日本人墓地
Japanese cemetery
日本人墓地(にほんじんぼち)とは、さまざまな理由により、日本以外の国や地域で亡くなった日本人や元日本人を葬る多くの墓がある場所、埋葬地、または墓地である。
因縁編集
戦争、移住、帰化、からゆきさんと呼ばれた人達、捕虜、また職業上の理由でなど渡航し、そこに居住したり、滞在中に亡くなった人々の墓地。また旅行中の不慮の事故で死亡した者が、日本人墓地に葬られることもある。
古くは14世紀中頃から18世紀頃まで、アユタヤにあった山田長政などを始めとするアユタヤ日本人町の住人達の墓地がある[1]。
1917年、日英同盟による地中海での戦死やロシア沿海地方にはシベリア抑留日本人戦没者数万人の墓地や埋葬地が各所にある[2]。 南方諸島のさらに南のフィリピン諸島、ニューギニア、太平洋諸島などは太平洋戦争の激戦地であったが、そこには墓や墓地ともなっておらず葬られていない遺体が現在も百万以上あるともされている[3]。これら過去に戦地となった地域には、たびたび日本から遺族や戦友が戦死者遺体収容団や遺骨収拾団として行っているが時の経過とともに収拾は困難となっている[4]。
ここでは日本以外の地域にある戦没者やそのほかの人々の慰霊塔、慰霊碑や「戦没者の碑」、また無名戦士の墓や無縁仏なども併せて記す。
墓地の所在地とその呼称編集
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アジア州編集
アフガニスタン編集
ウズベキスタン編集
日本人墓地は計13か所ほどある
カザフスタン編集
カンボジア編集
- 一ノ瀬泰造の墓 - シェムリアップ州
- 高田晴行の慰霊碑 - 国際連合カンボジア暫定統治機構の活動中に殉職した岡山県警察の警察官、プノンペン市郊外のタン・コサーン寺院*
- 中田厚仁の名前の頭文字「A」のモニュメントと現地村人の希望により「Atsuhito」の名を冠した「アツ小学校・中学校」創設[8] - コンポントム市
シンガポール編集
詳細は「シンガポール日本人墓地公園」を参照
- 日本人墓地公園(英語:The Japanese Cemetery Park) - Chuan Hoe Rd, Phillips Av.
スリランカ編集
- コロンボ、カナッテ市営墓地内(英:Kanatte Cemetery)日本人墓地 - 第二次大戦戦没者鎮魂碑と大日本帝国陸軍戦死者慰霊碑[9][10]
インド編集
インドネシア編集
タイ王国編集
- カーンチャナブリー泰緬鉄道建設従事日本軍慰霊塔 - 日本人以外の労務者も含む(昭和19年日本軍鉄道隊建立)
- プーケット、カマラービーチ - 日本人を含む「タイ津波犠牲者慰霊碑」(2005年12月26日プーケット日本人会建立) [13][14]
大韓民国編集
- 釜山広域市金井区・日本人塚移安之碑[15]
- 巨文島 - 日本人の墓があったがサンフランシスコ講和条約後に撤去された
タジキスタン編集
中華民国・台湾編集
- 台北市・三板橋墓地-戦後、中国人のバラック街と化していた旧日本人専用墓地(三板橋墓地)が1997年に発掘・撤去[18]され、第七代台湾総督明石元二郎の墓は、台北県三芝郷(現新北市三芝区)の福音山基督教墓地に、他の遺骨は、台中市の宝覚寺内にある日本人遺骨安置所に移された。跡地は林森公園として整備され、明石総督旧墓址の鳥居や石碑が設置されている。
- 台北市・六氏先生之墓
- 台北市・中和禅寺日本人遺骨安置所
- 台中市・宝覚寺日本人遺骨安置所
- 台南市・八田與一夫妻之墓
- 高雄市・覆鼎金日本人墓地
- 花蓮県・豊田移民村日本人墓地
- 花蓮県・コノホン社共同墓地
- 屏東県・廣修禅寺納骨堂-屏東市にあった真宗大谷派東本願寺と曹洞宗護国院の日本人遺骨が安置されている。
- 屏東県恒春・潮音寺。輸送船撃沈後、12日間漂流し生還した旧日本人兵士中嶋秀次(-2013)が私財で1981年建立。米軍の攻撃によりバシー海峡では駆逐艦呉竹や輸送船玉津丸などが撃沈、補給路の「輸送船の墓場」といわれ、戦没者は10万人以上とされる。2015年8月2日遺族や日台関係者約160人が慰霊式を行う[19]。
中華人民共和国編集
- 香港、香港墳場(英語版:Hong Kong Cemetery)内の日本人墓地区域の萬霊塔および多数の墓[20]
朝鮮民主主義人民共和国編集
第二次世界大戦前後に朝鮮民主主義人民共和国で亡くなった人達の墓地・埋葬地
ネパール編集
フィリピン共和国編集
太平洋戦争激戦地の一つとして数多くの慰霊碑などがある[28]
- ルソン島 - 約270の慰霊碑などが各地に点在する。ラグナ州カリラヤ - 「比島戦没者の碑」 フィリピンで戦没した約50万人の日本人を追悼(日本政府1973年3月建立)[29]
- ヴィサヤ諸島 - 約110の慰霊碑などが各地に点在する
- ミンダナオ島 - 約20の慰霊碑などが各地に点在する
- レイテ島-太平洋戦争の天王山であった生存率5.6%(84,006名の投入)の激戦地、フィリピンでの戦死者(戦病死を含む)52万人のうちの79,261名(レイテ戦)の日本兵が眠る。タクロバン市(en:Tacloban)、オルモック市、リモン峠等の戦地となった島内各地に慰霊碑[30]が点在する。タクロバン市役所のあるカンフラウの丘(Kanfuraw Hill)の公園の一角にマリア観音像(Madonna Maria Kanon)、Madonna of Japanが戦没者を慰霊するとともに日比友好の標として建てられている[31]。Dulag、ドゥラグ飛行場があった、には山添神社という山添陸軍大尉を慰霊する神社[32]が建てられている。
- サマール島の東サマール州ギワン市(en:Guiuan, Eastern Samar)のDumpao Beach[33]に慰霊碑がある。
ブータン編集
ベトナム社会主義共和国編集
マレーシア(ボルネオ島)編集
- クチン日本人墓地
- ラブアン市 - ラブアン平和公園の敷地内の「ボルネオ戦没者の碑」ボルネオ地域および周辺海域での戦没者約12,000名の慰霊碑(マレーシア政府およびサバ州政府の協力を得て、日本政府建立1982年9月)[29][37]
- ラブアン日本人墓地(ラブアン植物園内)
- ミリ日本人墓地(Tun Datu Tuanku Haji Bujang College内)
- コタキナバル日本人墓地
- サンダカン日本人墓地
- タワウ日本人墓地
マレーシア(マレー半島)編集
- クアラルンプール日本人墓地[38] - 日本航空クアラルンプール墜落事故の慰霊碑もある
- ジョホールバル日本人墓地(Japanese Cemetery Johor Bahru)[39]
- ペナン日本人墓地
- イポー日本人墓地
- マラッカ日本人墓地
- クアラトレンガヌ日本人墓地
ミャンマー編集
- ヤンゴンの日本人墓地[40] - からゆきさんほか、太平洋戦争の兵士ら。「英霊の墓」、「無縁仏」、「家族が建てた碑」などもある。「ビルマ平和記念碑」約19万人の戦没者追悼と平和祈念(日本政府建立1981年3月、ミャンマー政府による1998年3月移設と大型化)[29]
モンゴル国編集
労働力不足解消目的にモンゴル国政府の要請で1945年10月と12月2回シベリア抑留日本人計12,318人が移送され労働を課せられ、1,600人以上が死亡。日本人墓地は下記を含め16か所にある[41]。
- アルタンボラグ日本人墓地
- スフバートル日本人墓地
- ウランバートル市 - ダンバルジャ日本人墓地。「日本人死亡者慰霊碑」終戦後モンゴル抑留での死亡者約1,700人の慰霊碑(日本政府2001年10月建立)[29]
- ホジルブラン日本人墓地
- ナライハ墓地(日本人12人)
ラオス編集
ロシア(アジア地域)編集
ほとんどはシベリア抑留日本人戦没者。
- 沿海地方では146の日本人墓地または埋葬地が確認されている[43][44]
- クラスノヤルスク地方ノリリスク市 - 日本へのロシア人留学生の協力のもと、亡父らの慰霊碑、個人的建立2015年10月2日序幕[45][46]
- サハリン州ユジノサハリンスク市日本人墓地 - ソ連時代に設けられた「ユジノサハリンスク共同墓地(中心部より南へ約3.5km程)」の一角に共同埋葬されている。詳細は「ユジノサハリンスク#墓地」を参照の事。
- サハリン州ユジノサハリンスク市 旧豊原市共同墓地 - 前述した「ユジノサハリンスク共同墓地」より西へ約2kmの地点(旧ユジノサハリンスク空港(初代。旧豊原大澤飛行場)跡地の西に隣接)にかつて立地。墓所区画を区切る歩道跡がグーグルマップ等の空撮画像で確認出来るが、埋葬されていた遺体・遺骨や墓石が現在どうなっているかは不明。詳細は「ユジノサハリンスク#かつて存在していた共同墓地」を参照の事。
- サハリン州スミルヌイフ地区「樺太・千島戦没者慰霊碑」 - 1996年11月日本政府が建立 [29]
- サハリン州ホルムスク(旧真岡町)「鎮魂」碑 - 日本人墓地跡地に真岡町関係者有志一同1995年8月建立[47]
- ナホトカ市日本人墓地(ナゴルナヤ通り)[43]
アフリカ州編集
マダガスカル編集
オセアニア州とその周辺および太平洋の島々編集
オーストラリア編集
- カウラ日本人墓地 - 日本人戦没者慰霊碑[51]
- 西オーストラリア州ブルーム - 明治時代に渡った真珠を海に潜って採った人達、和歌山県太地町出身者など墓数約900基[52][53][54]
- 木曜島
- ダーウィン - 沈没・戦死した伊号第百二十四潜水艦乗組員の慰霊碑[55]
サイパン島編集
- 中部太平洋戦没者の碑[56]
パプアニューギニア編集
- ウェワク半島 - 「ニューギニア戦没者の碑」ニューギニア派遣軍の全戦没者約13万人および地元住民戦禍の犠牲者約5万人を慰霊顕彰、追悼。(パプアニューギニア政府協力を得て日本政府建立 1981年9月)[29]
- ビスマルク諸島ニューブリテン島ラバウル市 - 「南太平洋戦没者の碑」ラバウルおよび20万人の南東方面の全戦没者に捧げられた慰霊碑(日本政府と戦友会他 1980年9月建立)[29][57][56]
パラオ編集
マーシャル諸島共和国編集
- マジュロ - 「中部太平洋戦没者の碑」と「東太平洋戦没者の碑」(日本政府1974年と1984年3月建立)[29][37]
- ウォッジェ環礁のウォッジェ島 - ウォッジェ空港やハゴイ飛行場建設を担った横浜刑務所の囚人「赤誠隊殉歿者之碑」[59][60]。
北マリアナ諸島編集
- サイパン島バンザイクリフとよばれたマッピ岬 - 「中部太平洋戦没者の碑」サイパン、テニアン、グアムなどでの敗戦まで30年間の日本軍戦没者43,000人や国籍を問わず民間人12,000人の慰霊碑[29]
ガダルカナル島編集
- ソロモン平和慰霊公園 ソロモン諸島方面戦没者慰霊碑[61]
グアム島編集
- グアム平和慰霊公苑、慰霊塔[62]
ニューカレドニア編集
ニュージーランド編集
- フェザーストン市(Featherston) – フェザーストン事件慰霊碑
- クライストチャーチ - カンタベリー地震 (2011年2月)の犠牲者慰霊碑[65]
北アメリカ州編集
アメリカ合衆国編集
- カリフォルニア州コルマ(Colma)コルマ日本人墓地 - 咸臨丸の乗組員3人ら[66][67]
- カリフォルニア州インヨー郡オーエンズヴァレーマンザナー強制収容所ビジタセンター近傍の墓地と慰霊塔 - 慰霊塔は収容所内の各世帯が15セントずつ寄付し、1943年8月建立、身寄りのない6人の遺骨を収容[68][69]。
- ニューヨーク州クイーンズ区マウントオリベット墓地(Mount Olivet Cemetery) - 高見豊彦ら[70]
- ニューヨーク州ブルックリン区サイプレスヒルズ国立墓地(Cypress Hills National Cemetery) - 山田志道ら[71][72]
- ハワイ州オアフ島マキキ日本人墓地(日本海軍墓地)マキキ(Makiki)[73]
- ハワイ州オアフ島ホノルル、カカアコ・ウォーターフロント・パーク(英:Kakaako Waterfront Park) - えひめ丸事故犠牲者慰霊碑
ドミニカ共和国編集
- ダハボン州 - ドミニカに移住した日本人の墓
南アメリカ州編集
ブラジル編集
- サンパウロ市内イビラプエラ公園「ブラジル日本移民開拓先没者慰霊碑」(MONUMENTO EM HOMENAGEM AOS PIONEIROS DA IMIGRAÇÃO JAPONESA FALECIDOS) [77]
ペルー編集
ボリビア編集
- サンタ・クルス県 サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ公営墓地内の日本人共同墓地[81]
ヨーロッパ州編集
イギリス編集
マルタ共和国編集
- カルカラ海軍墓地 (Kalkara Naval Cemetery) 内 - 佐藤皐蔵少将らが率いた大日本帝国海軍の戦没者墓地「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」。1917年、日英同盟によりチャーチルからの援軍要請でドイツ帝国Uボートなどを迎え撃った戦死者[83][84][85][86]
ロシア(ヨーロッパ地域)編集
脚注編集
- ^ タイ王国探鳥旅行1月26日(日)京都野鳥の会
- ^ 答弁書第一号、内閣参質一四〇第一号、平成九年三月十八日参議院議員瀬谷英行君提出シベリア抑留日本人死没者に関する質問に対する答弁書
- ^ 日本兵捕虜埋葬名簿ほか戦没者を慰霊し平和を守る会
- ^ 日本國戦死者遺体収容団
- ^ ペシャワール会について→現地活動の紹介→灌漑事業2020年→1月 ガンベリ公園にドクターサーブナカムラ記念塔を建設
- ^ タシケント抑留日本人墓地、ウズベキスタン
- ^ 在ウズベキスタン日本国大使館
- ^ アツ小学校 中学校 観光ガイドAtsu Elementary and junior high school
- ^ “日本人会沿革史 | スリランカ日本人会”. srilanka-nihonjinkai.r-cms.biz. 2022年8月21日閲覧。スリランカ日本人会管理、1965年11月第二次大戦戦没者鎮魂碑建立、1979年10月大日本帝国陸軍戦死者慰霊碑建立
- ^ 2017-03-27:スリランカにあるJRさんと日本ゆかりの地、画像数点
- ^ 昭和初期最盛期主に綿花買い付け約3000人が滞在。2008年は墓地100周年。読売新聞2008年10月3日13版6面
- ^ “インパール作戦”. ASAHIネット. 2009年8月17日閲覧。
- ^ “外務大臣表彰 ~プーケット日本人会の功績~”. 外務省. 2016年11月6日閲覧。
- ^ インド洋津波犠牲者慰霊碑
- ^ 釜山広域市金井区、太平洋戦争犠牲韓国人慰霊塔および日本人塚移安之碑、釜山でお昼を2013年9月2日閲覧
- ^ 2015-10-24安倍晋三首相、慰霊碑(慰霊プレート)に献花。翌25日付け読売新聞13S版4面
- ^ 2015-3-15第1回タジキスタン・日本科学技術イノヴェーションシンポジウム、筑波大学
- ^ 旧日本人専用墓地を撤去へ、台北市(中国時報)1997年3月7日琉球新報
- ^ 読売新聞2015年8月3日13S版4面
- ^ 香港日本人墓地慰霊祭
- ^ 方正県地域で満蒙開拓団など約4,500人が餓えや病気で死亡という。毛沢東は1963年『開拓移民も日本軍国主義の犠牲者』との考えから日本人公墓の建立を許した。読売新聞2009年6月12日13版8面囲み記事「中国細見」から要旨を引用
- ^ 周恩来首相の了承を得て建立。読売新聞2015年11月27日夕刊3版17面
- ^ 満州開拓団跡の学校を訪ねて日本初大連ニュース&コラム
- ^ 中国に残る日本人の遺骨キャッチ!世界の視点2018年8月25日NHK BS1
- ^ 参考:雲南省の戦跡を訪ねて、2007/05/065月9日 No2
- ^ NPO法人 戦没者追悼と平和の会、平壌市龍山墓地日本人埋葬者名簿2013年9月2日閲覧
- ^ 平壌郊外の日本人墓地、遺族が初の墓参りasahi.com 2013年9月2日閲覧
- ^ NGOフィリピン戦没者慰霊碑保存協会
- ^ a b c d e f g h i j k l 日本遺族会ホームページ>トップ>政府建立慰霊碑2014年5月閲覧
- ^ 戦後60年 慰霊碑巡礼第2部レイテ編まにら新聞、2014年7月6日閲覧。
- ^ タクロバンのマドンナマリア観音と平和記念碑 Madonna of Japan in TaclobaThe East River Journal, 2014年6月29日閲覧。
- ^ Cap. Isao Yamazoe Shrine in Dulag 山添神社 klubnika's photo blog, 2014年6月29日閲覧。
- ^ Dumpao Beach Resort in Guiuan, Eastern SamarLakas Ng Trip, 2014年6月29日閲覧。
- ^ “西岡京治 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞”. 国際留学生協会 (2004年). 2017年6月5日閲覧。
- ^ “(7)日本人墓地「谷弥次郎兵衛の墓」”. 松島塾. 2009年7月6日閲覧。
- ^ 1665年没日本人商人 蕃次郎の墓、2023年2月7日キャッチ!世界のトップニュース放送
- ^ a b 慰霊碑を訪ねる日本遺族会
- ^ クアラ・ルンプール日本人墓地(Japanese Cemetery in Kuara Lumpur)
- ^ ジョホール・バル日本人墓地
- ^ ヤンゴンの日本人墓地
- ^ “モンゴル慰霊団参紀行記”. イージェーワークス (2006年9月). 2009年8月4日閲覧。
- ^ ラオス発展貢献の知られざる日本人2014年10月30日閲覧
- ^ a b (11)日本人墓地 在ウラジオストク日本国総領事館
- ^ 沿海地方における日本人墓地函館日ロ交流史研究会
- ^ “シベリア抑留の地に日本人慰霊碑 ロシア人留学生が尽力”. 朝日新聞DIGITAL. (2015年11月6日) 2015年11月6日閲覧。
- ^ 読売新聞2016年1月10日13S版37面
- ^ 読売新聞2015年4月24日13S版7面
- ^ 「マダガスカル・・・アフリカに一番近いアジアの国」(1991年、サイマル出版会)山口洋一著
- ^ ディエゴスアレスの慰霊碑
- ^ 読売新聞2015年7月11日13S版37面
- ^ “日本人戦没者墓地と日本庭園、(カウラ市紹介記事より)”. オズ・プロジェクト. 2009年8月10日閲覧。
- ^ “日本との交流と絆”. 西オーストラリア州公式観光情報サイト. 2009年3月30日閲覧。
- ^ “ブルーム日本人墓地”. Namioto Australia豪遊紀. 2009年3月30日閲覧。
- ^ 読売新聞2010年4月1日13版9面
- ^ 2018年(平成30年)11月17日安倍内閣総理大臣による豪州ダーウィンにおける伊号第124潜水艦慰霊碑訪問、また安倍総理は前日16日は同地、旧日本軍の空爆での市民戦没者260人以上の慰霊碑にモリソン首相と共に献花、出典:2018年11月17日読売新聞13S版4面
- ^ a b 中部太平洋戦没者の碑都留文科大学
- ^ 南太平洋戦没者の碑厚生労働省
- ^ 読売新聞2015年4月9日夕刊3版1面
- ^ 青年海外協力隊の一員が隊務外、慰霊者の随伴で2016年に島民の家の入口の踏石とされていた碑を見つけ、2018年11月遺骨収集団により近傍に再建立された。47NEWS 南洋の島の慰霊碑、民家の踏み石に飛行場建設担った受刑者ら犠牲、歴史の風化懸念2020/8/17 16:00(JST)
- ^ 2020年7月2日長崎新聞17面,マーシャルの石碑とノルウェーのモリ,「忘れられた慰霊碑 戦禍の記憶 75年の先へ」,「石碑がつなぐ南の島の歴史」
- ^ 小泉純一郎揮毫、平成10年8月除幕式
- ^ 財団法人南太平洋戦没者慰霊協会昭和45年5月完成
- ^ ニューカレドニア日本人墓地へ
- ^ “ニューカレドニア日本人移民120周年” (2012年8月5日). 2017年1月18日閲覧。
- ^ 2020年2月22日読売夕刊3版11面、翌23日朝刊13S版7面
- ^ コルマ日本人墓地、日系人関連史跡訪問記録
- ^ 川村総領事のコルマ日本人共同墓地訪問
- ^ 読売新聞2015年8月14日夕刊3版13面
- ^ History of the Manzanar Cemetery
- ^ 日系アメリカ人#歴史1907年高見豊彦
- ^ 山田志道(やまだ しどう)ソニーアメリカの先駆者、第2話眠れぬ夜の決断、Sony Historyソニー
- ^ 日系人関連史跡訪問記録
- ^ マキキの丘 日本海軍墓地
- ^ 日系社会マツモトコージ写真館
- ^ ブラジル日本移民史料館所蔵、展示資料国立国会図書館
- ^ 世界の葬送事情―ブラジル岡村淳
- ^ ブラジル日本移民開拓先没者慰霊碑(PDFファイル)
- ^ 私たちの40年!! 『ブラジル戦後移民』 47年の記録あるぜんちな丸同船者寄稿集
- ^ 日本人ペルー移住百周年記念慰霊法要
- ^ ペルー南米初の日本人入植地、カニエテ耕地で死んだ仲間の供養をニッケイ新聞 (Jornal do Nikkey)
- ^ 1961年サンタクルス市営墓地内日本人共同墓地が建設
- ^ 日本郵船ホーム - ニュースリリース - 2018年10月5日「平野丸」がつなぐ日英友好-地元ボランティアにより慰霊碑が建立-
- ^ 日本マルタ友好協会(JAPAN MALTA Friendship Association)
- ^ 地中海のマルタに「旧日本海軍墓地」産経ニュース
- ^ “マルタ島の日本海軍墓碑の由来”. マルタ観光局. 2009年6月28日閲覧。
- ^ “地球史探訪:日本帝国海軍、地中海に奮戦す”. 2009年6月28日閲覧。