榛名由梨
榛名 由梨(はるな ゆり、1945年〈昭和20年〉8月19日 - )は、兵庫県三田市出身の女優。元宝塚歌劇団月組・花組トップスターで専科にも所属した。
はるな ゆり 榛名 由梨 | |
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本名 | 山下 正代(やました まさよ) |
別名義 | ショーちゃん |
生年月日 | 1945年8月19日(79歳) |
出生地 | 日本・兵庫県三田市 |
国籍 | 日本 |
血液型 | A型 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 宝塚歌劇団、演劇 |
活動期間 | 1963年 - |
活動内容 |
1963年:宝塚歌劇団入団 1964年:月組に配属 1973年:月組トップスター就任 1974年:『ベルサイユのばら』初演 1975年:花組トップスター就任 同年:『ベルサイユのばら』-アンドレとオスカル- 1976年:月組トップスターに就任 同年:『ベルサイユのばらIII』 1977年:『風と共に去りぬ』初演 1979年:月組副組長就任 1982年:専科に異動 1988年:宝塚歌劇団退団、以降舞台中心に活動。 |
事務所 | Brilliant由梨Office |
公式サイト | 榛名由梨オフィシャルサイト |
主な作品 | |
舞台 ベルサイユのばら 風と共に去りぬ 永遠物語 | |
備考 | |
宝塚歌劇団卒業生 |
本名:山下 正代(やました まさよ)、愛称はショーちゃん。身長(現在の公称)166cm、血液型A型。現在の所属事務所は株式会社Brilliant由梨Office。
略歴
編集大の宝塚ファン同士の両親のもとに第一子として出生、兄弟は弟がひとり、また父方の祖父に日本画家・山下摩起(やました まき)がいた。
中学1年生から3年間、宝塚コドモアテネに通い[1]、西宮市立大社中学校卒業後、宝塚音楽学校入学。芸名は当時実弟が所有していた旧海軍の『榛名』の模型から命名した。
1963年、宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は62人中3位[2]。初舞台公演の演目は星組公演『花詩集-1963年[2]』。49期生。大滝子・郷ちぐさらが同期。その後1964年12月1日[2]に月組に配属。
1968年、月・雪合同公演『ウエストサイド物語』で頭角を現す。若手時代はまずダンスで実力を発揮した。
1973年月組トップ古城都の退団を受け、同期・大と複数体制ながらトップスターに就任。
1974年2月トップ披露公演『白い朝/ロマン・ロマンチック』。同年8月『秋扇抄/ベルサイユのばら』初演(月組)で男装の麗人・オスカルを演じた。
1975年1月、花組へ異動。2期下の安奈淳と共にダブルトップに。同年7月、『ベルサイユのばら 〜アンドレとオスカル〜』でアンドレを演じ、オスカルを演じた安奈と熱狂的なベルばら旋風を巻き起こした。このころ安奈、汀夏子、鳳蘭とともに「ベルばら四強」(あるいは「ベルばら四天王」)と呼ばれた。
1976年2月、『あかねさす紫の花』初演。中大兄皇子役。同年月組へ復帰、6月22日に退団した大の後任として月組男役(単独)トップに“返り咲き”就任。
1977年3月、『風と共に去りぬ』で初代レット・バトラーを演じる。初めてトップスターが口髭をつけたと話題に。
1979年、月組トップでありながら副組長も兼務する異例・破格の扱いとなる。
1982年、『あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー』(本公演)、『永遠物語』(宝塚バウホール公演・初演)。同年『シブーレット』(宝塚バウホール公演)を最後に大地真央にトップを譲る形で専科へ組替。
1984年、春日野八千代、神代錦ら専科メンバーによるストレート・プレイ「花供養」(バウ・初演)近衛信尋役。
1985年、花組『愛あれば命は永遠に』に出演。 1986年、雪組『三つのワルツ』に出演。
1988年、『永遠〜』を宝塚バウホールで再演、星組『戦争と平和』東京公演千秋楽が最終出演公演[2]。同年12月31日付[2]をもって南風まい、但馬久美らと同時退団。
退団後は女優として演劇舞台を中心に活動しているほか、『ベルサイユのばら』の再演時にはスタッフとして演技指導を行っている。また、宝塚市の広報大使も務めている[3]。
2014年、古巣である宝塚歌劇団の創立100周年を記念して創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り[4][5]。なお、前述の「ベルばら四強」と呼ばれた榛名・安奈・鳳・汀の四名は全員殿堂入りの栄誉に浴している[6]。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
編集初舞台・月組時代
編集- 2月27日 - 3月24日『タイム・マップ』『ドン・ホセの一生』新人公演:ドン・ホセ(本役:古城都)(宝塚大劇場)
- 7月1日 - 7月29日『川は光る』『人魚姫』-愛と魂の物語- 人魚姫の小さい兄(宝塚大劇場)
- 12月2日 - 12月26日『ゴールド・ヒル』『ハレルヤ』(宝塚大劇場)
- 3月1日 - 3月22日『鼓よ空に響け』『愛のラプソディ』(宝塚大劇場)
- 5月26日 - 6月28日『霧深きエルベのほとり』フロリアン、『ファニー・フィーリング』(宝塚大劇場)
- 9月29日 - 10月30日『秋の宝塚踊り』『イフ……』-さよなら古城都-(宝塚大劇場)
第1次月組トップ時代
編集- 1月31日 - 2月26日『白い朝』栄二、『ロマン・ロマンチック』(宝塚大劇場)
- 6月27日 - 7月24日『花のオランダ坂』丈吉、『インスピレーション』(宝塚大劇場)
- 8月29日 - 9月26日『秋扇抄』『ベルサイユのばら』オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(宝塚大劇場)
花組トップ時代
編集- 1月1日 - 1月30日『春鶯囀』壬生豊秋、『ラビング・ユー』チャーリー(月組)(宝塚大劇場)
- 3月1日 - 3月25日『夢見る恋人たち』ココ、『ボン・バランス』(宝塚大劇場)
- 7月3日 - 8月12日『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル-』 アンドレ・グランディエ(宝塚大劇場)
- 2月19日 - 3月23日『あかねさす紫の花』中大兄皇子、『ビューティフル・ピープル』(宝塚大劇場)
- 3月25日 - 5月12日『ベルサイユのばらIII』オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(星組特別出演)(宝塚大劇場)
第2次月組トップ時代
編集- 8月5日 - 8月30日『ベルサイユのばらIII』オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(東京宝塚劇場特別公演)
- 11月12日 - 12月5日『紙すき恋歌』『バレンシアの熱い花』フェルナンド(宝塚大劇場)
- 2月16日 - 3月21日『日本の恋詩』『カリブの太陽』ジェフ(宝塚大劇場)
- 3月27日 - 4月8日『榛名由梨ゴールデンタイム』(宝塚バウホール)
- 6月29日 - 8月8日『春愁の記』安麻呂、『ラ・ベル たからづか』(宝塚大劇場)
- 9月9日 - 9月30日『恋とかもめと六文銭』(宝塚バウホール)
専科時代
編集- 6月24日 - 8月9日『オルフェウスの窓 -イザーク編-』クラウス(星組)(宝塚大劇場)
宝塚歌劇団退団後の主な活動
編集舞台
編集- 『オセロー』
- 『スクルージ』
- 『ジョセフィン』
- 『桜吹雪狸御殿』(2003年)
- 『コルチャック先生』
- 『ステッピング アウト』(2001年、2004年、2006年、2009年)
- 『瞼の母ラプソディ 二幕』(2009年)歌舞伎町シアターパーク2009
- 『マウストラップ』(2010年)俳優座劇場、サンケイホール
- 『名探偵ポワロ ブラックコーヒー』(2010年)シアター1010、サンケイホール
- 『ベルばらから次郎長へ 勢揃い、清水港 次郎長三國志』(2011年) 博品館劇場
- 『永遠物語』(2013年)宝塚バウホール
- 『永遠物語』(2022年)サンケイホールブリーゼ
テレビ出演
編集著書
編集- 『愛のエチュード』(1976年、二見書房)
- 『トップ榛名由梨のoh!タカラヅカ』(1993年、浪速社)
脚注
編集- ^ 朝日新聞紙面とOGが振り返る『宝塚歌劇 華麗なる100年』 榛名由梨×鳳蘭×汀夏子対談(朝日新聞、2014年4月8日)
- ^ a b c d e 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、66-67頁。ISBN 9784484146010
- ^ 榛名由梨・プロフィールページ(宝塚市ホームページ)
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2023年4月16日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ “宝塚歌劇の殿堂” (PDF). 宝塚歌劇団. 2023年4月16日閲覧。
- ^ “NHK「アナザーストーリーズ」今夜は「ベルばら」回、ひうらさとるも影響語る”. コミックナタリー. ナターシャ (2022年7月15日). 2022年7月15日閲覧。
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- 榛名由梨の源氏の君 - Ameba Blog(2018年6月 - )
- Brilliant 由梨 Office 公式チャンネル(YouTube)
- 榛名由梨 (@38AhMZQQxySWnlR) - X(旧Twitter)
- 永遠物語【公式】 (@towakoushiki) - X(旧Twitter)
- 榛名由梨Official (@sssaaa09096180) - X(旧Twitter)