上祐史浩

日本の宗教思想家 (1962-)
上祐から転送)

上祐 史浩(じょうゆう ふみひろ、1962年昭和37年〉12月17日 - )は、日本の宗教思想家、心理学研究家、ひかりの輪代表。

オウム真理教徒
上祐 史浩
誕生 (1962-12-17) 1962年12月17日(61歳)
福岡県三潴郡城島町
(現・久留米市
出身校 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程
ホーリーネーム マイトレーヤ
ステージ 正大師
教団での役職 外報部長
緊急対策本部長
アーレフ代表
入信 1986年8月(2007年アーレフを脱会)
関係した事件 亀戸異臭事件
国土利用計画法違反事件
判決 懲役3年
現在の活動 ひかりの輪代表(2007年アーレフを脱会)
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アーレフ(現Aleph・旧オウム真理教)元代表で同宗教法人の責任役員であった[1]。2007年3月にアーレフを脱会、2007年5月にひかりの輪を設立。

オウム信者としての名前(ホーリーネーム)は、マイトレーヤであった。

概要

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福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)にて九州大学出身で福岡銀行に勤める父と、福岡学芸大学(現:福岡教育大学)出身で教員の母の間に生まれる。父親は最初弁護士を目指していたが、かなわずに銀行員となった[2][3]。同い年で同じ久留米市の生まれでは松田聖子[2]藤井フミヤなどがいる。福岡には4歳まで生活し、父親が東京勤務となったため一家で上京[2]、その後、父親が東京のライターを売る貿易会社に転職するが、父親の女性問題によって両親が別居し、母子2人暮らしとなる(両親が正式に離婚したのは上祐が出家した頃[4])。父親は離婚後も養育費はきちんと払っていたことを上祐は後に確認している[2]。父親は、その後脱サラしライター分野で起業[2]。小学校から高校まで成績は良かった。なお、「上祐」という苗字は、福岡県を中心に20名ほどいるとしている[2]

早稲田大学高等学院(早大学院)卒。大学時代、英語会のサークルに所属し、英語ディベート活動の大会で入賞するなど活躍した。修士課程の2年目の1986年、オウム真理教の前身団体で当時ヨガ団体だった「オウム神仙の会」に出会い、8月に入会する[3]。きっかけは『月刊ムー』(学研)での麻原の紹介記事であった。当時、超能力健康、神秘的な事柄に関心があったが、ヨガには興味はなかった。入会後、泊りがけで参加した丹沢セミナーにおいて、1日10時間にも及ぶ厳しい行法やヨガの呼吸法など、ストイックで過激な修行に強い印象を受けた。その後、数回修行を繰返したところで神秘体験を経験。瞑想しながら体の感覚がなくなるような不思議な感覚や不思議な色や光を見る。最終的にはクンダリニーまで体験。このことで、麻原をヨガの正しい指導者として認識するに至る[2]

同年4月に特殊法人宇宙開発事業団[注釈 1]に入る(現JAXA)。宇宙開発事業団に入った理由は、当時の宇宙開発事業団会長がNHK教育テレビジョンで「これからの地球を救うのは宇宙である」と話しているのを聞き、感銘を受けたためである[4]。また、アポロの月着陸を見た世代であり、宇宙が子供時代からの憧れであったためである。しかし、就職する少し前に始めていたオウム神仙の会が面白くなり、出家するため、1か月で退職。上祐が宇宙開発事業団を退職したのは5月だが、オウム真理教は7月から出家制度を基本とする宗教団体に衣替えしていった。出家や退職について母親には反対されたが押し切った[注釈 2]

上祐は、オウムでは、男性の中で佐伯一明(後の岡崎一明・宮前一明)に次いで二番目の成就者であった[5]。上祐が出家当時の麻原は「極限」という言葉を好み、「6つの極限」を提唱していた。「布施や奉仕の極限」「戒律を守る極限」「忍耐の極限」「精進の極限」「瞑想の極限」「知恵を磨く極限」である。オウム真理教では上祐は早くから認められ、1987年時には既に数百人の会員のうち10人ほどしかいなかった「大師」として認められる。新興宗教ブームの仕掛け人として、当時麻原はしばしばマスメディアにも登場した頃であった[2]。1989年には坂本弁護士一家殺害事件が発生。この事件の直前に上祐は麻原に反対する発言をした[注釈 3]ため、石井久子とともに共謀の場から外されたため、この事件には関わっていない。この坂本弁護士の事件の前に、坂本弁護士を殺害したメンバーが中心となり2件の内部事件(オウム真理教男性信者殺害事件)がすでに起こされていた[注釈 4]。上祐は、これら3つの事件の全容を知らずに教団のスポークスマンとしてそれらの事件の「もみ消し役」を麻原に命じられた。その際の発言の数々が、マスメディアで「ああいえば、上祐」と言われるきっかけとなる[2]

1992年12月には、「尊師」,「皇子[こうし][6]」に次ぐ位階の「正大師」に昇進。「マイトレーヤ正大師」として1990年の武装化開始後は生物化学兵器開発に関与し、亀戸異臭事件にも参加した。1993年9月にはロシア支部長に就任[5]

1993年秋から教団ロシア支部に出向。なぜ上祐が指名されたのかは上祐自身分からないというが、メディアでは「左遷説」「擁護説」などが飛び交った。ロシア語はほとんど話せないが、片言のロシア語か、英語-ロシア語の通訳を介して英語で話していた。時には日本語-ロシア語の通訳を介することもあったが、その通訳は、ソ連崩壊前には対日本の諜報部で活躍していた人物であった[2]

地下鉄サリン事件後には、麻原にロシアから日本へ呼び戻され、「緊急対策本部長」に就任。外報部長・緊急対策本部長などの役職でスポークスマンの役割を果たす。得意とする話術や堪能な英語力で教団の疑惑や犯罪容疑に反論することから、「ああいえば、上祐」と揶揄された[7]1995年10月6日国土法違反事件有印私文書偽造などの容疑で逮捕され[注釈 5]懲役3年の実刑判決を受ける。上祐は、サリンの製造技術については、当時アメリカの学者がサリンに関する情報をインターネット上に公開しており、それをネット検索で見付けた土谷正実らが探し出し、試行錯誤の末、製造に成功したと証言している[2]

1999年12月に広島刑務所を出所して、麻原の子女らと教団幹部らが内部対立していた教団に復帰し、2000年2月に「アレフ」(現Aleph)を設立、2002年にアレフ代表に就任した。アレフは、それまで教団最高幹部であった麻原の子女ら(松本麗華他)が逮捕されたこと(旭村事件)で、麻原の家族は、必然的に教団運営から外れることとなった[8]が、その後、麻原の妻の松本知子が出所すると、松本知子と麻原の子女らが、秘密裏に教団運営に関与、教団の主導権を握るようになり、上祐排除の指示(上祐は悪魔に取りつかれたため麻原を批判している等)を、教団幹部らにに出したことで、上祐は突然教団運営から排除され軟禁状態となった[9]

なお、上祐が、一般に弟子の中で最高位とされる「正大師」の位階であったにもかかわらず、麻原の子女・松本麗華らが、上祐を排除したり軟禁したりできた理由は、麻原の子女らの教団内での位階が、上祐より上の「皇子(こうし:すべての弟子の上の位階)」と麻原により位置づけられていたためである。[10]

しかし2004年1月、麻原家やその意向に従う信者らの強い反対を押し切り教団に復帰、いわゆる「上祐派」が形成された。その結果、内部対立が激化し、上祐に反対する反上祐派と、上祐を支持する上祐派、そのどちらにもよらない中間派という三つに分裂した[11]。その後、2007年3月にアレフを脱会、2007年5月、別団体として独立、「ひかりの輪」を設立した。

なお、公安調査庁は、上祐が麻原の意思を実現するために“麻原隠し”を徹底し観察処分を免れるための隠蔽工作として別団体を作ったのではないのかという見方をしている[3]。一方、東京地方裁判所は、「原告(※ひかりの輪)の設立は、別団体を組織して、別団体との間で役割分担しながら活動することを求めていた松本(※麻原)の意思に従ってされたものであるとまでは認めることはできない。」と事実認定し(2017年9月25日の判決)、麻原の意思に基づいて設立された団体ではないとしている[12]

ひかりの輪

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2007年5月7日、麻原の教義を完全排除したとする新団体ひかりの輪を設立、代表に就任。上祐はひかりの輪を「仏教の思想や心理学を学んだり、ヨガの体操や呼吸法を実習したり、聖地巡り(パワースポット、全国各地の神社仏閣、それに付随する自然など)を行っている」と説明している[2]。その活動状況は、インターネット上のサイト[13]や、YouTubeチャンネル[14]で公開している。

公安調査庁は、麻原の影響力を払拭したかのように装うオウム真理教の後継団体であり、麻原の死刑が執行された2018年7月以降も依然として麻原の影響下にあるなど、危険な体質との認識を変えていない[15][16]。一方、公安調査庁に35年間務めた元公安調査官は、ひかりの輪への監査の結果、ひかりの輪は麻原の影響下になく、危険性はないと2020年9月30日付けでコメントしている[17]。アメリカ国務省も、オウム真理教そのものについて、テロの危険はないとして、1997年以来25年間続けてきた「外国テロ組織(FTO)」指定を2022年5月20日に解除している[18][19]

経歴

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1980年代

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入信以前
宇宙戦艦ヤマト江川卓超能力が好きな少年だった[20]。オウム時代とは対照的に、成人前の上祐はあまり目立たない方であった。父親は事業に失敗し家に帰らず母子家庭状態となり、上祐が駅や公園で呆然としていた姿も目撃されている[20]
早稲田大学在学中、サークルでディベートの技術を学ぶ。ディベートサークルの活動を通じて、苫米地英人と面識があった[21]。ただし苫米地とディベートの試合をしたことはないとのこと[22]
入信
大学時代より超常現象チベット仏教教団活動、ヨーガなどに強い興味を持っていたが、オカルト雑誌『トワイライトゾーン』に掲載されていた麻原彰晃アーサナ解説記事をきっかけに、1986年に、同誌で紹介されていた麻原彰晃主催で後のオウム真理教となるオウム神仙の会に入会する[23]。麻原の空中浮揚写真は長年信じていた[24]
早稲田大学大学院を出た後、特殊法人宇宙開発事業団に就職するも1ヶ月で退職し出家、ニューヨーク支部建設に携わる。出家番号は13。
ニューヨークでは入信者を増やすことができず、定期的に入信状況を伝える都沢からの電話で手厳しい叱咤激励の言葉をかけられ、プライドを傷つけられた。1988年にニューヨーク支部の閉鎖が決まると、麻原から「今後海外支部を担当することはないだろう」と言われる[25]
恋人を捧げる
上祐の恋人の都沢和子も共に出家信者となった。入会後は都沢は麻原に惹かれて上祐から離れている面があったが、尊師のマハームドラー(試練)だと認識し理解することで乗り越えられたという[26]。1995年に岩上安身のインタビューに答えて、「尊師は煩悩を遮断する力が強いので誰とセックスしてもいい」「彼女(都沢)は麻原尊師と融合するならば、それはあの、精神的ステージが高くなるんで、私と融合するよりいいと思うんで、私は恋人を麻原尊師に捧げたいと思います。私はそういうのは負担ですので。」と語っている[27]
坂本弁護士との接点
1989年青山吉伸早川紀代秀らと共に坂本堤弁護士と訴訟回避に向けた交渉を行ったり、TBSに坂本堤弁護士インタビューの放送中止を要求する(TBSビデオ問題)などしていたが、未成年だけでなく上祐のような成人も親元に戻るべきとする坂本と見解の相違が生じて決裂した。
麻原から(坂本の名前は出さずに)教団に批判的な存在をポア(殺害)することについて一度意見を求められた際に強く反対しており、そのため、坂本弁護士の殺害に関しては、同じく反対していた石井久子や上祐を除いて、麻原は殺害を謀議、坂本堤弁護士一家殺害事件を起こす。暴力行為ではなく自らの広報活動によって批判による影響を和らげるべきだと考えていた上祐は、教団が起こした事件だと察した際には不満を感じ麻原に電話するも、逆に事件を正当化するよう説得された。
後年、上祐はテレビ朝日の取材の中で(その当時は自分がまだ知らなかったオウムの犯罪を考慮すると)坂本に先見の明があったと思うと証言している。一方、早川紀代秀は坂本弁護士事件について上祐や石井久子松本知子は知っていたと証言している[28]

1990年代

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衆議院選挙オウム出馬
1990年第39回衆議院議員総選挙に、真理党として教団幹部の立候補にも岐部哲也と共に最後まで反対していたと伝えられている[29]。選挙で上祐は東京5区から立候補したが、最下位で落選した。この選挙が惨敗に終わり、麻原が大勢の信者達を前に話した「国家権力によって票のすり替えが行われた」という陰謀論にもただ一人異議を唱え、「自分独自の電話調査では麻原彰晃に投票すると言った有権者は100名中誰もいなかった」と発言。一人で反駁を続けたため、麻原は選挙結果の調査をするが、麻原の考えは変わらなかった[5]
BC兵器開発
オウム真理教の兵器開発にも携わっており、生物兵器風船爆弾開発、ホスゲン爆弾計画、第7サティアンサリンプラント計画、亀戸異臭事件に関わっていた。
特に1993年6月~7月の亀戸異臭事件では炭疽菌培養のまとめ役を担当した。1993年1月(亀戸異臭事件の前)に行われた以後のテロ活動に関する謀議では、参加はしていたものの肯定的でなかったことから麻原に叱責を受けたと語るが[5]野田成人によると、どうせ失敗するのではと考える他の信者をよそに「絶対にこのプロジェクトは成功させるからな!」と張り切っていたという[30]
ロシア支部へ
1992年よりロシア支部に派遣されている[31]早川紀代秀曰くロシアでの上祐は「グルのようで、小麻原みたいになっていた」[32]1994年以降は麻原に「日本にいると身に災いが及ぶ」と言われほとんどをロシア連邦で過ごしていたが、一時的に日本に戻った際に教団による薬物を使ったイニシエーションを受け、麻原への帰依を深めることとなった[5]
ロシア支部への派遣の背景には、次のような事情があったと元幹部の富田隆は述べている。「上祐の頭の良さや能力からいえば、麻原の側近として常に側に置いておいてもよいのに、海外支部などの遠方に追いやられていることが本当に多かったのです」「(上祐は)麻原のイエスマンになり切れずにいました」「麻原に忖度しながらも麻原に思いをぶつけたり、自分の意見をいったりしていた」「麻原に可愛がられている反面、煙たがられてもいました」「物理的に遠いところに上祐を置いておいて、上祐に口を挟まれないようにしたうえで、麻原は好きなことをやっていたのです。その反面、麻原や側近の手に余る事態が生じると、カヤの外だった上祐を呼び戻して、正確な情報を与えないままで処理させることもよくありました」[33]
地下鉄サリン事件後
1995年地下鉄サリン事件が発生して間もなく、麻原から「広報活動をしてほしい」との電話が届き、日本へ帰国する。
サリン事件後、教団の広報責任者として、青山吉伸村井秀夫らと共に、連日朝から晩までテレビのワイドショーニュース番組やラジオに出演し、オウムに批判的なあらゆる意見に対して徹底的に反論、数々の疑惑事件は創価学会米軍自衛隊を初めとする国家権力の陰謀であり、サリン被害を受けているのはオウムだとの見解を示し続けた。海外メディアに対しても堪能な英語で反論した[注釈 6]。なお、青山も村井も上祐もサリンに関わっていた。
更に、記者会見の場でも才能を発揮。容疑がいわゆる微罪逮捕別件逮捕が横行した際は、怒りをあらわにし、机に拳を叩きつけながら警察報道機関を批難した。逮捕容疑の一覧を記したフリップを公表すると「まぁただ私はあまりごちゃごちゃ言いたくないんですよ、これ(フリップ)見たら分かるでしょう? 馬鹿らしいですよこんなの!」と言いながらフリップを投げたり、村井秀夫刺殺事件直後の会見では、記者が今度の事件で麻原彰晃代表が会見を開くのかと質問したところ、「麻原を殺す気ですか今度は? 麻原を殺す気ですか? 今度は!? 尊師を今度は殺すんですか!?」と激昂した[34]
ああいえば上祐
当時、連日メディアに出演し見せた言論パフォーマンスから、ジャーナリストの二木啓孝に「ああ言えばこう言う」を捩った「ああ言えば上祐」と命名され[7]「上祐ギャル」と呼ばれる熱狂的な追っかけの女性ファンも登場、ファンクラブができるなど一躍話題の人となった[35]。上祐ギャルからは「母性本能をくすぐる」「愛人になってもいい」「オウムを出てきちんとした宗教団体をつくったら、誘われて入っちゃう」「(神秘性を保つために)村井さんみたいに殺されたほうがいいのかも」と人気があった[20]
都沢和子とともに早稲田大学英語部(ESA)で教育ディベートの経験者であったことがマスメディアに報じられ、ディベートが相手を言い負かす技術として注目を集めることとなった。ディベートの達人として、上祐は通常なら到底弁護不可能な無理のあることも言い込める技量があった。また、上祐の女性運転手も美人で話題となった(元六本木ホステス1995年に元信者への逮捕監禁致傷の疑いで逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた)[36][37]
懲役3年の実刑判決
熊本県阿蘇郡波野村(現在の阿蘇市波野地区)の土地取得をめぐる国土利用計画法違反事件で、1995年10月6日逮捕偽証有印私文書偽造・同行使の罪で10月28日に起訴される。
麻原の側近と目される教団幹部であったが、一連のオウム真理教事件では1992年以降はロシア支部にいたこともあり、教団本部の共謀や実行の場にいなかったことや、サリンプラント建設事件では建設・警備関係者のみが起訴されたこと[38]亀戸異臭事件などの生物兵器テロでは、有毒な炭疽菌が生成・噴霧されずに被害が出なかったため不能犯とされたことなどで、重要犯罪事件で起訴はされなかった。
法廷では麻原について「麻原尊師はあらゆる意味で導き手であり、救世主であり、私のすべて」「サンキュー・アンド・グッドバイ」と語った[39][40]
その後、懲役3年の実刑判決を受け、広島刑務所収監された。

「オウム新法」が出所2日前に制定 

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上祐出所の2日前の12月27日に「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(団体規制法、いわゆる「オウム新法」)」が施行された。このタイミングだった理由は、上祐復帰によって教団が過激化していくことを恐れての措置だったといわれている。1999年平成11年)12月29日の広島刑務所を出所。

2000年代

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シガチョフの麻原奪還テロ未遂事件 ロシア当局と日本の警視庁公安部に告発 シガチョフ・チェイス
1999年平成11年)12月29日の広島刑務所出所後も、教団で有力者とみられていた。公安警察から当初は教団再活性化の危険性があるのではないかと危惧されていた。
しかし、2000年(平成12年)に現地で非合法化されたロシアのオウム信者が、日本でのテロによる麻原奪還・ロシア脱出を計画していることを知ると、ロシアの警察と警視庁公安部に通報し、信者も使って、その阻止に動いた。その中で東京入国管理局に該当信者の入国を認めないよう要請するが、東京入管は違法性がないとして入国させたため、自分に近い信者をロシア信者の監視に派遣した(シガチョフ事件)。

教団に戻るも幹部に困惑

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出所後教団に戻るが、現実を受け入れず思考停止や妄想に陥る想像以上の幹部や信者の実態に困惑し、事件の事実や麻原の現実を伝える活動に従事するようになる。「教団に戻ってきた上祐は、事件後5年も経つのに、事件の現実を受け入れず、時代が止まっているかのような教団幹部の現状に困惑しているように見えました。幹部の中には、99年にハルマゲドンが起こるという麻原の予言が外れたことにさえ思考停止して、『麻原が不規則発言の中で、ハルマゲドンは起こったと発言したのだから予言は成就した』と思おうとしている人さえいました。こういった幹部たちは、裏の犯罪行為を直接知らないために、(中略)知らないがゆえに妄想を働かせる余地が残されていたのです。[41]

アレフが発足

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上祐が出所後2カ月後の2月にアレフが発足した。アレフは、それまで教団最高幹部であった麻原の子女ら2名が逮捕されたことで、麻原の家族は、必然的に教団運営から外れることとなり[8]、「正悟師」の位階の村岡達子が代表に就任した。

上祐の出所後に被害者賠償契約を教団が締結

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7月6日に教団が賠償契約を締結。宗教法人オウム真理教が一連の事件の賠償債務のために破産した後に、その残存資産を管理して賠償金の支払いを行っていた破産財団オウム真理教の破産管財人(故・阿部三郎弁護士)との間で締結された。
麻原家族の教団裏支配による軟禁・教団活動からの排除
2002年(平成14年)に、アーレフで代表となるも、「オウム真理教事件を反省し、麻原彰晃の影響を排除する」という社会に融和する改革を打ち出したため、麻原の妻である松本知子の出所後の2003年以降、秘密裏に教団運営に関与するようになった麻原の子女ら(三女・松本麗華と次女)が、教団の主導権を握るようになり、上祐の改革について、「グル外し」(=グルである麻原の否定)「(上祐は悪魔に取りつかれたため麻原を批判している」等と批判し、上祐を、アレフの教団運営から排除する指示を、野田成人、村岡達子等の正悟師(上祐の一つ下の位階の幹部)らに出し、上祐は、突然教団運営から排除され、事実上失脚し、「修行」と称して自室に軟禁されるようになった(いわゆる「上祐幽閉」)[9]
なお、上祐が、一般に弟子の中で最高位とされる「正大師」の位階であったにもかかわらず、麻原の子女らの指示で、教団運営から排除されたり軟禁されたりした理由は、麻原の子女らの教団内での位階が、上祐より上の「皇子(こうし):すべての弟子の上の位階)」と麻原により位置づけられていたため、教団幹部らは麻原の子女らに従った事実があった[10]

アレフを脱会した元幹部(野田成人氏)の証言 

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(野田成人:アレフの最高幹部(正悟師)の一人で、上祐代がアレフを脱会した後、アレフ代表に就任。  オウム・アレフ幹部時代に、直接的に麻原家族と連絡を取りながら教団運営にあたった、麻原三女・松本麗華を中心人物の一人とした麻原の家族の裏支配の実体験しよく知る人物)
「2003年の6月上旬、私は突然松本家の三女に呼び出されました。多少の不安を抱えながら待ち合わせ場所のカラオケボックスに出向くと、一般の女子大生ふうの身なりをした三女が現れました。しかし発言する内容といえば女子大生のそれではなく、以前と変わらぬ命令口調でした。「上祐のやっていることがおかしいの。彼の言うことを聞かないで、陰で私に協力して」要するに彼女の主張は、上祐の教団運営を批判するものでした。教祖である父をないがしろにしていて、上祐自身が教祖になろうとしている、という内容です。(中略)教団内の上下関係は、すべて麻原が決めていましたから麻原の子どもは、すべての出家者の上のステージに置かれていました。その下に上祐らの正大師、さらに 下には私を含めた正悟師と続きます。こうなったらどんなにがんばっても血筋には勝てないというわけです。上には唯々諾々と従う。それが帰依であり、教団内 で求められる秩序関係なのです。『でも具体的にどうすればいいんでしょうか?』『私が陰から教団に指示をするから、あなたはそれに従って。他の正悟師や師も従うって言っているから大丈夫。上祐の言うことは聞かないで。でも指示は私が出しているっていうのは、上祐にも秘密よ』『はぁ・・・?』『いい?従える?』(中略)この一週間後、三女に再び呼び出しを受けて出向くと、今度は二女と麻原の妻・松本知子も同席していました。(中略)公判では、「麻原と離婚することも考えている」と発言した松本知子でしたが、そんな発言はどこ吹く風で麻原を担ぎ上げます。「尊師の教えをきちんと守るなら上祐体制に全面協力するって言ってあげたのよ。それなの裏切った。尊師を外して自分が教祖になろうとしている。許せない!」 すでにこの時点で、教団の正悟師であった村岡達子、杉浦茂、実兄弟、二ノ宮耕一の4人は懐柔され、反上祐派として固まっていました。どうやら私が一番上祐 寄りと危惧されていたようで、説得懐柔されたのは私が一番最後でした。逆に一番過激だったのは、武闘派として知られる二ノ宮でした。『上祐のやっていることは絶対おかしいですよ!』三女の問いかけに対して、二ノ宮は語気を強めてこう語っていたようです。(中略)二ノ宮はすでに、主要都市部にある道場長クラスを三女に合わせて、根回しを広げていたのです。(中略)私を含めた正悟師5人と麻原一家は、何度か会合を重ねますが、内容はほとんど上祐批判です。「彼(上祐)はね、尊師の説法集を骨抜きになるよう編集しているの。「尊師は最終解脱者である」という記述から『最終』を取って『解脱者』にしようとしたのよ!」松本知子の発言に、三女と二女も揃って声を上げます。「とんでもないことだよねぇ!」  しかし、麻原一家が裏から指示を出すなどという「秘密ごっこ」が、上祐にばれないわけがありません。松本家3人と正悟師5人が会した2003年6月26日の「秘密会議」でのことでした。正悟師5人全員の外出を不審に思った上祐が、次々に電話してきたのです。三女は会議の存在そのものを気付かれないようにと、正悟師たちには、「シラを切って」と言いますが、私は思わず反論しました。『こんなことやっていても絶対バレます。教団運営の責任を取るなら、いま電話して、ちゃんと上祐と話してください。お願いします。』懇願する私の声が、場の雰囲気をぶち壊したようになりました。松本家に逆らうのはなかなか大変です。他の正悟師は声を上げませんでしたが、無言で私を後押ししているようにも受け取れました。それを感じたのか、三女は渋々席を立ち、一時間ほど上祐と電話で話をしたあとに、私たちにこう告げました。『これからマイトレーヤ正大師とここにいる全員で話をすることになったから。彼には修行に入ってもらうことにする。みんなでそう言ってね』教団内では、組織の指示に従わなくなった人間には、修行に入れて籠もらせるという慣習がありました。(中略)外部との接触もできませんから、当然教団運営に関わることもできません。要するにここでいう「修行入り」とは、組織内での左遷のようなものです。(中略)会議が始まったのは日付が変わった27日。奇しくも松本サリン事件から9年目の日でした。(中略)こんなバカバカしい話で2時間くらいすったもんだした末に、最後には三女がこう言い放ちました。『上の人の言うことを聞くのが帰依でしょ。皇子(こうし:麻原の子ども)はどのサマナよりもステージが上だよね。私のほうが上だよね』結局、この後上祐は修行に入ることになりました。こうして松本家による裏支配の始まりです。[42]

アレフを脱会した元幹部村岡達子の証言(元アレフ会長)

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(村岡達子:当時最高幹部(正悟師)の一人であり、アレフの会長職を勤めていた人物で、オウム・アレフ幹部時代に、直接的に麻原家族と連絡を取りながら教団運営にあたったことから、麻原の家族の裏支配の実体験し、よく知る人物)
「脱会した村岡達子元アーレフ会長のさらば麻原一家」そして03年、「麻原の影響を排除する」と宣言するのだが、これに麻原の妻や三女(アーチャリー)が猛反発したのだ。そのため、教団はアーチャリー派と、上祐派に分裂し、お互いに激しく対立するようになる。
「上祐さんが、"尊師のことを全面に出さないように"と、在家・出家の両方の信者を集めて呼びかける一方、三女は"上祐のことを放置しすぎた"と後悔していました。麻原一族は上祐さんに危機感を募らせ、実力で抑えにかかったのです」その結果、上祐氏は、修行と言う名目で世田谷区のマンションに閉じ込められ、見張り番までつけられてしまう。元団体幹部によれば、その頃、上祐氏が教団代表になったことでピンチヒッターの村岡氏は、「会長」という名の閑職に追いやられていた。もともと麻原の妻に信頼されていただけに、村岡氏は「反上祐」の姿勢をいっそう強めていったという[43]

アレフを脱会した宗形真紀子の証言(現ひかりの輪)

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「【三女から、教団活動を排除され、隔離される】それから一ヶ月ほど経った2003年の6月に、さらに、予想外の出来事が起こりました。ある日突然、わたしに、麻原家の三女から、携帯電話に電話があり、上祐と一緒に、教団活動から外れ、修行に入るよう命じられました。上祐は実質、麻原家(三女ら)により監視役をつけられ自室マンションに閉じこもる、謹慎のような処遇となりました。三女は、携帯電話で、わたしに対し、一方的で、強い口調で怒鳴り続け、以下の内容の話がありました。 ・上祐は、悪魔が取り憑いている・プライド魔境、権力魔境、性欲魔境である・上祐は、グルに成り代わろうとする野望を持って自らのグル化をすすめ、教団改革と称して、グルの絶対性を否定したり、グルが禁じた「外道」の神社仏閣に行ったり、グルと違う「外道」の教えを説いたりして、グルの意思を外している・当然、それを精力的に手伝っていた宗形も、同じように、グルの意思を外し、悪魔が取り憑いた魔境に陥っている・上祐が魔境に入ったのは、宗形のせいだ。・正悟師はその意見に合意し、全員従っている。・だから、教団活動を外れて修行に入ってもらう 
 わたしは、 最初は、その突然の、話し合いの余地のない理不尽なやり方に、まったく納得がいかず苦しみました。 上祐が教団に戻ってくる前は、「崩壊寸前の教団を立て直す ことができるのは上祐しかいない」とすがりつくように頼り、その後、上祐のおかげで、崩壊寸前の教団をなんとか立て直すことができたにもかかわらず、その 恩を仇で返すような行動に出たように感じられて、わたしはとてもショックを受けました。三女に対し、上記のようなことを述べて、激しく反発しましたが、三女は、以下のようにわたしに言いました。「宗形も、上祐も、尊師の意思を外している「魔境」に入って、尊師への帰依が足りなくなっているから、今は修行に入って、尊師を観想し、尊師にすがって救ってもらうしかない」  その後、すぐに、三女の指示で、わたしが、上祐と連絡を取り合うことのないよう、持っていた携帯電話やお金やパソコンなどを没収され、何も行動が起こせないようにした状態で、上祐が幽閉されることになったる東京・世田谷から、長野県の郊外にある施設へと隔離されました。長野に移った後も、三女との電話では、わたしが「麻原への帰依」を取り戻すように、麻原に帰依するための「帰依マントラ」を唱えるよう指示があったり、麻原を観想するよう指示があったりしました。上祐が幽閉中には、三女からの指示を受けた同居する世話役の信者らにより、上祐の日常の動向や、外部との交信を監視され、携帯電話の通話記録までチェックされていました。 【荒木浩が三女と麻原の妻の指示を受けて行動】 わたしが教団活動から排除されてしばらくすると、教団の中では、上祐への反発が、いっそう激化していきました。上祐やわたしなどのいないところで「上祐や わたしなどが、いかに麻原の意思を外した魔境であるか」と糾弾する「お話し会」という活動などが活発化していきました。その中心人物は、信じられないことに、少し前まで一緒に上祐の下で秘書をしていた荒木でした。「どうして荒木君が?」と耳を疑いましたが、以下の荒木のお話会に参加した後、荒木氏に、直接、三女と麻原妻の指示により、行動を起こしていることを確認しました。

公安審査委員会に提出された陳述書「A派(反上祐派)荒木浩のお話会の詳細内容(2004年1月17日 宗形真紀子)

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「2004年1月17日に、アーレフ教団八潮施設(通称光音天)にて行われた、荒木浩(以下荒木)のお話会について、以下のとおり私が見たままの詳細を陳述します。 当時のアーレフ内で、勉強会や説法が行えるのは、オウム真理教の位階制度で、「成就者」とされた、正大師、正悟師、師というステージの者に限られており、 これに当てはまらない荒木が、出家信者に対して勉強会を行うことは、これまでの教団内で極めて異例のことでしたが、荒木は、2003年6月に、上祐が麻原 家三女・松本麗華の指示により、修行という名目で教団活動から外れてから、「お話会」という名の「上祐批判」を、単独で2004年1月17日までに少なく とも20回以上行っています。この事実は、さまざまな場所で、上祐派を除く多くの出家信者が参加しているため、周知の事実となっています。この異例な指導が容認された背景には、その背後に、麻原家という後ろ盾があることを、正悟師、師の上層部が知っており、異例な行いを容認していたためです。なお、当時まで上祐の秘書をしていた私は、2004年1月17日当日、当時八潮施設の責任者であった野田成人に対し、正悟師である当人が、異例の荒木のお 話会を、八潮施設の集中修行に入っている信者の修行を中断させてまで容認・推奨したことについて、麻原家の指示だから推奨している旨を確認しています。
2004年1月17日のお話会の内容を、当日とったノートのメモをもとに説明します。この日、八潮施設一階の通称「男性師部屋」にて、約30人くらいの人数が、2階で行われている修行を中断して、お話会に参加しました。修行を中断してまで行うことは、通常はありません。 荒木は、上祐が、改革という名の下に、いかに麻原を外し、否定し、麻原の意思でない外道の活動を行うという悪業を積んだことにより、上祐の周りの信者とも ども魔境に墜ち、教団に災いをもたらしたかについて説明する年表を参加者に配布し、その内容が麻原家の三女・麗華も同じように言っていることをほのめかし ながらそれをもとに解説を行いました。その内容は、以下のとおりです。 1 上祐が2002年1月に代表に就任すると同時に、プライド・権力欲の虜となり、麻原になり替わろうとする「グル化」を押し進め、2002年には以下の麻原の意思に反することを行った。 ・ 上祐が、アーレフの規約を取り決めた際、麻原を相対化する要素の入ったその取り決めに従わず、「どんな指示でも、犯罪行為の指示でも麻原の指示に絶対的に 従う」と明言し、いくら説得を重ねてもその態度を変えなかった幹部信者Nを教団から除名処分に付したことは、麻原への帰依のあるNを排除した、麻原の意思 から外れた冷たい人間である。・上祐は、『ファイナルスピーチ』の改ざんの際、重要な「麻原が最終解脱者であり、未来においてマイトレーヤ真理勝者として降誕する」旨の内容を削除したことは、麻原の絶対性を否定するとんでもない悪業だ。今その編集をやり直し始めている。・上祐は、本来、グルである麻原からしかイニシエーション(エネルギー移入)を受けられない出家信者に対して、その立場を超えて、エネルギー移入を行ったことは、麻原と出家信者に対する不遜な行為である。・上祐は、オウム真理教時代、麻原が許可していなかった気学、姓名判断、インド占星学などの占いを使ったことは麻原の意思から外れている。・上祐がインドの聖者ヴィヴェーカーナンダが自分と似ている話などをして、自己を神格化しようとしたことは、麻原に対する不遜な行為である。・上祐の書籍や機関誌やイニシエーションのポスターにおいて、強烈なインパクトのある大きな上祐の写真を目立たせたのは、麻原を外し、自らが「グル化」の証である。・麻原が推奨していない、日本のさまざまな神社仏閣や自然に旅したことは、外道の実践であり、麻原の意思から外れている。・ 上祐は、10月に大黒柱の天啓という魔境のヴィジョンを見、虹を目撃するなどの経験により、プライドや権力欲が増大し、麻原に成り代わってグル化する方向 にはまっていった。その直後に信者全員に、麻原しか受けることのできない「懺悔」を自分が受けるなどの行動を行ったことは、グル化した証拠である。 2 荒木は、2003年1月~4月にかけて行われた上祐の教団改革について、上祐が服役中から秘かに企んでいた「麻原外し・麻原否定」を正当化するためのものだと、以下のような趣旨の内容で激しく批判を行った。(中略)このように上祐が行ったことは、「グル隠し」が、「グル外し」になり、結果的に「グル否定」になったという声を、麻原家がかなり言っている。上祐の行った行為は、麻原を外し、教団の安定を求めるという自己保全の悪業であり、麻原への帰依ではなかった。自分自身も上祐の下で社会融和の名のもと、悪業を積んだことを情けなく思っている。 3 荒木は、2003年に、教団に起こった悪い現象について、上祐が以下の麻原の意思から外れた悪業を積み、その報いが今、教団に悪業の返りとして返ってきて、教団にさまざまな災いがおきていると以下のように強烈な批判を行った。(中略)・これからの教団の方針は、正悟師以上のステージの高い方(これは正大師か、麻原家という意味になるので、上祐でない以上は、麻原家のことを示している)といっしょに決めたい。
 内容は以上です。荒木は、その後も、麻原家三女松本麗華や、麻原の妻・松本知子らの指示により、上記のような批判を全国を回って行い続けており、その事実は、アーレフ教団のほとんどの人が参加しているため、周知の事実となっています。[44]
なお、この期間にオウムの分派のケロヨンクラブで傷害致死事件が発生し、グループ内部から上祐らアーレフ幹部に告発があったが、その際も告発した信者に、警視庁に告発するように促している。

反発の激化~内部対立~上祐派として分裂へ

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当時の教団の信者によると「教団の中では、上祐への反発が、いっそう激化していきました。幹部の会合では、上祐を呼び捨てにして、嫌悪丸出しの傲慢な態度で、直接的に罵倒する人たちもいました。(中略)これらの非常に激しい排除の行動を見て、逆におかしいと言って辞めていく人も多数出たほどでした[45]。」
しかし2004年1月、麻原家やその意向に従う信者らの強い反対を押し切り教団に復帰、いわゆる「上祐派」が形成された。その結果、内部対立が激化し、上祐に反対する反上祐派と、上祐を支持する上祐派、そのどちらにもよらない中間派という三つに分裂した[11]
上記、アレフを脱会した元幹部村岡達子の証言(元アレフ会長)では、「ところが04年、上祐氏は監禁されていたマンションを脱出、自分を慕う信者を集めると各地の道場を支配下に置き始める。アーチャリー派との溝はもはや修復しがたいところまで深くなっていた。『そこからはもう、陣取り合戦みたいになって。尊師の奥さんは、"上祐は教団を乗っ取ろうとしている"と親しい信者たちにメールを送り付けていました。実際、 仙台や船橋といった道場が上祐派に押さえられましたが、アーチャリー派も強かった。何しろ経理やメディアを握っていましたから』この頃から上祐氏は、新しい教団を立ち上げるために勝手に信者を集めるようになり、いっぽうアーチャリー派に信頼されていた村岡氏は会計責任者を任されるようになる[43]
2006年(平成18年)4月30日TBSの「報道特集」が、新教団立ち上げ計画を明言していた事を報道。この時期、千葉県習志野市のマンションを「上祐派」の道場として使用しながら活動するも、管理者からは立ち退きを要求されており、同年9月には立ち退きを完了。東京都世田谷区南烏山マンションを拠点とした。

アレフを脱退、新団体「ひかりの輪」を設立

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公式サイトも教団から分離して、「脱麻原」(後述)を旨とする新教団として活動、その後も内部分裂が進み、2007年(平成19年)3月8日にアーレフを正式脱退。翌9日mixiのアカウントを取得したことを、公式サイトブログで公表した。上祐のマイミクシィ(申請含む)は、わずか2日で上限の1,000人に達した。
5月7日に、麻原の教義を完全排除したとする新団体「ひかりの輪」を設立して、代表の座についた。そして、2009年には、ひかりの輪として、オウム事件の被害者に賠償金を支払う契約を締結して[46]、履行を続けている[47]

2010年代

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オウム時代の回想
2010年12月3日号のFRIDAY誌上にて、麻原彰晃はカリスマ的な能力はあるが、それが人格と一致せず、誇大妄想と被害妄想の精神病理的な人物と考えていると述べた。その麻原の人格の根源は、幼い頃からの親・社会に対する反感・逆恨みではないかと評した。この麻原への批判については、ブログでも詳細を明らかにしている[48]。さらに、その後、大手出版社等から刊行した書籍でも明らかにしている[49]
具体的には、上祐は識者の見解を借りながら、麻原は「空想虚言症」という以下のような問題があったと指摘している。①空想力が異常に旺盛で、空想を現実より優先してしまう。②一見才能があり、博学で、地理・歴史・詩歌・技術・医学など何くれとなく通暁しており、話題が豊富であるが、よく調べてみると、その知識は読書や他人の話からの断片の寄せ集めであることがわかる。③弁別がよどみなく、当意即妙の応答が巧みである。④好んで難しい外来語やこけおどしの言葉を並べ立てる。⑤人の心に取り入り、それを操り、関心を惹くのがうまい。⑥自己中心の空想に陶酔し、他人の批判を許さない。⑦万能感と支配幻想。⑧責任転嫁。⑨実利的な利益の重視。
また麻原は「誇大自己症候群」という以下のような問題があったとも、上祐は指摘している。①「万能感」という誇大妄想。②自己顕示欲。③「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想。④他者に対する共感性の未発達、喪失。⑤権威への反抗と服従。⑥強い支配欲求。⑦罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化。⑧現実よりもファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ。⑨被害妄想。⑩目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気である。規範意識の欠如。⑪内に秘める攻撃性――以上のような「空想虚言症」「誇大自己症候群」の特徴を麻原は有していたと上祐は回想し、このような人物に傾倒しないための方策を、自らの経験に基づいて明らかにしている[48]
また、ロシアに行く前から、オウム真理教がサリンを研究していた事実を承知していたが、当時反対しきれなかったのは、それは信者にとって、一般人と同様に麻原彰晃にポアされることを意味するからだと述べた[50]
「オウム真理教は事件に関わりがあると薄々気づきながら、当時はマスコミに無関係だと嘘をつき続けていた。自分は嘘吐きだった」と告白した。また、サリン事件は教団が起こしたものだと麻原から伝えられたのは帰国して1ヶ月後(村井秀夫刺殺事件の後)で、一連の事件の全貌を知ったのもその頃だったと語っている。
この上祐の回想を裏付けるように、オウム元幹部の富田隆は、次のように著書で明らかにしている。「つまり上祐は麻原とその側近が、食い荒らしきったところの後処理係のような面があったと思います。麻原も取り巻きも、詳しい事情を話してしまうと上祐に呆れられ馬鹿にされかねないので、中途半端な情報しか与えなかったのでしょう。(中略)地下鉄サリン事件のときにも、当時の報道を見る限り、ロシア支部から上祐が戻されたのは、事件後のようでした。オウムのスポークスマンとして活動している姿を見て、ひょっとしたら今回も正確で詳しい情報を与えられないまま仕事をさせられているのではないかと思いました。なぜなら上祐が屁理屈をこねるときは、正確な情報が少ないときだからです。正確な情報さえあれば、上祐の能力なら、もっと上手く処理できただろうにと思った瞬間が何度かあったように、私は思いました。そんな上祐なので、麻原の家族やオウム原理主義者の集うAleph(アレフ)と決別したのでしょう。」[51]
また村井刺殺事件に関しては、後に雑誌『FRIDAY2010年12月3日号誌上の対談にて「覚醒剤取引などで関係の深かった暴力団による口封じ説、村井秀夫氏が生きていることで、第2・第3のサリン事件が起きる可能性があったために、当局が起こした謀略説などがあるが、予言を実現させるためにオウム真理教が行った自作自演の可能性があると感じている」と発言している[50]。『終わらないオウム』で実行犯の徐裕行と対談した2013年以降は「徐氏に会って、あれは単独犯だと感じた。彼の巨悪のオウムを倒すという義憤によるものです。 背景にオウムも暴力団も関係していないと思う」と単独犯説を主張するようになった。『田原総一朗 オフレコ!スペシャル』(2013年6月14日)で上祐と対談した田原総一朗はこの主張に対して「本当かな?」「彼(徐裕行)にとって悪なんかあるのかな」と疑問を投げかけている。
菊地直子による批判に回答
2012年6月19日号の『SPA!』のインタビュー記事で、上祐が「菊地直子サリン生成に関与し、刑事責任を負った」と語ったことに関し、菊地は事実ではないと東京拘置所内から手紙で上祐宛に撤回するよう要請したが、返事はなかった。また、菊地がサリン生成に関与したかどうかは、生成に関与した遠藤誠一土谷正実らに聞けば分かるにもかかわらず、それをせず捜査機関の情報(=マスメディアの報道)を鵜呑みにして話したり、菊地は上祐ともほとんど話したことがないにもかかわらず、菊地の性格についても触れたりしている態度を2018年4月13日付のブログ中で批判している[52]
一方、上祐のブログの回答によれば、週刊誌の記事は上祐のインタビューを編集したもののために誤解が生じる文章となっているが、記事の中で「刑事責任を負った」とした主体は、菊地を指したものではないという真意を説明した。また、遠藤や土谷らに聞けば分かると言っても、菊地が指名手配されて以降は、同人らと連絡できない状況(逃走中または接見禁止)であったと述べている。さらに、そもそも上祐らの出頭要請にかかわらず、長年逃走を続けた菊地が、サリン事件等で結果として無罪だったために菊地本人の逃走が違法ではなかったとしても、逃走中の自分を男性に匿わせたことから、その男性は(菊地本人の有罪・無罪にかかわらず刑法の規定により)犯人蔵匿罪で有罪となったのであり、この責任は免れられず、自分の逃走行為の問題をよく認識すべきではないかとも指摘している[53]
麻原の死刑執行
2018年にオウム真理教事件の刑事裁判が終結し、麻原死刑執行間近との噂が流れたが、麻原の死刑執行については賛成を表明した[54]。同年7月6日に麻原の死刑が執行されると、上祐は同日中に会見を開き「私も教団で重大な責任があった。被害者遺族に深くおわびしたい」と述べるとともに、麻原に対しては「かつてのような思いはない」とした[55]
女性幹部信者殺害事件の目撃を認める
2018年7月11日、新潮社週刊新潮で、上祐が女性信者殺害事件(立件なし)の場に同席し、殺害の光景を目撃していたことを報じた。上祐もこれを認めた[56][57]

こうした2018年の麻原の死刑執行や新たな事件の判明等により、オウム事件への総括をより深く求められるようになったことから、その後は、麻原やオウム真理教の教義を反省・総括したとする内容の談話を、マスコミやインターネット番組に出演して公表したり[58]、有識者と対談したりして公表し続けている[59]

エピソード

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思想

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  • 「2000年以降は水瓶座の時代で、宗教と科学が融合した霊的科学文明が到来とする」といった趣旨の発言がある[60]
  • が好きで、虹を神聖なものとして崇拝している[61]。アレフ代表就任のときにもが出て祝福してくれたという[62]
  • 幼少期に好きだった作品として宇宙戦艦ヤマトバビル2世ウルトラマンシリーズ機動戦士ガンダムを挙げている[27]
  • オウム時代に麻原が好んだ世界情勢予言を行っていた[63]
  • 妖精の存在を信じている。植物は妖精が管理していると語る[64]
  • オウム真理教・アレフ(aleph)を脱会して、ひかりの輪を設立してからは、「宗教ではなく宗教哲学として:理性で宗教を解釈し活用する」「心理学・物理学も学び、東西の思想哲学の融合を目指す」などとして、「盲信・強制を排除した思想・哲学・宗教への姿勢」を強調している[65]

その他

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  • しげの秀一の漫画作品『頭文字D』の登場人物である「史浩(ふみひろ)」に関して、名前や容姿から上祐をモデルとしているという所説が存在する。また、同作の後継作である『MFゴースト』においても「上有 史浩(じょうゆう ふみひろ」という人物が登場しており、『頭文字D』の史浩と同一人物であることが示唆されている[66]
    • 上祐も自身のFacebookでこの件に触れており、「文字の違いはあるが、そもそもこの発音の氏名を持つ人間は日本に一人しかいない」とした上で、劇中での史浩の役職がチームの「外報部長」であり、上祐のオウム真理教における役職名と同じであることを挙げている。その上で「当時の社会状況を考えると、このキャラが一切炎上を経験しなかったことは非常に不思議」とコメントしている。なお、上祐自身は『頭文字D』自体を知らず、AE86を愛車としていた知人から聞いて初めて知り[67]、知人からは上祐本人が25年間この事実を知らなかったことを驚かれたという[68]

人物評

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  • 「ディベートはうまいが、相手を言い負かそうとばかりするので、交渉は下手」 - 元信者[69]
  • 「すごいヤツと聞いていたのに、対決すると存在感、威圧感がまるで感じられない」 - 有田芳生[70]
  • 「上祐さんは、(宗教)じゃない(宗教を抜け出て)宗教の怖さを、身をもってよーく知ってる。」田原総一朗[71][72]
  • 「(上祐氏の著作は)オウム事件関係の類書の中で「もっともよく整理され」「もっとも深く突き詰めている」と評価が高い。… 何と言っても麻原と若い信者たちの心理を、内側から分析したのが出色だ」「優れた知性が全力を挙げて解明せんとした痕跡を、少なくとも筆者は認める」下條信輔[73]
  • 「自分の父親とか母親のことについてですね、彼が普通なら語らないようなことまで書いているんですよ。 その心境の変化っていうのは、やはり変化として認めておかなければいけないというふう思う」有田芳生[74]
  • 「上祐氏は現在、その立場ゆえに批判や非難を受けることも多いが、それはすなわち、氏がオウム事件の責任に応答する主体として、誰よりも正面に立ち続けているということを意味するものだろう。私は少なくともこうした点において、現在の上祐氏を評価したいと考える。しかし、オウム事件に対する応答という責務は、上祐氏一人が背負いきれるものではないし、背負わせて良いものでもない」大田俊寛[75]

略歴

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著書

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寄稿・インタビュー

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  • 季刊誌『宗教問題』宗教法人オウム真理教が解散したころ(2022年秋季号)[80]2017年秋季号「国家と宗教はなぜ暴走するのか 上祐史浩×大田俊寛×西道弘×三浦小太郎」[81]
  • ネットニュース『MONEY VOICE』「宗教二世」被告の弱さと旧統一教会の欠陥 [82]“宗教二世”問題の根深さ。宗教が力を失った日本はどこへ向かうのか?(2023年2月) [83]
  • 「朝日新聞」解散命令、効果と限界 明覚寺・オウム真理教(2023年10月)[84]
  • 「FLASH」オウム麻原元死刑囚の「池田大作をサリンで殺せ」指令「サリンは創価学会が散布」発言を上祐史浩氏が懺悔(2023年11月)[85]
  • 『FRIDAY DIGITAL』元オウム幹部だからわかる!上祐史浩氏「解散命令を請求された旧統一教会でこれから起こる」戦慄の未来(2023年11月)[86]

テレビ出演

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  • 池上彰の選挙ライブテレビ東京[87]
  • NHKスペシャル「未解決事件 File.02 オウム真理教~オウムvs警察知られざる攻防~」(NHK)[87]
  • 独占スクープ!池上彰VSオウム6人の証言者 (テレビ東京)[87]
  • 世紀の瞬間&未解決事件 4時間半スペシャル (テレビ朝日[87]
  • オウムは今も生きている… ~総力追跡!地下鉄サリン事件20年~ (テレビ東京)[87]
  • オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画~ (テレビ朝日)[87]
  • 世紀の瞬間&日本の未解決事件スペシャル (テレビ朝日)[87]
  • スーパーJチャンネル(テレビ朝日)[87][88]
  • 羽鳥慎一モーニングショー(テレビ朝日)[87][88]
  • 報道1930(BS-TBS)[89]

インターネット番組

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  • 田原総一朗、上祐史浩との対談について語る。[90]
  • 街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜元オウム真理教・上祐史浩【前編】[91]上祐史浩【後編】[92]【あわせたい2人_水道橋博士×上祐史浩_街録chスピンオフ】[93]
  • 丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー【オウム真理教の誕生】[94]【地下鉄サリン事件、坂本弁護士事件】[95]
  • ニューズ・オプエド「特集・オウムと陰謀論」[96]「宗教と陰謀論」[97]
  • 新日本文化チャンネル桜「政治と宗教の深淵」[98]「戦後日本と宗教」[99] 「これでいいのか政治と宗教」[100]
  • 「上祐史浩からみた陰謀論」カンニング竹山の土曜The NIGHT(Abemaテレビ)[101]
  • JBpress「上祐史浩が語る①~③」ウェブ[102][103][104]YouTube[105][106][107]
  • 【週刊!(裏)本庄強】上祐史浩氏の対談[108]
  • 家田荘子ちゃんねる【第1章 JAXAからオウ●へ出家】[109]【第2章 ロシアでの布教活動中に起きたあの事件の裏側】[110]【最終章 獄●からのメッセージとは!?】[111]
  • ドントテルミー荒井の「大人の教養TV」「【麻原の素顔】上祐さんに誕生からオウムの崩壊まで聞きました」[112]
  • Koji Channel【対談】ターザン山本 上祐史浩[113]麻原とは何者だったか[114] 
  • トマホークTomahawk【池田大作死去】元幹部と教祖の息子に聞いてみた[115] 「宮台真司×上祐史浩」【前編:なぜ高学歴エリートがカルトにハマるのか?】[116] 【後編:無差別殺人はなぜ起こる?】[117] 

映画

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 現:独立行政法人宇宙航空研究開発機構(略称JAXA)。
  2. ^ 中学以降両親は別居状態であったため、退職や出家に関して父親に相談をすることはなかったという。
  3. ^ このころサンデー毎日をはじめとするマスメディアによるオウムバッシングが始まり、麻原が「毎日新聞社はけしからん。トラックで突っ込むか」と発言したのに対し上祐は「危険です」と反対した。
  4. ^ この際のメンバーに新人2人を加え、坂本弁護士一家殺害事件は実行された。
  5. ^ 彼の逮捕は各局が緊急報道特番を編成し全国に伝えられ、超力戦隊オーレンジャーなどが特番の影響受けた。
  6. ^ この際、外国人記者から「You're a liar(あなたは嘘つきだ)」と言われて非難されている。

出典

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  1. ^ 1989年8月29日、東京都に提出された宗教法人規則認証申請書より
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 【前編】元オウム真理教 上祐史浩/早稲田大学院からJAXA内定も麻原と出会い教団幹部に”. 街録ch-あなたの人生、教えてください-. 2021年7月24日閲覧。
  3. ^ a b c オウム真理教について”. 公安調査庁 (2017年5月24日). 2019年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月8日閲覧。
  4. ^ a b 田原総一朗 オフレコ!2013年6月14日放送
  5. ^ a b c d e 上祐史浩. “【2】オウムの犯罪と武装化:1988年~1995年”. 上祐史浩個人の総括. ひかりの輪. 2021年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月8日閲覧。
  6. ^ 『「身心変容技法研究第8号」身心変容技法と霊的暴力―宗教経験における負の感情の浄化のワザに関する総合的研究」『オウム真理教と魔境━オウム真理教事件の原因と、霊的暴力からの解放についての一考察』』上智大学グリーフケア研究所 身心変容技法研究会、2019年3月31日、81-82頁。"http://waza-sophia.la.coocan.jp/data/nennpou/nennpou85.pdf"。 
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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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