南アフリカ航空
南アフリカ航空(みなみアフリカこうくう、英語: South African Airways、アフリカーンス語: Suid-Afrikaanse Lugdiens、略称:SAA/SAL)は、南アフリカ共和国の航空会社で、同国のフラッグ・キャリアでもある。
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法人番号 | 8700150006173 | |||
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設立 | 1934年 | |||
ハブ空港 |
O・R・タンボ国際空港 ケープタウン国際空港 | |||
マイレージサービス | Voyager | |||
会員ラウンジ | Cycad/Baobab Lounge | |||
航空連合 | スターアライアンス | |||
親会社 | トランスネット | |||
保有機材数 | 53機 | |||
就航地 | 35都市 | |||
本拠地 | 南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ | |||
代表者 |
CEO - カヤ・ウンクラ CFO - カウシク・パテル | |||
外部リンク | http://www.flysaa.com |
概要編集
アフリカ最大の航空会社で、かつアフリカで最も古い歴史を誇る航空会社でもある。拠点空港は南アフリカのヨハネスブルグにあるO・R・タンボ国際空港である。スターアライアンスの加盟航空会社で、独自のマイレージプログラム「ボイジャー」を運営している。
O・R・タンボ国際空港やケープタウン国際空港(ケープタウン)から、アフリカ周辺諸国及びヨーロッパ、アジア、オセアニア、南アメリカ、北アメリカの主要都市へと運航されている。歴史的に南アフリカから英連邦諸国との路線が多くアパルトヘイト政策もありアフリカ諸国ヘの乗り入れは政策廃止まで殆ど無い状況で長距離運航可能な機種選定をしていて長距離路線の運航機材は1970年代からETOPS制限を受けにくいボーイング747シリーズが主力であったが、2008年6月までに全機退役し、現在ではエアバスA340シリーズへ切り替えられている。
航空券の座席予約システム(CRS)は、アマデウスITグループが運営するアマデウスを利用している。 [1]
歴史編集
設立編集
1934年2月に南アフリカ政府がユニオン・エアウェイズを買収し、南アフリカ航空と改名したことによって設立された。1930年代から1940年代においては、その多くが英国などのヨーロッパ諸国の植民地であったアフリカ各地への運航のみを行っていた。当時はユンカースJu-86などのドイツ機と、エアスピード・エンボイなどの英国機を主に使用していた。
拡張編集
第二次世界大戦後は、アブロ・ヨークを使用してヨーロッパ線を開設したほか、アメリカ製のダグラス DC-4Bなどの大型プロペラ機を導入した。
1957年には英国海外航空からリースしたデ・ハビランド DH.106 コメットでオーストラリア線を開設したほか、リオ・デ・ジャネイロ経由でのニューヨーク線を開設した。
アパルトヘイト政策の影響編集
しかし、南アフリカ政府が悪名高いアパルトヘイト(人種隔離政策)政策をとっていたことから、1950年代から1960年代にかけて相次いで独立を果たした他のアフリカ諸国は、南アフリカ航空の領空通過を相次いで拒否。そのために、アフリカ諸国の領空を通るのが最短ルートであるヨーロッパ線はアフリカ諸国の領空を通過不可能であったことから、やむなく大西洋上に出てアフリカ大陸を迂回する遠回りのルートで運航されていた。
また、同じ理由から国際線はアフリカ大陸内の近隣諸国への路線がほぼ皆無で、英国やオーストラリア、シンガポールなどの英連邦諸国の他は、イスラエルや台湾やブラジル、アルゼンチンなどの、政治上の理由で南アフリカとの友好関係を維持し[2]、南アフリカ航空機の乗り入れを認めていた国への長距離路線が中心だった。
さらに1964年には、南アフリカ政府は国際民間航空機関(ICAO)から脱退し[3]、その国際的孤立がさらに進んでいった。
このような長距離路線はその後導入されたボーイング707によって運航され、一部はカーボベルデ共和国[4]やモーリシャス[5]などの、南アフリカと友好関係を持っていた数少ないアフリカ周辺諸国の空港を経由またはテクニカルランディングして運航されていた。
1970年代の後半に入ると、長距離路線用に製造されたボーイング747-SPで運航されるようになった。この便は、ヨーロッパ各国とヨハネスブルグを大西洋ルートで結ぶ便に使用された。また、1980年代前半には、ボーイング747-SPと同程度の航続距離を持つボーイング747-200/300コンビが導入され、アメリカ線や台湾線に導入された。しかし、1986年には国連による南アフリカ制裁の強化によりアメリカやオーストラリアへの運航ができなくなり、同年11月にニューヨーク線の運航が停止された[6]。また、アパルトヘイト政策に反発する勢力により、国内外の南アフリカ航空の支店が度々放火された。
アパルトヘイト政策の撤廃後編集
その後、1980年代終盤に南アフリカ政府がアパルトヘイト政策の撤廃を表明し、アフリカ諸国が上空通過と路線の開設を許可したため、ヨーロッパ線の所要時間が大幅に短縮された。1994年には全人種参加の普通選挙により黒人のネルソン・マンデラを大統領とした新政権が発足し、アパルトヘイト政策が完全に撤廃され、国際社会への復帰を果たした南アフリカは同年にアフリカ統一機構(OAU)[7]にも加盟し、南アフリカ航空もアフリカ諸国への路線を開設できるようになった。
また、就航を禁止していた複数のヨーロッパ諸国も乗り入れを解禁したことから、飛躍的にその就航地を増やし、ニューヨーク線も再就航した。同時に各国の航空会社とのコードシェア便も開始された。
その後塗装を一新して、1997年には新国旗の色を元にしたデザインに変更された。スターボードのアフリカーンス語の表記を廃止して、国内線の機内ではズールー語やソト語でのアナウンスも開始された。また、2004年には南アフリカがICAOに復帰し[6]、2006年には同社が世界最大の航空会社連合である「スターアライアンス」に加盟した。
2020年4月、新型コロナウイルス流行の最中に全社員に当たる4700人を解雇し、資産を売却する方向であると報じられた。[1]
保有機材編集
南アフリカ航空が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は44で、航空機の形式名は737-844などとなる。
現在、旅客機はすべてエアバス製である。
一覧編集
機材 | 運航中 | 発注中 | 座席数 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
C | Y | Total | ||||
エアバスA319-132 | 3 | - | 25 | 95 | 120 | |
エアバスA320-232 | 2 | - | 24 | 114 | 138 | |
エアバスA330-343 | 1 | - | 46 | 203 | 249 | 長距離MTOW(最大離陸重量)-242(トン)仕様[8] |
エアバスA340-313 | 2 | - | 38 | 215 | 253 | ZS-SXD"Team South Africa 2012"ロンドン五輪特別塗装[9] |
合計 | 7 |
画像編集
退役機材編集
一覧編集
- ボーイング707
- ボーイング727-100/100C
- ボーイング737-200/200F
- ボーイング737-300SF
- ボーイング737-800
- ボーイング747-200/200F
- ボーイング747-200M(1機は事故で墜落、もう1機は貨物機に改修された。)
- ボーイング747-300
- ボーイング747-300M
- ボーイング747-400
- ボーイング747-SP(運航されていた1機がランド空港で展示されている。)
- ボーイング767-200ER
- エアバスA300
- エアバスA330-200
- エアバスA340-200/-600
- エアバスA350-900
- ダグラスDC-3
- ダグラスDC-4
- ダグラスDC-7
- デハビランド・コメット(英国海外航空からのリース機)
- ロッキード・コンステレーション
画像編集
就航都市編集
かつてバンコク経由で関西国際空港(関空)に就航していたことがある。1997年4月から週2便で就航を開始、1997年10月にはJALとのコードシェア便となり、羽田空港からの乗継も考慮されるようになった。しかし、わずか2年後の1999年1月、収益が上がらないとして廃止された。収益が上がらなかった理由は乗客数の低迷に加え、運輸省(現国土交通省)が、日本の航空会社の保護を理由に関空-バンコク間のみの航空券の販売許可(以遠権)を出さなかったためである。その後、スターアライアンス加盟によりアライアンスによるコードシェアをANAと実施し、香港乗り継ぎ便を確保したが日本への自社路線乗り入れ出来る状況を待ち、日本路線再就航に意欲を見せていた[10]。その後、コロナによる国際線防疫措置強化による経営の悪化のため路線網の見直しが進み、香港便も2020年2月29日で運航を停止となった。
事故編集
出典・脚注編集
- ^ “Airlines using Amadeus” (英語). アマデウスITグループ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ 南アフリカは反アパルトヘイト闘争を支援する社会主義諸国との対立、台湾は中国大陸を支配する中国との対決・交戦という緊張関係から相互に接近し、友好関係を維持していた。
- ^ この時期は、他の多くの国際機関から南アフリカが脱退あるいは追放されていた。
- ^ 1975年の独立まではポルトガル領で、同年まで続いたモザンビーク独立戦争ではモザンビーク支配の維持を狙うポルトガル右派政権を隣接する南アフリカが支援していた。なお、現在は同地への南アフリカ航空の就航はないが、現地の空港はネルソン・マンデラ国際空港と名付けられている。
- ^ アジア方面への路線の中継地として使用し、その近海で南アフリカ航空295便墜落事故が発生した。
- ^ a b 同社公式サイト、「社史」。
- ^ 現在のアフリカ連合(AU)の前身。
- ^ 南アフリカ航空、初のA330-300を受領 MTOW-242タイプを5機受領へ
- ^ 南アフリカ航空、A340-300のオリンピック特別塗装機でロンドンへフライト
- ^ http://www.aviationwire.jp/archives/67472
関連項目編集
外部リンク編集
- South African Airways(日本語)
- South African Airways (@flysaa) - Instagram