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宮島で売られている焼きガキ
宮島で売られている焼きガキ
広島湾に浮かぶ多数の牡蠣筏
広島湾に浮かぶ多数の牡蠣筏
航路以外はカキ筏が浮かぶ三津湾
航路以外はカキ筏が浮かぶ三津湾

広島かき(ひろしまかき)は、広島県で生産されているかき。県シンボルの一つである広島県の魚[1]。広島県漁業協同組合連合会が管理する地域団体商標[2]。商標では平仮名であるが、以下片仮名のカキでも表記する。

特徴編集

映像外部リンク
科学技術振興機構サイエンスチャンネル
  海からのおいしい贈り物 (1)カキの謎、ホタテ貝で育つ?-瀬戸内海・広島県-
映像外部リンク
カンパイ!広島県 牡蠣ングダムプロモーション
  広島はしご牡蠣 - 広島県観光課によるコンセプト動画

産地編集

400年以上も前から養殖が始まった歴史を持ち、現在全国生産量の半数以上を占める日本最大のカキの産地[3]。広島で養殖されているのはマガキ[4][5]で、一般には「殻は小さいわりには身が大きく、濃厚な味わい」であるとしている[3][6]

広島でカキ養殖が盛んになった理由はいくつかある。

  • 地理 : 広島湾能美島倉橋島厳島などの島々や岬で大きく閉鎖されている。そして太田川水系をはじめ、小瀬川永慶寺川八幡川瀬野川矢野川など多くの河川が流れ込む。
    • 天然マガキは満潮と干潮の間の“潮間帯”に生息する[7]。河川からの流出土砂によって広島湾岸周辺には干潟が形成され[8]、広島湾の干満潮の差は最大で4m前後と瀬戸内海の中でも大きいため干潟面積が大きく、古くから潮干狩りが盛んでカキが採れていた[9][10][11]。またカキは一定時間空気中にさらし成長を抑制させると抵抗力がついて良質なものになるため[12]、養殖に干満差を利用してきた。
    • カキの産卵期である梅雨期から夏にかけて広島湾に大量の河川水が流れることによって塩分濃度の低い層(いわゆる甘い水)ができ、これをカキが好む[3][8]
    • 河川からカキの餌となる植物プランクトンが安定して流入する[7][13][3][10]。プランクトン増殖に必要な栄養塩窒素リンケイ素)も同じく河川から豊富に流入する[10][14]
    • 大きく閉鎖された湾であるため、マガキ幼生や餌となるプランクトンが他海域に拡散しない[10][14][8]
    • カキの育成に適した水温変化。卵を生む夏に水温は20度を超え、生育期である秋に20度以下になる[8]
    • 波浪が小さく適度な潮の流れのため生育しやすい[7][10]。またカキ筏が壊れにくい[7][3][13]
  • 歴史 : 古くから養殖が行われ、生産者が工夫を重ねてきた。
    • カキが大量に養殖されていることから、そこから大量の卵が流出するため毎年採苗できる[14]
    • 江戸時代、養殖地から消費地である広島城下が近かったこと[4]広島藩(およびその支藩の三次藩)も漁業権株仲間)を認め保護していた[4]
    • かき船によって早くから6次産業化が進められた[7][4]
    • 生産者や広島県水産試験場、現・県立水産海洋技術センターによる養殖技術改良[7][4]。いくつかあるが、波浪に強いカキ筏は県水産試験場によって開発されたもので、戦後カキ養殖が飛躍的に発展した要因となった[15]

衛生・品質管理編集

カキは自ら泳いで餌を取るのではなく、海水を大量に吸引しえらにかかったプランクトンを食べる[16]。養殖のやり方も直接餌を与えるのではなく海中に漂うプランクトンを摂食させる方法をとる[17]。そのため海域の汚染は即カキの汚染につながる[16]。またカキは内臓ごと生食される習慣があり[16]、加熱しすぎると固くなって風味を損うため不十分な加熱殺菌のまま食されることがある。そのため適切な衛生管理が行われていないと食中毒のリスクが高まる。古くから流通してきた広島カキにとっては1932年(昭和7年)初めて行政・生産組合による安全対策が規定されており[18][19]、現在でも他産地と比べてかなり厳重な対策が施されている[20]。近年はノロウイルス風評被害対策のため[19]、ブランド再構築に伴う品質管理向上のため[20]、様々な施策が行われている。

日本における衛生対策は食品衛生法厚生労働省による指導に基づいており、詳細はカキ (貝)#カキと食中毒を参照。ここでは更に県で行われている対策を列挙する。

  • 食品衛生法および県規格により、生食用と加熱調理用とで流通用パッケージへの明示化・差別化、採取海域名の義務化、が行われている[21]
  • 作業
    • 県「かきを処理する作業場に関する条例」に基づき、むき身カキの作業場の設置に関して県の許可が義務付けられている[3][21][19]
    • 県「生かきの取扱いに関する指導要領」に基づき、処理加工・表示・自主管理方法・作業場の届出と保健所による確認後の認可、など規定が設けられている[21][19]
  • 海域検査指定
    • 食品衛生法に基づく生食用カキ採取海域を指定、海水とカキのサンプリング調査を行い海域の衛生状況を把握する[19]
    • 更に生食用カキ規格厳守のため、生食として出荷できる指定海域(清掃海域)、人工浄化(20時間換水)することで生食として出荷できる条件付き指定海域、加熱調理しか出荷できない指定外海域、を設定している[21][20][19]
    • それとは別に、「夏期における殻付かき出荷衛生対策指針」に基づき、夏期の海水とカキの検査を行う[19]
  • 貝毒対策は県「貝毒対策実施要領」に基づき行政・業者による検査が行われ毒化したものの流通を防ぐ[3]。ノロウイルス対策は県の指導に基づき、生産および出荷団体で採取海域別に週1・2回自主検査を行っている。陽性が出た場合は生食用として出荷を止め加工処理して出荷、次の検査で陰性が出るまで続けられる[21][19]
  • 生食用かき人工浄化実施要領[19]
  • 輸入かきの取扱いに関する指導指針[19]

その他各市町ごとに条例などが定められている。

またHACCP普及推進に伴い、一定水準以上の管理を行っている生産・流通・加工業者を「広島県食品自主衛生管理認証制度」において認証している[19]。2013年ブランド再構築の際、生食用に対応した生産から流通までの管理基準である「広島かき協議会品質管理マニュアル」が作られている[22]

漁協代表者で結成された広島かき生産対策協議会の申し合わせで決められている2017年時点の各出荷時期[23]は以下の通り。

-
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
殻付き 生食用
加熱用
むき身 生食用
加熱用

2017年現在夏季は加熱用殻付きのみが流通しているが、2017年県立水産海洋技術センターが夏季に紫外線ランプを用いて殺菌する新たな浄化方法を確立し、今後夏場での生食用殻付きの出荷を目指し条例再整備が進められている[23]

生産編集

分布編集

2015年度の海面漁業生産額で見ると、広島県の全海面漁業・養殖業の生産額のうち約60%がカキ養殖の生産額になる[24]。以下、2014年現在でのカキ養殖魚場(区画漁業権)を示す。

広島県のほぼ西側半分、特に県西部の広島湾・安芸群島広湾、県中央部の三津口湾三津湾の沿岸海域で養殖が行われている。大崎上島では旧塩田跡で行っているところもある[25]。すなわち西から自治体名を列挙すると、

なお特定の場所に留まるものもあれば移動するものもあり、例えば夏は台風や洪水など自然災害からの一時避難場所として江田島湾に、冬は栄養塩が豊富な場所で育成する目的で太田川河口域にカキ筏を移動する[26]

かき採取海域区分[21]
記号 小分類 中分類 大分類
N 広島湾北部 広島湾 広島県
W 広島湾西部
C 広島湾中部
S 広島湾南部
K 呉湾
H 広湾 広湾
M 三津湾 三津湾

食品衛生法に基づく生食用カキ採取海域区分(黒)[21]と、2005年県策定の生食用カキ採取条件付き指定海域(青斜線)・指定外海域(青)[19]を示す。

生食用カキ採取の指定外海域は、広島湾北東側になる海田湾周辺と県東部の松永湾周辺になる。なお松永湾には現在カキ養殖の区画漁業権はない。条件付き指定海域は広島港区域周辺と厳島(宮島)と本州の間の大野瀬戸呉港区域周辺になる。

2016年2月10日放送NHKためしてガッテン「安心!激うま!カキ完全調理術」において、加熱用は沿岸部で養殖され菌やウイルスを取り込む可能性が高いが餌の量が多いためぷっくりとおいしい・生食用は沖合部で養殖され有害なものを取り込む可能性が低いが餌が少ないため水っぽいと放送された[27]が、図の通り生食用採取指定海域・条件付き指定海域は沿岸部にも存在している。沖合部でも、例えば大黒神島で生産されているカキには小粒ではあるが身が締まり甘みのある味わいであると評価されているものもあり高級品も生産されている[28]

養殖法編集

広島でのカキ養殖は天文年間(1532-1555) から始まったとする説(養殖法は不明)が最も古いものになる[29][30]。過去に行われていた広島カキの養殖方法は以下の通り。

寛政11年(1799年)『日本山海名産図会』広島牡蠣蓄養之法[31]法橋關月作。手前がひび建で、カキとともにノリ養殖も行われていた[32]。ひび建に寄ってきた魚をとっているのもわかる。向こう側は活場になる。
昭和初期のもの。上が杭打式垂下、下がひび建。上図のひび建とやり方が異なることがわかる。
東広島市三津湾。
坂町鯛尾。向こう側が筏式、手前が干潮時の抑制棚で満潮時には潮に浸かる。
石蒔養殖法
干潟に小石をばらまいて、カキを付着させて育てる[30][33]寛永年間(1624-1643)に始まったとする説が最も古い[34]
地蒔養殖法
カキの稚貝を活場あるいはカキ田とよばれる干潟に直接ばらまいて育てる[30]。これも最も古くから行われていた養殖法である[35]。カキが埋没しないよう海底が砂礫であること、波浪・潮流の影響の少ない場所であること、など養殖適正地が限られていた[36]。他の養殖法と複合で行われており、昭和30年代後半(1960年代初期)ごろ行われていた記録が残る[35][36]
ひび建(篊建)養殖法
干潟に竹や雑木を建てて、カキを付着させて育てる[30][33]。そのまま育てて収穫する方法、“とや”と呼ばれる竹ひびを束にして育てる方法、途中でカキを落として地蒔養殖にて大きく育てる方法、あるいは途中で筏式垂下にて大きく育てる方法がある[36][30][15]
一般にひび建養殖は、江戸時代初期延宝年間(1673-1681)以前に東京湾大森でのノリ養殖(浅草海苔)から始まったと言われている[37]が、広島カキにおいては寛永年間(1624-1643)に始まったとする説がある[29]。昭和初期までひび建+地蒔が主流で[34][15]、昭和30年代後半(1960年代初期)ごろ行われていた記録が残る[35][36]

これら近世・近代に発達した養殖法はその開発された地区の名で草津式・江波式・仁保式・海田式などと呼ばれていたが、それらはひび建と地蒔の方法に違いがあるもののほぼ同じ養殖法である[38][11]。東北地方太平洋側では延縄式もあるが、広島では行われていない[35]。現在主に行われている垂下式は近代に開発されている。

杭打式垂下(簡易垂下)法
干潟に1.3から1.4mほどの棚を作り、連と呼ばれる貝殻と竹の管を交互に針金で通した塊をぶら下げ、貝殻にカキを付着させて育てる[29]
垂下養殖自体は明治末期にまず真珠で試験されている[15]。カキにおいては大正13年から14年(1924・25年)神奈川県金沢の水産試験場で試験実施、広島においては大正15年(1926年)頃県水産試験場草津支場が試験を行ったのが最初で、急速に広まり昭和30年ごろまで主流だった[29][15][30]。かつては地蒔養殖と併用するものもあった[39]。現在でも場所によっては行われており、筏式からの仕上げとして行われている例もある[40][41]
筏式垂下法
連を筏にぶら下げて、貝殻にカキを付着させて育てる[30]
筏式は杭打式と同様に大正15年県水産試験場草津支場が厳島大野瀬戸で試験を行ったのが最初で結果は良好であったが普及せず、昭和28年(1953年)県水産試験場が波浪に強い筏を開発したことにより昭和30年頃から急速に広まり、現在の主流となった。これ以前までの養殖場は干潟かその周辺に限られていたが、筏式が開発されたことによって沖合化による養殖場の面積拡大、更に深さ方向つまり立体的に活用できることで収穫量が大幅に上がった[15][34][30][42]

垂下法の連に用いられる貝はホタテガイ[43]、かつてはカキの殻やセトガイイタラガイが用いられていた[44][45]

現在主に行われている筏式垂下法の行程は、1.連を海中に吊るしてカキ幼生をホタテガイに付着させる「採苗」、2.採苗した連を沿岸の棚に置いて潮の干満で一定時間空気中に晒すことでカキの成長を抑制し環境変化に対応できる抵抗力を付けさせる「抑制」、3.バラして新たな垂下連を作りカキ筏に吊るす「本垂下」、4.本垂下から収穫までの「育成」(3と4をあわせて「筏養殖」とも)、5.「収穫」、の順に行う[43][46]。それぞれ費やす期間の差で養殖方法の名がついている。

  • ワカ : 採苗6月7月、抑制8月まで、本垂下10月まで、収穫2月から5月末まで。昭和43年(1968年)頃まで行われていた方法で、1年以内に収穫する[43]
  • イキス : 採苗7月8月、抑制9月まで、本垂下11月まで、育成にほぼ1年、収穫2年目11月から1月末まで。2年生カキ。カキがとれるシーズンの前半に流通するものはこれになる[43]
  • ヨクセイ : イキスの行程に抑制期間を3ヶ月に伸ばしたもの。2年生カキ。シーズン後半に流通するものはこれになる[43]
  • ノコシ : ヨクセイの行程に育成期間を伸ばしたもの。3年生カキ。シーズン最初に流通するものはこれになる[43]
  • フルセ : イキスの行程に抑制期間をほぼ1年に伸ばしたもの。3年生カキ。収穫時期はイキスと同じになる[43]

以下は、近年に行われている養殖法である。

シングルシード方式
粉砕したカキ殻にカキを付着させ水槽である程度の大きさに育てた後、網カゴやネットに入れて垂下して育てる。従来の垂下法よりも形の良い一粒ガキが育てられる[47][48]
海外では主流であり[47]、日本の民間の生産業者で初めてこの方式の養殖に成功したのは廿日市市大野漁業協同組合の業者である[49][50]。日本で注目されるようになったのはオイスターバーブームによって質のいい殻付き一粒ガキが重要視されだした2000年以降のことで、従来の連を作る垂下法は大量生産できるが形の良い殻のものをある程度揃えることには不向きであったため、収益性の高い一粒ガキを生産する目的で導入されている[47][51]
陸上養殖
海ではなく、陸上の汽水域内にある池に海水を入れて育てる[52]。従来の方式と比べてノロウイルスに感染するリスクが低い[53]
フランスでは塩田の池で育てられている高級品があり、日本では広島の生産業者が大崎上島の旧塩田跡で平成初期までクルマエビ養殖が行われていた池で、殻付きカキとして生産されている[52]

かき打ち編集

広島ではカキを殻から剥いてむき身にする作業を“かき打ち”といい、これに従事するものを“打ち子”“打ち娘”(うちこ)とよび、古くから女性労働力があてられた[54][55]。使う道具もかき打ちとよび、他産地はナイフタイプが主流であるが広島では小型ピッケルのような手鉤状の道具が主流である[54]。現在の打ち子は実働8時間で平均3,200個を剥くと言われている[54]。広島カキ生産を支える重要な仕事で、広島の風物詩ともいえる[1]

昭和30年代頃までは結婚資金捻出が目的である未婚の女子が主体であったが、その激務から若年者は他産業に奪われ、主婦のパートによる労働力へ移っていった[55]。たた現在は打ち娘の高齢化などの理由による労働力不足に悩まされている[56]

外国人労働者編集

減り続ける日本人労働者[57]に対して、中国・ベトナムからの研修生・技能実習生と、“新日系人”と呼ばれる戦後フィリピン人と日本人との間に生まれた二世がその労働力を担っている[58]

その傾向は2010年以降に顕著になった[57]。現状、広島県の漁業就業者の2人に1人はこうした外国人であり[57]、日本経済新聞によるとその依存度は全国1位であるという[59]。中には、生産者と実習生だけで運営しているところもあるという[57]。これに関連して、2013年には江田島中国人研修生8人殺傷事件も起きている[57]

収穫量編集

農林水産省海面漁業生産統計調査 > 大海区都道府県支庁別統計 > 殻付きカキ類より。

年度 収穫量(t) 備考
000000 000000 全国 広島
2015
 
164,380 106,851
2014
 
183,685 116,672
2013
 
164,139 106,111
2012
 
161,116 114,104
2011
 
165,910 107,383 東日本大震災
2010
 
200,298 107,320
2009
 
210,188 105,882
2008
 
190,344 96,761
2007
 
204,474 106,907
2006
 
208,182 106,400
2005
 
218,896 111,662
2004
 
234,151 116,540
2003
 
224,861 109,782
2002
 
221,366
2001
 
231,495
2000
 
221,252
1999
 
205,345
1998
 
199,460
1997
 
218,056
1996
 
222,853
1995
 
227,319
1994
 
223,481
1993
 
235,531
1992
 
244,905
1991
 
239,217
1990
 
248,793
1989
 
256,313
1988
 
270,858
1987
 
258,776
1986
 
251,574
1985
 
251,247
1984
 
257,126
1983
 
253,247
1982
 
250,288
1981
 
235,241
1980
 
261,323
1979
 
205,509
1978
 
232,069
1977
 
212,786
1976
 
226,286
1975
 
201,173
1974
 
210,583
1973
 
229,899
1972
 
217,373
1971
 
193,846
1970
 
190,799
1969
 
245,458
1968
 
267,388
1967
 
232,200
1966
 
221,139
1965
 
210,603
1964
 
240,564
1963
 
240,144
1962
 
203,594
1961
 
172,895
1960
 
182,778
1959
 
149,480
1958
 
151,212
1957
 
144,038
1956
 
114,386

ブランド編集

広島カキは生産量の多さから様々な製品に対応してきた[6]。ただ質より量というイメージが付きブランド力が低かった[6][47]。2013年県およびカキに関わる業者で広島かき協議会を発足、品質管理やブランド力強化にむけて取り組んでいる[22]

  • 「かき小町」
県立水産海洋技術センターで開発された三倍体カキ。カキは通常英語でRのつかない月(5・6・7・8月)は産卵のため身痩せして食用に適さないとされていたが、このカキは産卵しないため身痩せしにくく年間通じて身入りが安定しており、大きさも通常のものより1.5倍になる。県漁業協同組合連合会の登録商標[22][60]
  • 「地御前かき」
廿日市市地御前漁業協同組合のブランド。1977年(昭和52年)農林水産祭天皇杯(水産部門)受賞[61]
  • 「安芸の一粒」
廿日市市大野漁業協同組合のブランド。大野漁協の有志が国内で初めてシングルシード方式での養殖に成功し商標登録した[50]
  • 「ひとつぶくん」
江田島市水産物等販売協議会のブランド。江田島市域で養殖されている三倍体カキのうちシングルシード方式で育てた三倍体一粒カキ[62]

また生産業者が個別で出しているブランドのうち、県の定める品質管理基準をクリアしたものを「広島トップかき」、その中でも更に厳しい基準をクリアしたものを「広島プレミアムトップかき」に認定し販売促進活動を展開している[22]

加工品編集

広島カキは加工品としても流通量が多い[66]。昭和初期に缶詰・かきあられ・カキエキスが流通していた記録があり[67]、現在では乾燥かき・かきエキス(かきジュース)は海外に輸出されている[66]

広島県観光連盟[68]、県漁連[69]、ザ・広島ブランド広島市認定特産品[65]、などで紹介されている加工品は以下の通り。

沿革編集

「比治山貝塚」。縄文時代末期のものでアサリやハマグリと共にカキの貝殻が発見されている[70]
西区草津南1丁目漁民会館敷地内にある「安芸国養蠣之碑」。小林五郎左衛門を称える功徳碑で、初代が明治31年(1898年)建立で現在のものは大正12年(1923年)建替。小松宮彰仁親王の揮毫[71]

養殖の始まり編集

現在の広島市域において発見されている縄文時代の比治山貝塚や弥生時代の中山貝塚などの貝塚ではカキの貝殻が出土していることから、広島湾では古来からカキが生息しかつ食されていたと考えられている[1][30][72]

現在広島カキ養殖における最古は、「天文年間(1532-1555) 安芸国において養蠣法を発明せり」と1924年(大正13年)草津村役場発行『草津案内』に記されているものになる[72][33][30]。ただし安芸の何処か、具体的な養殖法、などまったくわかっていない[30]

水産庁は最古の記録として、「延宝年間(1673-1681) 草津村小西屋五郎八(小林五郎左衛門[補足 1])蛤蜊等小貝養育場の周辺の竹枝に附着した牡蠣の成育状況の速なることを認め養殖法を考案」と『廣島牡蠣養殖場ニ関スル成跡書』に記している[33][73]

以下1977年広島かき出荷振興協議会刊『広島かき』でまとめられている、広島湾周辺地区における最古のカキ養殖に関連した史料を列挙する。

  • 広島湾北側
    • 草津 : 寛文3年(1663年)「牡蠣、在安南郡海田其色白其味甘出干佐西郡草津海亦可也」(1663年『芸備国郡志』)[33]
    • 観音 : 文化10年(1813年)「観音広瀬村の者、牡蠣ひび差立願出るが差止めとなる」(『小川家文書』)[33]
    • 江波 : 宝暦5年(1755年)「江波島、仁保島村潟境争い裁許状に魚ひび建のことを記す」(『江波漁協文書』)[33]
    • 丹那 : 明和4年(1767年)「丹那浦、中屋伊平牡蠣ひびを試み好結果ありしより、中屋伊平外百拾八名許可を得、夫々境界をなし営業」(『26年漁業制度取調書』)[33]
  • 広島湾北東側
    • 仁保 : 寛永年間(1624年-1644年)仁保島渕崎の吉和屋平四郎、岩石を沈めて(石蒔)養殖を始める。のち竹木を立てて、さらに竹に特化して(ひび建)養殖を続ける。(1929年『仁保村志』)[72][29][34]
    • 海田 : 万治2年(1659年)「海田市で養殖場を村役場より戸毎に分当し、一戸に二間口を配当し営業」(『19年慣行届』)[33]
    • 矢野 : 寛永4年(1627年)和泉源蔵が矢野村大井に住み着き、雑木を立てて養殖を試み、さらに竹を立てて完全に成功し、それ以後盛んとなる(1958年『矢野町史』)[33][34]
    •  : 天明元年(1781年)坂村伊豫屋利助、石蒔養殖を始める(『19年慣行届』)[33]
  • 広島湾西側
    • 厳島(宮島) : 嘉永元年(1848年)「厳島、浜役所にて試みに牡蠣を育養」(『19年慣行届』)[33]
    • 廿日市 : 文久元年(1861年)「廿日市村、牡蠣ひび場は山代政治、三輪弥助の発起にて本業と起し営業」(『19年慣行届』)[33]
広島城ができる以前、比治山や仁保は島であった。比治山は築城以前、仁保は宝暦3年(1753年)以前に陸続きとなった。
○で比治山と中山の貝塚位置を示し、草津・仁保地区のみ位置表記。草津沖へ流れ込む太田川放水路は戦後に整備されたもので、近世・近代は左図のような河川流路であった。草津の東側の観音新町は左図のとおり大正・昭和時代に埋め立てられたもので、近世の草津沖は開かれていた。


つまり江戸初期である1600年代から行われていたのは、広島湾北東側の仁保・海田・矢野、北西側の草津、になる。

広島湾北東側は海田湾と呼ばれ瀬野川矢野川と太田川水系の猿猴川府中大川など干潟を作る土砂・甘い水を作る淡水・餌となるプランクトンを運ぶ河川が豊富で、特に猿猴と府中大川の合流地点より南に伸びる仁保の干潟は“天然の生簀”[12]して絶好の場所であった。ただしノリ養殖も同時に行われていた[74]

一方草津は他と違い江戸初期広島藩の支藩にあたる三次藩が統治したところ[補足 2]で、かき船の大阪市場への営業免許を他地区に先駆けて受けて株仲間を結成していた[75]。ただし草津沖は波浪を受けやすいところであるためひび建・活場開発に限界があり河川も少ないため、地理的に養殖地として不利な環境にあった[74]。そのためカキ生産量が不足してくると仁保、更に宮島に養殖場を求めた[74]

6次産業化編集

広島カキは早くから他地域へ移植されていた。伊予松山藩に入封した松平定行は殖産興業として、寛文3年(1663年)広島からカキ70俵を購入し松山領内の海辺に巻いたという[76]。貞享年間(1684-1688年)には磐城に移植して“松川蠣”として名産品となった[72][33]

広島カキの6次産業化、つまり生産者運営のかき船による産地直販も江戸期から始まっている。

延宝年間(1673年-1681年)ひび建養殖法を開発した草津村小西屋五郎八と志を同じくする草津村の5人は、船で瀬戸内海沿岸の港にカキを売っていき、大阪への販路を構築していた[8][74]。元禄元年(1688年)村役人河面(松屋)仁右衛門の尽力により草津村カキ養殖業者は、三次藩から草津沖の使用許可と大阪市場でのかき船営業免許を受けた[75]。元禄2年(1689年)草津の業者で株仲間を結成、更に宝永5年(1708年)草津の業者は大坂町奉行からも独占販売の特権を得ることができた[75]。一方仁保(仁保島村)では、正徳年間(1711年-1716年)かき船が出ていた記録が残り、寛保3年(1743年)株仲間が結成されている[75]。草津が独占権を得ていた中で仁保が食い込めたのは、江戸初期草津は支藩である三次藩が支配していたのに対し仁保は本藩である広島藩が支配していたこと[補足 2]、そして草津ではカキが不足した時に仁保から買ってかき船を運営していたため、草津側が黙認していたと考えられている[75]。江戸期はこの草津村と仁保島村の株仲間が独占していた[8][75]。草津の方が販売上の特権が多く株仲間以外の規制が厳しかったのに対し、仁保は草津より販売上の権利は少なかったが株仲間以外の参加も許していたため、仁保近辺である海田湾周辺でカキの養殖に従事する者が増えた[77]。各地区で競って養殖技術を開発していたと推測されている[1]。生産量が増えたことで京都へさらに各地へと販路を拡大する計画を立てていた[78]。九州にもかき船を出していたという話もある[20]

かき船では殻付きのまま大阪へ運び、当初は現地でむき身にする実演販売の形で売られていた[79]。冷蔵技術のなかった当時、殻付きカキを俵に詰めて潮水を含ませてからかき船に積み込んで運搬しており、俵詰め輸送に耐えられる丈夫な大ぶりなカキとして仁保で3年生カキが考え出された[12]。寛政11年(1799年)大阪の塩屋長兵衛が刊行した『日本山海名産図会』で紹介されている[72]

畿内に食するもの皆芸州広島の産なり。最も名品なりとす。播州紀州泉州等に出すものは大にして自然生なり。味佳ならず。又武州参州尾州にも出せり。広島に蓄養して大阪に売るもの皆三年ものなり。故に其の味過不及の論なし。 — 日本山海名産図会、[31]
 
牡蠣の土手鍋。土手の由来は、鍋の内側に味噌を土手のように塗りつけた説、江戸中期に矢野の土手長吉がかき船を始めた際に考えた説、かき船に入りきれなかった客が土手で食べた説、など様々ある[79][80]農山漁村の郷土料理百選

文化2年(1805年)大田南畝の紀行文『小春紀行』の中に、西国街道四日市宿[補足 3]の島家(現在の白牡丹酒造)に泊まり海田で採れたカキを調理したものを肴に島家の酒を呑んだことが書かれている[81][82]

江戸後期の広島で育ち京都を中心に活躍した儒学者頼山陽はこう賞賛した。

天上天下牡蠣独尊 — 頼山陽、[83]

そしてその中で様々なカキ料理が考え出された[79]。越中高岡の長光寺住職であった東林が書いた紀行文『泛登無隠』の中に、天保3年(1832年)大阪常安橋たもとにあったかき船で8品食べたことが記載されている[8]。現在、広島市郷土資料館において希望者にレシピが書かれたパンフレットを配布している。

  • カキと芹のそそぎ鍋風
  • カキの土手焼き
  • カキのからまむし
  • カキの胡麻油炒め
  • 酢ガキ
  • カキのひね生姜煮
  • カキの吸物
  • カキ飯

こうしたカキ販売の盛況に刺激されて、明治以降に株仲間が廃止され販売が自由化されると、他でもかき船が出て瀬戸内で広く行われるようになり、大正時代に全盛期を迎えた[8][78][84]。かき船は近代以降様々な営業形態を経て、現在もわずかながら存続している[84]

垂下法の開発編集

 
幕末から明治にかけて大阪で活躍した懐玉斎正次作の根付象牙製。外がカキ殻、中が厳島神社

明治・大正まではひび建養殖がメインで、養殖場は満潮線と干潮線の間になる干潟に限られていた[1]。明治22年(1889年)宇品港(広島港)が開港するが、その築港工事によって養殖漁場を失われた仁保・丹那周辺の牡蠣・海苔養殖漁民は仕事を求めて国外へ移民していったという(広島県人の移民[87]。その宇品港は明治27年(1894年)日清戦争大日本帝国陸軍兵站拠点(軍港)となり、呉も明治22年大日本帝国海軍呉鎮守府の一大拠点となったことから、近代の広島湾では軍事目的のため海面の使用制限がされていた[15]。明治30年(1897年)宇品付近でカキが斃死した記録が残る[11]

大正時代になるとかき船が盛況となり、その中でより質のいいものを増産し出荷しようと試みが始まった[84][88]。当初は竹ひびの厚さ・大きさを変えて試みられたものの、成果に乏しかった[84]。大正12年(1923年)県水産試験場草津支場が竣工し、県によるカキ養殖の技術開発の拠点となった[33]

そうした中で筏式垂下法が開発された。きっかけは呉海軍工廠で船舶に付着するカキを防ぐ船底塗料の研究をしていたものによる「軍艦には大きなカキがつく。停泊中より航海中の方が、そして水面すれすれの所でより大きなカキがつく。」という研究発表がヒントになり、竹ひびを筏に垂下して船で牽引したり潮流の早いところで浮かべておいたりと試行錯誤が続いた[84]。現在の筏式垂下法の形は大正13年から14年(1924・25年)神奈川県金沢の水産試験場で試験実施されたものを、大正15年(1926年)県水産試験場が厳島大野瀬戸で初めて試験が行われた[15]。結果は良好であったが、当時筏に使っていたのがスギやヒノキで波浪に弱かったため、更に海面使用制限のため、その時点では普及しなかった[30][11]

1917年(大正6年) 1937年(昭和12年)
郡市[補足 4] 数量( 価額(円) 数量(貫) 価額(円)
佐伯郡 632,317 85,492 598,980 74,522
広島市 147,200 14,720 1,450,880 376,737
安芸郡 202,370 29,784 145,860 38,816
呉市 記録なし 15,300 2,601
賀茂郡 21,500 2,580 15,850 3,607
豊田郡 100 7 90,600 12,150
御調郡 7,500 1,500 21,840 4,360
沼隈郡 600 60 24,100 4,823
福山市(深安郡) 2,500 250 190 49
1,014,087 134,393 2,363,600 517,665

広島県水産試験場が同時並行で試験していたのが、杭打式垂下(簡易垂下)法であった[15]。これも結果は良好であったため昭和初期に急速に広まった[15]。さらに水産試験場は簡易垂下による採苗法を開発し普及した[15]

ひび建+地蒔:筏垂下:簡易垂下の比率は、昭和10年(1935年)時点で60%:5%:35%であったものが、昭和16年(1941年)には22%:14%:64%と急速に垂下式へと移行している[15]。参考として左に、大正6年(1917年)[89][補足 5]/昭和12年(1937年)[44]のそれぞれ別の資料による県内各市郡の収穫量を西側から順に示す。養殖の中心は広島県西部の広島湾周辺であるが当時は県の沿岸部全てで養殖が行われており、ひび建から垂下に移行していく中で全体数量で倍以上拡大している。

昭和初期、種カキは遠くアメリカまで輸出されていたという[90]。日持ちする殻付カキが大阪・京都・神戸など関西方面で販売され、むき身カキはもっぱら広島や呉と県内で消費されていたが大正末期から昭和初期になって県外で販売されだした[90][91]。かつてはかき船の輸送に耐えうる殻を主眼に置かれていた養殖法が、むき身カキが流通しだすと殻の成長よりも身の大きさ・肥満度を主眼におく養殖法へと変わっていった[91]

行政および組合の衛生対策指針の策定が最初に行われたのが1932年(昭和7年)で、県は県牡蠣営業取締規制を制定[19]、県牡蠣水産組合は水産組合検査規定が作り地方長官(現在の県知事)認可をうけている[18]

現在の広島市周辺。"OYSTER BEDS"(カキ養殖場)や"STAKES"(杭)が書かれている。中央下が宇品港。
現在の呉市広地区周辺。当時は広海軍工廠の拠点。現在では沖でカキ筏養殖が行われているが、この時点では図示されていない(養殖自体が行われていない)。
1945年米軍が作成した地図。


近代における広島カキの生産量ピークは昭和16年(1941年)になる[92]。戦中の生産量は減っていき、昭和20年(1945年)には終戦後の経済困窮と広島を中心として西日本で起きたカキの大量斃死により生産量で最低値を記録した[92]

この頃、ワカという1年生カキの養殖が中心となった。 きっかけは昭和17年(1942年)の台風で前年に採苗した種カキの大半を失ったため試験としてその年採苗したものをすぐに養成すると販売可能なカキが育ったこと、昭和20年の大量斃死において1年生カキは無事だったことが要因となり、養殖が進められた[11]。昭和25年(1950年)頃はすべてのカキが1年生カキで生産されていた[11]。現在の主流である筏による採苗も、元々は1年生カキ用に県水産試験場で開発された技術である[88]。その後2年生・3年生カキの養殖が復活したことにより減っていったが、1年生カキは昭和43年(1968年)頃まで行われていた[43]

筏式の普及編集

 
金輪島周辺のカキ筏養殖は1950年(昭和25年)から始まった[15]。手前は埋立によってできた仁保沖町マツダ本社宇品工場で、埋立前は干潟でありかつてはノリのひび建養殖が行われていた[93]

終戦により海面の使用制限が解除され筏養殖が行われるようになったが、当初は波浪の小さい沿岸部に限られていた[15]。県水産試験場は耐波対策として孟宗竹に着目し、1953年・54年(昭和28年・29年)の2年間で竹製筏技術を構築し、当時他県で使われていた筏よりもより大きな規模のものを開発した[15]昭和29年台風第12号昭和30年台風第22号で耐波性が立証されたことにより、急速に筏養殖が広まった[15]

一方で筏養殖が広まったネガティブな理由として、沿岸部の埋め立てと工業化による干潟の消滅と水域環境の悪化が挙げられる。広島湾北側は戦前の1940年から工業港として埋め立てが始まり、戦後しばらく続いた[94]。例えば、広島湾北東側の海田湾周辺は1950年代から埋立が始まり[95]、広島湾北西側の草津は1970年代に埋め立てられた[96]。これによって干潟が失われ、古くからのカキ養殖場が大幅に失われてしまった[95]。なおカキと同時に行われていたノリ養殖では衰退は止まらず、県東部の福山や尾道へその養殖の中心が移っている[97]

こうして漁場が失われた沿岸部のカキ養殖業者は、能美島倉橋島など戦前は呉鎮の水域であったため養殖場としては未開発であった江田島や呉周辺の島嶼部に次々と進出することになる[98][42][99][91]。江田島湾では1950年代後半から[26]、現在の東端にあたる三津湾では1960年代から[100]、カキ養殖が本格化していった。広島県におけるカキ筏台数は1950年代後半から1960年代前半にかけて2倍以上に増加した[35]。1960年(昭和35年)頃から機械化がすすみ、例えば収穫時にウインチが導入された[101]。広島市における筏式の収穫量は1954年(昭和29年)時点での総収穫量の60%だったものが1961年(昭和36年)には98%に達し、逆に同期間の筏式以外の養殖法による収穫量は一気に減っている[42]

むき身カキ生産量(t)
広島 宮城 岩手 全国
1955年(昭和30年) 5,021 2,584 1,200 14,423
1956年(昭和31年) 7,406 3,368 1,271 16,725
1957年(昭和32年) 9,439 4,163 1,695 18,649
1958年(昭和33年) 9,699 3,570 1,642 20,051
1959年(昭和34年) 13,783 4,208 1,695 24,555
1960年(昭和35年) 16,753 3,717 1,025 25,977
1961年(昭和36年) 12,444 4,248 1,475 23,252
1962年(昭和37年) 17,370 4,778 1,747 30,075

左に、農林省『漁業養殖漁獲統計表』によるむき身カキの全国と主要産地の推移[102]を示す。全国的に伸びているが特に広島の伸び率が顕著であることがわかる。広島ではここから更に伸び、1968年(昭和48年)にむき身で3万トンを超えた[103]。それ以前、広島カキは主に大阪市場を中心とした関西地方で流通し、関東東京市場は東北地方三陸ものが流通していたが、広島ものの生産量増大に伴い東京への出荷量が急速に増え東京でも主役的位置にまでなった[104][105]

ただ1970年代まで生産量は安定しなかった。大量斃死に耐える採苗抑制・連の深吊りや季節に合わせて筏を移動させることなど技術改良が進んだことによって、1980年代以降安定して生産できるようになる[33][17]。1980年代はむき身で3万トンを維持していたが、1990年代に入ると減少傾向に入ることになる[103]

環境と生産量編集

太田川大橋周辺。橋の向こう側に草津がある。見えている杭はカキ用のもので、1960年代までこのような沿岸部が主要な採苗地点であった[106][45]
宮島弥山から東方向の大奈佐美島・江田島能美島を望む。海上に浮かぶのはすべてカキ筏。沿岸部で採苗できなくなって以降、1970年代から1980年代にかけてこの海域が主要採苗地点であった[45]
1990年大黒神島[107]。1990年代以降に定着した採苗地点であり、生食用カキ採取指定海域の中でも屈指の海水透明度を誇る[45][20]
1990年阿多田島[107]。広島県で唯一ハマチ養殖が行われているところ[108]で、島側がハマチ用生簀、沖側がカキ筏。
2006年大崎上島[107]。島の北西側に3箇所見える池が塩田跡で、カキの陸上養殖が行われている。

高度経済成長期に全国的な規模で公害が問題となった1950年代以降、広島のカキもその影響を受けている。

  • 1966年(昭和41年) 、広島産の酢カキが原因と推測される食中毒が発生、関東以西11都府県で患者数1,596人、全員が軽度の腹痛と下痢、重症者0人死者0人[19][16][109]
これ以前には小規模の食中毒は発生していたが、大規模なものは初めてであった[16]。当時いくつかの衛生研究所で感染経緯を調査したが、結局原因を特定するには至らなかった[16]。この時代、都市化・工業化および下水道未発達のため海域汚染が増えていたことに加え、海域検査基準が未整備であったため、発生したと推察されている[109]
この食中毒事件が契機となり、翌1967年(昭和42年)国は「生食用かきの成分規格加工基準および保存基準」を作成し、細菌数・大腸菌最確数の成分規格基準やパッケージに生食用/加熱調理用の明示など、現在の生食カキに関する規格基準が作られた。また県は清浄化対策推進本部を設置、様々な施策・指導が行われ、例えば県独自の生食用かき採取海域つまり大腸菌群最確数を基準として指定海域・条件付き指定海域を策定した[16][19][109]
  • 1973年(昭和48年)、豊田郡安浦町・安芸津町(現呉市・東広島市)および福山市松永湾でとれたカキから最高4.95ppmの高濃度カドミウム[補足 6]が検出[19][110]。県を中心に広島かき衛生対策協議会を設置し対策した[19]

沿岸部から沖合に採苗地点を移し筏採苗が普通になった1970年代から80年代にかけて、赤潮貧酸素水塊の発生、ムラサキイガイフジツボ類・カンザシゴカイ類・ホヤ類などの付着生物が顕著となったため、1990年代には更に沖の島嶼部へと移っていった[45][111]

1990年代以降現在まで、広島ではカキの生産量減少傾向が続いている[103][112]。その理由については諸説ある。

都市化による漁場環境の悪化
広島湾周辺から都市生活排水・工業排水の流入そして閉じられた湾であるため海水交換が不十分であることから水質が悪化している。加えて少雨などの気候も関係してくる[103][112]
漁業関係者による環境保全としては、河川上流域の山々に植林し森林整備することで魚介類にとって良好な生育環境を整える「漁民の森」事業がある[113]。これは他県で行なわれていた事業を広島にも取り入れたもので、1995年(平成6年)広島市かき養殖連絡協議会が始め、1996年(平成7年)から県漁連が事務局となり県内で広く行われるようになった[補足 7][115]
過密養殖による漁場環境の悪化
カキ筏から出る糞やゴミなどが海底にたまり、過剰になると貧酸素化するというもの[17]
市場需要により肥満度の高いカキを育てるため、あるいは減少する生産量を補うため、筏に吊るすカキの量を過剰に増やし養殖期間を伸ばしていき、結果海底が悪化する、という悪循環に陥る[113][112]。ただ1999年時点での研究では、養殖を要因とする海底悪化からの貧酸素水塊発生は局地的なものであるとしている[112]
これに対し漁場にあった適切な密度で養殖を行うよう指導されている[113]
貝毒
1992年(平成4年)広島湾から採取されたカキから貝毒が検出され出荷自主規制。1998年(平成10年)まで行われ、1990年代に生産量が減少した要因の一つとなった[19][17]
県による貝毒対策実施要領など流通を防ぐ対策が取られている[3]
有害プランクトンによる赤潮
高度経済成長以降、赤潮が頻発し問題化していた[116]。ただ赤潮を起こすプランクトンが養殖カキにとって全て有害なわけではなく、更に近年は赤潮自体が減少傾向にあった[116]。そこへ、昔は見られなかった種類の赤潮が発生するようになった[116]。その代表例がヘテロカプサ・サーキュラリスカーマによる赤潮であり、広島湾では近年1995年(平成7年)・1997年(平成9年)・1998年(平成10年)と発生し、特に1998年のものは被害総額で38億円余にのぼった[116]
食害
カキの稚貝が魚に食べられてしまうことで斃死する被害[111]
広島では1980年代以降クロダイの放流事業が行われたことで漁獲が回復し、現在クロダイ漁獲量は全国1位である[117]。養殖カキの食害はこのクロダイが主犯であると考えられている[補足 8][117][118]。他にもフグ類の食害も確認され、これらは餌となるムラサキイガイが減少してくるとカキを狙うと考えられており、実際カキへのムラサキイガイ付着が多かった年は食害が減少している[118]
また生産業者は食害を見込んで多めに種苗するため、過密養殖となり不十分な状態のまま抑制へ移るため、量や質に影響してくる[119]

これに加えて台風による被害もある。近年では2004年(平成16年)台風10号16号18号21号23号により総額約74億円もの被害を出した[120]

2006年(平成18年) ノロウイルスが大流行した際カキがその感染源であるとして名指しされたことにより、過剰にカキが敬遠されるという風評被害の状態になった[19][121]

近年の年度別生産量等[120]
生産量(t) 生産額(億円) 経営
体数
生鮮
加工用 生鮮
加工
缶詰
冷凍
等用
乾燥
等用
2009年 20,300 8,300 110 10,140 1,750 153 87 66 323
2010年 19,500 7,600 - 10,640 1,260 154 81 73 318
2011年 21,100 10,000 9,970 1,130 168 108 60 315
2011年 19,300 8,700 9,540 1,060 155 96 59 308
2012年 21,200 9,000 10,800 1,400 174 95 79 314
2013年 18,700 7,300 11,050 350 213 105 108 314
2014年 17,100 7,200 8,910 990 179 98 81 300
2015年 18,800 7,100 10,110 1,590 176 91 85 304

また環境問題としては、カキ筏から出る漂流ゴミ[122]や加工後の貝殻[123]と、ゴミ問題が叫ばれている。生産業者としては燃料の高騰などコストの問題もあり経営を圧迫している[123]

ブランド再構築編集

 
世界遺産厳島神社がある厳島(宮島)のシカと焼がきの幟

そうした中で消費者のカキ離れ(主に生鮮もの)が進んでいる[123]。そこへ2000年からのオイスターバーブームによって国内で生食用殻付きカキの需要が高まっていた[47]。また広島県が積極的に行ってきた外国人観光客誘致の中で生鮮もののニーズが高まっていた[23]

ただ広島カキはその生産量から生鮮から加工品まで幅広く対応してきたものの、特徴づけるブランドイメージがなかったことから市場ではいつしか質より量というイメージがついてしまった[6]。むき身や冷凍加工用のシェアが大きいため、市場では加熱用・加工用のカキというイメージもついていた[6]。また古くから盛んであったことから生産業者においては古い機械・加工施設が多いため、HACCPなどの現代的な衛生品質管理を満足することができないため、生鮮ものは他産地に遅れを取り海外への輸出戦略構築もままならなかった[123]。こうしたことからオイスターバーでは国内他産地や海外ものが好まれ広島産の需要は低くかった[6]

そこで、市場へより安全で高品質なものを供給するため、カキ消費拡大のため、さらにブランドイメージ再構築のため、様々な取り組みが始まった[6][123]。その代表例が生食用殻付きカキの増産であった[6]

三倍体カキ「かき小町」は、県水産海洋技術センターが1985年から研究を始め国内で初めて三倍体幼生の大量生産化に成功、生産体制を確立したことを機に県漁業協同組合連合会が公募で名前を決定し1998年商標登録した[22][103][124]。広島県のみでしか生産できないオリジナルブランドである[22]。それに加えて、それぞれの生産業者によって個性的な新しいブランドカキが生まれていった[22]

高付加価値化を狙い形のよい殻が作れるシングルシード方式での養殖技術開発も進んだ。広島ではもともと筏式が主力であるがきれいな形・大きさのカキを揃えて育てるのには不向きであり、市場にはむき身として多く流通していることからむき身を育てることに長けた生産業者は多くいたが殻付きカキを育てる生産業者は少なかった[25]。2001年廿日市市大野漁協は研究を始め、5年かけて生産業者としては国内初となるシングルシード方式での養殖に成功した[50]。県水産海洋技術センターは2005年から本格的に一粒カキ養殖技術の開発を進めた[125]。そして三倍体カキをシングルシード方式で育てる方法も確立した[22]

2013年、生産・流通・加工の各業者で「広島かき協議会」を発足、一貫した品質管理強化に取り組みブランド力強化のために具体的な施策がとられていった[22]。また県の定める品質管理基準をクリアしたブランドを「広島トップカキ」、更に上の基準をクリアしたものを「広島プレミアムトップカキ」と名付け、市場での販売促進活動を展開した[22]

2017年、県によるひろしま観光立県推進基本計画に基づき「カンパイ!広島県 牡蠣ングダム」プロモーションを開始している[126]

文化編集

楽曲編集

映像外部リンク
  だいすき!広島かき - 広島県観光課
  • だいすき!広島かき - 2002年作成の広島県漁連テーマソング。歌はもみじという2人ユニット、作詞平田なお・作曲平田裕子・編曲西内浩子。
  • かきのうた - 2007年発売の広島および宮城県漁連のカキキャンペーンソング。石丸椎菜村上明彦矢萩渉ラッキィ池田とのユニットC☆NA&カーキーズが歌う。カップリングはハウス食品CMタイアップソングであるカキシチューのうた。

オイスターロード編集

 
 
 
 
 
 
 
 
オイスターロード(かき小屋)店舗位置。
ひろしまオイスターロード

県の瀬戸内海の道構想の一環として「ひろしまオイスターロード」が策定され、気軽に食べられるかき小屋を公表している[85]。それとは別に生産業者が独自で営業しているかき小屋もある。

古くからあるかき船で現在営業しているものは、県内では広島市の「かなわ」と呉市の「かき船」のみ[85]かき船#広島市のかき船移転問題参照)。

観光地厳島(宮島)ではあなご飯とともに名物として年中売られている[85]

広島かき祭り編集

毎年カキのシーズンには各産地で「かき祭り」が行われている。各産地の特色を活かしカキ以外の産物も振る舞われている。以下、広島県が公開する広島かき祭りカレンダーより主なかき祭りを列挙する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
かき祭り会場位置。広島湾周辺で1月から3月にかけて行われる。
イベント名 開催地
1月 おおたけカキ水産まつり 大竹市
おおがきみなと市場 江田島市
2月 広島かきチャリティーバザール 南区
江田島市カキ祭 江田島市
音戸かきまつり 呉市
大野かきフェスティバル 廿日市市
呉水産祭り 呉市
宮島かき祭り 廿日市市
田原かきまつり 呉市
地御前かきチャリティバザール 廿日市市
宝島くらはしフェスティバル 呉市
坂町漁協水産まつりチャリティバザール 坂町
広島市水産まつり 西区
早瀬かきまつり 呉市
無添加安浦かき祭り 呉市
3月 江田島市かきカキマラソン大会 江田島市

体験編集

カキ祭りの他に、各自治体や観光協会・関連団体はカキ養殖作業やかき打ちの体験事業を展開している。これらとは別に、各生産業者が独自で行っているものもある[127][128][129]

広島市郷土資料館ではカキ養殖の歴史・文化など常設展示している[130]

ギャラリー編集

脚注編集

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補足
  1. ^ 資料によっては右衛門[72]とあるが、西区草津の西楽寺に現存する墓では左衛門。
  2. ^ a b 三次藩は寛永9年(1632年)立藩、享保5年(1720年)廃藩。つまり草津が三次藩の飛地であったのは江戸前期までで、以降は広島藩領。仁保でかき船が出だした時期、草津は三次藩領であった。
  3. ^ 四日市宿は現在の東広島市西条中心部。西国街道において四日市宿の次が海田市宿になる。
  4. ^ 佐伯郡であった草津・安芸郡であった仁保が昭和4年(1929年)に広島市へ編入、呉市は明治35年(1902年)福山市は大正5年(1916年)市制施行、など市町村合併などで数字が変わっていることにも注意。
  5. ^ 大正バブル期
  6. ^ カドミウムが原因であるイタイイタイ病が公害認定されたのが1968年。1973年時点でのカドミウム排出基準は0.1ppm。
  7. ^ ただ植林場所の選定などの問題により2011年(平成24年)市かき養殖連絡協議会は休止している[114]
  8. ^ なお食害のため2009年からクロダイ放流事業は止めている[117]
出典
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参考資料編集

関連項目編集

外部リンク編集