鶴岡雅義と東京ロマンチカ
日本のコーラス・グループ (1965-)
(鶴岡雅義から転送)
鶴岡雅義と東京ロマンチカ(つるおかまさよしととうきょうロマンチカ)は、日本の男性コーラス・グループ。ムード歌謡を代表するグループのひとつである。現在、オフィス・ダァグに所属。リーダーの鶴岡雅義が弾くレキントギターと三條正人や浜名ヒロシの甘いボーカルが人気を得た。
鶴岡雅義と東京ロマンチカ | |
---|---|
出身地 |
![]() |
ジャンル | ムード歌謡 |
活動期間 | 1965年 - |
レーベル | プライエイド |
事務所 | オフィス・ダァグ |
公式サイト | 所属事務所によるプロフィール |
メンバー |
鶴岡雅義 宮内ひろし |
旧メンバー |
三條正人 奥山浩章 浜名ヒロシ 浜博也 岡たつや |
現メンバー編集
元メンバー編集
- 三條正人(さんじょう まさと、1943年1月30日 - 2017年10月5日[1])メインボーカル担当。2017年、マントル細胞リンパ腫により死去。
- 奥山浩章(おくやま こうしょう、生年月日非公表 - 2015年[2]7月[3])ボーカル担当。
- 浜名ヒロシ(はまな ひろし、1950年1月26日 - 2009年10月24日[4])サイドボーカル担当。三條のソロ転向後はメインボーカルを担当した[5]。
- 浜博也(1962年1月8日 - )在籍中は「縣浩也」「高木浩也」名義、1994年以降はソロ歌手として活動している[6]。2009年には覆面歌手「ザ・マイクハナサンズ」名義で昭和時代にヒットした歌謡曲のメドレー「今夜の主役は私です!」を発売し、有線放送のリクエストチャートで1位を獲得するなど話題になった[7]。
- 北村敏郎(きたむら としろう、1952年11月9日 - )本名:上原敏郎。北村英治のもとで、ジャズシンガーとして活動の後加入、サイドボーカルの他、曲によってはリードボーカルを担当した。ソロ転向後は「たきまさと」と改名して、シングル『燃えよ夕陽』(『大江戸捜査網』エンディングテーマ)などを発表[8]。
- 岡たつや(おか たつや、1950年1月2日 - 2020年5月17日)本名:岡本正二 原トシハルとR&Bのメンバーを経て岡本しょうじとハーモニー(バンドリーダー)。1986年ロマンチカにボーカルとして加入。1989年独立し『よわむし』でソロデビュー。『仁川愛のエアポート』『夢思い』『カモメ』『昭和ストーリー』などを発表。日米親善、日中友好公演等海外公演に参加。作曲家としても活躍した。
このほか多数のメンバーが在籍していたが、公式プロフィールが公表されているのは鶴岡、三條、奥山、宮内の4人のみ。
1968年から1974年までの7人編成時代は鶴岡、三條、浜名、奥山、山崎雅義、有沢幸男、松田直也(1972年のLP「鶴岡雅義と東京ロマンチカのすべて」ライナーより)
来歴編集
- 1965年:作曲家の鶴岡雅義が中心となり結成。当初はボーカル不在のため、ゲストボーカルを迎えての活動となる。
- 1967年:『小樽のひとよ』の大ヒットによりメインボーカルとして三條正人(後に女優香山美子と1973年に結婚)が正式に加入。
- 1968年:奥山が加入。第19回『NHK紅白歌合戦』に初出場(以後6年連続)、『君は心の妻だから』で第2回『日本有線大賞』スター賞を受賞。同年11月よりフジテレビ系の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』放送開始と同時にレギュラー出演(1974年10月まで)、番組内での歌謡ドラマのコーナーに毎回出演し鶴岡雅義を初めメンバーらがコント演技等も披露した。
- 1969年:浜名が加入。
- 1974年:三條がソロ歌手へ転向し、浜名がメインボーカルとなる。
- 1978年:三條がグループに復帰。
- 1982年:三條が再びソロ歌手へ転向。
- 1983年:浜が加入。
- 1986年:岡が加入
- 1989年:岡がソロ歌手へ転向。
- 1994年:浜がソロ歌手へ転向。
- 2003年:三條が再びグループに復帰。
- 2009年:浜名が死去。
- 2012年:宮内が加入。
- 2014年:鶴岡が第56回日本レコード大賞・功労賞を受賞。
- 2015年:奥山が死去。
- 2017年:三條が死去。
NHK紅白歌合戦出場歴編集
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
1968年(昭和43年)/第19回 | 初 | 小樽のひとよ | 08/23 | 伊東ゆかり |
1969年(昭和44年)/第20回 | 2 | 君は心の妻だから | 11/23 | 森山良子 |
1970年(昭和45年)/第21回 | 3 | 別れの誓い | 07/24 | 佐良直美 |
1971年(昭和46年)/第22回 | 4 | 追憶 | 23/25 | 佐良直美(2) |
1972年(昭和47年)/第23回 | 5 | くちづけ | 05/23 | 奥村チヨ |
1973年(昭和48年)/第24回 | 6 | 君は心の妻だから(2回目) | 15/22 | 由紀さおり |
- 注意点
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
- 対戦相手の歌手名のカッコ内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にあるカッコはトリ等を務めた回数を表す。
ディスコグラフィー編集
シングル編集
- 好きなのさ(1965)
- 咲かせて頂戴愛の花(1966.11)
- 粉雪のラブレター(1967.6)
- ほんとなのよ(1967.8)
- 小樽のひとよ(1967.9.25)
- 作詞:池田充男/作曲:鶴岡雅義/編曲:鶴岡雅義
- ブェナス・ノーチェス東京(1967.11)
- 裏町セレナーデ(1968.1)
- 旅路のひとよ(1968.7.10)
- 作詞:池田充男/作曲:鶴岡雅義/編曲:鶴岡雅義
- 愛に散りたい(1968.12.5)
- 君は心の妻だから(1969.3.5)
- 星空のひとよ(1969.6.5)
- 作詞:池田充男/作曲:鶴岡雅義/編曲:鶴岡雅義
- 北国の町(1969.9.25)
- 作詞:なかにし礼/作曲:鶴岡雅義/編曲:坂下晃治
- 別れの誓い(1970.3.10)
- 作詞:丹古晴巳/作曲:鶴岡雅義/編曲:鶴岡雅義
- 恋はここまで(1970.7.15)
- 恋は消えても愛は残る(1970.9.25)
- 作詞:なかにし礼/作曲:鶴岡雅義/編曲:山倉たかし
- 君は人妻(1971.3.25)
- 作詞:なかにし礼/作曲:なかにし礼/編曲:太田幸二
- 追憶(1971.8.25)
- 女の詩集(1971.12.25)
- 歳月(1972.3.25)
- くちづけ(1972.6.10)
- 秘密(1972.11.10)
- 作詞:千野豊彦/作曲:鶴岡雅義/編曲:池田孝
- 鳥取砂丘風の人(1973.3.10)
- 人ふたり(1973.7.10)
- なみだ妻(1973.10.10)
- 作詞:なかにし礼/作曲:鶴岡雅義/編曲:坂下晃治
- 粉雪の町(1974.1.10)
- 作詞:山口洋子/作曲:鶴岡雅義/編曲:坂下晃治
- 別れてきました(1974.4.1)
- ああ北海道には雪が降る(1974.9.1)
- 作詞:山口洋子/作曲:鶴岡雅義/編曲:坂下晃治
- ひとつ下の彼(1975.2.1)
- 作詞:山口洋子/作曲:鶴岡雅義/編曲:馬場良
- ひとめぼれ(1975.6)
- 恋はまぼろし(1975.10)
- 倖せだってね(1976.3)
- あかんたれ(1976.12)
- 北の都の物語(1978.5)
- 冬のめぐり逢い(1979.1)
- 愛は砂漠(1979.4)
- いのち恋(1979.8)
- 明日からあなたは(1979.12)
- 恋の街神戸(1980.10)
- 朝の蝶(1983.5.18)
- まわり道(1983.10.10)
- 桜恋歌(1984.4.7)
- 札幌の恋は悲しく(1986.4.4)
- 酔待人(1987.7.21)
- 倖せそうな女(1988.8.5)
- 千歳空港(1989.8.4)
- 別れの理由(わけ)(1991.3.13)
- ボニータ(1992.6.10)
- 空港物語り(1993.7.14)
- 朋子(1997.8.8)
- かなしい歌謡曲~なんでも知っておきたいの(1997.11.21)
- 花かげのひと(2003.5.21)
- 有楽町でまた逢いましょう(2004.11.26)
- 100ダースの恋~アモーレ・ミオ~(2007.6.27)
- 勇気の歌(2011.7.27)
- 最後のラブソング(2016.10) デュエット 山本さと子
脚注編集
- ^ 東京ロマンチカの三條正人さん死去、74歳 女優・香山美子の夫
- ^ 三條正人さん通夜 妻・香山美子沈痛…前日まで日常会話をしていたのに
- ^ 東京ロマンチカ奥山浩章さん15年に亡くなっていた
- ^ 浜名ヒロシさん、脳内出血で死去
- ^ 浜名ヒロシ プロフィール
- ^ [1]
- ^ “マイクハナサンズ”が正念場の新曲!、ZAKZAK、2012年1月25日。
- ^ シングル『燃えよ夕陽』ジャケット裏面のプロフィールより。
関連項目編集
- 1967年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
- 夜のヒットスタジオ
- 塚田茂
- 疋田拓