アントニオ・ディ・ナターレ

イタリアのサッカー選手 (1977 - )

アントニオ・ディ・ナターレ(Antonio Di Natale, 1977年10月13日 - )は、イタリアナポリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはFW。元イタリア代表。なお、イタリア語で「ナターレ」という言葉は「クリスマス」という意味である。

アントニオ・ディ・ナターレ Football pictogram.svg
Antonio di natale.JPG
2012年のディ・ナターレ
名前
愛称 トト
ラテン文字 Antonio Di Natale
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1977-10-13) 1977年10月13日(44歳)
出身地 ナポリ
身長 170cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1994-1996 イタリアの旗 エンポリ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2004 イタリアの旗 エンポリ 158 (49)
1997-1998 イタリアの旗 イペルゾラ (loan) 33 (6)
1998 イタリアの旗 ヴァレーゼ (loan) 5 (0)
1998-1999 イタリアの旗 ヴィアレッジョ (loan) 25 (12)
2004-2016 イタリアの旗 ウディネーゼ 385 (191)
代表歴
2002-2012 イタリアの旗 イタリア 42 (11)
監督歴
2021- イタリアの旗 カッラレーゼ・カルチョ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

現役引退時のプロフィールは身長170cm・体重73kgだが、エンポリFC時代は身長177cm・体重70kgとなっていた。

2009-10シーズン2010-11シーズンのセリエA得点王。

経歴編集

クラブ編集

ナポリで生まれ育つ。SSCナポリで活躍したディエゴ・マラドーナが子どもの頃のアイドルであった[1]。8歳でサッカーを始め、カステル・チステマを経て、14歳のときにエンポリFCに入団した[1]。1996-97シーズンにセリエBでプロデビューを果たしたが、このクラブには同郷であり幼少時代からの親友のヴィンチェンツォ・モンテッラルカ・トーニも在籍していた。

その後は出番に恵まれず、セリエAに昇格したエンポリを出てセリエC1-C2をレンタルで渡り歩く苦労の日々を過ごすが、1998-99シーズンはセリエC2のACヴィアレッジョにレンタル移籍し、12得点を決める活躍を見せた。1999-2000シーズンに再びセリエBに降格していたエンポリへ復帰するとレギュラーの座を獲得し、2001-02シーズンには38試合16得点の活躍でセリエA昇格の原動力となった。24歳にしてトップリーグの地を踏んだ2002-03シーズンも開幕戦でコモを相手に初出場初得点を挙げるとレッジーナ戦ではハットトリック、シーズン通算27試合に出場し13得点をあげた。

2003-04シーズンにエンポリは降格し、ウディネーゼへ移籍。

2004-05シーズンの4位に貢献し、2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに初出場。 2007-08シーズンは自身最多となる17得点を記録。

2009-10シーズンは得点を量産。2010年ユベントスからオファーを受けたがウディネーゼ残留を決断。[2]5月9日ASバーリ戦でセリエA通算100得点を達成。最終的に29得点で初の得点王(2位に7ゴール差)となり、またオリバー・ビアホフのクラブ最多得点記録を更新した。この活躍でオスカル・デル・カルチョのイタリア人サッカー選手賞を受賞した。

2010-11シーズンは開幕から3ヶ月で2得点と不調が続いたが、11月14日レッチェ戦でハットトリックを達成すると本来の得点感覚を取り戻し、ウディネーゼが13試合連続無敗を続けている間、15得点を記録[3]。3度のハットトリックを挙げるなど、通算28得点で2年連続の得点王を獲得し、ウディネーゼのチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した[3]

2012-13年もセリエAで23ゴールを決める活躍を見せ、2013年ミランが獲得に動くが、ウディネーゼでの引退を希望していた為、オファーを拒否した[4]

2014年1月6日2013-14シーズン限りでの現役引退を表明したが[5]、シーズン終了直後に撤回した[6]

引退撤回後の2014-15シーズンでも以前と同じようにゴールを量産し、2014年11月23日にはセリエAで7人目のリーグ通算200ゴールを達成[7]

2015-16シーズンにはシリル・テレオードゥバン・サパタとのポジション争いで劣勢に立たされ、シーズン途中に再び現役引退について言及[8]2016年5月15日に行われたリーグ最終節・カルピFC戦では79分にPKを決め、最後の試合を自らのゴールで飾り[9]、シーズン終了後に現役を引退した。

代表編集

イタリア代表ではジョバンニ・トラパットーニ監督時代の2002年11月20日の親善試合・トルコ戦でデビュー。2004年2月11日のチェコとの親善試合で代表初得点を挙げた。「背番号10」を背負った経験もあるが、同じポジションにアレッサンドロ・デル・ピエロが君臨していたため構想から外れ、EURO2004のメンバーからは落選した。監督がマルチェロ・リッピに変わると招集されることは少なくなり、W杯ドイツ大会のメンバーにも落選した。

しかしW杯優勝を果たしたリッピが勇退し、ロベルト・ドナドーニが監督に就任すると再び代表に返り咲く(ディ・ナターレはセリエAにデビューした頃「ドナドーニの再来」と称されていた。ドナドーニも現役時代はイタリアを代表する名ウインガーであった)。そしてEURO2008予選のウクライナ戦でデル・ピエロと交代でピッチに立つと、実に9年ぶりに同じチームでプレーしたトーニへのクロスでアシストを記録し、続くジョージア戦ではスターティングメンバーに入り、再びアシストを記録する。翌月の親善試合では代表デビューの相手でもあったトルコとの試合にスタメン出場し、得点を挙げた。

2009年11月18日の親善試合・スウェーデン戦では、キャプテンのファビオ・カンナヴァーロや副キャプテンのジャンルイジ・ブッフォンが欠場したことから初めてイタリア代表のキャプテンとして試合に出場した[10]

2010年のW杯南アフリカ大会では、代表入りし背番号10で出場した。グループリーグ第3戦のスロバキア戦で得点を挙げたもののイタリアは敗れ[11]、グループリーグ敗退となった。

EURO2012にも代表メンバー入り、グループリーグ初戦のスペイン戦で先制点を挙げるなど、イタリア代表の決勝進出を支えた。

監督編集

2021年4月11日、カッラレーゼ・カルチョの監督に就任した[12]

人物編集

2010年にはセリエAのフェアプレー賞を受賞。フランチェスコ・グイドリンは「マナーとプロ意識において、全ての選手の模範である」とディ・ナターレの人格を賞賛している[3]

個人成績編集

クラブでの成績編集

クラブ シーズン リーグ リーグ戦 カップ 国際大会 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
エンポリ 1996-97 セリエB 1 0 0 0 0 0 1 0
通算 1 0 0 0 0 0 1 0
イペルゾラ (loan) 1997-98 セリエC2 33 6 0 0 0 0 33 6
通算 33 6 0 0 0 0 33 6
ヴァレーゼ (loan) 1998 セリエC1 4 0 0 0 0 0 4 0
通算 4 0 0 0 0 0 4 0
ACヴィアレッジョ (loan) 1998-99 セリエC2 25 12 0 0 0 0 25 12
通算 25 12 0 0 0 0 25 12
エンポリ 1999-00 セリエB 25 6 5 1 0 0 30 7
2000-01 35 9 3 1 0 0 38 10
2001-02 38 16 4 2 0 0 42 18
2002–03 セリエA 28 13 5 1 0 0 33 14
2003–04 32 5 2 1 0 0 34 6
2004-05 セリエB 0 0 1 0 0 0 1 0
通算 158 49 20 6 0 0 178 55
ウディネーゼ 2004–05 セリエA 33 7 5 4 2 0 40 11
2005–06 35 8 3 3 10 4 48 15
2006–07 31 11 2 2 0 0 33 13
2007–08 36 17 1 1 0 0 37 18
2008–09 22 12 1 1 7 3 30 16
2009–10 35 29 3 0 0 0 38 29
2010–11 36 28 2 0 0 0 38 28
2011–12 36 23 1 1 3 5 39 29
2012–13 33 23 1 0 8 3 42 26
2013-14 32 17 2 1 4 2 38 20
通算 329 175 21 13 37 17 387 205
総通算 550 242 41 19 37 17 628 278

代表編集

 
UEFA EURO 2012決勝セルヒオ・ラモス(左)とボールを競るディ・ナターレ


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
2002 1 0
2003 2 0
2004 1 1
2005 0 0
2006 4 1
2007 7 3
2008 10 4
2009 5 0
2010 6 1
2011 0 0
2012 6 1
通算 42 11

代表でのゴール編集

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 2004年2月18日   パレルモスタディオ・レンツォ・バルベラ   チェコ 2–1 2–2 親善試合
2. 2006年11月15日   ベルガモスタディオ・アトレティ・アズーリ・ディターリア   トルコ 1–0 1–1
3. 2007年8月22日   ブダペストプシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン   ハンガリー 0–1 3–1
4. 2007年9月12日   キエフオリンピスキ・スタジアム   ウクライナ 0–1 1–2 UEFA EURO 2008予選
5. 1–2
6. 2008年5月30日   フィレンツェスタディオ・アルテミオ・フランキ   ベルギー 1–0 3–1 親善試合
7. 2–0
8. 2008年9月6日   ラルナカアントニス・パパドプーロス・スタジアム   キプロス 0–1 1–2 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
9. 1–2
10. 2010年6月24日   ヨハネスブルクエリス・パーク・スタジアム   スロバキア 2–1 3–2 2010 FIFAワールドカップ
11. 2012年6月10日   グダニスクPGEアリーナ   スペイン 0–1 1–1 UEFA EURO 2012

タイトル編集

個人編集

脚注編集

  1. ^ a b 「遅咲きの仕事人」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2008年5月1日号、46-49頁
  2. ^ コリエレデッロスポルト 2011年
  3. ^ a b c Goal.com50:アントニオ・ディ・ナターレ(25位) - Goal.com 2011年8月7日
  4. ^ Goal.com 2013.6月
  5. ^ ディ・ナターレ、今季限りでの引退表明 - Goal.com 2014年1月7日
  6. ^ 最終戦でハットトリック!ディ・ナターレは現役続行へ! Qoly.jp
  7. ^ ディ・ナターレ、通算200ゴールを達成「天国の両親に感謝する」 - サッカーキング 2014年11月24日
  8. ^ ディ・ナターレが現役引退か 「若手に場所を譲るのが正しい」 - Goal.com 2016年3月10日
  9. ^ 最終戦でPK弾…38歳ディ・ナターレが現役引退へ、指揮官転身は否定 - サッカーキング 2016年5月16日
  10. ^ 初のキャプテンマークの感動を語るディ・ナターレ Goal.com
  11. ^ World Cup 2010: Italy exit as Slovakia turf out reigning champions”. The Guardian (24 June 2010 |). 2017年5月28日閲覧。
  12. ^ “元伊代表FWディ・ナターレ、セリエCのカッラレーゼ監督に就任!”. (2021年4月22日). https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=394884 2021年11月9日閲覧。 

外部リンク編集