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来歴・人物編集

島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田店」と称する問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす[1]

旧制松江高校を経て、東京帝国大学法学部卒業後の1936年鉄道省(後の運輸省)に入省。

1960年に退官後、第29回衆議院議員総選挙に旧島根全県区から出馬し初当選(当選同期に宇野宗佑海部俊樹亀岡高夫仮谷忠男小沢辰男佐々木義武田沢吉郎谷垣専一久保田円次伊藤宗一郎田川誠一渋谷直蔵藤井勝志など)。以来竹下登櫻内義雄大橋武夫といった大物がひしめく中、毎回苦戦しながらも連続当選10回を果たす。自民党内では当初佐藤栄作率いる周山会に属したが、ポスト佐藤を巡り田中角栄福田赳夫がしのぎを削った1972年自民党総裁選では保利茂松野頼三らと共に福田を支持。田中と袂を分ち清和会に合流した。

その後は福田派の幹部として、行政管理庁長官防衛庁長官自由民主党総務会長運輸大臣など要職を歴任した。1990年、長男・博之に地盤を譲り政界から引退した。引退後は1997年党友組織である「自由国民会議」代表に就任し終身務めた。

2007年2月11日午前2時、急性心筋梗塞のため死去した。享年94。没時、従五位から正三位に昇叙された。

略年譜編集

栄典編集

家族・親族編集

細田家編集

『細田吉蔵・全人像』 134-136頁によると、「細田家は、戦国時代毛利氏中国地方の覇権を争った尼子一族の武将小笠原家の家臣だった。一旦帰農後、商業へ進出し回船問屋として成功したが、明治維新で没落し倒産する。やむなく松江に出て、今度は屋を開き、豪商の域にまでのし上がった。」という。
実家
  • 義一郎
  • 千代乃
  • 兄 3人
  • 妹 2人
自家

参考文献編集

  • 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 フ・ホ5…33
  • 宮脇道生 『細田吉蔵・全人像』 行政問題研究所 1984年 

脚注編集

  1. ^ 『細田吉蔵・全人像』 127-129頁

外部リンク編集


議会
先代:
金丸信
  衆議院議院運営委員長
第36代:1977年 - 1979年
次代:
亀岡高夫
先代:
小峰柳多
  衆議院運輸委員長
1972年
次代:
井原岸高
公職
先代:
長谷川峻
  運輸大臣
第55代:1983年 - 1984年
次代:
山下徳夫
先代:
久保田円次
  防衛庁長官
第38代:1980年
次代:
大村襄治
先代:
保利茂
  行政管理庁長官
第38代:1974年
次代:
松沢雄蔵
党職
先代:
田中龍夫
自由民主党総務会長
第26代:1982年 - 1983年
次代:
金丸信
その他の役職
先代:
黛敏郎
  自由国民会議代表
第2代:1997年 - 2007年
次代:
塩川正十郎