埼玉県立川越高等学校

埼玉県川越市にある高等学校

埼玉県立川越高等学校(さいたまけんりつ かわごえこうとうがっこう)は、埼玉県川越市郭町(くるわまち)二丁目にある県立男子高等学校。通称は、川高(かわこう)。埼玉県立川越工業高等学校の略称と区別するため、一般の人は『かわたか』と表現するが、在校生や卒業生は『かわこう』と呼ぶ。なお、同じ市内の川越市立川越高等学校とは関係はない。

埼玉県立川越高等学校
地図北緯35度55分25.8秒 東経139度29分23.4秒 / 北緯35.923833度 東経139.489833度 / 35.923833; 139.489833座標: 北緯35度55分25.8秒 東経139度29分23.4秒 / 北緯35.923833度 東経139.489833度 / 35.923833; 139.489833
過去の名称 埼玉縣第三尋常中學校
埼玉縣第三中學校
埼玉縣立川越中學校
国公私立の別 公立学校
設置者 埼玉県の旗 埼玉県
学区 埼玉県全域
設立年月日 1899年4月
共学・別学 男女別学(男子校)
課程 全日制課程
単位制・学年制 進学型単位制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D111210000030 ウィキデータを編集
高校コード 11103B
所在地 350-0053
埼玉県川越市郭町二丁目6番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

川越城跡に存在し、校庭の隣には本丸御殿がある。私服での通学が認められている。最寄駅は、西武新宿線本川越駅徒歩20分、東武東上線川越市駅徒歩25分。

生徒憲章

1969年、いわゆる70年安保の社会潮流を背景として、生徒有志によって従来の「生徒心得」を見直そうとする動きが起こり、これがきっかけとなって翌1970年に生徒憲章が制定された。以来、集会への参加やサークル結成の自由、掲示・印刷物の発行等の表現の自由、各自の自由意志に基づく服装(私服校)などを保障している[1]

授業

埼玉県下初の試みとして、2004年度から従来以上の年間取得単位数を確保しながら、休日や行事日、放課後の部活動の時間を犠牲にしない70分授業を展開していた。しかし2008年からは、再び50分授業となり、隔週の土曜授業になっている。体育の授業では、1学期はほぼ1500メートル走を行うことになる。学年別で基準タイム(1年生は5分40秒・2、3年生は −5、−10秒)が設けられている。

国際交流

オーストラリアケアンズのセント・オーガスティン・カレッジとの姉妹校提携を締結。隔年で交互に夏季休業中に希望者を募り、ホームステイ・短期留学を行っていた。

強歩大会

毎年11月頃に行われる行事。かつては夏前に行われていたが、1980年5月、数名が熱中症で病院に搬送となったことが報道されたこともあり、翌年からは十分に涼しくなった季節に行われるようになった。1969年にそれまでの10kmマラソン大会に代えて、おおむね現在の入間川越辺川左岸に設置された森林公園自転車道に沿って、高坂神社までの約21kmのコースを在学生全員で歩いたり走ったりした大会に端を発し、その後奥武蔵ハイキングコースを軸に各々30km程の3コースが設定され、在校生は3年で全コース歩くこととなった。2006年の大会から2コースに削減され、2018年は芦ヶ久保吾野間の1コースのみとなっている。また、2019年は 令和元年東日本台風(台風19号)の影響で、2020年は新型コロナウイルスの影響によりやむを得ず中止となったが、2021年に国営武蔵丘陵森林公園で3年振りに大会が開催された。2022年においては、武蔵横手~吾野駅間の約20kmにもなるほぼ例年通りのコースで行われた。

くすのき祭

文化祭に該当する行事であり、例年9月の第一土曜日および日曜日に開催される。名称は、高校創立当初から生えているといわれる正門前の2本のクスノキに由来するもので、1969年にそれまでの川高文化祭の名称に代わる名称を生徒会が学内公募し、在学生が投票して名付け、同年秋に初めて用いられた。映画「ウォーターボーイズ」の影響から、2002年には30690人が来校した。2016年においても約18,000人が来校するなど、高校の文化祭としては異例の盛り上がりを見せる。また、門班と呼ばれる集団が毎年正門に、現実に存在する城、教会などをモデルとした巨大な門を作ることでも有名である。高さは10mを超え、その出来はもはや高校の文化祭のレベルを超えている。また、男子のシンクロナイズスイミング、女装大会、応援部による演舞なども人気の一つである。

開催当日は、川越駅、本川越駅から川越高校直通の臨時バスが運行されている。

進路 編集

多くの生徒が国公立大学、難関私立大学を目指す。東京大学への進学者は1950年から2012年までの63年間に454名で、埼玉県内の高校では埼玉県立浦和高等学校(2407名)に次いで2番目に多い。

近年は現役での東大合格者は数名程度である。また、京都大学一橋大学東京工業大学、その他帝国大学などに多く合格者を送り出している。[6]

沿革 編集

 
 

部活動 編集

野球部は1931年春と1959年夏に甲子園に出場し、夏に1勝している。特に1931年の第8回選抜中等学校野球大会(現在の選抜高等学校野球大会)出場は春・夏を通じ、埼玉県の学校の甲子園出場の最初となった。音楽部(男声合唱)は、1964年にNHKコンクールで全国優勝。翌1965年には同コンクールで2位の成績を残し、65年秋の定期演奏会では会場の定員約1300人の川越市民会館大ホールの前売り券が瞬く間に売り切れ、2回入れ替え制で行い、聴衆はのべ2500人強であった。

近年は、弓道部、放送部、音楽部、新聞部、古典ギター部、弦楽合奏部、美術部、演劇部、陸上競技部などが全国大会に出場している。特に弓道部の活躍にはめざましいものがあり、第23回全国高等学校弓道選抜大会(平成17年3月東京・明治神宮)で男子団体準優勝・技能優秀賞を受賞している。

水泳部の「男子シンクロナイズドスイミング」 編集

「くすのき祭」では、水泳部の男子シンクロナイズドスイミングが話題となっている。1999年にニュースステーションで取り上げられた特集を、映画会社のプロデューサーが目にしたことによって2001年『ウォーターボーイズ』として映画化、さらにその後にテレビドラマ化され、全国的に大きく脚光を浴びることとなった[2]

この男子シンクロナイズドスイミングは、それまでは県の新人戦と日程が重なっていたために参加できなかった当時の3年生が、1986年に有志6名が「何か学生時代に心に残る面白いことをしよう!」と試みたことがきっかけである。ドキュメンタリーが「にんげんドキュメント」(NHK総合)や「スーパーテレビ情報最前線」(日本テレビ)で放送され、ウォーターボーイズの映画が公開された頃から入場者数も数万人単位となり、2002年度には過去最高の30,690人を記録した。

SSH 編集

2006年(平成18年)、初めてスーパーサイエンスハイスクール (SSH) 指定校(5年間)となり、研究テーマを「知の融合」として全国トップ評価を得るなどして実績を上げた。その結果、2011年(平成23年)2度目のSSH指定(5年間)を受け、研究テーマに「知の継承」を加える。2016年(平成28年)に3度目の申請をしたが、指定には至らなかった。現在ではSSH時代の取り組みの成果を生かし、「総合的な探求の時間」の枠組みで希望者が選択する「川高サイエンス探究」として継承されている。

対外関係 編集

松山高校

2021年12月18日-川越高校にて、両校生徒会本部役員による第一回二校意見交換会(仮称)が開催された。[要出典]

歴史 編集

川越中学校の大本営
 
1912年(明治45年)秋季、陸軍特別大演習が行われる予定のところ、7月30日に明治天皇がなくなられた。しかし、軍事は一日もゆるがせにできないと、諒闇中にもかかわらず大正天皇がこれを統裁され、その大本営は埼玉県立川越中学校におかれた。大正元年11月14日、川越駅に(現・本川越駅)お着きになった天皇は、喪章をつけて白馬に乗られ、町をあげてお迎えする中を大本営に入られた。 — 岡村一郎著『写真集 明治大正昭和 川越』ふるさとの想い出 より抜粋[3]
大本営御座所
 
御座所は川越中学校の東棟二階におかれ、大正天皇は11月20日に川越駅から汽車で新宿にお帰りになるまで、6日間ここにお泊りになった。御座所の北に御寝の間があり、浴室その他附属施設もあって、長い間そのまま保存されていたが、校舎の新築とともに解消された。今でも正門を入って右側に神郡晩秋筆の行在所跡の石碑が立っている。 — 岡村一郎著『写真集 明治大正昭和 川越』ふるさとの想い出 より抜粋[3]

著名な出身者・関係者 編集

学術研究
文学
マスコミ
スポーツ
政界・官界・財界
芸術
その他
関係者

脚注 編集

  1. ^ [1][2][3][4][5]朝日新聞連載「政治の季節のあとに」
  2. ^ 埼玉県立川越高/6 映画「ウォーターボーイズ」 一躍脚光を浴びた・柴田周平さん /東京”. 毎日新聞 (2020年1月22日). 2020年7月14日閲覧。
  3. ^ a b 岡村一郎著『写真集 明治大正昭和 川越』ふるさとの想い出、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧
  4. ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記:埼玉県(上)”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2018年9月10日). https://mainichi.jp/articles/20180831/org/00m/010/023000c 2024年4月21日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集