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エレナ・ドキッチJelena Dokić, セルビア語: Јелена Докић , 1983年4月12日 - )は、ユーゴスラビアオシエク(現クロアチア領)出身のオーストラリアの女子プロテニス選手。プロデビュー当時はオーストラリア国籍で活動していた為、英語読みの「エレナ・ドキック」と呼ばれていたが、1999年ウィンブルドンの大会期間中から、自分がユーゴスラビアで生まれた時の発音で呼んでほしいという本人の希望により「ドキッチ」と呼ばれるようになった。

エレナ・ドキッチ
Jelena Dokić
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エレナ・ドキッチ
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア (1998–2000, 2006-現在)
ユーゴスラビア連邦共和国の旗 ユーゴスラビア (2001-2003)
セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ(2003-2005)
出身地 ユーゴスラビア・オシエク
居住地 モナコ・モンテカルロ
生年月日 (1983-04-12) 1983年4月12日(36歳)
身長 175cm
体重 60kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1998年
引退年 2014年
ツアー通算 10勝
シングルス 6勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 466勝321敗
シングルス 348勝221敗
ダブルス 118勝100敗
生涯獲得賞金 $4,481,044
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2009)
全仏 ベスト8(2002)
全英 ベスト4(2000)
全米 4回戦(2000・01)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(1999・2000)
全仏 準優勝(2001)
全英 3回戦(1999-2001)
全米 2回戦(2000・01)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 4位(2002年8月19日)
ダブルス 10位(2002年2月4日)

WTAツアーでシングルス6勝、ダブルス4勝を挙げ、2001年全仏オープン女子ダブルス準優勝の経歴も持つ。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス10位。一方、父親ダミルの度重なる奇行、後述する国籍変更問題など、コート内外でトラブルの多い選手でもある。

目次

来歴編集

故国ユーゴスラビアの先輩モニカ・セレシュに憧れて7歳からテニスを始め、11歳の時に内戦を逃れてオーストラリアに移住した。ジュニア時代、1998年全米オープンの女子ジュニアシングルス部門で優勝がある。全米ジュニアの直後に日本大阪で開催された「世界スーパージュニアテニス選手権大会」で優勝するなど、早くからオーストラリア女子の新星として有望視されていた。

1999年全豪オープン4大大会にデビュー。地元の女子選手として主催者推薦を受け、3回戦で第2シードのマルチナ・ヒンギスに挑戦した。5ヶ月後のウィンブルドン選手権で予選を勝ち上がり、6月22日の1回戦でヒンギスを 6-2, 6-0 で圧倒して一躍有名になった。この大会ではベスト8まで勝ち進んだが、“予選勝者対決”になった準々決勝でアレクサンドラ・スティーブンソンアメリカ)に敗れる。ウィンブルドン選手権の終了後、2000年シドニー五輪の「オリンピック大使」に任命された。

ところが、翌2000年全豪オープン1回戦でリタ・クチ=キスハンガリー)に敗れた後、クチキスに対する暴言が発端となって一連の“舌禍事件”を起こす。この後ウィンブルドンでベスト4に進出したが、これがドキッチの4大大会シングルス自己最高成績である。オリンピック大使を務めたシドニー五輪では女子シングルス準決勝まで進出したが、ロシア代表のエレーナ・デメンチェワに 6-2, 4-6, 4-6 の逆転で敗れ、準決勝敗退選手2名による「銅メダル決定戦」でもモニカ・セレシュに 1-6, 4-6 で敗れたため、銅メダルを逃した。同年末に国籍を故国ユーゴスラビア(セルビア・モンテネグロ)に戻し、7年間住んだオーストラリアを離れた。2001年全豪オープンの1回戦で第2シードのリンゼイ・ダベンポートに敗れた後、ドキッチは長い間全豪オープンから遠ざかることになる。

2001年5月、「イタリアン・オープン」の決勝でアメリ・モレスモを 7-6, 6-1 で破り、WTAツアー初優勝を果たした。続く全仏オープンでは、コンチタ・マルティネスとペアを組んだ女子ダブルスで準優勝がある。同年9月に日本の「トヨタ・プリンセス・カップ」で初優勝を飾り、10月上旬の「クレムリン・カップ」でも優勝した。2002年8月に世界ランキングを自己最高の4位に上げたが、この後ドキッチのテニス成績はすぐに急降下してしまう。2003年ウィンブルドン3回戦で当時16歳のマリア・シャラポワに敗れると、全米オープンも2回戦でマリー・ピエルスに敗れ、2004年全仏オープンウィンブルドン全米オープンですべて1回戦敗退に終わった。

2005年12月、再び「オーストラリア」国籍でプレーする意向を表明した。2006年全豪オープンの1回戦では、ビルジニ・ラザノフランス)に 6-3, 6-7, 1-6 で逆転負けする。2年後の2008年全豪オープンで予選会のワイルドカード(主催者推薦)を得たが、予選2回戦でタマリネ・タナスガーンタイ)に敗れ、本戦復帰はならなかった。同年5月から女子ツアー下部組織の大会群(サテライト・ツアー)を回り、3つの大会で優勝する。

2009年全豪オープンで、10年ぶりの勝利を挙げ、4大大会で2002年全仏オープン以来となるベスト8に進出した。戦った5試合はすべてフルセット(セットカウント2対1)の内容で、1回戦はタミラ・パシェクオーストリア)、2回戦アンナ・チャクベタゼロシア)、3回戦キャロライン・ウォズニアッキデンマーク)、4回戦アリサ・クレイバノワ(ロシア)を破った。初進出の全豪準々決勝では、第3シードのディナラ・サフィナ(ロシア)に 4-6, 6-4, 4-6 で敗れた。この年は女子テニス国別対抗戦・フェドカップでも、5年ぶりにオーストラリア代表選手として出場した。

2011年マレーシアクアラルンプール大会では、1回戦で第1シードのフランチェスカ・スキアボーネイタリア)に 2–6, 7–6(1), 6–4 で勝利して勢いに乗り、8年ぶりのツアー決勝に進出した。決勝ではルーシー・サファロバチェコ)を 2–6, 7–6(9), 6–4 で破り9年ぶりのツアー6勝目を挙げた。6月のスヘルトーヘンボス大会でも決勝に進出しロベルタ・ビンチイタリア)に 7-6(7), 3-6, 5-7 で敗れたが、2004年以来のトップ50復帰を果たした。

ドキッチは2014年1月の全豪オープンダブルス1回戦敗退を最後に、右手首の怪我のため公式戦出場から遠ざかっている。

WTAツアー決勝進出結果編集

シングルス: 14回 (6勝8敗)編集

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2001年5月20日   ローマ クレー   アメリ・モレスモ 7–6(3), 6–1
準優勝 1. 2001年9月19日   バイーア ハード   モニカ・セレシュ 3–6, 3–6
優勝 2. 2001年9月23日   東京 ハード   アランチャ・サンチェス・ビカリオ 6–4, 6–2
優勝 3. 2001年10月7日   モスクワ カーペット (室内)   エレーナ・デメンチェワ 6–3, 6–3
準優勝 2. 2001年10月15日   チューリッヒ カーペット (室内)   リンゼイ・ダベンポート 3–6, 1–6
準優勝 3. 2001年10月22日   リンツ カーペット (室内)   リンゼイ・ダベンポート 4–6, 1–6
準優勝 4. 2002年2月4日   パリ カーペット (室内)   ビーナス・ウィリアムズ 不戦敗
優勝 4. 2002年4月7日   サラソタ クレー   タチアナ・パノワ 6–2, 6–2
準優勝 5. 2002年5月25日   ストラスブール クレー   シルビア・ファリナ・エリア 4–6, 6–3, 3–6
優勝 5. 2002年6月16日   バーミンガム   アナスタシア・ミスキナ 6–2, 6–3
準優勝 6. 2002年7月29日   サンディエゴ ハード   ビーナス・ウィリアムズ 2–6, 2–6
準優勝 7. 2003年10月13日   チューリッヒ カーペット (室内)   ジュスティーヌ・エナン=アーデン 0–6, 4–6
優勝 6. 2011年3月6日   クアラルンプール ハード   ルーシー・サファロバ 2–6, 7–6(9), 6–4
準優勝 8. 2011年6月18日   スヘルトーヘンボス   ロベルタ・ビンチ 7-6(7), 3-6, 5-7

ダブルス: 10回 (4勝6敗)編集

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1999年9月26日   東京 ハード   アマンダ・クッツァー   コンチタ・マルティネス
  パトリシア・タラビーニ
7–6(5), 4–6, 2–6
準優勝 2. 2001年6月10日   全仏オープン クレー   コンチタ・マルティネス   ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
  パオラ・スアレス
2–6, 1–6
準優勝 3. 2001年8月20日   ニューヘイブン ハード   ナディア・ペトロワ   カーラ・ブラック
  エレーナ・リホフツェワ
0–6, 6–3, 2–6
優勝 1. 2001年10月28日   リンツ カーペット (室内)   ナディア・ペトロワ   エルス・カレンズ
  チャンダ・ルビン
6–1, 6–4
優勝 2. 2002年4月7日   サラソタ クレー   エレーナ・リホフツェワ   エルス・カレンズ
  コンチタ・マルティネス
6–7(5), 6–3, 6–3
優勝 3. 2002年8月11日   ロサンゼルス ハード   キム・クライシュテルス   ダニエラ・ハンチュコバ
  杉山愛
6–3, 6–3
準優勝 4. 2002年9月30日   モスクワ カーペット (室内)   ナディア・ペトロワ   エレーナ・デメンチェワ
  ヤネッテ・フサロバ
6–2, 3–6, 6–7(7)
準優勝 5. 2002年10月14日   チューリッヒ ハード (室内)   ナディア・ペトロワ   エレーナ・ボビナ
  ジュスティーヌ・エナン
2–6, 6–7(2)
優勝 4. 2002年10月27日   リンツ カーペット (室内)   ナディア・ペトロワ   藤原里華
  杉山愛
6–3, 6–2
準優勝 6. 2003年5月12日   ローマ クレー   ナディア・ペトロワ   スベトラーナ・クズネツォワ
  マルチナ・ナブラチロワ
4–6, 7–5, 2–6

4大大会シングルス成績編集

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 通算成績
全豪オープン 3R 1R 1R A A A A 1R A LQ QF 1R 2R 2R 8–8
全仏オープン 1R 2R 3R QF 2R 1R A A A A 2R 1R 1R A 9–9
ウィンブルドン QF SF 4R 4R 3R 1R A LQ A A 1R LQ 1R A 17–8
全米オープン 1R 4R 4R 2R 2R 1R A A A A 1R LQ 2R A 9–8

外部リンク編集