報知新聞社
中部・九州地方以外でスポーツ報知を発行する日本の新聞社
(報知社から転送)
株式会社報知新聞社(ほうちしんぶんしゃ)は、読売新聞グループの新聞社である。
墨田区横網の新社屋 | |
種類 | 株式会社 |
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略称 | 報知新聞、スポーツ報知 |
本社所在地 |
日本 〒130-8633 東京都墨田区横網一丁目11番1号[1] |
設立 |
1946年※ (創業1872年) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 7010401027345 |
事業内容 | スポーツ報知(東京・大阪版)の発行、出版事業 |
代表者 | 代表取締役社長 依田裕彦 |
資本金 | 1億1,800万円 |
従業員数 | 541人(2023年4月1日現在) |
主要株主 | 株式会社読売新聞グループ本社 |
主要子会社 | 株式会社スポーツ報知西部本社(西部版=沖縄県を除き、かつ山口県を含む九州8県) |
外部リンク | hochi.co.jp |
特記事項:大阪本社の所在地は〒531-8558 大阪府大阪市北区野崎町5番9号(読売新聞大阪本社ビル内)。 中部版(東海3県)は読売新聞中部支社(旧:中部読売新聞社→読売新聞中部本社)より発行 ※現在の法人は「新報知」として復刊した時に設立された。 |
主力であるスポーツ新聞『スポーツ報知』のほか、スポーツその他に関する雑誌などを出版している。なお、読売新聞系列であるが、持株親会社の読売新聞グループ本社の直轄ではなく、関連会社扱いである。1949年以前は一般紙であり、毎日新聞の前身である東京日日新聞に僅か数か月遅れるだけの業界最古クラスの歴史を持つ。
略歴
編集→「報知新聞 § 歴史」、および「スポーツ報知 § 沿革」も参照
- 1872年 - 前島密、小西義敬らにより『郵便報知新聞』創刊。
- 1873年 - 発行会社「報知社」を設立。
- 1894年 - 新聞紙名を『報知新聞』に改称。
- 1930年 - 当時の大日本雄弁会講談社に買収される。
- 1932年 - 社名を「報知新聞社」に変更。
- 1938年 - 講談社傘下から離脱。
- 1942年 - 新聞統制令により、読売新聞社(現:読売新聞東京本社)に吸収。題字が『讀賣報知』となる。
- 1946年 - 旧報知新聞社有志により、『新報知』が創刊。
- 1948年 - 紙名を報知新聞に変更。
- 1949年 - 再び読売新聞傘下に入り、報知新聞を一般紙からスポーツ紙に変更。
- 1954年 - 旧東京本社所在地(千代田区有楽町1丁目11-1)に読売会館建設。
- 1964年 - 大阪市大淀区(現:北区)本庄西の報知新聞大阪本社で現地印刷開始(大阪版発刊)。
- 1979年 - 中部読売新聞社(現:読売新聞中部支社)との提携により名古屋市で『報知スポーツ』創刊。
- 1990年 - 報知新聞を『スポーツ報知』に改題(正式名称は報知新聞のまま)。
- 1990年 - 東京本社が千代田区平河町から港区港南に移転。
- 1998年 - 読売新聞西部本社などで設立されたスポーツ報知西部本社との提携により、『スポーツ報知』の九州での発行を開始。
- 1999年 - 「iモード」など携帯電話への情報提供サービスを開始。
- 2001年 - 報知印刷社と合併。
- 2008年 - 大阪本社を大阪市北区野崎町の読売大阪ビルへ移転。
- 2022年6月10日 - 東京本社を日本相撲協会所有のビル(墨田区横網1丁目、両国国技館隣)へ移転[1][2][3]。前身の郵便報知新聞は旧両国広小路(現在の中央区)付近を拠点としていたため、再び創業の地に戻ることになる[4]。
主な出版物
編集所在地
編集関連会社
編集主な出身者
編集※旧報知新聞社出身者も含む。
- 前島密 - 郵便報知新聞の発行発起人
- 小西義敬 - 郵便報知新聞の創刊者
- 栗本鋤雲 - 郵便報知新聞主筆
- 藤田茂吉 - 郵便報知新聞主筆
- 犬養毅 - 郵便報知新聞記者、第29代内閣総理大臣
- 原敬 - 郵便報知新聞記者、第19代内閣総理大臣
- 江藤新作 - 旧報知社主筆、江藤新平(初代司法卿)の次男
- 羽仁もと子 - 旧報知社記者、日本初の女性ジャーナリスト
- 磯村春子 - 旧報知社記者、連続テレビ小説『はね駒』主人公のモデル
- 佐藤垢石 - 旧報知社記者、のちエッセイスト
- 野間清治 - 旧報知新聞社社長
- 町田忠治 - 旧報知新聞社社長
- 三木武吉 - 旧報知新聞社社長
- 鈴木茂三郎 - 旧報知新聞社記者、のち日本社会党委員長
- 田村大五 - 元同社記者→運動部長→編集委員、のちベースボール・マガジン社「週刊ベースボール」編集長→編集局長→常務取締役→顧問
- 秋山駿 - 文芸評論家・元同社記者
- 佐瀬稔 - ノンフィクション・ライター、元同社記者
- 宇佐美徹也 - 元同社記録部長・編集委員、のち日本野球機構BISデータ本部初代室長
- 西村欣也 - 元同社記者、現・朝日新聞社編集委員
- 岩田禎夫 - ゴルフ担当記者→ゴルフ評論家。
不祥事
編集- 2020年11月7日 小学生に暴行を加えたとして、警視庁戸塚署は報知新聞社社員を逮捕。自宅近くの路上で、通学途中の小学5年の男児の胸元をつかんで左右に振るなどした。同社員は、7月に新宿区内の路上で男子高校生の胸を押して軽傷を負わせたとして、傷害容疑で10月に書類送検されたばかりだった。[5]
- 2024年6月1日、スポーツ報知のニュースサイトで同年4月から連載中の「甲子園100年物語」について、武庫川女子大学名誉教授(以下“教授”)の講演録や教授が毎日新聞に寄稿した記事などから盗用があったことを明らかにし、教授と毎日新聞社及び読者にお詫びした上で、ニュースサイトに掲載した連載記事16回を全文削除及び特別版として紙面に掲載した連載1回目(4月9日付)と7回目(4月23日付 ※大阪本社版のみ掲載)の記事も記事データベース上取り消すとした。執筆した大阪本社編集局の50代(当時)記者を処分する。記者は同年3月、教授の阪神甲子園球場の歴史に関する毎日新聞兵庫版に連載された寄稿「甲子園歴史旅」を読むなどし、メールで協力を依頼したが、教授への取材はせずに執筆を開始。引用の明示をほとんどしないまま、寄稿や教授の過去の講演と構成が酷似し、表現が全く同じ箇所を含む内容の記事にした。同年5月下旬教授から指摘されるまで大阪本社編集局のデスクも盗用に気づくことができなかった[6][7]。
この件について、同年6月14日付で執筆した記者を懲戒解雇処分、同本社編集局長を減給、同本社編集局編集センター長と同センター次長を休職の懲戒処分とした。また取締役大阪本社代表は1カ月の報酬の10%を返上する処分を決定した[8]。
備考
編集脚注
編集- ^ a b c “創刊150年迎えた報知新聞社、創業の地「両国」に東京本社を移転”. 読売新聞 (読売新聞社). (2022年6月10日). オリジナルの2022年6月10日時点におけるアーカイブ。 2022年6月10日閲覧。
- ^ “報知新聞社が「相撲協会」所有のビルに移転へ 業界から“無気力報道”を心配する声”. 週刊新潮 (2021年8月27日). 2022年2月9日閲覧。
- ^ “スポーツ報知 創刊150周年特設ページをオープン!各界からのお祝いメッセージも”. スポーツ報知 (2022年6月10日). 2022年6月10日閲覧。
- ^ “報知新聞社、東京本社を6月に両国国技館近くへ移転…創刊150年”. 読売新聞 (2022年2月8日). 2022年2月9日閲覧。
- ^ “報知新聞社員を暴行容疑で逮捕 小学生の胸元つかみ左右に振る 警視庁” (jp). Mainichi Daily News. (2020年11月17日) 2020年11月17日閲覧。
- ^ “おわび「甲子園100年物語」は連載を打ち切り、全文を削除します”. スポーツ報知. (2024年6月1日) 2024年6月1日閲覧。
- ^ “スポーツ報知、毎日新聞の寄稿記事を盗用 執筆記者を処分へ”. 毎日新聞. (2024年6月1日) 2024年6月1日閲覧。
- ^ “報知新聞記者を懲戒解雇 講演・寄稿から盗用 甲子園めぐる連載で”. 朝日新聞デジタル. (2024年6月15日) 2024年6月15日閲覧。
関連項目
編集- 明六雑誌(「報知社」時代に発刊から終刊まで担当)
- 二十世紀の豫言
- ゴルフ日本シリーズ
- 報知映画賞
- 女流名人戦 (将棋)
- 報知プロスポーツ大賞
- 弥生賞ディープインパクト記念
- フィリーズレビュー
- ワールドシティタワーズ-本社周辺にある高層マンション
- 全国都市対抗サッカー選手権大会
- ダイナミックグローブ
- ワールドプレミアムボクシング
- ゴールデンスピリット賞
- チャレンジサイクルロードレース大会
- 青梅マラソン
- 読売新聞グループ本社
- 日本テレビホールディングス