サッカートルコ代表
サッカートルコ代表(サッカートルコだいひょう、トルコ語: Türk Milli Futbol Takımı)は、トルコサッカー連盟(TFF)によって編成されるトルコのサッカーのナショナルチームである。
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国または地域 |
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協会 | トルコサッカー連盟 | |||
FIFAコード | TUR | |||
愛称 | Ay-Yıldızlar(月星軍団) | |||
監督 |
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最多出場選手 | リュシュテュ・レチベル(120試合) | |||
最多得点選手 | ハカン・シュキュル(51得点) | |||
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初の国際試合 |
1923年10月26日対ルーマニア 2-2 | |||
最大差勝利試合 |
1949年11月20日対シリア 7-0 1954年6月20日対韓国 7-0 | |||
最大差敗戦試合 |
1968年4月24日対ポーランド 0-8 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 2回(初出場は1954) | |||
最高成績 | 3位(2002) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 4回 | |||
最高成績 | ベスト4(2008) | |||
歴史編集
1923年にトルコサッカー連盟が設立され、同年国際サッカー連盟(FIFA)に加盟したが、地域連盟には未加盟のまま活動を続けた。1923年10月26日のルーマニア戦がトルコ代表初の国際試合となった。1950年ブラジルワールドカップ予選でワールドカップ予選に初参加し、1次予選のシリア戦で7-0で勝利し最終ラウンドに進出した。最終予選の対戦国はオーストリアとなったが、同国が対戦を辞退したため自動的にトルコの出場が決まったかに思われた。しかし、トルコも出場を辞退したため本大会出場は成らなかった。
1954年スイスワールドカップ予選ではスペインとの対戦となり1勝1敗の後、中立地イタリアでのプレーオフも2-2で引き分けに終わり、抽選の結果1954年スイスワールドカップ初出場を決めた。1954年の本大会ではグループリーグを1勝1敗の成績で決勝トーナメント進出をかけた西ドイツとのプレーオフに進んだが2-7で敗れた。1958年スウェーデンワールドカップ地区予選アジア・アフリカ予選に出場したが、1次ラウンドでイスラエルとの対戦を拒否し棄権した。依然として地域連盟未加盟だったが、1960年第1回欧州ネイションズカップ(現UEFA欧州選手権。EURO)予選ラウンドに出場し、1回戦でルーマニアと対戦することになった。1958年11月2日の第1戦はアウェイで0-3で敗れ、1959年4月26日の第2戦はホームで2-0で勝利したものの2試合合計2-3で敗退した[1]。 1962年トルコサッカー連盟は欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟した[2]。
UEFA加盟以降は欧州選手権も含めて出場がなく欧州の中では弱小国と見なされ続けてきたが、1993年にファティ・テリムが代表監督就任すると実力を付け始め、UEFA欧州選手権1996予選ではスイスやスウェーデンを退けて初出場。1996年の本大会は3戦全敗でグループリーグ敗退となったが、UEFA欧州選手権2000予選も突破を果たし2大会連続出場を果たすと2000年の本大会はベスト8に進出した。
2002 FIFAワールドカップではハカン・シュキュル、リュシュテュ・レチベルらの活躍によりグループリーグを1勝1分1敗で2位通過。決勝トーナメントでは開催国の日本、セネガルに勝ち、ベスト4に進出した。準決勝ではブラジルには敗れたが、3位決定戦で開催国の韓国を破り3位入賞となった。UEFA欧州選手権2004予選は突破を逃し、2006年ドイツワールドカップの欧州予選ではスイスとのプレーオフを2試合合計4-4で終えるが、アウェイゴールルールによって初の連続での本大会出場はお預けとなった。しかしUEFA欧州選手権2008予選では、引分以下ならノルウェーが2位突破となっていた最終戦でボスニア・ヘルツェゴビナを相手にホームで1-0で勝利し、予選C組をギリシャに次ぐ2位で終え、2大会ぶり3度目の欧州選手権出場を果たした。2008年の本大会ではグループリーグ初戦のポルトガル戦を0-2で落としたが、第2戦のスイス戦と第3戦のチェコ戦では試合終了間際に逆転する粘りを見せ、2大会ぶりに決勝トーナメントに進んだ[3]。準々決勝のクロアチア戦でも延長終了間際の120分に1-1の同点に追いつき、さらにPK戦の末に3-1で勝利を収めて初の準決勝進出を果たした[3]。
2010 FIFAワールドカップ予選ではスペインとボスニア・ヘルツェゴビナに競り負け、予選敗退となった。
UEFA EURO 2016では予選ではグループAに入り、最初に2連敗した後は無敗を続け、引き分けならプレーオフに回ることとなっていた最後のホームのアイスランド戦では退場者を出しながら、89分のセルチュク・イナンの直接FKによって1-0で勝利し各グループ3位の中で最高成績を収めて2大会ぶりに予選突破を果たした。本大会ではチェコに勝利したが、グループリーグで敗退した。
FIFAワールドカップでは、2014年・2018年とヨーロッパ予選での敗退が続いている。
UEFAネーションズリーグ2018-19では、ロシア、スウェーデンと同じくリーグBのグループ2入ったがアウェーのスウェーデン戦を3-2で競り勝った1勝のみしか挙げられず、1勝3敗の3位でリーグCへ降格となった。
FIFAワールドカップの成績編集
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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1930 | 不参加 | ||||||
1934 | 棄権 | ||||||
1938 | 不参加 | ||||||
1950 | 予選突破・ただし棄権 | ||||||
1954 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 10 | 11 |
1958 | 棄権 | ||||||
1962 | 予選敗退 | ||||||
1966 | |||||||
1970 | |||||||
1974 | |||||||
1978 | |||||||
1982 | |||||||
1986 | |||||||
1990 | |||||||
1994 | |||||||
1998 | |||||||
2002 | 3位 | 7 | 4 | 1 | 2 | 10 | 6 |
2006 | 予選敗退 | ||||||
2010 | |||||||
2014 | |||||||
2018 | |||||||
合計 | 出場2回 | 10 | 5 | 1 | 4 | 20 | 17 |
UEFA欧州選手権の成績編集
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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1960 | 予選敗退 | ||||||
1964 | |||||||
1968 | |||||||
1972 | |||||||
1976 | |||||||
1980 | |||||||
1984 | |||||||
1988 | |||||||
1992 | |||||||
1996 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 5 |
2000 | ベスト8 | 4 | 1 | 1 | 2 | 3 | 4 |
2004 | 予選敗退 | ||||||
2008 | 3位 | 5 | 2 | 1 | 2 | 8 | 9 |
2012 | 予選敗退 | ||||||
2016 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4 |
合計 | 出場4 回 | 15 | 4 | 2 | 9 | 13 | 22 |
FIFAコンフェデレーションズカップの成績編集
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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2003 | 3位 | 5 | 2 | 1 | 2 | 8 | 8 |
合計 | 出場1回 | 5 | 2 | 1 | 2 | 8 | 8 |
歴代監督編集
- ゼップ・ピオンテック 1990-1993
- ファティ・テリム 1993-1996
- ムスタファ・デニズリ 1996-2000
- シェノル・ギュネシュ 2000-2004
- エルスン・ヤナル 2004-2005
- ファティ・テリム 2005-2009
- オウス・チェティン 2010
- フース・ヒディンク 2010-2011
- アブドラ・アブジュ 2011-2013
- ファティ・テリム 2013-2017
- ミルチェア・ルチェスク 2017-2019
- シェノル・ギュネシュ 2019-
選手編集
主要大会のメンバー編集
FIFAワールドカップ
UEFA欧州選手権
主な歴代選手編集
GK
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DF
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MF
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FW
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記録編集
キャップ編集 水色は現役代表選手
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得点編集 水色は現役代表選手
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脚注編集
- ^ UEFA EURO 1960 - UEFA.com 2012年12月10日閲覧
- ^ Turkey - UEFA.com 2012年12月10日閲覧
- ^ a b Indomitable Turkey believe in miracles - UEFA.com 2010年8月28日閲覧