野生の王国』(やせいのおうこく)は、1963年12月12日から1990年9月21日まで、日本の毎日放送(MBS)をはじめ国内の地上波テレビ各局で放映されたドキュメンタリー番組教養番組である。毎日放送と東北新社の制作(末期は毎日放送の完全自社制作)。1967年4月6日よりカラー化[1]。全1050回放送[2]。のちに、CSでもスカイパーフェクTV!TBSチャンネルで放送した。

野生の王国
ジャンル ドキュメンタリー番組教養番組
出演者 ※全てナレーションのみ
浦野光
八木治郎
小池清(当時毎日放送アナウンサー)
寺田農
ほか
製作
制作 毎日放送
放送
映像形式モノクロ放送 → カラー放送(1967年4月6日より[1])
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1963年12月12日 - 1990年9月21日
放送時間放映データを参照。
回数1050

特記事項:
1963年12月から1975年3月までテレビ朝日系列、1975年4月から最終回まではTBS系列でそれぞれ全国ネット放送された。
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番組内容

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世界各地の動物の生態系について映像とナレーション、専門家の解説を交えて紹介した。

当初はアメリカ合衆国の動物学者、マーリン・パーキンスの製作・出演により、同国NBCで放映された動物番組『Wild Kingdom』(1963年 - 1988年)の日本語版として放送が始まり[3]、初期はオリジナルのフィルムを使用しドキュメンタリー部分の前後に登場するパーキンスによる司会の吹き替えも声優の浦野光(のちに八木治郎)が行う形を取っていたが、次第に独自製作に移行した。オリジナルや国産の映像にくわえてディスカバリーチャンネルBBCなどヨーロッパ各局や国内各プロダクション製作による映像も盛んに紹介するようになる[4]。中期にはナレーターの八木と上野動物園の名園長であった古賀忠道(監修者)ら動物の専門家との対談によって動物を解説し、この様式は八木の没後も踏襲された。

最末期では毎週芸能人がリポーターを務め、1990年9月21日放送の「ヒトと動物の共生は可能なのか?」をもって26年9か月間の歴史に幕を閉じた。

表彰

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放映データ(系列外の番販局を除く)

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1975年3月までは毎日放送が当時ネットを組んでいたNETテレビ(現在のテレビ朝日)をはじめNET系列各局で放送されていたが、4月以降は毎日放送がTBS系列ネットチェンジしたため、TBS系列各局で放送された。

1963年 - 1975年(一時除く)

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  • 1963年12月 - 1965年4月1日
  • 1965年10月7日 - 1967年10月19日(この期間内の1967年4月6日放送よりカラー化[1]
  • 1968年7月4日 - 1968年10月17日
  • 1970年4月29日 - 1970年10月7日
  • 1971年4月1日 - 1975年3月27日
  • 毎日放送(制作局)をはじめとするNET系列各局(広島ホームテレビ(UHT)を除く)…木曜19:30 - 20:00
  • 広島ホームテレビ…1970年12月の開局後、編成により遅れネットで放送(毎日放送がNET系列だった時代の末期は土曜17:00 - 17:30に放送。上述の時間は日本テレビ系列の番組(木曜スペシャルなど)を放送。編成により一時的に中国放送(RCC・TBS系列)へ移譲されることもあった)[5]

1968年10月24日から一時休止し、同じ住友グループ提供枠で『ランデブークイズ・ペアでハッスル』が放送された。

NET系列単独加盟局は当時1桁台で、大半の地域がクロスネット局または系列外局での番販放送だった。クロスネットを含むNET系列の開局でいったん放映権を譲渡した後、MBSのネットチェンジで再び放送することになったTBS系列(JNN)加盟局も存在した。

1975年 - 1984年・1987年 - 1990年

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  • 1975年4月 - 1984年9月
  • 1987年10月 - 1990年9月

1984年3月までの北陸放送など民放2局 - 3局地区の系列の一部では正式なクロスネットではなかったものの、番組販売扱いで放送日時およびスポンサーを地元企業等に差し替えて遅れ放送(本来の放送時間に日本テレビ制作のプロ野球中継や『カックラキン大放送!!』を同時放送した局があった)。

その一方で、福島テレビとテレビ山口は当時FNS正式加盟局だったが金曜19時台をTBS系列の番組枠としていたため、同時ネットで放送された。当時福島テレビとテレビ山口のゴールデンタイムはTBSおよびフジテレビの番組を曜日または時間別に同時スポンサードネットしており、FNS系列の金曜19時台は前半がローカルセールス枠だったためTBS系列の番組を編成するのが容易だったという事情もある。なお、福島テレビはJNN脱退・FNN加盟後も1983年9月までは放送(→1983年12月にテレビユー福島で再開)、逆にテレビ山口は1987年10月にFNSを脱退した。

1984年 - 1987年

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  • 1984年10月 - 1986年3月
  • 毎日放送(制作局)…土曜16:50 - 17:30
  • その他のTBS系列(当時クロスネット局のテレビ山口を含む)…金曜19:20 - 19:58(『JNNニュースコープ』拡大に伴う。当該時間では毎日放送が自社制作の関西ローカル番組(『ザ・パーティ鶴瓶です』他大阪ガス単独提供番組)を放送のため、毎日放送以外では1日先行ネットで放送された)

これに先立つ1984年4月、TBSが巨人戦ナイター中継を30分延長する場合に対応しやすいよう系列のゴールデンタイムにおける番組編成を原則として系列内番組に統一したため、民放2局 - 3局地区ではそれまで同時ネットしていた他系列番組を打ち切り、または遅れネットへ移行、または競合局へ譲渡する措置を取り同時ネットに移行していた。

放送リスト

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  • 放送日は制作局基準で記す。
放送日 サブタイトル 紹介動物 紹介地域 特記事項
1986.5.23 アフリカの草食獣全員集合・食べられる側から見たサバンナ アフリカ東部の草食獣 アフリカ東部
1986.5.30 なんでも食べてよく遊んで大きくなれハイイログマの赤ちゃん ハイイログマ 北アメリカ
1986.6.6 羽仁進東アフリカを行く・バッファローの赤ちゃん対ゾウ? バッファロー、アフリカゾウ アフリカ東部
1986.6.13 フクロウ親子とムササビの同居・鎮守の森 フクロウ、ムササビ 日本
1986.7.11 撮影成功・謎の鳥・ヤンバルクイナのヒナの誕生の決定的瞬間 ヤンバルクイナ 沖縄本島
1986.7.18 羽仁進東アフリカを行く・チーター必殺のハンティング術教育 チーター アフリカ東部
1986.7.25 奇跡の復活・旧石器時代から生きのびたヨーロッパバイソン ヨーロッパバイソン ピアウォピエイスカの原生林 [6]
1986.8.1 放送無し
1986.8.8 閉じこめられたクラゲの大群・パラオの島の不思議な湖に潜入 クラゲ類 パラオ
1986.8.15 放送無し
1986.8.22 孤独なハチが集団生活をするまで・ハチの進化史をたどる ハチ類(ミツバチ) 不詳
1986.8.29 放送無し
1986.9.5 はるかなる"バランダ"伝説・危機にたつタスマニアの珍獣 有袋類全般 タスマニア
1986.9.12 アラスカ最北部・ホッキョクギツネの短い夏・子育ての記録 ホッキョクギツネ アラスカ北部
1986.9.19 飛ぶ・走る・泳ぐ・潜る・消える・変幻自在?トカゲの世界 トカゲ類 不詳
1986.9.26 羽仁進東アフリカを行く・珍獣ジャイアント・ホッグ決闘の森 クロシロコロブス、大ガラゴ、ジャネット・キャット アフリカ東部ケニア・アバデア連峰 [7]
1986.10.10 暗闇に光る目・イリオモテヤマネコ・秘境のジャングルを行く イリオモテヤマネコ 沖縄
1986.10.17 大空の狩人たち・ウミワシ、体長1メートルの大ウナギを生け捕る ウミワシ 不詳
1986.10.24 サバンナのギャングたち・ヒヒ90頭を一網打尽・移動大作戦 ヒヒ ケニア
1986.10.31 ヒグマの親子ひと夏の冒険・アラスカに生きる地上最大の肉食獣 ヒグマ アラスカ
1986.11.7 発見から3年・日本最大の甲虫ヤンバルテナガコガネはいま ヤンバルテナガコガネ 沖縄
1986.11.14 ダム作りの天才・建築の名人・北米のひょうきん者ビーバー ビーバー 北アメリカ
1986.11.21 飛んで灯に入る─きわられもの、ガはカムフラージュの天才 ガ類 不詳
1986.11.28 海鳥1万羽が乱舞する・南海の孤島仲の神島は子育ての楽園 アホウドリ? 仲の神島
1986.12.5 放送無し
1986.12.12 タランチュラ、死の求愛ダンス・世界中の珍種クモ大集合 タナグモ、ヒメグモ、ステゴディフス、ミズグモ、タランチュラ 不詳 [8]
1986.12.19 アルマジロを襲うピューマ・中米の熱帯雨林に生きる動物たち アルマジロ、ピューマ他 中米
1986.12.26 放送無し


ネット局

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○はNET系列時代に放送された局

主題歌

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歴代オープニングテーマ
※CD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」にも収録されている(発売:ウルトラ・ヴァイヴ

ナレーター

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  • 初代 浦野光(1963年 - 1968年)
  • 2代目 八木治郎(1968年 - 1983年) - 1983年4月18日に死去した後も、6月上旬までは事前収録されていたものが放送された。ただし、八木の死去のテロップが流れていた。
  • 3代目 小池清(当時毎日放送アナウンサー。八木の死去にともない、1983年6月下旬放送分から1984年9月まで担当)
  • 4代目 寺田農 - 本編のナレーション、シリアスな語り口だった。
  • 見城美枝子 - 専門家の解説のときのインタビュアー、次回予告ナレーターも担当。

取り上げた生物・地域などと、価値観

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世界各地に及ぶ。オープニングではアフリカサバンナが描かれ本編でもしばしば取り上げられた(一般の視聴者の関心は主にこの方面に集中した)が、他にもヨーロッパアメリカ大陸なども扱われた。日本についても、北海道ヒグマの生態が扱われた事例がある。反面、BBCの製作になるイギリスの人間生活に身近な昆虫などを主なテーマにした映像を除くと海洋生物や無脊椎動物はあまり扱われなかった。海洋生物に関しては、同時期の日本テレビ系のネットで放送されていたドキュメンタリー番組の『驚異の世界・ノンフィクションアワー』にてジャック=イヴ・クストー製作の海洋生物ものの映像が目玉として頻繁に取り上げられていた。

価値観としては終始自然保護・動物愛護の精神がナレーションなどで語られているが、初期には草食動物の視点に立ったナレーションが多かったが、後期には肉食動物の視点に立つようになるなど途中で価値観が変わったものも多い。終末期には動物番組における伝統的なやらせ問題を糾弾した海外フィルムを紹介したこともあり、そのときはオリジナル番組であった "Wild Kingdom" やその司会者であったパーキンスが俎上に上げられる場面までが放送された。オープニングテーマも、それまでの動物愛・家族愛を謳った物から『地上絵』では環境問題絶滅問題が主題になっている。

スポンサー

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NET系列番組としてスタートした開始当初は住友グループ加盟各社による表面上一社提供(後期は「住友の大自然シリーズ」の冠があった)、TBS系列番組に移行してからは一時期、その住友グループの会員の一社でもあるNECグループ(戦前の初期社名が「住友通信工業株式会社」であった)の単独提供として「NECアワー」という冠サブタイトルを付けて放送していたが、1978年頃から、芙蓉グループの一社である久保田鉄工(現在のクボタ)がスポンサーに加わって2社提供体制となった。

提供読みは住友グループ一社提供時代、「◯◯(当時の住友グループのスローガン)、住友グループの提供でお送りします。(しました。)」という形態だったが後に「提供は、◯◯です。(でした。)」という形態に改められ、その後再度「この番組は、◯◯の提供でお送りします。(しました。)」という形態に改められた。40分番組になった1984年10月頃からNECを含めた複数社提供となり、この形態は再び30分番組に戻された1987年頃以降も続いた。さらに1990年頃からは筆頭スポンサーであるNECが撤退し、最終回までは筆頭スポンサーなしの複数社提供で放送していた。

また、住友グループ協賛時代には「WWF世界野生生物基金[22]」への協力を訴える内容「世界野生生物基金に協力して、わたしたちの手で自然を守りましょう。」[23]というフリップが放送されていた。

脚注

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  1. ^ a b c 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、377頁。NDLJP:12276014/459 
  2. ^ 『毎日放送50年史』P172
  3. ^ 『毎日放送50年史』P172でも、『Wild Kingdom』を流していたという記述が見られる。
  4. ^ 『毎日放送50年史』P172でも、各国からの番組素材購入や国内各プロダクションへの発注についてつづられている。
  5. ^ テレビ新広島(TSS・フジテレビ系列)が1975年10月1日に開局するまで、広島テレビ(HTV・日本テレビ系列。9月30日までフジテレビ系列とのクロスネット)の編成から外れた日本テレビ・フジテレビの番組の一部を広島ホームテレビと中国放送が放送していた一方、広島ホームテレビの編成から外れたNET系列の番組(毎日放送および腸捻転解消後の朝日放送制作分を含む)の一部を中国放送や広島テレビが放送していた。
  6. ^ 山陽新聞1986年7月25日付朝刊テレビ欄
  7. ^ 山陽新聞1986年9月26日付朝刊テレビ欄
  8. ^ 山陽新聞1986年12月12日付夕刊テレビ欄
  9. ^ 『北國新聞』1975年9月7日付朝刊、テレビ欄。
  10. ^ 『北日本新聞』1982年5月14日付朝刊テレビ欄より。
  11. ^ 『北日本新聞』1990年9月24日付朝刊テレビ欄より
  12. ^ 1975年の時点で日曜 11:00 - 11:30[9]、1982年の時点で金曜 19:00 - 19:30での放送が確認されている[10]。その後一時休止した時期もあったものの、最終的にはチューリップテレビ開局直前まで放送され、最終的な放送日時は月曜 19:00 - 19:30となっていた[11]
  13. ^ 『北國新聞』1981年4月5日付朝刊、テレビ欄
  14. ^ 『北國新聞』1984年4月1日付朝刊、テレビ欄。
  15. ^ 1981年時点で日曜 17:00 - 17:30枠にて放送[13]。その後一旦打ち切られたが1984年4月1日に日曜 8:30 - 9:00にてネット再開[14]
  16. ^ 長野放送開局によりネット移行→腸捻転解消により再び移行
  17. ^ テレビ静岡社史編纂委員会/編『テレビ静岡二十年の歩み』テレビ静岡、1988年、222,224頁。 
  18. ^ 『北日本新聞』1967年4月6日付朝刊、テレビ欄。
  19. ^ 同時ネットで放送されていた[18]
  20. ^ 1978年4月時点ではテレビ愛媛の土曜18:00 - 18:30枠で放送(中国新聞、1978年4月8日、テレビ・ラジオ欄)
  21. ^ 1972年1月時点では高知放送の金曜18:00 - 18:30枠で放送(高知新聞、1972年1月14日付朝刊テレビ欄)
  22. ^ 現在の世界自然保護基金
  23. ^ 1972年放送分1974年放送分(いづれも視聴者提供)

参考資料

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毎日放送制作・NET 木曜19:30 - 20:00
この間住友グループ一社提供枠
前番組 番組名 次番組
野生の王国
(1963年12月 - 1965年4月)
ウルトラ2等兵
野生の王国
(1965年10月 - 1967年10月)
野生の王国
(1968年7月 - 1968年10月)
毎日放送 木曜19:30 - 20:00
【ここまでNET】
ランデブークイズ・ペアでハッスル
住友グループ一社提供枠
野生の王国
(1971年4月 - 1975年3月)
この番組まで住友グループ一社提供枠
ここからTBSネットチェンジ
おそば屋ケンちゃん
(TBS制作・朝日放送から番組移行)
NET 木曜19:30 - 20:00
ランデブークイズ・ペアでハッスル
住友グループ一社提供枠
野生の王国
(1971年4月 - 1975年3月)
【ここまで毎日放送制作枠 かつ住友グループ一社提供枠】
お笑い他流試合
【ここからNET制作枠】
毎日放送 金曜19:30 - 20:00
【1975年4月からTBS】
前番組 番組名 次番組
ここまでNET
がんばれ!!ロボコン
(NET制作・朝日放送に番組移行)
野生の王国
(1975年4月 - 1984年9月)
1978年途中までは日本電気(NEC)一社提供枠
ザ・パーティ鶴瓶です
(ここからローカル枠)
毎日放送 金曜19:30 - 19:58
不明
(ここまでローカル枠)
野生の王国
(1986年4月 - 1990年9月)
金曜テレビの星!
(TBS制作)
※19:30 - 20:54
毎日放送 土曜16:50 - 17:30枠
不明
※? - 17:00
銀河漂流バイファム
※17:00 - 17:30
野生の王国
(1984年10月 - 1986年3月)
スクールウォーズ[再]
※16:30 - 17:30
TBS 金曜19:30 - 20:00
霊感ヤマカン第六感
(NETに番組移行)
【ここまで朝日放送制作枠】
野生の王国
(1975年4月 - 1984年9月)
野生の王国
(枠拡大)
※19:20 - 19:58
テレビ大好き!
※19:58 - 20:00
【ここから関東ローカル枠】
TBS 金曜19:20 - 19:58
全国縦断!クイズあのねのね
※19:00 - 19:30
野生の王国
※19:30 - 20:00
野生の王国
(1984年10月 - 1987年9月)
(枠拡大)
テレビ見たとこ勝負!
※19:00 - 19:30
野生の王国
(枠縮小)
TBS 金曜19:30 - 19:58
野生の王国
※19:20 - 19:58
野生の王国
(1987年10月 - 1990年9月)
金曜テレビの星!
※19:30 - 20:54
【ここからTBS制作枠】