八百津町
八百津町(やおつちょう)は、岐阜県加茂郡にある町である。中濃地域に含まれる。
やおつちょう ![]() 八百津町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
![]() | |||||
| |||||
国 |
![]() | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 岐阜県 | ||||
郡 | 加茂郡 | ||||
市町村コード | 21505-8 | ||||
法人番号 | 8000020215058 | ||||
面積 |
128.79km2 | ||||
総人口 |
9,644人 [編集] (推計人口、2023年10月1日) | ||||
人口密度 | 74.9人/km2 | ||||
隣接自治体 | 恵那市、美濃加茂市、可児市、瑞浪市、加茂郡川辺町、七宗町、白川町、可児郡御嵩町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | ササユリ | ||||
八百津町役場 | |||||
町長 | 金子政則 | ||||
所在地 |
〒505-0392 岐阜県加茂郡八百津町八百津3903番地の2 北緯35度28分34秒 東経137度08分30秒 / 北緯35.47603度 東経137.14156度座標: 北緯35度28分34秒 東経137度08分30秒 / 北緯35.47603度 東経137.14156度 ![]() | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理 編集
岐阜県中南部に位置し、面積の約8割が山林である。南側を木曽川本流に、北側を木曽川水系の飛騨川に挟まれている。海抜120m前後の河岸段丘に沿って住宅や農地が広がっているが、過疎化が進んで人口が減少傾向にある。
-
蘇水峡橋から見た木曽川の蘇水峡
-
人道の丘公園から望む八百津町中心部
-
八百津本町の町並み
人口 編集
八百津町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 八百津町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |
■紫色 ― 八百津町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |
八百津町(に相当する地域)の人口の推移 | ||
総務省統計局 国勢調査より |
地名 編集
- 伊岐津志
- 上飯田
- 上牧野
- 上吉田
- 久田見
- 潮見
- 錦織
- 野上
- 福地
- 南戸
- 八百津
- 和知
歴史 編集
地名「八百津」の由来 編集
明治の町村制施行まで現在の大字八百津の地は「細目村」と称していた[1]。町村制の公布を受けて細目村人民惣代が岐阜県知事に村名改称願を提出し[2]、1889年(明治22年)に「八百津町」として町制を施行した[1]。提出された「村名改称御願」によれば大宝2年(702年)に錦織中納言久道が美濃国岐蘇山道を開いた際にそれまで「赤江」と呼んでいた地を「八百津」と名付けたという[2]。そして郡郷を定める際に加茂郡八百津と称したという[2]。八百津は字名として残っているが、村名は錦織久道の従者であった細見次郎の姓から「細見村」とし、その後に細目村と転じたという[2]。つまり、この故事から細目村の旧称は八百津であり、旧称に戻すため改称すると説明された[2]。ただし1921年(大正10年)の『美濃国加茂郡誌』は、美濃国岐蘇山道を開いたことを記す『続日本紀』に錦織久道のことは記されていないと指摘している[1]。
行政区画の変遷 編集
- 1889年(明治22年)7月1日 - 加茂郡細目村が町制を施行して八百津町が発足する。
- 1955年(昭和30年)1月31日 - 和知村を編入する。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 可児郡錦津村との新設合併により改めて八百津町が発足する。
- 1955年(昭和30年)3月25日 - 美濃加茂市大字牧野の一部を編入合併する。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 潮南村、福地村、久田見村を編入合併する。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 美濃加茂市と加茂郡の6町1村(坂祝町、富加町、川辺町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村)が「美濃加茂市・加茂郡町村合併協議会」を設置する。
- 2004年(平成16年)12月31日 - 合併協議会が解散する。
行政 編集
歴代町長 編集
2016年(平成28年)1月17日には赤塚新吾町長の任期満了に伴う八百津町長選挙が行われ、無所属新人の金子政則が2氏を破って初当選した。
- 松浦礼造 1889年10月 - 1893年9月[3]
- 永田収輔 1893年10月 - 1899年7月[3]
- 永田確郎 1899年8月 -1907年8月[3]
- 佐藤関三郎 1907年8月 - 1909年3月[3]
- 大川金左衛門 1909年4月 - 1919年9月[3]
- 永田収輔 1919年10月 - 1921年11月[3]
- 交告清市 1921年12月 - 1927年7月[3]
- 吉田肇 1927年8月 - 1928年3月[3]
- 加藤春幸 1928年5月 - 1937年8月[3]
- 中野源六 1937年10月 - 1945年10月[3]
- 有賀好風 1945年11月 - 1948年9月[3]
- 佐藤鉄麿 1948年11月 - 1954年9月[3]
- 交告正郎 1954年10月 - 1955年1月[3]
- 飯田藤行 1955年(昭和30年)3月 - 1974年(昭和49年)12月[4]
- 荒井正義 1975年(昭和50年)2月 - 1996年(平成8年)1月[4]
- 赤塚新吾 1996年(平成8年)1月28日 - 2016年(平成28年)1月27日
- 金子政則 2016年(平成28年)1月28日 - 現職
議会 編集
- 定数:10名
- 任期:2019年(令和元年)9月11日 - 2023年(令和5年)9月10日
経済 編集
古くから林業が行われている地域であるが農林水産業以外に第2次産業の製造業が盛んな地域である。八百津町の地場産業として八百津煎餅がある。1921年(大正10年)に初めて八百津町で煎餅が生産された。昭和時代に全国各地に出荷する煎餅の産地となった[5]。最盛期には150以上の事業所がある一大産地だったが、高度経済成長期に大量生産体制が確立されると供給過剰となり、2006年(平成18年)時点では約35の事業所にまで減少している[5]。
施設 編集
- 国土交通省
- 中部地方整備局
- 新丸山ダム工事事務所
- 警察
- 消防
- 可茂消防事務組合中消防署
- 八百津出張所
- 消防団
- 八百津町消防団
- 役場
- 八百津町役場
- 錦津出張所
- 久田見出張所
- 福地出張所
- 潮南出張所
- 和知出張所
- 文化施設
教育 編集
小学校 編集
中学校 編集
高等学校 編集
-
八百津町立八百津小学校
-
八百津町立潮見小学校
-
岐阜県立八百津高等学校
交通 編集
鉄道 編集
かつては木曽川の南岸を名鉄八百津線が通っており、可児市方面に通じていた。廃止時点では大字伊岐津志に中野駅と八百津駅の2駅があった。名鉄八百津線は2001年(平成13年)に廃止され、八百津町を通る鉄道路線は無くなった。
バス 編集
- YAOバス - 東濃鉄道が委託運行するコミュニティバス。名鉄八百津線の廃線に伴う代替バス。
- やおまる - 八百津町東部・西部を走るコミュニティバス。2020年10月よりそれまでのコミュニティバス802を再編して運行開始した。八百津町内で完結する路線のほか、八百津町と川辺町のJR高山本線中川辺駅を結ぶ路線も運行されている。
- 東鉄バス - 民間バス。八百津町と美濃加茂市のJR美濃太田駅を結ぶ路線が運行されている。
道路 編集
高速道路 編集
町の西端を東海環状自動車道が走るが、町内にインターチェンジはない。南に可児御嵩インターチェンジ、西に美濃加茂インターチェンジがある。
一般国道 編集
一般県道 編集
- 岐阜県道83号多治見白川線
- 岐阜県道350号野上古井線
- 岐阜県道351号御嵩川辺線
- 岐阜県道352号大西瑞浪線 - 八百津町内は通行不能
- 岐阜県道353号篠原八百津線
- 岐阜県道358号井尻八百津線
- 岐阜県道365号和知兼山停車場線
- 岐阜県道381号多治見八百津線
- 岐阜県道402号中野方七宗線
- 岐阜県道412号恵那八百津線
町内の道路通称名 編集
- 犬山街道 - 岐阜県道83号多治見白川線の一部、岐阜県道381号多治見八百津線の一部。
- 木曽川ハクウンボク街道 - 国道418号
- 人道のサクラ街道 - 岐阜県道83号多治見白川線
名所・祭事 編集
寺院 編集
観光スポット 編集
- 人道の丘公園・杉原千畝記念館
- めい想の森 - 公園。私の青空 八百津の森づくりが開催される。
- 五宝滝 - 落差約80 mの滝。かつては宮本武蔵ゆかりの地とされたが、専門家の間では珍説扱いされている[6]。
- 蘇水峡 - 木曽川の丸山ダム下流にある峡谷。「木曽三川三十六景」に選定されている。
- 上代田 - 「日本の棚田百選」に選定されている棚田。
- 旧八百津発電所資料館 - 博物館。本館などは国の重要文化財。
- 新旅足橋 - 旅足川に架かる橋。バンジージャンプ施設「岐阜バンジー」を併設する。
名物 編集
祭事 編集
-
八百津だんじり祭り
-
久田見まつり
衛生 編集
医療 編集
福地、潮見、南戸は無医地区となっている[7]。福地に八百津町福地診療所、潮見に八百津町潮南診療所が設けられ、医師が出張している[8]。
厚生労働省の2008年から2012年までの統計によれば、八百津町における急性心筋梗塞(心臓発作)の死亡率は全国平均に対して男性で3.8倍、女性で3.9倍であり、人口1万人以上の市区町村で最も高い[9]。
出来事 編集
口裂け女 編集
『週刊朝日』1979年6月29日号には八百津町に口裂け女が出没したという記事が掲載され、口裂け女は社会問題となった[10]。
豚熱 編集
2018年9月に岐阜市の養豚場で豚熱の感染が確認されて以降、野生イノシシを介して感染が広がる中、最初に感染が確認された養豚場から東方に約23.5キロメートル離れた八百津町和知でも11月26日に野生イノシシの感染が確認された[11]。周辺での感染確認やそれを受けた狩猟制限により、獣肉処理施設も活動を自粛した[12]。2019年3月からは感染が確認された他の地域とともに野生イノシシに対する経口ワクチンの散布が行われた[13]。
人物 編集
- 金子政則 - 政治家。八百津町長。
- 纐纈厚 - 歴史学者・政治学者。山口大学副学長。
- 池井戸潤 - 小説家。
- 渡辺猛之 - 政治家。参議院議員。
- 佐藤嘉風 - シンガーソングライター。
- 纐纈卓真 - 空手家。
杉原千畝 編集
八百津町役場は八百津町が杉原千畝の出身地であると主張している[14][15]。2017年(平成29年)、八百津町は杉原千畝による自筆手記2点を含む日本通過ビザ発給の記録、いわゆる「杉原リスト」[16][17]の世界記憶遺産登録申請書をユネスコに提出した[18]。一方、八百津町が管理する杉原千畝の戸籍には、武儀郡上有知町(現在の美濃市)で出生と書かれている[19]ことが判明したため、これを受けて美濃市が調査したところ、出生地とされる住所には「教泉寺」という寺があり[19]、千畝の父である杉原好水が当時勤務していた税務署が、寺に隣接していた事がわかった[19]。なお、杉原千畝の四男は、週刊新潮の取材に対し、ユネスコに世界記憶遺産として登録申請された手記あるいはその下書きとされている原稿には改竄の疑いがあると述べている[20]。また、2016年12月末、日本ユネスコ国内委員会の要請に従い、「杉原リスト」登録申請書における「birth place:生誕地」の文言を「hometown:出身地」と書き改めた[21]。さらに2017年2月中には、出生について書かれた手記と称する2通の文書を取り下げるとともに、同申請書から同町が杉原氏の「hometown:出身地」であると書かれた文章を削除していたことが明らかになった[22]。
脚注 編集
- ^ a b c 岐阜県加茂郡役所 1921, p. 87.
- ^ a b c d e 八百津町史編纂委員会 1972, pp. 834–835, 村名改称御願.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 八百津町史 1976, p. 260.
- ^ a b 八百津町総務課広報行政係. “ふるさとの歩み”. 町の紹介. 行政情報. 八百津町. 2020年11月3日閲覧。
- ^ a b 八百津がなぜ? 八百津せんべいの産地…! 八百津町商工会、2006年12月22日
- ^ 「出身地違った?『日本のシンドラー』」『週刊朝日』1999年9月17日
- ^ 八百津町史編纂委員会 1976, p. 550.
- ^ 八百津町診療所設置及び管理に関する条例
- ^ 「「心臓病」の地域格差 データでみる あなたの市区町村は?」『日本経済新聞社』、2017年8月4日。2018年12月27日閲覧。
- ^ 平泉悦郎「全国の小中学生を恐れさせる「口裂け女」風説の奇々怪々」『週刊朝日』83巻27号(通巻3191号)、朝日新聞出版、1979年6月29日、NCID AN10051537。
- ^ 稲田雅文、野瀬井寛「豚コレラ防疫完了 イノシシ拡散防止 続く 県、対策を模索」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』、2018年12月8日、22面。
- ^ 平井一敏「フォーカス イノシシ肉 自粛いつまで 可茂の関係者 豚コレラ収束願う」『中日新聞 朝刊 可茂版』、2019年1月13日、18面。
- ^ 室田賢「ワクチンの散布開始 豚コレラ、18市町計900カ所」『朝日新聞 朝刊 岐阜全県』、2019年3月26日、29面。
- ^ “杉原千畝はどういう人”. 八百津町. 2017年1月6日閲覧。
- ^ “八百津町へ行こう”. 杉原千畝記念館. 2017年1月6日閲覧。
- ^ “平成27年9月24日 岐阜県報道発表資料”. 2017年1月6日閲覧。
- ^ “ユネスコ記憶遺産(国際登録)国内公募の選定結果について”. 文部科学省 (2015年9月24日). 2017年1月24日閲覧。
- ^ 「世界記憶遺産へ登録申請 杉原千畝の資料と上野三碑」『』日本経済新聞、2016年5月20日。2017年1月6日閲覧。
- ^ a b c 「千畝氏の出生たどる 戸籍記載の美濃市の寺 四男が訪問」『』岐阜新聞、2016年7月12日。2016年11月16日閲覧。
- ^ 「世界記憶遺産」に申請された命のビザ「杉原千畝」手記の改竄疑惑 週刊新潮 2016年11月02日
- ^ 「命のビザ、八百津から世界へ 記憶遺産登録へ高まる期待」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』、2017年2月6日、12面。2017年2月6日閲覧。
- ^ 「出生巡る手記見送り 千畝氏「世界の記憶」申請」『岐阜新聞』、2017年2月22日。2017年2月22日閲覧。