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EF70形電気機関車(EF70がたでんききかんしゃ)は、1961年に登場した日本国有鉄道(国鉄)の交流電気機関車である。

国鉄EF70形電気機関車
EF70 21 (1次形)
EF70 21 (1次形)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
製造所 日立製作所
三菱電機三菱重工業
製造年 1961年 - 1965年
製造数 81両
引退 1985年
主要諸元
軸配置 B - B - B
軌間 1,067 mm
電気方式 単相交流20,000V (60Hz)
(架空電車線方式)
全長 16,750 mm
全幅 2,805 mm
全高 4,260 mm
運転整備重量 96.0 t
台車 DT120形(前後台車)
DT121形(中間台車)
動力伝達方式 一段歯車減速吊り掛け駆動方式
主電動機 直巻電動機 MT52形
歯車比 17:70 (4.12)
制御方式 高圧タップ切換方式弱め界磁制御
制動装置 EL14形自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-S
最高速度 100 km/h
定格速度 45.6 km/h
定格出力 2,250 kW
(19以降は 2,300 kW)
定格引張力 17,700 kg
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交流電気機関車としては数少ないF形(動軸6軸)の機関車であり、北陸本線用交流貨物機として1200tけん引を目指したため、軸配置はB-B-Bで、日本の交流電気機関車としては初のF形となった。[1]

目次

製造までの経緯編集

日本の交流電気機関車は基本的にD形(動軸4軸)で製造されているが、これは仙山線での試験の際、予想を上回る粘着特性を示した整流器式のED45形の試験結果より、交流のD形と直流のF形は同等の牽引力を持つ[注 1]と算定されたことによる。

1962年に11.5の連続勾配を有する北陸トンネルが開通するが、日本海縦貫線である北陸本線の列車単位は極めて大きく、この時点で1,000t、将来的には1,100tまで列車単位が引き上げられる予定であった。これをトンネル特有の多湿環境で勾配もきついとの悪条件のなか、D形機の単機で牽引するのは難しいという結論が下され、余裕を持たせて交流機としては初めてF形で製造[注 2]されることとなった。当初は田村 - 福井間に本形式を投入し、福井以北の平坦線にはED74形を投入する予定とされていたが、福井以北の平坦線では機関車出力に見合った牽引定数の増加(列車単位の引き上げ)を見込めることから、作り分けるのは得策ではないとして本形式が北陸本線の主力機として増備されることとなった。

構造編集

機器編集

 
高圧タップ制御。変圧器高圧側のタップを制御して電圧変化させ、シリコン整流器で直流にした後で直流電動機を駆動する。

主変圧器は外鉄形フォームフィット式で送油風冷式のTM5形(1次形)で付属の高圧タップ切替器は、ED71形での使用実績を反映して接触部をブラシ式からローラー式に変更した25段構成[注 3]の物を搭載する。また、シリコン整流器は日立製作所製DJ14Lシリコンダイオード[注 4]を5基直列接続したものを12セット並列接続し、これを4セット用いて単相ブリッジ結線としている。これによる定格出力は2,430kW・定格電圧750V・定格電流3,240Aである[注 5]

当時は、交流電気機関車の技術は揺籃期にあり技術的にさまざまな方式が試みられていた。本形式では、交流電源を直流に変換する整流器については、取扱が簡単で装置自体も軽量かつ大容量のシリコン整流器[注 6]が採用され、高圧タップ切換器を組み合わせ、主電動機を電圧制御する[注 7]が、連続制御性や再粘着性能などではまだ技術的課題が残された過渡期のものであった。

駆動系編集

主電動機は当初より交流機・直流機の両方に使用可能[注 8]で電気機関車用汎用電動機として開発されたMT52形[注 9]直流直巻整流子式電動機を採用した。

 
1962年6月10日北陸本線敦賀-福井電化開通祝賀列車を牽引したEF70 18(三菱電機の広告)

駆動方式はそれまでの新系列電気機関車に採用されていたクイル式をやめて、古くから用いられている吊り掛け式が採用された。歯数比は70:17(4.12)である。

  • クイル式は吊り掛け式に比べて軽量な高速型電動機の搭載が容易で線路や車両に与える負担が小さく、「新系列電気機関車」と呼ばれる電気機関車の特徴の1つであったが、日本では設計の不備から異常振動の多発、保守点検の困難さなどが問題視され、本形式以降の電気機関車では旧来の吊り掛け式が再び採用されるようになった。もっとも、この代償として主電動機の定格回転数を低く抑えることが求められ、それに伴い出力をトルクで稼ぐ設計とする必要が生じたことから磁気回路の増量が必要となったため、電動機そのものの自重が増大しており[注 10]、重い変圧器などを搭載する関係で艤装に制約の多い交流電気機関車においては設計上大きな制約が課せられる結果となった。

車体・外観編集

単機牽引を前提としており、前面は非貫通型である。

交流電気機関車では原則的に2基搭載されているパンタグラフのうち、進行方向に対して後位のパンタグラフを使用することになっており、本形式でも当初は2基搭載されたPS100A形(1次形)・PS101形(2次形)菱枠パンタグラフの後位側を使用していた。

だが、本形式についてはこの原則が後に破られ、2位側のパンタグラフを常用し1位側のパンタグラフは予備とすることに変更された。そのため変更以後は、2位側を先頭にして走行する場合、前側のパンタグラフを上げて走行するのが特徴である。同様の事例に北海道でのED76型500番台の運用方法が挙げられる。

形態別概説編集

1961年から1965年にかけて計81両が製造された。1964年製造の22からは大幅な設計変更がなされている(後述)。

EF70形番号別製造分類
車体形態 車両番号 製造
メーカー
新製配置 製造名目 予算 備考
1次形 1 - 11 日立製作所 敦賀第二機関区
(現・JR西日本敦賀地域鉄道部敦賀運転派出)
敦賀 - 福井間
電化開業
昭和36年度本予算  
12 - 18 三菱電機
三菱重工業
19 - 21 田村 - 南福井間
貨物列車増発
昭和37年度第2次債務 注1
2次形 22 - 28 日立製作所 金沢 - 富山間
電化開業
昭和38年度第3次債務 注2
29 - 32 三菱電機
三菱重工業
 
33 - 44 日立製作所 昭和39年度第1次民有
45 - 52 三菱電機
三菱重工業
53 日立製作所 富山 - 糸魚川間
電化開業
昭和39年度第3次債務
54 - 57 三菱電機
三菱重工業
58 - 71 日立製作所 58 - 67
富山第二機関区
(現・JR貨物富山機関区)
68 - 71
敦賀第二機関区
昭和39年度第5次債務 注3
72 - 81 三菱電機
三菱重工業
72 - 75
富山第二機関区
76 - 81
敦賀第二機関区


1次形・2次形の相違点編集

   
EF70 10(1次形)
EF70 55(2次形)

21までは1次形と呼ばれ、1964年以降に製造された2次形とされる22以降とは以下に示す外観ならびに性能面で相違点がある。なお19 - 21は、外観は1次形であるものの性能面では2次形の機器を先行搭載した変則車である。

変更箇所 1次形
(1 - 18)
1次形
変則車
(19 - 21)
2次形
(22 - 81)
前照灯 1灯[注 11][注 12]
白熱灯
2灯
シールドビーム
側面フィルタ・採光窓 形状変更
電気暖房表示灯 2.3位 1.4位
主変圧器・主整流器 容量引き上げ
1時間定格出力 2,250kW 2,300kW


1000番台化改造編集

 
EF70 1(左)
EF70 1001(右)

1968年10月1日のダイヤ改正20系客車により運転されていた寝台特急列車は、ASブレーキに中継弁 (Relay valve) ・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve) ・ブレーキ率速度制御機能を付与したAREB増圧装置付き電磁指令式自動空気ブレーキへの改造を施工し110km/h運転対応されることになった。日本海縦貫線においても在来急行格上げで20系寝台特急「日本海」が設定されたことから、その牽引に充当される本形式にも対応する改造を松任工場(現・金沢総合車両所)で7両に施工した。

改造内容
  • 応速度増圧ブレーキ装置を新設
  • 電磁ブレーキ制御装置と引通しとなるKE72形ジャンパ連結器を新設
  • 20系客車との連絡電話用KE59形ジャンパ連結器を新設
  • 元空気ダメ管を新設
  • 前面ナンバープレートをブロックタイプに変更
  • 車両番号を1000番台に改番
  • EF70 22 - 28→EF70 1001 - 1007

運用編集

北陸本線の交流電化の進捗とともに運用の場を広げていき、最終的には田村 - 糸魚川間で運用されるようになった。当初は主に貨物列車を中心にけん引したが、のちにED70形の運用縮小とED74形の九州転出により、多目的に使用されるようになった。

末期編集

1969年信越本線が直流電化された際、交直接続を糸魚川 - 梶屋敷間に設けたデッドセクションで行うこととなり、これに充当する交直流電気機関車が必要となった。こうしてEF81形が製造されることになるが、この時点のEF81形は金沢以東の北陸本線北部に運用されており本形式とも共存していた。

しかし、1974年に開業した北陸 - 関西の短絡ルートでデッドセクションを持つ湖西線経由に貨物列車の大半が変更されると必然的に北陸本線南部へもEF81形が進出。この結果、田村 - 糸魚川間に運用が制限される本形式は、EF81形のロングラン運用の前に次第に持て余し気味となり、1978年10月のダイヤ改正では1次型の大半が休車になる。1000番台も1974年以降はEF81形に特急牽引の役目を譲り、基本番台と共通運用に就くようになった。

車齢の問題(電気機関車の法定耐用年数は18年)からも廃車にもできず、本形式の末期は有効な転用先の模索の歴史となる。まず1980年に61 - 81がED72形ED73形の置換用として門司機関区に転属[注 13]

九州地区では電気暖房を使用しないため、本形式はブルートレインや貨物列車等を牽引したが、軸重[注 14]の関係で鹿児島本線熊本以北に運用が制限され、過大出力なうえに転出車は高速列車対応機でもなかったことから持て余された。そのため、2年後の1982年11月のダイヤ改正では早くもED76形に置き換えられて余剰となり遊休化した。

また北陸本線残留機は、前述の門司区転出の穴埋めとして休車になっていた1次型を復活させたものの、こちらも1982年11月のダイヤ改正で余剰車が大量に発生[注 15]1985年3月のダイヤ改正で全車が運用を離脱した。

同時期に、東海道本線山陽本線荷物列車牽引に運用されていたEF58形の老朽化が深刻になり、代替機関車が必要となった。しかし当時の国鉄は多額の累積債務を抱えており、その財政状況では新造の機関車を投入することができなかった。そこで、大量に余剰の発生していた本形式の直流化改造計画[注 16]が持ち上がる。1982年頃に本形式の鷹取工場入場が目撃される[注 17]など、実現間近と見られる動きはあったが、1984年のダイヤ改正で電気暖房装置を有する既存直流機のEF62形の大量余剰からの転用[注 18]となったため、制御器の新製が必要で改造費のかかる本計画は中止となった。

末期の本形式は運用効率の悪さから不遇を託ち、1000番台や九州転属車を含めて1987年国鉄分割民営化前に全機が除籍・廃車されたため、JRグループには1両も承継されていない。

保存機編集

 
EF70 1001
碓氷峠鉄道文化むら保存車
 
EF70 57
松任青少年宿泊研修センター

ただしEF70 1と4は『全国保存鉄道II』(1994年)のリストに記載はされたが、その後現存は確認されていない。

保存後解体編集

  • EF70 1003 :福井県福井市両橋屋町 焼肉レストラン「どん幸」→福井県越前市(旧・武生市)「金華山やまぼうし高原」(後に廃業)
1005のナンバープレートを装着する[3]。オハフ45 2014・オハフ46 2029と共に保存[4]
レストラン廃業のため解体が検討されたが、有志で保存会を結成して修復作業を行い移転保存先を募った。その結果、鯖江市に本社がある長谷川眼鏡に本機とオハフ46 2029が譲渡され、1998年3月に同社が運営する施設に移転した[5][6]。しかし、2007年頃撤去された([1][2])。同社は2010年に倒産している。
扇形庫内で保存。1990年代にはイベント時に公開されたが、1999年の扇形庫撤去前に同様に保存されていた本機を含めた機関車7両のうち6両(EF30 21 EF61 201 ED77 2 ED78 901 DD13 381 DD16 16)が同区での解体を確認されたことから[7]、同時期に解体されたと思われる。
宿泊棟として使用のオハ47形2両と共に保存されていたが、老朽化のため2013年3月に閉鎖。2015年度以降予定と報道された[8]。(2016年2月に富山県高岡市伏木へ搬出された。)
子供が憧れる特急列車に似せるため[9]、塗装をキハ82系に類似する旧国鉄特急色へ変更。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 出力を見れば直流F形機が交流D形機を大きく上回っているが、交流機は直流機より車輪粘着性能が良いため、計算上は牽引力が同等になる。だが、これは一般的条件における直流機と、最高条件時の交流機との比較にすぎず、やや過大評価に過ぎたという意見が当時より国鉄部内にはあった。
  2. ^ 同様に急勾配区間での使用を考慮し、F形で製造されたのが奥羽本線板谷峠対応のEF71形である。
  3. ^ 2次側電圧は順に65, 99, 135, 173, 217, 260, 303, 347, 390, 433, 476, 520, 563, 606, 650, 693, 736, 780, 823, 866, 910, 953, 996, 1040, 1080 V
  4. ^ 逆耐圧(PIV)1,000V・逆耐圧(インパルス)1,300V・平均電流100A。
  5. ^ 115秒間の短時間に限り定格電流4,680Aを許容する。
  6. ^ シリコン整流器自体は1960年に試作されたEF30 1が初採用であるが、同機の運用においては交流区間が短いことから、交流区間での出力を小さくした特殊設計であった。このため、本格的な本線用として採用するには大容量シリコン整流器の開発が急務とされており、本形式で初めて本格的に搭載されることとなった。
  7. ^ ノッチ数25段+弱め界磁1段。本形式では貨客両用とするため、界磁率70%の弱め界磁制御を搭載しており、これにより高速域での走行性能を改善している。
  8. ^ 交流機も交流電流を整流器で直流に整流した上で駆動する整流器方式を採用しているため、交流機と直流機で主電動機を共通化することが可能である。
  9. ^ 端子電圧900V時1時間定格出力475kW、定格回転数1,100rpm、あるいは端子電圧750V時1時間定格出力425kW。端子電圧設定が架線電圧に制約される直流用とは異なり、出力変圧器のタップで比較的自由に設定可能な交流での使用においては、定格電流量を直流用と同水準(570A)としつつ絶縁材の耐性を最大限生かすことで端子電圧900Vとして定格出力が設定されており、本形式と前後して量産が開始されたイグナイトロン整流器搭載のED72.73形ではこの値を採用している。ただし、本形式ではシリコン整流器の制約から端子電圧は直流機と同じ750Vとなっており、1時間定格出力も同様に整流器の出力の制約故に直流機よりも低い375kW(1次形)あるいは383.3kW(2次形)として扱われている。なお、MT52は本形式以後に製造された国鉄電気機関車のうちEF66形EF80形以外のすべてに採用されている。
  10. ^ EF60形などで採用されていたMT49Bは自重2,200kgで1時間定格出力400kW、定格回転数1,200rpmを公称したが、MT52形は1時間定格出力が425kWと6.3%増えたものの自重が2,800kgと27.3%も増大しており、額面上はともかく実質的な出力ではMT52形はMT49B形に劣ることになる。
  11. ^ EF60 15 - 83およびEF61形に通じるスタイルであるが、本形式ではスカート部に設置された電気暖房用ジャンパ連結器を避けるため、EF65形(500番台)やEF81 1 - 38同様に前面通風口を前面飾り帯下部に設置している相違点がある。
  12. ^ 後年、一部の車両を除いて101系電車103系電車・EF58形・ED60形阪和線向けのみ)・EF30形のようなシールドビーム2灯式に改造(いわゆる「豚鼻」化)された。
  13. ^ 最終増備グループの九州転出に伴い、1次形が(部品供給用になっていた1号機を除いて北陸本線の運用に復帰)結果として末期まで1次形が使用され、1985年3月24日の「EF70形・旧型客車引退さようなら列車」の牽引機も1次形の13号機・18号機であった。
  14. ^ 本形式は運転整備重量96tで軸重16t、つまり戦前の甲線規格を満たす重軌条が敷設された幹線系統でしか使用できなかった。
  15. ^ 昭和58年4月時点で、敦賀第二機関区所属の49両中19両が休車、富山第二機関区所属機は11両全車が休車に追い込まれ、稼動機は半数の30両にまで落ち込む有様だった。
  16. ^ 多くの標準型直流機と同じくF形の本機は、それなりの高速運転に耐える性能と電気暖房装置を有し、機械関係も主電動機をはじめとして新性能直流電気機関車と互換性があった。したがって、主変圧器や整流器などの交流機器を主抵抗器および単位スイッチ式あるいは電動カム軸式の主制御器に置き換え、補助電源用インバータを搭載することで抵抗制御方式の直流電気機関車に改装可能と考えられた。
  17. ^ 当時の鷹取工場は交流機関車の保守は担当していない。
  18. ^ 山岳路線用で低速機のEF62は長距離高速運転性能の必要な荷物列車運用で故障を続発させたものの、この運用自体が1986年のダイヤ改正による荷物列車そのものの廃止で消滅し、長期問題とはならなかった。

出典編集

  1. ^ 広田尚敬 (2000-8-10). 20世紀なつかしの機関車 ヤマケイブックス. 山と渓谷社. ISBN ISBN 4-635-06802-1{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。. 
  2. ^ 鉄道ピクトリアル1989年12月号(通巻520号)P92
  3. ^ 産業技術史資料データベース 日本国有鉄道 EF70 1003号 電気機関車 EF70/国立科学博物館 産業技術史資料情報センター2014年6月15日閲覧
  4. ^ 白川淳『全国保存鉄道II』「歴史的車両全リスト3700両」(1994年 JTB)
  5. ^ マイロネBOOKS 笹田昌宏『「ボロ貨車」博物館 出発進行! 』第1章『その前に、電気機関車をもらった話から』(JTB 2004年)
  6. ^ 旅と鉄道No.117<'99冬の号>、鉄道ジャーナル社、1999年、P120『保存車両に愛を』(笹田昌宏)
  7. ^ 『鉄道ファン』1999年10月号、交友社、1999年、P106(印刷直前に飛び込んで来た情報として速報を掲載)
  8. ^ 「なかよし号」解体、撤去 松任青少年センターで四半世紀余 中日新聞2014/6/14ウェブ魚拓2014年6月15日閲覧
  9. ^ 鉄道ホビダス 2016年2月4日 【石川県】旧列車ホテル「なかよし号」 解体撤去始まる2018年9月17日閲覧

参考文献編集

  • 電気学会通信教育会 編『電気鉄道ハンドブック』、電気学会、1962年