エンジンのコンストラクターズタイトル
順位 コンストラクター 車番 BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント
1   ティレル-フォード 3 1 Ret Ret 1 1 2 1 2 1 3 3 2 Ret 2 1 1 169
4 2 1 2 Ret Ret 1 Ret 1 2 Ret 1 3 2 3 2 Ret
2   ローラ-フォード 29 4 3 2 43
30 2 1 Ret Ret Ret Ret 3 Ret 2 Ret Ret 1 1 Ret Ret
3   AGS-フォード 14 3 3 3 3 2 3 2 Ret 4 NC DNQ DNQ Ret DNQ Ret 3 41
4   マーチ-フォード 16 DNS Ret Ret 2 Ret Ret Ret Ret 3 1 2 1 3 Ret Ret Ret 38
-   コローニ-フォード 32 DNQ Ret 0
順位 コンストラクター 車番 BRA
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
MEX
 
JPN
 
AUS
 
ポイント

トピック 編集

  • 中嶋悟がロータス・ホンダより日本人初のフル参戦を行なったことや、1977年以来10年ぶりとなるF1日本グランプリが鈴鹿サーキットでが開催されたこと、フジテレビジョンによる全戦テレビ中継が開始されたことから、バブル景気に沸く日本において「F1ブーム」が始まることとなった。
  • 日本の不動産企業「レイトンハウス」がメインスポンサーとなり、マーチがF1に復帰した。なお同社はその後マーチを買収することになる。
  • F1用シャシーの開発が間に合わなかったレイトンハウス・マーチは、開幕戦ブラジルGPをF3000シャシーにF1用エンジンを搭載した暫定マシンで出走した。このマシンは第3戦ベルギーでは決勝レースを走った[6]。またエンジンも序盤ではF1用3500ccのDFZがチームに1基しかない場合もあり、急遽手配した耐久レース用の3300ccエンジン(コスワース・DFL)で出走した公式セッションがあった[7]
  • 中嶋のマシンにのみシーズンを通じてFOCA映像配信用の車載カメラがテスト的に搭載されたが、重量バランスや空力に悪影響を与える結果となり、1989年から使用される空力に悪影響を与えにくい形状の車載カメラを開発することになったほか、車載カメラを搭載しないマシンには同重量のバラストを搭載するなど以後のレギュレーション整備がされることになった。
  • イギリスGPでは多くのドライバーがマシントラブルでリタイヤする中、中嶋は2周遅れながら4位に入賞し、ホンダの1・2・3・4フィニッシュの一端を担った(同僚のセナも1周遅れの3位に入った)。中嶋は前年にシルバーストーンでF3000のレース経験があった為、それまでとは違う「序盤から飛ばして燃費のことは後で考える(本人談)」作戦を採った。中嶋自身のベストラップは最終盤の残り3周のタイミングで記録されたが、ホンダの桜井淑敏は「レース終盤で燃料セーブのためにペースを落としトップのネルソン・ピケに抜かせたことで2周遅れにならなければ、燃料が足りずフィニッシュライン300m手前で止まってしまい完走できなかっただろう」と述べた。
  • オーストリアGPの予選中、野生のシカが侵入しコースを横切り、ステファン・ヨハンソンが運転するマクラーレンと衝突する事故が発生。速度はおよそ280km/h出ていたためマシンは全損、ヨハンソンは肩の打撲と肋骨骨折を負った[8]。シカは絶命していた。決勝ではスタート直後にホームストレートで多重クラッシュが発生し再スタートが行われた。2度目のスタート直後にも同様の事故が起き、再度の再スタートが行われるなど、事故が相次いだ。オーストリアGPはこの年を最後に、1997年まで中断された。
  • 第14戦メキシコGPから第16戦オーストラリアGPまでの遠征ではミナルディが財政状況からスペアカーを持ち込めず、2台のレースカーのみを運搬した。これはメキシコ-日本-オーストラリアの3連戦で1台当たり120万円の輸送費がかかり、これを輸送の実務担当であるFOCAに支払えなかったための策だった。ミナルディは鈴鹿でタイヤ用のバーニングヒータ(保温庫)に使う航空機燃料を購入する費用も苦しかったため、より安価で済むヘリコプター用燃料で代用するほど倹約していた[9]
  • 6月から9月にかけて、2シーズン前まで参戦していたRAMの創設者ジョン・マクドナルドが新たにマネージャーとして活動しているミドルブリッジ・インターナショナル・レーシングのF1参戦計画が報じられ、ドライバーにエマニュエル・ピロ、1年型落ちとなるベネトン・B186を使用し第11戦イタリアGPからの4戦に出場することが決まり[10]、J.マクドナルドが奔走しコンコルド協定でスタートグリッドが27台になる同意も得られ全チームの承認サインもなされていた。また第15戦日本GPでは鈴木亜久里を2台目のドライバーに起用する構想もあった。メインスポンサーにはトラサルディがつき白と黒のツートンカラーリングを施したB186の披露も済まされ準備万端であった。しかし第10戦オーストリアGPでの多重クラッシュで2度スタートがやり直しになったことを理由に、一度は参戦を承認したFISAが「安全面を考慮するとスタート台数を増やすのは妥当ではない」としてミドルブリッジおよびピロのF1参戦を認めない方針に転換する騒動があった[11]。なお、このミドルブリッジ計画ではメガトロン・バッジではなくBMWとしてエンジン供給することになっていたため、同シーズン唯一のBMWユーザーだったブラバムのバーニー・エクレストンは参戦承認サインはしたものの不服だったという[12]
  • この年F1決勝レースにデビューした主な選手は中嶋悟、ガブリエル・タルキーニロベルト・モレノステファノ・モデナヤニック・ダルマス。その一方でベネトンのテオ・ファビはこの年限りでF1から去り、マシン開発手腕を買われてアメリカのチャンプカー・ワールド・シリーズポルシェエンジンプロジェクトに移ることとなった。
  • この年限りでポルシェとBMWがターボエンジン供給を終了した。ポルシェは上記のようにチャンプカー・ワールド・シリーズのエンジンプロジェクトへと移り、BMWベースのメガトロンターボはアロウズへのエンジン供給を翌年も続けた。
  • BMWエンジンを失うこととなったブラバムチームが、この年の最終戦を最後に1989年開幕戦までの1シーズン活動停止した。
  • この年初めて日本GPを開催することになった鈴鹿サーキットは、F1開催に向けてコースレイアウト変更やピットエリア、グランドスタンドの改修を行った上に、大きな問題もなくレース運営を行ったことから、FIAより「ベストオーガナイザー賞」を授与された。

脚注 編集

  1. ^ フジテレビ オフィシャル F1 YEARBOOK 87-88 (初版 ed.). 東京都新宿区河田町: 株式会社フジテレビ出版. (1987-12-21). pp. p.150. ISBN 4-594-00191-2 
  2. ^ Henry, Alan (1998) (英語). FORMULA 1 THE TURBO ERA. Hazleton Publishing. pp. p.86. ISBN 1-874557-97-7 
  3. ^ 単にこう呼ばれるが正式名称は無い。(イアン・バムゼイ 著、三重宗久 訳『世界のレーシングエンジン』株式会社グランプリ出版、東京都新宿区、1990年、p.198頁。ISBN 4-906189-99-7 )
  4. ^ Auto e Piloti del Minardi Team 1987 Modello M186 ミナルディ公式ウェブサイト
  5. ^ ベスト11戦がポイントランキングに数えられる有効ポイント制。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
  6. ^ クソマーダーと別れの日も近い レイトンハウス日記 広報担当・安川実 F1GPX '87ベルギーGP号 28頁 1987年6月5日発行
  7. ^ PADDOCK NEWS レイトンハウス・マーチはスポーツカーだ F1GPX '87サンマリノGP号 6頁 1987年5月20日発行
  8. ^ 精彩を欠くマクラーレン 打撲だけと思われたヨハンソンは当初の診断より重く、肋骨2本折れていた F1GPX '87イタリアGP号 27頁 1987年9月25日発行
  9. ^ 極東ニッポンでミナルディ苦戦談 別冊オートテクニック F1GPXpress 第15戦日本速報版 36頁 山海堂 1987年11月15日発行
  10. ^ E.ピロが新生チームでオーストリアGPから参戦か GPX 1987イギリスGP号 29頁 山海堂 1987年8月5日発行
  11. ^ 無念!!ミドルブリッジF1出走かなわず GPX 1987年イタリアGP号 30頁 山海堂 1987年9月25日発行
  12. ^ ピッロがBMW搭載でバーニーはご機嫌ナナメ GPX 1987西ドイツGP号 28頁 山海堂 1987年8月15日発行

外部リンク 編集