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モーリー・ロバートソン(Morley Robertson、1963年1月12日 - )は、日本を中心に活動している米国籍のタレント、DJラジオパーソナリティミュージシャンジャーナリストニューヨーク生まれの広島市育ち[1][official 1][2][3][4]

モーリー・ロバートソン
出生名 Morley Edmund Robertson
生誕 (1963-01-12) 1963年1月12日(56歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
学歴 東京大学(中退)
ハーバード大学
ジャンル ダブステップ
ドラムンベース
電子音楽
パンク・ロック
職業 DJミュージシャンラジオパーソナリティジャーナリスト作家通訳者
活動期間 1981年 -
公式サイト http://officemorley.com
著名使用楽器
Serge synthesizer

パートナー(事実婚)は女優の池田有希子

目次

来歴編集

アメリカ合衆国ニューヨーク生まれ。スコットランド系アメリカ人医師の父親と、毎日新聞社記者である日本人の母親のロバートソン黎子の間で出生[official 2][5][6]

1963年:生後2か月から、幼稚園に通う頃まではサンフランシスコに在住。

1968年:父の転勤で広島県広島市段原(現・南区)に移住[2][4][5][official 3][official 4]。父は比治山上の原爆傷害調査委員会(ABCC、現・放射線影響研究所)に勤務し原爆患者の調査にあたった[2][4][7][注 1]広島カープ初優勝に貢献したゲイル・ホプキンスが、引退後に医学生になるため、父が書いた推薦状を取りに家に来たことがあるという[4][8][official 5]。広島市の幼稚園を経て[official 3]、小学校5年生まで広島市のインターナショナルスクールで過ごす[official 3][official 4]。勉強は百科事典くらいある分厚い教科書を自分のペースで進めるなど競争のないゆったりとした雰囲気の環境だった[6]

1973年:完全に広島っ子になったと認識し[2]、「日本語漢字を使えるようになりたい」[6]と外国人のための学校を辞め、小学校5年の2学期から同市佐伯区公立小学校である広島市立五日市南小学校に転校[2][official 6][9]。「起立、気をつけ。礼」など日本の規律正しい学校生活に慣れるのは大変だった[6]

1975年:中学受験をし、広島藩校の流れをくむ男子進学校修道中学校にトップクラスの成績で入学する[2][4][official 7]。父の転勤で2年1学期末に修道中学校を中退し、米国ノースカロライナ州チャペルヒルに転居[5][official 8]。同年9月、チャペルヒルの公立校に入学したが、すぐにデューラム市の私立校に転校。ここで1年飛び級した。

1977年:父の転勤でサンフランシスコへ転居。同年9月、現地の公立高校に入学。のちに本人の強い希望で広島の修道高等学校に留学生として戻るも、1年後に当時流行っていたディスコに行くなどして「不良」の烙印を押されてしまい[6]、同校から自主退学[official 9][10][11][official 10]

その後、母の実家がある富山県高岡市に母や弟と移住[5][official 11]。当初、富山県立高岡高等学校は転入に難色を示し、聴講生の扱いでしばらく通学。その後に編入を認められた[official 12]。この頃、心の支えになったのが音楽だった。近くの工業高校生パンクバンドを組み市外でライブ活動もしていた[6]1981年3月、高校を卒業。

中高は日米を行き来したので教育システムの違いに困惑した。特に数学は米国ではプロセスを大切にしていたが、日本では受験を前提に公式を覚えることが多かった。英語が話せるにもかかわらず前置詞冠詞などを覚えて英語を学ぶのがもどかしかった[6]

東大に入ったらバンドの宣伝になると思い入試直前の3ヶ月はバンド活動を休んで猛勉強[6]

1981年4月:東京大学理科一類に入学[8][12]ハーバード大学マサチューセッツ工科大学スタンフォード大学イェール大学カリフォルニア大学バークレー校プリンストン大学の各大学にも合格[12]

しかしメディアから「天才」ともてはやされ、復帰を待っていたバンドメンバーからは「お前の脇役になってしまう」と言われ除名されてしまう[6]

東大在学中にプロミュージジャンデビューを果たす。だがパンクをやりたいのにメジャーな音楽が求められることに違和感を覚えた[6]

同年7月に東京大学中退。東大を4ヶ月で中退した理由について、自分も含め一緒に東大に入学した仲間達が「燃え尽きていた」と語っている。ただひたすら頭に詰め込む受験生時代を送り、その結果やっと東大に合格しても「今からまた勉強して人生を学ぼう」という雰囲気がキャンパスに無く、失望し心機一転ハーバード大学で学ぶことを選んだという[13]

ハーバードでは尋常ではない日々課せられる読書ノルマやリサーチの宿題の量、活発なタブーなき議論の応酬など、自由だが厳しい校風に体が染み込んでいった。しかし大学2年の後半にハーバードの知的な体力をひたすら求められる生活に根負けし自分の良さが発揮できる場所ではないと反発するようになった。翌年、ミニマル音楽の第一人者だったフィリップ・グラスのライブを観たり、ジョン・ケージと直接会話するなどして高揚しアートと実験音楽に身を投じることを決意した。パンクと即興演奏を組み合わせたようなグループを学内で結成[14]

日本語で高校生に至る少年期を綴った自叙伝を書く。これがヒットし森光子の「3時のあなた」に出演する[15]

魔術師霊能者を頻繁に訪ねてのオカルト修行、日本語で書いた自叙伝の映画化の話の浮上と頓挫、バンドメンバーとの確執などの休学期間を経てハーバード大学に復学[16]

電子音アニメーションを組み合わせたモンタージュ、聴覚と視覚の同時進行する作品が見る人に幻覚体験をもたらせることに可能性を感じ、電子音楽とアニメーションを専攻、視覚環境学部に進む[16]

1988年:ハーバード大学を卒業[17]。卒業制作は音と映像のモンタージュ作品だった。

人物編集

東大合格を目指したのは、自身が組んでいたバンドを有名にするためだったとのちに語っており、目論見通り18歳のときにミュージシャンとしてデビューしている。

欧米各国で合法化が進んでいる医療分野における大麻使用について、日本国内においてもっと議論すべきと主張しており、自身もアメリカで大麻を使用した経験があると語っている。またコカインの使用経験もあるが、当時のアメリカの州法では微罪であり、そちらについては既に時効が成立している。

富山県氷見市特産のブリが好物で、2018年に氷見市の観光親善大使「氷見市きときと魚大使」に就任した[18]

矢沢永吉の大ファンである[official 13]

現代音楽やモジュラー・シンセサイザーの専門家。最近はクラブDJをする場面が増え、「Block Party」などでメーンフロアに出演するなど活動している。

出演編集

ラジオ番組編集

  • Across The View (J-WAVE) - 1991 - 1997年、ナビゲーター・レギュラー出演。
  • NOMAD CITY〜The モーリー・ロバートソン計画〜 (J-WAVE) 2001 - 2003年、ナビゲーター・レギュラー出演。
  • Jam the WORLD (J-WAVE) - 2001年、木金ナビゲーター・レギュラー出演。
  • Elan Vital (Love FM) - 2006年、月火レギュラー出演。
  • Early Morley Bird (J-WAVE) 2004 - 2009年、日曜レギュラー出演。
  • Morley Robertson Show - 2012年 - レギュラー出演。
m-floの☆Taku Takahashiが主催するインターネット放送局block.fmで生放送している番組。トークとDJが中心で、合間に最新のクラブミュージックも紹介している。次の放送まで一週間アーカイブとして公開している。現在[いつ?]、毎週木曜21:00-22:30に放送中。

ネット配信編集

  • tibetronica(チベトロニカ)
2007年2月6日から3月22日まで、日本ポラロイドが協賛するアート・プロジェクト「tibetronica(チベトロニカ)」で総指揮を務め[19]チベット自治区新疆ウイグル自治区などへ渡航し現地取材した。この取材旅行には写真家の相田年一や女優の池田有希子も同行していた。現地から送られた映像や音声は、ビデオポッドキャストあるいはポッドキャストとして配信されたほか、公式ウェブサイトでも直接視聴ができた(ビデオポッドキャストで配信された映像は、YouTubeにも掲載され、それを公式ウェブサイトでシェアする形式をとった)。また、ライブドアが提供するねとらじを利用して、現地からインターネットラジオの生放送も行い、その一部も編集されポッドキャストとして配信された。
2007年6月15日にその活動報告会が催された[20]
  • モーリー・ロバートソン・チャンネル(ニコニコ生放送)
2014年-2017年、月2回レギュラー出演。

テレビ編集

レギュラー編集

CM編集

連載編集

  • 『メルマ旬報』水道橋博士が編集長を務めるメールマガジンのコラム「Into The 異次元」を連載中。[21]
  • 『週刊プレイボーイ』に「 モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中。
  • 『P+D MAGAZINE』に「モーリーのBOOK JOCKEY」を連載。[22]
  • 『Newsweek日本版』にコラム「点と線」を連載。[23]

著書編集

  • 『よくひとりぼっちだった』文藝春秋、1984年。ISBN 978-4163386706
  • 『ハーバードマン』(1991年、文藝春秋、ISBN 4163452303; ISBN 978-4163452302
  • 『魔術師の弟子』(1993年、自主出版)
  • 『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(2017年、集英社)
  • 『悪くあれ!窒息ニッポン、自由に生きる思考法』(2017年、スモール出版)

「知的サバイバル」シリーズ

  • 『自分を信じていい時代 水平化した世界で生まれる多様性』(2013年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
  • 『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第1回 知識×直感=しなやかな強さ』(2013年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
  • 『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第2回 煽動・プロパガンダ』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
  • 『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第3回 洗脳・マインドコントロール』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
  • 『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第4回 善意の力と現実』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
  • 『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第5回 失敗した麻薬との戦争』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
  • 『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 第6回 ルールが変わった世界で自由に生きるために』(2014年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)
  • 『モーリーの「知的サバイバル」セミナー 番外編01 学生との対話「プランBを持って世界へ!」』(2013年、カドカワ・ミニッツブック、電子書籍)

ディスコグラフィー編集

  • 空からモーリーが降って来る(徳間ジャパン1996年2006年
  • 疾風怒涛る(いぬん堂出版、2003年
  • Be-nas (プラズマ・レーベル、1997年)
  • 無題(自主出版、1996年
  • ハイパー・ギター・デュオ(日本カセット・テープ・レコーヂング)
    「モーリー・ロバートソン+ツタキ・シュンジ」名義によるギター・ライブ盤。
  • スーパー「突然段ボール+チコ・ヒゲ+モーリー・ロバートソン」名義。(徳間ジャパン1995年
  • かみさまレボリューション(日本カセット・テープ・レコーヂング、1994年
  • トラッシュアート(自主出版、1984年・1996年・2007年)
  • ストイック・哀愁ゼミナール(CBSソニー1981年8月)

Dubstep DJ Mix

  • Morley's Beautiful Melody Mix(2013年、Beatport、Dubstep DJ Mix)
  • Dubstep with the Serge Analog(2013年、Beatport、Dubstep DJ Mix)
  • This Is Your Brain On Dubstep(2013年、Beatport、Dubstep DJ Mix)

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。モーリーの家族の認識は、父が被爆者の健康が戻るように助けているんだという意識であったという[2]

出典編集

自社資料
その他
  1. ^ モーリー・ロバートソン チャンネル
  2. ^ a b c d e f g “核なき世界 - NHKオンライン”. 週刊ニュース深読み (NHK総合テレビジョン). (2017年8月8日). オリジナルの2016年8月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160814120429/https://www.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2016/160521.html 2018年7月19日閲覧。 
  3. ^ フジテレビ『ユアタイム~あなたの時間~』に見る可能性
  4. ^ a b c d e “国際ジャーナリスト モーリー・ロバートソン氏と学長の対談(広告)を新聞に掲載しました”. 広島大学. (2017年8月8日). オリジナルの2018年7月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180715025738/https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/41118 2018年7月19日閲覧。 
  5. ^ a b c d モーリー・ロバートソン×平川克美「ラジオの街で逢いましょうプラス1」
  6. ^ a b c d e f g h i j 「スクールデイズ 日米 教育の違いに困惑」読売新聞 朝刊 2018年12月6日 p.18
  7. ^ ぼくは「被爆者に差別されるアメリカ人の子供」だった - Togetter
  8. ^ a b 水道橋博士の「博士の悪童日記」 : 7月24日 火曜日 - ライブドアブログ
  9. ^ タモリ倶楽部がいつもより遅くてチャンネルを回してたら...
  10. ^ モーリー・ロバートソン 学校への反発心で東大に合格 - 日経DUAL
  11. ^ モーリー・ロバートソンのBOOK JOCKEY【第7回】~ロックは必ずしも反アベではない~
  12. ^ a b サンデー毎日、1981年8月23日号pp.11-13
  13. ^ モーリー・ロバートソン氏、東大を4か月で中退したワケ「合格して燃え尽きた」
  14. ^ モーリー・ロバートソンが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」①その青春の軌跡 モーリーのBOOK JOCKEY【第2回】p+dmagazine
  15. ^ モーリー・ロバートソンが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」②その青春の軌跡 モーリーのBOOK JOCKEY【第3回】
  16. ^ a b モーリー・ロバートソンが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」(最終回)その青春の軌跡 モーリーのBOOK JOCKEY【第5回】pdmagazine
  17. ^ プロフィール”. Office Morley. 2016年3月18日閲覧。[リンク切れ]
  18. ^ モーリー・ロバートソンさんにきときと魚大使を委嘱!
  19. ^ ポラロイド社とモーリー・ロバートソンの共同ウェブ発信計画スタート 豪華製作メンバーが創る 〜真実・感動・楽しさ!〜(日本ポラロイド株式会社サイト内)
  20. ^ 日本ポラロイドが「チベトロニカ・プロジェクト」の活動報告会(六本木経済新聞)
  21. ^ 水道橋博士のメルマ旬報 - BOOKSTAND
  22. ^ モーリーのBOOK JOCKEY - P+D MAGAZINE
  23. ^ コラム『点と線』 - Newsweek日本版

外部リンク編集