ジョルジ・デ・アモリン・カンポス
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・アモリン、第二姓(父方の姓)はカンポスです。(Template:ポルトガル語圏の姓名) |
ジョルジーニョ (Jorginho) こと、ジョルジ・デ・アモリン・カンポス(Jorge De Amorim Campos、1964年8月17日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは右ディフェンダー (サイドバック) 、ミッドフィールダー(ボランチ)。
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
ジョルジ・デ・アモリン・カンポス Jorge De Amorim Campos | |||||||||||||
ラテン文字 | JORGINHO | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1964年8月17日(56歳) | |||||||||||||
出身地 | リオデジャネイロ | |||||||||||||
身長 | 175cm | |||||||||||||
体重 | 69kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | DF | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1982-1984 |
![]() | 20 | (0) | |||||||||||
1984-1989 |
![]() | 188 | (7) | |||||||||||
1989-1992 |
![]() | 87 | (9) | |||||||||||
1992-1995 |
![]() | 67 | (6) | |||||||||||
1995-1998 |
![]() | 103 | (18) | |||||||||||
1999 |
![]() | 13 | (1) | |||||||||||
2000-2001 |
![]() | 28 | (2) | |||||||||||
2002 |
![]() | 4 | (0) | |||||||||||
通算 | 510 | (42) | ||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1987-1996 |
![]() | 64 | (3) | |||||||||||
監督歴 | ||||||||||||||
2006 |
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2006-2010 |
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2010 |
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2011 |
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2012 |
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2013 |
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2013 |
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2014 |
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2015-2016 |
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2017 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2017年1月13日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴編集
生い立ち編集
幼い頃に父親を事故で亡くし、貧しい少年時代を過ごした。13歳の時に地元リオデジャネイロのアメリカFCに入団した[1]。入団テストはセンターバックとして受けたが、身長不足のためサイドバックに転向し、機敏性と身体能力を武器にで頭角を現し、17歳の時に監督のエドゥの目に止まり、プロデビューを果たした[2]。
現役時代編集
1985年にCRフラメンゴに移籍し、ジーコらとともに1986年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権と、1987年のブラジル全国選手権制覇に貢献、同年6月にエクアドル戦でブラジルフル代表デビューを果たし、その試合でゴールも決めた[3]。1988年にはソウルオリンピックブラジル代表に選ばれ、銀メダルを獲得した。1989-90シーズンにドイツのバイエル・レバークーゼンに移籍。199-92シーズンにはブンデスリーガでウーベ・バインの16アシストに次ぐ、2位となる14アシストを記録した[4][5]。1992-93シーズンからFCバイエルン・ミュンヘンに移籍、右サイドバックや右サイドハーフとしてプレーし、すぐにチームに馴染み、ファンにも愛された[6]。同シーズンは10アシストを記録した[7]。1993-94シーズン、カイザースラウテルンと激しく優勝を争う中、第34節のシャルケ04戦では疲労からの体調不良でベンチスタートとなったが、前半20分から出場し、勝利を決定的とするゴールを決めて勝利に貢献、この結果チームはカイザースラウテルンに勝ち点1差で優勝を果たした[6][8]。またマジーニョと共に、マイスターシャーレを掲げた最初のブラジル人選手となった[6]。1994-95シーズン途中までバイエルンでプレー、キャプテンを務めたこともあった[9]。ブンデスリーガでは通算154試合15ゴール39アシストの成績を残した[10]。
1990 FIFAワールドカップ、1994 FIFAワールドカップではレギュラーメンバーとしてプレーした。1994 FIFAワールドカップ本大会では全試合に先発出場[11]、グループリーグ第2戦カメルーン代表戦でマルシオ・サントスのゴールをアシスト[12]、準決勝のスウェーデン戦ではクロスでロマーリオの決勝ゴールをアシストして決勝進出に貢献[13][14]、決勝のイタリア戦では前半20分に負傷でカフーとの交代を余儀なくされたが、母国のワールドカップ優勝に貢献した。アントラーズ在籍時にはコパ・アメリカ1995に出場し、1995年8月9日に日本で行われた日本戦が代表最後の出場となった。
1994-95シーズンの途中、バイエルンがヨーロッパの他クラブへの放出を渋り、鹿島の監督を務めていた、ジーコの兄のエドゥーに誘われ[15]、1995年に鹿島アントラーズへ移籍。鹿島では右サイドバックやボランチとしてプレーした。Jリーグファーストステージの開幕戦、1995年3月18日横浜マリノス戦で初出場、Jリーグ初ゴールは3月25日のサンフレッチェ広島戦[16]。1996年にはリーグ優勝を果たし、Jリーグ年間最優秀選手賞とベストイレブンに選出された[17]。1997年、ヤマザキナビスコカップ準決勝、名古屋グランパスエイト戦の1stレグでは決勝ゴールを決め[18]、決勝、ジュビロ磐田戦の1stレグでも決勝ゴールを決めて勝利に貢献、鹿島は2ndレグでも勝利し優勝を果たした[19]。1998年はチャンピオンシップでジュビロ磐田を破り、Jリーグ年間優勝を果たした。Jリーグでは通算108試合17ゴールの成績を残した[16]。1999年にブラジルに帰国しサンパウロに加入、2000年からプレーしたヴァスコ・ダ・ガマでは第1回FIFAクラブワールドカップに出場、コリンチャンスに決勝で敗れ準優勝。2003年に現役引退した。
引退後編集
引退後はいったん代理人業に従事するが、2006年に初めて在籍したクラブであるアメリカFCの監督として現場に復帰。同年夏からはドゥンガ監督のもとでブラジル代表のヘッドコーチに就任した。ワールドカップ・南アフリカ大会終了後は2010年にゴイアスEC、2011年にはフィゲイレンセFCの監督を歴任。フィゲイレンセでは、財政的に余力があるわけでもなく、知名度のある選手を補強することなく戦った同クラブを、シーズン終盤までコパ・リベルタドーレス出場権を争うチームに作り上げ、最終的に20チーム中の7位に導いた。この功績が評価され、ジョルジーニョは同年のリーグ最優秀監督候補の3人の中の1人に選出された。[20]
2012年、古巣である鹿島アントラーズの監督に就任[21]。同年のナビスコカップとスルガ銀行チャンピオンシップを制覇したが、1年限りで退任した。
2013年3月17日、古巣CRフラメンゴの監督に就任したが、6月7日に解任。8月25日、AAポンチ・プレッタの監督に就任。しかし、12月13日に解任。
2014年4月13日、2014-15シーズンからアル・ワスルFCの監督に就任する事が発表された[22]。
2015年8月17日、CRヴァスコ・ダ・ガマの監督に就任[23]。
人物編集
2000年、貧しい子供たちのための施設「Bola pra frente」(ボーラ・プラ・フレンチ)をリオ市郊外グァダルッピ地区に設立、現在施設では6歳~17歳の約900人の少年少女たちがその年齢に合わせて学芸やスポーツ、職業訓練などを学んでいる。
2019年に雑誌Numberのアンケートで、これまでJリーグでプレーした最強の外国人DF部門で第2位に選ばれた[25]。
個人成績編集
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1983 | アメリカ-RJ | 8 | 0 | ||||||||
1984 | 12 | 0 | |||||||||
1985 | フラメンゴ | 12 | 0 | ||||||||
1986 | 21 | 1 | |||||||||
1987 | 15 | 1 | |||||||||
1988 | 7 | 0 | |||||||||
1989 | |||||||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
1989-90 | レバークーゼン | ブンデスリーガ | 20 | 2 | |||||||
1990-91 | 30 | 2 | |||||||||
1991-92 | 37 | 5 | |||||||||
1992-93 | バイエルン | 33 | 3 | ||||||||
1993-94 | 24 | 2 | |||||||||
1994-95 | 10 | 1 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | 鹿島 | - | J | 29 | 8 | - | 3 | 0 | 32 | 8 | |
1996 | - | 26 | 2 | 13 | 1 | 1 | 1 | 40 | 3 | ||
1997 | 2 | 31 | 5 | 12 | 7 | 5 | 4 | 48 | 16 | ||
1998 | 2 | 17 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 20 | 3 | ||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | サンパウロ | 13 | 1 | ||||||||
2000 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 13 | 1 | ||||||||
2001 | 22 | 1 | |||||||||
2002 | フルミネンセ | ||||||||||
2003 | |||||||||||
通算 | ブラジル | ||||||||||
ドイツ | ブンデスリーガ | 154 | 15 | ||||||||
日本 | J | 103 | 17 | 28 | 9 | 9 | 5 | 140 | 31 | ||
総通算 |
- その他の公式戦
- 1996年
- サントリーカップ 2試合0得点
- 1997年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1998年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- その他の国際公式戦
- 1997年 - 1998年
- アジアクラブ選手権 5試合2得点
- 1998年
- アジアカップウィナーズカップ 1試合0得点
代表歴編集
- 1983年 - 1995年 ブラジル代表
- 1987年 - コパ・アメリカ (GL敗退)
- 1988年 - ソウルオリンピック (銀メダル)
- 1990年 - FIFAワールドカップ (ベスト16、4試合0得点)
- 1994年 - FIFAワールドカップ (優勝、7試合0得点)
- 1995年 - コパ・アメリカ (準優勝)
監督成績編集
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ブラジル杯 | オープン杯 | |||
2006 | セリエC | アメリカ-RJ | ||||||||
2010 | セリエA | ゴイアス | 19位 | 33 | 38 | 8 | 9 | 21 | ベスト16 | |
2011 | フィゲイレンセ | 7位 | 58 | 38 | 15 | 13 | 10 | |||
年度 | 所属 | クラブ | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 |
2012 | J1 | 鹿島 | 11位 | 46 | 34 | 12 | 10 | 12 | 優勝 | ベスト4 |
獲得タイトル編集
選手時代編集
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA:1回 (1987)
- カンピオナート・カリオカ:1回(1986)
- キリンカップ:1回 (1988)
- ブンデスリーガ:1回 (1993-94)
- Jリーグ:2回 (1996, 1998)
- ヤマザキナビスコカップ:1回 (1997)
- 天皇杯:1回 (1997)
- FUJI XEROX SUPER CUP:2回 (1997, 1998)
- ブラジル代表
- FIFAワールドカップ:1回(1994)
- FIFAワールドユース選手権:1回(1983)
- 個人
- FIFAフェアプレー賞:1回(1991)
- FIFAベストイレブン:1回(1991)
- FIFAワールドカップベストイレブン:1回(1994)
- Jリーグ最優秀選手賞 : 1996
- Jリーグベストイレブン : 1996
- ヤマザキナビスコカップMVP : 1997
- アントラーズ功労賞 : 2009
指導者時代編集
クラブ編集
- ヤマザキナビスコカップ:1回 (2012)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回 (2012)
- カンピオナート・カリオカ:1回(2016)
関連項目編集
脚注編集
- ^ 「南米あの人はいま」footballista、ソルメディア、2009年3月18日号、37頁
- ^ Sports Graphic Number、文藝春秋、1995年3月16日号、24-27頁
- ^ サンスパーク カップ1995(日本代表xブラジル代表) 大会公式パンフレット p10-11
- ^ “bundesliga 1991-92”. kicker.deleague. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “jorginho bundesliga 1991-92”. kicker.deleague. 2020年4月9日閲覧。
- ^ a b c “FC Bayern's Brazilians”. FC Bayern Munchen 2021年3月11日閲覧。
- ^ “jorginho bundesliga 1992-93”. kicker.deleague. 2020年4月9日閲覧。
- ^ ストライカー 1994年6月19日号 P.58-59 学研
- ^ “ジョルジーニョの告白 鹿島移籍時ジーコは私をほしくはなかった その3”. sportiva.shueisha.co.jp. 2020年5月9日閲覧。
- ^ “bundesligajorginho”. kicker.deleague. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “Jorginho FIFA Copa do Mundo”. sporting-heroes.net. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “Brazil-Cameroon June 24 1994 Match sheet”. transfermarkt.com. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “サッカー世界遺産「1994年W杯のブラジル代表」【連載第2回】”. soccermagazine. 2020年10月29日閲覧。
- ^ “Sweden-Brazil Jul13 1994 Match sheet”. transfermarkt.com. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “ジョルジーニョの告白 鹿島移籍時 ジーコは私をほしくはなかった その4”. sportiva.shueisha.co.jp. 2020年5月9日閲覧。
- ^ a b “ジョルジーニョ”. data.j-league.. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “鹿島アントラーズ、歴代最強外国籍選手5人。神様ジーコに続く、常勝軍団を作り上げたブラジル人たち”. data.j-league.. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “97Jリーグヤマザキナビスコカップ 準決勝戦第1戦”. data.j-league.. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “97Jリーグヤマザキナビスコカップ 決勝戦第1戦”. data.j-league.. 2020年4月9日閲覧。
- ^ スポーツニッポン (2011年12月10日). “2011ブラジル全国選手権 中堅クラブを躍進させた元鹿島MFジョルジーニョ”. 2012年4月12日閲覧。
- ^ ジョルジーニョ氏の来季監督就任について合意 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト
- ^ Qoly.jp (2014年4月14日). “アル・ワスル、ジョルジーニョ監督の就任を発表”. 2014年4月14日閲覧。
- ^ “元鹿島のジョルジーニョ、降格圏に沈むヴァスコの監督に就任”. Qoly.jp (2015年8月18日). 2016年6月25日閲覧。
- ^ “元鹿島のジョルジーニョ監督、わずか「14試合」で解任”. Qoly.jp (2017年8月1日). 2016年10月10日閲覧。
- ^ Sports Graphic Number 2019年3月14日号 973号 文藝春秋社 Jリーグ最強外国人は誰だ 1993-2019 p12-13
外部リンク編集
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - ブラジルオリンピック委員会 (ポルトガル語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - Olympedia (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - National-Football-Teams.com (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - Soccerway.com (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - FootballDatabase.eu (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - WorldFootball.net (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- ジョルジ・デ・アモリン・カンポス - FIFA主催大会成績 (英語)
- ジョルジーニョ(ジーコ公式サイト:ライブラリ / 名選手列伝)