黒部ダム(くろべダム)は、富山県東部の立山町を流れる黒部川水系の黒部川に建設された水力発電専用のダムである[2][3]1956年昭和31年)着工、171人の殉職者と7年の歳月をかけて、1963年(昭和38年)に完成した[4]。貯水量2億トン[3]

黒部ダム
黒部ダム
所在地 富山県中新川郡立山町芦峅寺
位置
河川 黒部川水系黒部川
ダム湖 黒部湖(ダム湖百選
ダム諸元
ダム型式 アーチ式コンクリートダム
堤高 186.0 m
堤頂長 492.0 m
堤体積 1,582,000
流域面積 188.5 km²
湛水面積 349.0 ha
総貯水容量 199,285,000 m³
有効貯水容量 148,843,000 m³
利用目的 水力発電
事業主体 関西電力
電気事業者 関西電力
発電所名
(認可出力)
黒部川第四発電所
(335,000kW)
施工業者 間組鹿島建設熊谷組
大成建設佐藤工業
着工年/竣工年 1956年/1963年
備考 堤高: 日本の全ダム中1位
堤頂長: 日本のアーチ式ダム中1位
堤体積: 日本のアーチ式ダム中1位
総貯水容量: 日本のアーチ式ダム中4位、日本の全ダム中19位[1]
中部山岳国立公園
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北アルプス立山連峰後立山連峰にはさまれた黒部渓谷にある黒部ダムは、黒部川下流域の海に面する黒部市から直線距離で約40km南東に位置し、長野県大町市から直線距離で約20km西に位置する(県境から約3km西に位置する)[5]

黒部ダムの水は平均水温4度。ダム右岸の取水口から、山中に掘られた導水路(専用トンネル)を通って[6]、約10km下流の地下に建設された黒部川第四発電所(黒四)に送られて、ダムとの545mの落差で発電する[7]。この発電所の名称から黒四ダム(くろよんダム)とも呼ばれる[8]

富山県北陸電力の事業地域であるが[9]、黒部ダムは関西電力が建設し、発電された電気は関西電力の事業地域に送電されている。

黒部ダム建設の経緯は第二次世界大戦後の復興期にさかのぼる。当時、関西地方は深刻な電力不足により、復興の遅れと慢性的な計画停電が続き、深刻な社会問題となっていた[10]。決定的な打開策として、関西電力は、大正時代から過酷な自然に阻まれ何度も失敗を繰り返した黒部峡谷での水力発電[11]以外に選択肢を見い出せず[12]、当時、人が行くこと自体が困難で命がけだったその秘境の地でのダム建設案に、太田垣社長(当時)は「黒部しかない」「関西の消費電力を一気に賄える」「工期7年、遅れれば関西の電力は破綻する」と決断し[12]、資本金の3倍[6](最終的に5倍[7])の総工費で臨んだ。完成当時、大阪府の電力需要の50%(25万kW)を賄ったことでも知られ、東京に追いつくべく産業も重工業への転換がようやく可能になった[13]

目次

概要編集

日本を代表するダムの1つであり、富山県東部の長野県境近くの黒部川上流に関西電力が建設したアーチ式コンクリートダム[2]水力発電専用ダムで貯水量2億立方m(東京ドーム160杯分)[3]、高さ(堤高)186 m、幅(堤頂長)492 mである[13]。日本で最も堤高の高いダムで、富山県で最も高い構築物でもある。黒部ダム完成により、総貯水量2億トンの北陸地方屈指の人造湖黒部湖」(くろべこ)が形成された。

総工費は建設当時の費用で513億円[7]。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人[7]、工事期間中の転落やトラックトロッコなど労働災害による殉職者は171人にも及んだ[4]

1956年昭和31年)着工当時、「電力開発は1万kW生むごとに死者が1人でる」と言われていた[6]。完成時、25万kWを生み出した黒部ダムの建設工事で171人の殉職者を出したことは、人が行くこと自体が当時命がけだった秘境の黒部峡谷でのダム建設の困難さを示している。また、当時、黒部峡谷のダム建設現場では「黒部にケガはない」と言われていた。工事のミスは即、死を意味した[6]

前述のように「黒四ダム」の別称もあるが、関西電力は公式サイトなどでも「黒部ダム」としている[14]。また、日本ダム協会によれば、「黒四ダム」の名は仮称として用いられ、後に正式名称が「黒部ダム」となった[15]。完成時には「黒四ダム」と呼ばれることが多かったが、最近では一般に「黒部ダム」と呼ばれるようになっている。また、かつては図鑑などで「黒部第四ダム」と書かれていたこともある。

沿革編集

 
黒部ダム湖周辺の空中写真。(1977年撮影の7枚より合成作成)。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
 
このバケットにコンクリートを入れ、200m谷底までクレーンで下ろした。

黒部ダムが建設された地点は黒部川の水量も多く、水力発電所設置に適した場所であることは大正時代から知られていた。ただ、第二次世界大戦などもあり、黒部川の開発は下流の仙人谷ダムおよび黒部川第三発電所にとどまっていた。戦後、高度経済成長期を迎えると電力不足が発生し、関西地方では、昭和30年代、工場で週2日、一般家庭では週3日、使用制限が行なわれていた[10]。その事態を受け、関西電力の代表取締役(当時)太田垣士郎1956年、戦前に調査(一割強程度)・計画・設計は実施したものの、開戦以降お蔵入りとなっていた黒部ダム建設事業を急遽たちあげた。それは、同社の社運をかけた大規模プロジェクトであり、近畿(関西)地方への電力供給ひいてはその経済復興が懸かっていた。黒部ダム建設にあたって工区を5つに分割し、それぞれに異なる建設会社が請け負った。

第1工区…間組
黒部ダム、取水口、導水トンネル、大町トンネル(現・関電トンネル)、御前沢渓流取水工事。なお、ダム工事総括責任者は間組の中村精である。
第2工区…鹿島建設
骨材製造工事。
第3工区…熊谷組
関電トンネル、黒部トンネル、導水路トンネル工事。
第4工区…佐藤工業
黒部トンネル、導水路トンネル、調圧水槽、トラムウェイ・ロープウェイ工事。
第5工区…大成建設
水圧鉄管路、インクライン、黒四発電所、変電所開閉所、放水路、上部軌道トラムウェイ・ロープウェイ工事。

黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地であり、初期の工事は建設材料を徒歩やヘリコプターで輸送するというもので、作業ははかどらず困難を極めた。このためダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決めたものの、トンネル内の破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出る大変な難工事となった。このため別に水抜きトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながら(グラウチング)掘り進めるという当時では最新鋭の技術が導入され、その結果9ヶ月で破砕帯を突破してトンネルが貫通、工期が短縮された(詳細は関電トンネルの項も参照)。2006年時点での土砂堆積率は14%であり、ダム本体の耐久性と併せて考えると、これからも約250年はダムとして機能すると見込まれている[16]

特徴編集

当初の計画では単純な円弧状のアーチダムであったが、1959年マルパッセダム決壊事故を受け、両岸の基礎となる岩盤を調査したところ亀裂が見つかり[7]、予想以上に脆いことが判明、設計変更を実施し両側がウイング状に変更となった。ウイング部はアーチダムではなく重力式ダムである。またアーチ部を川下に向かって傾斜させることにより、水圧を両岸に逃がすのではなく、下向きの力へと変化させることでダム下部の岩盤に支えさせる構造となっている。[17]

ダムから川へ放水する際には霧状にしている。これは放水の勢いで川底が削れてしまうのを防ぐためである[18]

観光編集

黒部ダムは、世界的に見ても大規模なダムであり、また周辺は中部山岳国立公園でもあることから、立山黒部アルペンルートのハイライトのひとつとして、多くの観光客が訪れる。なお、黒部ダムを紹介するときの映像でダムから放水されているシーンがあるが、これは常時ではなく、6月下旬〜10月中旬頃に限られ、「観光放水」と呼ばれる。

ダム観光施設の運営は関電アメニックスくろよん観光事業部が行っている。

登山客の間では、下ノ廊下に平行して歩く日電歩道の玄関口として親しまれている。

立山連峰のうち、立山の雄山に登り、更に雄山神社本宮まであがると、下方に黒部湖が広がって見える。

首都圏並びに関西方面より黒部ダムを目的地とする場合、富山県側よりも長野県側よりアクセスした方が乗り換え回数が少なく容易にたどりつける。

2007年に文化庁世界遺産候補地を公募した際、「立山・黒部~防災大国日本のモデル-信仰砂防・発電-~」として名乗りを上げたが、山岳信仰産業施設自然環境を一体的に捉えることに無理があるとして選考に漏れた経緯がある[19][20]

映像化編集

建設時におけるスケールの大きさから日本中の注目を集めていた黒部ダムは、高度成長期の映像・中継機器の発達に伴い、様々な形で映像化されてきた。

今日、建設時の模様を(再現含め)映像として見られるものとしては、下記のプロジェクトXのビデオ・DVDや、記録映画「くろよん-黒部川第四発電所建設記録」などである。同作品の完全版はくろよんロイヤルホテルの館内放送で、ダイジェスト版は黒部ダムレストハウス3階にて「くろよん物語」として常時上映されている。また、黒部ダムオフィシャルサイトでも、インターネットを通じてダイジェスト版を6章に分けて見ることができる[21]

記録映画編集

まず、建設主体の関西電力が映像化に踏み切った。実際は関西電力の委託で日本映画新社による四部作として記録されたものである。

第1作は1957年制作「黒部峡谷-黒部川第四水力発電所建設記録第1部」である。立山連峰を超えるためにブルドーザーを分解して運ぶなど、秘境下で作られる黒部ダムの工事開始までの様々な問題点・困難さが記録された。第2作は1958年制作「地底の凱歌-黒部川第四水力発電所建設記録第2部」で、秘境下で輸送路・発電所設備等を地下化すべく、厳冬下の工事、破砕帯突破など困難を極めた工事の模様が記録された。第3作、1961年制作の「大いなる黒部-黒部川第四水力発電所建設記録第3部」はシネマスコープによる制作である。第1 - 2作を含め、黒部第四発電所へ通水、試験運転開始までを描いている。そして、完全竣工後の1963年、「くろよん-黒部川第四発電所建設記録」を作成し、建設開始から完全竣工まで全ての映像が記録された。

NHK総合テレビジョンの生中継編集

完成直後の1963年、NHK総合テレビジョンの技術者が放送用機材と中継用機器をダムまで持ち込み、ヘリコプターによる空中撮影も交え、鈴木健二アナウンサーの司会により生中継放送を行った。当時まだ貧弱な放送技術の限界に挑んだ中継は見事に成功し、視聴者に黒部ダムのスケールの大きさと、技術者の偉業を知らせる事に一役買った。

映画『黒部の太陽』編集

1968年三船プロ石原プロ製作の熊井啓監督映画『黒部の太陽』(主演:三船敏郎石原裕次郎)で、黒部ダム建設の物語が描かれた。原作は木本正次『黒部の太陽』(毎日新聞社、1964年)。

ドラマ版『黒部の太陽』編集

2度テレビドラマ化されている。1969年8月3日 - 10月12日(日曜 21:30 - 22:26)に日本テレビ系列で放送された、全11回の連続ドラマ。また、2009年3月21日・22日にはフジテレビ系列で、「フジテレビ開局50周年記念ドラマ特別企画」として放送されている。

『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』編集

 
「滞在時に使用」と称する食器類が地下発電所にしばらく展示されていた。

2001年、黒部ダム建設の模様がNHK総合テレビジョンドキュメンタリー番組プロジェクトX〜挑戦者たち〜』にて紹介された。この影響は大きく、2002年末のNHK紅白歌合戦では、中島みゆきが同番組のテーマ曲『地上の星』を歌った[22]。ただし、歌った場所は黒部ダム堤体内部ではなく関西電力黒部専用鉄道黒部川第四発電所前駅」構内のトンネル内である。関西電力黒部ルートの案内人の説明によると、中島には控室として黒部川第四発電所の小会議室を提供、さらに中島が放送終了後に宿泊を希望したためスタッフともども発電所に宿泊した。この会議室はその後、社内では「みゆき御殿」という通称で呼ばれるようになった。

白い巨塔編集

映像化されてはいないが、山崎豊子の小説『白い巨塔』でも、主人公・財前五郎金沢市での学会の帰りに黒部ダムを訪れている。一般に公開されていない場所も、財前は関西電力(実名で登場)の案内で足を踏み入れている。

CM編集

2008年には、中島みゆきが歌う『地上の星』がサントリーの缶コーヒーブランドであるBOSSのCMで起用された。そのCMは、大杉漣がトンネル工事の現場監督役。作業員に扮したジョーンズと共にトンネルの掘削工事に挑むプロジェクトXで取り上げられた黒部ダムの大町トンネル建設を真似た映像になっている。

鉄人28号 (2004年)編集

昭和30年代を時代背景とした『鉄人28号(2004年版)』の最終エピソード(21〜26話)では、人間の手による黒部ダム建設が困難となったという設定で、大型ロボットによる黒部ダム建設が行われ、これを巡るストーリーが主軸となっており、最終的に黒部ダムの底には鉄人28号の残骸が存在することになっている。

ギャラリー編集

脚注編集

  1. ^ 順位表[全て] 総貯水容量順』一般財団法人日本ダム協会
  2. ^ a b 黒部ダムは長野県との県境近くにある。黒部ダムから直線距離で約3km東に県境がある。長野県大町市の「扇沢駅」(標高1425m)から専用トロリーバスで、西に、全長6.1kmの「関電トンネル」で後立山連峰をぬけると、富山県立山町の「黒部ダム駅」に到着する(所要時間16分)。トンネル中央付近が富山県と長野県の県境である。関西電力「黒部ダム観光情報」黒部ダムはどこにあるの?、および、2017年10月7日放送 NHKブラタモリ『#86 黒部ダム ~黒部ダムは なぜ秘境につくられた?~』
  3. ^ a b c 貯水量2億トンのすべての水が水量発電に使用される。東京ドーム160杯分にあたる。雪解け水など、年間を通して安定した水量で、黒部ダムの湖の水は、1年間に4~5回入れ替わり年間約8億トンの水が入って来るとされる。2017年10月7日放送 NHKブラタモリ『#86 黒部ダム ~黒部ダムは なぜ秘境につくられた?~』
  4. ^ a b 黒部ダム、完成50年 殉職171人の慰霊祭開く』日本経済新聞 2013/6/5付。
  5. ^ 立山黒部アルペンルート(富山県立山駅-長野県扇沢駅)参照
  6. ^ a b c d 2005年10月11日放送 NHKプロジェクトX 第179回『シリーズ黒四ダム 秘境へのトンネル 地底の戦士たち』。
  7. ^ a b c d e 2017年10月7日放送 ブラタモリ『#86 黒部ダム ~黒部ダムは なぜ秘境につくられた?~』
  8. ^ 正式名称「黒部ダム」。関西電力「黒部ダム公式サイト」および、一般財団法人日本ダム協会「ダム便覧
  9. ^ 日本の各電力会社の事業地域
  10. ^ a b 第二次大戦後の復興期、特に関西では、渇水石炭不足で、昭和30年代すなわち1955年以降も慢性的な電力不足で、工場で週2日、一般家庭では週3日、使用制限(休電日すなわち計画停電)が行なわれ、深刻な社会問題となり、また復興への深刻な妨げにもなっていた。2000年6月27日放送 NHKプロジェクトX 第14回『厳冬黒四ダム 断崖絶壁の輸送作戦』。2004年9月12日、同番組はNHK-BS2で「黒四ダム 断崖絶壁の難工事」として再放送された。
  11. ^ 大正時代の初めから何度もダム計画がたてられ現地調査を行い垂直の断崖に足場を作ってきたが重機を搬入できず計画はその都度失敗してきた。2000年6月27日放送 NHKプロジェクトX 第14回『厳冬黒四ダム 断崖絶壁の輸送作戦』。2004年9月12日、同番組はNHK-BS2で「黒四ダム 断崖絶壁の難工事」として再放送された。
  12. ^ a b 当時のダム設計担当者の設計部近藤信昭氏によれば、人間が行くことも出来ないような場所に作る、関西電力には大正時代の黒部峡谷の現地調査資料が残されていた、豊富な雪解け水による”ダムと発電所の落差545m”での予想発電量は関西の電力不足を一気に解消できる25万kW、しかしダム建設の決断に必要な調査の10%~15%程度しか行なわれていなかったが、この調査資料のみで社長が建設を決断された、普通ではないことだ。と、関西電力も太田垣社長も追い込まれていた。2005年10月11日放送 NHK プロジェクトX 第179回『シリーズ黒四ダム 秘境へのトンネル 地底の戦士たち』
  13. ^ a b 2000年6月27日放送 NHKプロジェクトX 第14回『厳冬黒四ダム 断崖絶壁の輸送作戦』。2004年9月12日、同番組はNHK-BS2で「黒四ダム 断崖絶壁の難工事」として再放送された。
  14. ^ 黒部ダム公式サイト
  15. ^ ダム便覧
  16. ^ 黒部ダム着工50年水力発電再評価の機運も』朝日新聞・2006年9月21日。
  17. ^ 2017年10月14日放送 ブラタモリ『#87 黒部の奇跡』
  18. ^ 当ダムでは110mの高さから毎秒10トン以上の水が放流されていて、その巨大な力によって川底が大きく削れると、ダムの運営に影響を与える可能性があった。
  19. ^ 世界遺産暫定一覧表候補の文化資産 文化庁
  20. ^ 世界遺産候補としたのは厳密には黒部峡谷と戦前に建造された第二・第三発電所や小屋平・仙人谷ダムなどが主体であった。しかし産業遺産に詳しい内閣官房参与加藤康子は黒部ダムの可能性を示唆している。「世界遺産登録に尽力した加藤康子内閣官房参与」(47NEWS
  21. ^ 黒部ダムムービー
  22. ^ なお、中島はこの時、歌詞を間違えるハプニングを起こしている。詳細は地上の星の当該項目を参照のこと。

関連項目編集

映像作品、小説編集

外部リンク編集