JNNニュースコープ
『JNNニュースコープ』(ジェイエヌエヌ - 、通称:ニュースコープ)とはTBS(JNN)にて1962年(昭和37年)10月1日から1990年(平成2年)4月1日まで[注 2] 27年半の長期に渡って放送された夕方の報道番組。日本初の本格的キャスターニュースショーとしても知られている。
JNNニュースコープ | |
---|---|
ジャンル | 報道番組 |
出演者 |
田英夫 戸川猪佐武 古谷綱正 藤原弘達 入江徳郎 上田健一 新堀俊明 浅野輔 田畑光永 吉川美代子 平本和生 三雲孝江 ほか (出演者を参照) |
オープニング | こちらを参照 |
制作 | TBS(JNN) |
放送 | |
音声形式 |
【月-金曜】2か国語放送[注 1] 【土日】モノラル放送 |
放送国・地域 |
![]() |
放送期間 |
【月-土曜】 1962年10月1日 - 1990年3月31日 【日曜】 1965年4月4日 - 1990年4月1日 |
放送時間 | 放送時間・時刻を参照 |
タイトルはニュース(NEWS)とスコープ(Scope)を絡ませた造語[注 3] であり、その日の注目ニュースを望遠鏡や顕微鏡などのスコープのように鋭く、わかりやすく注目するということで名づけられた。
なお、国内の民放ネットワークによるニュース番組で、かつ同一タイトルの夕方のニュース番組としては最長記録を誇っている[注 4]。
番組概要編集
初代メインキャスターは当時共同通信社記者でのちTBSに転籍[注 5] し、1971年の初当選から2007年まで参議院議員を務めた田英夫と、読売新聞社の記者であった戸川猪佐武。それ以降は古谷綱正(毎日新聞社論説委員)、入江徳郎(朝日新聞社論説委員「天声人語」担当)、浅野輔(翻訳家)、田畑光永(TBS記者)、平本和生(同。現:BS-TBS代表取締役社長)と、報道の第一線をリードしてきたジャーナリストがキャスターを務めてきた。1984年10月1日から50分番組へ拡大してからは、番組初の女性キャスターとしてTBSアナウンサー吉川美代子も起用され、1988年10月からの1年半は三雲孝江が引き継いだ。
中でも田は5年半、古谷は16年間、入江は12年間、単にニュースを一方的に伝えるのではなく、そのニュースの背景や自らの主張を視聴者に語りかけるような感じでの伝え方とわかりやすい解説が受けてお茶の間の人気を集め、ニュースコープを長年にわたって支え、古谷はエンディングで必ず「それでは、きょうはこんなところです!」とあいさつすることで「こってすのおじさん」として視聴者に親しまれた。田はTBS成田事件の影響による降板で、自らの最終出演の時は降板・卒業については一言も触れず、普段の「それでは皆さん、またあしたです…」のところを「それでは皆さん、さよなら…」とあいさつしただけにとどまった。
キャスター起用の他にも大型映写装置・アイドホール(今のプロジェクターにあたるもの)を使い、ニュースや中継映像を流すなど、今日の日本のニュースショーの原型をなしつつ「テレビニュース」を意識したアイデアは各社に影響を与えた。
また、TBSでは報道担当の部署について、それまで「報道課」だった部署をこの番組の開始に合わせて「報道局」に格上げするなど、日本においてのテレビニュースの流れを変えた番組ともいえる。
1978年11月20日の放送分より一部系列局を除いて月曜日から金曜日に副音声で英語同時通訳が放送された。尚、この番組はTBSテレビで初めて音声多重放送が実施された番組である。これ以降JNNの月-金曜夕方のニュースは2009年12月まで2か国語で放送され続けていた[注 6]。この番組の2か国語放送開始から数年間は、サブチャンネルの英語のキャスターをトニー・クエスチョンとヘリ・クリニーが交代で務めた。
番組放映時は地方の系列局が未整備であり、ANN単独加盟時代の青森テレビに対してはJNNのJNN排他協定に当てはめずにこの番組を番組販売扱いでネットしていた(特例措置により開局当初からJNNのニュース取材・配信への参加も正式な加盟局に準ずる形で認められていた[1])。
1984年にリニューアルし月-金曜の放送時間を19:20まで拡大して50分番組に。19時台に放送する民放のニュース番組では史上初のゴールデンタイムでの放送を実現させる。そして特集とスポーツニュースのコーナーを設置、お天気コーナーキャスター[注 7] とスポーツコーナーキャスターの登場も試みる。暫く一定したものの結局1987年10月5日から月-金曜の放送時間は19:00までに短縮された。そして1990年3月30日の放送を最後に終了し、同年4月から首都圏(関東地方)向けローカルニュース『テレポート6』と統合し『JNNニュースの森』に移行した[注 8]。
出演者編集
期間 | メインキャスター | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |
1962年10月1日 - 1964年3月28日 | 田英夫☆[注 9] | 戸川猪佐武 | (放送なし) | ||||
1964年3月30日 - 1965年3月27日 | 田英夫☆ | 古谷綱正 | 藤原弘達 | ||||
1965年3月29日 - 1968年3月31日 | 藤原弘達 | ||||||
1968年4月1日 - 1968年9月29日 | 古谷綱正 | ||||||
1968年9月30日 - 1969年9月28日 | 近江正俊☆ | ||||||
1969年9月29日 - 1975年3月30日 | 古谷綱正 | 入江徳郎 | 近江正俊 | ||||
1975年3月31日 - 1981年3月29日 | 浅野輔 | 入江徳郎 | |||||
1981年3月30日 - 1983年10月2日 | 新堀俊明☆ | ||||||
1983年10月3日 - 1984年9月30日 | 新堀俊明☆ | 浅野輔 | |||||
期間 | 月-金曜 | 土日 | |||||
メイン | お天気 | スポーツ | メイン | スポーツ | |||
1984年10月1日 - 1987年10月4日 | 田畑光永☆ 吉川美代子☆ |
浅野芳 | (シフト勤務)1 | 浅野輔 | (シフト勤務)1 | ||
1987年10月5日 - 1988年10月2日 | 森田正光2・3・4・6 | 木場弘子☆5 | |||||
1988年10月3日 - 1989年10月1日 | 平本和生☆ 三雲孝江☆4 | ||||||
1989年10月2日 - 1990年4月1日 | 吉川美代子☆3 | 戸崎貴広☆3 |
- ☆-出演当時TBSアナウンサー・記者
- 1 松下賢次、多田護ほか(全員☆)日替わりで担当。
- 2 『テレポートTBS6』お天気コーナーを兼務。
- 3 『JNNニュースの森』も続投。
- 4 15年後に始まった『イブニング・ファイブ』も担当。[注 10][注 11]
- 5 1988年10月から『JNNスポーツチャンネル』を兼務。
- 6 20年後に始まった『Nスタ』も担当。
歴代のテーマ音楽・オープニング編集
これらの映像は、「TBS50年史」(東京放送編、2002年刊)の付属のDVDでも視聴することが出来る[注 12]。
- 1962年10月 - 1964年3月 作曲:神津善行
- 東京タワーの空撮の映像をバックにタイトル画を表示していた。
- 1964年4月 - 1968年9月 作曲:小倉靖
- 1968年10月 - 1975年3月 作曲:岩本晴彦
- イントロにタイプライターの効果音が付いている曲。
- 1975年4月 - 1984年9月 作曲:中村八大
- 当初は曲・タイトルともJNN系ニュース番組に共通のオープニングテーマを使用。
- 1980年10月からはさらに曲はそのままにテロップアニメだけを変更した。
- 1984年10月 - 1990年3月 作曲:山内直樹
放送時間・時刻編集
全てJST(日本標準時)で表記する。
時期 | 月-金曜 | 土曜日 | 日曜日 |
---|---|---|---|
1962年10月1日 - 1965年3月27日 | 18:30 - 18:50(20分)[注 13] | (放送なし) | |
1965年3月29日 - 1973年3月 | 17:30 - 17:50(20分) | ||
1973年4月 - 1975年9月 | 18:30 - 18:50(20分)[注 13] | ||
1975年10月 - 1982年3月 | 18:30 - 18:55(25分)[注 14] | 18:30 - 18:50(20分) | |
1982年4月4日 - 1984年9月30日 | 18:30 - 18:50(20分) | 17:30 - 17:50(20分) | |
1984年10月1日 - 1987年10月4日 | 18:30 - 19:20(50分)[注 15] | ||
1987年10月5日 - 1990年4月1日 | 18:30 - 19:00(30分)[注 16] |
ネット局編集
略称・系列は終了時点のもの。特筆すべきものがない局は放送開始から終了まで。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送(TBS) | JNN | 報道部制作・幹事局 |
北海道 | 北海道放送(HBC) | ||
青森県 | 青森テレビ(ATV) | 1969年12月1日開局から[注 17] 1975年3月30日までニュース系列は、ANNと同時加盟していたが、番販扱いでネット[注 18]。 | |
岩手県 | 岩手放送(IBC)[注 19] | ||
山形県 | テレビユー山形(TUY) | 1989年10月1日開局から[注 20] | |
宮城県 | 東北放送(TBC) | ||
福島県 | 福島テレビ(FTV) | 1971年10月1日[注 21] から1983年3月31日まで[注 22][注 23]。
1983年9月30日までは、TBSとフジテレビとのクロスネット局[注 24]。 | |
テレビユー福島(TUF) | 1983年12月4日開局から[注 25] | ||
新潟県 | 新潟放送(BSN) | ||
長野県 | 信越放送(SBC) | ||
石川県 | 北陸放送(MRO) | ||
山梨県 | テレビ山梨(UTY) | 1970年4月1日開局から | |
静岡県 | 静岡放送(SBS) | [注 26] | |
中京広域圏 | 中部日本放送(CBC) | ||
近畿広域圏 | 朝日放送(ABC) | 1975年3月30日まで[注 27] 現在は、テレビ朝日系列(ANN)。 | |
毎日放送(MBS) | 1975年3月31日から[注 28] | ||
島根県・鳥取県 | 山陰放送(BSS) | ||
岡山県・香川県 | 山陽放送(RSK) | ||
広島県 | 中国放送(RCC)[注 29] | ||
高知県 | テレビ高知(KUTV) | 1970年4月1日の開局から | |
山口県 | テレビ山口(TYS) | 1970年4月1日の開局から | |
福岡県・佐賀県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送(NBC) | ||
熊本県 | 熊本放送(RKK) | [注 30] | |
大分県 | 大分放送(OBS) | ||
宮崎県 | 宮崎放送(MRT) | ||
鹿児島県 | 南日本放送(MBC) | [注 31] | |
沖縄県 | 琉球放送(RBC) | 1964年 9月1日、マイクロ回線の開通に伴いネット開始。 |
備考編集
- 関東地方のみ1990年3月30日の月-金曜版の最終回のエンディングでは、1962年10月1日の第1回放送のオープニングの一部、歴代キャスターの取材映像などが放送された。最後に『ニュースの森』初代メインキャスターの荒川強啓と久和ひとみ、初代スポーツキャスターの佐古忠彦が登場し意気込みを述べ、平本が「頑張ってください」とエールを送った。
- 田がキャスターとして起用が決まったのは、放送開始の2週間前。この時戸川はすんなり決定していたがあと1名の出演者選びが難航し、日本テレビで科学番組にも出演経験がある田へオファーをかけた。「田英夫#ジャーナリストとして」も参照
- 1984年10月に放送時間が50分間に拡大し、民放では初となるニュース番組の19時台進出を行った。
- 1987年9月をもって19時台からは撤退しているが、2009年4月には『総力報道!THE NEWS』を開始させ、21年半ぶりに19時台のニュース番組を編成した(2010年3月終了)。
- 民放での19時台のニュース番組は他にもANN系列の『ニュースシャトル』(1987年10月~1989年3月)があったほか、NNN系列で放送されていた『NNNニュースプラス1』も企画段階で19時30分までの放送を計画していた。
- 1985年8月12日の日本航空123便墜落事故の翌13日、生存者救出映像をFNN系(『FNNニュースレポート11:30』)に続きこの番組中に放送した。FNNが昼のニュースで放映することができたのに対しJNNで放映するのに6時間以上遅れたのは、撮影クルーが墜落現場に中継用の機材を(単純に重いから)持ってあがらない判断をしたためと後の『報道30時間テレビ』で説明している。詳細は「日本航空123便墜落事故#報道」を参照「FNNニュースレポート11:30#エピソード」および「露木茂#エピソード」も参照
脚注編集
注釈編集
- ^ 1978年11月20日から放送終了まで実施。同年11月17日まではモノラル放送。
- ^ 日曜日は1965年4月4日から放送開始。
- ^ NEWSCOPE。NEW SCOPEやNEWS CORPやNEWS COOPではない。
- ^ 2015年3月までは夕方に限らずとも放送年数の最長記録を誇っていたが、同年4月にフジテレビの昼のニュース番組『FNNスピーク』に記録を更新された。現在TBSで放送されているニュース番組では、『JNNフラッシュニュース』と『NEWS23』が最長である。
- ^ 番組開始当初1か月間は共同通信社からの出向出演で、11月より正式にTBS報道記者として移籍出演した
- ^ 音声多重放送の導入時期により、系列局では導入の有無や導入時期が異なる。
- ^ TBSテレビでは「お天気ママさん」を枠の統合により吸収したが、気象キャスターは「お天気ママさん」の女性キャスターを引き継がず、日本気象協会の職員が専属出演した。
- ^ 正式には土曜を含むと同年3月31日、日曜を含むと同年4月1日を以って終了された。
- ^ TBS記者としては1962年11月-
- ^ 三雲は『JNNニュースの森』には出演していないが、『イブニング・ファイブ』・『JNNイブニング・ニュース』では放送開始から一貫してメインキャスターを務めた。
- ^ 森田は『イブニング・ファイブ』終了後、半年のブランクを経て『イブニングワイド』→『Nスタ』に出演している。
- ^ 国立国会図書館でも視聴可能。
- ^ a b 月-金曜のみ、18:50からはローカルニュースが放送されていた。
- ^ 18:00からローカルニュースを編成された為。
- ^ 特集とスポーツコーナー追加の為。ただし、野球その他スポーツ中継や番組改編期や年末年始などによる特別番組放送の時は19:00終了に短縮。
- ^ 22時台の『JNNニュース22プライムタイム』開始と19:20以降の番組の視聴率が振るわない為にそれまでの19:20スタートの番組を19:00スタートに繰り上げるための処置。
- ^ 実際はサービス放送開始日の1969年11月1日からネット開始。
- ^ ただし当初からスポンサードネットで、青森県内の取材も担当。
- ^ 現在の社名は、IBC岩手放送。1995年6月22日の社名変更時は、アイビーシー岩手放送。
- ^ TBSでの前座番組『テレポート6』もネットしていたため、17:55から約3分間の「TUYニュース」が県内ローカルニュース枠であった。
- ^ JNNは、1971年6月1日加盟。加盟後も1971年9月30日までは、NNN系列「NNNニュースフラッシュ」(平日・土曜)、「NNN日曜夕刊」(日曜)をそれぞれ放送。
- ^ TBS系列の新局(後のテレビユー福島)開局に伴う。
- ^ 1973年10月1日から1977年4月1日までは、『FTVテレポート』(ローカル情報番組→ローカルワイドニュース番組)に内包。
- ^ ニュースコープ放送期間中のニュース系列は、JNNの排他協定に伴いJNNのみの加盟だったが、総合的な系列ネットワークはTBSとFNSに所属していた。
- ^ 正式には、1983年11月26日土曜日のサービス放送(試験放送)からネット開始。
- ^ 1971年10月からは編成上、18時から60分間のローカルワイドニュース『SBSテレビ夕刊』に内包した格好となっていた。実際ニュースコープが終わる18:53からふたたび静岡放送のスタジオに戻り、天気予報とニュースを伝えて番組を終えていた(ニュースコープが50分間だった時代も編成上は一体化した番組の扱いであったが、ローカルニュースの枠自体は18:29で終えていた)。
- ^ ABC・MBSの系列の腸捻転解消に伴うネットチェンジのため、この日限りでJNNを脱退。MBSへ系列移行。
- ^ ABC・MBSにおける系列の腸捻転解消に伴うネットチェンジのため、ABCから移行。
- ^ 1967年3月31日のまでの社名は、「ラジオ中国」。
- ^ 1976年4月以降、月-金曜版は『RKKワイド6』の後に放送。
- ^ 日曜日の放送については、1973年に放送時間が変更されるに当たり、日本テレビ放送網の「全日本プロレス中継」の遅れネットの関係で特例処置として19:30-19:50に撮って出しによる時差放送を行ったことがある。
出典編集
- ^ 出典:青森テレビ社史『青森テレビ十年の歩み』(1978年刊行)、同『ATV20年のあゆみ』(1989年刊行)