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ワッキー1972年7月5日 - )は、日本お笑い芸人であり、お笑いコンビペナルティのボケ担当。本名、脇田 寧人(わきた やすひと)。一部では"カゴマン"と言われている。

ワッキー
本名 脇田 寧人(わきた やすひと)
生年月日 (1972-07-05) 1972年7月5日(46歳)
出身地 日本の旗 日本北海道釧路市
血液型 B型
身長 178cm[1]
言語 日本語
方言 共通語
最終学歴 専修大学経済学部中退
コンビ名 ペナルティ
相方 ヒデ
芸風 コント(ボケ)、顔芸、一発ギャグ
立ち位置
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京
活動時期 1994年 -
同期 ロンドンブーツアンジャッシュ など
配偶者 既婚

北海道釧路市出身(公称)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型B型。身長178cm、体重68kg。右利き

目次

来歴編集

父方の祖母の実家が北海道釧路管内川上郡標茶町磯分内の脇田商店であり、親戚一同足が速いのが近所の自慢であった。

父親の仕事の都合で19回南アフリカに渡り、そのうち中学1年生 - 中学2年生の冬まで、北海道釧路市で育つ。そのとき在籍していたのが、釧路市立東中学校(現:幣舞中学校)である。当時はサッカー部で活動していた。

高校は船橋市立船橋高等学校(市船)に進学し強豪のサッカー部に入部。布啓一郎監督の下で厳しい練習に明け暮れ、あまりの厳しさに合宿所から夜逃げする者もいたほどだったが[2] 、この練習を耐えた部員達は試合前に「やってきたことが他とは違う」と仲間で言い合い士気を高めていたという[2]

専修大学経済学部に入学後もサッカー部に所属し、プロサッカー選手を目指して精進していたが、膝を壊したことでプロへの夢を諦めることになった。この怪我で自身の将来を悲観したワッキーはサッカー部の合宿所を秘かに脱走し、大学も中退することとなった。

その後、日本のタイ料理店等でアルバイトをしていた。タイ料理店で一緒に働いていたタイ人の女性が帰国するが、彼女を追ってタイへ行きタイ語もマスターした。

紆余曲折した後、日本に帰国。専修大学の寮を訪ねた時に、先輩である中川秀樹(ヒデ)に誘われる形で1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成。同期にはロンドンブーツ1号2号などがいる。ヒデの方が1学年上である。

2007年に2歳年下の一般人女性と結婚。入籍直前に『ロンドンハーツ』のスペシャル番組中(生放送)にて、相方ヒデとロンドンブーツ1号2号により仔細を世間に暴露されるというコーナーが放送された[3] 。2008年に第一子が誕生。

2012年11月、40歳でNHK番組「地球イチバン」の企画で参加した「サハラ砂漠レース (SAHARA RACE)」[4]七日間約250kmを完走。

人物編集

芸風編集

ペナルティとしてのコントネタでは濃いキャラクターを演じる。体毛の濃さをネタにしたり[5] 、オリジナルの歌を歌うことも多い。

テレビなどでは一発ギャグを主に披露するがスベることも多い。渾名の命名者として知られる有吉弘行につけられた渾名は「クソすべり芸人[6] 」。ギャグのレパートリーとしては「男性ホルモン受信中」、「お化けの救急車」(ほかの芸人も乗っかる)、「芝刈り機」、「一、二行進」、「半分マン[7] などがある。ネタ中に野口五郎のモノマネをやることがある[8] 。野口のモノマネをする時はほぼ毎回「私鉄沿線」 を歌う。

「芝刈り機」のギャグに関しては元サッカースペイン代表ラウル・ゴンサレスが、2009年4月にスペインのテレビ番組で「人生で一番可笑しかったことは?」との問いに「ジャパンツアーに行ったときに日本のテレビに出演して、そこで日本人のコメディアンがやった芝刈り機のものまね」と答えている。これはめちゃ×2イケてるッ!やべっち寿司にてワッキーが披露したものである[9][2]。また、この時にラウルと一緒に番組に出演していたフェルナンド・モリエンテスも、「芝刈り機」のギャグを 「すごく面白かった」と語っている[10]。そのワッキーはヒデ、マネージャーと移動している際に二人と遭遇し、大ファンである二人と握手している際には跪いてしまうほど感激していた。

なおワッキーは自分の芸風について

誰かを傷つけるようなブラックなことはやりたくない。とことんバカっていうネタが持ち味だと思ってる。わかる人だけにわかればいいや、っていうのも好きじゃないが、難しいことはできないっていうのもあるんですけど(笑)。

と述べている[11]

サッカー編集

市立船橋高校サッカー部のチームメイトには2学年先輩に野口幸司小川誠一、1学年先輩に中川秀樹(ヒデ)庄司孝、同級生に永田崇、1学年後輩に高田昌明和田潤、2学年後輩に鬼木達水野淳がいる。

高校生活最後の試合は第69回全国高等学校サッカー選手権大会2回戦の清水商業高校戦。この試合で本来はフォワード登録だったが監督から「お前はボールを見なくていいから名波だけ見ていろ」と相手の司令塔・名波浩へのマンツーマンディフェンスを指示された[2]。試合は市船が1点をリードする展開ながら終了間際に名波に同点ゴールのアシストを許し、試合もPK戦で敗れ、ワッキー本人も「試合としては全然、面白くなかった」と述べているが、翌日の新聞には「脇田が名波を抑えたから良い試合になった」と試合でのプレーを賞賛された[2]

専修大学サッカー部では元川崎フロンターレ源平貴久と同期。2006年にペナルティとしてサッカーの本を出版した際には、同部の監督となっていた源平が技術監修を担当した[12]

2010年1月の名波の引退試合に「STELLE JUBILO(ステッレ・ジュビロ)」の一員として参加。同年6月の林健太郎の引退試合にも「林健太郎とゆかいな仲間たち」の一員として参加している。また6月には吉本の芸人たちで結成した、よしもとサッカー部の代表メンバーとして『キャプテン翼』の作者高橋陽一率いる芸能人女子フットサルチーム南葛シューターズと対戦した[13]

スポーツ特番での活躍編集

ワッキーは「お笑い界一」と称されたこともある程の身体能力の持ち主であり、加えてお笑い界屈指の筋肉芸人として知られている。その実力は民放で行なわれる「スポーツ特番」(TBS筋肉番付シリーズ)などで、過去に数々の優秀な成績を収めていることからも見て取れる。

  • スポーツマンNo.1決定戦芸能人サバイバルバトルに過去6回出場し、2007年に行われた新王座チャレンジバトル、第18回大会で計2回総合No.1となっている。プロスポーツマン大会には過去3回出場し、2006年は仕事の都合上、BURN OUT GUYS、MONSTER BOX、QUICK MUSCLEのみの出場となったが、2008年の第14回ではフル参戦を果たし、並みいるトップアスリート相手に総合6位入賞を果たす。2009年の第15回大会では総合3位入賞を果たしている。同大会のTAIL IMPOSSIBLE(400m×4の持久走)では並み居るプロの強豪相手に堂々の2大会連続No.1となっている。第15回の決勝レースは当時鹿島アントラーズ青木剛興梠慎三のサッカー日本代表2人とのデッドヒートを制してのNo.1だった。
  • SASUKEにも出場しており、2011年の第27回大会、2013年の第29回大会、2014年の第30回大会で2ndSTAGEまで進出している。
芸能人サバイバルバトル
大会 放送日 総合順位
第13回大会 2004年4月5日 4位
第14回大会 2005年4月5日 2位
第16回大会 2006年3月29日 途中棄権
第17回大会 2006年10月4日 4位
新王座CB 2007年3月30日 No.1
第18回大会 2007年10月5日 No.1
プロスポーツマン大会
大会 放送日 総合順位
第12回大会 2006年1月1日
第14回大会 2008年1月1日 6位
第15回大会 2009年1月3日 3位
SASUKE
大会 ゼッケン STAGE 記録 備考
第20回大会 1997 1st ハーフパイプアタック
第21回大会 94 1st ジャンピングスパイダー
第22回大会 89 1st ジャンピングスパイダー
第23回大会 89 1st スライダージャンプ
第24回大会 21? 1st ハーフパイプアタック
第27回大会 92 2nd ダブルサーモンラダー 2回目で落下、芸人による2nd進出は第11回大会なかやまきんに君以来
第28回大会 85 1st ロープラダー タイムアップ
第29回大会 86 2nd スワップサーモンラダー
第30回大会 2982 2nd スワップサーモンラダー
SASUKE通算成績
出場数 2nd進出 3rd進出 FINAL進出 最優秀成績
9回 3回 0回 0回 0回

その他編集

100m走を11秒台で走り切れる。

左利きであるが、サッカーの試合などでプレーする際は、右足利きである。

大学中退後にタイ料理店でアルバイト勤務をしていたことからタイ好きである[14][15] 。タイ王国に数か月在住した経験により、日常に困らない程度のタイ語を話すことができ[15]初体験もタイ人である。

出演編集

テレビ番組編集

レギュラー
ドラマ・特撮
その他

CM編集

舞台編集

  • MOTHER マザー~特攻の母 島濱トメ物語~(2016年4月、新国立劇場) - 特攻隊長 役[17]

イベント編集

脚注・出典編集

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  1. ^ 笑いの金メダル内で測定した際は175cmであった
  2. ^ a b c d e “スペシャルインタビュー Vol.3「ペナルティ」”. J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう!ONLINE. (2010年). http://www.j-saka-online.com/hangame/library/interview/vol03/ [リンク切れ]
  3. ^ “ペナルティ·ワッキーが生放送で結婚発表!”. ORICON STYLE. (2007年10月9日). http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/48697/ 
  4. ^ サハラマラソン」とは別である。
  5. ^ “ペナルティ・ワッキー「毛深いので実はもう危ない」”. ZAKZAK. (2006年2月8日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_02/g2006020805.html 
  6. ^ “元「猿岩石」有吉弘行 再ブレイクまで援助してくれた人”. J-CASTニュース. (2008年11月22日). http://www.j-cast.com/2008/11/22030839.html 
  7. ^ “FLOW新作発売を記念し、宣伝部長“1 / 3マン”がSHIBUYA TSUTAYAで宣伝活動!”. CDJournal.com ニュース. (2011年3月9日). http://www.cdjournal.com/main/news/flow/37178 
  8. ^ “ペナルティ インタビュー”. escala cafe. (2005年11月21日). http://escala.jp/entertainment/interview/051121/index.html 
  9. ^ “ラウル、人生で一番可笑しかったのは芝刈り機のものまね”. サポティスタ. (2009年7月12日). http://supportista.jp/2009/07/news12053024.html 
  10. ^ “モリエンテス氏、ワッキーの一発ギャグに衝撃「すごく面白かった」”. SANSPO. (2017年7月21日). http://www.sanspo.com/soccer/news/20170721/wor17072120300001-n1.html 
  11. ^ “ペナルティ インタビュー#03”. escala cafe. (2005年11月21日). http://escala.jp/entertainment/interview/051121/03.html 
  12. ^ 源平貴久 技術監修 『ペナルティと一緒に!ファンファンサッカー : サッカーをもっと楽しむ本』 グッドクール、2005年ISBN 4-903110-00-1
  13. ^ “よしもとサッカー部発足! キャプテン翼スタジアムで初試合”. 横浜ウォーカー. (2010年6月12日). http://news.walkerplus.com/2010/0612/12/ 
  14. ^ “ペナルティ・ワッキー「タイは世界で一番面白いところ」”. ZAKZAK. (2007年4月3日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_04/g2007040305.html 
  15. ^ a b “ペナルティ·ワッキー「タイのスターになる」と路線変更宣言”. ORICON STYLE. (2008年5月31日). http://www.oricon.co.jp/news/movie/55087/full/ 
  16. ^ “芸人VSなでしこJAPAN「炎の体育会TV」初回でサッカー対決”. お笑いナタリー. (2011年10月10日). http://natalie.mu/owarai/news/57774 
  17. ^ ワッキー念願の特攻隊長役、阿藤快さん遺作舞台”. 日刊スポーツ (2016年2月24日). 2016年2月24日閲覧。
  18. ^ 約200人のリーガファンが熱狂! PVイベント「クラシコ祭」を開催”. サッカーキング (2017年12月25日). 2017年12月30日閲覧。

外部リンク編集