PCエンジン

かつてハドソンと日本電気ホームエレクトロニクスが製造販売した家庭用ゲーム機
天の声2から転送)

PCエンジンPC Engine)は、ハドソン日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス、以下NEC-HE)により共同開発され、1987年10月30日[2]にNEC HEから発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機。当時のメーカー希望小売価格は24,800円。

PCエンジン
TurboGrafx-16
メーカー ハドソン(開発)
NECホームエレクトロニクス(開発・販売)
種別 据置型ゲーム機
世代 第4世代
発売日 日本の旗 1987年10月30日
アメリカ合衆国の旗カナダの旗 1989年8月29日
フランスの旗 1989年11月22日
大韓民国の旗 1989年
欧州連合の旗 1990年
CPU HuC6280
MOS 6502ベース)
GPU HuC6260 + HuC6270
対応メディア HuCARD
CD-ROM2
SUPER CD-ROM2
アーケードカード
対応ストレージ 天の声2
バックアップブースター
バックアップブースターII
天の声BANK
メモリーベース128
コントローラ入力 ケーブル
売上台数 PCエンジンシリーズ
日本の旗 590万台
アメリカ合衆国の旗 250万台
世界 1,000万台[1]
最高売上ソフト 日本の旗PC原人/70万本
互換ハードウェア PCエンジンコアグラフィックス
PCエンジンスーパーグラフィックス
PCエンジンDuo
PCエンジンGT
次世代ハードウェア PC-FX
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任天堂ファミリーコンピュータが発売され数年が経過し、ハドソン社内におけるより高性能のハードウェアを望む声から開発が始まった。同時期に日本電気(NEC)社内において計画されていたCD-ROM機開発の思惑と合致したため、ハドソンとNEC-HEとの共同開発により市場に投入されたゲーム機である[注 1]

北米市場ではTurboGrafx-16(ターボグラフィックス16)の商品名で発売され、NECの米国法人から販売された。HE-SYSTEMの北米仕様であり、HE-SYSTEMのロゴだけは使用している。

発売当初はファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合し、後にスーパーファミコンメガドライブとも競合した。トップシェアを占めることはなかったが、世界累計販売台数1,000万台[要出典]を記録している。

歴史 編集

国内展開 編集

1987年に設立されたNECアベニューがゲームソフトの開発と販売を行っている(NEC-HEはハードウェア製造メーカーだった)。また、ハドソンが初期のラインナップを充実させている。この時期ファミコンソフトの製造での優遇措置停止で任天堂とのトラブルになっていたナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が参入。ハドソン・NECアベニューと共に初期の三本柱に[3]、参入社数過多により飽和状態になっていたファミコン市場から新たな市場を求めたサードパーティがPCエンジンへと参入した、タイトーアイレムデータイースト日本物産などが参入。一方でカプコン[注 2]コンパイル[注 3]などはソフトのOEM供給などをしていたが、参入して自社ブランドで販売することはなかった。

これらサードパーティの参加もあり、ファミコンでは実現が難しかったアーケードゲームが移植された。

1988年11月にCD-ROM2を発売[4]。CD-ROM2は1989年の『天外魔境 ZIRIA』『イースI・II』、1990年の『スーパーダライアス』といったキラーソフトの登場により普及が加速していった。

1989年末にはテレビへの出力端子を従来のRF端子からAV端子に変更して色はダークグレーになり、コントローラーのI・IIボタンに連射機能が搭載されたものに変わったPCエンジンコアグラフィックス、拡張バスを削除してCD-ROM2や天の声などは繋げなくHuカードのみ専用にした廉価版[5]PCエンジンシャトル、Hu6270を2個に増量しVRAMを2倍、メインメモリを4倍に強化したPCエンジンスーパーグラフィックス、本体の拡張バスから繋ぎPCエンジンを使って画面に絵を描け、アーティストツールで印刷をすることも可能なプリント&イラストブースタという4種類のハードを発売している。

1991年6月にコアグラフィックスと性能は同じだが、価格を5000円ダウンさせたコアグラフィックスIIが19800円で発売された。ハードの色はSUPER CD-ROM2システムと同色となる。12月にSUPER CD-ROM2を発売している。またこの時期にコナミ(ブランド名は『KONAMI』、その後ゲーム事業はコナミデジタルエンタテインメントへ移管)も参入し、NEC HEも日本市場(それまで当社は米国市場のみでゲームソフトを発売する程度だった)でゲームソフトを販売するようになり、後期以降の主要ソフトメーカーにまで発展した[注 4]

翌1992年3月にはCD-ROMが100万台を突破し、ソフト供給はCD-ROM中心になる[6]。この時期にPCエンジンの主力メディアはHuカードからCD-ROMへ移行が進み、本体もPCエンジンDuoシリーズが主力になっていった。しかしながらHuカードもコンパクトサイズハードであるPCエンジンGT、PCエンジンLTなどで依然として意義はあり、供給を継続していた。国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていたとする調査結果が雑誌に掲載された[7]。この時期に『天外魔境II 卍MARU』『スナッチャー』といったSUPER CD-ROM2を代表するキラーソフトが発売されている。CD-ROMの普及に伴い、日本ファルコムアートディンクシステムソフトリバーヒルソフトブレイングレイマイクロキャビンコーエー(現:コーエーテクモゲームス)・日本テレネットといったPCゲームのソフトハウスが参入した。

1994年春にはアーケードカードが発売。RAMは18 Mbitへ増強され、ネオジオで人気を博していた『餓狼伝説2』『龍虎の拳』が目玉ソフトとして発売された。同年末にはPCエンジンの次世代機PC-FXが発売され、それ以降もPCエンジンの市場は継続されたが、1999年6月にメッセサンオーソフマップ専売で発売された『デッド・オブ・ザ・ブレイン 1&2』を最後に、ソフトの供給は終了した[5]

日本国外展開 編集

 
TurboGrafx-16
 
CD-ROMユニットを接続したTurboGrafx-16
 
HuCARD変換アダプタ

北米ではNECホームエレクトロニクスの現地法人により「Turbografx-16」の名称で1989年5月23日に発表、同年8月29日にニューヨークロサンゼルスでテスト販売が開始された。価格はTurboPad1個とTurboChip(HuCARDの海外名称)のソフト『Keith Courage in Alpha Zones魔神英雄伝ワタル)』が付属して$199.99。他に『エイリアンクラッシュ』『魔境伝説』『ビクトリーラン』がロンチタイトルとして発売された。一方でメガドライブの北米版である「Sega Genesis」も二週間前にテスト販売を開始しており、ほぼ同時に市場投入される形になった。日本のCD-ROM2に該当する「Turbografx-CD」も同年12月に$399.99で発売された。CD-ROMドライブとインターフェースユニットのセットでとバンドルソフトは無く、ロンチタイトルとして『ファイティング・ストリート』『ワンダーボーイIII モンスター・レアー』の2本がリリースされた。

1992年4月より、取り扱いがNECテクノロジー社とハドソンの共同出資であるターボ・テクノロジー社に変更され、そのキャンペーンとして発売予定のTurboDuo(価格$299.99)に250ドル相当の特典(『イースI・II』『PC原人』『PC原人2』『ゲート オブ サンダー』『ダンジョンエクスプローラー』、専門誌『TURBO FORCE』[注 5]、$5×10枚のソフト購入割引クーポン)を添付させる「Add $250 Value」を実施。また1992年のサマーCESに合わせてTurboGrafx-16の本体価格が$69.99、Turbografx-CDの価格が$149.99にそれぞれに引き下げられた。TurboDuo発売後、既存のTurboGrafx-CDユーザ向けにスーパーシステムカードと3-in-1 CD(Bonk's Adventure、Bonk's Revenge、Gate of Thunder)と$5×10枚のソフト購入割引クーポンをセットにしたバリューパックが$95で販売された。ちなみに旧来のシステムカードは起動画面がTurboGrafx-CDのロゴになっていたが、スーパーシステムカードは国内版と同じ「SUPER CD-ROM2 SYSTEM」の起動ロゴになっている。

TurboGrafx-16は参入業者が少なかったために、販売面で苦労した。またCD-ROM2にあたるTurboGrafx-CD(HES-CDR-01 TurboGrafx-16と同時発売)やPCエンジンGTと同機能のTurboExpress(HES-EXP-01 1990年11月発売)、PCエンジンDuoと同機能のTurboDuo(HES-DUO-01 1992年10月発売)なども発売された。これらは日本ではCD-ROMのゲーム環境としてヒットしたがTurboGrafx-CD関連は1993年中には市場からほぼ淘汰された。晩年は慢性的なソフト不足を補うため国内向けのソフトを輸入販売し、PCエンジンのHuCARDのピンアサインをTurboGrafx-16向けに変換するアダプタも非公式に流通した[注 6]

また、北米においてはTurboGrafx-16を業務用ゲーム機として展開する計画も立てられていたが、こちらは業務用ゲーム機のメーカーの反発や、NECホームエレクトロニクスの北米法人内で業務用ゲーム機業界に詳しい者がいないことなどが原因で頓挫した[8]

欧州市場ではフランスを除いて正式販売は行われなかった。フランス版HE-SYSTEMは、当時日本で販売されていた本体をRGB仕様に改造したのみで、本体の形状や商品名称などは日本と同様PC Engineとなっていた。イギリスではNTSC出力のままの米国モデルがTelegames社より極少数販売された実績がある。

アジア市場では大韓民国でも発売され、韓国版HE-SYSTEMは、大宇電子がZemmix PC Shuttle(CPG-100)としてZemmixのラインナップの一部でPCエンジンシャトルを輸入し、その後はPCエンジンシャトル自体が生産を終了したということもあり、ヘテ電子からも『スーパーコン バイスター』の名称でハドソンとの共同開発によるオリジナルの本体で発売されていた(こちらもHE-SYSTEMのロゴだけは使用していた)。ただ、NEC-HEは一切関与していなかった。ソフトのラインナップは、基本的に日本や北米からHuカードのみを輸入し、パッケージを独自に制作したものだった。そのため、コナミのタイトル全般や、ドラえもんのゲームなど、北米で発売されていないタイトルも含まれていた。

なおTurboGrafx-16は本体の大きさが国内版に比べ横幅が倍になっているが、これは本体が小さくて価格が高いと割高感が出て敬遠されるというアメリカの消費者心理を考慮したためである。またCD-ROMユニットは本体後部に接続する形式を取っているが、CD-ROMユニットの大きさは国内版と同じのため、組み合わせると、さらに特異な形状(真上から見ると『凸』型)となる。

またTurboGrafx-16の名称はPCエンジンは画像処理周りなど一部の処理を16ビットで行っていたため、Sega Genesis(北米版メガドライブ)及びSuper Nintendo Entertainment System(北米版スーパーファミコン)が搭載していた16ビットCPUの話題性に対抗する意味でつけられた。

ハードウェア 編集

開発経緯 編集

チップの開発 編集

当時、ハドソンの目指す高度な表現に対してファミコンやパソコンの「性能の限界が見えてきた」という状況に直面していた。この問題に対して「自分たちが欲しいものを自分たちの手で作り上げる」という目的でハドソン社長の工藤浩をはじめとしたハドソン技術者たちが動き出した(ハドソンはシステム開発も行っており、また半導体技術者も擁していた)。ハドソン技術者の山村喜美夫は「ハードを作るという発想ではなく、ソフトを作る発想で開発が始まったんです。ハードメーカーがハードを作ってくれないなら、性能を上げるためのチップを作ってみようということになったわけです。最初から新しいハードを作ろうとしていたわけではなく、あくまでチップの開発だったんです」と語っている。

この時点ではビジネスのことは考えておらず、単純に「自分たちの夢を追いかけただけ」である。

しかし、半導体メーカーではないハドソン単体ではチップを作ることができない。開発者(岡田節男・山村喜美夫、他1名)が仕様書を書き、半導体メーカーに持ち込んでも「北海道から来た訳のわからない会社」では信用されない。NECを含む国内の主な半導体メーカーには断られた[注 7]

最後に訪問したセイコーエプソン(以下エプソン)で、ようやく工藤の話をまともに聞いてくれた。ここで工藤は「別に売るつもりはないから、とにかく一個作ってほしいんだ」「自分の机にファミコンより性能のいいゲーム機があればいいんです」という話をしている。対するエプソン担当者が開発には相当な額がかかると言うと、工藤は「お金はいくらでも用意します。何なら、いまここに積みますから」と返した。この時点で相手もあきれていたと後に工藤は言っている。

こうしてチップの開発はスタートした。ハドソン、エプソン双方のメンバーがほぼ同年代で、細かい点ではよく話し合って決めた部分もあるので山村は「一緒に作ったという感覚が強い」と証言している。そして完成したのが『Hu-7』(工藤の証言より。山村の証言ではHu6270と呼んでいる)と呼ばれるチップである(山村はHu6270の開発スタートが1985年春、Hu6270の完成のめどがつき、次の段階に進んだのが1985年末から1986年初め頃と証言している)。費用は2億円、数量として「1000個だか10000個だか(工藤の証言より)」が作られた。

(出典[5][10]

ゲーム機の開発 編集

完成したHu-7(Hu6270)の画像処理能力はファミコンのCPUを上回る性能を見せ、独自の新ハードの野望を抱かせるようになった。

ハドソンは、これをまずシャープに持ち込んだ(「思ったよりもいいものができたというか、画像の処理能力なんかファミコンのCPUよりも数段いい。これを使って何かできるんじゃないかと思って、とりあえずパソコンの関係でおつき合いのあったシャープさんにそれを見せたわけです。そうしたら『これは商売になる!』というんで話が一気に盛り上がって…」と工藤は証言している)。結局シャープとは話がまとまらなかった。任天堂と協力関係にあり、それがネックになったといわれている。

次に工藤が向かったのがNECである。ここで幸運なことに「ちょうどゲーム機を作りたいと思っていたんだ」という対応を受け、話がスムーズに進んでいった。

一方のNECも任天堂のファミコンの急速な普及に触発され、1983年末頃から後藤富雄を中心とした若手社員により、社内で「パソコン以外の何か」を作るための議論が続いていた。1985年に「記録メディアにCD-ROMを使ったゲーム機」という結果となった[11]。目標価格を10万円以下に設定したが、ゲーム機用の安価なチップ(CPU)を内製化する設計力がNECには当時無かった。そのため計画が頓挫していた。NECの多部田俊雄も当時から家庭用のCD-ROMの企画書を提出していたが価格の問題があり却下されていた[12]

工藤が完成品のチップと一緒にNECを訪問したのはちょうどその頃で「PC-8801の後継機としてCD-ROMを搭載したマシンを作りたいNEC」と「スプライトに強いチップを売り込みたいハドソン」という二者の利害が一致した[13]

その後チップの開発とツール開発が同時進行して、チップはエプソン、製品化はNEC、Huカードは当時の三菱樹脂とハドソンが共同開発することでPCエンジンは誕生した。

(出典[5][14]

CD-ROM2の開発 編集

上記の通りNECからハドソンにもたらされたCD-ROM機開発計画であるが、PCエンジン発売後1年でCD-ROM2本体として発売されることになった。当時パソコン用のCD-ROMドライブは本体接続用のインターフェースと合わせて25万円もしていたが、価格を5万7800円に落とすことで、家庭用ゲームへの採用を可能にした[15]。搭載されたRAMの容量はメイン64KB、ADPCM用64KBだった。このため大きなデータを一度に取り込めず、凝った演出を行うために頻繁なロードが必要だったが、この問題点は後にスーパーCDROM2、アーケードカードへとRAM容量が拡張されることで解決していった。

シークに片道で3秒、往復で最大6秒かかるため、複数のファイルをバラバラに読ませる、読み取り時にエラーが発生するなどの状況下では実用性に問題が出るほど時間がかかった[16][17]。ゲームの進行などで一部のデータだけが変更される事象が起こった場合、差分をバラバラに読むのではなく「それらをひとまとめにしたファイルを進行毎に用意してシークをなるべくさせないで一度に読み込む」方式を採用した[16]。データの二重保存と合わせてCD-ROM内でデータトラックが占める割合が大幅に増すことになったが、CD-ROM自体が大容量であったのでこのような対処が可能であった。

CD-ROM2の発売以前、ハドソンの朝礼の時に中本伸一がCDを持ってきて「お前ら、この中にゲームが入るから」と発言したがハドソンの他の開発者たちは当時「CD=音楽CD」という知識しか無く、中本が何を言っているのか分からなかったという[5]。このようにハドソン社内でも具体的な形になるまでは開発情報の公開に制限がかかっていたという話がある。

システムカードがバージョン2.0以降の物からはCD-G (CDグラフィック)に対応する様になり、カラオケ用の再生プレーヤーとしても利用が可能となった。

コア構想 編集

PCエンジンは「コア構想」という拡張思想を持ち、パーソナルコンピュータのようにコア(核)の役割を持たせ、様々な周辺機器を接続することでゲーム以外にも対応させる。いわば周辺機器のエンジンに見立たものであり「PCエンジン」の命名はここが由来である。そのためDUO系統を除く本体にはゲーム機としては最小限の機能しか無く、他社ゲーム機では標準装備もしくはカートリッジに内蔵されるような機能も別売りの周辺機器で補完していく必要があった。

構想の要であった拡張バスは初代PCエンジンから始まり、コアグラフィックス系統などの本体後部に標準装備[注 8]されており、周辺機器の接続は主にこれを使う。多くの周辺機器が発売されたが、拡張バスを用いる機器は排他仕様であり、またLTやスーパーグラフィックスなどハードの形状が統一されておらず接続できない代物もあった。この問題を解決するために「周辺機器を接続するための周辺機器」も発売された。拡張バスは機能を追加するものであったが、性能を向上するためのものではなかったためPCエンジンをスーパーグラフィックス相当にする周辺機器は発売されず、専用ソフトをプレイするにはスーパーグラフィックス自体を別途購入する必要があった。

PCエンジン専門誌の一つ「マル勝PCエンジン」でも1989年10月号の116頁では天の声2をAV出力へ対応させるための改造記事を掲載したり、PCエンジンSGについて1989年12月でに記事を組んだものの19頁で「みんな自分のマシンが旧機種になってしまうという不安を感じているようだ。しかし価格設定や販売方針を考えると、この新機種が主流になることはまずないと言ってよさそうだ」と記載しており、ユーザーへの余計な出費をさせないような配慮も行っている。

HE-SYSTEM 編集

NEC-HEとハドソンによって提唱された規格ライセンス商品の証明としてPCエンジンに関連する本体とソフトウェアには必ずロゴが記載されている。なお、「HE-SYSTEM」(エイチイーシステム)の「HE」はHome Entertainmentの略であり、『ホーム・エンターテイメント・システム』という意味である。

そのPCエンジンのブランドロゴはNECが販売する日本国内向けのHE-SYSTEMのハードで用いられているため、他社製品のレーザーアクティブに関しては、NECからもOEM供給することによってPCエンジンのロゴを使用できたのに対し、X1twinに関しては、NECの製品ではないが、ハドソンが開発に関与しているため、HE-SYSTEMのロゴだけを使用しており、PCエンジンのロゴは一切使用していない。

CD-ROM2用のディスクをCDプレーヤーで再生した時の警告音声に関しては、標準メッセージからではあるが、「HE-SYSTEMのCD-ROMディスクです」と言っており、PCエンジンの名称は一言も発していない。これは、登場キャラクターが担当するタイトルも同様の措置である。

ソフトウェア媒体と規格 編集

PCエンジンは時期によりパソコンのように拡張を繰り返し、1つのハードに2つの媒体で計5つの規格のソフトが流通した[注 9]

HuCARDのパッケージはCDアルバムの様な大きさ、太さのケースに収納されていて、ケースの背面にはメーカーシールのみのソフトも多数あり、どのようなゲームなのかが確認し難い要素があった。

バックアップ機能 編集

Huカードにはバックアップ機能がなかったため、初期のソフトはゲーム再開時にパスワードを手動で入力する必要があった。

やがて天の声2やバックアップブースターなど周辺機器が発売されるとセーブデータ・バックアップが可能になった。1つで複数のソフトに対応する必要からファミコンなどのカートリッジ内蔵式のものよりは容量が大きい。CD-ROM2が発売されると本体の機能として統合された。DUOの登場で拡張バスが廃止され、またゲームのデータの肥大化に伴いHuCARDスロットやコントローラーポートで接続する機器も発売された。

コントロールパッド 編集

標準パッドは見た目を変えているものの、ボタンの配置と大きさはファミコンのIコンと同等のものとなっている。十字ボタンのみ形状が変更されており、ボタン類は名称が異なるものの、「START→RUN」「A/Bボタン→I/IIボタン」と位置関係上それぞれ対応している。PCエンジンコアグラフィックス以降の機種ではそれぞれ色調を合わせた連射パッドが標準装備されている。その後ボタン数(3/6ボタン仕様)を変えたものが発売されている。

また「RUNボタン」を押しながら「SELECTボタン」を押すことでリセットをかける機能が基本的にソフト側に搭載されている(『妖怪道中記』など、サードパーティー製のソフトでは例外的に「SELECT」→「RUN」でもリセットを行える場合がある)。この操作はマルチタップ経由でも可能なので、1プレイヤーのみが可能な機能には留まらない。

パッドは脱着式だが本体にはコントローラー端子が1つしか無く、2人以上の同時プレイには別売りのマルチタップを購入し、端子を増設する必要がある。マルチタップは5人用の他に、3人用・2人用等、ゲームの用途に合わせて発売されている[注 10]

仕様 編集

 
CPU HuC6280A
 
VDC HuC6270
 
VCE HuC6260A
CPU:HuC6280(音源内蔵)
クロック:1.79MHz/7.16MHz (ソフトウェアで選択可能)
ファミリーコンピュータやコモドール社のパソコン等に搭載されたMOS 6502互換CPUに、独自に命令を追加したカスタムCPUを採用。クロック周波数は7.16MHzで、1.79MHzのファミリーコンピュータに対して4倍の動作周波数を実現[18]
  • 音源部:波形メモリ6音または波形メモリ4音+ノイズ2音(1周期32アドレス波形メモリ方式、LFO内蔵)。Ch.0とCh.1はLFOで合成させてFM音源のような変調音を作ることが可能。
波形メモリを使わずに直接CPUの値を出力するDirect D/Aモード有り。タイマー割り込みで同期を取って値を書き換えることでサンプリング周波数7kHz相当の5bitPCM音声が再生可能。ただしサンプリングの発音数が多くなるにつれそれ相応のCPU負荷を要する[注 11]。またサンプリングを使用時は発音数に応じて波形メモリ側の音数は間引かれる。※例 サンプリング3音を使用の場合は残り3音で波形メモリやノイズを発声する。[注 12]
VDC (Video Display Controller):HuC6270
VCE (Video Color Encoder) :HuC6260
CPU・VDC・VCEの詳細HuC62を参照。
メモリ
RAMには高速なSRAMを使用[18]
表示解像度(単位は画素
  • 256×240
  • 320×240(N/A)
  • 336×240
  • 512×240[注 14]
TV の表示範囲に入るのは 224 ライン程。横方向の画素数は256、336、512の3種類から任意で切り替え可能。
VDC(HuC6270)に16ビットのレジスタがあり、横512の座標も問題なく扱える。
画素単位で制作したグラフィックを横512画素で表示するにはVRAMの容量が不足するが、BG画面(後述)を使うことで表示可能。[注 15]
画面発色数
512色中最大481色[注 16] ※最大512色同時表示や最大112色の同時表示が可能という事実と違う広告も多数あった。[19][20]
スプライト:256色中15色+透明色のパレットを16個[21]
BG:256色中15色+共通色のパレットを16個
NTSC信号出力の際に、カラーバースト信号を切ってモノクロ表示にすることが可能。
スプライト
  • 最大64個(1個のスプライトサイズは16×16から最大32×64 カラー指定512色中15色+透明色)
  • 横方向へ16×16のサイズを最大16個(横320ドットモード時は14個に制限される。これはスプライトを横に16個並ぶ設定にするとオーバークロック状態になり(VRAMのアクセスタイムを超える駆動をする)、PCエンジン本体の動作保証が出来ないことから、NECのガイドラインにより設定された。※初期に発売されたR-TYPEなどは例外的に使用[22]
バックグラウンド(BG画面)
1画面(1キャラクタ8×8画素固定で最大2048個定義 カラー指定512色中16色 ただし内1色はBGパレット内で共通色となる)。この仕様により多重スクロールは苦手である。そのため背景の一部をスプライトにする・バックグラウンドのキャラクタを複数用意してアニメーションさせる、横方向ではそれに加えラスタースクロールを併用することで対応している。なお、これらは他のゲーム機でも使われるテクニックである。

バリエーション 編集

コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売された。

NEC製

型番 名称 発売日 拡張バス 備考
PI-TG001 PCエンジン 1987年10月30日 初代機。この機種のみ映像出力がRF端子となっている。
PC-KD863G PC-KD863G 1988年9月27日 PCエンジンをCRTディスプレイに内蔵させたもの。RGB接続により画面が鮮明に映る。そのためゲーム雑誌では画面撮影の用途に使われたという。発売当時の価格は138,000円。
PI-TG2 PCエンジンシャトル 1989年11月22日 [注 17] 拡張バスを省いた廉価版。
PI-TG3 PCエンジンコアグラフィックス 1989年12月8日 初代PCエンジンのモデルチェンジ版。映像出力をRF信号からコンポジット映像信号にしたもの。
PI-TG4 PCエンジンスーパーグラフィックス グラフィックチップを2つ搭載して、表示能力を2倍にした上位機種。
PI-TG6 PCエンジンGT 1990年12月1日 PCエンジンの携帯型ゲーム機
PI-TG7 PCエンジンコアグラフィックスII 1991年6月21日 コアグラフィックスのモデルチェンジ版。
PI-TG8 PCエンジンDuo 1991年9月21日 SUPER CD-ROM2本体との一体型。システムカードが内蔵され本体だけで起動する。CD蓋部のロック機構や専用バッテリー端子など独特の機能がある。CDグラフィックスの再生機能搭載
PI-TG9 PCエンジンLT 1991年12月13日 従来のPCエンジンと同様の筐体に、開閉式の液晶モニター、スピーカー、TVチューナー、コントローラー等を内蔵したもの。本体をCD-ROM²システムに着用可能。
PI-TG10 PCエンジンDuo-R 1993年3月25日 PCエンジンDuoの廉価版。ヘッドフォン端子やバッテリー端子等を省いた。
PCE-LD1 レーザーアクティブ 1993年12月1日 パイオニア製レーザーアクティブのOEM。
PCE-DUORX PCエンジンDuo-RX 1994年6月25日 Duo-Rのマイナーチェンジ版。CD-ROMドライブが改良されている。

他社製

型番 名称 発売日 拡張バス 備考
CZ-830C-BK X1 twin 1987年12月 PCエンジンをシャープが開発していたパソコンX1に内蔵させたもの。
CLD-A100 レーザーアクティブ 1993年8月20日 パイオニア製。
CPG-100 Zemmix PC Shuttle 1990年 不明 HE-SYSTEMの  韓国専売版にあたり、Zemmixブランドで発売された。

各ソフトの規格に対応する機器 編集

 
標準クラスのプレイ環境の一例:
コアマシン + CD-ROM2 + 各種システムカード
 
標準クラスのプレイ環境の一例:
コアマシン + SUPER CD-ROM2
 
スーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2。アーケードカードがあればLD-ROM2以外の全ソフトのプレイが可能

一般に多く流通したソフトを遊ぶにはSUPER CD-ROM2が可動する環境があれば良いが、上記の通り本体および周辺機器共に多くのバリエーションが存在するため、システムの組み合わせパターンは数多い。分類すると下記のようになる。なお下記では、初代PCエンジン・PCエンジンコアグラフィックス・PCエンジンコアグラフィックスIIを合わせ「コアマシン」と称する。

  • 発売されたソフトの規格
    • 動作可能な本体、ハード、システムの組み合わせ
  • HuCARD
    • 全PCエンジンハード
  • HuCARD(PCエンジンスーパーグラフィックス専用)
    • PCエンジンスーパーグラフィックスのみ
  • CD-ROM2
    • コアマシン + CD-ROM2 + 各種システムカード
    • コアマシン + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + 各種システムカード
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンDuo系列機(R・RXを含む。以下同様)
    • レーザーアクティブ+LDRom2パック
  • SUPER CD-ROM2
    • コアマシン + CD-ROM2 + システムカードVer.3.00(SUPER SYSTEM CARD) or アーケードカードPRO
    • コアマシン + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + システムカードVer.3.00(SUPER SYSTEM CARD)or アーケードカードPRO
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンDuo系列機
    • レーザーアクティブ+LDRom2パック(パック内蔵のスーパーシステムカード機能の場合不具合が出るソフトが有るので、その場合スーパーシステムカードをHuカードスロットに挿すことで回避可能)
  • アーケードカード専用CD-ROM
    • コアマシン + CD-ROM2 + アーケードカードPRO
    • コアマシン + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
      • 以下も含め、SUPER CD-ROM2上(Duo系列機含む)でのアーケードカードPROの使用は公式にはサポート外
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + アーケードカードPRO
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
    • PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
    • PCエンジンDuo系列機 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
    • レーザーアクティブ+LDRom2パック+ アーケードカードDUO or アーケードカードPRO

周辺機器 編集

発売された本体が多岐にわたるため、それぞれの本体に対応する周辺機器は以下のページを参照すること。

CD-ROM 編集

型番 名称 発売日 備考
CDR-30 CD-ROM2 1988年12月4日 PCエンジンのCD-ROMドライブ。
PI-CD1 SUPER CD-ROM2 1991年12月13日 上位規格のCD-ROM2システム。

セーブ用外部メモリ 編集

型番 名称 発売日 備考
HC66-6 天の声2 1989年8月8日 拡張バスに接続するセーブ用外部メモリでハドソンが発売。内容保持に単3電池を使用するため電池が切れたらデータも消失する。本体通電中なら電池交換してもデータは保持される。AVブースターと併用はできないため初代PCエンジンよりも1989年12月8日に発売されたコアグラフィックス向きである。価格・流通量の多さにより利用者数はバックアップブースターより多い。名前の由来はハドソンのRPG『桃太郎伝説』のパスワードが「天の声」という名称だったことによる。
PI-AD7 バックアップブースター 1989年11月12日 天の声2とAVブースターの機能を併せ持つため、IFU-30と同様にRF出力しかない初代PCエンジンでAV出力とセーブ機能を両立できる。天の声2よりは高価だが、IFU-30に比べると機能を絞り込んだ分値段が安い。
PI-AD8 バックアップブースターII 1989年12月8日 バックアップ用電源がキャパシタ(コンデンサ)に変更され、本体使用中に充電されるようになった。同時発売のコアグラフィックスでの使用が前提でAVブースター機能を削除し価格も下げられた。
HC692 天の声BANK 1991年9月6日 HuCARD型のセーブ用外部メモリ。言わばPCエンジン用SRAMカード。それまでの外部記憶ユニットのセーブデータを4台分バックアップできる。バンク切り換え式でゲームタイトルごとの管理はできない。電池は内蔵リチウム電池で長寿命であったが交換不可能。隠し要素としてハドソンの人気ゲームのデータが初めから記録されていた。
PI-AD19 メモリーベース128 1993年3月 パッド端子に接続して使用するセーブ用外部メモリ。後期ソフトのセーブデータの肥大化に対応し容量は128KBと非常に大きいが、対応ソフト以外は使用不可能。コーエー発売の同機能の周辺機器「セーブくん」もある(『信長の野望・武将風雲録』・『三國志III』などの一部に同梱)。
対応ソフトのうち、『エメラルドドラゴン』・『リンダキューブ』・『プライベート・アイ・ドル』・『ぽっぷるメイル』の4本には本体のバックアップメモリとの間でセーブデータをコピーするなどの操作が出来る管理ユーティリティを内蔵。『エメラルドドラゴン』・『リンダキューブ』は共通のツールでデータの互換性があるが、『プライベート・アイ・ドル』と『ぽっぷるメイル』は両者との互換性はない。

映像/音声出力 編集

型番 名称 発売日 備考
PAD-105 ACアダプタ 1987年10月30日
PAD-106 ACアダプタ
アンテナスイッチ 1987年10月30日 初代PCエンジンで使用可能。RF信号を出力するための機器。
PI-AD2 AVブースター 1988年4月8日 拡張バスに接続するコンポジット映像信号出力用の機器。初代PCエンジンでの使用が前提の商品。専用のDIN5ピンコネクタで本体と接続するコアグラフィックスと違い、汎用のAVケーブルをダイレクトに挿すことができる。
PI-AN2 AVケーブル 1989年11月22日 初代PCエンジン以外で使用可能なステレオAVケーブル。
PI-AN3 RFユニット AVブースターとは逆にコンポジット映像信号出力のマシンに使用し、RF信号を出力するための機器。
PI-AD20 バーチャルクッション 1992年12月18日 エアークッションにサブウーファーを内蔵。音声が出力されるとクッション内の空気が振動する機器。アンプ・エアークッション本体・カバーに分かれている。AVブースター等が付いたPCエンジンと直接接続するのは困難で、TV側の外部出力端子から接続されるのが一般的。発想は先進的だが本体価格が高く、長期間使用するとエアークッションの空気が漏れる・接触不良で音声や振動が出ない等の影響か普及には至らなかった。
CA-54 PCエンジンコネクターケーブル NEC製テレビ専用の接続ケーブル。一部のNECのTVに「PCエンジン端子」があり、ケーブル一本で映像/音声の入力・電源供給が可能。

パッド関連 編集

型番 名称 発売日 備考
PI-PD001 PCエンジンパッド 1987年10月30日 初代PCエンジンに同梱されていたパッド。
PI-PD002
PI-PD06
PI-PD8
ターボパッド PI-PD001に連射機能を付けたもの。
PI-PD003 マルチタップ パッドを5つまで接続できる純正機器。本体のみではパッドを1つしか接続できなかった弱点が逆に普及を促し、ファミコン以上に多人数同時プレイソフトを登場させることとなった。2人用や4人用のサードパーティ製のものもあった。
PI-PD4 ターボスティック 1988年10月1日 NEC-HE純正では唯一のジョイスティック型コントローラ。
HC63-8 ジョイタップ3 1988年10月4日 純正品。マルチタップの廉価版で、3つまでしかパッドを接続できない。
PI-PD5 ターボパッドII 1989年11月22日 PCエンジンシャトルの形状に合わせたターボパッド。
NAPD-1001 アベニューパッド3 1991年1月31日 3ボタン操作のフォーゴットンワールドの発売に合わせて登場。IIIボタンはSELECTかRUNボタンのいずれかに設定して使用する、連射もできるのでRUNボタンに設定してスローモーション(ポーズの連射)をかけることも可能。
PI-PD10 PCエンジンマウス 1992年11月27日 後期、PCから移植等の一部ゲームに対応。親指で押せるセレクトボタン・ランボタンも付いており、当時としては珍しい4ボタンマウスだった。
PI-PD11 コードレスマルチタップ 1992年12月18日 PCエンジンDuoに合わせたデザインの純正品。パッド信号を赤外線で伝達することでコントローラのコードレス化を実現。コードレスマルチタップ自体はPCエンジン本体のパッド端子に接続する。コードレスパッドを5本揃えれば5人同時プレイ可能である。受信可能距離は約3mまで。
PI-PD12 コードレスパッド コードレスマルチタップ用のパッド。単四乾電池4本必要。
NAPD-1002 アベニューパッド6 1993年5月28日 6ボタンパッド。『ストリートファイターII'』の移植に対応する形で登場。
PCE-TP1 アーケードパッド6 1994年6月25日 6ボタンパッド。PC-FXの標準パッドとデザインがほぼ同じ。

グラフィック 編集

型番 名称 発売日 備考
PI-AS1 アーティストツール 1989年9月29日 グラフィックソフト。イラストブースターがなくてもパッドで描画可能。画像の保存機能は無し。
PI-AD3 プリントブースター 本体に接続できるプリンター。ペンを差し込んで使うペンプロッター式。
PI-AD4 イラストブースター 専用ペンタブレット。透明なので下絵をなぞることができる。
PI-AD5 フォトリーダー ペン型モノクロイメージスキャナ。プリントブースターのリーダ端子に接続して使用する。

ライセンス品 編集

型番 名称 発売元 備考
AS-7749-EG アスキースティックエンジン アスキー
BT-BG1 バトルパッド ビッグクラブ
BT-BG2 バトルタップ
HJ-13 ホリコマンダーPC ホリ電機
XE-1 PRO HE ジョイスティック マイコンソフト
XHE-3 ジョイスティックアダプタ アタリ仕様のコネクタを変換するアダプタ
CJPC-101 パチンコ専用コントローラー ココナッツジャパン
KH-1001 セーブくん 光栄

非純正品 編集

  • PCエンジンのパッド端子は汎用のミニDIN8pinコネクタを採用している。同じミニDIN8pinコネクタを採用しているPC-9801用のキーボード延長ケーブル(2016年時点の現行品の例としては KB-K98-3K、KB-K98K)をPCエンジンのパッド延長ケーブルとして使える。
  • 2020年4月上旬にコロンバスサークルより無改造でポータブル化できる外付け液晶ディスプレイが発売された[23]。これによって安価にPCエンジンLTを再現することが可能になった。

発売中止 編集

通信ブースター
通信ツールというソフトと併用し、NECが運営していたテキストベースのパソコン通信PC-VAN」に接続出来るというもの。キーボードも発売されてBASICプログラミングなども可能になる予定もあった[24]。1988年には雑誌の企画として、ホスト用のパソコンと電話回線を介して、PCエンジン同士の通信や手書き文字の送受信が行われた[25]が、開発期間が長引き性能が陳腐化したなどの理由で発売中止となる[25]
XPE-1RGB(仮称)
マイコンソフトより発売予定だった。本体をRGB接続に対応させる外部接続アダプタ。CD-ROM2との互換性を維持するため、PCエンジン本体の下に積むという独特の接続方法になる。形状の合致しないスーパーグラフィックス、専用バックアップユニット接続端子のみ対応のシャトル、拡張バスの無いDuoには非対応[26]

映像出力方法はRF接続RCA端子のみだが、拡張バスにはRGB出力が含まれている[27]電波新聞社は、ここからRGB信号を取り出すコネクターの発売を予定していたが企画倒れとなった[26] ため、正規の方法でS端子やRGB端子への接続は出来ない。

ソフトウェア 編集

ゲームソフトとして、HuCARDメディアのローンチタイトルは『上海』と『ビックリマンワールド』である。またHuCARDメディアでの最後のタイトルは1994年12月16日発売の『21エモン めざせホテル王』である。

またゲームソフト以外にも事典やカラオケソフトが発売された。

反響 編集

販売台数 編集

1987年に発売された本機は初年度で60万台を出荷し[28]、任天堂のファミリーコンピュータが独占状態であった国内家庭用ゲーム機市場では任天堂に次ぐ2番手となった。

  • 日本国内出荷台数は1987年度から1995年度まで584万台である[29]。(Huカード機が392万台、CD-ROM(Duo含む)が192万台)
  • 海外のウェブサイトGamePro The 10 Worst-Selling Consoles of All Time の推計によると最終的な出荷台数は世界で合計1000万台、北米での約250万台その他の地域(ほぼすべて日本)[要出典]750万台としている。
  • NEC-HEの事業部長の本庄、NEC社長(インタビュー時は相談役)の関本のインタビューと資料を基にした朝日新聞2001年12月1日(夕刊)「ウィークエンド経済 第765号 あの失敗がこう生きた」にて「だが、PCエンジンは世界で580万台売るヒットになる」と書かれている。
  • NEC-HE取締役支配人の小林淳二は日経BP社『新世代ゲームビジネス』の117ページで「PC-FXは新世代のゲーム機であるが、従来のPCエンジンを190万台普及させてきた延長線上で地道に売っていく」と発言している。

影響と評価 編集

1987年当時の家庭用ゲーム機の常識を覆す高速・高性能であり[4]、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた[7]。1990年代前半の日本市場において、PCエンジンの周辺機器であるCD-ROM2(シーディーロムロム)は最も普及していたCD-ROMゲーム機である。

関係者
ハドソンの中本伸一はPCエンジン発売前のインタビューで「任天堂との共存、共栄を目指す」と発言しており、PCエンジンと並行して任天堂のファミリーコンピュータやスーパーファミコンへのソフト供給を続けた。当時任天堂の一強状態であった家庭用ゲーム機市場において初めて二番手市場を築き、それまで家庭用ゲーム機ではファミコンにしか参入していなかったサードパーティがPCエンジンに数多く参入し、任天堂ハードと共存できる市場を作り上げた。
またハドソンの工藤浩社長(当時)は「成功か失敗か?成功と言えば成功ですよね『PCエンジン』シリーズはトータルで450万台くらい売れて、ソフトも何千万本か売れたんだから。だけど市場から姿を消してしまったし、今ではもう作っていないわけですから、そういう意味で失敗したということもできるかもしれない。少なくともNECにとっては失敗だったかも。ハドソンとしては成功だったように思うけど、本当のことをいうと自分でも成功したのか失敗だったのかよくわからないね[30]」と語っている。
ユーザー
1996年創刊の雑誌『ユーズド・ゲームズ』(後の『GAME SIDE』)では、PCエンジンの熱狂的なユーザのことを「PCエンジニア」と呼んでいた。この言葉は同誌2号のメガドライブ特集記事で誕生したものである。
外部団体
1988年度の商品デザイン部門でグッドデザイン賞を受賞している[31]

その他ファミリーコンピュータとは異なる以下の点が評価されている。

多人数プレイ
コア構想の一環として、NEC-HEより本体と同時に発売されたマルチタップを使用することにより、対応するゲームでは最大5人まで遊べるようになる。ハドソンからは5人同時プレイ対応のアクションRPG『ダンジョンエクスプローラー』が発売された他、日本コンピュータシステムからはレースゲームの『モトローダー』が発売され、ナムコの『プロテニス ワールドコート』ではファミコンの『ファミリーテニス』では実現しなかった4人同時プレイによるダブルス対戦が可能になった。その後、ハドソンの代表作となる『ボンバーマンシリーズ』や『桃太郎電鉄シリーズ』はマルチタップに対応することでパーティゲームとしてのジャンルを確立させ、「パーティゲームの定番」として21世紀初頭現在に至るまで新作が発売され続けている。ハドソンの中本伸一はボンバーマンシリーズについて「本当にラッキーだったのが、PCエンジンにマルチタップがあったことです」「5人プレイが出来るハードに移植された段階で全く新しいボンバーマンの歴史がスタートした」と、PCエンジン版の『ボンバーマン』とマルチタップを評している[32]
先進性
PCエンジンは家庭用ゲーム機として世界で初めてCD-ROMを採用したゲーム機であり[4]、PCエンジンが世に送り出したCD-ROMゲーム機の思想はその後のゲーム機にも受け継がれていった[30]。元NECアベニューの多部田俊雄は後に、「CD-ROMシステムは200万台近く売れた。PCエンジンがなければ全世界規模でCD-ROMの普及が1年は遅れていたでしょう[15]」と語っている[33]。またNEC(当時)の後藤富雄は「他のメーカーに先駆けてCD-ROMを採用したことに対しては、私としてはそれなりの自負がある[30]」と述べている。
ゲームジャンルの拡大
PCエンジン専門誌のPC Engine FANでは「『R-TYPE』や『ドラゴンスピリット』。ほんとうにほしいゲームがよくそろっていました。その後、『ドラゴンナイトII』『卒業』『ときめきメモリアル』が登場。こういった今はギャルゲーと呼ばれるソフトがゲーム機で遊べるようになったのもPCエンジンの功績です。」という評価を受けている[34]

広告 編集

メディア展開としてテレビの専門番組にハドソンが提供・協力、一部は日本電気ホームエレクトロニクスも提供をしている。それに加え広報の一つとしてPCエンジン発売に合わせファミコンソフトのイベントだったハドソン全国キャラバンの課題ゲームをPCエンジン用に切り替えており、『コロコロコミック』のタイアップ記事やさくまあきらが担当した『週刊少年ジャンプ』の読者コーナーなど、影響下にあるメディアでPCエンジンの話題を多く取り上げた。

また富士見ファンタジア文庫から1990年2月に刊行された『悪の江ノ島大決戦』(とまとあき・塚本裕美子著)では、当時発売直後のシャトルやスーパーグラフィックスなどが作中のアイテムとして登場し、ゲーム機本体とライトノベルという、タイアップが行われた。

テレビ番組 編集

専門誌 編集

販売終了後の展開 編集

本機の製造終了後には実機を使用せずにゲームを遊べる環境を各社が提供している。

ダウンロード販売サービス 編集

  • ドリームライブラリ - 2000年6月1日、セガとの提携により配信された。2003年1月31日にサービス終了。
  • プロジェクトEGG - Windows PC向けのレトロゲーム配信サービス。2003年よりラインナップが追加されている。
  • バーチャルコンソール - 2006年12月2日、任天堂との提携によりWii向けに配信されている。2013年12月25日からはニンテンドー3DS向け、Wii U向けも配信を開始。3DSとWii Uの場合、ソフトにカーソルを合わせるとコナミのサウンドロゴが流れる。Wii版は2019年1月31日14時59分を以ってサービス終了した。
  • PCエンジンアーカイブス - 2009年7月15日、ソニー・コンピュータエンタテインメントとの提携によりPlayStation 3PlayStation Vitaのダウンロード販売サービスであるゲームアーカイブスにて配信されている[4]PlayStation Portable向けは2016年3月31日に、Media Goからのダウンロードも2017年12月にサービス終了、以降はPlayStation 3を介してのダウンロードとなる)。
  • PC Engine GameBox - 2010年12月20日、iOS用ソフトPC Engine GameBox(発売元:ハドソン)のダウンロード配信が始まった。『パワースポーツ』以外のゲームはアドオン購入となる。
  • PCエンジンライブラリー - 2014年4月よりWindowsストアにてダウンロード販売が始まった。

クラウドサービス 編集

  • PCエンジンライブラリー - 2013年6月20日に発売されたクラウドゲーム機「G-cluster」向けのサービスとして開始。数本を一つにまとめたセット購入となる。

復刻型ゲーム機 編集

2019年には、ゲームソフトを内蔵した小型復刻版「PCエンジン mini」の販売が、コナミデジタルエンタテインメント(KDE)[注 18]より正式発表され[35]、2020年3月19日に発売された。

58本のゲームがプリインストールソフトとして収録されている。また、北米市場向けに「TurboGrafx-16 mini」、欧州市場向けに「PC Engine CoreGrafx mini」がリリースされている。

その他 編集

  • 2019年現在、「PCEngine」という商標名はコナミデジタルエンタテインメント(KDE)およびビッグローブ登録商標(第2272123号ほか)となっている[35][36][37](「PCエンジン」では商標登録されていない)。発売当時はハドソンおよびNEC-HEが商標などの諸権利を保持していたが、ハドソンは2012年にKDEに吸収合併され、NEC-HEは2001年の会社解散に伴って権利関係が親会社のNECを経て2006年にNECから分社したビッグローブ[注 19]へ承継されたためである。なお、「PCエンジン mini」の著作権表記にはKDEおよびビッグローブの2社が表示されていた[38]が、その後にビッグローブは削除された[39](理由は不明)。
  • PC-88VAOSを「PC-Engine」と呼ぶが、PCエンジンとの関係はない。
  • 同様のコンセプトを持つ品として、テクナート(業務用基板を取り扱う会社)より「PCメイト」というRGB出力/業務用筐体に接続できる機能を持つ基板が販売されていた。発売当時にはゲーメストに広告が載っていたが、価格が2万円と高価だった。同基板をさらに改造し、業務用として設置できるようクレジット機能(コインの投入数分だけRUNボタンの押下を受け付ける)を搭載したものも存在した。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ NECはチップ単位では任天堂やエポック社スーパーカセットビジョンカシオPV-1000への供給を行っていたものの、完成品としてのコンシューマゲーム機としてはNECグループでは初参入である。
  2. ^ サイドアーム』『サイドアーム・スペシャル』『F1ドリーム』『ソンソン2』『ポンピングワールド』『ストリートファイターII'』などを開発。
  3. ^ エイリアンクラッシュ』『デビルクラッシュ』『サイバーナイト』『ガンヘッド』『精霊戦士スプリガン』『スプリガン mark2』『シルフィア』などを開発。
  4. ^ 後継機のPC-FXではNEC HEが大半のソフトを発売している一方、開発元のハドソンのソフトは少数派で、初期の間しか発売されていなかった。
  5. ^ TurboDuo発売と同時に創刊された専門誌。創刊号はTurboDuo本体に同梱され、さらにユーザ登録することで3号まで無償で送付されたので、どちらかというと広報誌に近い。4号から有償になったが、その4号でなんの告知もなく休刊した。
  6. ^ PCエンジンはリージョンチェックが無いため、物理配線さえ何とかすれば国内・国外問わず全てのソフトが動作したが、SUPER CD-ROM2のソフトについてはシステムカードのチェックを行っているため、海外版のSUPER CD-ROM2のシステムカードで日本のソフトを起動すると警告画面が表示されてしまう。無論変換アダプタを使用して日本版のシステムカードを使えば動作する。
  7. ^ 時期は明記されていないがNECより前にソニーへも持ち込んだことがあるという証言もある[9]
  8. ^ ただしCD-ROM2本体により占有されたりDUOシリーズで一体化された結果消滅した。
  9. ^ パイオニア製のレーザーアクティブによるLD-ROM2を除く。
  10. ^ 最大5人で協力・対戦が可能なゲームには『ボンバーマン』『スーパー桃太郎電鉄II』『ダンジョンエクスプローラー』『モトローダー』がある。
  11. ^ Twitterでの『ガンヘッド』のプログラマーだったジェミニ広野のコメントによれば、『ガンヘッド』製作時のサウンドドライバでは3音までサンプリングが発声可能であり、最大で使うとCPUパワーの半分くらいの負荷がかかるとコメントしている。
  12. ^ ゼビウス ファードラウト伝説』『ガンヘッド』等では主にドラムパートを、『源平討魔伝』等ではボイス再生に使用された。『スーパースターソルジャー』以降は波形メモリを制御することでドラム音が再現可能となり、処理速度の向上と再生チャンネルを稼ぐことが可能となっている。
  13. ^ ポピュラス』(HuCARD版)のみカード側にメインRAM:32KBを増設。
  14. ^ HuCARDの『TVスポーツ バスケットボール』の選手選択画面や、CD-ROM2の『シャーロック・ホームズの探偵講座』の全編、『シャドー・オブ・ザ・ビースト 魔性の掟』のOPデモで使用。縦スクロールシューティングゲームで縦画面仕様のアーケードゲームの雰囲気に似せた、通称「縦画面モード」をオプション・裏技で選択可能。
  15. ^ 高解像度なソフトが少ない理由は、画素単位で制作したグラフィックをフル画面表示しづらい・スプライトが複数並び易く、横並び制限によるスプライト欠けが生じ易いからである。
  16. ^ スプライト240色(15色×16パレット、透明色は透過処理に使われるので発色はできない)とBG241色(15色×16パレット+共通色)合わせての数字。
  17. ^ 専用のバックアップユニットのみ接続可能。
  18. ^ 2012年にハドソンはコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併されたため、その後は同社が権利を保有した。
  19. ^ 2014年3月まではNECビッグローブ。同年に日本産業パートナーズへ売却された後、2016年にKDDIへ売却された。

出典 編集

  1. ^ The 10 Worst-Selling Consoles of All Time
  2. ^ PCEngine博物館 - ウェイバックマシン(1999年1月16日アーカイブ分)
  3. ^ 多根清史『日本を変えた10大ゲーム機』ソフトバンク新書、2008年、p.100
  4. ^ a b c d e PlayStationStore「ゲームアーカイブス」カテゴリ内にて「PCエンジンアーカイブス」を、本日より取り扱い開始”. ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパン ニュースリリース (2007年9月15日). 2012年9月21日閲覧。
  5. ^ a b c d e 「ALLAbout PCエンジン」『Nintendo DREAM』2008年3月号、毎日コミュニケーションズ、2008年1月20日、72-76頁、雑誌16947-3。 
  6. ^ 多根清史『日本を変えた10大ゲーム機』ソフトバンク新書、2008年、p.117
  7. ^ a b 週刊ファミ通700号 『ゲームの歴史』、p.127
  8. ^ 海外の話題」『ゲームマシン』第382号、1990年5月15日、17面。2023年6月15日閲覧。
  9. ^ 平林久和急にハドソンのことが語りたくなった -Hisakazu Hirabayashi Official Blog 2011年1月21日
  10. ^ 滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、p.180.181.182
  11. ^ PCエンジンにまつわる当事者の想いを保存する ゲーム保存協会
  12. ^ エンターブレイン「ファミ通」2006年6月16日号、PAGE23より
  13. ^ ドリマガ 2003年10月10・24日号、PAGE117
  14. ^ 滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、p.183.184.185.186
  15. ^ a b ユーゲーNo.06 2003年6号 『特集 PCエンジン回顧録』、p.128
  16. ^ a b ドリマガ 2003年10月10・24日号、PAGE121
  17. ^ 「続・PCエンジンのCDROMのプロテクト」
  18. ^ a b 多根清史『日本を変えた10大ゲーム機』ソフトバンククリエイティブ・ソフトバンク新書、2008年、p.98
  19. ^ ゲームマシン アミューズメント通信 「日本電気がTVゲームに参入」家庭用『PCエンジン』小型、軽量化で ソフトはハドソン、ナムコが供給』アミューズメント通信社、10月1日 1987、1頁。 
  20. ^ ゲームマシンアーカイブ アミューズメント通信 1987年10月1日 第317号”. オニオンソフト. 2023年11月28日閲覧。
  21. ^ HuC6270 CMOS Video Display Controller MANUAL”. 2024年2月23日閲覧。
  22. ^ 岩崎啓眞PCエンジン版R-TYPEのコトColorful Pieces of Game 2010年10月4日
  23. ^ 岩瀬賢斗 (2019年12月19日). “4.3インチ液晶パネルを採用!PCエンジンをどこでも楽しむことができる「ポータブルモニター」が登場!”. GAME Watch. インプレス. 2022年4月16日閲覧。
  24. ^ Japanese Secrets! - The Tsushin Booster Page”. 2022年4月16日閲覧。
  25. ^ a b 鯨武 2023, p. 55-58, 未発売周辺機器.
  26. ^ a b 2016年10月5日、マイコンソフト社員の発言 - 2016年10月7日閲覧。
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  28. ^ テレビゲーム機の変遷--ファミコン、スーパーファミコン、プレステ、プレステ2、Wiiまで
  29. ^ 小川純生、「テレビゲーム機の変遷--ファミコン、スーパーファミコン、プレステ、プレステ2、Wiiまで」『経営論集』 2011年 77号 p.4, 東洋大学経営学部
  30. ^ a b c 「ゲーム大国ニッポン 神々の興亡」滝田誠一郎 2000年、p.187,188
  31. ^ 電子ゲーム NEC PCEngine PI-TG001”. 日本デザイン振興会 (1988年). 2021年8月21日閲覧。
  32. ^ 『スーパーボンバーマン公式ガイドブック』小学館 P.107
  33. ^ 「週刊ファミ通」、エンターブレイン、2006年6月16日号23ページ
  34. ^ PC Engine FAN1996年10月号、134ページ『「月刊PCエンジンファン」刊行変更のごあいさつ』
  35. ^ a b コナミ、「PCエンジン mini」を正式発表。1987年に生まれた世界初のCD-ROM対応ゲーム機が現代に蘇る,電ファミニコゲーマー,2019年6月12日
  36. ^ 特許庁の「特許情報プラットフォーム」[1] において、「PCEngine」を「商標を探す」で検索した結果(2015年6月21日閲覧)
  37. ^ BIGLOBEのツイート(1138650953870000128)
  38. ^ 「PCエンジン」の商標を、BIGLOBEが持ってるワケ”. ITmedia(2019年6月12日作成). 2019年6月12日閲覧。
  39. ^ PCエンジン mini 公式サイト(2019年8月25日閲覧)

参考文献 編集

  • 鯨武長之介『PCエンジン&メガドライブ発売中止ゲーム図鑑(ゲームラボ選書)』三才ブックス、東京、2023年3月22日。ISBN 978-4-86673-359-3OCLC 1373376760 

関連項目 編集

外部リンク 編集