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鈴鹿8時間耐久ロードレース

毎年夏に日本の鈴鹿サーキットで開催されるオートバイレース

鈴鹿8時間耐久ロードレース(すずかはちじかんたいきゅうロードレース)は、FIM世界耐久選手権の1戦として毎年夏に鈴鹿サーキットで開催される日本最大のオートバイレース。通称鈴鹿8耐(すずかはちたい)、8耐(はちたい)。

"コカ・コーラ" 鈴鹿8時間耐久ロードレース
FIM Endurance World Championship
"Coca-Cola"Suzuka 8hours Endurance Race
2009年の鈴鹿8時間耐久ロードレース
2009年の鈴鹿8時間耐久ロードレース
イベントの種類 自動車レース
通称・略称 鈴鹿8耐
正式名称 FIM世界耐久選手権 "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
旧イベント名 インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
開催時期 毎年7月最終週の木曜日から日曜日までの4日間[1]
初回開催 1978年
会場 鈴鹿サーキット
主催 財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会
株式会社モビリティランド鈴鹿サーキット
後援 文部科学省
観光庁
三重県
鈴鹿市
鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会
一般社団法人鈴鹿市観光協会
鈴鹿商工会議所
協賛 日本コカ・コーラ株式会社
鈴鹿サーキットへの交通アクセス
最寄駅 鈴鹿サーキット稲生駅
駐車場 あり
公式サイト
鈴鹿8耐が行われる鈴鹿サーキット

概要編集

夏の鈴鹿を彩る名物レースの一つで、オートバイによる8時間の耐久レースである。2017年現在は午前11時30分にスタートし、日暮れから日没をまたいで終盤はナイトレースとなり、午後7時30分を過ぎた直後にトップのチームがゴールラインを通過した時点で終了となる。

1978年から開催され、1980年からは世界耐久選手権レースのひとつとして組み込まれ、特に1980年代から1990年代初頭は日本のバイク人口のピークと相まって大いに盛り上がった。当時の鈴鹿市の人口は約14万人だが、1990年の決勝レースはそれをはるかに上回る16万人の観客動員を記録、さらに大会期間中の延べ入場者数は36万8,500人を記録した。時代と共に二輪車販売が大幅に減少してもなお、ロードレース界における夏の風物詩として国内有数の集客を誇るモータースポーツイベントである。

1984年より日本コカ・コーラ冠スポンサーとなっている(一時期「コカ・コーラ ゼロ」、または姉妹品「スプライト」の冠だった年もある)。

かつては世界を目指す若手ライダーの登竜門的な存在であった。ケビン・マギーケビン・シュワンツマイケル・ドゥーハンらは、鈴鹿8耐の活躍でWGPの切符をつかんだ。ワイン・ガードナーは、無名時代の1981年に初出場ながらポールポジションを獲得したことが名を知られるきっかけとなった(WGPデビューは1983年)。そうして成長を遂げた彼らの海外における活躍と相前後し、WGPを退いて間もないケニー・ロバーツと全日本の第一人者平忠彦によるコンビ結成(1985年)も大きな話題となり、以後日本の4大オートバイメーカーが威信を懸けてWGPやスーパーバイク世界選手権からトップライダーを送り込んだため、1980年代中盤 - 1990年代の8耐はさながら「レーシングライダー世界一決定戦」とも言うべき活況を呈していた。

近年は、MotoGP(旧・WGP)との日程重複やレース自体の過酷さによる消耗を嫌って海外ライダーの参戦が減少傾向にあるものの、レギュレーションの変更などによる運営上の試行錯誤や全日本選手権等を戦う日本人のエース級ライダーによって、以前に勝るとも劣らない熾烈な戦いが繰り広げられている。

決勝前日にはMFJの国内ライセンスあるいはフレッシュマンライセンス所有者のみが参加できる「鈴鹿4時間耐久ロードレース」も開催される。またオートバイによる来客が多いことにちなみ、二輪車をメインとした市内パレードも催される。かつては暴走族が数千台規模で集まり、警察が出動したこともあった。

前夜祭にはコース上で「ナイトピットウォーク」や「バイクパレード」などさまざまなイベントが行われ、家族連れで大変にぎわっている。2000年にはTRFがヘリコプターを使った演出とライブで前夜祭を盛り上げ、キャンギャルオンステージが行われるなど、盛大に行われた時代もあった。近年は『来場者とレースをもっと近くに』とのコンセプトから、大きなステージは作らず、ナイトピットウォークに時間を割くようになった。2010年からは、SKE48が「鈴鹿サーキットモータースポーツ応援団」として参加し、コース上でライブをするなど、新たな盛り上がりを演出している。非公式ながら『8耐マン』と呼ぶ2人組のキャラクターも出没し、来場者との思い出作りに花を添えている。

1980年に世界選手権シリーズに昇格するまでの(1977年以前は6時間耐久)時代はレギュレーションが緩やかであったため、ホンダ・CBX1000カワサキ・Z1000スズキ・GS1000、からヤマハ・RD350までの市販車改造車と、ホンダ・RSヤマハ・TZなどの純レーサーが、クラス分けもなく混走していた。その中で、500cc単気筒エンジンを搭載した40馬力ほどのプライベーター製車両(後のヤマハ・SRの原型となった「ロードボンバー」)が8位入賞(1978年)するなどの出来事もあった。TT-F1時代は前輪に片持ハブセンターステアのユニット、後輪に片持スイングアームユニットを持ち、かつメインフレームがないelfのような意欲的なマシンや、あえて軽量コンパクトさで勝負に挑んだホンダCBR600、トラストでチューンされたターボチャージャーを搭載するスズキGSX-R400、ヤマハのフレームを使用したBMW K75など、プライベーターでは個性豊かなマシンが出場していた。

近年は、学生を無料(要事前申込み)で招待する『ヤング割0円キャンペーン』や、大人1人分の料金で子供5人が無料入場できる『子どもと一緒にキャンペーン』、さらに2017年には国際レーシングコース横の交通教育センターでレース中にアーティストのライブを行う『8フェス』など、新規ファンの開拓にも力を入れている。

従来の鈴鹿8耐は選手権の序盤に行われてきたが、選手権のプロモーターであるユーロスポーツ・イベントの代表フランソワ・リベイロが、2017年の選手権は2016年9月に開催予定のボルドール24時間で開幕させ、年をまたいで2017年7月の鈴鹿8耐を最終戦にすることを発表した[2]

2019年2月、モビリティランドとフランス西部自動車クラブ(ACO)は鈴鹿サーキットとル・マンの友好協定を締結。これにより鈴鹿8耐でのヨーロッパトップチームに「ル・マンアワード」を、ル・マン24時間耐久ロードレースでのアジアトップチームに「鈴鹿アワード」を贈呈するなど取組を行っていくと発表した[3]

歴史編集

大会名編集

  • 1978年 - 1979年:インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース
  • 1980年 - 1983年:世界選手権シリーズ 鈴鹿8時間耐久オートバイレース
  • 1984年 - 1987年:世界選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久オートバイレース
  • 1988年:世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1989年 - 1990年:FIM耐久カップシリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1991年 - 1996年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1997年:FIM世界耐久選手権シリーズ "スプライト クール"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 1998年 - 1999年:FIM世界耐久選手権シリーズ "スプライト"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2000年 - 2005年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2006年:FIM世界耐久選手権シリーズ/FIMカップ エンデュランス・オブ・ネーションズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース[4]
  • 2007年:QMMF FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2008年 - 2012年:QTEL FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2013年 - 2016年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース
  • 2017年 -:FIM世界耐久選手権 最終戦 “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース

優勝者&優勝チーム・マシン編集

ライダー チーム(マシン) ゼッケン 周回数 タイム
1978   ウェス・クーリー
  マイク・ボールドウィン
ヨシムラジャパン
スズキ・GS1000
2 194 8:02'51"53
1979   トニー・ハットン
  マイク・コール
チームホンダ・オーストラリア
ホンダ・CB900F
6 197 8:00'23"78
1980   ウェス・クーリー
  グレーム・クロスビー
ヨシムラ R&D
スズキ・GS1000R
12 200 8:01'03"54
1981   マイク・ボールドウィン
  デビッド・アルダナ
ホンダ・フランス
ホンダ・RS1000
1 199 8:00'47"12
1982   飯島茂雄
  萩原紳治
ブルーヘルメット MSC
(ホンダ・CB900F)
27 120 6:02'55"83
1983   エルブ・モアノー
  リカルド・ユービン
HB スズキ・フランス
(スズキ・GS1000R)
6 190 8:02'29"32
1984   マイク・ボールドウィン
  フレッド・マーケル
アメリカ・ホンダ
ホンダ・RS750R
1 191 8:01'30"35
1985   ワイン・ガードナー
  徳野正樹
チームHRC
ホンダ・RVF750
3 195 8:01'40"102
1986   ワイン・ガードナー
  ドミニク・サロン
チームHRC
(ホンダ・RVF750)
4 197 8:01'30"738
1987   マーチン・ウィマー
  ケビン・マギー
資生堂 TECH21 レーシングチーム・ヤマハ
ヤマハ・YZF750
21 200 8:01'30"045
1988   ケビン・マギー
  ウェイン・レイニー
チーム・ラッキーストライクロバーツ・ヤマハ
(ヤマハ・YZF750)
3 202 8:02'21"384
1989   ドミニク・サロン
  アレックス・ビエラ
Beams ホンダ with イクザワ
(ホンダ・RVF750)
2 202 7:58'34"328
1990   平忠彦
  エディ・ローソン
資生堂 TECH21 レーシングチーム・ヤマハ
(ヤマハ・YZF750)
21 205 7:57'35"859
1991   ワイン・ガードナー
  マイケル・ドゥーハン
OKI ホンダ・レーシングチーム
(ホンダ・RVF750)
11 192 7:59'25"924
1992   ワイン・ガードナー
  ダリル・ビーティー
OKI ホンダ・レーシングチーム
(ホンダ・RVF750)
11 208 8:00'07"117
1993   スコット・ラッセル
  アーロン・スライト
伊藤ハムレーシング・カワサキ
カワサキ・ZXR-7
1 207 8:01'13"713
1994   ダグ・ポーレン
  アーロン・スライト
チームHRC
ホンダ・RVF/RC45
11 183 6:52'49"056
1995   アーロン・スライト
  岡田忠之
チームHRC
(ホンダ・RVF/RC45)
11 212 8:00'00"468
1996   コーリン・エドワーズ
  芳賀紀行
ヤマハ・レーシングチーム
(ヤマハ・YZF750)
45 214 8:02'06"411
1997   伊藤真一
  宇川徹
ホリプロ・ホンダ with HART
(ホンダ・RVF/RC45)
33 186 8:02'03"722
1998   伊藤真一
  宇川徹
ラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45)
33 212 8:01'54"740
1999   岡田忠之
  アレックス・バロス
ラッキーストライク・ホンダ
(ホンダ・RVF/RC45)
4 213 8:01'59"918
2000   宇川徹
  加藤大治郎
チーム・キャビン・ホンダ
ホンダ・VTR1000SPW
4 215 8:00'31"775
2001   バレンティーノ・ロッシ
  コーリン・エドワーズ
チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)
11 217 8:01'30"173
2002   加藤大治郎
  コーリン・エドワーズ
チーム・キャビン・ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)
11 219 8:02'04"992
2003   生見友希雄
  鎌田学
チーム・桜井ホンダ
(ホンダ・VTR1000SPW)
71 212 8:00'38"909
2004   宇川徹
  井筒仁康
セブンスター・ホンダ
ホンダ・CBR1000RRW
7 210 8:01'35"115
2005   清成龍一
  宇川徹
セブンスター・ホンダ

ホンダ・CBR1000RRW

7 204 8:01'22"351
2006   辻村猛
  伊藤真一
F.C.C. TSR ZIP-FM Racing Team
(ホンダ・CBR1000RR)
778 214 8:02'07"624
2007   加賀山就臣
  秋吉耕佑
ヨシムラ・スズキ with JOMO
スズキ・GSX-R1000
34 216 8:01'35"077
2008   清成龍一
  カルロス・チェカ
Dream Honda Racing Team 11
(ホンダ・CBR1000RRW)
11 214 8:00'20"726
2009   酒井大作
  徳留和樹
  青木宣篤
ヨシムラ・スズキ with JOMO
(スズキ・GSX-R1000)
12 183 8:01'59"916
2010   清成龍一
  中上貴晶
  高橋巧
MuSASHi RT HARC-PRO.
ホンダ・CBR1000RRK
634 215 8:01'13.428
2011   秋吉耕佑
  伊藤真一
  清成龍一
F.C.C. TSR Honda

(ホンダ・CBR1000RRW)

11 217 8:00'50.922
2012   秋吉耕佑
  ジョナサン・レイ
  岡田忠之
F.C.C. TSR Honda

(ホンダ・CBR1000RRW)

11 215 8:01'35.450
2013   高橋巧
  レオン・ハスラム
  マイケル・ファン・デル・マーク
MuSASHi RT HARC-PRO.
(ホンダ・CBR1000RRW)
634 214 8:00'01.280
2014   高橋巧
  レオン・ハスラム
  マイケル・ファン・デル・マーク
MuSASHi RT HARC-PRO.
(ホンダ・CBR1000RRW)
634 172 6:56'13.056
2015   中須賀克行
  ポル・エスパルガロ
  ブラッドリー・スミス
YAMAHA FACTORY RACING TEAM
ヤマハ・YZF-R1
21 204 8:00'29.708
2016   中須賀克行
  ポル・エスパルガロ
  アレックス・ロウズ
YAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1)
21 218 8:00'40.124
2017   中須賀克行
  アレックス・ロウズ
  マイケル・ファン・デル・マーク
YAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1)
21 216 8:00'32.959
2018   中須賀克行
  アレックス・ロウズ
  マイケル・ファン・デル・マーク
YAMAHA FACTORY RACING TEAM
(ヤマハ・YZF-R1)
21 199 8:00'01.728
2019   ジョナサン・レイ
  レオン・ハスラム
  トプラク・ラズガットリオグル
Kawasaki Racing Team Suzuka 8H
カワサキ・ニンジャZX-10R
10 216 7:55'36.613

優勝回数の記録編集

ポールポジションの記録編集

  • 7回 - 伊藤真一(98, 99, 03 - 06, 08)
  • 5回 - ワイン・ガードナー(81, 84, 86, 87, 89)
  • 4回 - 中須賀克行(12, 13, 17, 19)
  • 3回 - グレーム・クロスビー(79, 80, 83)、マイケル・ドゥーハン(90, 91, 93
  • 2回 - ポル・エスパルガロ(15, 16)
  • 1回 - デビット・エムデ(78)、ピエール・E・サミン(82)、ケニー・ロバーツ(85)、ウェイン・レイニー(88)、武石伸也(92)、スコット・ラッセル(94)、アンソニー・ゴバード(95)、アーロン・スライト(96)、加藤大治郎(97)、芳賀紀行(00)、梁明(01)、アレックス・バロス(02)、カルロス・チェカ(07)、秋吉耕佑(09)、酒井大作(10)、加賀山就臣(11)、津田拓也(14)、ジョナサン・レイ(18)

レギュレーションの変遷編集

  • 1980年 - 1983年 TT-F1(4ストローク1,000cc以下)
  • 1984年 - 1993年 TT-F1(4ストローク750cc以下、2ストローク 500cc以下)
  • 1994年 - 2003年 スーパーバイク(4ストローク4気筒750cc以下、3気筒900cc以下、2気筒1,000cc以下)
  • 2004年 - 2006年 スーパーバイク(2006年はワークスのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック
  • 2007年 スーパーバイク・JSB1000(8耐のみ参戦の国内チームのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック
  • 2008年 Formula EWC(4ストローク 4気筒1,000cc以下 2気筒1,200cc以下)およびスーパーストック

主な出来事編集

  • 1982年 台風の接近でレースを6時間に短縮して開催。6時間後に振られたのは、チェッカーフラッグではなく赤旗であった。
  • 1989年 126周目周回遅れのマシンを抜き損なったマイケル・ドゥーハンが周回遅れと接触し転倒。ドゥーハンは左手薬指と小指を切断するケガをしてリタイアとなる。
  • 1989年 8時間経過後、全車に対してチェッカーフラッグが振られる前に観客がコースへ乱入し、赤旗が提示されてしまった。このためレース結果は1ラップ前でのコントロールライン通過順位となり、3位と4位の順位が入れ替わってしまい、最終ラップにヤマハのピーター・ゴダード/加藤信悟組を抜いたはずのカワサキの塚本昭一/前田忠士組が涙を呑む。また、優勝のサロン/ビエラ組も203周回しながらも記録は202周回となった。その後、「全てのライダーにチェッカーを」を合言葉にマナーアップキャンペーンが始まった。
  • 1993年 トップを快走していたエディ・ローソンがオイルにのってコースアウト転倒、かわりにトップに立ったドゥーハン/ビーティ組のドゥーハンも独走中にオイルにのって転倒。いずれもオイル旗の処理がなかった。
  • 1994年 スタートから30分後に周回遅れの1台のマシンがオイルを吹き転倒して炎上。そこへトップグループが差しかかり、オイルに乗って数台が転倒し炎上する炎の中に突っ込んだ。このため赤旗中断となり、史上初の2ヒートレースとなる。優勝候補の一角、辻本聡/加藤大治郎組は不運にもマシンが炎上し、さらにスペアマシンがなかったためリタイヤを余儀なくされた。また、岡田忠之/宇川徹組は転倒した宇川が負傷したため第3ライダーの匹田禎智で再スタートした。中断によりレース進行が遅れたため、観客の帰りの交通手段の確保を優先し、19時30分に赤旗が振られレース終了となった。
  • 1995年 この年のレーススタートから当時のレース実況アナウンサーのみし奈昌俊が観客に呼びかけて10秒前からの全員でのカウントダウンが始まった。それ以前からもアナウンサーがカウントダウンをしたり観客が自発的に手拍子を取ることはあったが、サーキット観客が一体となって行われたのはこの年が最初であった。このカウントダウンはライダーのフライング防止にも一定の効果があった。また同時に8時間の経過の10秒前からのカウントダウンもこの年から行われ、カウント0とともにアーロン・スライトが前人未到となる鈴鹿8耐3連覇のチェッカーフラッグを受け、10秒前カウントダウンは鈴鹿8耐の定番として定着していった。
  • 2000年 決勝レース中の12時46分に山川守が130Rで転倒。病院収容後に死亡。享年47。鈴鹿8耐史上初の死亡事故となった。
  • 2003年 決勝レースのスタート直後、オーヴァーレーシングのマシンがオイルを吹きながら最後尾を走行し、2周目の1コーナーでこのオイルにトップ集団の数台が乗ってクラッシュしペースカーが入る。その際、渡辺篤や岡田忠之やニッキー・ヘイデンが回収車に乗ってピットに戻ってきたために失格となる。オフィシャルとしては当然の裁定であったが、失格したにもかかわらずそれを無視して岡田が数周にわたり抗議の走行をした。ちなみに岡田が優勝した1995年のレースでは、1コーナーでクラッシュした加賀山と田村がオフィシャル判断にて回収車でピットロードまで運ばれているが、この際には「東コースショートカット」の扱いで1周減算で済んでいる。
  • 2007年 俳優の岩城滉一が大会の名誉顧問に就任している。ポールポジションの岡田忠之が8耐史上初のフライングペナルティをとられた。
  • 2011年 東日本大震災を原因とする電力供給不足を考慮し、この年のみスタート時間を例年より1時間繰り上げて10時30分とした。これに伴ってゴール時間も18時30分となり、夜間走行時間はなくなった。
  • 2014年 決勝スタート直前に西コースで降雨があり史上初のスタートディレイとなった。これによりスタート時間が12時35分となるが、ゴール時間は従来通り19時30分となった為6時間55分のレースとなった。またレース中4度のセーフティーカーランが発生した。
  • 2016年 この年からレギュレーション変更により車両のライト常時点灯となる。ただし以前からの恒例であるオフィシャルからのライトオンサインは継続して実施されている。レースはセーフティーカーランが1度も発生せず、優勝したYAMAHA FACTORY RACING TEAMと2位のTeam GREENは現行のコースレイアウトとしては最多の218周回を記録した。また、ホンダ勢はトップチームが低迷し、1988年以来27年ぶりに表彰台を逃す事態となった。
  • 2018年 土曜日のTOP10トライアル(公式予選上位10チームより1台ずつのタイムアタック)が台風12号の影響により40分間・10台同時の計時予選に変更となった。レースはYAMAHA FACTORY RACING TEAMと同チームの中須賀克行が4連覇を達成し、共に連勝記録を更新した。但し、中須賀はこの年のみ予選で転倒した影響で決勝レースに出走していない。
  • 2019年も台風6号の影響でTOP10トライアルは中止となった。レースは終了2分前にトップを走行していたKawasaki Racing Teamが最終ラップで転倒。直後に赤旗中断となり終了した。EWC規定によりKawasaki Racing Teamは未完走、2位を走行していたYAMAHA FACTORY RACING TEAMが優勝と発表され、この順位で表彰式を実施した[5]。しかし後に規定の運用を巡る抗議が認められ、赤旗が提示された1周前の順位が適用されることになり、一転してKawasaki Racing Teamが優勝という結果となった[6]
  • 2020年の第43回は2020年東京オリンピックの開催期日を考慮して例年の7月最終週開催から変更し、2020年7月19日が決勝日となる[1]

テレビ・インターネットによる中継編集

記録映像編集

  • 1985年にホンダランド(後の鈴鹿サーキット)と飛鳥映像により公式記録ビデオが制作される。

生中継編集

  • 1986年にはホンダランドと飛鳥映像による初の同時衛星中継が行われ、多摩テックホンダ青山本社に送られた。また、1985年と1986年の模様を一つにまとめたレーザーディスクが発売された。
  • 1989年からしばらくの間NHK-BSによる完全生中継が行われた。しかし、スポンサー名を放送しないなどの自主規制を行って放送した。また、1992年と1994年は中盤の4時間が野球中継に切り替わる、1996年はアトランタオリンピックのため生中継が行われないなど完全放送とは言いがたい内容であった。
    • 1989年 - 1997年までNHKによるハイライトが8月下旬に放送されるようになった。その一部がレーザーディスク(1990年、1991年はBGM変更版)やビデオで販売された。
  • NHK-BS、スカイスポーツ(CS放送、後のJ SPORTS)を経て、1996年からはTBSが放送権を取得、2002年にはTBS系BSデジタル局BS-iで8時間完全生中継を行った。
  • 2002年からは鈴鹿サーキットがIT企業などの協力を得て、独自のストリーミングによるインターネットライブ動画配信が行われたこともあり、2005年はYahoo! Japanがインターネットライブ中継を実施。なお、2006年のライブ中継では、CS・ネット共にサーキット内での実況音声が使われていた。
  • 2003年からはペイ・パー・ビュー(PPV)番組として、パーフェクト・チョイスにて事前番組及び8時間完全生中継を実施。また、鈴鹿サーキットの公式パートナー局であるテレビ大阪制作のダイジェスト番組がテレビ東京系列で放送されていた。
  • 2013年から2018年の間は、BS12 トゥエルビで中継放送(CBCテレビ制作協力)を実施した。2013年は13時からの遅れ録画放送だったが、2014年からは完全生中継による放送を実施しており、トゥエルビでは数少ない自社制作の生放送番組となっていた。
    • 2017年以降は2音声体制を実施。主音声ではサーキットの場内実況、副音声ではトゥエルビ独自実況となっており、副音声では八代俊二、高橋名人といったゲストを招き、鈴鹿8耐の魅力やTwitterによる質問を募集していた。CM前とCM明けのそれぞれ数秒間は全てトゥエルビ独自音声に統一し、CM明けでは懸賞品の応募電話番号などを通知していた。
    • レース数週間前から番宣が放送される他、2015年は土曜日夜に1時間の特番を放送した。
  • 2015年・2016年に鈴鹿サーキット公式Ustreamで、4耐を含む全セッションのインターネット中継(8耐決勝を除く)を、2017年の公式Facebookでの配信では特別スポーツ走行・8耐決勝のタイミングモニター配信を含む全セッションのインターネット中継を行った。またニコニコ生放送が公式生放送(2013年分以降トゥエルビ協力)で、2012年のフリー走行・予選・4耐の予選決勝の生中継、2013年・2014年の録画中継(2015年開催時)、2005年 - 2015年のダイジェスト放映(2016年開催時)、2015年・2016年の全セッションの生中継(8耐決勝を除く)を行った。
  • 2018年は、鈴鹿8耐と、併催される鈴鹿4時間耐久ロードレースにアジア圏からのエントリーが増加していることを受けて、Facebookを通じた日本国外へのライブ配信を実施。鈴鹿8耐は英語とタイ語、鈴鹿4耐はタイ語での実況配信が行われる[7]
  • 日本テレビは、鈴鹿8耐を含めたFIM世界耐久選手権の2018 - 2019年、2019 - 2020年の2シーズンの放映権を取得[8]。鈴鹿8耐についてはBS日テレ[9]Huluでのライブ中継を、他のレースはBS日テレ・日テレジータスでのハイライト放送を予定している(ただし2019年5月に行われたルマン24耐は、ゴール前後含めG+にて25時間半連続生中継した。)。先行して2018年は8耐ハイライトと併せて2017 - 2018年シーズンハイライトが放送された。

番組内での企画・放送編集

  • 1985年 - 1999年は、自動車情報番組『MOTORLAND』(テレビ東京系列)でダイジェスト版が放送されていた。
  • Do!スポーツ』(テレビ東京系列)で毎年8耐応援企画の番組を放送。
  • CLUB紳助』(朝日放送)で、毎年8月の番組終了後に島田紳助率いるチーム・シンスケの参戦ドキュメントが放送された(1988年 - 1995年)。また紳助は、当時レギュラー出演していた日曜日朝の生番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系列)を休んで参戦していたが、同番組が毎回チーム紳助の様子を番組の冒頭とエンディング時に中継で結んでいた。
  • 1986年 - 1988年はTBSテレビで関連番組が放送された。
  • 2009年より、CBCテレビがレース数週間後に「鈴鹿8耐 ドキュメント」として30分のドキュメント番組を放送している。

鈴鹿8耐が登場する作品編集

文学・漫画編集

  • ふたり鷹』(新谷かおる週刊少年サンデー、1981年 - 1985年) - バイク漫画で初めて耐久レースを主題に取り上げた作品。本作では鈴鹿8耐を舞台にした物語が物語中盤と後半に2回描かれている。
  • 『冬のひまわり』(五木寛之、1985年) - 1984年の8耐を舞台とした禁じられた恋愛物語。グランドスタンドの1コーナー寄りには遠野麻子と森谷透の出会いの場所として五木の歌碑のプレートがあったが、スタンドの改修工事中に紛失された[10]
  • 風よ、鈴鹿へ』(島田紳助、1988年) - 1986年に初参戦したチーム・シンスケの挑戦を題材にした小説。
  • D-LIVE!!』(皆川亮二週刊少年サンデー、2002年 - 2006年) - 主人公のスーパーマルチドライバー・斑鳩悟が、メカニック・清水初音の依頼で、怪我をした8耐ライダーの代わりに出場する。(第5巻 Episode 17「オン・ザ・ロード」)

映画・テレビドラマ編集

  • パッセンジャー 過ぎ去りし日々』(1987年) - 劇中の本田美奈子(主演)のコンサートシーンは、1987年の8耐前夜祭で撮影された。
  • 『風よ、鈴鹿へ』(TBS、1988年) - 同名の上記小説を原作としたテレビドラマ。
  • ガチンコ! 』(TBS、2001年) - 素人を数カ月の特訓で鈴鹿8耐に参戦させる企画「バリバリ伝説」を放送。
  • 紳助社長のプロデュース大作戦! 』(TBS、2011年)- 一度は引退したライダー・中木亮輔の依頼に応える形で、『がんばろう日本』をスローガンに16年ぶりにチーム・シンスケを復活させた。

ゲーム編集

  • 『コカコーラ スズカエイトアワーズ』(ナムコ…後のバンダイナムコゲームス、1992年) - 業務用体感ゲーム機。最大4人まで同時プレイ可能でセンターモニターで中継さながらのレースの模様が流れる。8耐冠スポンサーの「コカコーラ」とタイアップしている。
  • 『スズカエイトアワーズ2』(ナムコ…後のバンダイナムコゲームス、1993年) - 全4コースが選択可能となった続編。
  • 『スズカエイトアワーズ』(ナムコ…後のバンダイナムコゲームス、1993年) - スーパーファミコンへの移植作品。

音楽編集

鈴鹿8耐のテーマソングとして白井が作詞・作曲した楽曲である。決勝レースの前夜祭として、白井貴子&CRAZYBOYSが鈴鹿サーキット内の特設野外ステージでライブ『NEXT GATE LIVE』を敢行、大成功を収める。レースの前夜祭に野外ライブが行われるのは鈴鹿サーキット史上初めてである。このライブの大成功がきっかけとなり、以後の鈴鹿8耐では、毎年必ずミュージシャンによる前夜祭ライブが行われることとなった。
  • 「風の旅人」 作詞:五木寛之、作曲:海つばめ(山崎ハコ
  • 「boys on the road」/中村あゆみ 作詞:中村あゆみ/作曲:古村敏比古
  • 「少年の瞳」/中村あゆみ 作詞・作曲:中村あゆみ
  • 風よ、鈴鹿へ」 作詞:島田紳助/作曲:高原兄 - 同名の上記テレビドラマの主題歌として制作された曲。
  • 「風がうねる日」 作詞・作曲:BORO
  • 「8耐」 作詞・作曲:左嵜啓史
  • 「明日へのONE MORE TRY」 作詞:松比良直樹/作曲・ルーディミッドナイトランナーズ
  • 「Lock ON SUMMER」(2003年八耐イメージソング)/ソルティータ
  • 「サーキット音頭」作詞 高原兄
  • 「rush 〜その先の何か」/エリアンナ

脚注編集

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  1. ^ a b 2019-2020 FIM世界耐久選手権最終戦 ”コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース第43回大会 開催日決定のご案内 (PDF) 株式会社モビリティランド(2019年7月18日)
  2. ^ 【鈴鹿8耐】2017年はFIM 世界耐久選手権シリーズ最終戦に、その理由とは”. Response (2016年3月30日). 2016年3月31日閲覧。
  3. ^ フランス西部自動車クラブ(ACO)・株式会社モビリティランド ル・マン&鈴鹿サーキットに関する友好協定 締結について(PDFファイル 719KB)”. モビリティランド (2019年2月23日). 2019年2月24日閲覧。
  4. ^ 鈴鹿サーキットモータースポーツライブラリー”. 鈴鹿サーキット. 2016年3月9日閲覧。
  5. ^ 鈴鹿8耐:トップ快走のカワサキが残り2分で悲劇。ヤマハが暫定優勝オートスポーツweb. 2019年7月28日閲覧
  6. ^ 2019 "コカ·コーラ" 鈴鹿8耐 レース結果に関するご案内鈴鹿サーキット. 2019年7月29日閲覧
  7. ^ 鈴鹿サーキット、『“コカ・コーラ”鈴鹿8耐』第41回大会の各種チケットを4月28日に発売 オートスポーツweb・2018年3月9日・同日閲覧
  8. ^ 鈴鹿8耐をシリーズに組み込むEWCの放映権を日本テレビが獲得。2020年までの配信/放送が決定 - autosport web
  9. ^ 但し、2019年シーズン(7月28日)は一部時間帯でプロ野球中継「Fun!BASEBALL!! 巨人×阪神」を放送するため、該当時間帯はサブチャンネル(142ch)にて放送した。
  10. ^ 中日スポーツF1特別号17面、2016年10月

 

外部リンク編集