中川郡 (十勝国)

日本の北海道十勝総合振興局の郡
北海道十勝国中川郡の位置(1.幕別町 2.池田町 3.豊頃町 4.本別町 薄緑:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)

中川郡(なかがわぐん)は、北海道十勝国十勝総合振興局

人口45,041人、面積1,778.05km²、人口密度25.3人/km²。(2016年9月30日、住民基本台帳人口)

以下の4町を含む。

目次

郡域編集

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記4町から幕別町の一部(忠類各町)、豊頃町の一部(湧洞・長節・大津・打内および大津各町)を除き、下記を加えた区域にあたる。

  • 帯広市の一部(桜木町・以平町および泉町の一部)
  • 河西郡中札内村の一部(元更別・上札内・南札内の各一部)
  • 河西郡更別村の一部(上更別・更南・勢雄および更別・弘和の一部)
  • 河東郡音更町の一部(長流枝・長流枝幹線ほか概ね士幌川流域[1]
  • 河東郡士幌町の一部(下居辺および概ね士幌川流域[1]
  • 河東郡上士幌町の一部(概ね居辺東[1]
  • 足寄郡足寄町の一部(概ね利別川以西および平和・共栄町・上利別・上利別本町・大誉地)
  • 足寄郡陸別町の一部(トマム)

歴史編集

郡発足までの沿革編集

江戸時代の中川郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。中川郡北部(現在の足寄郡足寄町利別川以西に相当)にある芽登温泉蝦夷の人々の間では古くから知られていた。

江戸時代後期、中川郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年中川郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年中川郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年以降は仙台藩領となった(6藩分領)。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して中川郡が置かれた。郡名の決める際に松浦武四郎は当郡を「下川郡」と命名し、開拓使公文録でも「下川郡」であったが、その後現在の中川郡に変更されている。変更の経緯は明らかになっていない。十勝国では、他にも現在の上川郡十勝郡で郡名が変更されている。

郡発足以降の沿革編集

 
北海道一・二級町村制施行時の中川郡の町村(4.凋寒村 5.豊頃村 6.幕別村 7.本別村 桃:幕別町 橙:豊幌町 緑:足寄郡足寄町 青:区域が発足時と同じ町村および合併を経ていない町村)

脚注編集

  1. ^ a b c 相次ぐ町名変更のため、公開資料を用いての境界線の比定は難しい。
  2. ^ 現在の湧洞・長節・旅来・大津・打内および大津各町。

参考文献編集

  • 角川日本地名大辞典 1 北海道
  • 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)

関連項目編集