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石川 雄洋(いしかわ たけひろ、1986年7月10日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する静岡県駿東郡清水町出身のプロ野球選手内野手外野手)。右投左打。

石川 雄洋
横浜DeNAベイスターズ #7
20121123 Takehiro Ishikawa, infielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
2012年11月23日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県駿東郡清水町
生年月日 (1986-07-10) 1986年7月10日(32歳)
身長
体重
183 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 2004年 ドラフト6巡目
初出場 2006年10月12日
年俸 4,500万円(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

横浜高校では1年生からベンチ入りを果たし、2003年春、第75回選抜左翼手で出場し準優勝。2004年夏、第86回全国選手権にも出場して14打数10安打と活躍、ベスト8に進出した。高校の同級生に涌井秀章、1年先輩に成瀬善久荒波翔、2年後輩に福田永将佐藤賢治下水流昂がいる。

2004年全国高等学校野球選手権大会、対京都外大西戦では6回に三塁打を放ちヘッドスライディングした際に三塁手と交錯。首などを強打し左肩を捻挫する。一時は意識を失い担架で運ばれるも、その後意識を取り戻し強行出場した。スコア0対0の9回には自身のエラーをきっかけに満塁のピンチを迎えるが涌井が三振で抑えると、10回には涌井が招いたピンチをファインプレーで助け、チームは11回に1対0でサヨナラ勝ちを決めた。

2004年9月に台湾で開催された第21回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選ばれる。

2004年のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから6巡目で指名。契約金3,000万円、年俸460万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は52

プロ入り後編集

2005年には、イースタン・リーグ公式戦45試合に出場。打率は.243で、一軍公式戦への出場機会はなかった。

2006年は、シーズン途中に左打ちからスイッチヒッターに転向。シーズン終了目前の10月12日に一軍初昇格し、代打で初出場を果たす。

2007年は、初の開幕一軍入りを果たすと、4月1日の読売ジャイアンツ戦、シーズン初打席で高橋尚成からプロ初安打(投手強襲の内野安打)を放つ。さらに代走としても出場機会を得ていた。しかし、4月19日ヤクルトスワローズ戦で11点の大量リードをしていたにも関わらず石川は盗塁を敢行。これが石川のプロ入り初盗塁となったが、これに怒ったヤクルトバッテリーが次の打者の内川聖一村田修一に連続死球を与えて乱闘騒ぎになり、この試合で2,000試合出場達成となった古田敦也選手兼任監督が球審井野修に退場を宣告されるなど後味の悪いゲームとなってしまった。さらに翌4月20日の練習中には打球を顔面に当て唇を20針縫う大怪我を負い、長期離脱した。

2008年は、スイッチヒッターから左打ちに戻す。開幕一軍入りこそ逃すが、その後シーズンを通じて一軍に定着。故障の石井琢朗の代わりに遊撃手を守ったり、北京オリンピック出場のためにチームを離れた村田修一の代わりに三塁を守るなど主に1番打者でのスタメン出場が続き、自己最多の83試合に出場。チームトップとなる10盗塁を記録した。

2009年は、開幕スタメンは逃すが、遊撃手のポジション争いをしていた藤田一也仁志敏久の不調により二塁手に固定されたことで、レギュラーに定着。吉村裕基に次ぐチーム2位の134試合に出場し、初の規定打席到達、2年連続チームトップの19盗塁、チーム2位の15犠打を記録した。一方で、規定打席到達者ではリーグワースト2位の打率(.242)、リーグワーストの出塁率(.267)、四球数(13個)と対左打率(.156)、98三振、遊撃手リーグワースト2位の17失策を記録するなど、攻守に課題を残すシーズンとなった。

 
2010年、明治神宮野球場にて

2010年は、開幕から遊撃手のレギュラーとして好調を保ち続け、リーグ30盗塁一番乗りを果たす。終盤、梵英心に競り負け、盗塁王のタイトルは逃すも、36盗塁(リーグ2位)、38犠打(リーグ3位)、打率.294(チーム2位)を記録。守備面では失策数は6に減ったが、石川が守備に就くと得点換算で平均的な遊撃手に比べて年間17.92の失点(12球団ワースト2位)が増えるゾーンデータが算出されるなど、守備範囲に不安を残した[2]。相変わらず三振は多く、四球数も規定打席到達者の中で2年連続リーグワースト(21個)を記録。XR27も3.87と規定打席到達者31人中29番目だったが、出塁率は初めて3割を超えた。なお両リーグ規定打席到達者で唯一本塁打ゼロであった。

2011年は、開幕から1番・遊撃手でレギュラーに定着。後半戦からは2番打者を打つようになった。前半戦は全試合フルイニング出場を果たしたが10月4日、右外腹斜筋付着部(右わき腹)損傷により出場選手登録を抹消される。10月22日のシーズン最終戦の巨人戦で復帰し、9回裏に守備固めとして起用されたが、自身の失策によりピンチを広げ、長野久義の代打逆転サヨナラ満塁本塁打と内海哲也最多勝をアシストしてしまう痛恨の結果を招いた。また2年連続で本塁打はなく、盗塁数も前年と比べて3分の1に減り失策数は13個に増加。シーズン中盤には三振数で一時リーグトップに立つなど、攻守共に粗さが目立った。

2012年は、同年現在チーム内に「石川」姓の選手・スタッフは在籍していなかったが、ユニフォームの背ネームを“T.ISHIKAWA”に変更。春季キャンプでは二塁手にコンバートされる。また、新生・横浜DeNAベイスターズ初代主将に指名される。シーズン序盤は打率2割に満たない極度の不振に陥っていたが、6月頃から徐々に調子を上げていった。しかし、7月18日の東京ヤクルトスワローズ戦でファールを打った際投球が右手を直撃し、右手小指の骨折で登録を抹消される。8月下旬に復帰し、8月26日にはチーム事情によりプロに入って初めて外野(ライト)を守り好プレーも見せていたが、前日の8月25日の巨人戦でバントをした際に、今度は左手人差し指を骨折。再び登録を抹消された。

2013年は、遊撃手に再転向。開幕は1番で出場するが次第に調子を落とし、下位打線に降格、さらには山崎憲晴にスタメンを奪われてしまう。チームの円陣の輪に入らないなど練習態度に問題ありと中畑清監督に叱責され、話し合いを行なっても態度は改善されなかったことから、5月後半に二軍降格となった。6月に調子を取り戻し一軍復帰を果たした後は、ほとんどの試合に二塁手として先発出場した。8月には球団新記録となる8試合連続マルチ安打を放つなど打撃も復調し、最終的には打率は.275ながらも、5本塁打、41打点、出塁率.357を記録。また得点圏打率.313はリーグ4位という好成績だった。

2014年は、開幕から「1番・二塁手」としてほぼ固定起用される。5月4日の広島戦(マツダスタジアム)では前田健太から初回に先頭打者本塁打[3]、5月5日の同カードでは2試合連続の本塁打を放った[4]野球キューバ代表の二塁手として国際大会などで活躍したユリエスキ・グリエルが入団した6月以降の公式戦では、グリエルに二塁を守らせる関係で、高校時代に経験のある外野手[5]として先発起用されることもあった。自己最高の本塁打数である7本塁打を記録したものの、打率は最終的に.248と前年より下げてしまった。

2015年は、3月28日の巨人戦でプロ通算100盗塁を達成した。前半戦では主に1番打者を任され、シーズン序盤には第一打席で出塁すると全勝するという珍記録がおき、「石川神話」と呼ばれた。一時は首位打者に立つこともあるなど好調だったが、交流戦前後からチームの調子に合わせて次第に調子を落とし、大きく打率を下げてしまった。6月11日には出場選手登録日数が8年に達し、国内FA権を取得。7月3日の対阪神タイガース戦(横浜)では、2点ビハインドで迎えた9回裏に、阪神のクローザー呉昇桓から一軍公式戦で自身初のサヨナラ安打を放った[6]。7月31日の広島戦では5回表の守備で左足を負傷し翌日登録を抹消、その後はシーズン最終盤(最終戦から2試合目)の10月2日に出場するまで一軍に昇格することはなかった。この年は登録抹消を2回味わうなど、最終的に89試合の出場で、打率.259であった。

2016年は、負傷で出遅れるも、4月8日に一軍登録。主に「2番・二塁手」として先発出場したが、打率2割前後を推移し続けた。そのため、7月以後は宮崎敏郎や同シーズン途中に加入したエリアン・エレラに徐々に出場機会を献上することが増えていった。8月13日対広島カープ戦で通算1,000試合出場。最終的に95試合出場(うち先発出場73試合)、打率.209と、不本意なシーズンになってしまった。5月11日の中日ドラゴンズ戦では、ワンバウンドのボール球を空振り三振した際にタッチしに行った杉山翔太を腕で払いのけた。シーズンオフの11月21日、300万円ダウンの年俸6300万円で契約更改[7]。なお、コーチ兼任の投手だった43歳の三浦大輔がこの年限りで現役を引退したため、30歳(契約更改時点)ながらチーム最年長の高卒生え抜き選手になった。

2017年は、ヤクルトから田中浩康が移籍したことなどを背景に、春季キャンプから二軍で調整していたが、公式戦開幕後の4月19日にシーズン初の出場選手登録。田中との併用で対右投手用のスタメン起用が主だった。7月11日の広島戦で左太もも裏に違和感を覚え途中交代となり、翌日には一軍登録を抹消されている。8月23日から一軍に復帰するが、柴田竜拓が二塁に定着していたこともあり代打での起用がほとんどだった。9月26日に再び登録を抹消されそのままレギュラシーズン終了を迎えた。打撃成績は前年より回復したが、出場機会は一軍に定着した2008年以降では最少の63試合と前年より減少した。

2018年には、春季キャンプからレギュラーシーズンの前半戦まで二軍でプレー。イースタン・リーグの前半戦の打率が2割前後を推移するほどの不振に加えて、若手選手を積極起用するラミレスの方針を背景に、一軍昇格はシーズン中盤の7月1日にまで持ち越された。昇格後は、ネフタリ・ソト倉本寿彦、柴田などとの併用策で二塁手としてスタメンに起用される一方で、代走での出場も多く、代打や内野の守備固めもこなした。結局、シーズンの終了まで一軍に帯同。一軍公式戦への出場は41試合にとどまったが、4年振りにオールスターゲーム後から1度も出場選手登録を抹消されず、横浜高校での後輩に当たる筒香嘉智キャプテンの相談に乗るなど若手選手のサポート役も担った。石川自身は「一軍が不振だった6月までに(一軍へ)呼ばれなければ『いよいよ(現役引退を)覚悟しなければならない』と思っていた」と述懐しているが、シーズン終了後には推定年俸4,500万円(前年から1,000万円減)という条件で契約を更改。自身より年長の田中浩康、G 後藤武敏(いずれも他球団から移籍)、高校の1学年先輩でトヨタ自動車から2010年に入団していた荒波が引退や戦力外通告でチームを去ったことから、32歳(契約更改時点)にして(他球団からの移籍組を含めた)チームの日本人最年長野手になった[8]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
2006 横浜
DeNA
2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2007 19 27 24 5 3 0 0 0 3 1 1 0 1 0 2 0 0 6 0 .125 .192 .125 .317
2008 83 273 259 24 63 4 5 1 80 13 10 5 6 1 6 1 1 60 5 .243 .262 .309 .571
2009 134 495 463 38 112 15 3 2 139 24 19 4 15 1 13 0 3 98 8 .242 .267 .300 .567
2010 131 584 521 69 153 23 6 0 188 18 36 13 38 1 21 1 3 91 6 .294 .324 .361 .685
2011 125 530 466 49 121 11 1 0 134 22 12 7 32 0 30 0 2 95 8 .260 .307 .288 .595
2012 80 304 263 31 75 10 1 1 90 14 7 6 13 1 24 1 3 49 3 .285 .351 .342 .693
2013 119 523 459 75 126 12 4 5 161 41 5 2 5 0 51 0 8 76 6 .275 .357 .351 .708
2014 138 539 483 66 120 16 5 7 167 36 9 3 16 0 32 0 8 98 9 .248 .306 .346 .652
2015 89 375 343 43 89 8 1 1 102 18 6 3 9 0 16 1 7 82 2 .259 .306 .297 .603
2016 95 329 297 35 62 8 2 2 80 14 6 4 11 1 18 0 2 67 3 .209 .258 .269 .527
2017 63 192 167 18 41 7 0 2 54 11 1 1 6 3 12 0 4 41 4 .246 .306 .323 .630
2018 41 91 74 10 17 1 0 0 18 7 5 3 4 2 11 0 0 19 1 .230 .322 .243 .565
NPB:13年 1119 4264 3821 463 982 115 28 21 1216 219 117 51 156 10 236 4 41 784 55 .257 .306 .318 .625
  • 2018年度シーズン終了時
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年から球団名をDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に変更

年度別守備成績編集



二塁 三塁 遊撃 外野
















































2007 横浜
DeNA
4 2 5 0 0 1.000 - 8 2 6 0 1 1.000 -
2008 8 14 24 0 5 1.000 13 8 19 2 3 .931 57 68 132 7 27 .966 -
2009 1 0 0 0 0 ---- 2 0 4 0 0 1.000 129 194 360 17 75 .970 -
2010 27 34 51 1 7 .988 - 119 168 338 5 59 .990 -
2011 - - 123 208 351 13 69 .977 -
2012 74 179 174 1 40 .997 - 8 9 11 1 2 .952 2 8 0 0 0 1.000
2013 77 203 214 6 54 .986 - 40 58 124 8 20 .958 2 4 0 0 0 1.000
2014 110 246 334 9 68 .985 - 1 0 0 0 0 ---- 20 30 2 0 1 1.000
2015 84 200 266 8 31 .983 - - -
2016 87 145 218 3 34 .992 - - -
2017 49 99 121 2 32 .991 - - -
2018 34 41 51 4 14 .958 - - -
通算:12年 555 1163 1458 34 285 .987 15 8 23 2 3 .939 485 707 1322 51 194 .975 24 42 2 0 1 1.000
  • 2018年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録編集

初記録
節目の記録

登場曲編集

背番号編集

  • 52 (2005年 - 2009年)
  • 7 (2010年 - )

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集