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タイタニック (客船)

20世紀初頭のイギリスの客船

タイタニック(RMS Titanic、ロイヤルメールシップ・タイタニック)は、20世紀初頭に建造されたオーシャン・ライナー、豪華客船である。

タイタニック
RMS Titanic 3.jpg
タイタニック号
基本情報
船種 客船オーシャン・ライナー
クラス オリンピック級客船
船籍 イギリスの旗 イギリス
運用者 ホワイト・スター・ライン
母港 リヴァプール
経歴
起工 1909年3月31日
進水 1911年5月31日
竣工 1912年3月31日
処女航海 1912年4月10日
最後 1912年4月15日に沈没
要目
総トン数 46,328トン
全長 269.1 m
全幅 28.2 m
高さ 53 m
喫水 10.5 m
ボイラー スコッチ式ボイラー24基/補助5基
主機関 レシプロ4気筒エンジン2基
蒸気タービン1基、50,000hp (37 MW)
推進器 混成3軸、3枚羽スクリュー推進
速力 23ノット (42.6 km/h)
旅客定員 1等旅客 833人
2等旅客 614人
3等旅客1006人
乗組員 899人
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処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて1,513人(ほかに1,490人、1,517人、1,522または1,523人、1,609人などさまざまな説がある)であり、戦時中に沈没した船舶を除くと20世紀最大の海難事故であった[1]。タイタニックとその事故は、しばしば映画化されるなどして、世界的にその名を知られる。

概要編集

タイタニックは、イギリスホワイト・スター・ライン社が北大西洋航路用に計画し、造船家のアレクサンダー・カーライル英語版トーマス・アンドリューズによって設計され、北アイルランドベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造された豪華客船である。タイタニックの正式名称「RMS Titanic」のRMS(Royal Mail ShipまたはSteamer)は郵便船(英国郵便汽船)を意味する艦船接頭辞であり、船上でステーショナリーの購入、手紙の投函も可能だった[2]。タイタニックはホワイト・スター・ラインが保有する3隻のオリンピック級客船の2番船であり、姉妹船にオリンピックブリタニックがある。

船体編集

造船編集

タイタニックの造船計画は、20世紀初頭に造船業としての勢力を保っていたハーランド・アンド・ウルフの会長ウィリアム・ピリー卿が、1907年ロンドンのメイフェアの夕食会でホワイト・スター・ラインの社長ジョセフ・ブルース・イズメイJ. Bruce Ismay)に大型客船3隻の造船を堤案したことに始まる。

設備編集

ホワイト・スター・ラインは当時白熱していた北大西洋航路における「ブルーリボン賞」と呼ばれるスピード競争にはあまり興味を示さず、ゆとりのある快適な船旅を売りにしており、タイタニックもスピードよりも設備の豪華さに重点を置いて設計されていた。もっとも、特等および一等船室は贅沢な造りではあるものの、船体下層ではレシプロ蒸気機関の振動が響くなど、快適とは言いがたい船室もあった。

煙突は4本あるが、4本目は厨房や蒸気タービンの換気用で、黒煙が排出されないダミー的なものであった。これは船の美観を重視したためで、実際「4本目の煙突はダミー、伊達であり、乗客が持ち込んだペットを預かるスペースとして使用されていた」という調査・証言もある[3]

ボイラー室は6つあり、合計29基の石炭ボイラーが設置されていた。その後方には2基の3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関があり、左右の直径7メートルのスクリューを駆動していた。中央の直径5メートルのスクリューは蒸気機関を通過したあとの低圧蒸気でタービンを回して駆動するもので、燃費を改善する目的があった[4]

オリンピッククラス編集

タイタニックには姉妹船の「オリンピック」と「ブリタニック」が存在した。3隻体制は、当時ドル箱航路であった北大西洋航海において、他社との競争に打ち勝つためには実に合理的なものであった。タイタニックは1番船オリンピックの造船とほぼ時期を同じくして造船された。

ブリタニックはタイタニック沈没の影響による設計の見直しを迫られ、大幅に遅れて起工されたが、第一次世界大戦勃発によって病院船として徴用され、商船としては一度も使われないまま触雷により沈没した。オリンピックは輸送船として徴用されたが、戦火をくぐり抜けたのち客船として復帰し、1935年に引退するまで使用された。

 
姉妹船オリンピックと並ぶタイタニック (右)

タイタニックとオリンピックはほぼ同時期に竣工されたこともあり、外観や内装、サービス面においても瓜二つであった。1997年の映画『タイタニック』では、タイタニックのみが巨大な船であるかのように演出されていたが、当時はオリンピックが筆頭格であり、タイタニックの紹介記事にもしばしばオリンピックの写真が使われるなど、事実上オリンピックの陰に隠れた存在であった。その知名度が上がるのは皮肉にも沈没事故のあとであった。

オリンピックとの相違点編集

先立って運航されていた1番船オリンピックの改善点の指摘を受けてタイタニックの設計は多少変更され、外観もオリンピックと異同がみられる。特に目立つ部分はAデッキで、一等船客専用プロムナードデッキ(遊歩道)が、オリンピックでは全体が海に面したベランダ状の吹きさらしとなっていたのに対し、タイタニックは、中央部分から船首側の前半部分にガラス窓を取りつけサンルーム状の半室内とされた。これは北大西洋の強風や波しぶきから乗客を守るためであり、結果タイタニックはオリンピックよりもすっきりとした外観となり、2隻を区別する重要な要素となった。

ほかにも、オリンピックに設けられていたBデッキ窓際のプロムナードデッキが廃され、一等船室が増設された。そのうえ、プライベートプロムナードデッキのついたスイートルーム(1997年の映画『タイタニック』のヒロインの婚約者の部屋)が2部屋と、一等船客専用の絢爛豪華なレストラン「アラカルト」が設けられた。

世界最大の客船編集

 
タイタニック(青地)の大きさの比較

当初両姉妹船の総トン数は同じになるはずであったが、一等客室の数が増えたために最終的にタイタニックはオリンピック(4万5,324総トン)よりも1,004総トン増え、4万6,328総トンになった。

不沈船編集

タイタニックには当時としては高度な安全対策が施されていた。船底は二重になっており、船体も喫水線(水面)上までの高さがある防水隔壁で16の区画に区分され、そのうちの2区画(船首部では4区画)に浸水しても沈没しない構造になっていた。隔壁は、Gデッキより上の壁は手動であったが、下層デッキのものは船橋(ブリッジ)からの遠隔操作で即時閉鎖できた。各区画にも手動スイッチが設置され、15センチ以上の浸水で自動閉鎖される機能も備わっていた。そのため「不沈船」として喧伝され、21世紀の技術水準から見ても本船はきわめて安全な船であると言われている。

事故編集

航行編集

 
タイタニックの遭難地点 1912年4月15日
 
タイタニックと接触して沈没の原因となったと考えられている氷山。タイタニックの破片と同じ赤い塗料のようなものがこびりついていた。氷山の規模は写真からは分からない
 
船体と氷山の衝突状況

1912年4月10日に、タイタニックはエドワード・J・スミス船長の指揮のもと、イギリスサウサンプトン港の専用埠頭オーシャンドックからニューヨーク行きの処女航海に出発した。乗客乗員は合わせて2,200人以上で、一等特別室の航海費用は6日間で4,350ドルだったと伝えられている。

サウサンプトン港の出航後、タイタニックのスクリューから発生した水流に近くを航行していた客船ニューヨークが引き寄せられたが、衝突は間一髪で回避され、予定通りフランスのシェルブールとアイルランドのクイーンズタウン(現・コーヴ) に寄港し、アメリカのニューヨークに向かった。

なお、サウサンプトン港出航の直前に人事異動があり、ブレア二等航海士が双眼鏡を二等航海士キャビンにしまったことを(降格されたあとに二等航海士になる)ライトラー一等航海士に申し送りせずに下船したため、双眼鏡が所在不明になり、海上の監視を肉眼で行うことになっていた。

4月14日は午前中から当該海域を航行していた船舶間で、流氷群についての情報が無線通知されていた。その日、タイタニックも6通の無線通信を受信していたが、この季節の北大西洋の航海においてはよくある現象だと見過ごされてしまい、クルー間の情報共有も徹底されなかった。さらに混信が発生し、衝突の40分前に近隣を航行するリーランド社の貨物船「カリフォルニアン」から受けた警告も雑音とみなされてしまった。タイタニックの通信士たちは、前日の無線機故障のために山積していた旅客電報の発信業務に忙殺されていた。スミス船長は氷山の危険性を認識しており、航路を通常より少なくとも18キロ南寄りに変更していた。

4月14日23時40分、タイタニックが北大西洋のニューファンドランド沖にさしかかったとき、見張りが450メートル前方に高さ20メートル弱の氷山を肉眼で捕捉した。この海域は暖流と寒流がぶつかる境界面に位置するため、国際的にも海霧が発生しやすい海域として知られており、当直見張員だったフレデリック・フリートの証言によれば、そのときも海面にはが漂っていた。また、双眼鏡なしでは月のない星月夜の静まり返った海の氷山の縁に立つ白波を見分けることも容易でなく、発見したときにはすでに手遅れだった(ただし、双眼鏡自体は遠くにある物を見る機能しか持っていないため、タイタニックが置かれた状況下では、あっても役に立たなかった可能性が高い。氷山は全体の10パーセント程度しか水上に姿を現さないため、水面下で衝突する危険性がある)。

回避行動編集

 
タイタニックが氷山と衝突する際の航路を示した図。青が船首の経路、赤が船尾の経路である

フリートはただちに鐘を3回鳴らし、ブリッジへの電話をつかんだ。応答したのはジェームズ・ポール・ムーディ六等航海士だった。

  • フリート「Is anyone there?(訳:誰かそこに居ないのか!)」
  • ムーディ「Yes, what do you see?(ああ、何が見える?)」
  • フリート「Iceberg rightahead!(まっすぐ前方に氷山!)」
  • ムーディ「Thank you. (ありがとう)」

ムーディはただちに指揮をとる次席一等航海士のウィリアム・マクマスター・マードックに報告した。マードックは即座に「Hard starboard!(取舵一杯)[5]」と操舵員のロバート・ヒッチェンスに叫び、それからエンジン・テレグラフ(機関伝令器)に走ると、「Full Astern(後進一杯)」の指令を送り、喫水線下の防水扉を閉めるボタンを押した。しかし、この時点で回避するにはあまりにも時間と距離が足りなかった。氷山まではおよそ400 - 450メートルであったが、22.5ノット(およそ秒速11.6メートル)で航行している船が停止するには1,200メートルもの距離を必要とした。結果、船首部分は衝突を避けられたものの、右舷は氷山に接触し、同船は停止した。

このとき、左へ舵を切ると同時にエンジンを逆回転させ、衝突の数秒前に船舶の操縦特性である「キック」を使うため右いっぱいに舵を切った。舵は速力が高い方が効きやすく、「速力を落としたために、ただでさえ効きのよくない舵が余計に効力を発揮しなくなった。速力を落とさずにいれば氷山への衝突は回避できた」とする説もあるが、あくまで結果から見た推論に過ぎない。そもそも、衝突時にはかなりのスピードが出ていたと推測されるうえに、氷山発見から衝突までの時間はせいぜい30秒程度しかなかった(説によっては氷山を前方100 - 200メートルほどまで発見できなかったため10秒しかなかったとも言われる)ため、速度はほとんど変化せず、舵効きにも影響しなかったようである。

映画などでは、防水扉の閉鎖は衝突後であり、缶部員(ボイラー員)はすぐ逃げ出したように描かれているものもあるが、実際には缶部・機関部員ともに自分の持ち場を離れた者は非常に少なかった。ジョセフ・ベル機関長は浸水状況が悪化したあとに職務からの解放を命じたが、ほぼ全員が最下甲板に留まり汽缶(ボイラー)稼働・排水・電力供給を続けた。

船体の損傷と浸水編集

 
解説つきのタイタニックの図面。緑が損傷を受けた箇所、船底の機関エリアは青で色分けされている。最小ユニットは10フィート(3.0メートル)、全長は400フィート(120メートル)である

受けた衝撃は船橋(ブリッジ)では小さく、回避できたかあるいは被害が少ないと思われた。船と氷山との接触は10秒間ほどで、船体の破孔は数インチ、総面積も1平方メートル程度であったことが海底探査によって判明している。

しかし、右舷船首のおよそ90メートルにわたって断続的に生じた損傷が船首の5区画にもたらした浸水は防水隔壁の上限を超えており、隔壁を乗り越えた海水が次々と防水区画から溢れたことで船首から船尾へと浸水が拡大していった。第六区画内にある第五缶室の被害は軽微で、ポンプによる排水も成功したかに見えたが、第五・第六区画間の防水隔壁の損壊により完全に浸水した。これは事故前に発生していた船内火災の影響とも言われているが、前部の5区画が浸水した段階で船の沈没は確定しており、上部からの浸水も免れなかったことから、被害そのものが軽視されることが多い。かつてはボイラーに冷水が触れて水蒸気爆発が起き、船体側面にできた破孔から大量に浸水したとする説が有力だったが、船体調査の結果ではボイラー付近にそのような破孔は確認されなかった。これは衝突直後に船長が機関停止命令を出して停船したためである。

沈没にいたるほどの損壊を生んだ原因として「側面をかすめるように氷山に衝突したため」とする説もある。船体に使われていた鋼鉄には当時の低い精練技術のために不純物の硫化マンガンが多く含まれており、寒冷時には特に脆くなる性質だったことが最近のサンプル調査で判明した。現在もっとも有力視されているのは、ティム・フェイキやジェニファー・ホーバー・マッカーシーらが唱えた、衝突の衝撃によって広い範囲のリベットが抜け落ち、その結果生じた鋼板の隙間から浸水したとする説である。ハーランド・アンド・ウルフの資料によると、設計上のタイタニックは300万本ものリベットで船体の金属板をつなぐ構造だったが、姉妹船オリンピックと同時注文のためレベル4の鋼鉄製リベットが不足し、船首と船尾にはワンランク劣る鉄製のレベル3が使われたうえ、リベットの直径も規定の25ミリ未満だった。また、リベットの本数が間引きされ、熟練工の不足のために不完全な打たれ方をしたものも少なくなかったという。2005年の海底探査で剥離した船底が発見されたことで、衝突の際にタイタニックは水面下に広がる氷山の突起に乗り上げるかたちで船底にも損傷を受け、沈没時に船体が折れる原因になったとするロジャー・ロムの説も生まれている[6]

 
オリンピックの無線室(1913年)。タイタニックもこれと同様であった(グリエルモ・マルコーニ#タイタニック)。 米国ミズーリ州Titanic Museum には、無線機器を含めた復元展示がある[4]
 
「沈没するタイタニック」Willy Stöwer 画
 
タイタニックの沈没(絵葉書)

スミス船長は海水の排水を試みようとしたが、ごくわずかな時間稼ぎに留まった。日付が変わった4月15日0時15分、マルコーニ社規定の遭難信号『CQD』を発信し、周辺の船舶に救助を求めた。しかし、現場からわずか10 - 17海里(約18 - 30キロ)ほどの距離に碇泊していた「カリフォルニアン」は、たった1人の通信士が就寝中で無線を受信できなかった。カナディアン・パシフィックの「マウント・テンプル」も遭難信号を受けて救助に向かったが、タイタニックから20キロ未満の距離の海域に到着したあとに、船長のヘンリー・ムーアが氷山を恐れるあまり消灯して停船し、雲隠れしてしまった(査問委員会に提出された航海日誌では48海里(約88キロ)と記録されている)。乗客の何名かは、タイタニックの船体が折れる音を聞いたと証言している。

ほかにも、「バーマ」(距離70海里(130キロ))、「フランクフルト」(距離153海里(283キロ))、「バージニア」(距離170海里(315キロ))、「バルチック」(距離243海里(450キロ))、「オリンピック」(距離500海里(約930キロ))など様々な船が遭難信号を傍受しているが、いずれもタイタニックから遠く離れた場所を航行しており、すぐには救助に向かえない状況であった。

結局、58海里(約107キロ)離れた地点にいた客船「カルパチア」が応答し、ボイラー破損のリスクを負いながら高速(通常14ノットのところを17ノット)で救助に向かったが、船足の鈍いカルパチアが現場に到着したのは沈没から2時間40分後の午前4時であった。

なお、遭難信号については1906年11月3日にベルリンで調印された国際無線電信条約附属業務規則の第16条で遭難信号『SOS』が定められ、1908年7月1日より発効していたが、事故直後はマルコーニ国際海洋通信会社規定の遭難信号『CQD』を使っており、途中から国際条約による遭難信号『SOS』を併用している[7]

脱出・救命編集

 
カルパチアに近づく救命ボート
 
カルパチアの救助(絵葉書)
 
「女性と子供を優先」製作者不明の壁画

沈没が差し迫ったタイタニックでは、左舷はライトラー二等航海士が、右舷はマードック次席一等航海士が救命ボートへの移乗を指揮し、ライトラーは一等船客の「女性と子供を優先する」ことを遵守したが、マードックは比較的男性にも寛大な対応をした。

しかし、当時のイギリス商務省の規定はタイタニックに比してはるかに乗客の少ない1万トン級船舶が主流だったころに作成されたものだったため、定員分の救命ボートを備える義務がなく(規定では978人分。規定が改定されたのはタイタニックの沈没後)、もとより短時間で沈没するような事態を想定していなかったこともあり、1,178人分のボートしか用意されていなかった。これにはタイタニック起工直前の1909年1月に起こった大型客船「リパブリック号」沈没事故の影響も指摘される。この事故では、他船との衝突から沈没まで38時間もの余裕があり、その間に乗客乗員のほとんどが無事救出されたことから、大型客船は短時間で沈没しないものであり、救命ボートは救援船への移乗手段であれば足りるという見方が支配的になったことも、後述するように犠牲者を増やす結果につながった。

また、乗員が定員に満たぬうちに船から離れた救命ボートも多い。ライトラーをはじめとする多くのクルーがボートをダビット(救命ボートの昇降装置)に吊るした状態で船が沈んでしまうことを最大の恥辱としていたため、できるだけ早く海面にボートを降ろし、舷側にある乗船用扉を開いて、乗客を乗せようと考えていたこと、クルーの多くがボートフォール(救命ボートを吊るロープ)の扱いに不慣れであり、乗員の重さでダビットが曲がることを恐れたためともいわれる(事前に行われたテストで定員65人のボートに70人を乗せて充分な成果を得ていたが、周知されていなかった)。事実、降ろされたボートには乗員が定員の半数にも満たないものもあり、結果として1,500人もの乗員乗客が船に取り残される状況となってしまった。

沈没編集

浸水の影響でタイタニックの船首は海没していき、反対に船尾が海面から高く持ち上がっていった。その結果、設計時の想定をはるかに超える負荷が船体にかかり、衝突から2時間40分後の2時20分、轟音とともに船体は2つに折れてしまった。検証によれば、折れた個所は構造上比較的弱かった後部大階段付近(第三煙突前方)であり、引きちぎられるように折れた。デッキが多い客船は、沈没の際早期に転覆するのが常であり、タイタニックのように最後まで転覆せず、船尾が空中高く持ち上がり、あまつさえその負荷により船体が折れる事例はきわめて珍しい。電気系統は船体が折れる直前まで稼働していた。

2つに折れたタイタニックは、船首側がまず沈没し、残った船尾側はやや遅れて沈んだ。混乱の中で救命ボートの転覆を恐れたクルーの逡巡の末、救助に向かったボートはわずか1艘だった(左舷14号ボート)。このボートはハロルド・ロウ五等航海士が艇長を務めていたが、準備を整えて救助に向かったとき、沈没からすでに30分が経過していた。4月の大西洋はまだ水温が低く、人々が投げ出された海は零下2度の冷たさで、乗客の大半は低体温症などで数十分 - 20分程度で死亡したか、または心臓麻痺で数分のうちに死亡したと考えられている。その中には赤ん坊を抱いた母親もいたという。

2時間後、近くを通りかかった客船が救助船を出し、海に浮かんでいた2人の生存者を救出した。そのうちの1人は、浮遊していたドアによじ登り、水に浸かっていなかったため体温低下の進行が遅かったものと見られている。驚くべき事例はもう1人の者で、全身が水に浸かっていたにもかかわらず生存していた[8]。医学的検査の結果、内臓や血管などに特殊な所見はなく、唯一の違いは「酒に酔っていた」ことであった。しかし、酔っていたため助かったとは言い切れない。救助されたあとに亡くなった犠牲者の中には同じように酔っていてアルコール血中濃度の高い者もいたためである。この生存者は、平均して20分程度で死亡した遭難者の中で2時間も生存した稀有な例である。

影響編集

最新の科学技術の粋を集めた新鋭船の大事故は、当時の欧米社会に大きな衝撃を与えた。事故の犠牲者数はさまざまな説があるが、イギリス商務省の調査によると、犠牲者数は1,513人にも達し、当時世界最大の海難事故といわれた。

この事故をきっかけに船舶・航海の安全性確保について、条約の形で国際的に取り決めようという動きが起こり、1914年1月「海上における人命の安全のための国際会議」が行われ、欧米13か国が参加した。「1914年の海上における人命の安全のための国際条約(The International Convention for the Safety of Life at Sea,1914)」として採択された。アメリカでは船舶への無線装置配備の義務づけが強化され、無線通信が普及するきっかけになったとされる。

沈没後のタイタニック編集

 
タイタニックの船首(2004年6月)

1985年9月1日、海洋地質学者ロバート・バラードRobert Ballard)率いるウッズホール海洋研究所およびフランス海洋探査協会の調査団は、海底3,650メートルに沈没したタイタニックを発見した[9][10]2004年6月、バラードとNOAAはタイタニックの損傷状態を調査する目的で探査プロジェクトを行った。その後、バラードの呼びかけにより「タイタニック国際保護条約」がまとまり、同年6月18日、アメリカ合衆国が条約に署名した。この条約はタイタニックを保存対象に指定し、遺物の劣化と違法な遺品回収行為を防ぐこととしている。

海底のタイタニックは横転などはしておらず、船底を下にして沈んでいる。第3煙突の真下あたりで引きちぎれており、海上で船体が2つに折れたという説が初めて立証された。深海では通常バクテリアの活動が弱いために船体の保存状況はよく、多くの内装部分が残っていると思われていたが、この地点はほかの深海に比べ水温が高いためにバクテリアの活動が活発で船の傷みは予想以上であった。

当初船体は叩きつけられるように海底に衝突し、船内の備品はもとより甲板の小さな部品や窓ガラスすべてが粉々に吹き飛んだと思われていたが、船首部分にはいまだ手すりが残り、航海士室の窓ガラスも完璧な状態で残っている。船内にはシャンデリアや鏡、暖炉といった多くの備品が存在し、Dデッキのダイニングルームには豪華な装飾で飾られた大窓も割れておらず、ほぼ当時のままの状態で残存している。客室の洗面台に備えつけられていた水差しとコップ、食器棚に収められた皿、ストラウス夫妻の客室の暖炉に置かれていた金の置時計は沈没時の衝撃に耐え、現在でも沈没前とまったく同じ場所に置かれている。このことから船首部分は海底に叩きつけられたのではなく、船首の先端から滑るように海底に接地したと思われる。一方、船尾部分は大きく吹き飛び、見る影もない[11]

現在のタイタニックは鉄を消費するバクテリアによりすでに鉄材の20パーセントが酸化し、2100年ごろまでに自重に耐え切れず崩壊する見込みである。それらのバクテリアのうち、新種が2010年になって発見され、タイタニックにちなんでハロモナス・ティタニカエHalomonas titanicae)と命名された[12][13]

海底のタイタニックにはたびたび潜水探査船による調査が行われた。特にタイタニック (1997年の映画)では、2台の潜水調査船やリモートコントロール探査機が使用され、詳細な画像が収録された。無断で海底の遺品を回収する行為も広く行われ、一部の遺品は利益目的に販売されるなどされ、非難を集めている。

事故原因編集

事故原因をめぐっては、石炭火災による隔壁の鋼材強度の大幅低下説、上記のリベットの強度不足をおもな原因とする説、鋼板の脆弱性をおもな原因とする説のほかにもさまざまな説がある。

石炭火災で、隔壁強度が4分の1に低下したとの有力説編集

1912年の事故調査・査問委員会で石炭火災が取り上げられたが、沈没事故とは無関係とされ、大した火災ではなかったというのが定説だった。

しかし、タイタニックの専門家であるセナン・モロニーによると「タイタニックの出港前の写真で船体側面(第6ボイラーの石炭倉庫のあたり)に約9メートルほどの焦げ跡が確認できる」とされており、実際、タイタニックの石炭庫では、ベルファストの造船所の港を離れる前から自然発火による石炭火災が起きていた。なお、石炭を積んだのは出港する3週間前である。当時炭鉱でストライキが起こっており、十分な石炭が確保できなかった。

1912年4月10日、サウサンプトン港で乗客を乗せた時点で、火災は消火できておらず、その結果、加熱された部分の鋼材の強度は最大で75パーセント低下し、船体の構造の一部がすでに脆くなっていたことが沈没のおもな原因で、4月14日深夜の氷山との衝突は沈没のトリガーになったに過ぎないと主張し、近年注目されている有力説となっている[14][15]

沈没事故の数日後のニューヨークの新聞に掲載された、ジョン・ディリーというボイラーマンが波止場で記者に話したことによると、

  • 火災はベルファストの造船所を離れた日に発見された。
  • 石炭はデッキ3層分の高さの量だった。
  • ディリーは、11人の作業員とともに消火にあたったが鎮火できなかった(それだけの人数で対応したにもかかわらず、簡単に消火できなかったとすれば、非常に大きな火災だったと考えられる)。
  • 石炭倉庫には、何百トンもの石炭があった。我々は全世界にまったく無力だった。
  • 出港した日からタイタニックは燃えていた。

という。

石炭火災の専門家によると、

  • 自然発火した石炭は、石炭の中心部の温度が徐々に上昇し、摂氏500 - 1000度になる。
  • 臭いなどで気がついたときには、すでに手遅れである。
  • 石炭倉庫は隔壁と接しているため、船体の強度に影響する。
  • 消火するにはボイラーにくべて燃やすしかなくスピードを落とせない。加えて横断にギリギリの石炭しか確保できなかったため、一度スピードを落とすと燃料切れの危険があった。

ボイラー作業員160人のうち、アメリカまで向かったのはわずか8人だけである。このように作業員が入れ替わったことは前例がない。また、当時英国でタイタニック号事故調査・査問委員会を指揮した委員長のマージー卿は、不自然なまでに石炭火災の影響を無視し、却下する審判指揮をしている[16][17][18]

操船ミス説編集

2010年9月に、二等航海士のチャールズ・ハーバート・ライトラーの孫、ルイーズ・パッテンは、イギリスのデーリー・テレグラフに対し、「ミスがなければ、氷山への衝突を避けることは簡単だった。氷山が近くにあるのを見てパニックに陥った操舵手が、間違った方向に舵を切った」と語り、基本的な操舵ミスが原因だったとしている。

記事によるとマードックが氷山を発見したのは衝突の4分前、衝突時に減速がほとんど効いていなかったとされることから氷山との距離は約2,700メートルであったと算出される。これは十分に停止可能な距離であるが、マードックは操舵のみで回避できると判断し、ロバート・ヒッチェンズ操舵手に「Hard Starboard!」の号令をかけた。この号令は帆船時代からの名残で「舵輪を左に回して“舵柄を右に動かし”左へ急速回頭する」の意味で使用されており(Tiller Orders・間接法)、タイタニックでも採用されていた。しかし蒸気船式の号令(Rudder Orders・直接法)では「舵輪を右に回して舵柄を左へ動かし“右へ急速回頭する”」を意味するため[19]、直接法で訓練されていたヒッチェンズ操舵手はパニックに陥り、舵輪を右に回してしまう[20]。操舵手のミスに気づいたマードックは左回頭に修正したが手遅れであった。「後進一杯」が発せられたのはこの修正時と思われる。

同記事には「ブルース・イズメイ社長が船長に微速前進での航行を命令したことにより、船首に水圧がかかり浸水が早まった。前進していなければカルパチアが到着するまで沈むことはなかった」との証言も記載されている。実際に、衝突直後に計測された現在位置と沈没現場には数海里の誤差がある。

事故後、ライトラーは海運会社の倒産を恐れ、調査でもミスを隠したと説明している[21][22]

事故後、南アフリカのケープ・タウンの港湾長に任じられたヒッチェンズ操舵手は知人のヘンリー・ブラムらに「タイタニックの事故に関して秘密を守るためにケープ・タウンまで送られた」と告白しているが、関連は不明である。

陰謀説編集

「船を所有していたホワイト・スター・ライン社が財政難になっており、タイタニックの保険金を得るために故意に沈めた」とする、つまり陰謀だったとする説がある。

根拠として、タイタニックを管理していたのはホワイト・スター・ラインであったが、その事実上の所有者は同社に出資していた国際海運商事の社長であるジョン・モルガンであった。モルガンはタイタニックに乗る予定だったが、直前に病気を理由にキャンセルし、代わりに別の大富豪の夫妻が乗船することになったが、この夫妻もキャンセルし、結局ホワイト・スター・ライン社の社長であるブルース・イズメイがこの部屋に泊まった。しかし、病気だったはずのモルガンが同時期に北アフリカからフランスにかけて旅行をしていたことがのちに判明しており、イタリアでは愛人にも会っている。しかも、キャンセルした客の中にモルガンと非常に深いつながりがある人々が数名いることも判明しているため、「モルガンはこの処女航海中に何か起こることを知っていたのではないか」とするものである。

また、モルガンはタイタニックで運ぶはずだった私的な貨物も直前にキャンセルしている。さらに、リパブリック沈没事件で名を馳せたジャック・ビンズという通信士も乗船をキャンセルしており、降格処分で下船した航海士が、双眼鏡をしまったロッカーの鍵を持っていた(『タイタニック号は沈められた』より)。しかし乗船をキャンセルした者が自分の貨物をキャンセルするのは自然であるという意見もあり、乗船キャンセルの原因となった「旅行」の目的が何であったかは明らかになっていないうえ、この事故は不注意な運航によるもので予知しにくいもので、仮に航海士たちが巨額の資金で買収され、わざと氷山に衝突させたのなら航海士に死人は出ないはずであり、やはりこの説は憶測の域を出ないものである。

なお、「タイタニック号への乗船を直前にキャンセルしたのは50人を越す」(『タイタニックは沈められた』)にその他、火夫などを含めてと記されている。

船体すり替え説編集

タイタニックには、姉妹船として「オリンピック」がタイタニックより1年ほど早く北米航路に投入されていた。オリンピックは、タイタニックが就航する前に2回事故を起こしている。

  • 1911年9月30日、サウサンプトン沖合いでイギリス海軍防護巡洋艦「ホーク」と接触、船尾が大破した。この事故はイギリス海軍査問会にて審理され、オリンピック側のミスと認定、海難保険は一切降りなかった。
  • 1912年2月24日、大西洋を航海中に海中の障害物に乗り上げてスクリューブレード1枚を欠損したうえ、船体のキールに歪みが出るほどの損傷を受け、長期間の修理を余儀なくされる。

この2つの事故を鑑みて、「オリンピックは近い将来廃船される予定だったのではないか」というのが、船すり替え説の論拠となっている。つまり、廃棄寸前だったオリンピックを、内装や若干の仕様を変更させて「タイタニック」に仕立て上げて、故意に氷山にぶつかったというのである。

これら一連の陰謀説が唱えられる状況証拠として、

疑問 (1) 同船船長が航海直前になってエドワード・スミスに変更になった(彼はオリンピックでの事故時に同船の船長を拝命していた)。
回答 (1) 通例、ある船会社で首席の船長は、その会社で最高の客船であるフラッグシップ(いわば新造船)を指揮する特権があった。オリンピックはタイタニックが完成するまでホワイト・スター・ラインのフラッグシップであり、その船長だったスミスはホワイト・スター・ラインの最も誉ある立場におり、船乗りとしての最後の海上生活の華を飾る航海に、当時建造されたばかりのタイタニックが付与されたのは全くもって普通のことだった。
疑問 (2) 石炭庫の火災が氷山との接触事故前日まで鎮火しなかった(わざと延焼させて船体を弱体化させていた)。
回答 (2) 石炭の自然発火は汽船の歴史の中でよくあることで、とくに気密性の高い船は石炭の粉塵に引火したことが原因で火災になることがあった。一方でこれらの火災は石炭庫の酸素がなくなれば自然と鎮火するもので、大事に至るようなことはまずなかったとみられる。高い気密性のゆえに引火(小規模な粉じん爆発)するのだが、その気密性のゆえに自然に鎮火するので、船体まで延焼する事はほぼ否定できる。また、ボイラー室でも消火作業は行われていたが、下手に火災箇所に近づくことは逆にクルーの命を奪う可能性もあり危険(当時は酸素ボンベやマスクはまだ開発途中で、存在しない)。炎もくすぶるというほうが表現は正しく、実際にはボヤだった。
疑問 (3) 大西洋を航海中の船から7回「氷山警報」が送られており、その中には航路上に存在する可能性もある氷山もあったが、ことごとく無視された(カリフォルニアンに至っては「氷に囲まれて身動きが取れない」と意味深いメッセージが送られている)。
回答 (3) しかしタイタニックの通信士はレース岬と通信を取るのに必死で他からの通信を邪魔だと思っていた。また、カリフォルニアンからの通信は当時の通信規則を破っていたために単なる雑音としか聞こえず、軽視されたという事情がある(衝撃の瞬間より)。また当時は炭鉱労働者ストライキ中で、タイタニックのニューヨーク到達が辛うじて可能と見込まれる程度の石炭しかかき集められず、しかも前述の石炭庫火災で減少し、加えてその延焼もあって該当石炭庫から可能な限り早急に優先してボイラーに投じられており、最早遠回りを可能とするだけの石炭の余裕はなかった。当時左前だった船主のホワイト・スター・ライン社にはタイタニックを洋上で立ち往生させて汚名を被る訳にはいかなかった。
疑問 (4) サウサンプトン出港後に、見張り用双眼鏡が一切使用不能になっていた(引継ぎ不備にしてもロッカーをこじ開ける等の方法はあった)。
回答 (4) 双眼鏡はベルファストからサウサンプトンまで随伴した航海士が自室のロッカーにしまいこみ、そのまま下船してしまったことが、紛失の原因である。つまり、他の乗組員はロッカー内に双眼鏡が存在するということを全く知らなかった、または見落としていた可能性が大きい。ここからはどのような捜索が行われたかという問題になるが、新造船のロッカーを壊すか、こじ開けて、あちこち探すような方法を、いくら航海士官といえどしたかどうかは疑問である。また処女航海のあわただしさの中で、双眼鏡の重要性が見落とされていたという可能性も否定できない。そもそも、双眼鏡というのは遠くを見る道具であって、暗闇を見るための道具ではない。遠くにあるものを細かく確認するのが双眼鏡の使い方であり、仮に双眼鏡を使っていたとしてもあの状況では氷山を発見することができなかっただろうと思われる(衝撃の瞬間より)仮に昼間に氷山と衝突していたのなら「もしも」が生じる余地もあるが、双眼鏡の効果がない夜間に衝突しているので、結果として双眼鏡の有無を問うのは無意味である。
疑問 (5) 航海中の巡航速度は、常に22ノット以上であった(見張りが不備な状況では非常識な速度であるという意見もある)。
回答 (5) これは当時の航海に関する人々の見識と深くかかわっている問題である。港湾や入江、暗礁などの点在する岸辺を運航する船舶を除き、大西洋の広大な海原を進む客船は、一定の運航スケジュールにのっとって航海しており、ほぼ船の巡航速力(タイタニックの場合22ノット〜23ノット、ちなみに最高速力は24ノットである)を維持するのが普通であった。また現代のクルーズ客船と異なり、当時の船は飛行機や鉄道に等しい一つの移動手段であり、ブルーリボン賞とは関係なく、それなりの速力と正確な運航が求められていたことは言うまでもない。そしてタイタニック遭難時の気象状況も事故を深刻にした大きな理由の1つであった。波一つなく月も出ない大西洋は、氷山が発見しにくいという点を除き、非常にまれながら安定した航海のできる状態にあった。また前述の石炭庫火災及びその延焼もあって、該当石炭庫から可能な限り早急に優先してボイラーに投じられているのも、速度を落とせなかった要因の一つであった。
疑問 (6) 氷山激突当日、近海に貨物船カリフォルニアンがいた(同船は、普段は別海域を航海していた)。
回答 (6) カリフォルニアンが普段は別海域のみを航海していたという証拠は存在しない上、船舶会社に所属する貨物船である以上、世界中の海域を航海することに何の不思議もない。さらに、カリフォルニアンが近海にいたこととタイタニックの沈没の因果関係は全くない。しかも、上記のようにカリフォルニアンは氷山を含む流氷の警告をタイタニックに行っていた。
疑問 (7) 沈没時に、氷山と激突した箇所とは別に船体が自重で折れてしまった(船体が自重で折れるという事は、設計上普通に有り得ない)。
回答 (7) 通常の航行状態であればその通りと言える。しかし、タイタニックの船体が第三煙突付近で折れたのは、船体前部の浸水で後部が大きく水上に持ち上げられた沈没直前のことであり、通常このような異常な状態において船体を保証する設計は行われていない。
疑問 (8) タイタニックが沈没した際、100万ポンドの保険金が降りた(当時としては異例の金額であり、建造費用50万ポンドを大きく上回る)。
回答 (8) 遺族への慰安費、賠償金も含まれている。

などが挙げられている。

同型船とはいえ、オリンピックとタイタニックには構造上の相違点がいくつかあり、そのもっとも大きな違いはボート甲板直下のAデッキ(プロムナードデッキ)の差である。またBデッキの一等船室の配置も数も異なり、オリンピックに比べてタイタニックでは一等客の定員が大幅に増加している。

オリンピックとタイタニックをすり替えるためには、オリンピックが座礁した2月24日から4月10日のタイタニックの処女航海までにこれらの工事を終える必要があり、両船の船員全員を配置転換しなければならないこと、改修に関与する造船所の工員の数などを考えると、すり替えが成立する根拠はほぼない。

ミイラの呪い説編集

ほかにも「運んでいたミイラによる呪い説」の書籍も出版されており、この中でミイラの呪いかという点に言及されている[23]

このミイラ(実際にはミイラの上に載せる人型のふた(ミイラボード))は、1990年と2007年に海外に貸し出された以外に大英博物館を出たことはなく、1912年にタイタニックに積まれた事実はない。なぜタイタニックに載せられたという伝説が生まれたのかについては定かではないが、乗船客の中にこのミイラを知る者がいて長旅の暇つぶしにほかの客たちに話したのが、話を聞いた者が生き残って尾ひれをつけて広めたのではないかとされる[24]

購入者はイギリス人の旅行者で、購入後にさまざまな不幸を体験したとされる。人手を渡り大英博物館に収められることになったのだが、大英博物館の公式記録では最終的な寄贈者しか記録されておらず、それ以前の経緯はツタンカーメンの呪いと同じく噂の域を出ない。なお、「不幸のミイラ」は現在も大英博物館に収蔵されており、詳細なデータについては大英博物館のサイトで確認することができる[25]

生存した船員が「船長はいつもと違い、氷山の警告を無視した。性格も変貌し、船のスピードアップに躍起だった」と、スミス船長に異常があったことを証言しているが、これについては「ミイラの呪い」との関連性を証明するものは何もない。スミス船長の態度がいつもとは違ったのは、「処女航海で大西洋横断のスピード記録(ブルーリボン賞)を出すためであった」という説がある(後述)。

ブルーリボン賞説編集

タイタニックが氷山に衝突したのは、大西洋最速横断記録(ブルーリボン賞)を獲得しようと無理な航行を強行したことが事故の遠因になったという説があり、根強く支持されている。しかし、1912年当時のブルーリボン賞を保持していたのは西回り・東回りともにモーリタニアであり、その平均速度は26ノット近いものであった。両船の要目を比較すると、

  • モーリタニア:総トン数3万1,938トン、機関蒸気タービン4基/4軸、機関出力6万8,000馬力、巡航速力26ノット(最高速力28ノット)
  • タイタニック:総トン数4万6,328トン、機関蒸気レシプロ2基、蒸気タービン1基/3軸、機関出力4万6,000馬力、巡航速力22ノット(最高速力24ノット)

であり、機関の性能から見て、タイタニックはブルーリボン賞を獲得できるような能力を持っていない。

当時、ブルーリボン賞の獲得を目指したモーリタニアのような高速船は、その莫大な運航費用(燃料費)を輸送する人員や貨物だけでは賄えず、政府からの補助金によって運航が維持されていた。しかし、タイタニックを含めたオリンピッククラス客船は豪華さを売りにし、総トン数を上げ輸送力増大や機関出力を抑えての燃料費の低減など、補助金なしで採算が取れる運航ができるように設計された船であった。このことから、ブルーリボン賞を獲得しようとして事故を起こしたという説の根拠は薄い。

タイタニックが高速で航行した理由として、スミス船長をはじめ多くの船乗りが高速で氷山を突破した方が安全だと考えていたこと、石炭火災を止めるために燃えている石炭をボイラーに投げ込んだため自然と船足が早くなったこと、当時イギリスの炭鉱がストライキをしていたためニューヨークに着けるだけの石炭しか手に入らなかったことが理由であると考えられている。

その他の説編集

事故年の地球・太陽・月の異常接近によって、その航路には本来ありえないほどの氷山が呼び寄せられたという説が新しく説えられた[26]

その他編集

  • 不沈艦伝説(大内建二、光人社)より
    • オリンピックが建造されたとき、造船界の権威である技術雑誌のShipbuilderが特別号を出したが、オリンピックの数々の充実した設備から「事実上不沈」と書いてしまった。権威が太鼓判を押してしまったことから、いつしか「事実上」の文句は忘れ去られてしまい、不沈だけが一人歩きするようになってしまった。
    • 当時、無線は旅行客が船上から地上にいる家族知人に連絡を送るサービスとしてだけ受け取られており、事実、タイタニックでも運航部門の直轄ではなく、サービス部門の下に置かれていた。こういったことが沈没に影響した可能性もある。
    • 生存者と死者の割合のうち、三等船室を利用していた客の死者が多い。三等船室が下部の前方と後方に分断されて配置されており、沈没の際、前方の客室にいた客が脱出するためにはそのまま真上に上がるか、もしくはそのまま船体を突っ切って後方に移動してから真上に上がる2つの方法があった。ところが前者はその真上に一等船室があったためドアが施錠されており、後者の方法だけしかなかったのが、死者が増えた原因だという説もある。
  • 2012年3月、建造地であるアイルランドベルファストタイタニック・ベルファスト英語版博物館が開館した[27][28][29]
  • 2013年、オーストラリアの資産家クライブ・パーマーによりタイタニックのレプリカ、タイタニック2号の建造計画が公表された[30]。しかしその後の業界団体の調査で、発注していた中華人民共和国の造船所に豪華客船を建造する技術も能力もないことが判明し、建造計画はスタート時点から頓挫状態となっている[31]。2018年9月にクライブ・パーマーが率いる海運会社「ブルースターライン」は2022年を目標に計画を再開させる方針であると話した[32]
  • 2014年、中華人民共和国のテーマパークでタイタニックのレプリカの建造計画が発表されたが、事故の犠牲者と生存者の家族から抗議を受けた[33]

事故の「予言」編集

タイタニック沈没事故の14年前の1898年に発表されていた、アメリカ人の元船員モーガン・ロバートソン(Morgan Robertson1861年 - 1915年)の短編小説『The Wreck of the Titan』(初版では"Futility")の内容がタイタニック沈没事故に酷似していたため、事故後「事故を予言した小説」として話題になった。小説中の「タイタン号」とタイタニック号は、船名、大きさ、構造、航路、沈没原因などが類似・一致しており、同書は事件後に欧米で大きな売り上げを記録したという。なお、事故後の改訂時に初版から「タイタン号」の重量と馬力が変更されている[34]

乗員編集

タイタニックのおもな乗員は、次のとおりである。

タイタニック号の主な士官の一覧(サウサンプトン港出航時)
分野 役職 氏名 年齢 乗船 救命ボート
甲板部 船長 エドワード・ジョン・スミス 62 サウサンプトン港 死亡
主席一等航海士 ヘンリー・ティングル・ワイルド 39
次席一等航海士 ウィリアム・マクマスター・マードック ベルファスト港
二等航海士 チャールズ・ハーバート・ライトラー 38 B
三等航海士 ハーバート・ジョン・ピットマン 34 5
四等航海士 ジョセフ・グローヴス・ボックスホール 28 2
五等航海士 ハロルド・ゴッドフリー・ロウ 29 14
六等航海士 ジェームズ・ポール・ムーディ 24 死亡
機関部 機関長 ジョセフ・ベル 50
主席二等機関士 ウィリアム・エドワード・ファークハーソン 39 サウサンプトン港
次席二等機関士 ジョン・ヘンリー・ヘスケス 33 ベルファスト港
主席三等機関士 ジョージ・フォックス・ホスキング 36 サウサンプトン港
次席三等機関士 エドワード・チャールズ・ドッド 38 ベルファスト港
次席四等機関士 ジェームズ・ムイル・スミス 35 サウサンプトン港
主席五等機関士 フランク・アルフレッド・パーソンズ 27 ベルファスト港
次席五等機関士 ウィリアム・デッキンソン・マッキー 32
予備五等機関士 ロバート・ミラー 27 サウサンプトン港
主席六等機関士 ウィリアム・ヤング・モイーズ 23 ベルファスト港
次席六等機関士 ウィリアム・マクレイノルズ 22
主席二等機関助士 バーティ・ウィルソン 28 サウサンプトン港
二等機関助士 ノーマン・ハリソン 39 ベルファスト港
次席二等機関助士 ハーバート・ギフォード・ハーヴィー 34
次席二等機関助士 ジョナサン・シェパード 32 サウサンプトン港
次席三等機関助士 ジェームズ・フレーザー 29 ベルファスト港
次席三等機関助士 フランシス・アーネスト・ジョージ・コイ 26 サウサンプトン港
主席四等機関助士 ヘンリー・ライランド・ダイアー 24
四等機関助士 トーマス・ハルマン・ケンプ 43
次席四等機関助士 ヘンリー・ワトソン・ドッズ 27
次席四等機関助士 アーサー・ワード 24
医務部 船医 ウィリアム・フランシス・ノーマン・オローリン 62 ベルファスト港
船医助手 ジョン・エドワード・シンプソン 37 サウサンプトン港
事務部 事務員 ヒュー・ウォルター・マッケルロイ
事務補助員 レジナルド・ローモンド・バーカー 40 ベルファスト港
無線部 通信長 ジョン・ジョージ・"ジャック"・フィリップス 25
一等通信士 ハロルド・シドニー・ブライド 22 B
  • 船長:エドワード・ジョン・スミス
    この事故により死去の可能性が高い(自らの意思により船と運命をともにすると言われているが、真相は謎である)が、生存していたとの目撃証言もある。
  • 主席一等航海士(航海長、副船長):ヘンリー・ティングル・ワイルド
    この事故により死去。当初、主席一等航海士の役職はマードックが務めていたが、スミス船長がワイルドを呼び寄せたために、出港直前に人事異動が起きた。これによりマードックは次席一等航海士に、その階級に選ばれていたライトラーは二等航海士にそれぞれ降格され、前任の二等航海士デイヴィッド・ブレアは下船することになった。このことが前述の双眼鏡紛失を招いた。衝突後はおもに左舷側のボートによる避難誘導を担当した。(ロウ以外の[35])上級士官の拳銃携帯を指示したのは彼とされる。
  • 次席一等航海士(元首席一等航海士):ウィリアム・マクマスター・マードック
    この事故により死去。オリンピック号一等航海士からの異動であったが、大型船での経験不足を理由に航海士長から降格となった。衝突時の上級当直士官であり、氷山からの回避運動を指揮した。衝突後は右舷側のボートによる避難誘導を指揮した。彼は比較的男性の避難にも寛容で、左舷より多くの男性をボートに乗せて送り出した。1997年の映画『タイタニック』などにおいては乗客を撃ち殺して自殺するという不名誉な人物として描かれたが、実際は最期まで職務を遂行して亡くなったと言われる。長らく彼の判断ミスから事故が起きたと考えられてきたが、前述のように操舵手の操船ミス説も浮上している。しかし、航海士の中では免許取得の際には優秀な人物である[36]
  • 二等航海士(元次席一等航海士):チャールズ・ハーバート・ライトラー
    転覆したB号ボート→12号ボートにより生還。生還した乗員の中では最高位のうえ、唯一生還した上級士官。衝突後は左舷側のボートによる避難誘導を指揮した。彼はスミス船長の「婦女子優先」(ウィメン・アンド・チルドレン・ファースト)という命令を「婦女子のみ」と解釈し、男性をほとんどボートに乗せなかった。沈没後は転覆していたB号ボート上で乗員乗客を指揮し、同ボートの沈没を防いだ。1952年没。
  • 元二等航海士(下船のため、役職はなし):デイヴィッド・ブレア
    ベルファスト港からサウサンプトン港まで乗船。前述の上級航海士の降格により双眼鏡の場所を申告せずに下船。
  • 三等航海士:ハーバート・ジョン・ピットマン英語版
    5号ボートにより生還。右舷側のボートによる避難誘導を担当した。1961年没。
  • 四等航海士:ジョセフ・グローヴス・ボックスホール英語版
    2号ボートにより生還。衝突時の下級当直士官であり、衝突後にタイタニックの推定位置を算出した。下級士官の中で唯一特別船長資格を持っていた。その後はロケット信号弾の打ち上げを指揮、合計8発を打ち上げた。彼は2号ボートにも信号弾を持ち込み、それを打ち上げることで乗客を励ました。この信号にカルパチア号が気づき、ボートの船団を発見することになった。1967年没。
  • 五等航海士:ハロルド・ゴッドフリー・ロウ
    14号ボートにより生還。避難開始当初は右舷側、のちに左舷側の誘導を担当した。14号ボートが降ろされるとき、飛び乗ろうとした乗客を威嚇するために本船とは反対側の外に向けて発砲している。本船沈没後、自分のボートの乗客をほかのボートに移して救助に戻った。1944年没。
  • 六等航海士:ジェームズ・ポール・ムーディ[37][38]
    この事故により死去。衝突時のもう1人の下級当直士官であり、見張り台からの電話を受けた。一度はボートを受け持つ話をロウとしたが、三等船客に自分の救命具を渡し、自らの意思で船上に残り殉職した可能性がある。
  • 機関長:ジョセフ・ベル
    この事故により死去。彼を含む34人の機関部員は脱出せず、沈没まで電力を供給し続けた。
  • 事務長(パーサー):ヒュー・ウォルター・マッケロイ
    この事故により死去。
  • 通信長:ジャック・フィリップス
    この事故により死去。衝突後は、電力供給が途絶えるまで遭難信号を送信し続けた。ブライドとともにB号ボートに辿り着いたが、ボート上で力尽きた。他船舶からの氷山の警告のいくつかを乗客の私信処理で忙しいことを理由に無視したが、当時はこのような警告の処理手順が定められておらず、船員への報告義務もなかった。
  • 一等通信士:ハロルド・ブライド英語版
    転覆したB号ボート→12号ボートにより生還。フィリップスとともに脱出、漂流中はボート上に立って過ごした。1956年没。
  • 船医:ウィリアム・フランシス・ノーマン・オローリン
    船医助手のジョン・エドワード・シンプソンとともにこの事故により死去。
 
ウォレス・ハートリーらバンドメンバー
  • バンドマスター:ウォレス・ハートリー
    この事故により死去。バンドのクルーの全員が外部企業の所属であり、二等船室の乗客扱いであった。しかし船会社とはほかの船員と同じような契約を交わしており、正規の乗組員ではないにもかかわらず、高級船員から指示を受けなければならないというあいまいな立場にあった。衝突後はバンドメンバーとともに甲板上で音楽を奏で、最後の瞬間まで乗客の不安を和らげようと尽力した。
  • バンドメンバー:ジョック・ヒューム
    この事故により死去。
  • 操舵員ロバート・ヒッチェンス
    6号ボートにより生還。衝突時、操舵を握っていた。1940年没。
  • 見張り番フレデリック・フリート
    6号ボートにより生還。衝突時、リーとともに見張り台に立っていた。「真正面に氷山(Iceberg, right ahead!)」と電話でブリッジに報告した。1965年自死。
  • 見張り番レジナルド・リー英語版
    13号ボートにより生還。衝突時、フリートとともに見張り台に立っていた。1913年没。
  • 客室係シド・ダニエルズ英語版
    転覆したB号ボートの上に乗って生還。1983年没。乗員として最後まで存命だった人物。
  • 女性客室係:ヴァイオレット・ジェソップ英語版
    生還。のち、タイタニック号の同型船ブリタニック(戦時徴用により病院船として行動中)に救急看護隊看護婦として勤務していたときに同船の触雷沈没に遭遇。脱出の際に救命ボート2艘が沈没する船のスクリューに巻き込まれて21人が死亡したが、その際に重傷を負うも唯一生還した。1971年没。
  • 主任パン焼き職人:チャールズ・ジョーキン
    生還。部下とともに備蓄分のパンをボートに運んだり、女性客を救命ボートに乗船させたりした。部下の職人を救命ボートに乗せたあとも船に残り、船体沈没時に海に投げ出されたものの救助され生還している。沈没前からウイスキーを飲んでおり体内にアルコールが残っていたため凍死を免れたという[8]。事故時の証言を残している。1956年没。

乗客編集

タイタニックの著名な乗客は、次のとおりである。

犠牲者編集

 
アメリカの財閥アスター家の一族で犠牲となったジョン・ジェイコブ・アスター4世と、生還したその後妻マデリン英語版。新婚旅行の帰りだった。

生存者編集

 
“不沈の女”モリー・ブラウン

各界の反応編集

メジャーリーグベースボール編集

1912年4月21日、メジャーリーグベースボール(MLB)のニューヨーク・ハイランダーズボストン・レッドソックスは、亡くなった乗客の遺族たちのためにポロ・グラウンズで慈善試合を開催した[39]

タイタニックを題材にした作品編集

タイタニックをめぐって、多くの作品が発表されている。おもな作品は、次のとおりである。

ドキュメンタリー編集

タイタニック沈没事故が主題の作品編集

タイタニック沈没事故を伏線・モデルとして扱った作品編集

  • ゴーストバスターズ2 - 幽霊船として1シーンだけ登場。港で乗客の幽霊が下船してくる。
  • タイムトンネル - アメリカのSFテレビドラマシリーズ。第1話で主人公が過去に移動したところ沈没寸前のタイタニック号の甲板であった。
  • 銀河鉄道の夜 - 宮沢賢治童話。作品中にこの海難事故をモチーフにしたと思われる客船の事故が出てくる。
  • 時の旅人 - ジャック・フィニーの小説。1995年出版。
  • マジック・ツリーハウス - アメリカの児童向け小説。日本語版第9巻で、「タイムトンネル」同様、過去に移動して沈没に遭遇。
  • ルパン三世 燃えよ斬鉄剣 - 『ルパン三世』のTVスペシャル第6作。作中ではルパン三世の祖父、ルパン一世がタイタニック号に積まれた龍の置物を盗もうとしていたが、沈没事故で置物がタイタニック号とともに海底に沈んでおり、作中中盤でルパンと次元大介が潜水艇で沈没したタイタニック号に向かう。この作品の歴史では龍の置物をアメリカに売り込もうとした黒幕の曽祖父が犠牲者の一人に含まれている設定となっている。
  • ドクター・フー - イギリスのBBCの人気SFドラマ。シリーズ4のクリスマススペシャルで、実際のタイタニック号の事件を題材として宇宙船タイタニック号(名称の由来は「地球で一番有名な豪華客船」であることから)が舞台となっている。陰謀説やブルーリボン説をほのめかす描写や、衝突当時船長は休息をとっていたことなどが再現されている。あくまでパロディである。シリーズ1では主人公である9代目ドクターがタイタニック号に搭乗する予定だった家族と写真撮影をし、その家族が出航に遅れたため氷山衝突を回避したという話がある。シリーズ6ではエイミー・ポンドの友人メルスが「タイタニックが沈んだのはドクターのせい」と発言している。
  • 銀河ヒッチハイク・ガイド - ダグラス・アダムスSF小説およびラジオドラマ。第3巻「宇宙クリケット大戦争」で、かつて巨大宇宙船タイタニック号が、搭載した不可能性フィールドの作用で理由のない遭難を遂げたことが語られている。しかし、このエピソードは話の大筋には一切関係しない。
  • ドラキュラ城の血闘 - J・H・ブレナンゲームブック。吸血鬼ドラキュラを倒した主人公が、エンディングで乗船の招待状を受け取る。招待主は「Dr.Acura」(つまりドラキュラ)となっており、その後の主人公の運命は定かではない。
  • 曲った蝶番 - ディクスン・カー推理小説。作品中、この沈没事故の際に入れ替わったとされる人物に対し、自分こそが本物と名乗る人物が現れ、その真偽を争うなか、偽者と糾弾された人物が何者かに殺害される。
  • 黒執事 - 枢やなの漫画(『月刊Gファンタジー』・スクウェア・エニック刊)。11巻から14巻の豪華客船編で主人公たちが乗った豪華客船・カンパニア号のモデル。前半は『バイオハザード』のような展開だが、後半の氷山に激突して沈没する展開はタイタニック事故そのものであり、処女航海の時期も類似している。一方で沈没の過程はタイタニックとは異なり、船尾から船首の順に沈没している。
  • タイタニック2012 - アサイラムによる映画。タイタニック遭難から100年後の2012年に就役した豪華客船タイタニック2号が、再び大西洋上で巨大氷山に衝突し沈没する。
  • 天を見つめて地の底で - 高橋美由紀による漫画。番外編「果てしなき航海」という副題がつけられ、堕天使・本條聖が英国にいたころ、魔王ルシフェルから匿ってくれたウィルカックス男爵が殺されたことを知って復讐に時間を浪費したため、男爵が可愛がっていた少年ウィリアムがルシフェルにより殺人犯に仕立て上げられてしまう。聖はそんなウィリアムをアメリカに行かせようとするが、手配した船はタイタニック号だったことでウィリアムは男爵の知人であるチャールズ・ロングフォード侯爵とともに氷海に沈み亡くなる。
  • ビットワールド - 子ども向けのバラエティ番組。ビットワールドからジャッキーホールを通ってリアルワールド(現実世界)へ到達した生物をビーボと呼称するが、その中に鯛タニックという巨大なビーボが登場する。の上に客船が乗ったような姿をしている。全長は300メートル、体重は5万トンに及ぶ。

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脚注編集

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  1. ^ 2017年時点ではドニャ・パス号(異説あり)、ジョラ号(戦時中に沈没した船舶ではヴィルヘルム・グストロフゴヤ)などの犠牲者数が上回っている。
  2. ^ Fire & Ice: Hindenburg and Titanic
  3. ^ NHK BS世界のドキュメンタリー『タイタニック事故100年「タイタニックの呪い」』 BS1にて、2012年4月4日(正確には4月5日深夜24時〜24時50分)に放送。
  4. ^ タービンは減速ギヤを持たぬ直結タービンで、回転数は毎分170。軸出力は3軸ともほぼ同等であった。
  5. ^ 現代では「Hard starboard」で「面舵一杯」を意味するが、事故当時は「取舵一杯」の意味であった。同様に、現代では「Hard (a) port」で「取舵一杯」だが、事故当時は「面舵一杯」を意味した。
  6. ^ ヒストリーチャンネル制作「タイタニック―知られざる最後―」。
  7. ^ 国際無線電信条約附属業務規則で定められた遭難信号『SOS』が初めて用いられたのは、1909年8月11日、ニューヨークからフロリダに向かっていたクライド・ラインの「アラパホ号(SS Arapahoe)」がハッテラス岬沖でプロペラシャフトの破損事故を起こした際である。
  8. ^ a b ロード、pp.184-188.
  9. ^ 井上たかひこ『水中考古学 クレオパトラ宮殿から元寇船、タイタニックまで』中央公論新社、2015年、145頁。ISBN 978-4-12-102344-5
  10. ^ この発見には裏話があり、バラードは海軍に探索の条件として原子力潜水艦のスレッシャーとスコーピオンの探索を極秘に行うことを要求した。
  11. ^ ナショナルジオグラフィックチャンネルで放送された『仮想現実で暴く!タイタニック号沈没の謎』によると、船尾部分は、海上で船首部分から折れたのではなく、海中で船首部分と切断され、切断箇所より船尾部分へ急激に浸水した為、船体内側から破壊されていったのと、海中を沈下してゆく速度が、船首部分と比べて速かった事から、激しく損傷したとの説を採っている。
  12. ^ 深海のバクテリア、2010年の新種 ナショナルジオグラフィックニュース
  13. ^ 海底のタイタニックに新種のバクテリア ナショナルジオグラフィックニュース
  14. ^ タイタニック号沈没の原因は火災? 新説が浮上”. Huffington Post Japan (2017年1月7日). 2018年4月5日閲覧。
  15. ^ タイタニック号 隠された火災”. ナショナル ジオグラフィック (TV). 2018年4月5日閲覧。
  16. ^ NHKBS1、BS世界のドキュメンタリー「タイタニック 新たな真実」2018年12月10日23時放送
  17. ^ NHKEテレ、ドキュランドへようこそ!「タイタニック 新たな真実」2018年12月28日23時放送
  18. ^ 英インデペンデント紙、「タイタニック号」沈没の新説を語る”. Sputnik 日本 (2017年1月5日). 2018年4月5日閲覧。
  19. ^ 直接法が船の進行方向を指示するのに対して、間接法は帆船で舵柄を押す方向を指示するため逆の号令となる。また、「Starboard」は右舷「Port」は左舷を意味する。
  20. ^ この混乱は1928年にロンドンで行われた「国際海上衝突予防規則の改正に関する国際会議」で修正され、現在では直接法が採用されている。
  21. ^ タイタニック沈没は「操舵ミス」、航海士の孫が明らかに[1]
  22. ^ Human error really sank the Titanic, not an iceberg, granddaughter of ship's second officer claims[2]
    デーリー・テレグラフ原文[3]
  23. ^ 世界史・呪われた怪奇ミステリー 内容詳細”. 紀伊國屋書店BookWeb. 2008年11月27日閲覧。
  24. ^ The Myth of the Titanic Mummy(英文)
  25. ^ The Buritish Museum collection database/The Unlucky Mummy”. 2011年9月11日閲覧。
  26. ^ タイタニック号沈没の「真犯人は月」、米研究者が新説 -ロイター: 2012年3月8日
  27. ^ 北アイルランドの首都ベルファストにあるタイタニック博物館
  28. ^ タイタニック・ベルファスト(Titanic Belfast)
  29. ^ タイタニック博物館、北アイルランドに開館 沈没事故100年
  30. ^ 「タイタニック2号」が2016年就航へ、建造は中国企業
  31. ^ “「利益なき繁忙」中国造船業界が“危険水域”に 500社前後が操業停止も”. 産経ニュース (産経新聞社). (2012年8月15日). http://web.archive.org/web/20121214163219/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120815/chn12081508140001-n2.htm 2014年2月8日閲覧。 
  32. ^ 「タイタニック号」が復元され2022年に出航へ 安全設備を搭載”. ライブドアニュース (2018年10月24日). 2018年11月17日閲覧。
  33. ^ 中国テーマパークの「タイタニック号」レプリカ建造計画に生存者の家族らが怒り―英メディア
  34. ^ The Titanic - Futility、History On The Net。 - 2019年6月2日閲覧。
  35. ^ ロウは自前の銃を持っていた。実際に押し寄せる乗客に対して威嚇射撃などをしていた。
  36. ^ ボックスホールと同じく船長資格を取らずに特別船長資格を取ってはいるが、彼のみ免許取得の際に一度も不合格を言い渡されなかった。
  37. ^ ジェームス・ポール・ムーディー六等航海士
  38. ^ タイタニック、100年後の邂逅
  39. ^ 佐山和夫. 野球の英語A to Z:佐山和夫が語るアメリカ野球用語. 三修社. p. 40. ISBN 978-4384051773. 

参考文献編集

  • 『タイタニック号の最期』 ウォルター・ロード佐藤亮一訳 タイタニックに関する決定的なノンフィクションであるとされる。
  • 『不沈 タイタニック—悲劇までの全記録』ダニエル・アレン バトラー著 悲劇の詳細を膨大な資料をもとに再現したノンフィクション
  • 『タイタニックは沈められた』(ロビン・ガーディナー、ダン・ヴァンダー・ヴァット) タイタニックが遭難したのは保険金詐欺を狙いにした陰謀だという説(本当に事故? なんか怪しいぞ タイタニック号の悲劇)。
  • 『なぜタイタニックは沈められたのか』(ロビン・ガーディナー)
  • 『タイタニック発見(The Discovery of The Titanic)』(ロバート・バラード)
  • 『海の奇談』(庄司浅水) この中の巨船「タイタニック」号の遭難の項で、細野正文のことにも言及しさらに船の乗組員が助かったことに関し、ロビン・ガーディナーと似通った指摘と考察を述べている。
  • 広瀬隆は『赤い楯』をはじめ、タイタニックとロスチャイルド家モルガン財閥との関係の書籍を多く出している。

関連項目編集

外部リンク編集