コンゴ共和国

中部アフリカに位置する国家
コンゴ共和国
République du Congo
コンゴ共和国の国旗 コンゴ共和国の国章
国旗 国章
国の標語:Unite, Travail, Progres
(フランス語: 統一、労働、進歩)
国歌コンゴの歌
コンゴ共和国の位置
公用語 フランス語
首都 ブラザヴィル
最大の都市 ブラザヴィル
政府
大統領 ドニ・サスヌゲソ
首相英語版 クレマン・ムアンバ英語版
面積
総計 342,000km262位
水面積率 0.1%
人口
総計(2012年 4,200,000人(???位
人口密度 9人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 4兆8,019[1]CFAフラン
GDP (MER)
合計(2008年 107億[1]ドル(119位
GDP (PPP)
合計(2008年142億[1]ドル(118位
1人あたり 3,912[1]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年8月15日
通貨 CFAフラン (XAF)
時間帯 UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1 CG / COG
ccTLD .cg
国際電話番号 242

コンゴ共和国(コンゴきょうわこく)は、中部アフリカに位置する共和制国家。東にコンゴ民主共和国、北にカメルーン中央アフリカ、西にガボン、南にアンゴラ飛地カビンダと国境を接している。首都はブラザヴィル

二つのコンゴとアンゴラ北部は15世紀頃まではコンゴ王国の一体的な領域だったが、16世紀にポルトガルによる征服を経た後に、19世紀のベルリン会議ベルギー領(現在のコンゴ民主共和国)とフランス領(現在のコンゴ共和国)とポルトガル領に分けられた。1970年から1991年までの期間は左翼クーデターによりコンゴ人民共和国だった。

国名編集

正式名称はフランス語で République du Congo (レピュブリク・デュ・コンゴ)。

公式の英語表記は Republic of the Congo (リパブリク・ァヴ・ザ・コンゴ)。

日本語の表記はコンゴ共和国。「コンゴ」はバントゥー語で「山」を意味する[2]

コンゴ共和国の正式名称は2度の変更を経ている。1960年の独立時には現在と同じコンゴ共和国だったのだが、1969年にマリアン・ングアビ政権の元でコンゴ人民共和国に改称され、1991年に再びコンゴ共和国へと名称が戻された。

1960年から1964年の間、現在のコンゴ民主共和国も「コンゴ共和国」を正式国名としており[3][4][5]、区別のために首都名を付してコンゴ・ブラザヴィル等と呼ばれた。一方、コンゴ民主共和国がザイール共和国と改称していた1971年-1997年の期間はコンゴ(人民)共和国を指す通称として単にコンゴとも呼ばれていた。

 
フランス領コンゴ

歴史編集

ポルトガル人が15世紀に到来したとき、海岸地域はコンゴ王国の統治下にあった。1550年にコンゴ王国の北部がロアンゴ王国英語版として独立し、1882年まで続いた。

フランス植民地時代編集

19世紀後半にはフランスがこの地域に進出し、ピエール・ブラザによって1880年には現在のブラザヴィル周辺のコンゴ川北岸がフランスの勢力圏となった。1882年にはフランス領コンゴが成立し、1903年には中央コンゴに改称され、1910年にはガボンおよびウバンギ・シャリとの連合によって中部コンゴはフランス領赤道アフリカの一部となった。1946年にはフランス議会に議席を獲得し、1958年にはフランス共同体内の自治共和国となった。

独立編集

1960年にはコンゴ共和国として正式独立し、大統領には親仏派のフルベール・ユールーが就任した。しかし腐敗や独裁下に対する不満が高まり、1963年8月13日には首都ブラザヴィルで人民が蜂起。「8月革命」が起こり、わずか3日間でユールー政権を打倒した。8月16日には穏健左派のアルフォンセ・マサンバ=デバが大統領に就任し、外国系企業の国有化、フランス軍基地の撤去、「経済開発計画」(1964~1969年)に基く工業化、古い国家機構の改革など、民族民主革命を実行する政策を追求する社会主義路線を歩んだ[6]。しかし党や軍の下級層が急進化してマサンバ=デバ政権と対立するようになり、1968年にはマリアン・ングアビ大尉によるクーデターが勃発してマサンバ=デバは失脚し、ングアビが代わって大統領に就任した。ングアビ政権はさらに左派寄りの立場を鮮明にし、1969年12月には国名を「コンゴ人民共和国」と改め、コンゴ労働党(PCT)を設立して一党独裁制を取るとともに、マルクス=レーニン主義に基づく国造りを進めた[7]

1977年3月にングアビは暗殺され、首謀者とみなされたマサンバ=デバなど数人の要人が軍部に処刑された。政権はジョアキム・ヨンビ=オパンゴが継いだ[8]

サスヌゲソ政権編集

1979年にはヨンビ=オパンゴに代わり、ドニ・サスヌゲソが政権の座に就いた。その後1990年代に入ると近隣諸国と同様にコンゴでも民主化要求が強まり、1991年にはサスヌゲソの役割が儀礼上のものにとどめられるようになるとともに、複数政党制が導入され、共産主義を放棄して国名を「コンゴ人民共和国」から独立時の「コンゴ共和国」に戻し、国旗も変更された。1992年の選挙では社会民主主義パン・アフリカン連合パスカル・リスバが大統領に就任した。

しかし各政党は私兵を抱えて対立を続け、1993年には選挙結果を巡ってコンゴ共和国内戦英語版が勃発した。1995年12月には一度停戦が成立したものの、1997年6月には戦闘が再開され、10月にはサスヌゲソ派がリスバ派およびベルナール・コレラ首相派を破って首都を制圧した[9]1999年12月には停戦合意が行われ、内戦は終結した[10]。サスヌゲソは権力基盤を固めることに成功し、以後の選挙でも再選を重ねている。

政治編集

コンゴの共和国議会二院制を取っている。コンゴ共和国は複数政党制民主主義を称しているが、与党コンゴ労働党 (Parti Congolais du TravailCongolese Labour Party)の勢力が非常に強い。

このほか野党としては、には、次のものがある。

地方行政区分編集

 
コンゴ共和国の地域行政区分図

コンゴ共和国は、首都のブラザヴィル (Brazzaville) と10の地方(フランス語:région)に分かれている。括弧内の地名は当該地方の中心都市である。

主要都市編集

最大都市は首都のブラザヴィルである。ブラザヴィルは政治機能が集中しているほか、コンゴ川水運の終着点にあたるブラザヴィル港があり、国内北部の物流の結節点ともなっている。これに次ぐ都市は大西洋に面する港湾都市ポワントノワールである。コンゴの大都市としてはこの2都市が突出しており、これ以外に国内に人口10万人を超える都市は存在しない。

地理編集

 
地形図

国土の約北半分は熱帯雨林の生い茂るコンゴ盆地であり、南西部にクイルー川流域平野、中南部およびガボンとの国境地帯は山地と高原サバナになっている。気候は全般的に高温多湿で、首都ブラザヴィルの年平均気温は25℃、年降水量は1,367mmである。

経済編集

鉱業編集

天然ガスカリ鉱石亜鉛などの資源も存在するが開発はあまり進んでおらず、また木材輸出も行われているが、GDPの5割以上、輸出額の73.3%(2013年)を原油に頼っている状況である[11]。石油の生産は、ギニア湾に面したクイルー地方に集中しており、他の地域との経済格差も大きい。

また1990年代後半は出所不詳のダイヤモンド原石の輸出もみられるようになり、紛争ダイヤモンドの横流し輸出が行われているのではないかとの指摘もなされるようになった。2004年に、紛争ダイヤモンドの流通防止を行うワールド・ダイヤモンド・カウンシルは、現地視察の結果を踏まえ、コンゴ共和国からのダイヤモンドの輸入を控えるよう呼びかけている。

2015年ごろからの原油価格低迷を受けて、2018年6月、石油輸出国機構(OPEC)に加盟した。

農業編集

自給自足的で、国民の基礎食糧となるキャッサバの生産が盛んに行われている。商品作物はサトウキビナンキンマメタバコアブラヤシコーヒーカカオなどがある。

交通編集

コンゴ最大の港湾は海に面するポワントノワール港であり、周辺諸国を除く輸出入の大半がこの港で行われる。一方、ポワントノワールから内陸に入ると山岳地帯となるため、国内各地との連絡は良好とは言い難い。これを解消するため、1934年にはポワントノワールと首都ブラザビルとを結ぶコンゴ・オセアン鉄道が建設され[12]、1962年には途中のモンベロからガボンとの国境の町ムビンダまでマンガン輸送用の支線が建設された[13]。ブラザビルはコンゴ川の航行可能部の末端であるマレボ湖に面しており、これより上流の地域とは盛んに水運が行われ、内陸部の交通結節点・集散地となっている。また、マレボ湖の対岸に位置するコンゴ民主共和国の首都キンシャサとはフェリー便の連絡がある[14]

空運では、ブラザビルのマヤマヤ空港と、ポワントノワール空港の二つの国際空港が存在する。

国際関係編集

日本との関係編集

  • 在留日本人数 - 8人(2017年7月)[15]
  • 在日コンゴ(共)人数 - 30人(2017年6月)[16]

国民編集

 
コンゴ共和国の人口推移(1961年-2003年

人口編集

コンゴ共和国の人口は急増を続けており、独立直後の1962年に82万人だった[17]人口は1986年には179万人[18]、2017年には526万人にまで増加した[19]

民族編集

コンゴ共和国の住民の内、コンゴ人が48%、サンガ人英語版が20%、ンボシ人英語版が12%、テケ人英語版が17%となり、ヨーロッパ人やその他(ピグミーは2%[20])が3%となる[21]

言語編集

公用語はフランス語であり、コンゴ語リンガラ語ムヌクツバ語などが話され、その他にも地方諸語が存在する[21]

宗教編集

国民の宗教動態は、カトリック教会を中心としたキリスト教が50%、アニミズムが48%、イスラム教が2%である[21]

教育編集

 
学校の子供たち

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は83.8%(男性:89.6%、女性:78.4%)である[21]。2005年にはGDPの1.9%が教育に支出された[21]

主な高等教育機関としてマリアン・ングアビ大学(1971)の名が挙げられる。

保健編集

コンゴ共和国における2007年のHIV感染者は推計で79,000人であり[21]、感染率は3.5%である[21]。2010年のコンゴ共和国人の平均寿命は54.54歳(男性:53.27歳、女性:55.84歳)である[21]

文学編集

ソニー・ラブ=タンシの『一つ半の生命』(1979)は、発表以降のアフリカ文学全体に多大な影響を及ぼした[22]

音楽編集

祝祭日編集

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'an
イースターの日曜日の次の月曜日 イースターの月曜日 Lundi de Pâques
5月1日 メーデー Fête du Travail
イースターから40日後の木曜日 キリストの昇天 Ascension 復活したイエズスの昇天
イースターの後の第7日曜日 ペンテコステ Pentecôte (et Lundi de Pentecôte) 聖霊が使徒の間に降臨
6月10日 国民最高会議記念日 Fête de la commémoration de la conférence nationale souveraine
8月15日 国民記念日と聖母の被昇天 Fête Nationale & Assomption
11月1日 諸聖人の日 Toussaint
12月25日 クリスマス Noël イエズス・クリストゥスの生誕

著名な出身者編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 本保正紀 (1995), “コンゴ共和国”, 外国地名由来辞典, 能登印刷出版部 
  3. ^ Constitution de la République Démocratique du Congo du 1er août 1964 (1964年8月1日のコンゴ民主共和国憲法)” (フランス語). Global Legal Information Network (1964年). 2012年6月12日閲覧。
  4. ^ Thomas Turner (1993年). “Chapter 4 - Government and Politics: Postindependence Political Development” (英語). A Country Study: Zaire (Former). アメリカ議会図書館. p. 3. 2012年6月12日閲覧。 “Zaire was formally called the Republic of the Congo from independence to August 1, 1964, when it became the Democratic Republic of the Congo.
  5. ^ Burundi–Democratic Republic of the Congo (Zaire) Boundary (PDF)” (英語). International Boundary Study. アメリカ合衆国国務省情報調査局 (1965年4月30日). 2012年6月12日閲覧。 “The name of the Republic of the Congo was officially changed to the Democratic Republic of the Congo on August 1, 1964.
  6. ^ 岡倉登志『アフリカの歴史-侵略と抵抗の軌跡』明石書店 2001年
  7. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、111ページ ISBN 4-7947-0523-9
  8. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、206-207ページ ISBN 4-7947-0523-9
  9. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、456-457ページ ISBN 4-7947-0523-9
  10. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/congokyo/data.html 「コンゴ共和国基礎データ」日本国外務省 令和元年9月6日 2020年1月3日閲覧
  11. ^ 『データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計』p.274 二宮書店 2016年1月10日発行
  12. ^ 「世界の鉄道」p345 一般社団法人海外鉄道技術協力協会著 ダイヤモンド・ビッグ社 2015年10月2日初版発行
  13. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998年、『世界地理大百科事典2 アフリカ』、朝倉書店 ISBN 4254166621 p205
  14. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998年、『世界地理大百科事典2 アフリカ』、朝倉書店 ISBN 4254166621 p206
  15. ^ 外務省 コンゴ共和国基礎データ
  16. ^ 外務省 コンゴ共和国基礎データ
  17. ^ 「各国別 世界の現勢Ⅰ」(岩波講座 現代 別巻Ⅰ)p359 1964年9月14日第1刷 岩波書店
  18. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.156
  19. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p273 二宮書店 平成30年1月10日発行
  20. ^ Les pygmées du Congo en "danger d'extinction" (フランス語)
  21. ^ a b c d e f g h CIA World Factbook "Congo, Republic of the" 2010年11月8日閲覧。
  22. ^ 元木淳子「1980年代のコンゴの状況と文学──ソニー・ラブ・タンシを中心に」『フランス語フランス文学研究』67号、日本フランス語フランス文学会 、1995年10月。p.82。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集