マイ・フェア・レディ (映画)

同名の舞台ミュージカルを原作とする1964年の映画

マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady) は、1964年制作のアメリカ合衆国ミュージカル映画。監督はジョージ・キューカー、主演はオードリー・ヘプバーンレックス・ハリソン。同年のアカデミー作品賞ほか8部門を受賞した。同名ミュージカルの映画化。インフレを調整した歴代の興行収入では、2020年現在でも第66位に入っている[3]。日本でも大ヒットし、1964年度・1965年度の2年連続で日本の洋画配給収入のどちらも第2位に入っている[4]AFI選出のミュージカル映画ベスト25での第8位[5]。オードリー・ヘプバーンの代表作の一つであり、最大のヒット作。

マイ・フェア・レディ
My Fair Lady
Harry Stradling-Audrey Hepburn in My Fair Lady.jpg
主演のオードリー・ヘプバーンと撮影監督のハリー・ストラドリング
監督 ジョージ・キューカー
脚本 アラン・ジェイ・ラーナー
原作 舞台ミュージカル『マイ・フェア・レディ[注 1]
製作 ジャック・L・ワーナー
出演者 オードリー・ヘプバーン
レックス・ハリソン
スタンリー・ホロウェイ
ウィルフリッド・ハイド=ホワイト
グラディス・クーパー
音楽 アンドレ・プレヴィン
撮影 ハリー・ストラドリング
編集 ウィリアム・ジグラー
配給 ワーナー・ブラザース
公開 アメリカ合衆国の旗 1964年10月21日(ニューヨーク・プレミア)
日本の旗 1964年12月1日
上映時間 170分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $17,000,000(見積値)[1]
興行収入 $72,000,000
配給収入 日本の旗 7億8867万円[2]
テンプレートを表示

ストーリー編集

言語学が専門のヒギンズ教授はひょんなことから、下町生まれの粗野で下品な言葉遣い(コックニー英語)の花売り娘イライザをレディに仕立て上げるかどうかをめぐってピカリング大佐と賭けをすることになる。

怠け者のドゥーリトルが殴り込んできたり前途多難。なかなかh音を出すことができない上に、【ei】を【ai】といってしまうため、矯正のための詩「スペインの雨」がなかなか発音できない。どうにかできるようになって「踊り明かそう」を歌う。試しに淑女たちの社交場であるアスコット競馬場に行ってみる。そんなイライザに富裕階級のフレディーは恋をしてしまい、「君住む街角で」ぶらつき歩く。「運が良けりゃ」と歌っていたドゥーリトルは皮肉にも金持ちになってしまう。

ヒギンズ教授は初めから義務感でつきあっていたものの、徐々に彼女のことが忘れられなくなっている自分に気づく。しかし、イライザは言葉と同時に自分というものを得ていく。まだまだ階級社会の文化が色濃く残るイギリス社会を舞台に繰り広げられるロマンティック・コメディ

スタッフ編集

オリジナル

1994年製作30周年 ニュー・デジタル・バージョン

  • 修復:ロバート・A・ハリス、ジェームス・C・カッツ

2014年製作50周年 4Kリマスター・バージョン

2019年 8Kリマスター・バージョン

  • レストア:FotoKem(NHKの提案による)[6][7]

キャスト編集

役名 俳優 日本語吹替
テレビ東京版[要出典] テレビ朝日版 TBS版 機内上映版[8]
イライザ・ドゥーリトル オードリー・ヘプバーン  池田昌子
ヘンリー・ヒギンズ教授 レックス・ハリソン 中村正
アルフレッド・ドゥーリトル  スタンリー・ホロウェイ 小松方正 梶哲也 大宮悌二
ヒュー・ピカリング大佐 ウィルフリッド・ハイド=ホワイト 今西正男 下條正巳 真木恭介 大木民夫
ヒギンズ夫人 グラディス・クーパー 中村紀子子 北原文枝 高村章子
フレディ・アンスフォード=ヒル ジェレミー・ブレット 広川太一郎 松橋登 沢井正延 関俊彦
ゾルタン・カーパシー セオドア・ビケル 内海賢二 飯塚昭三 谷口節
ピアス夫人 モナ・ウォッシュボーン英語版 沢田敏子 新村礼子 中村紀子子 沼波輝枝
アンスフォード=ヒル夫人 イソベル・エルソム 高村章子 島美弥子 香椎くに子
執事 ジョン・ホランド英語版 清川元夢 丸山詠二 伊井篤史
ジェイミー(アルフレッドの仲間) ジョン・アルダーソン 藤本譲 小関一
ハリー ジョン・マクライアム英語版 叶年央
ホプキンス夫人 オリーブ・リーブス=スミス 北川智繪 丸山裕子
通りすがりの男 ウォルター・バーク英語版 野本礼三
その他 加藤正之
市川千恵子
上田敏也
斉藤昌子
池田勝
柳沢紀男
林一子
葵京子
安田隆
広瀬正志
上田敏也
斉藤昌
池田勝
屋良有作
高橋なづき
島香裕
加藤正之
島美弥子
田口昴
石井敏郎
小川明子

製作編集

キャスト決定まで編集

この作品は、同名の舞台ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の映画化である。ブロードウェイでの上演中から権利元のCBSに対してMGM20世紀フォックスユニバーサルなどの映画会社や独立プロデューサーが映画化権を争ったが、1962年ワーナー・ブラザースが史上最高の550万ドルで獲得した[9]。しかも配給収入(興行収入から映画館の取り分を引いた額)が2000万ドルを超えた場合は、その47パーセントをCBSが受け取る、という付帯事項まで付いていた[9]

ワーナー・ブラザースの社長、ジャック・L・ワーナーは先にスタッフを決定[10]。監督にジョージ・キューカー、シナリオにアラン・ジェイ・ラーナー、撮影監督にはハリー・ストラドリング、衣装に舞台版も手がけたセシル・ビートン、音楽の編曲と指揮にはアンドレ・プレヴィンを決定した[10]。1962年9月にはキューカー、ビートン、それと美術のジーン・アレンとでロンドンに下見に行っている[11]

舞台版のオリジナル・キャストはジュリー・アンドリュースレックス・ハリソンであったが、ジャック・L・ワーナーはハリソンは歳を取りすぎており、アンドリュースは無名だと考えた[12]。ワーナー映画として史上最高額の制作費1700万ドルという莫大な金額をかけた作品に無名の女優は使えなかった[13]

ヒギンズ教授役はケーリー・グラントに依頼されたが、グラントに「もしハリソンが演じないなら、観に行かないよ」と断られる[14][15]。ラーナーとキューカーは次に『アラビアのロレンス』を撮り終わったばかりのピーター・オトゥールに交渉[12][15][16]。映画はまだ公開されていなかったが、業界では新しいスターとして噂されていた[12]。ジャック・L・ワーナーも賛成していたが[12]、オトゥールのエージェントは新人としては法外な40万ドルプラス興行収入の歩合という出演料を要求したため流れてしまった[17][注 2]。他にもロック・ハドソン[15][14]ローレンス・オリヴィエ[15][14]などが候補に挙がっていたが、結局出演料20万ドルでレックス・ハリソンに落ち着いた[12][18]

イライザ役にアンドリュース以外の女優を起用しようとしたジャック・L・ワーナーだが、それでも一度はアンドリュースとその問題を話し合っている[19]。アンドリュースが「ぜひやりたいわ。いつから始めますか?」と言うと、ワーナーが「いつスクリーン・テストにこられるか」と質問した[20]。するとアンドリュースは「スクリーン・テストですって? 私があの役を立派にやれることを知っているはずよ」と拒否[20]。ワーナーは「ミス・アンドリュース、君はロンドンとニューヨークでしか知られていない。君は一度も映画に出た経験がないし、私はこの映画に多額の金を注ぎ込んでいる。だから君の写真写りがいいことを確かめる必要があるんだ。」と言ったが、それでもアンドリュースはテストを断っている[20]

ジャック・L・ワーナーは莫大な制作費を回収するため、『尼僧物語』でワーナー映画始まって以来の大ヒットという実績のあるオードリー・ヘプバーンを考えることとなった[21]。ジャック・L・ワーナー は、世界的なスターのヘプバーンと無名のアンドリュースでは興行収入の差額は500万ドルと見積もっている[22]。ヘプバーンは『ティファニーで朝食を』撮影中の1960年のインタビューで、次に演じてみたい役は? と訊かれて、「『マイ・フェア・レディ』のイライザよ」と答えていた[23][24][25]。しかし1962年に実際にイライザ役を持ちかけられたヘプバーンは、アンドリュースがイライザ役を自分のものにしているとして一旦断った[26][20][27]。さらにはディナー・パーティーを企画して、スタジオの上層部にこの役にアンドリュースを起用するよう説得しようとした[27]。しかし何をもってしてもジャック・L・ワーナーの気持ちは変えられず、自分が断れば次はエリザベス・テイラー[注 3]に役を回すとわかり[注 4]、1962年10月最終的にイライザ役を引き受けた[20][26][27]。この時にヘプバーンの出演料は『クレオパトラ』のテイラーと並ぶ当時史上最高額の100万ドルになった[28][22][12]

なお、『マイ・フェア・レディ』に専念するため、ヘプバーンは当時出演が決まっていた作品を断っている。フレッド・ジンネマン監督に決まっていた『ハワイ[29][30]、『卑怯者の勲章[29]である。これらはどちらもアンドリュースに役がまわっている。

撮影開始まで編集

セシル・ビートンは1963年2月から衣装や帽子の製作を開始[31]。93人のお針子を使い、映画で必要な1086着の衣装を作り上げた[32]。衣装の製作費だけで50万ドルかかっている[33][34]アスコット競馬場や舞踏会のシーンのエキストラは衣装が映えるよう、ジョージ・キューカーやビートンの意向に沿うまで、何度も何度も再選考が行われている[35]

オードリー・ヘプバーンは『マイ・フェア・レディ』出演に備えて撮影3か月前の1963年5月16日にハリウッドに到着[36]、18日にキューカーやラーナーやビートンを借りていた家にお茶に招いて、「私の声を歌全部に使うのですか?」と訊いている[37][38][39]。その際キューカーに「ほとんどの曲で披露してもらうが、一部は吹き替えになるだろう」と告げられたヘプバーンは[39][40]、「ええ、それはわかります。でもレッスンを受けて、一生懸命どんな練習でもするつもりです」と答えている[40][39]。しかしその段階で既にマーニ・ニクソンに吹き替えられることが内密に決まっていた[37]。その日、ビートンが衣装部にヘプバーンを連れて行くとエキストラ用の衣装を見たヘプバーンは、「イライザだけでは足りないわ! 素敵な服が他にもあるもの。わたし全部着てみたい!」と言って次々と着用した[41][36]。楽しいムードの中で衣装合わせは行われ、ヘプバーンはイライザのコックニー訛りを喋り、衣装部のスタッフと冗談を言い合っていたという[42][43]。ビートンはそれを写真に撮っていった[44]。のちにその写真を見たヘプバーンは、ビートンに大きなバラの花束を贈り、「私は今まで綺麗になりたいと望んできました。あなたが撮ってくださった写真を見たとき、ほんの少しの間、私は美しいと思えました。ありがとう、あなたのおかげです」とメッセージを添えている[45][46][47]。ビートンはこれらの写真をアメリカやイギリスの雑誌に売っており、ビートン個人に莫大な利益をもたらしていた[48]。これがキューカー監督の不興を買い、キューカーとビートンの対立が起こっている[49]。キューカーはテスト中にヘプバーンの写真を撮ることを禁止した[50]

ヘプバーンは早速レッスンを開始、発声のコーチについた他、踊りのレッスン、コックニー訛りの訓練、プレヴィンのもとでの音楽の勉強、衣装合わせ、髪型やメイクアップのテストなどで1日12時間も費やしていた[27][51][52][53]。発声練習だけで1日5〜6時間もかかったこともあったという[54]。ヘプバーンは5音分声域を広げて録音に臨んだ[55]

レックス・ハリソンはキューカーとビートンの喧嘩にムカムカしていたが[56]、実は自身が周りに絶えずトラブルを撒き散らしていた[57]。ハリソンは『マイ・フェア・レディ』の成功は自分のおかげであると思っており[58][57]、ジョージ・キューカーが女性映画の監督であるため、ヘプバーンに目をかけるのではないかと不信感を持っていた[57]

ハリソンは初めヘプバーンに対しても敵意を持っていた[59][60]。しかしヘプバーンがハリソンの死別した前妻ケイ・ケンドールとバレエ学校時代に知り合いだったことを話し[56]、撮影所内で移動の際に乗るための自転車をハリソンに贈ったりしたことや[56][61]、ヘプバーンが歌の問題などがあるためハリソンが映画を支配できることがわかると和やかになっていった[62]

6月にはリハーサルが開始されたが、ハリソンは5年もこの役を舞台でやっているのにセリフをしょっちゅう忘れ、ヘプバーンはセリフを完璧に覚えていた[56][63]。7月には撮影前の録音も始まった[54]

撮影編集

映画はワーナーのスタジオの半分以上を使って、話の流れに沿って順撮りで行われている[64][29]。主演俳優が演じる本格的な撮影は1963年8月13日に開始されているが[64][29]、エキストラだけのオープニングの雨のシーンは8月9日に始められている[65]

レックス・ハリソンは、一つの曲を二度同じように歌えないし、口の動きをシンクロナイズさせるテクニックは大嫌いだとして、自分のすべてのナンバーをライブで演じ、撮影することを主張[64]。そのためハリソンのネクタイにはマイクが、脚には送信機が取り付けられることになった[64]。当時は技術的に大変難しく、多くの人々が怒り、二つの労働組合が特別手当を要求したほどだった[64]。またハリソンが思い通りになるまでは何度も撮り直しが行われていた[57]アンドレ・プレヴィンもイヤホンをつけてオーケストラとハリソンを追いかけねばならず、ひどく苦労した[64]。しかもハリソンはそのことに対してひとことも感謝しなかったという[64]

オードリー・ヘプバーンは撮影に入った後も毎日発声練習をこなしていた[66]。ヘプバーンが歌う場面はマーニ・ニクソンによってある程度吹き換えられると聞いていたが、どの程度使われるのかはヘプバーンにもニクソンにも知らされていなかった[67]。そのためヘプバーンはニクソンと一緒に録音スタジオに入り、歌い方のアドバイスも求めていた[68]。製作30周年の修復の際に発見されたヘプバーンの音声には、「もう一度お願いします」「お時間を取らせてごめんなさい」と必死で努力するヘプバーンの音声が入っていた[69]。映画の前半の「ああ、なんてしあわせ!(素敵じゃない?)」はヘプバーン自身の録音した声に合わせて演技をして、ニクソンがそれに合わせて吹き込んでいる[70]。撮影のかなり後半のインタビューでも「歌は私も全部録音しましたが、別にマーニ・ニクソンも吹き込んであるのです。どちらを使うかは会社が決めるでしょう」と答えている[71]。しかし結局大部分の歌を吹き替えると知らされたヘプバーンは深く傷つき、「おお!」と一言だけ言ってセットから立ち去った[72]。翌日になって戻ってきたヘプバーンはわがままな行動を全員に謝罪している[58][73][注 5]。最後のヘプバーンの歌唱シーンの「あなたなしでも」ではニクソンが吹き込んだ声に合わせてヘプバーンが演技している[70]

リハーサルの段階から始まった監督のジョージ・キューカーと衣装のセシル・ビートンの対立[74]は撮影中にも続いていた[75]。二人とも自説を曲げず、好きなだけ癇癪を起こしていた[76]。二人の口論はスタッフからも苦情が出たほどだという[76]。キューカーはセットでのビートンの出しゃばりな態度が、ヘプバーンの集中力を削いでいると感じており、ビートンに対して禁止事項を増やしていった[77]

撮影上のゴタゴタが続き、ヘプバーンはセットの他の動きに惑わされたくないと言い出した[78]。そのためキューカーは9月後半には黒いカーテンを張り巡らし、必要最小限のスタッフ以外から撮影現場を遮った[79][80][注 6]。ただし、キューカーは大物女優を撮影する時はいつもセットを非公開にしており、ヘプバーンだけを特別扱いしたのではないとアンドレ・プレヴィンは語っている[79]

アスコット競馬場のシーンでは300人のエキストラのためにダンサーが選ばれた[81]。登場する150人の女性のメイクアップと着付けのために、ワーナーのステージが丸々1つ使用されている[82]

アスコット競馬場の撮影の合間にビートンはヘプバーンにポーズを取ってくれと頼み、ヘプバーンも承知していたが、助監督がやってきて「監督がオードリーの仕事の日は写真を撮らないでくれと言ってます」と伝えてきた[83][77]。「彼女は毎日仕事があるじゃないか!」とビートンは怒り、キューカーも怒りでその後2時間は仕事にならなかったという[84][85]

ヘプバーンは過労でとうとう倒れてしまい、医者の治療を受けて11月18日から3日間撮影を休んでいる[86][87]。戻ってきた22日にはイライザがフレディとコヴェント・ガーデンに戻る部分の撮影をしていたが、その時ラジオを聴いていた大道具の係が入ってきてジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたと伝えた[87][88]。監督のキューカーが取り乱していたので、ヘプバーンが代わりに小さな壇にあがり、マイクでみんなにケネディ大統領の死を伝えた[87][89][90][91]。その日は撮影が続行できなくなっている[92][93]

撮影は1963年のクリスマスの数日前に終了した[94][95][92]

エピソード編集

  • オードリー・ヘプバーンの歌は、一部の歌い出し部分を除いて マーニ・ニクソンによる吹き替えであるとあちこちで書かれているが、三部形式の「今に見てろ」は前半と後半は全てヘプバーンの声で真ん中のみがニクソンである[70]。後半に出てくる「今に見てろ」のリプライズは全てヘプバーンの声である。
  • 吹替にはジュリー・アンドリュースを、という案もあったが、アンドリュースがヘプバーンの代役で『卑怯者の勲章』に出演したため、身体があいていなかった[96]
  • 音楽監督のアンドレ・プレヴィンは、「レックス・ハリソンはオードリー・ヘプバーンではなくジュリー・アンドリュースを望んでいたのか?」と言う問いに対して、「彼はどちらも望んでいなかった。人々が関心を持っているのは自分だけだと思っていた」と答えている[97]。別の本でも「ハリソンは舞台公演の間中、ジュリー・アンドリュースの存在が気に障って仕方なかった」と書かれている[56]。ヘプバーンに対しても、ひどく意地が悪かったという[97]
  • 1971年に権利がCBSに移ったため、この作品の音声やフィルムといった貴重な素材が大量にCBSに運ばれたが、CBSはそのほとんどを捨ててしまっている[69]
  • 1994年に製作30周年のデジタル・リマスターがなされた時に、ヘプバーン自身によってレコーディングされた音源がワーナーから発見された[69][98]。また、フレディ役のジェレミー・ブレットの歌もビル・シャーレイ英語版による吹き替えだったことが本人によって明らかにされた[98]
  • 映画公開時に制作されたポスターは、ボブ・ピーク (Bob Peak) によるイラスト[99]
  • この映画の言語学考証を担当したのはピーター・ラディフォギッドだった。RP(容認発音)を操る大言語学者で、ヒギンズ教授のグラモフォンから聞こえてくるのはピーターの声であり、ヒギンズがコヴェント・ガーデンでイライザに見せるメモ帳の筆跡もピーターのものだった[100]
  • いつも2人で』撮影中、ヘプバーンの夫メル・ファーラーに連れられてまだ幼い息子のショーンは『マイ・フェア・レディ』を見に行った[101]。ヘプバーンが感想を聞いてみたところ、「マミー、どうしてお風呂が嫌いなの?」と言われたという[101]
  • インフレを調整した歴代の興行収入では、2020年現在でも『マイ・フェア・レディ』は第66位に入っている[3]
  • 米映画サイトThe Playlistが発表した、2017年1月10日までに公開されたミュージカル映画のベスト50の第8位に入っている[102]
  • NHKが権利元のCBSに8K化を提案、ハリウッドの専門プロダクションFotoKemで、65mmのオリジナルネガフィルムから半年の作業により8KのファイルとしてNHKに納品された[6][7]。2019年3月10日にNHK BS8Kにて初回オンエア、3月24日に再放映された[6]

楽曲編集

第一部

  • 序曲 (Overture)
  • なぜ英語が話せない? (Why Can't the English?)
  • ああ、なんてしあわせ! (Wouldn't It Be Loverly?)
  • 花市場 (The Flower Market)
  • 僕は普通の男 (I'm an Ordinary Man)
  • 運が良けりゃ (With A Little Bit of Luck)
  • 今に見てろ (Just You Wait)
  • 召使たちの歌 (Poor Professor Higgins)
  • スペインの雨 (The Rain in Spain)
  • 踊り明かそう (I Could Have Danced All Night)
  • アスコット・ガヴォット (Ascot Gavotte)
  • アスコット・ガヴォット -リプライズ- (Ascot Gavotte)
  • 君住む街角で (On the Street Where You Live)
  • 間奏曲 (Intermission)

(休憩)

  • アントラクト (Entr'acte)

第二部

  • トランシルバニアのマーチ (Transylvanian March)
  • 大使館のワルツ (The Embassy Waltz)
  • うまくやった (You Did It)
  • 今に見てろ -リプライズ- (Just You Wait)
  • 君住む街角で -リプライズ- (On the Street Where You Live)
  • 私に見せて (Show me)
  • 花市場 (The Flower Market)
  • だが まずは教会へ (Get Me to the Church on Time)
  • 男性讃歌[注 7] (A Hymn To Him)
  • あなたなしでも (Without You)
  • 忘れられない君の顔 (I've Grown Accustomed to Her Face)
  • エンド・タイトル (End Titles)[注 8]
  • 終曲 (Exit Music)[注 9]

賞歴編集

アカデミー賞
ゴールデングローブ賞
  • 受賞
    • 最優秀作品賞
    • 監督賞:ジョージ・キューカー
    • 主演男優賞:レックス・ハリソン
ニューヨーク批評家協会賞
  • 受賞
    • 最優秀作品賞
    • 主演男優賞:レックス・ハリソン
  • ノミネート
    • 監督賞:ジョージ・キューカー
    • 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
英国アカデミー賞
  • 受賞
    • 最優秀作品賞:ジョージ・キューカー
  • ノミネート
    • 主演男優賞:レックス・ハリソン
全米監督協会賞
  • 受賞
    • 長編映画監督賞:ジョージ・キューカー
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
  • 受賞
    • 最優秀外国製作賞:ジャック・L・ワーナー
    • 最優秀外国主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
    • 最優秀外国主演男優賞:レックス・ハリソン
ローレル賞
  • 受賞
    • 興行賞
    • 主演男優賞(ミュージカル部門):レックス・ハリソン(第1位)
    • 監督賞:ジョージ・キューカー(第1位)
    • 主演女優賞(コメディ部門):オードリー・ヘプバーン(第3位)
  • ノミネート
    • 助演男優賞:スタンリー・ホロウェイ(第4位)
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
  • 受賞
    • トップ10フィルム
全米脚本家組合賞
  • ノミネート
    • ミュージカル脚本賞:アラン・ジェイ・ラーナー
Boxoffice Magazine Awards
  • 受賞
    • 最優秀月間作品賞(64年12月):ジョージ・キューカー
アメリカ映画編集者協会賞
  • 受賞
    • 長編映画編集賞:ウィリアム・ジグラー
スペイン映画作家サークル賞
  • 受賞
    • 最優秀外国映画賞
Online Film & Television Association
  • 殿堂入り
    • 2017年
アメリカ国立フィルム登録簿
  • 登録
    • 2018年
AFIアメリカ映画100年シリーズ

関連項目編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ ジョージ・バーナード・ショーの『ピグマリオン』をおおもとの原作とする。
  2. ^ 映画の友社.『映画の友』1963年4月号(2月発売)p140ではヒギンズ教授役を獲得しそうだと書かれているが、同じ号のp101には50万ドルを要求して振られて、元のレックス・ハリソンに譲ると書かれている。
  3. ^ エリザベス・テイラーは乗り気で、バリー・パリスの伝記では、「『マイ・フェア・レディ』の役を取ってきて」と当時の夫エディー・フィッシャーやエージェントに言っていたとなっている。イアン・ウッドワードの伝記p269ではヘプバーンに決定後も「『マイ・フェア・レディ』を私にやらせて」と何度もエディー・フィッシャーに言っていた、となっている。
  4. ^ オードリー・ヘプバーンとエリザベス・テイラーのエージェントは同じカート・フリングスであった(ウッドワードの伝記p264)。
  5. ^ この件に関して、ニクソンは1994年の製作30周年記念版ではインタビューで、翌日謝ったことも「当然ね」と言っていたが、40周年の際の音声解説では「全然わがままじゃないのにね」と言い換えている。
  6. ^ バリー・パリス他、ヘプバーンの伝記では黒い衝立や壁板と書かれているが、撮影現場にいたビートンの『「マイ・フェア・レディ」日記』で黒いカーテンと書かれているため、そちらを採用している。また、カーテンはビートンが現場に行った9月18日には無く、9月23日には有るので、その間に設置されている。
  7. ^ 1974年のリバイバル公開時の劇場版パンフレットに「男性讃歌」と記載されている[103]
  8. ^ 1994年の製作30周年デジタルリマスター時まではこの曲が終曲 (The End) とされていた(初公開時の映画パンフレットによる)。
  9. ^ 1994年の製作30周年デジタルリマスター時に修復に携わったスタッフ用のエンドロールとして追加。曲はアントラクトの転用。これによって上映時間が1分半ほど増えている。

出典編集

  1. ^ My Fair Lady (1964) - Box office / business” (英語). IMDb. 2011年5月18日閲覧。
  2. ^ 1967年『キネマ旬報』5月下旬号(キネマ旬報社)49頁
  3. ^ a b Top Lifetime Adjusted Grosses”. IMDbPRO. 2021年2月21日閲覧閲覧。
  4. ^ 『キネマ旬報ムック キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924 - 2011』キネマ旬報社、211,220頁。 
  5. ^ AFI's 100 YEARS OF MUSICALS. The 25 Greatest Movie Musicals Of All Time”. AMERICAN FILM INSTITUTE. 2022年5月24日閲覧。
  6. ^ a b c 一番の美しい白”はヘップバーンのために取ってあったんだ! 8K版『マイ・フェア・レディ』は新しい発見に溢れている。”. Stereo Sound. 2022年9月17日閲覧。
  7. ^ a b 「8K完全版 2001年宇宙の旅」NHK BSで放送。マイ・フェア・レディも”. AV Watch. 2022年9月17日閲覧。
  8. ^ a b マイ・フェア・レディ[吹]機内上映版”. スターチャンネル. 2022年7月25日閲覧。
  9. ^ a b オードリー・ヘプバーン特集号 1965, p. 129.
  10. ^ a b オードリー・ヘプバーン特集号 1965, pp. 130–131.
  11. ^ ビートン 1996, pp. 18–30.
  12. ^ a b c d e f カーニー 1994, p. 135.
  13. ^ アーウィン&ダイヤモンド 2006, p. 117.
  14. ^ a b c ウッドワード 1993, p. 271.
  15. ^ a b c d パリス 下巻 1998, p. 28.
  16. ^ 『スクリーン』1963年1月号(1962年12月発行)p202. 近代映画社 
  17. ^ ウォーカー 2003, pp. 254–255.
  18. ^ ウォーカー 2003, p. 254.
  19. ^ パリス 下巻 1998, pp. 25–26.
  20. ^ a b c d e パリス 下巻 1998, p. 26.
  21. ^ ウッドワード 1993, pp. 271–272.
  22. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 27.
  23. ^ バリー・パリス 『オードリー・ヘップバーン 上巻』集英社、1998年5月4日、354頁。 
  24. ^ ハイアム 1986, p. 214.
  25. ^ ウッドワード 1993, p. 252.
  26. ^ a b ジェリー・バーミリー (1997年6月13日初版発行). 『スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン』p137. シンコー・ミュージック 
  27. ^ a b c d アーウィン&ダイヤモンド 2006, p. 120.
  28. ^ オードリー・ヘプバーン特集号 1965, pp. 85, 122.
  29. ^ a b c d オードリー・ヘプバーン特集号 1965, p. 132.
  30. ^ フレッド・ジンネマン (1993年10月23日初版発行). 『フレッド・ジンネマン自伝』p282. キネマ旬報社 
  31. ^ ビートン 1996, pp. 34–36.
  32. ^ オードリー・ヘプバーン特集号 1965, pp. 101, 132.
  33. ^ オードリー・ヘプバーン特集号 1965, p. 101.
  34. ^ ビートン 1996, p. 121.
  35. ^ ビートン 1996, pp. 104–105, 116, 119–120, 161–162, 164, 172, 179.
  36. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 31.
  37. ^ a b ハイアム 1986, p. 218.
  38. ^ ビートン 1996, p. 89.
  39. ^ a b c ウッドワード 1993, p. 273.
  40. ^ a b ビートン 1996, p. 90.
  41. ^ ビートン 1996, p. 92.
  42. ^ パリス 下巻 1998, pp. 31–32.
  43. ^ ビートン 1996, p. 93.
  44. ^ ビートン 1996, pp. 92, 96.
  45. ^ ウッドワード 1993, p. 275.
  46. ^ ビートン 1996, pp. 96–97.
  47. ^ ウォーカー 2003, pp. 259–260.
  48. ^ パリス 下巻 1998, p. 48.
  49. ^ パリス 下巻 1998, pp. 47–50.
  50. ^ ビートン 1996, p. 101.
  51. ^ カーニー 1994, pp. 135, 138, 140.
  52. ^ ウッドワード 1993, p. 274.
  53. ^ パリス 下巻 1998, pp. 32–33.
  54. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 33.
  55. ^ ウォーカー 2003, p. 257.
  56. ^ a b c d e ハイアム 1986, p. 221.
  57. ^ a b c d ウォーカー 2003, p. 260.
  58. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 40.
  59. ^ パリス 下巻 1998, pp. 40–41.
  60. ^ ウォーカー 2003, pp. 260, 262.
  61. ^ カーニー 1994, p. 143.
  62. ^ パリス 下巻 1998, p. 41.
  63. ^ ビートン 1996, p. 98.
  64. ^ a b c d e f g パリス 下巻 1998, p. 43.
  65. ^ ビートン 1996, p. 125.
  66. ^ ハイアム 1986, p. 223.
  67. ^ パリス 下巻 1998, pp. 36–37.
  68. ^ パリス 下巻 1998, p. 37.
  69. ^ a b c 製作40周年の『マイ・フェア・レディ』のDVD(スペシャル・エディションおよびスペシャル・コレクターズ・エディションに収録)とブルーレイ(4K版には未収録)の音声解説。
  70. ^ a b c 『マイ・フェア・レディ』のDVD(スペシャル・エディションおよびスペシャル・コレクターズ・エディションに収録)とブルーレイ(4K版には未収録)の音声解説。ニクソン自身の言葉。
  71. ^ 『映画の友』p250. 株式会社映画の友. (1964年2月号(1963年12月発売)) 
  72. ^ パリス 下巻 1998, pp. 39–40.
  73. ^ ハイアム 1986, p. 225.
  74. ^ ビートン 1996, pp. 101–102, 110.
  75. ^ ハイアム 1986, pp. 219, 224.
  76. ^ a b ハイアム 1986, p. 219.
  77. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 49.
  78. ^ ウォーカー 2003, p. 262.
  79. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 44.
  80. ^ ビートン 1996, p. 161.
  81. ^ 『マイ・フェア・レディ』のDVD(スペシャル・エディションおよびスペシャル・コレクターズ・エディションに収録)とブルーレイ(4K版には未収録)の音声解説。ジーン・アレン自身の言葉。
  82. ^ オードリー・ヘプバーン特集号 1965, pp. 63, 101.
  83. ^ ビートン 1996, pp. 186–187.
  84. ^ ビートン 1996, pp. 187–188.
  85. ^ パリス 下巻 1998, p. 49-50.
  86. ^ ビートン 1996, p. 209.
  87. ^ a b c パリス 下巻 1998, p. 50.
  88. ^ ハイアム 1986, p. 226.
  89. ^ ウッドワード 1993, pp. 278–279.
  90. ^ ハイアム 1986, pp. 226–227.
  91. ^ オードリー・ヘプバーン特集号 1965, p. 76.
  92. ^ a b ハイアム 1986, p. 227.
  93. ^ ウッドワード 1993, p. 279.
  94. ^ パリス 下巻 1998, p. 51.
  95. ^ ウォーカー 2003, p. 265.
  96. ^ オードリー・ヘプバーン特集号 1965, pp. 132–133.
  97. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 42.
  98. ^ a b 『FLIX増刊号2月号《オードリー・ヘプバーン特集号》追悼2周年特別企画&「マイ・フェア・レディ」映画製作30周年記念版』ビクター・ブックス / ビクターエンタテインメント株式会社、1995年2月1日発行、裏表紙、42頁。 
  99. ^ 『pen[ペン]』p70. 阪急コミュニケーションズ. (2004年No.139 10月15日号) 
  100. ^ D.H.エヴェレット『ピダハン』(みすず書房)。なお、エヴェレットの調査結果を支持した。
  101. ^ a b パリス 下巻 1998, p. 97.
  102. ^ 米映画サイト選出「史上最高のミュージカル映画ベスト50」 「ラ・ラ・ランド」は14位”. 映画.com. 2022年5月24日閲覧。
  103. ^ 『マイ・フェア・レディ』劇場版パンフレット(1974年)の「この映画で唄われる歌」。
  104. ^ 周防正行監督、新作は17年ぶり娯楽作!『マイ・フェア・レディ』をもじった『舞妓はレディ』”. シネマトゥデイ (2013年5月9日). 2021年9月26日閲覧。

参考文献編集

  • バリー・パリス 著、永井淳 訳 『オードリー・ヘップバーン 下巻(2001年の文庫版タイトルは『オードリー・ヘップバーン物語』)』集英社、1998年5月4日。ISBN 978-4087732955 
  • セシル・ビートン 著、酒井紀子 訳 『「マイ・フェア・レディ」日記』キネマ旬報社、1996年8月1日。 
  • 『別冊スクリーン オードリー・ヘプバーン特集号 「マイ・フェア・レディ」上映記念』近代映画社、1965年1月1日。 
  • チャールズ・ハイアム 著、柴田京子 訳 『オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生』近代映画社、1986年3月15日。ISBN 978-4764813212 
  • アレグザンダー・ウォーカー 著、斎藤静代 訳 『オードリー リアル・ストーリー』株式会社アルファベータ、2003年1月20日。ISBN 978-4871984676 
  • イアン・ウッドワード 著、坂口玲子 訳 『オードリーの愛と真実』日本文芸社、1993年12月25日。ISBN 978-4537023886 
  • ロビン・カーニー 著、中俣真知子 訳 『ライフ・オブ・オードリー・ヘップバーン』キネマ旬報社、1994年1月20日。ISBN 978-4873760759 
  • エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド 『the audrey hepburn treasures』講談社、2006年9月25日。ISBN 978-4062134934 

外部リンク編集