1968年フランスグランプリ

1968年フランスグランプリ (1968 French Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第6戦として、1968年7月7日ルーアン・レゼサールで開催された。

フランス 1968年フランスグランプリ
レース詳細
1968年F1世界選手権全12戦の第6戦
ルーアン・レゼサール (1955-1970)
ルーアン・レゼサール (1955-1970)
日程 1968年7月7日
正式名称 LIV Grand Prix de France
開催地 ルーアン・レゼサール
フランスの旗 フランス ルーアン
コース 恒久的レース施設
コース長 6.542 km (4.065 mi)
レース距離 60周 392.520 km (243.901 mi)
決勝日天候 雨(ウエット)
ポールポジション
ドライバー ブラバム-レプコ
タイム 1:56.1
ファステストラップ
ドライバー メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM
タイム 2:11.5 (19周目)
決勝順位
優勝 フェラーリ
2位 ホンダ
3位 マトラ-フォード

レースは60周で行われ、フェラーリジャッキー・イクスが3番手スタートから優勝、ホンダジョン・サーティースが2位、マトラジャッキー・スチュワートが3位となった。

地元フランス人ドライバーのジョー・シュレッサーが3周目にクラッシュし、マグネシウムを多用したホンダ・RA302が炎上したことで帰らぬ人となった。

背景 編集

1965年クレルモン=フェラン1966年ランス1967年ル・マンで開催されたフランスグランプリは、4年ぶりにルーアンで開催された[1]

ホンダ・RA302の完成 編集

 
ホンダ・RA302ホンダコレクションホール所蔵)

この年のホンダは、ローラとの共同開発によるRA301を使用していたが[2]、軽量化の問題が依然残されていた。この解決策としてRA302が開発された[3]。このマシンは新たにV型8気筒空冷エンジンが搭載されていた[4][注 1]。RA302は完成後、テストも行われないまま東京からロンドンに送られ、本レースから走らせろという東京の本社からの指示により2台目のエントリーを行ったが、締切日を過ぎていたため却下された。RA302の到着後、シルバーストン・サーキットジョン・サーティースがシェイクダウンテストを行ったが、エンジンのオーバーヒートがひどく、適切なテストはできないままであった。このため、RA301のTカーとして本レースの練習走行でRA302を走行させるつもりであった[5]

エントリー 編集

中村良夫監督の思惑とは裏腹に、ヨーロッパでの売上を伸ばしたかったホンダ本社からの指示で[1]、ホンダ・フランスの政治的な動きによりRA302はエントリーされ[6]、ドライバーはそれまでマトラF2マシンでF1に2回出走した[1][注 2]地元フランス出身のジョー・シュレッサーがラインナップされていた。これに対して中村監督は怒り心頭に発したが、サーティースによってなだめられた。結局、サーティースが走るRA301とは別に、RA302をホンダ・フランスに渡してチームを2分させることにした[7]

クーパーは、前月にヒルクライ厶の事故で亡くなったルドビコ・スカルフィオッティベルギーグランプリの事故で負傷したブライアン・レッドマンに代わり、ビック・エルフォード英語版を新たなレギュラードライバーとして起用し[1]、マトラのジョニー・セルボ=ギャバンをスポット起用した[8]イーグルダン・ガーニーはエンジンの不足により欠場した[1]

エントリーリスト 編集

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
  ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 2   ヨッヘン・リント ブラバム BT26 レプコ 860 3.0L V8 G
4   ジャック・ブラバム
  マトラ・スポール 6   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS11 マトラ MS9 3.0L V12 D
  ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 8   デニス・ハルム マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
10   ブルース・マクラーレン
  ゴールドリーフ・チーム・ロータス 12   グラハム・ヒル ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
14   ジャッキー・オリバー
  ホンダ・レーシング 16   ジョン・サーティース ホンダ RA301 ホンダ RA301E 3.0L V12 F
  ホンダ・フランス 18   ジョー・シュレッサー RA302 ホンダ RA302E 3.0L V8
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 20   ペドロ・ロドリゲス BRM P133 BRM P142 3.0L V12 G
22   リチャード・アトウッド P126
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 24   クリス・エイモン フェラーリ 312/68 フェラーリ 242C 3.0L V12 F
26   ジャッキー・イクス
  マトラ・インターナショナル 28   ジャッキー・スチュワート マトラ MS10 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
  クーパー・カー・カンパニー 30   ビック・エルフォード クーパー T86B BRM P142 3.0L V12 F
32   ジョニー・セルボ=ギャバン
  ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 34   ジョー・シフェール ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
  レグ・パーネル・レーシング 36   ピアス・カレッジ BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
  アングロ・アメリカン・レーサーズ 38   ダン・ガーニー 1 イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
ソース:[9]
追記
  • ^1 - マシンが準備できず[10]

予選 編集

ロータスジャッキー・オリバーが125 mph (201 km/h)でクラッシュし、マシンは決勝までに修理ができないほどの大きなダメージを負ったため、オリバーは決勝を欠場せざるを得なかった。ブラバムヨッヘン・リントが初のポールポジションを獲得し、ジャッキー・スチュワート(マトラ-フォード)、ジャッキー・イクスフェラーリ)とともにフロントローを占めた[注 3]デニス・ハルムマクラーレン)とクリス・エイモン(フェラーリ)が2列目、ブルース・マクラーレン(マクラーレン)、サーティース(ホンダ)、ジャン=ピエール・ベルトワーズ(マトラ)が3列目を占めた。ドライバーズランキング首位のグラハム・ヒルは9番手だった[1]

テスト不足のホンダ・RA302を走らせるシュレッサーに対し、中村監督は通訳を通して[注 4]RA302はまだレース走行に耐えうるマシンではなく、エンジン温度の上昇を抑えるため中速以下に抑えるようにアドバイスした。シュレッサーも久しぶりにF1で走行できることだけが喜びであり、決して無理はしないという約束通り中速以下のペースで走るも、3回のスピンを喫して後ろから2番目であった[11]

結果 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 2   ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 1:56.1 - 1
2 28   ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 1:57.3 +1.2 2
3 26   ジャッキー・イクス フェラーリ 1:57.7 +1.6 3
4 8   デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:57.7 +1.6 4
5 24   クリス・エイモン フェラーリ 1:57.8 +1.7 5
6 10   ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:58.0 +1.9 6
7 16   ジョン・サーティース ホンダ 1:58.2 +2.1 7
8 6   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 1:58.9 +2.8 8
9 12   グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:59.1 +3.0 9
10 20   ペドロ・ロドリゲス BRM 1:59.3 +3.2 10
11 14   ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 2:00.2 +4.1 DNS 1
12 34   ジョー・シフェール ロータス-フォード 2:00.3 +4.2 11
13 22   リチャード・アトウッド BRM 2:00.8 +4.7 12
14 4   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 2:00.8 +4.7 13
15 36   ピアス・カレッジ BRM 2:01.1 +5.0 14
16 32   ジョニー・セルボ=ギャバン クーパー-BRM 2:01.2 +5.1 15
17 18   ジョー・シュレッサー ホンダ 2:04.5 +8.4 16
18 30   ビック・エルフォード クーパー-BRM 2:05.5 +9.4 17
ソース:[12][13]
追記
  • ^1 - オリバーはアクシデントにより、決勝への出走を見合わせた

決勝 編集

開始直前に雨が降りだし[14]、ほとんどのドライバーが全天候型タイヤでスタートする中、イクスのみが雨用タイヤを選択した。これが功を奏してイクスが1周目に首位を奪う。スチュワートとリントが2位を争い、サーティースが4位を走行する[1]。シュレッサーは無理をせず最後尾を走行していた[15]。3周目にルーアンの最下点にあるヘアピンから黒煙が舞い上がる。ゆるい降りのSベンドでコントロールを失ったシュレッサーは土手にクラッシュし[16]、満タンに近いガソリンをコース上に撒き散らしてマグネシウムを使用したマシンは発火[1]、瞬く間に猛火に包まれた。消火員も全く手の施しようがないまま、シュレッサーは亡くなった[17]。シュレッサーはジム・クラークマイク・スペンス英語版、スカルフィオッティに続き、この年亡くなった4人目の現役F1ドライバーとなってしまった[1]

レースは続行され、リントは事故現場にあったマシンの残骸を拾ってしまい、タイヤがパンクしてピットインしなければならず、後方に下がった。サーティースはスチュワートを抜き、7周目にペドロ・ロドリゲスに抜かれるまで2位を走行した。さらに後方のヒルはスチュワートを抜いて4位に浮上したが、ドライブシャフトが故障してリタイアした。イクスは19周目にロドリゲスとサーティースに抜かれたが、2周で両者を抜き返して[1]からは完璧なリードを保ってF1初勝利を挙げ、1966年イタリアグランプリでスカルフィオッティが勝って以来、フェラーリに2年ぶりの優勝をもたらした[14]。ロドリゲスはギアボックスのトラブルでピットインしなければならず、優勝争いから脱落した[1]。サーティースはシュレッサーの事故直後に、前を走るイクスから事故現場で路面に溢れた消火剤の煙幕をもろに浴びてゴーグルが汚れ、ゴーグルを拭くために何度かコース上にマシンを止め、さらにゴーグルを交換するためにピットインしなければならなかったが、2位のポジションを守った。しかし、チームにとって最悪のグランプリとなってしまった[17]。3位はスチュワートで[1]、F1デビュー戦のエルフォードが4位入賞を果たした[18]

結果 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 26   ジャッキー・イクス フェラーリ 60 2:25:40.9 3 9
2 16   ジョン・サーティース ホンダ 60 +1:58.6 7 6
3 28   ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 59 +1 Lap 2 4
4 30   ビック・エルフォード クーパー-BRM 58 +2 Laps 17 3
5 8   デニス・ハルム マクラーレン-フォード 58 +2 Laps 4 2
6 36   ピアス・カレッジ BRM 57 +3 Laps 14 1
7 22   リチャード・アトウッド BRM 57 +3 Laps 12
8 10   ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 56 +4 Laps 6
9 6   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 56 +4 Laps 8
10 24   クリス・エイモン フェラーリ 55 +5 Laps 5
11 34   ジョー・シフェール ロータス-フォード 54 +6 Laps 11
NC 20   ペドロ・ロドリゲス BRM 53 規定周回数不足 10
Ret 2   ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 45 燃料漏れ 1
Ret 4   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 15 燃料ポンプ 13
Ret 12   グラハム・ヒル ロータス-フォード 14 ハーフシャフト 9
Ret 32   ジョニー・セルボ=ギャバン クーパー-BRM 14 アクシデント 15
Ret 18   ジョー・シュレッサー ホンダ 2 事故死 16
DNS 14   ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 予選でアクシデント
ソース:[19][20]
ファステストラップ[21]
ラップリーダー[22]

第6戦終了時点のランキング 編集

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 空冷エンジンのF1参戦はこれが最初ではなく、1961年から1962年にワークス参戦したポルシェが使用し、ルーアンで行われた1962年フランスグランプリダン・ガーニーポルシェ・804で優勝している。ポルシェの空冷エンジンは冷却ファンを設置した強制空冷式で、かつ当時の排気量規定は1.5Lであった。ホンダ・RA302は自然空冷式で、エンジンを冷却する機能を兼ねる梁でエンジンを吊るす独特の搭載方法であった。
  2. ^ いずれもF2マシンの混走で行われたドイツグランプリのみ参加した。
  3. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
  4. ^ シュレッサーは英語を話せなかった。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l French GP, 1968”. grandprix.com. 2019年9月15日閲覧。
  2. ^ Honda RA301”. HONDA. 2019年9月15日閲覧。
  3. ^ "空冷F1" RA302”. HONDA. 2019年9月15日閲覧。
  4. ^ RA302 - Honda F1ルーツ紀行 佐野教授とコレクションホールを行く”. HONDA. 2019年9月15日閲覧。
  5. ^ (中村良夫 1998, p. 252-254)
  6. ^ (中村良夫 1998, p. 254)
  7. ^ (中村良夫 1998, p. 254-255)
  8. ^ (林信次 1995, p. 71)
  9. ^ France 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年9月14日閲覧。
  10. ^ France 1968 - Result”. STATS F1. 2019年9月14日閲覧。
  11. ^ (中村良夫 1998, p. 255)
  12. ^ France 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年9月12日閲覧。
  13. ^ France 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年9月12日閲覧。
  14. ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 241)
  15. ^ (中村良夫 1998, p. 256)
  16. ^ (中村良夫 1998, p. 256-257)
  17. ^ a b (中村良夫 1998, p. 257)
  18. ^ (林信次 1995, p. 64)
  19. ^ 1968 French Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  20. ^ Grand Prix Results: French GP, 1968”. Grandprix.com. 2016年2月5日閲覧。
  21. ^ France 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年9月15日閲覧。
  22. ^ France 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年9月15日閲覧。
  23. ^ a b France 1968 - Championship”. STATS F1. 2019年3月15日閲覧。

参照文献 編集

  • Wikipedia英語版 - en:1968 French Grand Prix(2019年6月10日 23:07:14(UTC))
  • Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 70–71. ISBN 0-85429-321-3 
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 

関連項目 編集

外部リンク 編集

前戦
1968年オランダグランプリ
FIA F1世界選手権
1968年シーズン
次戦
1968年イギリスグランプリ
前回開催
1967年フランスグランプリ
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1969年フランスグランプリ