爆風スランプ

日本のロックバンド (1982-)

爆風スランプ(ばくふうスランプ、英語: BAKUFU-SLUMP)は、日本ロックバンド1982年4月結成。1984年デビュー。1999年活動休止。

爆風スランプ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル
活動期間
レーベル
事務所 オフィスすいか
代官山プロダクション
アミューズ
メンバー
旧メンバー 江川ほーじん(ベース)

メンバー 編集

元メンバー 編集

準メンバー 編集

  • 太田美知彦:キーボード(1986年 - 1987年)
  • ダン本多(本多たけし):キーボード (1987年 - 1990年)
  • チャーシューメン黒石(黒石正博):サックス&キーボード(1987年 - 1989年、1994年頃)
  • 竹野昌邦:サックス&キーボード(1990年)
  • せんべい鍵山(鍵山稔):キーボード(1990年)
  • エンペラー福田(福田裕彦):キーボード(2004年 - 2005年) 再結成時のサポートとデビュー初期から活動休止する1999年まで編曲もしている。

活動の歴史 編集

デビュー前後 編集

ヤマハ音楽振興会主催のバンドコンテストである「EastWest」(1981年)にて、最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』(バップガン)のメンバーであったファンキー末吉江川ほーじん、優秀グループ賞を受賞した『スーパースランプ』のサンプラザ中野パッパラー河合の4人により1982年4月に結成される。

河合によると爆風スランプ結成後の初演はおそらく1982年四谷フォーバレーだったとの記述がある。[3]

当初、ライブで客席に向け消火器を放射、スイカを投げる、や戸板などを投げその上で演奏、履いていた靴や火の付いた噴出花火を口に銜える、燃料を染み込ませた綿を頭の上に乗せ火を点ける、等の過激パフォーマンス、放送禁止用語交じりの過激かつユニークな歌詞、歌詞に合わせた着ぐるみを着る、等から“コミックバンド”という見方をされた。そのため、デビュー当時は同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔IIFITZBEATレーベル)、米米CLUBCBS・ソニー)と合わせ「ソニー三大色物バンド」と呼ばれたこともあった。特に爆風スランプと聖飢魔IIはソニーのオーディション部門「Sound Development」(SDマークが冠する)の出身。

前述の過激なパフォーマンスの記録として1985年5月26日午後に行われた東京大学学園祭第58回五月祭ロックコンサートで教室の机や椅子が破壊されたとの記述がある。[4]

デビュー当時の所属事務所は、オフィスすいか。

1985年6月「夜のヒットスタジオDELUXE」に初出演するが、前述の火を使うパフォーマンス(後に消防署からクレームが入る)、スタジオ内を歩き回り出演者やオーケストラ演奏者と握手するなど大暴れ。その後も同番組に出演した際は、THE ALFEEのセットを壊す、テレビカメラの上に乗る等、暴れ続ける。この数日後に「ザ・ベストテン」にスポット・ライトで出演の際もスタジオ内を暴れまわる。

1985年12月13日、日本武道館で初ライブを果たす。1984年12月に九段会館でライブを行った後、中野がトイレの窓から武道館を見て、「あそこでライブをやりたいなー」と思った後に、レコード会社から「来年武道館を予約しておきました」と言われ、武道館でのライブが行われることになった逸話がある。中野は、自分たちが武道館を満席にできるわけがないと思っていた。そこから発想して「武道館に空席があるのは、ペンフレンドの女の子を誘ったが来てくれなかったから」という言い訳ソングが作られ、後に彼らの代表作の一つとして評価される「大きな玉ねぎの下で」(「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」も参照)である。1986年以降は強力なリズム・セクションを擁した実力派バンドとして徐々に認められていく。

「Runner」のヒット 編集

バンド活動に限界が見え始めてきたことから、1986年にプロデューサーとして新田一郎を迎え、新田が社長を務める代官山プロダクションに移籍。新田は先ず、売れることを目的とした活動を始めることにしたが、江川ほーじんが反発、脱退を決意。末吉の作った曲に、辞めていく江川の姿を中野が詞にして「Runner」が誕生、1988年に発表され34万枚を売上。ロングヒットとなる。

NHK総合音楽番組ジャストポップアップ』にて演奏、番組の元にリクエストが殺到。これがきっかけで、1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』に出場、翌年(1989年)1月9日の2度目の武道館公演を行った。江川はこの公演を最後に脱退。当初の予定は1月7.8.9日の3日間公演であったが、昭和天皇崩御により7・8日の公演を自粛。

天才・たけしの元気が出るテレビ』の挿入歌に使用された「Runner」は、初のビッグヒットとなった。カラオケでもノリのいい曲として脚光を浴び、また現在でも高校野球ブラスバンド応援歌における定番曲としても定着する。

江川脱退後、ベーシスト不在期間のテレビ出演に際しては、現在同じアミューズ所属サザンオールスターズ関口和之、古くから親交がある聖飢魔IIゼノン石川THE ALFEE桜井賢SHOW-YA仙波さとみプリンセス プリンセス渡辺敦子男闘呼組高橋一也スターダストレビュー柿沼清史カシオペアのキーボーディスト向谷実(シンセベースを演奏)、千葉ローカルタレントジャガーりりィなど数多のベーシスト・ミュージシャンが代役を務めた。その後、兄弟バンド的な存在だったTOPSベーシストだった和佐田達彦(バーベQ和佐田)が正式メンバーとして加わった。爆風スランプとしてのメンバーチェンジはこの時のみ。

同時期に活躍した聖飢魔IIやTOPSとは親交が深かったこともあり、共同でライブを行なったり、TOPSボーカルの三井雅弘は1989年の大幅なメンバーチェンジの時に、爆風スランプのマネージャーに就いた。プリンセス プリンセスとは、中野が住んでいたアパートに彼女たちのプロデューサーが住んでいたこともあり、よく一緒に酒を飲み、この時、「私達、本当に売れたいんです。」と中野に話していたという。

ヒット曲の連発〜長期休養 編集

1989年、代官山プロダクションの実質的な親会社であったアミューズに移籍後も、「月光」、「リゾ・ラバ」、アルバム『しあわせ』収録「大きな玉ねぎの下で」のリメイク・ヴァージョン「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」と立て続けにヒットを記録した。

この時期、日本テレビ冠番組爆風スランプのお店(爆店)』が放送。その後、メンバーの疲労も蓄積したため、個々のメンバーが海外へ出向き長期休暇を取ることとなった。

海外での経験はアルバム『ORAGAYO 〜in the 7th heaven〜』に生かされ、中野・河合が南アフリカでの政治デモで演奏した「The 7th Heaven」(生録音)が収録。中国へ出向いた末吉はそれ以来中国に魅せられ、遂には中国に活動の主軸を移し、"Asian Drum King"と呼ばれるようになったが、長期休養後に発売されたアルバム・シングルの売れ行きは共に芳しくなかった。

低迷期・ソロ活動 編集

ORAGAYO 〜in the 7th heaven〜』の後に発売されたアルバム「青春王」はヒット曲「Runner」と同様に「青春」を軸に制作されたアルバムだが、売上は芳しくなかった。メジャー・デビュー前後の「破天荒」、ミリオン・ヒットを生み出した「青春」という主軸を失った爆風スランプは、ヒット曲らしいヒット曲は「涙2(LOVEヴァージョン)」のみで、長い低迷期をさまようこととなった。

その間、各メンバーはソロ活動を行なうようになり、それぞれ成果を上げている。

1992年11月6日、「ミュージックステーション」に出演、サンプラザ中野が客席へダイブ。豆電球2個とパネル1枚を破損するなど、破天荒さの片鱗を留めた姿も見せた。

  • サンプラザ中野
    • ジングルベルコンピレーション『Jingle All the Way!』(バップ)で「ジングルベル〜サンタさんとトナカイさん〜」を収録
    • 1996年にパッパラー河合と女王様というユニットを組んでデビュー、クイーンなどの英語詞を直訳した曲をリリース(当時は王様のヒットもあり、直訳ロックが流行していた)
  • ファンキー末吉バーベQ和佐田
    • BBF(「爆風スランプのバーベQ和佐田とファンキー末吉」の略語)というユニットを組み、アルバム「ZUM ZUM PARADISE」をリリース
  • ファンキー末吉
    • ロックバンド「NOISE FACTORY」のプロデュース
    • 中国でのアーティストのプロデュース
    • ソロアルバム「亜洲鼓魂」のリリース
  • パッパラー河合

電波少年とのタイアップ 編集

進め!電波少年」の企画「猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の応援曲として「旅人よ 〜The Longest Journey」が採用され、企画の人気と同様、ヒット曲となった。直後に発売されたアルバム『怪物くん』は2枚組(初回限定盤)で発売。爆風スランプ・レコード会社の力の入れ様が窺われるものだった。

活動休止 編集

1998年3月、32枚目かつラストシングルの『暖かい日々』を発売し翌4月1日にラストアルバム『ハードボイルド』を発売。

1999年4月、活動休止を発表した。

活動休止後 編集

1999年4月に活動休止後、中野と河合はスーパースランプを再結成。末吉と和佐田は、ハードロックバンドX.Y.Z.→Aにて活動中。

2004年12月19日に、当時中野が火曜コメンテーターを務めていた朝日放送おはよう朝日です』の企画で一日限りの再結成を果たし、大阪のABCホールで熱唱。

2005年12月19日-20日の2日間限定で、新宿コマ劇場にて、再結成ライブ「45歳のフェス(恋愛の日・青春の日)」を行った。20日のラストでは、中野が込み上げ歌えなくなった場面もあった。また、河合の弁髪が頭部が禿げたことにより無くなったことも判明。このライブはUSENの無料パソコンテレビGyaOで配信された。

2007年12月30日に、1日限りの再結成として、名古屋のライブハウス「E.L.L.」の「THANX! ELL 30th ANNIVERSARY SPECIAL」に参加し、2年振りのライブを行った。共演は175R。175Rは爆風スランプの6thアルバム『I.B.W-It's a Beautiful World-』の楽曲「それから」をカバーした。

2008年10月5日に、大堀川防災レクリエーション公園にて、河合以外のメンバー、中野、末吉、和佐田でほぼ爆風スランプとして(後に「サンプラザ中野くんバンド」、「SFQ」と改名)、「音街かしわ2008〜MUSIC PLATFORM〜」に参加。爆風スランプ時代の楽曲を披露した。

2010年12月12日に、東京国際フォーラムで1日だけの復活ライブ「爆風復活しまんすライブ!!〜サンプラザ中野くん50歳だー!!〜」を行った。このライブでは、サンプラザ中野くん50歳を記念して様々なサプライズを展開。開演前の入場アナウンスにデーモン閣下が登場。同日の同場所、隣のホールで聖飢魔IIのミサが開催されていた為に布教しに来たという。なお、アナウンスは事前録音されたものであった。また、本編曲中「無理だ」の中で、無理なことをやり続けている電撃ネットワークも登場。サンプラザ中野くんパッパラー河合電撃ネットワークの過激な肉体芸に参加し、盛り上げた。後日WOWOWで独占放送された。

2011年9月、ファンキー末吉が爆風スランプのトリビュートアルバムをプロデュースすることが決まり、親交のあるミュージシャンを中心に参加を募った。賛同したミュージシャンは、アースシェイカー、生田ノブヤ(ノイズファクトリー)、石川俊介聖飢魔II)、内田雄一郎筋肉少女帯)、梅原"PAUL"達也(44マグナム)、X.Y.Z.→A王様サンプラザ高円寺くん渡辺英樹田口智治笠浩二米川英之C-C-B名義)、曾我泰久 (THE GOOD-BYE)、田中雅之(ex.クリスタルキング)、デーモン閣下(聖飢魔II)、ホッピー神山三井雅弘 (ex.Tops)、山下昌良ラウドネス)、ロリータ18号など[5]

2011年12月25日、爆風スランプのトリビュートアルバム『We Love Bakufu Slump』発売。

2013年1月15日、前述のアルバムに、ACE、CRACK BANQEST、ROLLYザ・キャプテンズ上野まなオズ和佐田達彦山本恭司、話音(野村義男+力石理江)らが新たに参加した『爆風トリビュートComplete』を発売。参加アーティスト数組が出演する発売記念ライブが同年1月13日、14日に行われた。

2019年2月26日、目黒ライブステーションにて「江川ほーじんチャリティーミニライブ」を開催。前年12月に交通事故に遭い、意識不明の状態が続く江川ほーじんを支援する募金活動の一環で、告知等では爆風スランプの名義こそ用いていないが、中野、河合、末吉、和佐田のメンバー4人が参加[6][7][8]

2024年3月1日、爆風スランプデビュー40周年に再集結、10月よりライブツアー「爆風スランプ〜IKIGAI〜デビュー40周年日中友好LIVE”あなたのIKIGAIナンデスカ?”」の開催&新曲リリース決定をSONYMUSICの爆風スランプ公式サイトで発表した。[9][10]

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

  1. 週刊東京『少女A』(1984年8月25日)
  2. うわさに、なりたい(1984年12月8日)
  3. 無理だ!決定盤〜YOU CAN NOT DO THAT〜(1985年5月22日)-12インチ・シングル
  4. 嗚呼!武道館(1985年10月10日)-12インチ・シングル
  5. 青春の役立たず(1986年2月26日)
  6. らくだ/ヤシの木かげ(1986年6月21日)-12インチ・シングル
  7. まっくろけ(1986年9月5日)
  8. 愛がいそいでる(1987年4月22日)
  9. THE TSURAI(1987年9月21日)
  10. きのうのレジスタンス(1988年4月8日)
  11. ひどく暑かった日のラヴソング(1988年8月1日)
  12. Runner(1988年10月21日)
  13. 月光(1989年4月7日)
  14. リゾ・ラバ -Resort Lovers-(1989年7月19日)
  15. 大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い(1989年10月21日)
  16. 45歳の地図(辛口生ヴァージョン)(1990年4月8日)
  17. 組曲「天下御免の回り物」より カネ(マネーに捧ぐ)(1990年10月21日)
  18. おおBEIJING(1991年1月21日)
  19. 東京ラテン系セニョリータ(1991年6月21日)
  20. がんばれ、タカハシ!(1991年11月1日)
  21. 2 (LOVEヴァージョン)(1992年3月1日)
  22. 友情≧愛(1992年7月22日)
  23. さよなら文明/涙3 (ナミダサンジョウ)(1992年10月21日)
  24. マンビー人生(1993年5月21日)
  25. 勝負は時の運だから(1994年2月21日)
  26. 愛のチャンピオン(1994年7月21日)
  27. 神話(1995年2月22日)
  28. 新しいことを始めよう(1996年5月22日)
  29. 旅人よ 〜The Longest Journey(1996年9月21日)
  30. 天使の涙(1997年6月1日)
  31. モンスター(1997年8月8日)
  32. 暖かい日々(1998年3月1日)
  33. 45歳の地図 〜リストラバージョン〜(2005年12月7日、配信限定)[11]

企画盤 編集

  1. ちゃんちゃらおかP音頭(1985年11月1日)※「こぼうず隊」名義

非売品 編集

  1. ディスコGO!GO!ハイランダー(1989年)※コスモ石油キャンペーンにて配布
  2. 2(青春ヴァージョン)(1992年)※進研ゼミ「中学講座」会員配布

参加作品 編集

  1. Brave Love, TIGA(1996年10月21日)※「地球防衛団」名義

アルバム 編集

オリジナル・アルバム 編集

  1. よい(1984年8月25日)
  2. しあわせ(1985年11月1日)
  3. (1986年10月22日)
  4. JUNGLE(1987年10月1日)
  5. HIGH LANDER(1988年11月2日)
  6. I.B.W.(1989年11月1日)
  7. ORAGAYO 〜in the 7th heaven〜(1990年11月10日)
  8. 青春王(1991年9月21日)
  9. アジポン(1992年11月21日)
  10. TENSION(1994年3月21日)
  11. ピロリ(1995年4月21日)
  12. 怪物くん(1997年1月22日)
  13. ハードボイルド(1998年4月1日)

ミニ・アルバム 編集

  1. ダンスにGO-ON!(1991年8月23日)

ベスト・アルバム 編集

  1. 青春玉 -学生時代-(1992年3月30日)
  2. 決定版!爆風スランプ大全集(1994年10月1日)
  3. 決定版!爆風スランプ大全集2 〜The Very Best Of パッパラー河合〜(1997年6月21日)
  4. SINGLES(1999年4月1日)
  5. GOLDEN☆BEST 爆風スランプ ALL SINGLES(2009年8月19日)

企画品 編集

  1. Ultimate 12inch Singles(1988年7月21日)
  2. STAR BOX 爆風スランプ(1999年1月30日)
  3. STAR BOX EXTRA 爆風スランプ(2001年12月05日)
  4. 爆風伝説 〜Legend of BAKUFU-SLUMP〜(非売品)

ダウンロード 編集

  • 45歳の地図 〜リストラバージョン〜(着メロでのダウンロード配信。)

未発表曲 編集

  • ありがとうEVERYBODY
  • AIDSのうた
  • ええじゃないか
  • 同じ道
  • 音頭でちゃぶ台
  • 希望~私はこういう人になりたい
  • ゴジラの愛
  • 清き一票
  • 坂出マイ・ラブ(爆風スランプトリビュートアルバム「We Love Bakufu Slump」の限定特典と「We Love Bakufu Slump おまけComplete」に収録)
  • 東京タワーをぶっつぶせ(アルバム「しあわせ」B面に収録の「おしゃれな東京タワー」の旧題)
  • 夏の海
  • ふんだりけったり
  • ポックリクラブ
  • ほらアホになる(ライブビデオ「決定版 爆風スランプ大全集 君はあの野音を見たか」に収録)
  • ゆかいな坊さん
  • よいこの動物園
  • 韋駄天小僧
  • 大あくび
  • 心にシュビドゥバ

ビデオ 編集

ライブビデオ 編集

  1. BAKUFU-SLUMP 武道館ライブ'85(1986年4月21日)
  2. 爆風元年(1988年5月21日)
  3. I.B.W TOUR 1990(1990年6月21日)
  4. ORAGAYO ワールドテレビ(1991年3月21日)
  5. 決定版 爆風スランプ大全集 君はあの野音を見たか(1994年11月2日)

PV集 編集

  1. MADE IN HONG KONG(1985年7月1日)
  2. BAKUFU-SLUMP VIDEO CLIPS(1988年12月1日)
  3. BAKUFU-SLUMP in バトルヒーター "THE BLUE BUS BLUES"(1989年9月21日)
  4. Dancer 踊る踊る俺たち(1991年8月23日)
  5. BAKUFU-SLUMP VIDEO CLIPS 2(1992年9月21日)

ビデオシングル 編集

  1. 嗚呼!武道館(1985年12月13日)
  2. 45歳の地図(1990年9月21日)
  3. おれはイナズマ(1991年1月21日)

出版 編集

神がかり (1985年12月1日、CBS・ソニー出版 ISBN 4789702111

タイアップ一覧 編集

楽曲 タイアップ
うわさに、なりたい シチズン「19才リビエール」CMソング(1984年)
青春の役立たず AGFはじけるキャンディー ドンパッチ」CMソング(1986年)
まっくろけ ウールマーク」CMソング(1986年)
愛がいそいでる スズキ「Hi-R"Hyper Runner"」CMソング(1987年)
THE TSURAI 「ウールマーク」CMソング(1987年)
ひどく暑かった日のラヴソング HITACHI MASTACS」CMソング(1988年)、「パンツの穴 本牧ベイでクソくらえ」映画主題歌(1990年)
Runner 日本テレビ「天才!たけしの元気が出るテレビ」挿入歌、「HITACHI MASTACS」CMソング(1988年)
きのうのレジスタンス 木村家の人びと」映画主題歌(1988年)
転校生は宇宙人 NHKみんなのうた」 1988年6月 - 7月使用曲(1988年)
大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い バトルヒーター」映画主題歌(1989年)
コスモ石油」CMソング(1989年)
東京メトロ東西線九段下駅発車メロディ(2015年から)[12]
シンデレラちからいっぱい憂さ晴らしの歌 今夜はパーティー コスモ石油(コスモ・ザ・カード)」CMソング(1989年)
月光 「コスモ石油」CMソング(1989年)
リゾ・ラバ -Resort Lovers- 「コスモ石油」CMソング(1989年)
それから NHK総合テレビ「まんがで読む古典」主題歌(1989年)
満月電車 TBSテレビ「テレポート6」主題歌(1989年)
東の島にコブタがいた NHK「みんなのうた」 1990年8月 - 9月使用曲(1990年)
東京ラテン系セニョリータ TBSテレビ「日立 世界・ふしぎ発見!」EDソング(1991年)
がんばれ、タカハシ! 丸大食品「カレーとハンバーグ」CMソング(1991年)
涙2(青春ヴァージョン) 進研ゼミ 中学講座」応援歌(1992年)
友情≥愛 TBSテレビ「KATO&KENテレビバスターズ」EDテーマ(1992年)
さよなら文明 アニメ「ツヨシしっかりしなさい」OPソング(1992年)
涙3 アニメ「ツヨシしっかりしなさい」EDソング(1992年)
いつか逆転 ミズノ野球グローブ テックファイヤー」CMソング(1993年)
愛のチャンピオン テレビ朝日系列「驚きももの木20世紀」主題歌(1993年)
神話 ガメラ 大怪獣空中決戦」映画主題歌(1995年)
新しいことを始めよう 京セラ「春の京セラ携帯通信フェア」CMソング(1996年)
旅人よ 〜The Longest Journey 日本テレビ「進め!電波少年 猿岩石」応援歌(1996年)
BAN BAN BAN[注釈 1] NHK教育テレビ「天才てれびくん」EDソング(1997年)
天使の涙 日本テレビ系列「天使にKISS」ドラマ主題歌(1997年)
カンカン 東武動物公園」「G-max」CMソング(1997年)
モンスター ゲームソフト「モンスターファーム」CMソング(1997年)
暖かい日々 テレビ朝日系列「驚きももの木20世紀」EDテーマ

出演 編集

テレビ番組 編集

主なラジオ番組 編集

  • Lo-Dライブコンサート (1985年7月20日、FM東京)

映画 編集

雑誌 編集

  • ロッキンf」117 (1985年、立東社)
  • 宝島」 全員インタビュー(1985年5月号、JICC出版)
  • non-no」No.21 - インタビュー -(1985年11月5日号、集英社)
  •  月刊ロッキンf別冊「PLUM」Vol.2 シートレコード付録(1986年1月、立東社)
  • 宝島」 対談 サンプラザ中野×爆風スランプ(1986年5月号、JICC出版)

NHK紅白歌合戦出場歴 編集

年度/放送回 曲目
1988年(昭和63年)/第39回 Runner
1989年(平成元年)/第40回 2 大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い

主なライブ 編集

  • 第11回『NEW YEAR ROCK FESTIVAL1983-1984』なんだ、こりゃ?清く正しく美しく!!(1983年12月31日、渋谷西武劇場)
  • 第12回『NEW YEAR ROCK FESTIVAL1984-1985』絶対過激!オポチュニストに用はない(1984年12月31日、渋谷西武劇場)
  • 突撃!武道館'85[15](1985年12月13日、日本武道館)
  • 『第2回浅草Riverside Music Festival』(1986年5月3日、台東リバーサイドスポーツセンター野球場)
  • 『柏まつりロックフェスティバル』[16](1986年8月2日、柏駅前イベントステージ)
  • 大きな玉ねぎ'91 "1日だけの武道館"』(1991年5月7日、日本武道館)
  • 結成10周年記念企画イベント 第一弾"ライブハウスツアー" 夏を遊ぶ』(1993年夏)
  • 10周年記念ライブ』(1994年8月14日、日比谷野外大音楽堂)
  • おはよう朝日ですファン感謝祭2004』(2004年12月19日、大阪市 ABCホール
  • Amuse X'mas Week ~supported by GyaO~ 45歳のフェス[17](2005年12月19日《恋愛の日》・20日《青春の日》、新宿コマ劇場)
  • 爆風スランプ 限定復活しまんすライブ!!~サンプラザ中野くん50歳だー!!~[18](2010年12月12日、東京国際フォーラムホールC)

関連項目 編集

  • 1984年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
  • トヨタ・コースター - アマチュアバンド時代から3年ほど、初代モデルとして器材車「おおきくってスイマセン号」として所有。楽曲「THE BLUE BUS BLUES」は、東名高速道路上でエンジンが故障して廃車となった本車との思い出を歌っている。
  • 1992年3月21日に発売されたCD、The Convention Centerによる「MUSIC WAVE KISS RUNNER」は爆風スランプの曲を9曲、英語でカバーされたアルバム。[19]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 番組内でのタイトルクレジットは「BANG BANG BANG」となっている。

出典 編集

  1. ^ 山野車輪ジャパメタの逆襲扶桑社、2018年。ISBN 4-5940-7952-0https://books.google.co.jp/books?id=gwlaDwAAQBAJ&pg=PT28&dq=%E7%88%86%E9%A2%A8%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%80%80%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjIo6iAlujtAhUIc3AKHbGiDLoQ6AEwB3oECAkQAg#v=onepage&q=%E7%88%86%E9%A2%A8%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%80%80%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&f=false 
  2. ^ a b 爆風スランプ”. CDJournal. 株式会社シーディージャーナル. 2020年12月25日閲覧。
  3. ^ discography01 週刊東京「少女A」”. パッパラー河合オフィシャルサイト. 2024年3月11日閲覧。
  4. ^ 〔第58回〕五月祭 昭和60年”. 東京大学文書館デジタル・アーカイブ. 2023年6月5日閲覧。
  5. ^ 爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump”. ファンキー末吉BLOG ~ファンキー末吉とその仲間たちのひとりごと~. 2020年12月25日閲覧。
  6. ^ 爆風スランプ元メンバー・江川ほーじん、交通事故に遭い現在も意識不明”. サンスポ. 株式会社産経デジタル (2019年2月10日). 2023年5月22日閲覧。
  7. ^ サンプラザ中野くん、意識不明の元「爆風スランプ」江川ほーじんに初言及「回復を祈るばかりでございます」”. スポーツ報知. 株式会社報知新聞社 (2019年2月25日). 2023年5月22日閲覧。
  8. ^ 江川ほーじん オフィシャルサイト | Egawa Hojin Offical Site”. 2023年5月22日閲覧。
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