佐藤裁也

日本の官僚・歴史家

佐藤 裁也(さとう たつや、1962年昭和37年〉11月25日 - )は、日本官僚歴史家[1]広島県福山市出身。

佐藤 裁也
さとうたつや
Original Cover of book "Okinawa Journal of Officials for 2000 days"(沖縄担当2000日の記録)
代表作の表紙
誕生 (1962-11-25) 1962年11月25日(61歳)
日本の旗 日本 広島県福山市
職業 官僚歴史家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 学士
最終学歴 東京大学法学部
ジャンル 行政学
代表作 『沖縄担当2000日の記録―平成の沖縄振興―』[1]
ウィキポータル 文学
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略歴

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エピソード

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内閣官房内閣内政審議室(現、内閣官房副長官補室)の「室内室」・別室である沖縄問題担当室1996年9月~2001年1月) [17] [18] [19] [20] [21] の創設時のメンバー[1]内閣官房の一員として沖縄振興の策定 [22] に長く尽力 [23] [24]ミシガン州立大学には、沖縄県から、川平朝清昭和女子大学名誉教授(元沖縄放送協会(OHK、現NHK沖縄放送局)会長、元放送文化基金(現公益財団法人)監事)、尚弘子琉球大学名誉教授(元沖縄県副知事、元NHK経営委員会委員)が留学[1]沖縄戦で、通信力を失った沖縄県の島田叡知事に代わって、海軍次官宛電報を発信した大田實海軍中将[25]は高校(旧制県立千葉中学校)の先輩[1]。 著書の「沖縄担当2000日」では、 1997年11月21日の沖縄復帰25周年記念式典(佐藤栄作総理による日米沖縄返還合意の28年後の同日)での総理式辞 [注 1] を経て、6年後、 2003年7月5日橋本龍太郎元総理大臣の名桜大学名護市)での「平成の沖縄振興」の成果スピーチ(「名桜スピーチ」)[注 2] のバックグラウンドが説明されている[1]。沖縄担当時代の成果関係については、2004年4月、「沖縄県は首都東京を上回る成長」という見出し付記事をフィナンシャル・タイムズ紙が掲載し紹介されている[1] [31]

  • 創造的振興策(沖縄「復帰第二期」)

五百旗頭真は、「復帰第二期」に当たるこの時代[32] 、平成中期、第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)前後の一連の沖縄振興策を「創造的振興策」と評している[33] [34] [35] [36] 。 観光・保養産業はじめ文化交流型産業の充実、情報通信産業の集積、教育・研究・芸術のCOE(Center of Excellence)、世界標準の国家的研究センターの検討などの発展戦略も提唱された [37] 。 沖縄の持つ地理的、文化的特性と、かってアジアに大交易時代を築いた [注 3] [1] 県民特性を活かし、アジアに開かれた国際交流拠点として位置付けられた [38] [39] 。 沖縄が未来に向かって大きく発展していくことを主眼に、実情に即し沖縄サイドの主体的、自立的な考えと行動をできるかぎり尊重しようとすることが基本理念とされた。 空港・高速道路などのインフラ整備、人材育成・雇用の促進 [17] 、まちづくり[17] 、情報通信 ・金融[17] 、観光 、(亜熱帯)農林水産[17] 、ものづくり、伝統文化の育成など広汎にわたった [40] 。距離と時間の壁を乗り越え、ハードの質的充実・ソフトの重視など、日本の改革を先取りするような先駆的な振興策がいくつも実現した[1] [注 4][注 5]

著書

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翻訳

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  • 岩田耕一、佐藤裁也「BBC(英国放送協会)の財政に関する委員会報告書-2-」『公益事業研究 Journal of public utility economics』第40巻第1号、東京: 公益事業学会、1988年9月、85–145頁。

上記2点の翻訳の原著はThe Committee of the Financing of the BBC (Peacock Committee)である。

脚注

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注釈

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  1. ^ 沖縄復帰25周年記念式典における総理式辞の内容については、政策研究大学院大学東京大学東洋文化研究所田中明彦代表編纂の、データベース「世界と日本」 [1]所収『沖縄復帰二十五周年記念式典における式辞(橋本龍太郎)』[2]にて詳細を読むことが出来る。原本は国会図書館所蔵 [26]
  2. ^ 「宜野湾スピーチとその後」:「県民に対するメッセージ」(「宜野湾スピーチ」)(沖縄コンベンションセンター宜野湾市))(1996年9月)以降の沖縄政策協議会、沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会・有識者懇談会((島田懇)島田晴雄座長、稲嶺惠一副座長、東江康治荒田厚岡本行夫、小禄邦男、唐津一、渡久地政弘、豊平良一、真栄城守定、牧野浩隆宮里昭也)、北部振興協議会(岸本建男北部広域市町村圏事務組合 [27] 理事長(名護市長))はじめ、平成中期の沖縄振興の成果を講演。名桜大学(当時、比嘉鉄也理事長、瀬名波栄喜学長)10周年記念講演 [1] [28] [29] [30]
  3. ^ 歴代宝案注釈本全15冊刊行記念シンポジウム「琉球王国の外交文書―よみがえる『歴代宝案』2022年」(基調講演は濱下武志公益財団法人東洋文庫研究部長) [3] 』―「琉球王国文化史・近代沖縄デジタルアーカイブ」 [4] 、沖縄県教育庁文化財課
  4. ^ これは、「座談会 沖縄復帰五十年を振り返る」において「振興に向けた第一期、第二期」「沖縄振興に取り組んだ人たちの記録を」「生活は向上したが課題は残っている(振興第三期)」として特筆される議論である[41]。そして、「日本帰属の根拠となった郵便網(1874年、沖縄(琉球藩)で郵便開業・郵便取扱所設置)」「「つなぐ」精神の前島密と逓信(逓信省の英訳はMinistry of Communications)」「逓信戦没者を慰霊する逓魂之塔(沖縄戦跡国定公園内の県営平和祈念公園内に建立。島守之塔、沖縄放送局戦歿職員慰霊碑も同園内)」という史実を踏まえ、第一期の「復帰時の本土郵政への移行問題」「郵便サービスは本土並となった」、第二期の「振興に貢献した郵便局ネットワーク」「初の沖縄コールセンター開設秘話」、さらに、「振興対象はハードからソフトに移行」「「距離と時間の壁」を乗り越えた通信」についての議論につながっている[42]
  5. ^ 高橋和宏は、書評[23]中「橋本・小渕政権の教訓」という節の導入部で「「絶たれた対話」を修復するのは容易な作業ではないかもしれない。だが、一九九〇年代後半の橋本龍太郎・小渕恵三内閣には、本土と沖縄との官民の垣根を越えた対話が確かに存在した。その記録が、内閣官房の一員として沖縄振興の策定に長く尽力した佐藤裁也氏による『沖縄担当二〇〇〇日の記録』である。」(152-153ページより)と著書[1]を挙げている。
  6. ^ 小和田恒による帯の文言と冒頭の序文は、「“同志”と沖縄の地で語り合った「明るい沖縄の未来」」「沖縄復帰50周年に寄せて」、また古川貞二郎からは、「高い志、困難を克服して取り組んだ得がたい記録」「沖縄担当2000日を活写した貴重な記録―本書を読んで沖縄の未来を考えよう―」となっている。五百旗頭真による「解題」には「歴史の中の沖縄返還と沖縄振興」とあり、帯の文言は「沖縄返還から沖縄振興へ、沖縄と共に成すべきこと」である。[1]
  7. ^ タイトルは古川貞二郎が名付けた。 [43]
  8. ^ 本書の筆者と古川貞二郎との沖縄を巡る強い絆が顕現している。 [21] [43]
  9. ^ 表紙投影写真は、ひんぷんガジュマル(国指定天然記念物・名護市大東)。樹下に名の由来となった三府龍脈碑(ヒンプンシー(屏風石)・復元・沖縄県有形文化財)がある。
  10. ^ 放送普及基本計画(現、基幹放送普及計画)の策定等の規定を定めた昭和63年法律第29号による改正。 [44]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 佐藤 裁也(さとう たつや)『沖縄担当2000日の記録―平成の沖縄振興―信山社、2022年8月。ISBN 978-4797285024
  2. ^ 奥山雄材(郵政省沖縄復帰対策室長)、野原常男(琉球郵政庁)、田代昭大(琉球電信電話公社)(後身は日本電信電話公社(NTT)沖縄電信電話管理局(現NTT西日本沖縄支店)・国際電信電話株式会社(KDD)沖縄支社)ほか「「特集 沖縄かえる(座談会 沖縄を迎える)、戦後の沖縄郵政、戦後の沖縄電電」」『逓信協会雑誌(732)1972.5』東京: 逓信協会(現通信文化協会)、1972年5月、8–19頁。
  3. ^ 沖縄郵政資料センター(旧沖縄逓信博物館)」沖縄郵政資料センター(日本郵政[5]・沖縄郵政資料センターについて(郵政博物館[6]
  4. ^ 五百旗頭真伊藤元重薬師寺克行(編)、2008年12月『90年代の証言 岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』朝日新聞出版、235頁。ISBN 978-4022504791
  5. ^ 道の駅かでなオープン」『嘉手納町広報かでな』第391号、2003年6月1日。
  6. ^ 泡盛さらに発展を 振興策等検討会発足 業界の基盤強化へ」『琉球新報』那覇/沖縄、2002年10月5日。
  7. ^ 「IT((註)情報技術)振興で連絡会議、沖縄(沖縄市)、嘉手納(嘉手納町)、北谷(北谷町)、企業集積や施策など協議」『沖縄タイムス』那覇/沖縄、2003年1月11日。
  8. ^ 「【意見】ワークスタイル改革の一歩に 佐藤裁也氏◇◇経歴」『西日本新聞朝刊』福岡、2018年3月9日。
  9. ^ 平成29年度第3回フェニックスリーダーシップセミナー”. 広島大学大学院. 2015年7月11日閲覧。
  10. ^ 総務省人事四国総合通信局関係分”. 総務省. 2015年11月1日閲覧。
  11. ^ 香川大学「四国経済事情(地域政策)」”. 香川大学. 2016年4月7日閲覧。
  12. ^ 高知工科大学News & Topics 2016.4.7”. 高知工科大学. 2016年4月7日閲覧。
  13. ^ 「地域経済 ICT((註)情報通信技術)産業振興、四国はモデルに」『日本経済新聞』松山/四国、2017年4月14日。
  14. ^ 平成29年7月11日付人事異動”. 総務省. 2017年12月1日閲覧。
  15. ^ 高瀬真由子「仕事に応じて席替え 九州行政評価局、業務効率化「細かく指導」「声かけやすい」」『産経新聞』福岡/九州・沖縄、2018年3月15日。
  16. ^ a b 退職公務員等の状況について”. NTT西日本. 2023年10月1日閲覧。
  17. ^ a b c d e 『沖縄担当2000日の記録―平成の沖縄振興―』信山社、2022年8月、4頁。
  18. ^ 梶山静六「日米安保と沖縄」』(1997(平成9)年2月執筆・未発表、梶山清六論文集、衆議院議員梶山ひろし(梶山弘志)Official Website版)、1997年。
  19. ^ 「沖縄問題担当室に3対策班を新設、政府が体制強化」『讀賣新聞』東京、2000年1月30日、4面。
  20. ^ 「沖縄問題担当室が新体制スタート、普天間飛行場の移設と振興策で」『毎日新聞』東京、2000年2月2日、2面。
  21. ^ a b 古川貞二郎「沖縄問題を振り返る (PDF)」『ブナの森新聞第19号(令和4(2022)年夏号)1面・2面』鈴木泰久編集責任、ブナの森調剤薬局発刊、2022年。2024年7月18日閲覧2003年(平成15年)秋に私が副長官を辞めて20年近くになりますが、高い志で沖縄問題に尽くされた橋本さん、梶山さん、小渕((註)小渕恵三)さん、野中((註)野中広務)さん、そのほか多勢の方々が帰らぬ人となってしまわれました。淋しい限りですが、高齢で微力ではあっても、私たちは先人たちの遺志を継いで沖縄問題に真剣に向き合っていかなければならないと考えています。(帰結部より抜粋)
  22. ^ 「沖縄知事、公告・縦覧代行へ、首相、「基地」「振興策」に全力、会議で表明、((註)特別)調整費50億円計上、早期解散へ環境整う、首相談話閣議決定、新たな((註)沖縄政策)協議会設置、「相当明るい展望」知事評価」「橋本・大田((註)大田昌秀)会談、沖縄問題打開へ前進、予算裏付け懸念払拭、「信頼関係築けた」首相強調、(註:沖縄)振興策仕組み作り腐心」『讀賣新聞』東京、1996年9月11日、1、2、3面。
  23. ^ a b 高橋和宏「Book Review【選評】知事たちの苦悩が照射する基地問題の隘路 (PDF)」『外交Diplomacy』Vol.77 Jan./Feb.2023、東京: 外務省、2023年、150–153頁。ISBN 978-4-901783-98-9。2023年1月31日閲覧
  24. ^ 国場幸一郎「論壇、もう一度考えよう、振興への情熱・愛情の減退懸念」『琉球新報』那覇/沖縄、1998年1月8日、5面。
  25. ^ 大田実「自決前、大田中将が海軍次官にあてた電文(全文)[知る戦争]」『朝日新聞DIGITAL』東京、2021年8月11日。2023年12月3日閲覧
  26. ^ 橋本龍太郎(述)内閣府大臣官房 監修『橋本内閣総理大臣演説集(上)』東京: 日本広報協会、2001年、619–625頁。沖縄復帰二十五周年記念式典における式辞
  27. ^ 「イチダースネット」北部広域市町村圏事務組合』。
  28. ^ 名桜大学開学10周年記念誌部会“名桜大学10年誌”名桜大学(名護/沖縄)2004-12-21(非売品)
  29. ^ 「沿革・大学紹介」名桜大学 [7]
  30. ^ 阿部岳編集委員「NTT「104番」対応、最大拠点の沖縄で94%減、電話番号案内2026年3月末で終了、別業務を検討」「104番共に歩んだ27年「複雑だが時代の流れ」那覇で番号案内、嘉手納副所長」2024年10月4日1面・27面抜粋「沖縄では1990年代、振興策の目玉としてコールセンターを開設して東京からの問い合わせを受けるようになり、全国最大の拠点だった。」「1997年8月((註)復帰25周年式典式辞は同年11月)、那覇市民体育館。橋本龍太郎首相(当時)は講演で、国立工業高等専門学校とNTT番号案内センターの名護市への誘致に向け「措置を講ずる」と明言した。同時に、米軍普天間飛行場辺野古移設に理解を求めた。」「センターはこの年10月、まず那覇市にオープン。初回のオペレーター求人は250人の枠に対し、16倍を超える約4200人が応募した。」「((註)翌年5月開業の名護市マルチメディア館内の)名護のセンターは21年以降、インターネット関連業務に切り替えた。」「現在、那覇のセンターでは60人が勤務し、依然として全国最大の規模。26年以降は別の業務に当たることを検討していく。」(以上1面)、「「104の嘉手納です」と応答すると、東京からかけている沖縄出身者に嘉手納さん?沖縄?」と喜ばれることも。((写真)「聞いてよかったと言われた時が一番うれしい」と語る嘉手納裕子副所長((註)1997年開設10(テン)4(シ)=エンゼル・メンバー)・浦添市・NTT西日本沖縄支店)」(以上27面)」『沖縄タイムス』(沖縄版)、沖縄、2024年10月4日。
  31. ^ David Pilling [in 英語] (2004年4月24日), "Poorer rivals leading Tokyo in the recovery game, Japan's forgotten prefectures such as Okinawa are growing faster than the capital.", FINANCIAL TIMES, London, p. 3
  32. ^ 佐藤裁也『沖縄担当2000日の記録』信山社、東京、2022年8月10日、iv頁。「小和田恆<序文>「沖縄復帰50周年に寄せて」」 
  33. ^ 佐藤裁也『沖縄担当2000日の記録』信山社、東京、2022年8月10日、235頁。「五百旗頭真<解題>「歴史の中の沖縄返還と沖縄振興」」 
  34. ^ 石川貴教「憂楽帳 創造的復興」『毎日新聞』(東京夕刊版)、東京(2024年3月29日発行)、2024年。
  35. ^ 稲嶺惠一「時代の証言、苦悩の島、和を求めて8、サミット県民に誇り」讀賣新聞2024編。飯塚恵子編集委員(令和6)年5月31日抜粋「サミットのおかげで、沖縄は国内外での知名度を高め、交通・通信網や宿泊施設の整備も進みました。観光振興にもつながり、小渕さんが目指した「本土との経済格差を縮める」副産物は、確かに大きかったと思います。」『讀賣新聞』(東京版)、東京(2024年5月31日発行)、2024年。
  36. ^ 稲嶺惠一「時代の証言、苦悩の島、和を求めて24、島田懇、沖縄の活力剤」讀賣新聞2024(令和6)年6月26日、飯塚恵子編集委員、写真「橋本政権の沖縄振興策を主導した島田懇、前列右から古川官房副長官、座長の島田晴雄慶大教授、梶山官房長官、経済人時代の稲嶺さん(1996年8月26日、首相官邸で)」『讀賣新聞』(東京版)、東京(2024年6月26日発行)、2024年。
  37. ^ 沖縄振興中長期展望についての検討調査報告書』東京: 総合研究開発機構「沖縄振興中長期展望についての検討調査」研究会(香西泰委員長)総合研究開発機構(現公益財団法人NIRA総合研究開発機構(内政審議室委託研究)、1998年。
  38. ^ 沖縄振興特別措置法第1条』。
  39. ^ 日本経団連 産業本部 (2004-03-23). “沖縄県の産業振興に向けた取り組み-投資優遇策に注目”. 経済くりっぷ No.40(日本経団連活動レポート) (東京: 一般社団法人日本経済団体連合会) (40). https://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/CLIP/2004/0323/03.html. 
  40. ^ 佐藤裁也『沖縄担当2000日の記録』信山社、東京、2022年8月10日、x・xi頁https://image.maruzenjunkudo.co.jp/item/1/324/3189/2454/31892454_01.jpg。「古川貞二郎<序文>「沖縄担当2000日を活写した貴重な記録―本書を読んで沖縄の未来を考えようー」」 
  41. ^ 仲本薫(元日本郵政沖縄支社長)、佐藤裁也、團宏明(公益財団法人通信文化協会会長) (2022-12). “座談会 沖縄復帰五十年を振り返る(前編)”. 通信文化 (129):2022.12 (東京: 通信文化協会高橋亨理事長). ISSN 21870470. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023553253-00. 
  42. ^ 仲本薫、佐藤裁也、團宏明「座談会 沖縄復帰五十年を振り返る(後編)」『通信文化(130):2023.1』東京: 通信文化協会・高橋亨理事長、2023年1月。ISSN 2187-0470国立国会図書館書誌ID:023553253
  43. ^ a b 望月公一東京本社編集委員「追悼抄 強い正義感 政と官調整 古川貞二郎さん「元内閣参事官の佐藤裁也さんは今年8月、「沖縄担当2000日の記録 平成の沖縄振興」(信山社)を出版した。古川さんの勧めだった。古川さんはタイトルを考え、「沖縄問題は格差の問題。多くの人が沖縄の未来を真剣に考えてほしい」とする序文も寄せた。((註)2022年)8月23日、古川さんの長い手紙が届いた。「沖縄からは終生離れられません」と書かれていた。自分への絶筆と佐藤さんは思っている。」(一部抜粋)」『讀賣新聞』(夕刊版)、東京(2022年10月27日発行)、2022年、8面。 2022年10月27日閲覧。
  44. ^ 金澤薫『放送法逐条解説(改訂版)』財団法人電気通信振興会(現、一般財団法人情報通信振興会 (寺崎明理事長))、2006年4月、9頁。ISBN 978-4-8076-0664-1

外部リンク

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関連項目 

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  1. ^ https://www.youtube.com/watch?v=l3wMBXoBKTM&feature=shared https://www.youtube.com/watch?v=GVpJ1RhbcdI https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20231022/5090025388.html