女満別空港

日本の北海道網走郡大空町にある空港

女満別空港(めまんべつくうこう、: Memanbetsu Airport)は、北海道網走郡大空町にある地方管理空港である。

女満別空港
Memanbetsu Airport
女満別空港
IATA: MMB - ICAO: RJCM
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 北海道網走郡大空町女満別中央
母都市 北見市網走市
種類 商用
運営者 北海道エアポート[1]
運用時間 8:00 - 21:00
敷地面積 166.7 ha
標高 33.1 m (108 ft)
座標 北緯43度52分50秒 東経144度09分51秒 / 北緯43.88056度 東経144.16417度 / 43.88056; 144.16417座標: 北緯43度52分50秒 東経144度09分51秒 / 北緯43.88056度 東経144.16417度 / 43.88056; 144.16417
公式サイト 女満別空港
地図
空港の位置
空港の位置
MMB/RJCM
空港の位置
空港の位置
MMB/RJCM
空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
18/36 I 2,500×45 舗装
統計(2022年度)
旅客数 733,633人
貨物取扱量 991t
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空港の一覧
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概要 編集

オホーツク海沿岸の網走市中心部から、南西約22km(バスで約30分)に位置するオホーツク総合振興局の主要空港である。近傍には網走市と北見市を結ぶ国道39号が走る。空港周辺地域には知床国立公園阿寒摩周国立公園網走国定公園などが存在する。空港の位置する女満別町は、2006年に東藻琴村と合併して大空町となったが、空港の名称は継続された。

当初は現在位置の北側隣接地に開港[2]冷害克服のため、オホーツク海の流氷気象観測を飛行機で行おうとしたことが開港のきっかけである。その後、大日本帝国海軍の美幌第二航空基地となる。このため、今でも空港周辺には掩体壕など、当時を偲ぶ施設が多く残されている。

空港のジェット化(1985年)に際して、現在地に移設された。以来、観光需要を中心に旅客数は着実な伸びを見せ、近年の年間旅客数は100万人近くを推移しており、2017年度は、国内834,427人 [3]。混雑の慢性化に加え、世界遺産登録された知床への主要アクセス空港として今後の利用客増加が見込まれるため、国際線にも対応できるターミナルが増築された。なお、旧空港滑走路はドイツの自動車部品メーカー・ボッシュのブレーキテストコースに転用されている。

統計 編集

利用者数 編集

元のウィキデータクエリを参照してください.


沿革 編集

 
2012年撮影の女満別空港
2012年撮影の6枚を合成作成国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
 
1977年撮影の旧女満別空港
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
北緯43度54分20.69秒 東経144度9分52.44秒 / 北緯43.9057472度 東経144.1645667度 / 43.9057472; 144.1645667
 
旧空港の滑走路を利用するボッシュ女満別テクニカルセンター

旧空港 編集

  • 1935年昭和10年)3月23日 - 中央気象台が、1931年に野付牛(現:北見市)へ移転した旧女満別地方競馬場跡地に気象観測用の飛行場として設置 (500 m×幅50 m)、10式艦上偵察機を用い流氷観測を実施[4]
  • 1936年(昭和11年)
    • 6月 - 6月19日の皆既日食観測基地として使用すべく滑走路延長[4] (650 m)
    • 月次不詳 - 老朽化に伴い観測機の使用禁止命令。その後、鈴木与平が3式戦闘機を改造の上、中央気象台に寄付し1944年まで流氷観測を継続[4]
  • 1942年(昭和17年)- 海軍航空隊が「美幌第二飛行基地」として整備開始[4]
  • 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦の終戦に伴い、連合国軍により爆破され使用不能となる[4]。また、旧海軍庁舎は中学校として再利用[4]
  • 1952年(昭和27年)11月 - アメリカ軍が修理の上、不時着場として接収
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月 - アメリカ軍から一部返還される
    • 6月2日 - 北日本航空、丘珠空港線(不定期)運航開始[4]
  • 1957年(昭和32年)7月 - 北日本航空、丘珠空港 - 西春別飛行場線(女満別空港経由)運航開始
  • 1958年(昭和33年)
    • 7月7月 - 米軍からすべて返還され、管理主体は女満別町となる
    • 12月 - 第三種空港として供用開始[4]
  • 1959年(昭和34年)9月 - 北日本航空、西春別飛行場発着を中標津空港発着に変更
  • 1961年(昭和36年)4月 - 管理を北海道へ移管
  • 1963年(昭和38年)4月 - 第三種空港として供用開始 (1,200 m)
  • 1964年(昭和39年)4月 - 北日本航空、合併により日本国内航空となる
  • 1965年(昭和40年)6月 - 日本国内航空、丘珠空港線定期運航開始[4]。丘珠空港 - 女満別空港 - 中標津空港線廃止
  • 1970年(昭和45年) - 日本国内航空、東京国際空港線を丘珠空港経由で運航開始
  • 1971年(昭和46年)5月 - 日本国内航空、合併により東亜国内航空となる
  • 1974年(昭和49年)12月 - 東亜国内航空、丘珠空港発着全路線を(旧)千歳空港発着に変更
  • 1977年(昭和52年)8月 - 東亜国内航空のYS-11型機が胴体着陸[4]
  • 1980年(昭和55年)5月 - 東亜国内航空、東京国際空港線直行便運航開始[4]。YS-11型機が飛ぶ超長距離路線として知られる
  • 1985年(昭和60年)4月20日 - 新空港開港に伴い閉鎖[4]

現空港 編集

  • 1975年(昭和50年)月次不詳 - 新空港建設適地調査を開始[4]
  • 1979年(昭和54年)4月 - 新女満別空港設置許可を申請[4]
  • 1980年(昭和55年)10月 - 新女満別空港設置許可、第三種空港指定[4]
  • 1981年(昭和56年) 6月 - ジェット化へ向け、新女満別空港の工事着工[4]
  • 1984年(昭和59年)
    • 4月 - 空港ターミナルビル・貨物ビル着工[4]
    • 12月 - 基本施設完成
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月 - ターミナルビル竣工[4]
    • 4月22日 - 女満別空港(旧空港)南側に新女満別空港供用開始 (2,000 m)、ジェット化[4]、旧空港廃止
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月 - 初の国際チャーターとして全日空香港便を運航[4]
    • 4月 - 新女満別空港から女満別空港へ改称。
  • 1992年平成4年)
  • 1993年(平成5年)7月1日 - 全日本空輸、名古屋空港線運航開始[5]
  • 1994年(平成6年)
    • 3月 - 空港ビル増築部分供用開始[4]
    • 9月 - 全日本空輸、関西国際空港開港に伴い、大阪国際空港線を関西国際空港線に変更[4]
    • 月次不詳 - 滑走路2500m延伸認可[4]
  • 1995年(平成7年)
    • 6月 - 日本エアシステム、福岡空港線運航開始(6月〜10月の季節運航)[4]
    • 10月 - 滑走路延長工事着工[4]
  • 1996年(平成8年)
  • 1997年(平成9年)
    • 7月 - (旧)日本航空と全日本空輸、東京国際空港線運航開始、3社競合路線となる[4]
    • 8月 - エアーニッポン新千歳空港線運航開始、2社競合路線となる[4]
    • 10月 - 日本エアシステム、福岡空港線休止[4]
    • 11月 - 日本エアシステム、福岡空港線(広島空港経由)休止[4]
  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)
    • 1月 - 1985年(ジェット化)以降の利用者数が1,000万人を突破
    • 2月24日 - 滑走路延長(2,500m)完成、日本エアシステム東京国際空港線の機材変更でボーイング777-200型機が記念飛来[4]
    • 4月 - 全日本空輸、東京国際空港線を季節運航から7〜9月の期間限定運航に変更。日本エアシステム、仙台空港線を季節運航から7月中旬〜8月の期間限定運航に変更
    • 7月 - 全日本空輸、関西国際空港線をエアーニッポンに移管
    • 9月 - 全日本空輸、東京国際空港線休止、2社競合路線となる[4]
    • 10月 - エアーニッポン、丘珠空港線休止[4]
  • 2001年(平成13年)
  • 2003年(平成15年)
    • 4月 - 日本エアシステム、大阪国際空港線運航開始、大阪線としては2社競合路線となる[4]
    • 7月 - 日本エアシステム、仙台空港線を7月・8月の期間限定運航で再開[4]
    • 8月31日 - エアーニッポンのYS-11型機が、新千歳空港行454便を最後に運航終了[4]
    • 9月 - エアーニッポンネットワーク 、丘珠空港線、新千歳空港線運航開始[4]。日本エアシステム、仙台空港線休止[4]
    • 10月 - (旧)日本航空、日本エアシステムとの統合準備に伴い、東京国際空港線を日本エアシステムに移管再度単独路線となる[4]。日本エアシステム、新潟空港線休止[4]
    • 11月 - エアーニッポン、関西国際空港線を通年運航から2月〜3月、6月〜10月の季節運航に変更
  • 2004年(平成16年)4月 - 日本エアシステム、日本航空ジャパンに商号変更[4]、日本航空便名となる。エアーニッポン・エアーニッポンネットワーク、全日本空輸グループ便名統一化に伴い全日本空輸便名に変更[4]
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
    • 2月 - 北海道国際航空、全日本空輸との共同運航により東京国際空港線運航開始(全日本空輸便としては再開)再度競合路線となる
    • 3月 - ターミナルビル第3期増築工事完成、搭乗橋・ターンテーブル各1基を増設し、内際分離式のCIQスペースを設けた(19日)[4]。北海道エアシステム、函館空港線休止[4]
    • 4月 - エアトランセ、函館空港線運航開始[4]。駐車場有料化
    • 6月 - エアトランセ、新千歳空港線運航開始、3社競合路線となる[4]
  • 2007年(平成19年)
    • 2月 - エアトランセ、新千歳空港線休止、2社競合路線となる[4]
    • 3月 - エアトランセ、函館空港便が不定期運航となる[4]
    • 4月 - 全日本空輸、新千歳空港線休止、再度単独運航(札幌線としては2社競合)路線となる[4]
    • 9月 - エアトランセ完全撤退[4]
  • 2008年(平成20年)11月 - 全日本空輸、関西国際空港線を通年運航から6〜9月の季節運航に再々変更。ILS 36供用開始(ILS双方向化)[4]
  • 2009年(平成21年)3月 - 日本航空インターナショナル、関西国際空港線を休止、再度単独運航路線となる[4]
  • 2010年(平成22年)
    • 7月 - 全日本空輸、丘珠空港線を新千歳空港線に変更
    • 10月 - 北海道エアシステム、新千歳空港線運航開始
  • 2011年(平成23年)
    • 4月 - 北海道エアシステム、丘珠空港線運航開始
    • 6月 - 全日本空輸、関西国際空港線を6〜10月の季節運航に延長
  • 2012年(平成24年)
    • 4月 - 全日本空輸、関西国際空港線を4〜10月の季節運航に延長
    • 10月 - 北海道エアシステム、丘珠空港線休止
  • 2013年(平成25年)5月 - 全日本空輸、関西国際空港線を5〜9月の季節運航に短縮
  • 2014年(平成26年)2月4日 - 各航空会社によるものを除く館内放送を、女満別空港ビル応援キャラクターに選ばれたVOCALOID及びVOICEROID結月ゆかりが行うことになった[6]
  • 2020年令和2年)
  • 2021年(令和3年)
  • 2024年(令和6年)4月18日 - ターミナル空域管制(日高進入管制区)が導入される。[12]

施設 編集

ターミナルビルは滑走路西側に1棟あり、地上3階建てで、ボーディングブリッジを3基備えている。国内線に対応した設備となっているが、設計上は今後の国際線展開をも見越した構成とされる[要出典]。ターミナル施設は金融機関・航空会社および自治体が出資する女満別空港ビル株式会社が運営していたが、2021年10月に同社が北海道エアポートに吸収合併され、以後は北海道エアポートによる運営となっている。

  • 1F : 航空会社カウンター、到着ロビー、観光案内所、セブンイレブン
  • 2F : 出発ロビー、有料待合室、売店(土産物店)6店、レストラン3店、ATM
    • 営業時間は、有料待合室は19時30分、ATMは平日18時・土日17時、売店・レストランは20時(立ち食い寿司店は12時~15時)、搭乗待合室の売店は最終便出発まで。
  • 3F : 展望デッキ(無料)

有料駐車場は約1,150台が設置されており、「めまんべつ産業開発公社」が管理している[13]。駐車料金は1時間までは無料。外の精算機では現金払いのみで5千、1万紙幣は使用不可だが、利用者が多い時間帯には係員が立っていることがあり、その場合は高額紙幣を受け取ってくれる場合もある。

ターミナルビルの1階には事前精算機があり、こちらではクレジットカード決済が可能。事前精算機で精算した場合は、精算後20分以内に駐車場を出る必要がある。

2020年より民営化運営を担う北海道エアポートはオホーツク方面への送客を目的とした「地域ゲートウェイ」型空港として、「比類なき大自然」をコンセプトとして国際線専用施設整備・旅客ビル拡張・貨物ビル新設・事務所棟新設・低価格帯ホテルの誘致を計画している[14]

就航路線 編集

現在国内線のみ発着している。空港航空会社が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航するコードシェア便(共同運航便)である。

かつての定期就航路線

交通 編集

近隣市街地へは、網走市まで約22 km、北見市まで約32 kmの位置にある。

路線バス 編集

2019年10月1日現在。運行本数・運賃・所要時間等の詳細は、該当項目や公式サイトを参照。

主な廃止路線

  • 阿寒バス
  • 網走バス
    • 美幌駅前 - 女満別空港 - 女満別役場 - 呼人駅 - 網走刑務所 - 網走駅 - オホーツク合同庁舎 - 網走バスターミナル(一般路線バス、時刻固定) ※2019年10月1日のダイヤ改正で廃止[19]

鉄道 編集

脚注 編集

  1. ^ a b “道内空港民営化完了 5空港 1日から一体運営に”. 北海道新聞. (2021年3月1日). オリジナルの2021年2月28日時点におけるアーカイブ。. https://archive.vn/ddqvT 2021年3月1日閲覧。 
  2. ^ 旧空港の位置航空写真 - Google マップ
  3. ^ 管内空港の利用状況概況集計表(平成26年度速報値)』(PDF)(プレスリリース)国土交通省東京航空局https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/img/statistics/pdf/riyou_h26nendo.pdf 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm 飛翔 オホーツクの空から 女満別空港ターミナルビル25周年記念誌 - 女満別空港ビル(2010年)
  5. ^ “名古屋-道東に2路線開設”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年7月6日) 
  6. ^ 女満別ビル応援キャラクターにヴァーチャルアイドル「結月ゆかり」が就任 - 女満別空港
  7. ^ 北海道内の7空港、民営化スタート - 日本経済新聞(2020年1月15日)
  8. ^ 運送の共同引受により便名はJAL便として運航
  9. ^ ピーチ、成田-女満別就航 LCC初、雪の”ひがし北海道”到着”. Aviation Wire. 2021年3月26日閲覧。
  10. ^ https://www.asahi.com/articles/ASP7173MXP71PPTB001.html
  11. ^ 合併広告 - 北海道エアポート・2021年8月20日
  12. ^ 進入管制区を指定する告示等を一部改正する告示(国土交通省令和六年告示第一九八号) - 官報(2024年3月21日、2024年3月25日閲覧)
  13. ^ 空港の概要”. 網走建設管理部. 北海道オホーツク総合振興局. 2015年9月15日閲覧。
  14. ^ 北海道内7空港特定運営事業等の優先交渉権者選定に係る客観的評価結果等の公表について 資料2 提案概要(北海道エアポートグループ) - 国土交通省
  15. ^ ジェイエア北海道エアシステムの機材・乗務員による運航便あり
  16. ^ https://www.info.hac-air.co.jp/wp-content/uploads/2020/09/mmb_compressed.pdf
  17. ^ ANAウイングスの機材・乗務員による運航便あり
  18. ^ https://www.aviationwire.jp/archives/229726
  19. ^ バス路線の区間廃止・ダイヤ改正のお知らせ”. 網走バス. 2019年11月8日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集