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岸 孝之(きし たかゆき、1984年12月4日 - )は、宮城県仙台市太白区出身[1]プロ野球選手投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。

岸 孝之
東北楽天ゴールデンイーグルス #11
T kishi20180524.jpg
東京ドームにて(2018年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市太白区[1]
生年月日 (1984-12-04) 1984年12月4日(33歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 希望入団枠
初出場 2007年3月30日
年俸 3億円(2018年)[2]
※2017年から4年契約[3]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

社会人野球七十七銀行硬式野球部宮城県仙台市)の初代監督[4]である父親の影響で、仙台市立西中田小学校3年[5]となった1993年(平成5年)から安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始めた。1997年(平成9年)に仙台市立柳生中学校[注 1]に入学[5]

2000年(平成12年)に宮城県名取北高等学校名取市)に進学[5]。自宅に最寄りだったことと、野球部が坊主頭を強制していないことが同校選択の理由であると後のインタビューで答えている[1]。5月には野球部退部も考えたが踏みとどまった[5]。同年夏の身長は170cm、体重が51kg宮城県大会登録メンバー表より)で、BMIが17.65(適正体重:63.58kg)とやせ型であり、体格に恵まれているわけではなかった[5]。高校2年生からエースになり、県内でも知れるようになっていくが、東北高(仙台市)には「高校ナンバー1の左腕投手」として知られた高井雄平(高校3年時にドラフト1位でヤクルト入団)がおり、全国的注目度は高くなかった[5]

高校3年生となった2002年(平成14年)夏の第84回全国高等学校野球選手権大会宮城県大会では1回戦で多賀城高と対戦したが、同校の主力として出場する息子を観に東北学院大学硬式野球部(仙台市)の菅井徳雄監督が来ていた。岸は、5回コールドの参考記録ながら、ノーヒットノーラン(1死球[注 2]がなければ完全試合)の好投を見せた[1][5]。また、岸は打たれても詰まることが多いため外野は前進守備であり、菅井監督の息子はライトゴロに打ち取られてしまった[5]。このため菅井監督の目にとまり、すぐさま名取北高の監督に東北学院大学への入学を直談判に行った[1][5]。7月16日の2回戦では仙台二高(第3シード)と対戦したが、台風7号接近[6]により試合途中から降雨があり、守備陣が乱れて自責点ゼロながら2-4で敗退した[1][5]。岸は甲子園出場を経験することはなかったが、東北学院大を含む10数校の大学から誘いがあった[5]。学費免除などの特待はなかったものの、学業と野球を両立できるとして東北学院大への進学を決めた[5]。しかし、高校在学中に東北学院大の一次キャンプに参加して仙台六大学レベルの練習を体験すると、高校の監督に会いにいって野球を続けるか悩んでいると打ち明けた[5]

2003年(平成15年)に東北学院大に進学。大学時代はエースとして活躍し、仙台六大学野球リーグにおける圧倒的強豪の東北福祉大学戦に完封を含む3連投の活躍(敢闘賞を受賞)で同大学の35連覇を阻止し、東北学院大学の18年ぶりのリーグ制覇に貢献した。最速152km/hのストレートスライダーを武器に2006年春には、リーグタイ記録となる19奪三振を2度マークするなどリーグ新記録の92奪三振を達成し、最優秀選手賞(MVP)に輝いた。日米大学野球選手権大会世界大学野球選手権大会の両大会においてエース級の活躍を見せ、2006年の日米野球ではアメリカを無失点に抑えるなど大学ナンバーワン右腕と称された。大学通算成績は、23勝11敗。

ドラフト前には西武ライオンズと地元の東北楽天ゴールデンイーグルスが、さらにドラフト直前には大隣憲司の獲得を断念した読売ジャイアンツ希望枠での獲得を目指すが、最終的に当初から目を掛けてくれていること、尊敬する西口文也がいることを理由に西武を選択。2006年の大学生・社会人ドラフト会議希望入団枠での指名を経て、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で西武と契約した。背番号は11

西武時代編集

2007年は開幕直後から一軍先発ローテーションに定着。2度目の先発投手となった4月6日の対オリックス・バファローズ戦でプロ初勝利を挙げる。チームが低迷する中コンスタントに勝ち星を挙げ、チームの新人では松坂大輔以来となる2桁勝利(11勝)を記録。チーム2位の防御率3.40、奪三振数はチームトップの142を記録した。チームの10連敗を止めるなど3度の連敗ストッパーとして活躍した。ただ156.1イニングで与四球55と、同じく新人である田中将大東北楽天ゴールデンイーグルス)に次ぐリーグワースト2位の四球を与えた。シーズン終了時に田中と11勝7敗で並び、新人王争いが注目された。防御率は岸の方が上だったが、投球回数ならびに奪三振数で上回った田中が新人王に選出された。しかし、好成績を残したことが評価され、パ・リーグ特別表彰として「優秀新人賞」を受賞した[7]

2008年は初登板の3月26日に対北海道日本ハムファイターズ戦を完封勝利で飾り、8月11日、1950年からの球団通算4000勝目となる勝利を8回無失点で飾った。8月の月間成績は3勝0敗防御率1.32で、自身初となる月間MVP(8月)を受賞。その後も好調を保ち、前年を1勝上回る12勝、負け数も4と減らし、課題の四球も48と減って、リーグ優勝に貢献した。読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは11月5日の第4戦に先発し、登板前には「緊張して吐きそう」とマスコミに漏らしつつも、カーブを主体に三振の山を築く。結果的には147球を投げ、1981年の西本聖(巨人)以来2人目となる27年ぶりの毎回奪三振、2005年の渡辺俊介千葉ロッテマリーンズ)以来12人目となる3年ぶりの日本シリーズ初登板初完封(初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)という快記録を達成した。そして2勝3敗と王手をかけられた11月8日の第6戦では、4回裏一死1一・三塁から先発の帆足和幸を東北学院大時代以来となる中2日でリリーフ登板。プロ入り後初のリリーフ登板であったが、9回までの5回2/3を無失点に抑えて勝利投手となった。また、この2試合の登板で12イニング連続奪三振の日本シリーズ新記録も樹立した(第4戦1〜9回、第6戦4〜6回)[8]。逆王手をかけた西武は11月9日の第7戦、3-2で勝利し日本一を達成。岸はこの活躍で日本シリーズMVP(最高殊勲選手賞)を獲得した。上記の通り、巨人戦を得意とし、交流戦では8イニングを投げ防御率は1.13、日本シリーズに至っては14+2/3イニングを投げ無失点だった(日本シリーズを含む巨人戦防御率は0.40)[要出典]

2009年WBC日本代表の第一次メンバー候補35人に選ばれたが、最終メンバー28人の候補から漏れた。シーズン開幕後は5月25日の対広島東洋カープ戦で黒星を喫するまで開幕6連勝、自身の連勝も2年越しで12連勝を記録した。4月の月間成績は4試合4勝0敗を記録した。7月20日の対オリックス戦で10勝目を挙げ、チームでは松坂大輔以来となる入団から3年連続での2桁勝利となった。この試合で対オリックス戦8連勝を記録し、2年連続でオリックスから最も多くの勝ち星を挙げた。前半戦を10勝1敗とリーグ最高勝率で折り返し、初めてオールスターゲームに選出された。8月22日の対ロッテ戦で自己最多に並ぶ12勝目を挙げたが、それ以降は好投しても打線の援護が無く5試合連続で勝ちに見放された。9月26日の対楽天戦で、4点リードの5回表に、フェルナンド・セギノールトッド・リンデン中谷仁に楽天球団史上初となる3者連続本塁打を浴びた。シーズン最終戦10月1日の対ロッテ戦で、ペナントレースでは初の救援登板で7回途中から9回まで無失点で投げ切り、9回裏にチームがサヨナラ勝ちして初の救援勝利を手にし、自己最多を更新する13勝目を挙げた。一方で被本塁打は、前年はリーグで最も少ない被本塁打12だったが、この年はリーグで最も多い被本塁打25を記録した。[要出典]

 
2010年3月30日、西武ドームでのソフトバンク戦

2010年は開幕3戦目で登板し敗れたものの、その次の登板から5月24日の対広島戦で黒星を喫するまで7連勝、同日までナイトゲーム13連勝[要出典]を記録した。しかし、6月29日の対日本ハム戦で黒星を喫したと同時に本人曰く「開幕からずっと違和感があった」肩の炎症の悪化から一軍登録を抹消、そこから約3ヶ月の二軍生活を経て、9月20日の対福岡ソフトバンクホークス戦で中継ぎとして復帰するも敗戦を喫した。その後の9月25日の対楽天戦ではプロ入り初セーブを挙げ、チームの公式戦最終戦の9月29日に3ヶ月ぶりの先発登板、10勝目を挙げた。プロ入りから4年連続での2桁勝利は球団では池永正明以来42年ぶり。6月22日の対楽天戦で勝利し、地元のクリネックススタジアム宮城初勝利をあげた[9]

2011年は故障により出遅れ8勝止まり。プロ入り以来続いていた2桁勝利も4年で途切れた。2012年は開幕から好調で、スタートダッシュに失敗したチームの中で、安定して勝ち星を積み重ね、涌井秀章が抑えに回って以降は、牧田和久と共にローテーションを支えた。結果として、2年ぶりの2桁勝利を記録したものの、2年連続で負け越した。

2013年は初の開幕投手を務め、最終的に2年連続2桁勝利を達成。Aクラス入りに貢献。12月10日の契約更改で過去7年間で2桁勝利が6度という安定感が高く評価され、3年総額で最高12億円となる大型契約を結んだ[10]

 
西武時代(2014年6月21日 横浜スタジアムにて)

2014年も2年連続2度目の開幕投手を務めた。5月2日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で1四球8奪三振の内容で史上78人目、89度目のノーヒットノーラン(準完全試合)を達成[11]。5月はパ・リーグ月間MVP投手部門を受賞した(5試合に登板し4勝0敗、防御率2・35)。ノーヒットノーランを達成した月に月間MVP受賞はパ・リーグでは1990年4月の日本ハム・柴田保光以来24年ぶり。自身は2008年8月以来6年ぶりとなったが、これはパ・リーグ投手部門で最長ブランクとなった[12]。7月18日、西武ドームで行われたオールスターゲーム第1戦ではオールスター初の先発を務めた。2回表に全セのブラッド・エルドレッドキラ・カアイフエウラディミール・バレンティンを自身プロ最速を更新する150km/hをマークして3者連続空振り三振に仕留めるなど、2回を投げて無安打無失点の完全投球で敢闘選手賞を獲得した[13]。6月に右肩違和感、8月には右肘の張りによって一軍登録を抹消されたものの、それぞれ短期間で一軍に復帰し、最終的に自己最多タイの13勝(4敗)、勝率.765で自身初のタイトルとなる最高勝率を獲得した。オフの10月9日]に日米野球2014の日本代表に選出された事が発表された[14]が、10月24日に右脇腹の違和感により辞退した[15][16]

2015年は怪我に悩まされ、開幕投手を外された。ホームでは5勝負けなしだったのに対してビジターでは1勝もできなかった。9月10日には第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された[17]が、10月9日に発表された最終メンバーからは外れた[18]。この年のシーズン中に海外フリーエージェント(FA)権を取得。

2016年には、8月16日の対ソフトバンク戦でNPB史上134人目の公式戦通算100勝[19]、9月14日の対ロッテ戦で175人目の通算1500投球回数を達成した[注 3][20]。シーズン終了後の11月2日に海外FA権の行使を表明[21]、西武からの残留交渉の他、地元球団の楽天が獲得に乗り出した。

楽天時代編集

2016年11月18日に、東北楽天ゴールデンイーグルスが岸との契約で合意したことを正式に発表した[22]。契約期間は4年で、契約期間の年俸総額は推定16億円。西武時代と同じ背番号11を着用することも決まった[3]ため、2011年の楽天入団以来背番号11を着用していた塩見貴洋は、背番号を17に変更した。 2017年5月7日の西武戦に先発して勝利し、パリーグ全6球団から白星を挙げた。しかし、7月21日の日本ハム戦での8勝目を最後に12試合勝ち星に恵まれず最終的に自身7連敗となり8勝10敗の成績でシーズンを終えた。古巣·西武とのクライマックスシリーズ第2戦では6回途中無失点、被安打3、無四球の好投で勝利に貢献した。勝てば日本シリーズ進出に王手をかけるソフトバンクとのファイナルステージ第5戦では5回2失点でマウンドを降り、勝敗は付かなかったものの、その直後に2番手として登板した宋家豪が4番·内川聖一、5番·中村晃に二者連続本塁打を浴び、チームは3対4で逆転負けした。

選手としての特徴編集

オーバースロー[23]から投げる平均球速約142km/h[24]、最速152km/h(プロ入り後の最速は150km/h[25])のストレートに、110km/h台ほどで縦方向に大きく曲がるカーブチェンジアップスライダーの4種類[26]を武器とした、緩急を生かした幅の広い投球が持ち味。

大学時代はスライダーを得意としていたが、プロに入ってスピードを求めた結果、自信のない球種となってしまったという[26]。一般的にはカーブを称賛されることが多いが、イチローにはストレートに着目された。曰く、「スピードガンだけだと130後半そこそこなのに、みんながファウルだったり空振りだったりしている。多分、手から離れた時と実際に自分のところにきた時とでイメージが変わっているんだと思う」「真っ直ぐでカウントを奪えるピッチャーってのはなかなかいない」[27]

50メートル走6.0秒の俊足を備え、試合前練習では遊撃の守備にも就くなど野手としての能力にも優れる[28]

人物編集

自他共に認める、真面目で誠実な性格の持ち主であり、西武時代は投手、野手を問わず、多くの選手から慕われていたという。実際、西武時代のチームメイトである菊池雄星は、「あんなに優しい人はいない。本気で他人の立場になってくれる」と述べている[29]

その一方で、かなりの口下手でもあり、「思ったことを言葉にすることがとても苦手」であるという。そのため、2016年のFA権行使を控えた、西武との残留交渉は、普段のピッチングよりも心身共に負担を極めることとなり、結果として納得できる交渉が叶わずに難航して、「『チーム愛』と『球団愛』は別物」と感じるようになり、それが「FA権行使→西武からの退団(楽天への移籍)」の大きな要因となってしまった[29]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
2007 西武 24 24 2 2 1 11 7 0 0 .611 650 156.1 131 16 55 1 8 142 2 0 62 59 3.40 1.19
2008 26 26 4 2 0 12 4 0 0 .750 695 168.1 151 12 48 0 5 138 4 0 65 64 3.42 1.18
2009 26 25 2 1 0 13 5 0 0 .722 755 179.2 168 25 53 2 5 138 3 1 73 65 3.26 1.23
2010 19 16 3 2 3 10 6 1 0 .625 460 113.2 100 9 26 1 5 110 3 0 41 41 3.25 1.11
2011 21 21 3 0 1 8 9 0 0 .471 564 135.0 131 12 39 1 3 106 1 0 65 57 3.80 1.26
2012 26 26 4 1 1 11 12 0 0 .478 729 187.2 141 9 40 0 4 150 3 0 52 51 2.45 0.96
2013 26 26 3 2 1 11 5 0 0 .688 716 178.1 155 17 31 1 6 138 6 0 63 61 3.08 1.04
2014 23 22 5 4 1 13 4 0 0 .765 630 161.1 126 16 36 0 2 126 0 0 48 45 2.51 1.00
2015 16 16 5 0 0 5 6 0 0 .455 434 110.1 75 6 25 0 5 91 0 0 40 37 3.02 0.91
2016 19 19 2 1 0 9 7 0 0 .563 541 130.1 123 8 36 0 1 104 0 0 42 36 2.49 1.22
2017 楽天 26 26 1 0 0 8 10 0 0 .444 703 176.1 141 19 38 2 3 189 4 0 56 54 2.76 1.02
NPB:11年 252 247 34 15 8 111 75 1 0 .597 6877 1697.1 1442 149 427 8 47 1432 26 1 607 570 3.02 1.10
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績編集



投手












2007 西武 24 6 30 0 1 1.000
2008 26 6 20 2 0 .929
2009 26 7 37 1 1 .978
2010 19 5 17 0 0 1.000
2011 21 10 28 1 3 .974
2012 26 7 41 0 3 1.000
2013 26 15 34 1 1 .980
2014 23 13 25 0 3 1.000
2015 16 5 19 1 1 .960
2016 19 13 21 1 1 .971
2017 楽天 26 9 24 0 2 1.000
通算 252 96 296 7 14 .982
  • 2017年度シーズン終了時

タイトル編集

表彰編集

記録編集

投手記録
野手記録
節目の記録
その他の記録
日本シリーズに関する記録
  • 日本シリーズ初登板初完封:2008年11月5日、対巨人戦
  • 日本シリーズ12イニング連続奪三振:2008年11月5日1~9イニングから、11月9日4~6イニングまで 計12イニング (初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)

背番号編集

  • 11 (2007年 - )

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 入学前年に、仙台市立中田中学校から分離・開校。
  2. ^ 死球を受けたのは菅井監督の息子。
  3. ^ 西武では2004年の西口文也以来。

出典編集

  1. ^ a b c d e f 無名でも頑張っていれば誰かが見ている」 岸孝之投手朝日新聞×朝日放送「バーチャル高校野球 第99回全国高等学校野球選手権大会」 2017年7月15日)
  2. ^ 楽天 - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2018年6月24日閲覧。
  3. ^ a b FA岸、楽天に4年総額16億円で移籍決定!来季開幕投手も”. SANSPO.COM(サンスポ) (2016年11月18日). 2018年6月24日閲覧。
  4. ^ 西武・岸の父孝一さん、TV観戦で驚き「まさか」(サンケイスポーツ 2014年5月3日)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 「負けた気がしない」の思い残した聖地へ 恩師、友人が語る岸孝之の素顔(フルカウント 2016年11月30日)
  6. ^ 仙台 2002年7月16日 (1時間ごとの値)気象庁
  7. ^ 2007年度 表彰選手(パシフィック・リーグ)
  8. ^ 西武岸、新記録だ12イニング連続K(『日刊スポーツ』2008年11月9日)
  9. ^ 西武:岸、宮城でやっと勝てた(毎日新聞)
  10. ^ 3年12億円の岸 生涯西武宣言「ずっといたい」 スポーツニッポン 2013年12月11日
  11. ^ 岸 ノーヒットノーラン達成!史上78人目 西武では渡辺久以来18年ぶりスポーツニッポン2014年5月2日配信
  12. ^ 西武・岸がノーヒッター24年ぶり月間MVP (サンケイスポーツ 2014年6月6日)
  13. ^ 西武岸2回完全 奪三振ショーで100万円 (日刊スポーツ 2014年7月19日)
  14. ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
  15. ^ 侍ジャパントップチーム、出場選手変更のお知らせ 侍ジャパン公式サイト (2014年10月24日) 2015年3月26日閲覧
  16. ^ 西武・岸 右脇腹違和感で日米野球辞退 阪神・岩田が出場へスポニチ、2014年10月25日
  17. ^ 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表[リンク切れ] 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧
  18. ^ 【プレミア12】「プレミア12」侍ジャパン28人が発表 1次登録から招集が見送られた選手は?”. Full-Count (2015年10月9日). 2016年11月13日閲覧。
  19. ^ 岸投手海外FA権行使についてのお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ (2016年11月2日). 2016年11月13日閲覧。
  20. ^ 岸投手 通算1,500投球回達成!”. 埼玉西武ライオンズ (2016年9月14日). 2016年11月13日閲覧。
  21. ^ 西武の岸、FA権行使を表明 残留も視野”. 日本経済新聞 (2016年11月2日). 2016年12月6日閲覧。
  22. ^ 岸孝之選手の契約合意に関して東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2016年11月18日配信。
  23. ^ 【プロ野球】小野泰己こそ藤川球児の「火の玉ストレート」を継ぐ男。将来、小野が「大エース」と呼ばれるためにデイリーニュースオンライン
  24. ^ 1.02 - Essence of Baseball | DELTA Inc.
  25. ^ “【球宴】岸、自己最速150キロ!エルド、キラ、バレを3連続K”. スポーツ報知. (2014年7月19日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140719-OHT1T50027.html 2014年7月19日閲覧。 
  26. ^ a b 週刊ベースボール 2010年6月14日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-6/14、14-17頁。
  27. ^ 2008年、テレビ番組「J-SPO」(TBS、同年12月21日付放送分)でのインタビューより参考リンク(livedoorスポーツ)
  28. ^ 投げて打って、走ってもスゴイ岸「全体的に普通でした」スポニチ、2012年6月12日
  29. ^ a b 『週刊ベースボール』2016年12月26日号、84-87頁。

関連項目編集

外部リンク編集