九重 京司(ここのえ きょうじ、1910年2月16日 - 1985年7月2日)は、日本の俳優著述家(性神研究家)である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。元助監督、元脚本家であり、小津安二郎の『東京の女』および『非常線の女』(1933年)に見習助監督としての記録がある[6][7][8][9][11]。本名平塚 廣雄(ひらつか ひろお)。東京府知事台湾総督府総務長官貴族院勅選議員を歴任した平塚廣義は実父である[1][3][14]

ここのえ きょうじ
九重 京司
本名 平塚 廣雄 (ひらつか ひろお)
生年月日 (1910-02-16) 1910年2月16日
没年月日 (1985-07-02) 1985年7月2日(75歳没)
出生地 日本の旗 日本 長崎県長崎市
死没地 日本の旗 日本
職業 俳優、性神研究家、元助監督、元脚本家
ジャンル 劇場用映画現代劇時代劇無声映画成人映画)、テレビ映画
活動期間 1932年 - 1985年
配偶者
著名な家族 平塚廣義 (父)
平塚英吉 (叔父)
主な作品
愛のコリーダ』(1976年)
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人物・来歴

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九重が満23歳で助監督を務めた『非常線の女』(1933年)。

小津安二郎の助監督から東宝劇団へ

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1910年(明治43年)2月16日、長崎県長崎市に生まれる[1][3]。父・平塚広義(1875年 - 1948年)は、当時は内務省の官僚であり、長男の廣雄(九重京司)は父が各地の知事を務めるたびに各地を転々とし、廣雄が15歳のころ、1925年(大正14年)9月16日には東京府知事に就任している[14]農芸化学者文化功労者平塚英吉(1888年 - 1984年)は父の弟であり[15]、廣雄には叔父にあたる。

慶應義塾大学文学部英文科に入学、満21歳を迎えた1931年(昭和6年)3月、同学を卒業する[1][3]。卒業後は、同年4月に三井生命保険に就職する[1]。しかしながら俳優を志しており、新興キネマ京都撮影所に転職すべく画策するが、当時台湾総督府総務長官であった父の反対を受ける[1]阪急電鉄の創業者、小林一三の紹介を受けて、松竹キネマに入社、助監督として松竹蒲田撮影所に配属になる[1][3]。1933年(昭和8年)2月9日に公開された小津安二郎(1903年 - 1963年)が監督したサイレント映画『東京の女』、同年4月27日に公開された同監督の『非常線の女』の「監督補助」(フォース助監督)としてクレジットされた記録が残る[6][7][8][9][11]

同年中には、小林が経営する東京宝塚劇場本社(現在の東宝)に移籍した[1][3]。同社では、建設中であった東京宝塚劇場が翌1934年(昭和9年)1月1日に開場、同劇場で結成した東宝劇団(第一次)の俳優になる[1][3]。その後、同社で昇進し本社事業部長を任命され[1][3]、そのまま日本は第二次世界大戦に突入していくなか、1942年(昭和17年)に結婚して、家庭を築く[1]。この時期、事業部長として東宝移動劇に関わっており、志賀口正雄を伴い、1940年(昭和15年)9月30日の夜11時に古川緑波邸を訪れている[16][17]。東京宝塚劇場は、1943年(昭和18年)12月、系列会社の東宝映画を吸収合併して東宝になる[18]。同年、九重は、自らが演出を務めていた「東宝舞踊隊」の大陸慰問記として、『花の戦記』を上梓している[4][5]。1945年(昭和20年)8月15日、大戦が終結、同年末には東京宝塚劇場が占領軍に接収され「アーニー・パイル劇場」になるが、九重は占領軍のための将校クラブを経営する[1]。同年12月24日の『古川ロッパ昭和日記』によれば、「すきや橋畔の、キャバレエー目下準備中で明いてゐるから」と古川に好意で稽古場を貸している[19]。1950年(昭和25年)には、震災に焼けた明治座が再建され、同年11月30日に開場、九重は同座の文芸部長に就任する[1][3]

44歳で経営者から映画俳優に転向

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1952年(昭和27年)には明治座を退き、文筆活動を行っていたが、1954年(昭和29年)、新国劇辰巳柳太郎に推薦され、同年に製作再開した日活が製作し、辰巳が主演した『平手造酒』(監督滝沢英輔)に出演、同作は同年10月19日に公開され、これが映画俳優としてのデビュー作である[1][3]。九重はすでに満44歳になっていた[1][3]。同作公開後、兵庫県宝塚市宝塚映画製作所に入社、同年12月8日・15日に公開された志村敏夫(1914年 - 1980年)の監督作『照る日くもる日 前後篇』に役を得て、以降、同撮影所で志村敏夫作品を中心に出演する[1][3][6][7][8][9][10][11][12]。1956年(昭和31年)、志村が新東宝に移籍したのを機に九重も移籍[1]、同年8月22日に公開された志村監督の『君ひとすじに 完結篇』に出演する[7][8][9][10][11]。新東宝では、志村のもとで脚本を執筆、村山俊郎と共同執筆した『新妻鏡』、北村秀敏とともに執筆した『関八州大利根の対決』がそれぞれ同年9月26日、翌1957年(昭和32年)1月27日に公開されている[7][8][9][10][11]。脚本は本名でクレジットされたが、出演もした『関八州大利根の対決』では、役者としては九重の名でクレジットされた[7][8][9][10][11]。1961年(昭和36年)8月31日の新東宝の倒産まで、数多くの同社の作品に脇役俳優として出演した[6][7][8][9][10][11]

新東宝の倒産後は、配給部門を分社化して設立された大宝が配給した『黒と赤の花びら』(監督柴田吉太郎)に出演、同作は翌1962年1月14日に公開された[6][7][8][9][10][11]。新東宝の社長であった大蔵貢が経営する大蔵映画が、製作を開始すると、第1作の超大作『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(監督小森白、1962年4月7日公開)、同作の前に公開され、いわゆる「ピンク映画第1号」と呼ばれる『肉体の市場英語版』(監督小林悟、同年2月27日公開)に出演[1][3][6][7][8][9][11]、以降、同社の作品を中心に数多くの成人映画に出演した[1][3][6][7][8][9][10][11]。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、九重の名は挙げられていない[20]。しかしながら九重は、『肉体の市場』や、それに先行する新東宝時代の『続・性と人間』(監督木元健太・小林悟、1961年1月3日公開)、あるいはそれにつづく『不完全結婚』(監督木元健太・小林悟、1962年5月1日公開)といった成人映画にすら出演しており、黎明期の成人映画界を支えた俳優であるといえる[3][6][7][8][9][10][11]

神奈川県藤沢市片瀬に居を構え[1]、1970年代以降は、映画出演の傍ら「性神研究家」として研究にいそしみ、文筆活動を行い、講演も行った[3]。1975年(昭和50年)2月から同年6月まで、『週刊文春』(文藝春秋)に「あるピンク男優の告白」として『テント虫一代』を連載する[5]。1976年(昭和51年)10月16日には、「大宮先生」役で出演した日仏合作映画『愛のコリーダ』(監督大島渚)が日本でも公開された[3]。同年、性神についての最初の単著『ふるさとの性神』を双葉社から上梓する[1][3][4][5]。満69歳のときに出演し、1979年(昭和54年)6月に公開された『少女縄化粧』(監督渡辺護)が俳優としての遺作に当たる[6][7][8][9][10][11][12][13]日野繭子の父親役であった。同年8月から翌1980年(昭和55年)10月まで、『宝石』(光文社)に『艶談・女のまんげ鏡』を連載した[5]。この年、九重は満70歳を迎えた[1][3]

1985年(昭和60年)7月2日、18時9分に心不全のため死去した[2][3]。満75歳没。墓所は多磨霊園

フィルモグラフィ

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特筆以外はすべて「九重京司」名義、「出演」である[1][3][6][7][8][9][10][11][12][13]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[7]

1930年代

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1950年代

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  • 大東亜戦争と国際裁判』 : 製作総指揮大蔵貢、監督小森白、脚本館岡謙之助、主演高田稔、製作・配給新東宝、1959年1月3日公開(映倫番号 10898) - 出演・「嶋田大将」役
  • 金語楼の三等兵』 : 監督曲谷守平、原案有崎勉、脚本川内康範、主演柳家金語楼、製作・配給新東宝、1959年1月15日公開(映倫番号 10897) - 出演・「白川大将」役
  • 剣姫千人城』 : 監督加戸野五郎、原作貴司山治、脚本赤坂長義、主演宇治みさ子、製作・配給新東宝、1959年2月11日公開(映倫番号 11032) - 出演・「蜂須賀阿波守」役
  • 無警察』 : 監督小森白、脚本金田光夫、主演天知茂、製作・配給新東宝、1959年4月17日公開(映倫番号 11110) - 出演・「今泉信蔵」役
  • 暴力娘』 : 監督曲谷守平、脚本渡辺祐介・曲谷守平、主演万里昌代、製作富士映画、配給新東宝、1959年7月4日公開(映倫番号 11120) - 出演・「星山」役
  • 海女の化物屋敷』 : 監督曲谷守平、脚本杉本彰赤司直、助監督橋田寿久年、主演三原葉子、製作・配給新東宝、1959年7月4日公開(映倫番号 11274) - 出演・「差配辰見」役
  • 九十九本目の生娘』 : 監督曲谷守平、原作大河内常平、脚本高久進・藤島二郎、助監督橋田寿久年、主演菅原文太、製作・配給新東宝、1959年9月12日公開(映倫番号 11347) - 出演・「高津秀隆(刀剣鑑定家)」役
  • 明治大帝と乃木将軍』 : 製作総指揮・原作大蔵貢、監督小森白、脚本館岡謙之助、主演嵐寛寿郎、製作・配給新東宝、1959年11月1日公開(映倫番号 11418) - 出演・「岡沢中将」役
  • 海豹の王』 : 監督三輪彰、原案西田一夫、脚本内田弘三、主演宇津井健、製作・配給新東宝、1959年12月1日公開(映倫番号 不明) - 出演・「上杉豊太」役
  • 東海道 弥次喜多珍道中』 : 製作・監督近江俊郎、脚本近江俊郎・松井稔、主演由利徹南利明、製作富士映画、配給新東宝、1959年12月27日公開(映倫番号 11520) - 出演・「河合甚左衛門」役

1960年代

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  • 爆弾を抱く女怪盗』 : 監督土居通芳、脚本土居通芳・大貫正義、主演高倉みゆき、製作・配給新東宝、1960年2月7日公開(映倫番号 11563) - 出演・「佐伯慶一」役
  • 美男買います』 : 監督曲谷守平、脚本渡辺祐介、主演菅原文太、製作・配給新東宝、1960年2月21日公開(映倫番号 12083) - 出演・「相沢幸之進」役
  • 女体渦巻島』 : 監督・脚本石井輝男、助監督武部弘道、主演天知茂・三原葉子、製作・配給新東宝、1960年2月27日公開(成人映画・映倫番号 11794) - 出演、64分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 若社長と爆発娘』 : 製作・監督近江俊郎、脚本松井稔、主演高島忠夫大空真弓、製作富士映画、配給新東宝、1960年3月6日公開(映倫番号 11842) - 出演・「由美の父太郎十兵」役
  • 三人の女強盗』 : 監督小林悟、脚本松木功・北村秀敏、主演御木本伸介高友子左京路子万里昌代、製作・配給新東宝、1960年3月26日公開(映倫番号 11820) - 出演・「女衒」役
  • 太平洋戦争 謎の戦艦陸奥』 : 監督小森白、脚本葉山浩三七条門、主演天知茂、製作・配給新東宝、1960年4月1日公開(映倫番号 11861) - 出演・「古賀峯一」役
  • 爆発娘罷り通る』 : 製作・監督近江俊郎、脚本近江俊郎・松井稔、主演大空真弓、製作富士映画、配給新東宝、1960年5月14日公開(映倫番号 11791) - 出演・「中尾」役
  • 女と命をかけてブッ飛ばせ』 : 監督曲谷守平、脚本鈴木岬一・米谷純一、主演宇津井健、製作・配給新東宝、1960年5月21日公開(映倫番号 11773) - 出演・「島田部長」役
  • 皇室と戦争とわが民族』 : 監督小森白、脚本内田弘三、主演嵐寛寿郎、製作・配給新東宝、1960年6月11日公開(映倫番号 11819) - 出演・「梅津参謀総長」役
  • 怪談海女幽霊』 : 監督加戸野五郎、脚本松本功、助監督渡辺祐介、主演明智十三郎、製作・配給新東宝、1960年7月8日公開(映倫番号 11470) - 出演・「宮内進太郎」役
  • 女獣』 : 監督曲谷守平、脚本葉山浩三・志原弘、主演小畠絹子、製作・配給新東宝、1960年8月19日公開(映倫番号 11810) - 出演・「栗林」役
  • 裸の谷間』 : 製作大蔵満彦、監督小林悟、脚本七条門・福田良二、主演菅原文太、製作・配給新東宝、1960年9月17日公開(映倫番号 12002) - 出演・「佐久間一真」役
  • 蛇精の淫』 : 監督曲谷守平、脚本田辺虎男、助監督小川清一、主演小畑絹子、製作富士映画、配給新東宝、1960年9月19日公開(映倫番号 11895) - 出演・「村医師(村医者村井)」役
  • 弥次喜多珍道中 中仙道の巻』 : 製作・監督近江俊郎、脚本松井稔、主演由利徹・南利明、製作富士映画、配給新東宝、1960年10月29日公開(映倫番号 11848) - 出演・「家老」役
  • 怒号する巨弾』 : 監督石川義寛、脚本石川義寛・藤島二郎、主演宇津井健、製作・配給新東宝、1960年11月12日公開(映倫番号 11978) - 出演・「志賀洋一」役
  • 凸凹珍道中』 : 製作・監督近江俊郎、脚本松井稔・近江俊郎、主演由利徹・南利明、製作富士映画、配給新東宝、1960年12月27日公開(映倫番号 11778) - 出演・「温泉客男」役、73分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 海女の怪真珠』 : 製作・原作大蔵貢、監督小林悟、脚本岡戸利秋・金田光夫、主演梅若正二泉京子、製作東方影業社、配給大蔵映画、1963年1月1日公開(成人映画・映倫番号 12909) - 出演・「梶原」役、82分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 性の変則』 : 製作・原作大蔵貢、監督小林悟、脚本金田光夫、主演一條美矢子、製作・配給大蔵映画、1963年4月25日公開(成人映画・映倫番号 13122) - 出演・「勝山康造」役
  • 怪談異人幽霊』 : 製作・原作大蔵貢、監督小林悟、脚本金田光夫・小林悟、助監督小川欽也、主演一條美矢子・梅若正二、製作・配給大蔵映画、1963年6月2日公開(映倫番号 13212) - 出演・「裁判長」役、70分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 女犯の掟』 : 製作鷲尾飛天丸、監督小林悟、脚本町田捷平、主演江波志郎小原絹子、製作・配給日本シネマフィルム、1963年6月25日公開(成人映画・映倫番号 13268) - 出演・「甚兵衛」役、57分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 獣の欲望』 : 製作本橋豊重、企画斉藤隆志、監督南部泰三、脚本樹田駿介、主演朝日陽子、製作豊映プロダクション、配給日本シネマ、1966年2月公開(成人映画・映倫番号 14296) - 出演、76分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 嵐の女体』 : 監督小川欽也、主演美矢かほる、製作・配給大蔵映画、1966年3月公開(成人映画・映倫番号 14349)
  • 欲望の異常者』 : 監督小川欽也、主演扇町京子、製作・配給大蔵映画、1966年6月公開(成人映画・映倫番号 不明)
  • 甘い体臭』 : 製作人見至門長谷憲児、企画城神郎、監督小林悟、脚本伴照夫、主演桝田邦子、製作アルスプロダクション、配給関東映配、1966年8月公開(成人映画・映倫番号 14617) - 出演・「田所禎造(会社社長)」役
  • あなたの留守に?』 : 監督小川欽也、主演新高恵子、製作・配給大蔵映画、1966年8月公開(成人映画・映倫番号 14610)
  • 禁じられた乳房』 : 監督小川欽也、脚本五里木純一郎、主演新高恵子、製作・配給大蔵映画、1966年10月公開(成人映画・映倫番号 14679) - 出演、71分の上映用プリントをNFCが所蔵

1970年代

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  • 悩殺のテクニック』 : 監督岸本恵一、脚本小針三郎、主演島江梨子、製作コーホーフィルム、配給ミリオンフィルム、1973年3月公開(成人映画・映倫番号 17488) - 出演、79分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 青春悲歌 夜の姿態』(『夜の姿態』) : 製作原田博幸、企画新船澄孝、監督南雲孝、脚本北沢順、主演森玲子、製作・配給ミリオンフィルム、1973年3月公開(成人映画・映倫番号 17521) - 出演・「吉野」役、76分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 痴漢クラブ 熱い肌の誘惑』(『熱い肌の誘惑』) : 製作・脚本小諸次郎、企画津島友孝、監督早坂紘、製作主任浜野佐知、主演泉ユリ、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1973年7月公開(成人映画・映倫番号 17719) - 出演・「岡村」役、64分の上映用プリントをNFCが所蔵

ビブリオグラフィ

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国立国会図書館蔵書を中心とした一覧である[4][5]

雑誌論文等

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  • 「三田劇談會『わが家の幸福』『綠波の喜劇』」古川緑波・平塚廣雄・久保田万太郎内村直也小山祐士大江良太郎和木清三郎 : 『三田文学』第17巻第2号所収、三田文学会、1942年2月発行、p.86-95.
  • 「アルプス温泉」平塚廣雄 : 『温泉』第20巻第3号所収、日本温泉協会、1952年3月発行、p.14-16.
  • 「彌次喜多箱根の巻」平塚廣雄 : 『温泉』第20巻第11号所収、日本温泉協会、1952年11月発行、p.15-17.
  • 「異色マニア座談会 われこそ性具コレクター」宇能鴻一郎・九重京司・吉村平吉 : 『小説宝石』第4巻第11号所収、光文社、1971年11月発行、p.276-282.
  • 「温泉地のまつり散歩 竜王祭 鬼怒川・川治温泉」九重京司 : 『温泉』第40巻第4号通巻第446号所収、日本温泉協会、1972年4月発行、p.20-21.
  • 「貴族院議員 東京府知事の子がピンク男優とは <人世劇場>名家の栄光に背を向けた九重京司の見事な人生」 : 『週刊文春』第14巻第34号通巻第689号所収、文藝春秋、1972年8月発行、p.136-139.
  • 「北條政子の孔門石」九重京司 : 『温泉』第41巻第1号通巻第455号所収、日本温泉協会、1973年1月発行、p.30-31.
  • 岩本久則対談 性に彷徨した男の軌跡」九重京司 : 『小説club』第26巻第6号所収、桃園書房、1973年5月発行、p.88.
  • 「特集 温泉地のまつり 稲取温泉どんつく祭」九重京司 : 『温泉』第41巻第8号通巻第462号所収、日本温泉協会、1973年8月発行、p.20-21.
  • 「新連載 テント虫一代 -あるピンク男優の告白- 抱腹絶倒受合い、まあ、とにかくご一読を!」九重京司  : 『週刊文春』第17巻第6号通巻第814号所収、文藝春秋、1975年2月発行、p.102-105.
  • 「好評新連載 テント虫一代 -あるピンク男優の人生- いよいよ快調!抱腹絶倒受け合います」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第7号通巻第815号所収、文藝春秋、1975年2月発行、p.64-67.
  • 「好評新連載 テント虫一代 -あるピンク男優の人生」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第8号通巻第816号所収、文藝春秋、1975年2月発行、p.64-67.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第9号通巻第817号所収、文藝春秋、1975年2月発行、p.68-71.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第10号通巻第818号所収、文藝春秋、1975年3月発行、p.76-79.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第11号通巻第819号所収、文藝春秋、1975年3月発行、p.74-77.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第12号通巻第820号所収、文藝春秋、1975年3月発行、p.74-77.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第13号通巻第821号所収、文藝春秋、1975年3月発行、p.74-77.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第15号通巻第823号所収、文藝春秋、1975年4月発行、p.58-61.
  • 「テント虫一代」九重京司・山下勇三 : 『週刊文春』第17巻第16号通巻第824号所収、文藝春秋、1975年4月発行、p.52-55.
  • 「テント虫一代」九重京司・山下勇三 : 『週刊文春』第17巻第17号通巻第825号所収、文藝春秋、1975年4月発行、p.54-57.
  • 「テント虫一代」九重京司・山下勇三 : 『週刊文春』第17巻第18号通巻第826号所収、文藝春秋、1975年4月発行、p.50-53.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第19号通巻第827号所収、文藝春秋、1975年5月発行、p.70-73.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第20号通巻第828号所収、文藝春秋、1975年5月発行、p.68-71.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第21号通巻第829号所収、文藝春秋、1975年5月発行、p.50-53.
  • 「テント虫一代」九重京司 : 『週刊文春』第17巻第22号通巻第830号所収、文藝春秋、1975年5月発行、p.72-75.
  • 「テント虫一代」九重京司・山下勇三 : 『週刊文春』第17巻第23号通巻第831号所収、文藝春秋、1975年6月発行、p.62-65.
  • 「テント虫一代」九重京司・山下勇三 : 『週刊文春』第17巻第24号通巻第832号所収、文藝春秋、1975年6月発行、p.68-71.
  • 「テント虫一代」九重京司・山下勇三 : 『週刊文春』第17巻第25号通巻第833号所収、文藝春秋、1975年6月発行、p.84-87.
  • 「テント虫一代」九重京司・山下勇三 : 『週刊文春』第17巻第26号通巻第834号所収、文藝春秋、1975年6月発行、p.56-59.
  • 「マツタケを立てる法」九重京司(俳優) : 『現代』第11巻第12号所収、講談社、1977年12月発行、p.382-387.
  • 「新連載! 艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第7巻第7号所収、光文社、1979年7月発行、p..108.
  • 「艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第7巻第8号所収、光文社、1979年8月発行、p.120.
  • 「艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第7巻第9号所収、光文社、1979年9月発行、p.120.
  • 「艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第7巻第10号所収、光文社、1979年10月発行、p.126.
  • 「艶談・女のまんげ鏡 - 三人娘の色模様の巻」九重京司 : 『宝石』第7巻第11号所収、光文社、1979年11月発行、p.242.
  • 「艶談・女のまんげ鏡 - 両女一男性交法」九重京司 : 『宝石』第7巻第12号所収、光文社、1979年12月発行、p.120.
  • 「艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第8巻第1号所収、光文社、1980年1月発行、p.248.
  • 「艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第8巻第4号所収、光文社、1980年4月発行、p.306.
  • 「艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第8巻第8号所収、光文社、1980年8月発行、p.146.
  • 「艶談・女のまんげ鏡」九重京司 : 『宝石』第8巻第10号所収、光文社、1980年10月発行、p.232.
  • 山本晋也の艶笑対談(8)むかし『ポルノ俳優』いま『性の権威』の風流談議」九重京司 : 『週刊サンケイ』第30巻第56号通巻第1691号所収、サンケイ出版、1981年11月発行、p.156.

単著

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  • 『花の戦記』、丹青書房、1943年発行 - 「平塚広雄」名義
  • 『ふるさとの性神 現代に生き続ける奇習珍祭の集大成』、双葉社、1976年発行
  • 『てんと虫狂騒曲 非政治的人間の性事的考察』、西田書店、1977年7月発行
  • 『性神』、トラベル・メイツ社、1978年発行
  • 『にっぽんの性神』、けいせい出版、1981年5月発行

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y キネ旬[1979], p.207-208.
  2. ^ a b 演劇[1986], p.149.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 九重京司コトバンク、2015年3月6日閲覧。
  4. ^ a b c d 九重京司平塚広雄Webcat Plus, 2015年3月6日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2015年3月6日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k Kyôji KokonoeHiroo Hiratsuka, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2015年3月6日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 九重京司平塚広雄東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月6日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 九重京司平塚広雄文化庁、2015年3月6日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n 九重京司平塚広雄KINENOTE, 2015年3月6日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k 九重京司allcinema, 2015年3月6日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n 九重京司平塚広雄日本映画データベース、2015年3月6日閲覧。
  12. ^ a b c d 九重京司東宝、2015年3月6日閲覧。
  13. ^ a b c 九重京司テレビドラマデータベース、2015年3月6日閲覧。
  14. ^ a b 平塚広義、コトバンク、2015年3月6日閲覧。
  15. ^ 平塚英吉山形県立図書館、2015年3月6日閲覧。
  16. ^ 古川戦前[2007], p.746.
  17. ^ 古川ロッパ昭和日記 昭和十五年古川緑波青空文庫、2015年3月6日閲覧。
  18. ^ 沿革東宝、2015年3月6日閲覧。
  19. ^ 古川戦後[2007], p.73.
  20. ^ 田中[1976], p.85-86.
  21. ^ 発掘!幻の大宝映画、シネマトライアングル、2015年3月6日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
  沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り
1962年6月13日公開
大蔵映画東方影業
  性の変則
1963年4月25日公開
(大蔵映画)
  夜ごとの牝猫
1965年11月公開
(大蔵映画)
  女極道色欲一代
1969年5月公開
中川プロダクションミリオンフィルム