松浦勝人
日本の音楽プロデューサー、実業家
松浦 勝人(まつうら まさと、1964年10月1日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家。エイベックス株式会社代表取締役会長、元CEO。通称:Max Matsuura(マックス・マツウラ)。
松浦 勝人 | |
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別名 | Max Matsuura |
生誕 | 1964年10月1日(56歳) |
出身地 |
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学歴 | 日本大学経済学部産業経営学科卒業 |
ジャンル | J-POP、ユーロビート |
職業 |
音楽プロデューサー 実業家 |
活動期間 | 1988年 - 現今 |
公式サイト |
avex |
略歴編集
- 1988年4月 エイベックス・ディー・ディー株式会社 (現:エイベックス株式会社) 設立、取締役に就任
- 1991年3月 専務取締役に就任
- 2004年8月 専務取締役および取締役を辞任。直後に復帰し、執行役員に就任
- 2004年9月 代表取締役社長に就任
- 2005年4月 エイベックス・エンタテインメント(株)代表取締役社長、エイベックス・プランニング&デベロップメント(株)取締役
- 2005年10月 エイベックスネットワーク(株)(現:エイベックス・エンタテインメント(株))代表取締役会長
- 2007年6月 コンプライアンス委員長
- 2009年1月 エイベックス・マネジメント(株)代表取締役社長
- 2009年4月 エイベックス通信放送(株)代表取締役会長
- 2010年4月 代表取締役社長CEO(現任)、社長室管掌(現任)
- 2012年10月 (株)UULA 代表取締役会長
- 2013年7月 Avex International Holdings Singapore Pte.Ltd.(現:Avex Asia Pte. Ltd.) 取締役(現任)
- 2013年10月 エイベックス・マネジメント(株) 代表取締役会長
- 2014年12月 AWA(株) 代表取締役会長
- 2016年6月 エイベックス通信放送(株) 取締役(現任)、当社グローバル・アーティスト戦略室管掌
- 2016年12月 エイベックス・ベンチャーズ(株) 代表取締役社長(現任)
来歴編集
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2013年4月) |
- 横浜市立野庭中学校、横浜市立金沢高等学校を経て、日本大学経済学部産業経営学科卒業。
- 実家は中古車販売業を営んでいた。
- 1985年、日本大学在学中(3年)に貸レコード店「友&愛」港南台店でアルバイトを始めた。この時、一緒にアルバイトをしていたのが、現・エイベックス株式会社取締役COOの林真司、元・取締役の小林敏雄であった。林、小林は共に松浦と同じ横浜市立金沢高等学校の同級生である。また、当時高校生だった後のEXILEのHIROと出会っている。奇遇にも彼も高校の後輩であり、以後、高校の学園祭にDJ役で顔を出したりして、親交を続けた。
- 1986年、アルバイト先の「友&愛」港南台店のオーナーに商才を認められ、そのオーナーと松浦の父の共同出資により、株式会社ミニマックスを設立。代表取締役に就任。横浜市港南区上大岡駅前にフランチャイズの貸レコード店「友&愛」上大岡店を開業した。後にEvery Little Thingでデビューする五十嵐充もアルバイトとして勤務しており、後に店長となる。
- 1988年4月11日、エイベックス・ディーディー株式会社(現・エイベックス株式会社)を設立。同社、取締役就任。レコードやCDの輸入卸売業を始めた。
- 1990年、レコードレーベル・avex traxを設立。1991年に専務取締役となった。
- 1995年、モデルの原口香と結婚。また、松浦の結婚記念楽曲「THE STORY OF MAX AND KAORI / HRG UNITED」がEUROBEAT FLASH VOL.5(1996年1月発売)に収録された。その後、離婚している。
- 1996年、後に歌手としてデビューをする浜崎あゆみとクラブで出会う。その後、ニューヨークへ飛び、2年間にも及ぶレッスンやトレーニングを経て、1998年のデビューまでの準備に入る。
- 1998年4月3日から、オールナイトニッポンRプロデューサーズナイトで、3年半の間、月1回パーソナリティを務めた。
- 1998年12月、エイベックスのアーティストオーディションを行う為、テレビ東京のオーディション番組ASAYANに出演した。
- 2001年2月、元会長の依田巽の助言により、松浦真在人に改名(後に2002年10月4日より、本名に戻す)。
- 2001年9月、アメリカのニューヨークで起きた同時多発テロ事件をきっかけに小室哲哉と共に特別ユニットを作る。
- 2003年11月、モデルの畑田亜希と再婚(2004年3月31日に第1子となる女児が誕生。2006年5月30日に第2子となる男児が誕生。2007年10月24日に第3子となる女児が誕生)。
- 2004年9月28日、エイベックス・グループの持株会社エイベックス・グループ・ホールディングス(現:エイベックス株式会社)の代表取締役社長に就任。
- 2009年 第四回渡辺晋賞受賞[1]。
- 2010年4月、エイベックス代表取締役社長CEOに就任。
- 2018年6月、エイベックス代表取締役会長CEOに就任[2]。
- 2019年夏、浜崎あゆみの自伝「M 愛すべき人がいて」で、浜崎と1996年〜1999年まで恋仲だった事が公表される。
- 2020年1月、畑田と2016年に離婚していた事が判明した。2013年頃より別居していた[3]。
- 2020年4月〜前年話題となった「M 愛すべき人がいて」がテレビドラマ化。
- 2020年6月、エイベックスCEOを退任(代表取締役会長には留任)[4]。
人物編集
小室哲哉とは、1991年にエイベックスが本格的に音楽制作に参画した当初から、タイアップ交渉・所属会社の壁を越えた撮影チーム結成に対するための融通、カラオケ画面でのアーティスト本人のPV映像の上映を実現するためのコーディネートに奔走する等[5]公私に渡るパートナーであったものの、制作・セールス方針、印税の分配等[注釈 1]で松浦・千葉と小室の意見が決裂、1990年代半ば頃から険悪化し、1997年から長期間絶縁状態にあった。その後はエグゼクティブ・プロデューサーとして企画のチェックに関わる事はあっても、マネジメント等の協力・プライベートの交流は皆無に等しかった。
2008年に小室が逮捕された際、被害弁済から約6億5000万円を個人的に融資した。TRFや安室奈美恵やglobe等、エイベックスの礎は小室哲哉によって生み出されたものであり、小室哲哉無くしてEvery Little Thingや浜崎あゆみや倖田來未等は誕生しえなかったと述べており、恩師としての小室を思い出し、今後の音楽活動に賭けてみようと決心したという。また、弁済融資の他、社内に小室専用の部屋・制作スタジオも用意した[7][8]。
小室は「レコード会社から驚異的な資産を生み出したリチャード・ブランソン、デヴィッド・ゲフィンの2人に似ている」と称している[9]。
手掛けたアーティスト編集
プロデュースやエグゼクティブプロデュース、スペシャリーコーディネイト等
脚注編集
注釈編集
出典編集
- ^ 第四回渡辺晋賞渡辺音楽文化フォーラム 2020年2月11日閲覧
- ^ “エイベックス、松浦勝人氏が6月22日に会長就任 新規事業の創出に注力”. ORICON NEWS (oricon ME). (2018年5月11日) 2020年5月15日閲覧。
- ^ “松浦勝人氏 離婚していた。7年前から別居生活、2016年に成立”. スポニチ (2020年1月2日). 2020年1月2日閲覧。
- ^ “エイベックス・松浦勝人氏、CEO退任へ 制作に専念すると表明「後進の育成にも励んでいきたい」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2020年5月15日) 2020年5月15日閲覧。
- ^ “【転機 話しましょう】(60)音楽プロデューサー、小室哲哉さん ちょっとした感謝が身を救う 栄光、挫折、復帰…すべての場面にいた“戦友””. msn産経ニュース (2012年4月21日). 2012年4月21日閲覧。
- ^ “エイベックスの歴史”. 松浦勝人オフィシャルブログ「仕事が遊びで遊びが仕事」Powered by Ameba. (2006年12月16日) 2006年12月16日閲覧。
- ^ 【小室被告第2回公判(2)】「浜崎あゆみも倖田來未も小室さんなしには生まれなかった」 Archived 2009年3月15日, at the Wayback Machine.より
- ^ 扶桑社刊 「SPA!」2010年8月3日号「『エッジな人々』 小室哲哉 『ドン底を経験したからって、開き直っちゃったら上れない』」pp.134-137より。
- ^ 「第84回 小室 哲哉 氏 音楽プロデューサー / ミュージシャン | Musicman-NET」より。
関連項目編集
- max matsuura 仕事が遊びで遊びが仕事
- ランシステム - 大学在学中にアルバイトをしていた貸レコード店「友&愛」の後身。
出典編集
外部リンク編集
- 松浦勝人オフィシャルブログ「仕事が遊びで遊びが仕事」
- 松浦勝人 (@maxmatsuuratwit) - Twitter
- 松浦勝人 (max_matsuura) - Instagram