高浜町
高浜町(たかはまちょう)は、福井県の南西部にあり、北近畿色の強い町。嶺南地方にあり、大飯郡に属している。大浦半島、青葉山などがあり、舞鶴都市圏に含まれる。
たかはまちょう ![]() 高浜町 | |||||
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国 |
![]() | ||||
地方 | 中部地方、北陸地方 | ||||
都道府県 | 福井県 | ||||
郡 | 大飯郡 | ||||
市町村コード | 18481-1 | ||||
法人番号 | 3000020184811 | ||||
面積 |
72.40km2 | ||||
総人口 |
9,856人 [編集] (推計人口、2023年8月1日) | ||||
人口密度 | 136人/km2 | ||||
隣接自治体 |
大飯郡おおい町 京都府綾部市、舞鶴市 | ||||
町の木 | 杜仲 | ||||
町の花 | はまなす | ||||
高浜町役場 | |||||
町長 | 野瀬豊 | ||||
所在地 |
〒919-2292 福井県大飯郡高浜町宮崎第71号7番地の1 北緯35度29分25秒 東経135度33分03秒 / 北緯35.49033度 東経135.55097度座標: 北緯35度29分25秒 東経135度33分03秒 / 北緯35.49033度 東経135.55097度 ![]() | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |


地理 編集
位置 編集
福井県の最西端に位置し、青葉山(別名・若狭富士)を境にして京都府舞鶴市などと接している。また、北陸地方の最西端の市町村でもある。
高浜町の属する大飯郡は、若狭(若狭地方)の西部に位置することから若西(じゃくせい)と呼ばれる地域である。
日本海(若狭湾)に面し、大島半島と音海半島の間には日本の夕陽百選にも選定されている若狭和田海水浴場および快水浴場百選にも選定されている白浜海水浴場などがあり、夏期には多くの海水浴客が訪れる。音海半島と大浦半島では若狭湾のリアス式海岸が楽しめる。
地形 編集
山地 編集
- 主な山
河川 編集
- 主な川
海岸 編集
- 主な海岸
- 主な半島
- 主な入江
- 主な湾
気候 編集
人口 編集
高浜町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 高浜町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |
■紫色 ― 高浜町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |
高浜町(に相当する地域)の人口の推移 | ||
総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体 編集
歴史 編集
古代 編集
古代および大和政権下においては、大飯郡の名が示すように大炊寮という役所が管轄する地域の一部であった。安倍氏や高橋氏など天皇家の食材を司る豪族が拠点の一つを岡津地区や青郷に構え、塩や魚といった海産物を朝廷に納めていた。
中世 編集
- 鎌倉時代
- 南北朝時代~戦国時代
若狭武田氏は足利将軍家とも縁戚であり都の公卿や高僧も若狭武田氏の威勢を頼み多数若狭へ下向していた。しかし戦国時代に、代々武田家の家臣の家柄の身でありながら隣国である丹波の丹波守護代内藤氏(松永氏)の後ろ盾を得て若狭守護武田氏に謀反を起こし従わなくなった逸見昌径が勢力を得る。
青郷は足利将軍家の直割料である御料所の一つであったが、室町幕府内で奉公衆(将軍親衛隊)の地位にあり、青郷の将軍家料代官でもあった大草氏を、逸見氏は攻めた。 同じく足利将軍家の直属の家臣であったおおい町の本郷氏領・佐分氏領をも攻め、若狭に於ける三好政権下の武将の一人となる。しかし、三好氏に代わり織田信長の勢力が大飯郡に及ぶと、逸見氏は織田氏にあっさりと臣従した(織田氏により後に逸見氏は断絶させられることになるが)。
青郷を追われた大草氏の当主である大草公重は足利義昭の側近として常に傍に仕え、同じく奉公衆である三淵氏・大舘氏らとともに朝倉義景・信長と交渉を重ね足利義昭を15代将軍として擁立するため奔走する。越前一乗谷にも随行し、さらに義昭が将軍に就任するため上洛するときも警備するなど誠実な室町幕府の忠臣として史上大活躍した。(江戸時代は徳川家康に認められ、江戸幕府から上級旗本に列せられた。)
逸見氏は若狭武田家初代武田信栄の菩提寺である長福寺を移転させ、その地に高浜城を築いた。その後、信長に高浜領を改易された(逸見家からの領地召し上げ・逸見家臣団の解散)ことから、その他多くの国人と同じく信長に一時利用されただけの存在といえる。
近世 編集
逸見家の領地の約半分はその後、逸見家の本来の主である旧若狭守護である武田家に返された。残りの高浜城を含む主要部分は、尾張以来の織田家忠臣である溝口家のものとなる。
豊臣期の領主は変遷したが関ヶ原後、徳川家康の論功行賞により京極氏の兄弟がそれぞれ若狭、丹後の国持大名となった。 この時期に小浜城主京極高次の弟、宮津城主京極高知の娘婿、八条宮智仁親王が丹後・若狭を遊覧し青葉山にちなむ和歌を詠んだ。 歌人であった親王は親族の領国であった丹後・若狭の名所をめぐり多数の歌を残した。(嫁の実家の宮津にある天橋立の歌が中でも多い。)
- 江戸時代
- 江戸時代中期以降は小浜藩の一部となり、一国一城令により高浜城は廃城となった。和田に代官所が置かれた。
- 若狭高浜藩
沿革 編集
- 明治
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、中津海村・鐘寄村・畑村・立石村・高浜村(高浜塩土町・高浜若宮町・高浜三明町・高浜事代町・高浜宮崎町)・薗部村・岩神村・笠原村・子生村・坂田村の区域をもって高浜村が発足。
- 1912年(明治45年)4月1日 - 高浜村が町制施行して高浜町となる。
- 昭和
政治 編集
行政 編集
町長 編集
- 町長:野瀬豊(1960年6月4日- ) 2008年5月- 3期[2]
- 歴代町長
- 湯浅銀次郎(1898年-1965年)[3]
- 松岡謹吾
- 浜田倫三(1914年-[4]2005年) 1962年10月-1982年10月 5期
- 田中通(1925年または1926年- ) 1982年-1996年 4期[5][6]
- 今井理一 1996年-2008年5月 3期
役場 編集
- 高浜町役場
- 政策推進室
- 総務課
- 財政課
- まちづくり課
- 建設整備課
- 保健課
- 福祉課
- 上下水道課
- 出納室
議会 編集
町議会 編集
県議会 編集
- 福井県議会
高浜町から選出される福井県議会議員の定数は(おおい町と合わせ)1議席である。現任期の満了日は、2022年(令和4年)6月30日である。
国会 編集
- 衆議院
高浜町は、敦賀市、小浜市、越前市、鯖江市、今立郡、南条郡・南越前町、丹生郡・越前町、三方郡・美浜町、大飯郡・おおい町とで構成される福井県第2区が選挙区となる。なお、当選挙区の衆議院選挙比例代表区選出議員については、比例北陸信越ブロックを参照のこと。
- 参議院
高浜町は北陸信越ブロックに属し、福井県選挙区は参議院一人区の1つ。また、現行制度(2001年、第19回参議院議員通常選挙より)の比例区は「参議院比例区」を参照のこと。
財政 編集
人口は1990年(平成2年)をピークに減少しているが、その減少幅は小さく、同じ若狭地方でも過疎化に悩む他の市町村とは状況を異とする。 その一番の要因は町内の内浦地区にある関西電力の原子力発電所の存在で、町の大きな財源でもある。 また関西電力の資金協力の下、2003年(平成15年)には町内を横断する小浜線が電化された。敦賀市と共に地方交付税(普通交付税)の不交付団体である。 産業面では他地域に後れを取るものの、2006年(平成18年)には町内の工業団地を完売した。
国家機関 編集
裁判所 編集
対外関係 編集
姉妹都市・提携都市 編集
海外 編集
- 提携都市
国内 編集
- 提携都市
- その他
施設 編集
警察 編集
- 本部
- 交番
- 高浜交番(大飯郡高浜町宮崎)
- 駐在所
- 和田駐在所(高浜町青戸)
- 青駐在所(高浜町青)
- 検問所
- 六路谷検問所(高浜町六路谷)
消防 編集
- 本部
- 消防署
- 高浜分署(高浜町宮崎第65号7番地1)
医療 編集
- 主な病院
- JCHO若狭高浜病院
- 自治医大から医師の派遣を受ける。常勤医は4名。
- 主な診療所
- 高浜町国民健康保険和田診療所
- 舞鶴共済病院から医師の派遣を受ける。
経済 編集
経済的な繋がりとして、舞鶴都市圏に属し、隣接する舞鶴市と日常的な交流が深い。また、若狭地方の中心都市である小浜市とも交流がある。
- 産業人口(2010年国勢調査)[8]
- 第一次産業:428人
- 第二次産業:1,519人
- 第三次産業:3,686人
第一次産業 編集
漁業 編集
- 主な漁港
- 高浜漁港
- 小黒飯漁港
- 音海漁港
- 上瀬漁港
- 内浦漁港
第二次産業 編集
工業 編集
- 新菱冷熱工業 高浜工場・若狭センター
立地企業 編集
- 拠点を置く企業
金融機関 編集
教育 編集
中学校 編集
- 町立
小学校 編集
- 町立
幼児教育 編集
保育所 編集
- 町立
- 高浜キッズこども園
- 高浜町立和田保育所
- 高浜町立青郷保育所
- 高浜町立内浦保育所
交通 編集
鉄道 編集
路線バス 編集
これ以外に町内で外部者が利用可能な路線バスは存在しない(公共交通としてほかに登録制乗合タクシー「赤ふんバス」があるが町民もしくは町民の紹介を受けた人のみ登録可能)。
タクシー 編集
- 高浜交通
道路 編集
高速道路 編集
国道 編集
府県道 編集
- 福井県道16号坂本高浜線
- 京都府道・福井県道21号舞鶴野原港高浜線
- 福井県道149号音海中津海線
- 福井県道150号青郷停車場線
- 福井県道236号高浜港高浜停車場線
- 福井県道237号畑若狭和田停車場線
- 福井県道241号赤礁崎公園線
- 福井県道266号犬見崎和田線
- 福井県道・京都府道772号高浜舞鶴線
- 福井県道802号小浜大飯高浜自転車道線
道の駅 編集
観光 編集
名所・旧跡 編集
寺院 編集
- 中山寺 - 聖武天皇の勅願寺と伝える。本堂および本尊・馬頭観音坐像は国の重要文化財に指定。(北陸三十三ヵ所観音霊場・北陸白寿観音霊場の第1番札所。若狭観音霊場の第33番札所)
- 馬居寺 - 聖徳太子創建と伝える。本尊馬頭観音坐像は国の重要文化財に指定。北陸観音霊場の第2番札所、若狭観音霊場の第30番札所
- 長福寺 - 若狭武田氏 初代武田信栄の菩提寺 若宮地区
- 大成寺 - 初代鎌倉公方である足利基氏(瑞泉寺殿)が父足利尊氏の菩提を弔うために建立し当初は瑞泉寺と称した。青郷は足利将軍家の領地であり室町幕府内で奉公衆だった大草氏の庇護のもと栄え末寺塔頭計八ヶ寺を有した。若狭観音霊場の第31番札所
- 正楽寺 - 若狭観音霊場の第32番札所
神社 編集
- 青葉神社 - 青葉山東峰の山頂には青葉神社、西峰の山頂には青葉神社西権現が祀られている。
- 杉森神社 - 杉森神社のオハツキイチョウが有名。
観光スポット 編集
自然・景観 編集
- 青葉山 -若狭富士とも呼ばれる名山。
- 三国岳 - その名が示す通り、若狭国・丹後国・丹波国の交わる場所に位置する山
- 音海半島 -音海大断崖等の大岸壁
- 風島 - 音海半島高浜湾側にある無人島
- 八穴の奇勝 - 明鏡洞など
- 城山公園 - 日本の夕陽百選(NPO・日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会選定)
- 日引の棚田 - 日本の棚田百選(農林水産省選定)
- 日本二十五勝の海岸景勝地として「若狭高浜・屋島・鞆の浦」が、1927年に選定された。
文化施設 編集
- 若狭たかはまエルどらんど - 体験型自然科学学習館。
公園 編集
海水浴場 編集
出身関連著名人 編集
政治・経済・行政 編集
- 一瀬代蔵(青郷村長)
- 今井理一(高浜町長、反原発町長)
- 神谷宗幣(参議院議員)
- 児玉千明(高浜町議会議員、猟友会)- 幼少期を兵庫県川西市で過ごした。
- 阪口源太(沖縄県与那国町議会議員)- 埼玉県川口市生まれ。
- 白崎市米(高浜銀行頭取、和田村長)
- 田村秀治(外交官)
- 野瀬豊(高浜町長)
- 浜田倫三(高浜町長)
- 森山栄治(福井県客員人権研究員、高浜町助役、関電プラント顧問)- 京都府生まれ。
- 山下敬太郎(高浜町議会議員、教員、部落解放同盟福井県連合会委員長)
- 湯浅勘兵衛(農民、篤志家)
- 渡辺孝(日本共産党高浜町議会議員)
文化人 編集
学術 編集
スポーツ選手 編集
その他 編集
ゆかりのある人物 編集
脚注 編集
- ^ 小出博 「高潮と豪雨のために大水害」『日本の水害』p32 東洋経済新報社 昭和29年9月10日
- ^ “野瀬 豊のプロフィール”. 高浜町. 2019年10月3日閲覧。
- ^ “湯浅 銀次郎”. デジタルアーカイブ福井. 福井県文書館・福井県立図書館. 2019年10月3日閲覧。
- ^ “浜田 倫三”. デジタルアーカイブ福井. 福井県文書館・福井県立図書館. 2019年10月3日閲覧。
- ^ “【関電原発マネーの闇】(中)貧しかった街が…原発と歩んだ立地町のジレンマ”. 産経新聞. 産業経済新聞社. 2019年10月3日閲覧。
- ^ “森山元助役時の町長「今は反省」”. NHK福井放送局. 2019年10月3日閲覧。
- ^ 福井県知事・市町長および議会議員の任期満了一覧. 福井県HP 最終更新日 2020年10月17日
- ^ “高浜町まち・ひと・しごと創生人口ビジョン総合戦略”. 高浜町. 2019年5月8日閲覧。
- ^ “高浜町立青郷小学校”. 高浜町. 2016年8月20日閲覧。
関連項目 編集
外部リンク 編集
- 公式ウェブサイト
- 若狭高浜観光協会WEBサイト
- 若狭高浜観光協会WEBサイト (英語)
- 高浜町に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ