女王陛下万歳
『女王陛下万歳』(じょおうへいかばんざい)または『神よ女王を守り給え』(かみよじょおうをまもりたまえ、God Save the Queen)は、多くの英連邦王国(旧イギリス帝国構成国・地域の一部)およびイギリス王室属領で使用されている賛歌(アンセム)である。
God Save the Queen | |
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和訳例:女王陛下万歳 | |
![]() 1745年10月15日の「The Gentleman's Magazine」に掲載された初期の譜面。 掲載ページのタイトルは、 "God save our lord the king: A new song set for two voices"。 | |
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別名 |
God Save the King (国王陛下万歳〈王が男性の時〉) |
作詞 | ヘンリー・ケアリー |
作曲 | 不明 |
採用時期 | 1745年9月 |
試聴 | |
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国王ジョージ2世在位の1745年9月に制定されて以来、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)および同国海外領土の事実上の国歌である。
また、ニュージーランド(1977年-)の2つの国歌のうちの1つである。
オーストラリア(1984年-)およびカナダ(1980年-[1])、ジャマイカ、ツバル、マン島[2]では王室歌 (Royal Anthem) として公式に採用されている。
ジャージー[3]、ガーンジー[4]、マン島[5]においても、イギリス王室属領の立場では公式な国歌である。
公式行事などで使用される場合、通常第1節のみが歌われる。
イギリスの君主が女性国王(女王:Queen)ではなく男性国王(King)である場合、曲名は『国王陛下万歳』(こくおうへいかばんざい)または『神よ国王を守り給え』(かみよこくおうをまもりたまえ、God Save the King)となり、歌詞も変わる。その点で、他の国歌とは大きく異なる。
ジョージ2世在位の1745年9月の制定時からウィリアム4世が崩御する1837年6月20日までは、男性国王版である『国王陛下万歳』が歌われた。
ヴィクトリア女王が在位した1837年6月20日から1901年1月22日まで、女性国王版である『女王陛下万歳』が歌われた。
ヴィクトリア女王が崩御しエドワード7世が即位した1901年1月22日からジョージ6世が崩御する1952年2月6日まで、再び男性国王版である『国王陛下万歳』が歌われていた。
概要編集
イギリスにおいて国歌として法律で制定されてはいないが、一般に国歌として広く認知されている。
なお、連合王国の構成国であるウェールズや北アイルランド、スコットランドでは独自の国歌を持ち、サッカーなどウェールズ、スコットランド[6]が個別に代表を出しているスポーツの試合では、『女王陛下万歳』ではなく、それぞれの国歌が演奏され歌われる。
かつてイギリス連邦諸国(旧イギリス帝国)でも国歌として採用されていたが、現在は公募などによって別の歌を国歌として採用している。
ニュージーランドでは今日でも『神よニュージーランドを守り給え』とともに国歌のひとつである。
カナダ、オーストラリア、バハマ、ジャマイカ、マン島では王室歌 (Royal Anthem) として採用されている。
イギリス連邦非構成国ではあるが、リヒテンシュタインでは同じ旋律を流用して独自の歌詞を乗せて国歌としている。歴史上では過去に、かつてのスイス、ドイツ帝国(現:ドイツ連邦共和国)、ザクセン王国(現:ドイツ、ザクセン州)、ロシア帝国(現:ロシア連邦)、アメリカ合衆国も同様であった。
動詞が三人称・単数・現在形で活用して「saves」とならず原形の「save」なのは、「神に対する加護の要請」を示す仮定法現在、いわゆる祈願文であるためである[7]。
公式の場で斉唱する場合であっても、女王(国王)自身が歌唱することは一切ない[8]。
歴史編集
旋律自体は、フランス王国のルイ14世が痔瘻の回復を願う「神は偉大な王を守る」が起源であるため、本来はフランスの歌である[9]。少なくとも16世紀まで遡ることが出来るものの、あくまで君主を礼賛する歌であり国歌とは看做されていなかった[10]。
国王ジョージ2世在位下、1744年にイングランド上陸に失敗した小僭王チャールズ・エドワード・ステュアートは、1745年に側近のみを引き連れてスコットランドに上陸した。ハイランド地方の氏族は小僭王の下に結集し、政府軍をプレストンパンズ (Prestonpans) において破り、以後ジャコバイトはイングランドへ向けて侵攻を開始した。ジャコバイトがイングランド中部ダービーまで南下してロンドンを脅かす中で、トマス・アーンは君主と国家の安寧を祈って「神よ、国王陛下を護り給え」を編曲した。
1745年9月28日、ドルリー・レーン王立劇場 (Theatre Royal, Drury Lane) においてベン・ジョンソンの喜劇『錬金術師』 (The Alchemist) 終演後に公式に演奏され、以後ロンドン各地の劇場で演奏されるようになって爆発的に広まった。
ただし、以上はあくまで現在確認されている公式の初演の経緯であり、アーンが自ら作曲したとは考えられていない。1740年にヘンリー・ケアリーが作曲したという説もあれば、さらに遡って16世紀の聖書の詩句、賛美歌にその起源を求める声もある。そもそもイングランド起源ではなく、ジャコバイトの側の歌であり、フランスから輸入されたものだとする者もいる。
このように多くの研究があるものの、明確な起源は今なお判明していない。
イギリス国内から軍国主義の象徴との批判編集
いわゆる左派から、イギリス国歌は戦争をイメージさせるとして変更を求めている。イギリス国歌を誠実に歌うには、神の存在を信じ、神が女王(現在だとエリザベス2世)を救おうとしていることを受け入れる必要があるため、国民の命より女王を優先するのは民主的ではないとされている。また、イギリスは日本よりも共和制を望む国民が多いため、女王陛下万歳(God Save The Queen)の批判も多いことがある。また、イギリスの大手ガーディアン紙は 時代遅れの God Save The Queen を遂に破棄する時である。として英国政府、英国王室を猛烈に批判した[11]。
近年において、バトル・オブ・ブリテンの追悼式の際に労働党左派のジェレミー・コービンが国歌斉唱の際に女王陛下万歳(God Save The Queen)を一切歌わず、口も開かなかった事が国内で問題となり、右翼、左翼内で分裂となった[12]。
歌詞編集
イギリスの君主に女王(女性国王)ではなく男性国王が在位している場合は、「Queen」の代わりに「King」を、「her」の代わりに「his/him」を用いる。また、3番の第6行の「"To sing with heart and voice"」の部分が「"With heart and voice to sing"」となる。
これまでの君主の性別による国歌の変遷は以下の通りである。
- 1745年9月 - 1837年6月20日:ジョージ2世→ジョージ3世→ジョージ4世→ウィリアム4世国王の在位時代
- 「God Save the King(国王陛下万歳/神よ国王を守り給え)」
- 1837年6月20日 - 1901年1月22日:ヴィクトリア女王の在位時代
- 「God Save the Queen(女王陛下万歳/神よ女王を守り給え)」
- 1901年1月22日 - 1952年2月6日:エドワード7世→ジョージ5世→エドワード8世→ジョージ6世国王の在位時代
- 「God Save the King(国王陛下万歳/神よ国王を守り給え)」
- 1952年2月6日 - 現在:エリザベス2世女王の在位時代
- 「God Save the Queen(女王陛下万歳/神よ女王を守り給え)」
なお、エリザベス2世女王から次代以降のイギリス王位継承順位の流れに従えば、「ウェールズ公チャールズ→ケンブリッジ公ウィリアム王子→ジョージ王子」と3代続いて男性国王の在位となることが確定しており、その期間は歌われる国歌も「God Save the King(国王陛下万歳/神よ国王を守り給え)」となる見込みである。
国歌として通常歌われるのは1番である。曲が短いために2コーラス歌われることがあるが、その場合、好戦的な2番ではなく、立憲君主制を想起させる3番が付け足される。BBCプロムスでは1・2番が歌唱される。2012年ロンドンオリンピック開会式などでは1番3番が歌われた。
6番は、ジャコバイト蜂起の記憶が薄れイングランドとスコットランドの融合が進む中で、19世紀初頭にはほとんど歌われなくなった。近年になって「反逆せしスコットランド人を破らしめむ」という節がスコットランド住民を敵視するものだとして、6番を削除する案が一部議員から提出されているが、反対意見が多くまだまとまっていない。歌詞に出てくるウェイド元帥とはジャコバイト鎮圧やオーストリア継承戦争で活躍した軍人ジョージ・ウェイドのことである。
英語原詩 | 邦訳例 | |
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1. |
God save our gracious Queen, |
おお神よ我らが慈悲深き女王(国王)を守りたまへ |
2. |
O Lord, our God, arise, |
おお主よ、神よ、立ち上がられよ |
3. |
Thy choicest gifts in store, |
汝が選り抜ける進物の |
4. |
Not in this land alone, |
神の御慈悲は |
5. |
From every latent foe, |
闇に潜みし敵より |
6. |
Lord grant that Marshal Wade |
主はウェイド元帥をして |
編曲編集
歴史の長い曲であり、著名な作曲家たちによって編曲されている。
- ヨハン・クリスティアン・バッハ - 『6つのチェンバロ協奏曲』作品1の第6番ニ長調の最終楽章に、この曲のメロディーを変奏曲仕立てにしている。
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン - この曲を主題にした変奏曲(ピアノ曲)を作曲している。また、交響曲「ウェリントンの勝利」においても引用している。
- フランツ・リスト - この曲を編曲している。
- ニコロ・パガニーニ - この曲を主題にしたヴァイオリン独奏による変奏曲を作曲している。
- クロード・ドビュッシー - 『前奏曲集 第2巻』の「ピクウィック殿をたたえて」の中で、この曲を引用している。
- エドワード・エルガー - この曲を管弦楽編曲している。
- ベンジャミン・ブリテン - この曲を管弦楽編曲している。BBCプロムスで演奏されることがある。
- チャールズ・アイヴズ - この曲を主題にした変奏曲(オルガン曲)を作曲している。
その他編集
- リヒテンシュタインの国歌である「若きライン川上流に」とロシア帝国の国歌「ロシア人の祈り」は、女王陛下万歳と全く同じ旋律を持つ。
- セックス・ピストルズは、この曲を揶揄して同名の曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を作った。1977年、エリザベス女王在位25周年祝典の日にテムズ川のボートでゲリラライヴを行い、歌詞が異なる「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演奏し逮捕された。
- クイーンは、アルバム『オペラ座の夜』で、最後にエレキギターの多重録音によるオーケストレーションでこの国歌を演奏している。これはオペラや劇場で、終演時にその国の国歌を演奏するという慣習に従ってアルバムの題に合わせたもので、このアルバムの発表以降のコンサートの最後でも毎回演奏している。なお、ライブによってはこの曲を演奏する際、ボーカルのフレディ・マーキュリーはキングの格好でステージに登場するのがお決まりであった。
- 映画『ウエスト・サイド物語』では、シャーク団がジェット団との喧嘩の申し合いの後でドックの店から出て行くとき、この曲を口笛で吹く。
- アメリカ合衆国では、同じ旋律に別の歌詞が付けられ、「My Country, 'Tis of Thee」という題名で現在でも讃歌として歌われている。
- ジミ・ヘンドリックスは、1970年のワイト島フェスティバルにてこの曲をエレキギターで演奏した。
- コモンウェルスゲームズでは、この曲はイギリス連邦歌とされるため、イングランド国歌には「ルール・ブリタニア」を使用する。
- ビートルズは、1969年のルーフトップ・コンサートで「女王陛下万歳」を演奏した。
- 「"save"」が活用して「"saves"」とならない理由について、命令法であると解釈されることがあるが、実際には仮定法現在であり、接続法の独立文が祈願を表す代表例である。日本語においても「神が女王を救わんことを」「神が女王を救いますように」というように、従属節を独立文とすることで祈願を表すため、この点は英語とよく似ている。なお、セックス・ピストルズの同名の曲は「神よ、女王を助けてやれ」という命令形と解される。
脚注編集
- ^ MacLeod, Kevin S. (2008), A Crown of Maples (1 ed.), Ottawa: Queen's Printer for Canada, p. I, ISBN 978-0-662-46012-1 2010年6月25日閲覧。
- ^ “Isle of Man”. nationalanthems.info. 2010年8月17日閲覧。
- ^ CIA. “Jersey (British crown dependency)”. The World Factbook. 2011年4月15日閲覧。 ISSN 1553-8133
- ^ CIA. “Guernsey (British crown dependency)”. The World Factbook. 2011年4月15日閲覧。 ISSN 1553-8133
- ^ CIA. “Isle of Man (British crown dependency)”. The World Factbook. 2011年4月15日閲覧。 ISSN 1553-8133
- ^ 北アイルランドはサッカーにおいてはイングランドとともに女王陛下万歳を国歌に用いている。
- ^ 中山祥一郎, 「名詞節中の仮定法現在について」『大同工業大学紀要』 34号 p.29-31, 1998年, NAID 110000191508
- ^ The National Anthem - God Save the Queen (YouTube動画) 0分39秒~1分07秒:2012年6月5日、セント・ポール大聖堂にて行われたエリザベス2世女王在位60周年(ダイアモンド・ジュビリー)の祝賀式典に際し、女王自身は歌っていない。
- ^ “Quelle est l'origine du «God Save the Queen» ?” (フランス語). CNEWS. 2021年9月6日閲覧。
- ^ エステバン・ブッフ『ベートーベンの『第九交響曲』』(鳥影社 2004年)「第一章 「ゴッド・セイヴ・ザ・キング』とヘンデル崇拝」pp.19-38。
- ^ “Peter Tatchell: It's time to ditch God Save The Queen” (英語). the Guardian (2008年8月27日). 2021年7月29日閲覧。
- ^ “Jeremy Corbyn was right not to sing 'God Save the Queen'. It's rubbish”. www.telegraph.co.uk. 2021年7月29日閲覧。
関連項目編集
- イングランドの国歌
- 我は汝に誓う、我が祖国よ
- ルール・ブリタニア
- エルサレム (聖歌)
- オー・カナダ - 次代のカナダ国歌
- 前進せよ 美しのオーストラリア - 次代のオーストラリア国歌
同類の音調だが歌詞が異なる国歌編集
- 若きライン川上流に - リヒテンシュタインの国歌である。現在も使用されている。歌詞こそ違うが、国際大会の際にイギリス対リヒテンシュタインの場合は、同じ国歌が2度流れる。
- 国王の歌 - ノルウェーの王室歌である。
- My Country, 'Tis of Thee - アメリカ合衆国の旧国歌(2代目)である。現在は星条旗と呼ばれる国歌を使用している。
- 皇帝陛下万歳 - プロイセン王国とドイツ帝国(普仏戦争に勝利したためプロイセンはドイツ帝国に移行)の国歌である。第一次世界大戦の敗戦の結果、滅亡と同時に完全に廃止された。
- E Ola Ke Aliʻi Ke Akua - ハワイ王国の国歌である。現在は使用されていない。
- 神よザクセンを祝福したまえ - ザクセン王国の国歌である。滅亡し、現在の形はドイツとポーランドの領土となっている。どちらも共和制のため、使用はされない。
- 神は偉大な王を守る - フランス王国の王室歌である。現在のフランスは共和制のため、一切使用されていない。また、この音調の国歌を初めて採用した国であった。
- ロシア人の祈り - ロシア帝国の国歌である。1816年から1833まで使用された。その後は神よツァーリを護り給えが採用された。その後、ロシア革命が発生し、ソビエト連邦が建国されたと完全に廃止された。