一党独裁制(いっとうどくさいせい)とは、特定の政党による独裁体制である。政治学では通常、純粋な一党制の他、事実上の一党独裁であるヘゲモニー政党制も含まれる。

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概要編集

一般的に、憲法等の国家の基本法で政権政党を明記している場合や、複数の政党が存在していても一つの政党によって実質的に政権支配されている場合(ジョヴァンニ・サルトーリの分類によればヘゲモニー政党制)を指す。

国家を強力に統制することが可能であるが、国家権力の暴走が起こり易いことが問題となる。また、支配政党への反対者には、政治的権利言論の自由などが保障されず、しばしば支配政党に反対の意見を持つ者に対しては、粛清・国外追放・投獄が行われるなど、基本的な人権さえも守られないような体制になりがちである[1]。一党独裁により経済発展を強力に推進する開発独裁体制であっても、やがて経済発展が一段落すると複数政党制へ移行する場合がある。一方で、先進国並みの経済発展を実現しながらヘゲモニー政党制を維持しているシンガポールのような例も存在する。

なお55年体制以後の日本のように、自由選挙の下で特定の政党が多数を確保し続ける事によって成立する長期政権一党優位政党制と呼ばれ、一党独裁制とは区別されている。

一党独裁制は複数政党制の中から誕生した場合も多い。独裁権力の獲得は、暴力革命クーデターなど武力による場合、選挙など民主的な制度による場合などがあり、いずれの場合も国民の支持を背景にした場合もある。

歴史編集

市民革命古典的自由主義の普及後、資本主義の普及に伴い従来の共同体の崩壊、中間階級の没落、貧富の拡大、など社会不安が拡大し、ブルジョワ民主主義とも呼ばれる議会制民主主義を否定して独裁や革命を掲げる思想が拡大した。いわゆる左翼の側からは社会主義革命プロレタリア独裁、いわゆる保守の側からは保守革命などである。

1917年の十月革命後に暴力革命プロレタリア独裁を掲げる共産主義ボリシェヴィキが他の野党を非合法化し、マルクス・レーニン主義を掲げるソビエト連邦共産党となった。ソビエト連邦は一党制で、複数政党制は否定された。中華人民共和国などは人民民主主義を掲げて、事実上の一党独裁であるヘゲモニー政党制を採用した。多くの社会主義諸国で一党独裁が制度化され、多くの憲法でも「独裁」や、国家が共産党による「指導」を受ける事が明記された。

他方、イタリアファシスト党ファシズムを掲げ、議会と反対政党は存続したが、選挙制度改正によりファシスト党が常に政権獲得できる選挙制度にした。ドイツ国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)はナチ党の権力掌握後、ナチス以外の政党は全て「自主解散」もしく禁止され、最終的には政党新設禁止法によりナチ党以外の政党の存在が禁止された。日本では政党が自主解党して大政翼賛会に合流することで複数政党制は消滅したが、その性質は極めて曖昧なものであり、党による支配体制は確立できなかった。これらの多くは第二次世界大戦の敗戦で消滅したが、スペインファランヘ党支配は1939年から1975年まで続いた。

1945年から1996年、中華民国(台湾)国民党党国体制として実質的な一党独裁を行った。

1960年代、イラクシリアアラブ社会主義などを掲げるバース党が政権を獲得し、憲法でバース党を指導政党と規定した。

1965年、独立したシンガポールでは人民行動党開発独裁を行い、事実上の一党独裁と呼ばれる場合が多い。

1990年代、ソ連崩壊東欧革命により、マルクス・レーニン主義を掲げた一党独裁国は減少した。2003年のイラク戦争により、イラクのバース党は政権を追われた。2001年以降のシリア騒乱により、シリアでは戦闘が続いている。

主な国家編集

現存する一党独裁制国家編集

一党制の国家
ヘゲモニー政党制の国家

かつて存在した一党独裁制国家・過去に一党独裁制を採っていた国家編集

共産主義政党による一党独裁制国家編集

一党制の国家
ヘゲモニー政党制の国家

その他の一党独裁制国家(一党制かヘゲモニー政党制かは問わない)編集

ほか

脚注編集

  1. ^ 例えば、旧東ドイツでは、刑法の規定によって支配政党であるドイツ社会主義統一党やソ連を批判するだけで1年から8年の懲役刑が科された(仲井斌『もうひとつのドイツ』朝日新聞社、1983年 P74-75)

関連項目編集