ねこぢる(本名:橋口 千代美:旧姓は中山、1967年1月19日 - 1998年5月10日)は、日本の女性漫画家。夫は同じく漫画家の山野一

ねこぢる
本名 橋口 千代美
生誕 (1967-01-19) 1967年1月19日
日本の旗 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(現:川口市
死没 (1998-05-10) 1998年5月10日(31歳没)
日本の旗 東京都町田市中町三丁目
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1990年-1998年
ジャンル ガロ系
代表作 ねこぢるうどん
公式サイト ねこぢるライス
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1990年月刊漫画ガロ』誌6月号掲載の『ねこぢるうどん』でデビュー。1998年5月10日東京都町田市の自宅にて首吊り自殺。31歳没。

目次

経歴編集

生い立ち編集

埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(現:川口市)出身。不動産業を営む裕福な家庭に生まれ、鳩ヶ谷市の東鳩ヶ谷団地の近所で育つ[1]。最初に覚えた言葉は「ばか」で誰に対しても「ばか」と言っていたという[2]

学歴は不詳だが吉永嘉明の証言によれば地元の美容専門学校に通っており、学生時代はニューウェーヴバンドEP-4」の佐藤薫追っかけをしていたという[3]。また当時購読していた漫画雑誌『ガロ』を通して根本敬丸尾末広花輪和一諸星大二郎などのガロ系漫画に傾倒する[2][4]。特に山野一の作品集『夢の島で逢いましょう』に感銘を受ける。

ねこぢるは知人の知人を通して山野と接触し[2]押しかけ女房のような形で18歳の時に山野一結婚する[3]。結婚後は山野のセミアシスタントとしてベタ塗りなどの単純作業を手伝うが、漫画家になるつもりは全く無かったという[5]

漫画家デビュー編集

ある日、ねこぢるが暇を持てあまして画用紙に「奇妙なタコのようなネコの絵」を描いて遊んでいた所、彼女の絵を見た山野一が「言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった奇妙な魅力」[6]を感じ、その絵をモチーフにした原作を山野が作り、ねこぢるが絵を描いて一本の漫画を創作する。この原稿を山野が青林堂に持ち込んだところ[4]、編集部の高市真紀白取千夏雄から好評を得て『月刊漫画ガロ1990年6月号より『ねこぢるうどん』の連載を開始する[4][7]。この連作の元にもなったデビュー作は、子猫がうどん屋で去勢されて死ぬというだけの内容である。

このデビュー作から夫の山野は「作・山野一 画・ねこぢるし」[注釈 1]の共同名義でクレジットされるようになり、唯一無二の「共同創作者」としての役割を務めることになった。二人には「極めて微妙」な役割分担があり、ねこぢるの発想やメモをもとに山野がストーリーをネームにして書き起こし「読める漫画」にまで再構成する役割などを担った(山野はこの作業を「通訳」と述べている)。これらの連作は、ねこぢる自身の夢の中の体験を基にした支離滅裂で不条理な展開やドラッグ中毒のようにサイケデリックな描写が特徴的である。

1992年には『ガロ』6月号で特集が組まれ、この際に知久寿焼岡崎京子根本敬逆柱いみりスージー甘金松尾スズキ土橋とし子井坂洋子内田春菊黒川創らがコメントや文章を寄稿した。

ブーム到来編集

1990年代後半になると、当時流行していた悪趣味ブームの流れで「ねこぢるブーム」が起こる。以後、『ガロ』『ヤングサンデー』『コミックビンゴ!』『ビッグコミックスピリッツ』『ヤングアニマル』『テレビブロス』『SPA!』『危ない1号』『小説すばる』まで漫画雑誌の枠を超えて数多くの媒体で多岐に渡り作品を発表、東京電力の宣伝キャラクターまで仕事の幅は非常に幅広かった[注釈 2]デフォルメされた無邪気な絵柄とは裏腹にシュールを通り越して最早狂気の域に達している残酷なストーリーとのギャップに若年層の支持も集めたとされている。

山野一とねこぢるは仕事なら何でも引き受ける方針だったため[8]、ブームによって増えた仕事の依頼を断ることが出来ず作品の量産と表現の自主規制を二人は強いられた。ねこぢるは次第に精神が不安定になり、山野に危害を加える事件[9][10]を起こしたり、自殺未遂を繰り返すなど奇行が目立つようになる[11]。何度も「死は別に恐くない」と周囲に述べ[12]、編集者にも「死のうと思ったことありますか」と尋ねた事もあったという[13]

晩年編集

1998年4月、原稿依頼をした女性編集者に電話で2時間に渡り「自分はもう好きなものしか描きたくない。お金になるとかじゃなく描きたいものだけを描いていきたい」と現状の不満を打ち明ける[14]。翌5月5日には白泉社の担当編集者に「漫画を描くのは疲れた。もう漫画家をやめて旦那と一緒に発展途上国に行って暮らしたい」と電話口で漏らしていた[13]

1998年5月10日午後3時18分、町田市の自宅マンションのトイレにてドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態になっているのを夫の山野一によって発見される[15]。31歳没。遺体は発見が遅れて死後硬直が始まっていたという[11]

1998年5月10日以降編集

その後も山野一は「ねこぢるy」のペンネームで、ねこぢるワールドを引き継いで創作を続けている。ねこぢるの死後制作されたOVAねこぢる草』は、『ねこぢるうどん』の各編のシチュエーションをモチーフにした幻想的な作品に仕上がっている。

人物編集

ねこぢる自身は素顔や詳細なプロフィールをほとんど公表しておらず、『月刊漫画ガロ』1992年6月号の特集に掲載された彼女の写真のみが一般に素顔を見せた唯一の例である[注釈 3]。夫の山野一は彼女の人物像について「身長153センチ、体重37キロ、童顔…。18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…」と寄稿した追悼文の中で述べている[16]

交友のあった編集者の吉永嘉明によると、ねこぢるは基本的に殆どの人間や対象にまるで関心が無く、それらに対する口癖も「つまんない」「嫌い」「相性が悪い」「興味が無い」「関心がない」「波長が合わない」など嘘がつけない体質だけに極めてストレートなものだったという[17]。“特殊漫画家”の根本敬も彼女について「他人の正体や物の本質をパッと見抜けてしまう人。またそれを素直に口にしてしまう正直者」と評している[18]

また吉永の証言によれば、ねこぢるは鬱病精神科に通院しており、出会った頃には既に自閉的な性格が完全に確立していたという[12]。吉永は彼女の自閉について「精神的に孤立して自分の内面にこもる傾向が育まれたのかもしれない」と推察している[12]

一方で興味のある対象には非常に積極的であり、とくに“波長”の合う人物には熱狂的な好意を抱いた。また好意を抱いた人物には「追っかけ」とも言える行動に出ることもあり、夫・山野一と結婚した経緯も、ねこぢるが山野の住むアパートにまで押し掛けて、そのまま上がり込んでしまったからだという[3]。吉永いわく山野はねこぢるの「お母さん」のような存在でもあり[19]、彼女の自殺についても「あそこまで生きたのも山野さんがいたからだとも思う」と述べている[20]

またねこぢるは食欲も存在せず、吉永は「最期のほうは生きる欲望も薄れていった」と述べている[21]に関しても「血の味がするから」と全く食べなかった[13]。吉永の妻が勧めたアボカドも一口食べ、勢いよく吐き出したという[21]。これに関して生前「トンカツって豚の死体だよね」という感想を夫の山野一に述べており[13]、漫画の中でも下等生物として罵られ殺され食べられる家畜程度の存在にしか描かれていない[22]

ガロ』の担当編集者であった高市真紀の証言でも、ねこぢるは殆ど外出せず、喫茶店も嫌いで、お世辞や社交辞令にも敏感に反応してしまい、世間との付き合いは苦手だったという[23]。その一方で高市のであり漫画家山田花子1992年投身自殺した時には、高市が山田の後追いをしないか心配して親身に話を聞いてくれたと述べている[23]。また「心を見抜かれそう」と緊張していた高市に対して「大丈夫、緊張しないで」と声をかける一面もあったという[23]

ねこぢるの死後、『COMIC GON!』(大洋図書/ミリオン出版)3号で「蘇るねこぢるワールド」という特集が組まれ、ねこぢるに接触した17人の編集者のインタビューが掲載された[1]。この中で『テレビブロス』編集者の小田倉智は、ねこぢるが自殺する直前に過労で入院していたことを明かしている[1]

また彼女について担当編集者らは「原稿の締め切りをキッチリと守る人だった。月に数十本の原稿を抱えながら、締め切りを守るのは至難の業、それをやり遂げたねこぢるはムチャクチャ責任感のある人」「自分の漫画を読んでいる有名人をそれとなくチェックして帯の推薦文の人選を考えたり、10代の子が自分の本をおこづかいで買えるように、価格を下げるように交渉したり、単行本を作る過程でいろいろ知恵を絞っていた」と証言している[1]。この特集を企画した編集者はこれらの証言を踏まえて「『自分の人気は一時的なもので、すぐ売れなくなる』と、自分の人気に甘んじない冷静さがあったので、彼女は来る仕事を拒まず、なおさら人気漫画家となったのでは」と推察していた[1]

ねこぢるは売れっ子になる前から3日間起き続け、その後丸1日寝るという体内時計サーカディアン・リズム)に逆らった不規則な生活を送っていた[3]。その様子は自殺の二日前に描いた遺稿『ガラス窓』でも見ることが出来る[24]

作風編集

ねこぢる作品の多くは、子供特有の残酷さを持った無邪気な子猫の姉弟「にゃーこ」と「にゃっ太」を主人公とする一話完結型の不条理漫画である(自身を主人公とした『ぢるぢる旅行記』や『ぢるぢる日記』などのエッセイ漫画でも、作者のねこぢるが猫の姿で描かれている)。唯一の例外として、短編『つなみ』はヒトが主人公である。

猫の「にゃーこ」と「にゃっ太」を主人公とした連作『ねこぢるうどん』(作・山野一 画・ねこぢる)は評価が高い。にゃーことにゃっ太は子供であり、主婦の母と、工場勤務でアルコール使用障害の父を持つ。にゃーこは喋れるが、にゃっ太は猫の鳴き声でしか喋れないという設定である。しかし、唯一の例外として初登場回である『かぶとむしの巻』では、にゃっ太が普通に喋る姿が見られる[注釈 4]
山野一はエッセイ『インドぢる』において、このキャラクターの出生について言及している。それによると、ねこぢるが暇を持てあまして画用紙に落書きをしていた時に、書いていたイラストが「にゃーこ」と「にゃっ太」の原型になっているとのこと[25]

『ねこぢるうどん3』(文藝春秋)に収録された「夢のメモ」からもわかるようにねこぢる自身の夢の中の体験を基にした奇想天外な内容の作品も多数存在する。またねこぢるはエッセイ作品においても「路上でうんこをしている人を見た」[26]「深夜目覚めると知らないおばさんが笑って見下ろしていた」[27]「逆L字形をした物体が光りながら移動していた」[28]といった不可思議な体験を数多く描き残しており、これに関して吉永嘉明は「彼女は夢と現実があやふやに混じり合ったような、分裂的な思考回路を持っていた。たぶん本人の目には見えているのだろう」と語っている[29][30]。またねこぢる自身もインタビューで「そういえば夢が外に出てきちゃった時がありました。夜中に犬にかまれて手を振り払ったら、犬が布団の上にいて、すぐに泡のように消えていっちゃった」と述べている[31]

ねこぢる作品には、猫の他にも動物の姿をしたキャラクターが多く登場するが話の舞台は人間世界であることが多く、現実社会におけるタブーや底辺社会を描写したブラックな作品も多い。またマジックマッシュルームLSDといった違法な薬物も作品中にたびたび登場する。原作者山野一も「漫画にどうしても反映せざるを得ない人や物を目撃する機会が多い。傍観するような視界の中によくそういう人が登場する」とインタビューで答えている[32][33][34]。こうした遭遇体験は『ねこぢるうどん』などの創作にも反映されている[2]

漫画単行本編集

山野一2013年に出版した『おばけアパート前編』(ねこぢるy名義)以外の単行本は現在すべて絶版のため通常の書店での入手は完全に不可能である。

「ねこぢる」名義編集

  • ねこぢるうどん (全2巻 青林堂・絶版/全3巻 文藝春秋・絶版)
  • ねこ神さま (全2巻 文藝春秋・絶版)
  • ねこぢるまんじゅう (文藝春秋・絶版)
  • ねこぢるだんご (朝日ソノラマ・絶版)
  • ねこぢる食堂 (白泉社・絶版)
  • ねこぢるせんべい (集英社・絶版)
  • ぢるぢる旅行記・インド編 (ぶんか社・絶版)
  • ぢるぢる旅行記・総集編 (青林堂・絶版)
  • ぢるぢる日記 (二見書房・絶版)
  • ねこぢる大全 (上下巻 文藝春秋・絶版)

「ねこぢるy」名義編集

  • ねこぢるyうどん (全3巻 青林堂・絶版)
  • インドぢる (文春ネスコ・絶版)
  • おばけアパート前編 (アトリエサード)

アニメーション編集

ねこぢるの漫画は、テレビ朝日系の深夜番組爆笑問題のボスキャラ王』の1コーナーとして1998年に短編アニメ化されのちに『ねこぢる劇場』というタイトルのビデオとDVDが発売された。

2001年にはOVAねこぢる草』(監督・佐藤竜雄)が製作されている。これは『ねこぢる劇場』の続編ではなく全く無関係の作品である。脚本・絵コンテ・演出・作画監督の4役に湯浅政明を迎え、ねこぢる本来の画風を生かしつつ、湯浅独自の世界観を融合させた幻想的な映像になっている。同年の文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では優秀賞を受賞した[35]。また『ねこぢる草』のタイトルでサウンドトラックも発売されている。

山野一との創作上の関係編集

夫妻と面識があった評論家黒川創は『ガロ』に寄稿したコラムの中で「山野一は、ねこぢるのストーリー作り補助、ペン入れ下働き、スクリーントーン貼り付け係、および渉外担当のような受け持ちをしてきたらしい。つまり、『ねこぢる』というのは個人名というより一種の屋号で、その『ねこぢる』の成分には10%か20%“山野一”が配合されているのだと考えられなくもない。私が彼女のことを“ねこぢる”と呼ぶたび、自分の頭のうしろのほうでは(……ただし、20%の山野一成分抜きの)と、落ち着きのないささやきが聞こえる。ちょっとイライラする。いったい、彼女は誰なのだろう」と述べており、二人の「極めて微妙」な関係性に困惑していたという[36]。また“特殊漫画家”の根本敬は「ただの共作者とか夫婦とか友人とかとは違う、ジョン・レノンオノ・ヨーコ以上の何か深いものを感じていた」と語っている[4]

山野一との相互影響編集

山野一によると、ねこぢるの最初の漫画は、ねこぢるがチラシの裏や画用紙などに描いていた「奇妙なタコのようなネコの絵」をモチーフとして、ねこぢるの夢のメモをもとに山野がストーリーを書くことから始まった[5]。そのため初期のねこぢる作品である『ねこぢるうどん』では山野一原作者としてクレジットされている。二人には「極めて微妙」な役割分担があり、外部の人間をアシスタントとして入れることが出来なかったため、山野一がねこぢるの「唯一の共同創作者」であった[5]

また山野一作品中にもねこぢる作品から着想された物が多数登場する。1990年代前半の山野作品である『カリ・ユガ』や『どぶさらい劇場』にも、ねこぢる作品のキャラクターである「にゃーこ」や「にゃっ太」の絵が描かれている箇所が存在する。二人の作品に共通して現れる物の例として、「はぐれ豚」または「一匹豚」と書かれた看板が飾られている装飾付きの大型トラックなどがある[37]

ねこぢるのルポルタージュ漫画作品『ぢるぢる旅行記』では、ねこぢると「旦那」の二人によるインドネパールでの旅が描かれている。また、ねこぢるが自身の私生活を題材とした作品『ぢるぢる日記』にも「鬼畜系マンガ家」である「旦那」が登場している[38]

山野一名義の作品にも、ねこぢるが部分的に関与しており、1989年刊行の作品集『貧困魔境伝ヒヤパカ』に収録された短編『荒野のハリガネ虫』では冒頭のクレジットに「CHARACTER DESINE C.NAKAYAMA」という本名の記載がある。ねこぢるとの親和性が高い本作は2016年の作品展でも当時の原画が展示されている。

また山野は『ガロ1987年9月号に「チヨミ」という少女が知恵遅れの少年「キヨシ」を虐待するという内容の漫画『在日特殊小児伝きよしちゃん』を発表しており、同様に障害児虐待をテーマにした漫画『さるのあな』をねこぢるがデビューした1990年に発表している。いずれの作品も子供的狂気をメイン・テーマにしており、ねこぢる作品に近接した世界観となっている。

ねこぢるの死後、山野は雑誌に寄稿した「追悼文」の中で、1998年5月以前の自身の活動について「私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…。上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました」と打ち明けている[5]。また彼女の創作的な感性と可能性について「ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう」と評価している[5]

その後、山野はねこぢるの様式で描いた漫画作品を「ねこぢるy」の名義で受け継ぎ、ねこぢるの創作様式を踏襲する一方で、コンピュータによる作画を全般的に採り入れた[注釈 5]

自殺編集

ねこぢるは生前より自殺未遂経験があり、自殺の数年前に書かれた遺書が存在する[注釈 6][4][11]。その遺書には「生きていたことさえも忘れてほしい」[4]「お墓もいらない」[11]と記されていたが、遺族の意向で墓が建てられている。ただ、吉永嘉明によれば墓石には名前が書かれておらず、梵字がひとつ彫ってあるのみであるという[11]

夫の山野一は自殺の真相について「故人の遺志により、その動機、いきさつについては一切お伝えすることができません。一部マスコミで“某ミュージシャン後追い”との憶測報道がなされましたが、そのような事実はありません。ねこぢるはテクノゴア・トランスに傾倒しており、お通夜に流した音は、彼女が“天才”と敬愛して止まなかったAphex Twin(Richard D.James)の『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人の強い希望により、柩に納められたのは、彼女が持っていたAphex TwinのすべてのCDビデオでした」とコメントしている[39]。この某ミュージシャンとは、この数日前に他界したX JAPANのギタリストhideである。この事に関して山野は「(hideの曲に関して)彼女は多分一秒も聞いたことはない」と述べている。

評価・分析編集

  • 唐沢俊一 - 幼児の持つ、プリミティブな残酷性をこれほど直観的に描き出した作品はないだろう。猫の姉弟の基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物の虐待の記憶をまざまざとよみがえらせる。そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである[40]
  • 速水由紀子 - 1970年代前後の懐かしい家や街、猫家族のメルヘン世界を、突如、殺戮や狂気がスパッと切り裂く唐突さ。物置の片隅にファンタジーお化け殺意が同居していた、子供の頃の記憶がリアルに蘇ってくる。グリム童話の無垢な残酷さにも通じるものだ[7]
  • 山野一 - その目を初めて見たのは、彼女が暇を持てあまして書き殴っていた画用紙だ。魅力は確かにあるのだが、その正体がよくわからない。可愛いようで怖い。単純なようでもあり計り知れなくもある。原始人のケイブアート、あの半ば記号化されたような動物や人、あるいは六芒星ハーケンクロイツといったシンボリックな図形。そういった要素が、描いた本人も無自覚なうちに備わっているのではなかろうか[25]
  • 柳下毅一郎 - ねこぢるがあれほどのポピュラリティーを獲得できた理由も毒に満ち満ちた内容と、アンバランスな丸っこい描線の可愛らしい絵柄。ミスマッチとも言えそうだが、甘ったるい絵柄が毒をくるむ糖衣となったおかげで、ほど良く辛みを効かせることになったのだ。これが山野一ではそうはいかない。透明な、抽象度の高い絵で生々しさを抜いたからこそ、女子供にも愛されるねこぢるケータイストラップが作られたわけである[41]
  • 村崎百郎 - ねこぢる漫画の根底にあるのは何かに対立する“反”の意識などではなく、非倫理、非道徳、非社会性ともいうべき、あらゆるものから隔絶し超然とした精神である[41]
  • 青山正明 - ねこぢるの創作する世界では、凡百の残酷童話にありがちな説教めいた教訓などなく、強い動物は弱い動物にどんな暴力を振るおうが、その死肉を食らおうがお構いなしだ。ところが、その一方で、主人公たる猫一家は、奇妙なところは多々あるとはいえ、とりあえず仲むつまじい家族である。いつも手をつないで歩く、強く怖い父、分別ある母。こうした家族のあり方は、今の世にあっては、現実とは程遠いファンタジーと言えよう[42]

展示編集

個展編集

  • 2010.10.5-10.9 「ねこぢるyの世界2010」渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2011.3.4-3.13 ねこぢるy個展「湾曲した記憶」渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2011.9.17-9.26 山野一とねこぢるy個展「失地への帰還」渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2013.11.1-11.17 漫画家生活30周年記念「ねこぢるy(山野一)新作漫画原画&絵画展2013」渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2015.8.20-9.5 山野一/ねこぢるy個展「そこいらの涅槃(ニルヴァーナ)」ぎんけいさろん&ギャラリー 東京銀座
  • 2016.7.7-8.30 ねこぢる・ねこぢるy・山野一作品展「ねこぢるのなつやすみ」不思議博物館分室サナトリウム 福岡天神
  • 2017.1.19-2.4 ねこぢる生誕50周年記念「ねこぢる&ねこぢるy展」ぎんけいさろん&ギャラリー 東京銀座

関連作品編集

関連人物編集

影響を受けた人物編集

山野一
特殊漫画家。ねこぢるの共同創作者として原作ネーム作画アシスタントを担当。また彼女のマネージャーとして渉外担当の役回りも務めていた。
佐藤薫
ねこぢるが1980年代追っかけをしていたミュージシャン[3]山崎春美の伝説的なロックバンドTACO」の元メンバー。京都ニューウェーヴテクノファンクバンドEP-4」のリーダー。
諸星大二郎
SF漫画家。ねこぢるは特に『無面目』という作品を気に入っていた[13]
エイフェックス・ツイン
ねこぢるが最も傾倒していたミュージシャン。通夜に流した音楽もエイフェックス・ツインの『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人の強い希望により柩に納められたのは、彼女が持っていたエイフェックス・ツインのすべてのCDビデオだった。

家族・親族編集

山野一
ねこぢるの夫。ねこぢるのルポルタージュ漫画作品『ぢるぢる旅行記』では、ねこぢると「旦那」の二人によるインドネパールでの旅が描かれている。また、ねこぢるが自身の私生活を題材とした作品『ぢるぢる日記』にも「鬼畜系マンガ家」である「旦那」が登場している[38]
ただれ彦
ねこぢるの弟で山野一の義弟。「ただれ彦」は生前のねこぢるが即興で付けた綽名。山野一の旅行記『インドぢる』では、ただれ彦との二人旅の様子が書かれている。

友人編集

吉永嘉明
鬼畜系ムック危ない1号』副編集長。ねこぢるとはデビュー当初からプライベートで交友があり、夫妻とも非常に親密な関係があった[19]。著書に『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社/幻冬舎アウトロー文庫)がある。
巽早紀
吉永の妻でねこぢると交友があった。元ペヨトル工房の編集者であり当時の同僚に鬼畜系ライター村崎百郎がいる。2003年9月28日首吊り自殺
根本敬
特殊漫画家・特殊漫画大統領。吉永によれば、ねこぢるは根本を「面白い漫画を描く先輩」として尊敬していたという[19]。また根本もねこぢるの「本物性」を彼女のデビュー前から感じていたらしく、自殺を受けて「本物の実感」と題した追悼文を雑誌に寄稿した[43]

編集者編集

青山正明
鬼畜系ムック危ない1号』編集長。ドラッグロリコンスカトロフリークスからカルトムービーテクノ辺境音楽異端思想精神世界まで幅広くアングラシーンを論ずる鬼畜系文筆家の草分け的存在。『ねこぢるだんご』(朝日ソノラマ)にも解説を寄稿。著書に『危ない薬』『青山正明全仕事』(ともにデータハウス刊)がある。2001年6月17日首吊り自殺
高市真紀
青林堂ガロ』担当編集者[44]。姉は漫画家の山田花子。現・青林工藝舎アックス』編集者。
白取千夏雄
元『ガロ』副編集長。妻は漫画家のやまだ紫1998年新宿ロフトプラスワンで行われた追悼トークライブ「ねこぢる追悼ナイト」に出演した。
黒川創
評論家・編集者。青林堂版『ねこぢるうどん』第1巻に「夢の不穏」と題した解説を寄稿した。
加藤宏子
白泉社の担当編集者。『PUTAO』に連載されたエッセイ漫画『ぢるぢる見聞録』に担当のKさんとして登場する。
顔画工房
別名は桜井顔一。東京公司の元アルバイトで『ねこ神さま』第2巻収録の4コマ漫画に某出版社のバイト君として登場する[9][10][45]
蟹江幹彦
現・青林堂社長。愛知県カゴメ創業者一族の家庭に産まれる。早稲田大学を卒業[46]。在学中はミニコミ誌『早稲田乞食』の編集長を務める。1980年代にはフリーライターとして活動。『GORO』時代は木村和久石丸元章えのきどいちろうらと共に活動していた[47]1990年代にはCD-ROM制作会社の大和堂を経営しており、当時青林堂の社長であった山中潤よりねこぢるの版権を譲り受け、ねこぢる作品のCD-ROM版やグッズの販売を行っていた。ねこぢるの死後、山野一と見解の相違により絶縁する[48]

参考文献編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ ねこぢるはデビューから1年間「ねこぢるし」名義で活動していたが、デビュー1年目にあたる『月刊漫画ガロ』1991年6月号掲載の『ねこぢるうどん扉絵に「ねこぢるし改め/画・ねこぢる 作・山野一」とある事から、これを機にペンネームを正式に改めていた事が判明している。またねこぢるは『文藝』1996年冬季号のインタビューで改名の経緯について「最初『ねこぢるし』だったんですけど、自分も『ねこぢる』『ねこぢる』と言っているから、そのほうが覚えやすいし、言いやすいし、インパクトが残るかなと思って」と語っている。また原作担当の山野一も『文藝』2000年夏季号のインタビューで「はじめは『ねこぢるし』という名前でしたが『ねこぢる』のほうがいいと本人が言い出したのでそうしたと思います」と同様の証言をしている。
  2. ^ ねこぢるによる東京電力の宣伝キャラクター「デンキくん」は1997年4月に公開された後、TVCMにも登場したが翌98年5月にねこぢるの自殺を受けて打ち切られた。デンキくんはTVCM放送中TEPCO銀座館で展示され、ねこぢるの自殺後も撤去されることなく展示されたが、TEPCO銀座館の大幅な改装リニューアル工事のため2002年3月31日をもって展示終了となった。
  3. ^ 本人の遺志で顔写真は原則非公開となっている。
  4. ^ なお、この作品は現在、ねこぢるyの公式サイト「ねこぢるライス」にて閲覧することができる。
  5. ^ ねこぢるy(山野一)が2013年に発表した漫画単行本『おばけアパート前編』では従来のアナログ作画を採用している。
  6. ^ ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋 1998年)112-113頁「あとがき」によると、書かれた遺書は2年前(1996年)のものと山野一は述べている。

出典編集

  1. ^ a b c d e 大泉実成「ねこぢる曼荼羅を探して」『消えたマンガ家 ダウナー系の巻』太田出版 2000年(初出:太田出版刊『Quick Japan』vol.32)
  2. ^ a b c d 河出書房新社文藝』2000年夏季号 ねこぢるyインタビュー「ねこぢる/ねこぢるy(山野一)さんにまつわる50の質問
  3. ^ a b c d e 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「私生活」より。
  4. ^ a b c d e f 根本敬白取千夏雄サエキけんぞう鶴岡法斎「ねこぢる追悼ナイト」『TALKING LOFT3世』VOL.2 1999年11月 ロフトブックス
  5. ^ a b c d e 山野一「特別寄稿・追悼文」『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁。
  6. ^ ねこぢる『ねこぢる大全 下』(文藝春秋)「対談 根本敬特殊漫画家)×山野一漫画家)」より。
  7. ^ a b AERA』1996年4月22日号 73頁。
  8. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「ブーム到来」より。
  9. ^ a b 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「修羅場」より。
  10. ^ a b 顔画工房の証言より。
  11. ^ a b c d e 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「死に顔」より。
  12. ^ a b c 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「死は恐くない」より。
  13. ^ a b c d e メディアDo「ねこぢるの死」(関西テレビ 2001年3月26日
  14. ^ 唐沢俊一『B級学マンガ編』(海拓舎)
  15. ^ 「警視庁町田署によると、ねこぢるさんの夫で漫画家の山野一(はじめ)さんが、今月10日午後3時18分、自宅マンションのトイレで首をつっているねこぢるさんを発見し、町田消防署に119番通報。救急隊員が駆けつけたときには、既に死亡していた。ねこぢるさんはトイレのドアノブにタオルのようなものを掛けて首をつっており、この日の午前中に亡くなったとみられている。遺書はなく、自殺の理由は不明」『東京新聞』1998年5月13日付記事より。
  16. ^ ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)114-115頁。
  17. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「嫌いなものは嫌い」より。
  18. ^ 青林堂月刊漫画ガロ』1992年6月号「ほっかほっか家族天国」(根本敬)より。
  19. ^ a b c 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「直観の閃き」より。
  20. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「殺すか、死ぬか」より。
  21. ^ a b 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「武装願望」より。
  22. ^ このような作品の例として、『ねこぢるだんご』(1997年 朝日ソノラマ)に収録されている「かちく」などがある。
  23. ^ a b c 速水由紀子新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺」『AERA』2001年11月19日号所収。
  24. ^ 「3日起きてたり30時間寝てたり…世の中のリズムとはだいぶズレてしまった…ガラス窓の外はまるで異次元のよーだ…出勤途中のサラリーマン…あの人の目にはどんな風に映ってるのかなー…」ねこぢる『ねこ神さま』第2巻(文藝春秋)遺稿「ガラス窓」133頁。
  25. ^ a b ねこぢるy『インドぢる』(2003年 文春ネスコ)156-158頁。
  26. ^ ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)67-69頁。
  27. ^ ねこぢる『ねこぢる食堂』(1997年 白泉社)「ぢるぢる恐怖体験」72頁。
  28. ^ ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)51頁。
  29. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「コラボレーション」より。
  30. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「天然アシッド」より。
  31. ^ 河出書房新社『文藝』1996年冬季号 ねこぢるインタビュー「なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして
  32. ^ 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年10月号「特殊漫画博覧会」の中「特殊漫画家の特殊な才能」より。
  33. ^ 青林堂『月刊漫画ガロ』1994年2月号「混沌大陸パンゲア刊行記念 山野一インタビュー」249頁。
  34. ^ これに関してねこぢるも『月刊漫画ガロ』1992年6月号や『文藝』1996年冬季号のインタビューにて「変な人」に遭遇する機会が多いことを述べている。
  35. ^ 歴代受賞作品 第5回 2001年 アニメーション部門 受賞作品 優秀賞 - ねこぢる草”. 文化庁メディア芸術祭. 文化庁. 2016年7月30日閲覧。
  36. ^ 黒川創ねこぢるって誰?」青林堂『月刊漫画ガロ』1995年10月号 103頁。
  37. ^ 山野作品での「はぐれ豚」の例は、山野一『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)56頁参照。ねこぢる作品での「はぐれ豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋 1998年)25頁参照。ねこぢる作品での「一匹豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるうどん3』(文藝春秋 1999年)36-37頁参照。ねこぢるy作品での「はぐれ豚」の例は、ねこぢるy『おばけアパート前編』(アトリエサード 2013年)107頁参照。
  38. ^ a b ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)75頁。
  39. ^ 文藝春秋コミックビンゴ!』1998年7月号 195頁「漫画家・山野一さんからの緊急メッセージ」
  40. ^ 青土社ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」
  41. ^ a b 河出書房新社『文藝』2000年夏季号 特集「ねこぢる。」
  42. ^ ねこぢる『ねこぢるだんご』(朝日ソノラマ 1997年)解説より。
  43. ^ 特殊漫画家・根本敬の追悼コメント「本物の実感」 水道橋博士の悪童日記 1998年6月26日付
  44. ^ 山野一のツイート 2017年1月29日
  45. ^ ねこぢる『ねこ神さま』第2巻(文藝春秋)「ぢるぢる4コマ漫画」100-102頁。
  46. ^ 原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』:山中潤氏の語る「ガロ」・7 - livedoor Blog(ブログ) - 原田高夕己による山中潤へのインタビュー
  47. ^ 石丸元章のツイート 2017年2月7日
  48. ^ 山野一さん登場!! 濃い話が聞けました。 YouTube

外部リンク編集