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座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

モナコ 1966年モナコグランプリ
レース詳細
1966年F1世界選手権全9戦の第1戦
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
日程 1966年5月22日
正式名称 XXIV Grand Prix Automobile de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコの旗 モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.954 mi)
レース距離 100周 314.500 km (195.400 mi)
決勝日天候 曇 (ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-クライマックス
タイム 1:29.9
ファステストラップ
ドライバー イタリアの旗 ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ
タイム 1:29.8 (90周目)
決勝順位
優勝 BRM
2位 フェラーリ
3位 BRM

1966年モナコグランプリ (1966 Monaco Grand Prix) は、1966年のF1世界選手権の開幕戦として、1966年5月22日モンテカルロ市街地コースで開催された。

本レースからエンジンの最大排気量が1.5リッターから3.0リッターに倍増された。モナコグランプリの開催は24回目である。

レースは100周で行われ、BRMジャッキー・スチュワートが2位のロレンツォ・バンディーニフェラーリ)に40秒の差を付けて優勝した。スチュワートは前年のイタリアグランプリ以来2回目の勝利だった。チームメイトのグラハム・ヒルは3位に終わった。完走したのは先述した3人と、チーム・シャマコ・コレクトでBRMを駆るボブ・ボンドゥラント英語版のわずか4台だった。

レース概要編集

新たな3Lエンジン規定の最初のレースはモナコで始まった。いくつかのチームが前年のエンジンやより重いスポーツカーレース用のエンジンを新しいレギュレーションに適合させた。1961年から1965年の1.5L時代に一大勢力となっていたコヴェントリー・クライマックスがF1撤退を決めたため、ロータスブラバムクーパーなどのイギリス系有力コンストラクターは、新たなエンジンを供給してくれるパートナーを探すことになった。フルコンストラクターのBRMは成功作の1.5L V8エンジンを水平対向化して上下2段に重ねたH型16気筒エンジンを開発したが、重く複雑になりすぎトラブルも多発したため、予選で登場したのみで実戦に投入するまでにはまだ時間が必要だった[1]。このエンジンはBRMの他、ロータスも使用することにしていたが、当面の間は両者ともタスマンシリーズ用の2L V8エンジン(BRMは自社、ロータスはクライマックス)[注 1]を使用することになる[2]。クーパーはマセラティV12エンジンを使用するが、基本設計は2.5L時代の1957年という古いものであった[3]。ブラバムはジャック・ブラバムの母国オーストラリアレプコV8エンジン(SOHC)を使用した[4]ブルース・マクラーレンは本年から自身のチーム「マクラーレン」からF1参戦を開始し、インディ500用のフォードV8エンジン[注 2]を使用する[5]ダン・ガーニーも自身が設立したオール・アメリカン・レーサーズのF1部門をイギリスに置き、「アングロ・アメリカン・レーサーズ(イーグル)」としてF1への参戦を開始し、ウェスレイク英語版V12エンジンを使用することにしていたが、それが完成するまでの間は古いクライマックスFPF直列4気筒エンジン(2.7L)を使用する[6]。一方、フェラーリはスポーツカー用エンジンを応用した3L V12エンジンを搭載した新車312を投入し[7]、開幕前にはチャンピオン争いの本命と目されていた[8]。しかし、312の開発は遅れ、前年の158にタスマンシリーズ用の"ディーノ"V6エンジンを搭載した246-66英語版と併用することになった[9][10]ホンダリッチー・ギンサーロニー・バックナムの両者と引き続き契約したが、新型3Lエンジン搭載車の完成まで参加を見合わせることにした[11][注 3]

主要チームのドライバーは、ロータスが前年度王者のジム・クラークと、1964年以来のF1復帰となるピーター・アランデル英語版[12]、BRMはグラハム・ヒルジャッキー・スチュワートが残留[12]、ブラバムはジャック・ブラバムと前年に数戦参戦したデニス・ハルム[10]、フェラーリはジョン・サーティースが前年秋のモスポート・パークでの事故から復帰し、引き続きロレンツォ・バンディーニとコンビを組む[10]。クーパーはヨッヘン・リントが残留し、ホンダの新車の完成を待つギンサーが加わった[6]。タイヤメーカーも1964年まではダンロップの独壇場だったが、前年にグッドイヤーが参入し、本年からはグッドイヤーと同じアメリカ合衆国ファイアストンもF1に参入した[13]

いくつかのセッションで、映画「グラン・プリ」の撮影が行われた。本レースはマクラーレンのコンストラクターとしてのデビューレースであり、ブラバムの新車BT19英語版にはレプコV8エンジンが搭載された。マクラーレンはニュージーランドの伝統的なレーシングカラーである緑、黒、銀[注 4]ではなく、白地に緑の帯でデビューした。映画「グラン・プリ」の監督ジョン・フランケンハイマーは、マクラーレンのマシンを主役の日本チーム「ヤムラ」のモデルとして使用した[14][8][注 5]

クラークは非力な2.0Lのクライマックスエンジンでポールポジションを獲得した[15]。序盤の14周はサーティースがスチュワート、リント、ハルムからリードしたが、ディファレンシャルが壊れてスチュワートがトップに立った。ハルムがリタイアした後、ヒルとクラークの3位争いが繰り広げられたが、クラークはサスペンションが壊れてリタイアした。バンディーニはファステストラップを記録したが、フロントブレーキが磨耗するのを防ぐためにペースを落とさなければならなかった。スチュワートが優勝し、バンディーニ、ヒル、ボンドゥラントの4台のみが完走した。この4台の他、ギ・リジェ(後のリジェ創設者で、本レースがF1デビュー戦)とヨアキム・ボニエも最後まで走行したが、本年から規定周回数の規則が変わり、優勝者の周回数の90%以上を完了しなければ完走と認められなくなったため[注 6]、順位とポイントは与えられなかった。本レースは2019年現在においても、F1史上最も少ない完走台数の記録を保持している。

エントリーリスト編集

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
  ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 1   クリス・エイモン 1 マクラーレン M2B フォード 406 3.0L V8 F
2   ブルース・マクラーレン
  チーム・ロータス 3   ピーター・アランデル 1 ロータス 43 BRM P75 3.0L H16 F
4   ジム・クラーク 33 クライマックス FWMV 2.0L V8
  レグ・パーネル・レーシング 5   リチャード・アトウッド 1 BRM P61 BRM P60 2.0L V8 D
6   マイク・スペンス ロータス 25 BRM P56 2.0L V8 F
  ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 7   ジャック・ブラバム ブラバム BT19 レプコ 620 3.0L V8 G
8   デニス・ハルム BT22 クライマックス FPF 2.8L L4
  クーパー・カー・カンパニー 9   リッチー・ギンサー クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 D
10   ヨッヘン・リント
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 11   グラハム・ヒル BRM P261 BRM P60 2.0L V8 D
12   ジャッキー・スチュワート
  R.R.C. ウォーカー・レーシングチーム 14   ジョー・シフェール ブラバム BT11 BRM P60 2.0L V8 D
  DWレーシング・エンタープライゼス 15   ボブ・アンダーソン ブラバム BT11 クライマックス FPF 2.8L L4 F
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 16   ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 246-66 フェラーリ 228 2.4L V6 F
17   ジョン・サーティース 312/66 フェラーリ 218 3.0L V12
  アングロ・スイス・レーシングチーム 18   ヨアキム・ボニエ クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 D
  チーム・シャマコ・コレクト 19   ボブ・ボンドゥラント BRM P261 BRM P60 2.0L V8 G
  アングロ・アメリカン・レーサーズ 20   ダン・ガーニー 1 イーグル T1F クライマックス FPF 2.8L L4 G
  ギ・リジェ 21   ギ・リジェ クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 D
ソース:[16]
追記
  • ^1 - マシンが準備できず[17]

結果編集

予選編集

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 4   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 1:29.9 - 1
2 17   ジョン・サーティース フェラーリ 1:30.1 +0.2 2
3 12   ジャッキー・スチュワート BRM 1:30.3 +0.4 3
4 11   グラハム・ヒル BRM 1:30.4 +0.5 4
5 16   ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 1:30.5 +0.6 5
6 8   デニス・ハルム ブラバム-クライマックス 1:31.1 +1.2 6
7 10   ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 1:32.2 +2.3 7
8 15   ボブ・アンダーソン ブラバム-クライマックス 1:32.5 +2.6 8
9 9   リッチー・ギンサー クーパー-マセラティ 1:32.6 +2.7 9
10 2   ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:32.8 +2.9 10
11 7   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:32.8 +2.9 11
12 6   マイク・スペンス ロータス-BRM 1:33.5 +3.6 12
13 14   ジョー・シフェール ブラバム-BRM 1:34.4 +4.5 13
14 18   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 1:35.0 +5.1 14
15 21   ギ・リジェ クーパー-マセラティ 1:35.2 +5.3 15
16 19   ボブ・ボンドゥラント BRM 1:37.3 +7.4 16
ソース:[18]

決勝編集

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 12   ジャッキー・スチュワート BRM 100 2:33:10.5 3 9
2 16   ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 100 +40.2 5 6
3 11   グラハム・ヒル BRM 99 +1 Lap 4 4
4 19   ボブ・ボンドゥラント BRM 95 +5 Laps 16 3
Ret 9   リッチー・ギンサー クーパー-マセラティ 80 トランスミッション 9
NC 21   ギ・リジェ クーパー-マセラティ 75 規定周回数不足 15
NC 18   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 73 規定周回数不足 14
Ret 4   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 60 サスペンション 1
Ret 10   ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 56 エンジン 7
Ret 14   ジョー・シフェール ブラバム-BRM 35 クラッチ 13
Ret 6   マイク・スペンス ロータス-BRM 34 サスペンション 12
Ret 7   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 17 ギアボックス 11
Ret 17   ジョン・サーティース フェラーリ 16 トランスミッション 2
Ret 8   デニス・ハルム ブラバム-クライマックス 15 トランスミッション 6
Ret 2   ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 9 オイル漏れ 10
Ret 15   ボブ・アンダーソン ブラバム-クライマックス 3 エンジン 8
DNS 20   フィル・ヒル ロータス-クライマックス 映画撮影用カメラカー
WD 1   クリス・エイモン マクラーレン-フォード マシンが準備できず
WD 3   ピーター・アランデル ロータス-BRM マシンが準備できず
WD 5   リチャード・アトウッド BRM マシンが準備できず
WD 20   ダン・ガーニー イーグル-クライマックス マシンが準備できず
ソース:[19]
ラップリーダー[20]

第1戦終了時点のランキング編集

  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

注釈編集

  1. ^ 元々は前年までの1.5L F1用エンジンがベースである。
  2. ^ フォードから資金提供を受け、コスワースが制作したフォード・コスワース・DFVエンジンの登場は翌1967年
  3. ^ 新車の完成が遅れたのはF1のエンジン排気量変更が最大の理由だったが、前年からF1と並行してF2でブラバムと組み、1年の熟成及び開発を経て「勝てる」という確信を持ったため、F2のシーズン開幕までに余裕を持ってブラバムへエンジンを送るのを優先した背景もあった。
  4. ^ ラグビーニュージーランド代表の愛称「オールブラックス」と同じ黒は、同年のル・マン24時間レースで使用した。後にメインカラーとなるオレンジはコーポレートカラーであるが、同チームは2017年以降再びオレンジをメインカラーとしている。
  5. ^ このため、マクラーレンが欠場したレースは、プライベーターチームのマシンが白地に緑のカラーリングに変更された。
  6. ^ リタイアした場合でも、優勝者の周回数の90%以上であれば完走扱いとなる。この規定は2019年現在においても採用されている。

脚注編集

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  1. ^ (林信次 1995, p. 15)
  2. ^ (林信次 1995, p. 15,17)
  3. ^ (林信次 1995, p. 17,21)
  4. ^ (林信次 1995, p. 17,27)
  5. ^ (林信次 1995, p. 29)
  6. ^ a b (林信次 1995, p. 28)
  7. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 210-211)
  8. ^ a b (林信次 1995, p. 18)
  9. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 212-214)
  10. ^ a b c (林信次 1995, p. 27)
  11. ^ (中村良夫 1998, p. 184-185)
  12. ^ a b (林信次 1995, p. 26)
  13. ^ (林信次 1995, p. 23)
  14. ^ Action! McLaren at the movies”. マクラーレン (2016年5月23日). 2016年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月25日閲覧。
  15. ^ (林信次 1995, p. 20)
  16. ^ Monaco 1966 - Race entrants”. STATS F1. 2019年4月10日閲覧。
  17. ^ Monaco 1966 - Result”. STATS F1. 2019年4月10日閲覧。
  18. ^ Monaco 1966 - Qualifications”. STATS F1. 2019年4月10日閲覧。
  19. ^ 1966 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  20. ^ Monaco 1966 - Laps led”. STATS F1. 2019年4月10日閲覧。
  21. ^ a b Monaco 1966 - Championship”. STATS F1. 2019年3月19日閲覧。

参照文献編集

  • en:1966 Monaco Grand Prix(2019年3月19日 19:37:34(UTC))より翻訳
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2

外部リンク編集