井原正巳
井原 正巳(いはら まさみ、1967年9月18日 - )は、滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者[3]。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。現在はJリーグ・柏レイソルの監督を務める。
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名前 | ||||||
愛称 | アジアの壁 | |||||
カタカナ | イハラ マサミ | |||||
ラテン文字 | IHARA Masami | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年9月18日(57歳)[1] | |||||
出身地 | 滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)[1] | |||||
身長 | 182cm[1] | |||||
体重 | 74kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1983-1985 | 滋賀県立守山高等学校 | |||||
1986-1989 | 筑波大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1991 | 日産自動車 | 44 | (2) | |||
1992-1999 |
横浜マリノス 横浜F・マリノス[注 1] | 223 | (3) | |||
2000 | ジュビロ磐田 | 20 | (1) | |||
2001-2002 | 浦和レッズ | 54 | (1) | |||
通算 | 341 | (7) | ||||
代表歴2 | ||||||
1988-1999[2] | 日本 | 122 | (5) | |||
監督歴 | ||||||
2009,2013 | 柏レイソル(代行) | |||||
2015-2018 | アビスパ福岡 | |||||
2022 | 柏レイソル(代行) | |||||
2023-2024 | 柏レイソル | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2003年1月1日現在。 2. 1999年7月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1990年代のJリーグを代表するディフェンダー(センターバック)で「アジアの壁」と呼ばれ[4]、キャプテンとして1998 FIFAワールドカップに出場した。サッカー日本代表のA代表キャップ数122は遠藤保仁に抜かれるまで歴代1位であった[5]。
来歴
編集プロ入り前から現役引退まで
編集小学3年生の頃兄がプレーしていた[6]、貴生川サッカー少年団でサッカーを始めた[7]。水口中学を経て[8]、滋賀県立守山高等学校へと進学した[8]。高校時代の2学年先輩に美濃部直彦がいる。1984年に全国高校サッカー選手権に出場した[6]。高校卒業後は筑波大学へ進学して蹴球部に所属した。大学入り前に行われた、ワールドユースに向けたセレクションのメンバーに選抜されたが、ディフェンダーのポジションには空きがあったことから「やってみないか?」と勧められたことがきっかけとなり[6]、フォワードからディフェンダーに転向した[9]。筑波では1986年、1987年に関東リーグと総理大臣杯で連覇を果たした[6]。筑波大学2年時に日本代表に選出された。
筑波大学時代、当時ディフェンダーだった中山雅史とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め[10]、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった[10]。
日産、横浜マリノス時代
編集大学卒業後は日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部、一時はボランチも経験したが、ディフェンダーとしてプレーした。1991-92年、19992-93年シーズンには天皇杯とアジアカップウィナーズカップの連覇に貢献した。
1993年Jリーグ開幕節 (5月15日) のヴェルディ川崎戦に出場、同年5月29日のジェフユナイテッド市原戦ではJリーグのオウンゴール第1号を記録した[11]。同年のJリーグオールスターサッカーには三浦知良やジーコらを抑え、最多得票を得て出場した[12]。1994年5月4日のヴェルディ川崎戦でJリーグ初ゴールを挙げた[13]。1995年はJリーグ1stステージで優勝を果たすと、Jリーグチャンピオンシップでは、ヴェルディ川崎戦の2ndレグでダイビングヘッドによる決勝ゴールを決め、マリノス初のJリーグ年間優勝に大きく寄与した[14]。
ジュビロ、レッズ時代
編集前身の日産時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われたが[15]、マリノスからのコーチ就任要請を蹴って、2000年にジュビロ磐田へ移籍。
2001年からは、以前日本代表で共に戦った福田正博が在籍していた浦和レッドダイヤモンズに移籍した。5月19日のガンバ大阪戦での移籍後初ゴールは[16]、現役最後のゴールとなった。同年行われた2002年W杯1次リーグの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めた。
2002年、2ndステージ、チームは開幕から引き分けを含め、9試合負けなしで一時は首位に立ったが、10節で鹿島に敗れると、6連敗でシーズンを終えた[17]。またこの年のJリーグカップでは決勝に進出したが、鹿島に敗れた。Jリーグ最終節、古巣横浜F・マリノス戦で先発フル出場をしたのを最後に[18]、チームメイトの福田正博と共に現役を引退した。Jリーグ通算297試合、5得点。2004年1月4日、国立競技場で引退試合が開催され、この時ゴールを決めた[19]。
代表経歴
編集大学2年時に日本代表に選出され[3]、1988年1月27日のアラブ首長国連邦との親善試合でAマッチ初出場を果たした[20]。 1990 FIFAワールドカップ・アジア予選では朝鮮民主主義人民共和国に競り負け1次予選敗退。1992年のAFCアジアカップ1992ではグループリーグ最終戦のイラン戦で、グループリーグ敗退濃厚な中、試合終盤に起死回生となる三浦知良の決勝ゴールをアシストして決勝トーナメント進出に貢献[21]、決勝ではサウジアラビアを破って初のアジア制覇に貢献した。
1994 FIFAワールドカップ・アジア予選では、1993年5月5日開催の一次予選、スリランカ戦で代表初ゴールを挙げるなど、一次予選、二次予選の全試合に先発フル出場したが、あと一歩のところでW杯出場権を逃す「ドーハの悲劇」を経験した。1994年のアジア大会ではベスト8で敗退したが、その準々決勝の韓国戦で終盤に一時は同点となる目の覚めるようなスーパーロングシュートを決めた[22]。1995年以降、柱谷哲二が代表を退いて以降は、加茂周代表監督によってキャプテンに指名され、以降代表を外れるまでキャプテンを務めた[23]。
1998 FIFAワールドカップ・アジア予選最終予選では、第2戦のUAE戦でFKを頭で合わせると、このボールはゴールに向かい、間違いなくゴールラインを割って得点となるところであったが(決勝ゴールになる可能性が高かった。)、オフサイドのポジションに居た小村徳男がゴール欲しさからかボールを触って押し込んだたため、ノーゴールの判定[24]、この決果0-0の引き分けに終わる。この様なこともあり、苦戦を強いられながらも、アウェイでのウズベキスタン戦では、ロングフィードで試合終了間際に呂比須ワグナーの同点ゴールをアシスト[25]。最終節のカザフスタン戦で代表で最後となるゴールを決め[26]第3代表決定戦進出に貢献すると、イラン代表と決戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。3戦全敗となった1998 FIFAワールドカップでは、大会直前に負傷したが[27]、キャプテンとして[3] 全試合に先発フル出場した。
1999年、コパアメリカではグループリーグの2試合に出場したが、ボリビア戦で後半83分に、この試合で2度目の警告を受けて退場処分になった[28]。次の代表戦となったイラン戦は出場停止であったが、『フィリップ・トルシエ監督は「出場停止であるという理由のみで招集しなかった訳ではない。」とコメント[29]、以降再び招集されることはなかった。
引退後
編集引退後はNHKサッカー解説、TBSラジオ番組『スポーツBOMBER!』パーソナリティー(2003年度から下半期・木曜日担当)、日本サッカー協会認定のJFAアンバサダー、びわこ成蹊スポーツ大学客員教授、公共広告機構(現:ACジャパン)・骨髄バンクCMなど各方面で活躍するかたわら、S級ライセンスを取得し指導者の道を歩んでいる。日本各地の少年サッカー教室に参加するなどサッカーの普及にも力を注いでいる。2005年には洪明甫と共に日韓親善大使に選ばれた。2006年4月にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した[1]。
これにより、日本代表及びJリーグ監督に就任出来る事になった。 2009年2月、柏レイソルのヘッドコーチに就任[1]。同年7月、監督の高橋真一郎が解任され、後任監督が決定するまでの代行監督を務めた。2013年にはシーズン中に監督の辞意を表明したネルシーニョに代わって天皇杯の1試合指揮をとった(その後ネルシーニョは辞意を撤回)。2014年限りで柏との契約を満了し退任。
2015年よりアビスパ福岡の監督に就任[30]。 最終的には2位磐田と並ぶ勝ち点82の成績を収めたが、得失点差により順位は3位となりJ1自動昇格は叶わず、J1昇格プレーオフに回ることとなった。 そのプレーオフの決勝戦において、4位のセレッソ大阪と1-1で引き分けたが、年間順位で上回った為チームを5年ぶりのJ1の舞台に導いた。
2016年シーズンは5年ぶりとなるJ1の舞台で指揮を執ったが、J11stステージで2勝5分10敗、2ndステージで2勝2分13敗と苦しみ、1年でJ2降格となった。
2017年シーズンは21勝11分10敗で4位となり、J1昇格プレーオフに進出。決勝戦で名古屋グランパスと1年でのJ1復帰を賭けて対戦。試合は0-0の引き分けで終了し、レギュレーションによりJ2残留となった。
2018年11月17日、J2第42節・FC岐阜戦終了後の会見で、J1昇格を逃したことに対する責任を取り、辞任を表明[31][32]。 11月19日、アビスパ福岡の公式サイト上で2018シーズンをもって退任することが発表された[33]。
2018年12月13日、柏レイソルのヘッドコーチに復帰した[34]。2022年4月、左アキレス腱を断裂して手術を受けたネルシーニョが復帰した29日までの間、代行監督を務めた。柏での監督代行はこれで3度目となった。 2023年5月17日、チームの成績不振(リーグ戦2勝5分6敗の16位)で退任する事になったネルシーニョ監督の後任として、柏レイソルの監督に就任した[35]。8月以降の公式戦の成績は、7勝8分け2敗で、最終順位は17位と、何とかJ1残留を決めた[36]。一方の天皇杯では、決勝に進出したが、川崎フロンターレにPK戦の末に惜敗した。天皇杯決勝進出と、8月以降成績が持ち直し、J1に残留した手腕を評価され、2024年も監督を続投することとなった[37]。
プレースタイルと評価
編集その鉄壁の守備から「アジアの壁」といわれ、冷静な判断と鋭い読み、向かってくる相手選手からボールを奪う上手さ、体をぶつけられても倒れない強さなど、ディフェンダーとしての要素を全て備えていた[38]、警告を受けることは余り無かったが、激しい当たりなど、肉弾戦も繰り広げた[39]。永島昭浩は、総合的に判断すると歴代最高のDFであったと評価した[40]。ペレイラも同様に、当時のJリーグの選手の中では最高のDFとして名前を挙げた[41]。また洪明甫か井原か、どちらがアジア最高のリベロか、という比較が日本、韓国メディアで盛んに行われていた[42]。
2020年にサッカーダイジェストが企画した、これまでのJリーグ歴代ベストイレブンを選ぶ企画では、様々な人物からJリーグ歴代のベストイレブンに選出された[40][43][44][45][46][47][48][49][50][51]。また阿部勇樹は幼少期の頃に好きだった選手として名前を挙げた[52]。
所属クラブ
編集- 1983年 - 1985年 滋賀県立守山高等学校[1]
- 1986年 - 1989年 筑波大学[1]
- 1990年 - 1999年 日産自動車 / 横浜マリノス/横浜F・マリノス[1]
- 2000年 ジュビロ磐田[1]
- 2001年 - 2002年 浦和レッドダイヤモンズ[1]
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | 日産 | 4 | JSL1部 | 22 | 2 | 4 | 0 | ||||
1991-92 | 22 | 0 | 3 | 0 | |||||||
1992 | 横浜M | - | J | - | 8 | 0 | 5 | 0 | 13 | 0 | |
1993 | 32 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 33 | 0 | |||
1994 | 41 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 47 | 1 | |||
1995 | 47 | 1 | - | 2 | 0 | 49 | 1 | ||||
1996 | 29 | 1 | 13 | 0 | 1 | 0 | 43 | 1 | |||
1997 | 4 | 22 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 24 | 0 | ||
1998 | 27 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |||
1999 | 横浜FM | J1 | 25 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 | |
2000 | 磐田 | 20 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 23 | 1 | ||
2001 | 浦和 | 3 | 26 | 1 | 6 | 0 | 4 | 0 | 36 | 1 | |
2002 | 28 | 0 | 9 | 1 | 0 | 0 | 37 | 1 | |||
通算 | 日本 | J1 | 297 | 5 | 47 | 1 | 23 | 0 | 367 | 6 | |
日本 | JSL1部 | 44 | 2 | 7 | 0 | 10 | 2 | 61 | 4 | ||
総通算 | 341 | 7 | 54 | 1 | 33 | 2 | 428 | 10 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 6試合0得点
- 1991年
- コニカカップ 7試合0得点
- 1992年
- ゼロックス・チャンピオンズ・カップ 1試合0得点
- 1995年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1996年
- サンワバンクカップ 1試合0得点
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2000年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
その他
- Jリーグオールスターサッカー選出 : 8回 (1993, 1994, 1995, 1996, 1997, 1998, 2000, 2002)
背番号
編集- 4 - 横浜マリノス / 横浜F・マリノス, ジュビロ磐田, 日本代表・1998 FIFAワールドカップ時
- 7 - 日本代表・1994 FIFAワールドカップ・アジア予選最終予選時
- 3 - 浦和レッズ
個人タイトル
編集代表歴
編集出場大会など
編集- 1998 FIFAワールドカップ(キャプテン)
- サッカーの聖地ウェンブリー・スタジアムでの日本代表選手 唯一の得点者(1995)
イングランド代表戦(アンブロカップ)
試合数
編集- 国際Aマッチ 122試合(全試合先発出場) 5得点(1988年 - 1999年)[2]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1988 | 5 | 0 |
1989 | 11 | 0 |
1990 | 6 | 0 |
1991 | 2 | 0 |
1992 | 11 | 0 |
1993 | 15 | 2 |
1994 | 9 | 1 |
1995 | 16 | 1 |
1996 | 13 | 0 |
1997 | 21 | 1 |
1998 | 10 | 0 |
1999 | 3 | 0 |
通算 | 122 | 5 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1988年01月27日 | ドバイ | アラブ首長国連邦 | △1-1 | 横山謙三 | 国際親善試合 | |
2. | 1988年01月30日 | アブダビ | アラブ首長国連邦 | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
3. | 1988年02月02日 | マスカット | オマーン | △1-1 | 国際親善試合 | ||
4. | 1988年06月02日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | 中華人民共和国 | ●0-3 | キリンカップ | |
5. | 1988年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | |
6. | 1989年01月20日 | テヘラン | イラン | △2-2 | 国際親善試合 | ||
7. | 1989年05月05日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | ||
8. | 1989年05月10日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | 中華人民共和国 | △2-2 | 国際親善試合 | |
9. | 1989年05月13日 | 岡山県 | 岡山県総合グラウンド陸上競技場 | 中華人民共和国 | ○2-0 | 国際親善試合 | |
10. | 1989年05月22日 | 香港 | 香港 | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
11. | 1989年05月28日 | インドネシア | インドネシア | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
12. | 1989年06月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 北朝鮮 | ○2-1 | ワールドカップ予選 | |
13. | 1989年06月11日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | インドネシア | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
14. | 1989年06月18日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | 香港 | △0-0 | ワールドカップ予選 | |
15. | 1989年06月25日 | 平壌 | 北朝鮮 | ●0-2 | ワールドカップ予選 | ||
16. | 1989年07月23日 | リオデジャネイロ | ブラジル | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
17. | 1990年07月27日 | 北京 | 韓国 | ●0-2 | ダイナスティカップ | ||
18. | 1990年07月29日 | 北京 | 中華人民共和国 | ●0-1 | ダイナスティカップ | ||
19. | 1990年07月31日 | 北京 | 北朝鮮 | ●0-1 | ダイナスティカップ | ||
20. | 1990年09月26日 | 北京 | バングラデシュ | ○3-0 | アジア大会 | ||
21. | 1990年09月28日 | 北京 | サウジアラビア | ●0-2 | アジア大会 | ||
22. | 1990年10月01日 | 北京 | イラン | ●0-1 | アジア大会 | ||
23. | 1991年06月02日 | 山形県 | 山形県総合運動公園陸上競技場 | タイ | ○1-0 | キリンカップ | |
24. | 1991年07月27日 | 長崎県 | 長崎県立総合運動公園陸上競技場 | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | |
25. | 1992年05月31日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アルゼンチン | ●0-1 | ハンス・オフト | キリンカップ |
26. | 1992年06月07日 | 愛媛県 | 愛媛県総合運動公園陸上競技場 | ウェールズ | ●0-1 | キリンカップ | |
27. | 1992年08月22日 | 北京 | 韓国 | △0-0 | ダイナスティカップ | ||
28. | 1992年08月24日 | 北京 | 中華人民共和国 | ○2-0 | ダイナスティカップ | ||
29. | 1992年08月26日 | 北京 | 北朝鮮 | ○4-1 | ダイナスティカップ | ||
30. | 1992年08月29日 | 北京 | 韓国 | △2-2(PK4-2) | ダイナスティカップ | ||
31. | 1992年10月30日 | 広島県 | 広島県立びんご運動公園陸上競技場 | アラブ首長国連邦 | △0-0 | アジアカップ | |
32. | 1992年11月01日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | 北朝鮮 | △1-1 | アジアカップ | |
33. | 1992年11月03日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | イラン | ○1-0 | アジアカップ | |
34. | 1992年11月06日 | 広島県 | 広島県総合グランドメインスタジアム | 中華人民共和国 | ○3-2 | アジアカップ | |
35. | 1992年11月08日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | サウジアラビア | ○1-0 | アジアカップ | |
36. | 1993年03月07日 | 福岡県 | 東平尾公園博多の森陸上競技場 | ハンガリー | ●0-1 | キリンカップ | |
37. | 1993年03月14日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アメリカ合衆国 | ○3-1 | キリンカップ | |
38. | 1993年04月08日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | タイ | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
39. | 1993年04月11日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | バングラデシュ | ○8-0 | ワールドカップ予選 | |
40. | 1993年04月15日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | スリランカ | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
41. | 1993年04月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アラブ首長国連邦 | ○2-0 | ワールドカップ予選 | |
42. | 1993年04月28日 | ドバイ | タイ | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
43. | 1993年05月05日 | ドバイ | スリランカ | ○6-0 | ワールドカップ予選 | ||
44. | 1993年05月07日 | アル・アイン | アラブ首長国連邦 | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
45. | 1993年10月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | コートジボワール | ○1-0(延長) | アフロ・アジア選手権 | |
46. | 1993年10月15日 | ドーハ | サウジアラビア | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
47. | 1993年10月18日 | ドーハ | イラン | ●1-2 | ワールドカップ予選 | ||
48. | 1993年10月21日 | ドーハ | 北朝鮮 | ○3-0 | ワールドカップ予選 | ||
49. | 1993年10月25日 | ドーハ | 韓国 | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
50. | 1993年10月28日 | ドーハ | イラク | △2-2 | ワールドカップ予選 | ||
51. | 1994年05月22日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | オーストラリア | △1-1 | パウロ・ロベルト・ファルカン | キリンカップ |
52. | 1994年05月29日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | フランス | ●1-4 | キリンカップ | |
53. | 1994年07月08日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | ガーナ | ○3-2 | アシックスカップ | |
54. | 1994年07月14日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | ガーナ | ○2-1 | アシックスカップ | |
55. | 1994年09月27日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | オーストラリア | △0-0 | 国際親善試合 | |
56. | 1994年10月03日 | 広島県 | みよし運動公園陸上競技場 | アラブ首長国連邦 | △1-1 | アジア大会 | |
57. | 1994年10月05日 | 広島県 | 広島県総合グランドメインスタジアム | カタール | △1-1 | アジア大会 | |
58. | 1994年10月09日 | 広島県 | 広島県立びんご運動公園陸上競技場 | ミャンマー | ○5-0 | アジア大会 | |
59. | 1994年10月11日 | 広島県 | 広島県総合グランドメインスタジアム | 韓国 | ●2-3 | アジア大会 | |
60. | 1995年01月06日 | リヤド | ナイジェリア | ●0-3 | 加茂周 | インターコンチネンタル選手権 | |
61. | 1995年01月08日 | リヤド | アルゼンチン | ●1-5 | インターコンチネンタル選手権 | ||
62. | 1995年02月15日 | シドニー | オーストラリア | ●1-2 | 国際親善試合 | ||
63. | 1995年02月21日 | 香港 | 韓国 | △1-1 | ダイナスティカップ | ||
64. | 1995年02月23日 | 香港 | 中華人民共和国 | ○2-1 | ダイナスティカップ | ||
65. | 1995年02月26日 | 香港 | 韓国 | △2-2(PK5-3) | ダイナスティカップ | ||
66. | 1995年05月21日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | スコットランド | △0-0 | キリンカップ | |
67. | 1995年05月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | エクアドル | ○3-0 | キリンカップ | |
68. | 1995年06月03日 | ロンドン | イングランド | ●1-2 | アンブロカップ | ||
69. | 1995年06月06日 | リバプール | ブラジル | ●0-3 | アンブロカップ | ||
70. | 1995年06月10日 | ノッティンガム | スウェーデン | △2-2 | アンブロカップ | ||
71. | 1995年08月06日 | 京都府 | 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 | コスタリカ | ○3-0 | 国際親善試合 | |
72. | 1995年08月09日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブラジル | ●1-5 | サン・スパークカップ | |
73. | 1995年09月20日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | パラグアイ | ●1-2 | デサント・アディダスマッチ | |
74. | 1995年10月24日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | サウジアラビア | ○2-1 | デサント・アディダスマッチ | |
75. | 1995年10月28日 | 愛媛県 | 愛媛県総合運動公園陸上競技場 | サウジアラビア | ○2-1 | デサント・アディダスマッチ | |
76. | 1996年02月10日 | ウォロンゴン | オーストラリア | ○4-1 | 国際親善試合 | ||
77. | 1996年02月14日 | メルボルン | オーストラリア | ●0-3 | 国際親善試合 | ||
78. | 1996年02月19日 | 香港 | ポーランド | ○5-0 | カールスバーグカップ | ||
79. | 1996年02月22日 | 香港 | スウェーデン | △1-1(PK4-5) | カールスバーグカップ | ||
80. | 1996年05月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ユーゴスラビア | ○1-0 | キリンカップ | |
81. | 1996年05月29日 | 福岡県 | 東平尾公園博多の森球技場 | メキシコ | ○3-2 | キリンカップ | |
82. | 1996年08月25日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ウルグアイ | ○5-3 | 国際親善試合 | |
83. | 1996年09月11日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウズベキスタン | ○1-0 | JFA75周年記念試合 | |
84. | 1996年10月13日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | チュニジア | ○1-0 | プーマカップ | |
85. | 1996年12月06日 | アル・アイン | シリア | ○2-1 | アジアカップ | ||
86. | 1996年12月09日 | アル・アイン | ウズベキスタン | ○4-0 | アジアカップ | ||
87. | 1996年12月12日 | アル・アイン | 中華人民共和国 | ○1-0 | アジアカップ | ||
88. | 1996年12月15日 | アル・アイン | クウェート | ●0-2 | アジアカップ | ||
89. | 1997年02月09日 | バンコク | タイ | △1-1 | キングスカップ | ||
90. | 1997年02月13日 | バンコク | スウェーデン | ●0-1 | キングスカップ | ||
91. | 1997年03月15日 | バンコク | タイ | ●1-3 | 国際親善試合 | ||
92. | 1997年03月23日 | マスカット | オマーン | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
93. | 1997年03月25日 | マスカット | マカオ | ○10-0 | ワールドカップ予選 | ||
94. | 1997年03月27日 | マスカット | ネパール | ○6-0 | ワールドカップ予選 | ||
95. | 1997年05月21日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | △1-1 | ワールドカップ記念試合 | |
96. | 1997年06月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | クロアチア | ○4-3 | キリンカップ | |
97. | 1997年06月15日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | トルコ | ○1-0 | キリンカップ | |
98. | 1997年06月22日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | マカオ | ○10-0 | ワールドカップ予選 | |
99. | 1997年06月25日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ネパール | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
100. | 1997年06月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | オマーン | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
101. | 1997年08月13日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ブラジル | ●0-3 | 国際親善試合 | |
102. | 1997年09月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウズベキスタン | ○6-3 | ワールドカップ予選 | |
103. | 1997年09月19日 | アブダビ | アラブ首長国連邦 | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
104. | 1997年09月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-2 | ワールドカップ予選 | |
105. | 1997年10月04日 | アルマトイ | カザフスタン | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
106. | 1997年10月11日 | タシケント | ウズベキスタン | △1-1 | 岡田武史 | ワールドカップ予選 | |
107. | 1997年11月01日 | ソウル | 韓国 | ○2-0 | ワールドカップ予選 | ||
108. | 1997年11月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | カザフスタン | ○5-1 | ワールドカップ予選 | |
109. | 1997年11月16日 | ジョホールバル | イラン | ○3-2(延長V) | ワールドカップ予選 | ||
110. | 1998年02月15日 | アデレード | オーストラリア | ○3-0 | 国際親善試合 | ||
111. | 1998年03月01日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | 韓国 | ○2-1 | ダイナスティカップ | |
112. | 1998年03月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 中華人民共和国 | ●0-2 | ダイナスティカップ | |
113. | 1998年04月01日 | ソウル | 韓国 | ●1-2 | ワールドカップ記念試合 | ||
114. | 1998年05月17日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | パラグアイ | △1-1 | キリンカップ | |
115. | 1998年05月24日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | チェコ | △0-0 | キリンカップ | |
116. | 1998年06月14日 | トゥールーズ | アルゼンチン | ●0-1 | ワールドカップ | ||
117. | 1998年06月20日 | ナント | クロアチア | ●0-1 | ワールドカップ | ||
118. | 1998年06月26日 | リヨン | ジャマイカ | ●1-2 | ワールドカップ | ||
119. | 1998年10月28日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | エジプト | ○1-0 | フィリップ・トルシエ | キリンチャレンジ |
120. | 1999年03月31日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブラジル | ●0-2 | キリンビバレッジ | |
121. | 1999年06月29日 | アスンシオン | ペルー | ●2-3 | コパ・アメリカ | ||
122. | 1999年07月05日 | ペドロ・ファン・カバジェロ | ボリビア | △1-1 | コパ・アメリカ |
得点数
編集# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1993年5月5日 | アラブ首長国連邦、ドバイ | スリランカ | 6-0 | 勝利 | 1994 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
2 | ||||||
3 | 1994年10月11日 | 日本、広島市 | 韓国 | 2-3 | 敗戦 | アジア競技大会 |
4 | 1995年6月3日 | イングランド、ロンドン | イングランド | 1-2 | 敗戦 | アンブロ・カップ |
5 | 1997年11月8日 | 日本、東京 | カザフスタン | 5-1 | 勝利 | 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
指導歴
編集監督成績
編集年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | ||||
2009 | 柏 | J1 | - | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | - | - | |
2015 | 福岡 | J2 | 3位 | 82 | 42 | 24 | 10 | 8 | - | 3回戦敗退 | |
2016 | J1・1st | 18位 | 18位 | 11 | 17 | 2 | 5 | 10 | ベスト8 | 2回戦敗退 | |
J1・2nd | 18位 | 8 | 17 | 2 | 2 | 13 | |||||
2017 | J2 | 4位 | 74 | 42 | 21 | 11 | 10 | ‐ | 3回戦敗退 | ||
2018 | 7位 | 70 | 42 | 19 | 13 | 10 | ‐ | 3回戦敗退 | |||
2023 | 柏 | J1 | 17位 | 22 | 21 | 4 | 10 | 7 | 準優勝 |
- 2009年は代行。
- 2023年は第14節より指揮。
出演
編集CM
編集テレビ番組
編集- 第48回NHK紅白歌合戦(1997年12月、NHK総合・ラジオ第1) - 審査員
- いのちの響(2001年5月、TBS)
脚注
編集- ^ 1992年から1998年までは横浜マリノス
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k “PROFILE”. 井原正巳オフィシャルサイト. 2014年11月2日閲覧。
- ^ a b “井原 正巳”. サッカー日本代表データベース. 2014年8月26日閲覧。
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- ^ “個人記録”. サッカー日本代表データベース. 2014年8月26日閲覧。
- ^ a b c d POPEYE 1993/7/7 p.26
- ^ “鉄壁の守備で「アジアの壁」とも呼ばれた元日本代表 サッカー 井原 正巳”. しがスポーツナビ. 2023年4月17日閲覧。
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- ^ “福岡・井原監督が辞任を表明 最終戦ドローでPO圏外7位転落「結果が出なかったのは私の責任”. Sponichi Annex (2018年11月17日). 2018年11月17日閲覧。
- ^ 『井原正巳 監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2018年11月19日 。2018年11月19日閲覧。
- ^ 『井原 正巳ヘッドコーチ 就任のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2018年12月13日 。2018年12月17日閲覧。
- ^ 『監督交代のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2023年5月17日 。2023年5月17日閲覧。
- ^ “井原正巳監督、来季続投決定的 5月にHCから昇格後、守備再建し残留と天皇杯準Vに導く”. 日刊スポーツ (2023年12月10日). 2024年3月10日閲覧。
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- ^ 田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、123ページ、ISBN 4-591-09115-5
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- ^ “「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」ファン人気とか意識してる選手はいたね”. NUMBER (2023年5月20日). 2023年5月20日閲覧。
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- ^ “ぺこぱのシュウペイが選ぶJ歴代ベスト11”. www.soccerdigestweb.com 3 May 2020閲覧。
- ^ “阿部勇樹 理想への階段”. number.bunshun.jp 3 May 2020閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 井原正巳 - National-Football-Teams.com
- 井原正巳 - Soccerway.com
- 井原正巳 - FootballDatabase.eu
- 井原正巳 - WorldFootball.net
- 井原正巳 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 井原正巳 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 井原正巳 - FIFA主催大会成績
- 井原正巳 - J.League Data Siteによる選手データ
- 井原正巳 - J.League Data Siteによる監督データ
- 公式ウェブサイト
- アビスパ福岡|監督 井原 正巳
- 柏レイソルによる公式プロフィール