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ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ

ブラジルのサッカー選手
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はヴィエイラ第二姓(父方の)はジ・ソウザです。

フッキまたはウルクHulk)こと、ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザGivanildo Vieira de Souza1986年7月25日 - )は、ブラジルパライバ州カンピナグランデ出身のサッカー選手中国スーパーリーグ上海上港に所属し、ブラジル代表にも選出されている。ポジションはフォワード(FW)

フッキ Football pictogram.svg
Spar-Zen2015 (3).jpg
ゼニトでのフッキ (2015年)
名前
本名 ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ
Givanildo Vieira de Souza
愛称 ハルク
カタカナ フッキ
ラテン文字 HULK
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1986-07-25) 1986年7月25日(32歳)
出身地 カンピナグランデ
身長 178cm
体重 85kg
選手情報
在籍チーム 中華人民共和国の旗 上海上港
ポジション FW (CF / RWG)
背番号 10
利き足 左足
ユース
2001-2002 ポルトガルの旗 ヴィラノヴェンセ
2002 ブラジルの旗 サンパウロ
2003-2004 ブラジルの旗 ヴィトーリア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004 ブラジルの旗 ヴィトーリア 2 (0)
2005-2008 日本の旗 川崎フロンターレ 11 (1)
2006 日本の旗 コンサドーレ札幌 (loan) 38 (25)
2007 日本の旗 東京ヴェルディ (loan) 42 (37)
2008 日本の旗 東京ヴェルディ 13 (7)
2008-2012 ポルトガルの旗 ポルト 99 (54)
2012-2016 ロシアの旗 ゼニト・サンクトペテルブルク 97 (56)
2016- 中華人民共和国の旗 上海上港 34 (21)
代表歴2
2012 ブラジルの旗 ブラジル オリンピック 6 (1)
2009- ブラジルの旗 ブラジル 48 (12)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年1月8日現在。
2. 2016年3月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

登録名の「Hulk」は、フッキが少年時代に愛読していたアメリカン・コミック超人ハルク(The Incredible Hulk)』の主人公ハルクのことで、フッキの母親によって付けられたニックネームである。ブラジルでは「Hulk」を[ˈʁuwki][1]「フウキ」のように発音するが、ポルトガルでは[ˈuɫk][2]「ウルク」に近い発音となる(なおポルトガル語では通常子音の h は発音しない)。日本時代の登録名「フッキ」は、2005年の初来日の際、川崎フロンターレのスタッフが「(ウルクでは)読みにくいから、Hも読もう」と登録名にしたのが始まり[3]。ポルトガル移籍以降は日本語メディアで「ウルク」と表記されることもある。

目次

経歴編集

ヴィラノヴェンセFCポルトガル)のジュニアユースなどを経て、16歳でECヴィトーリアとプロ契約。

Jリーグ時代編集

2005年2月、川崎フロンターレレンタル移籍し18歳で来日。ブラジル時代は主に中盤のポジションでプレーし、川崎でも当初はミッドフィールダー登録でC契約選手であった。当時はジュニーニョマルクスアウグストと3人の外国人選手がいたため出場機会に恵まれなかったが、彼らが欠場した試合では結果を残した。

2006年に川崎へ完全移籍した上でJ2コンサドーレ札幌へレンタル移籍、リーグ2位の25得点を挙げる。翌2007年は同じくJ2の東京ヴェルディ1969へレンタル移籍し、リーグ42試合出場で37得点(J2歴代最多タイ=2004年にジュニーニョが記録)と前年度を上回り、東京VのJ1昇格に貢献する。

2008年に川崎へ復帰したが、開幕戦から結果を出すことができずチームも勝てない状態が続いた。さらには当時の監督・関塚隆と起用法などをめぐり対立、リーグ戦出場わずか2試合で、3月26日に川崎を退団。同年4月1日に、前年に所属していた東京Vへ復帰[4]。ここでもコンスタントに結果を出す一方、4月12日の第6節、FC東京との東京ダービーで累積警告で退場すると審判に対して不信感を持ち、移籍報道が出るなどして東京Vを退団しポルトガルのFCポルトへ移籍する[5]

FCポルト時代編集

フッキはヨーロッパに拠点を移してからの序盤は初出場でゴールを決めるが、その後はベンチを温める日が続いた。しかし2008年11月9日のポルトガルカップ4回戦のスポルティングCPとの試合において、0-1でリードされている展開で50mのドリブル突破から左足の弾丸シュートを決め、チームを勝利に導いたことで評価を覆し、レギュラーに定着する。

2008-09のポルトガルリーグでフッキは21試合出場でリーグ6位の8得点を挙げるだけでなく、同じチームでチーム得点王の9得点のFWルイス・ゴンサレスやCLで6得点のFWリサンドロ・ロペスなどのアシストをするなど、チームプレーもこなすようになった。UEFAが選出する、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09の「トップ10・ライジングスターズ(注目の若手10選手)」にも選出された[6]

2009年12月20日SLベンフィカ戦の試合後にフッキらFCポルトの5選手がスタジアム警備員への暴行を働くという出来事が起き、フッキに対してポルトガル国内の公式戦への無期限の出場停止が言い渡された。翌2010年2月19日、ポルトガルリーグ規律委員会は正式に4か月(期限は4月20日迄)の出場停止処分を科したと発表した[7]。しかし、ポルト側はポルトガルリーグ司法委員会に上訴し3月25日、3試合の出場停止とする判断に変更された。これを受けてリーグのエルミニオ・ルレイロ会長が辞任し、またポルト側はリーグへの賠償金請求を検討していると報道された[8]

2010-11シーズンはラダメル・ファルカオと2トップを組み開幕から得点を量産し、ヨーロッパリーグプレーオフのヘンク戦でハットトリックを達成するなど、フッキも開幕からの公式戦16試合で16得点を記録し2010年9月から2011年1月まで、5ヶ月連続でスーペル・リーガの月間最優秀選手に選ばれた。5ヶ月連続受賞、6度の受賞はともにポルトガル新記録となった。最終的にリーグでは26試合で23得点13アシストを挙げ、得点王を獲得した。またヨーロッパリーグでも8得点4アシストの活躍をみせ、ポルトの国内外3冠に貢献した。

FCゼニト・サンクトペテルブルク時代編集

2012年9月3日、ロシアサッカー・プレミアリーグFCゼニト・サンクトペテルブルクに5年契約で移籍した[9]

2015年2月17日、フッキはゼニトと2017年まで契約を結んでいたが、2年間の契約延長に合意した。ゼニトとの契約は2018-19シーズンが終了する2019年6月30日までとなる[10]

上海上港編集

2016年6月29日、フッキは中国スーパーリーグ上海上港へ移籍することで合意したと発表した。移籍金は5600万ユーロ(約63億7000万円)と報道された。背番号は「8」番に決まった。しかしデビュー戦で早々負傷し離脱したこともあり、7試合4得点と1年目は期待外れの結果に終わった。

2017年、FCポルト、ゼニトで師事したアンドレ・ビラスボアスが監督に就任。ダリオ・コンカの退団で背番号「10」番に変更するとフッキも本領を発揮する。圧倒的な個人能力を武器にリーグ戦17得点でリーグベスト11に導き、ACLでも11試合9得点を記録しクラブのベスト4進出に貢献した。

その一方で個人能力の高さ故に、チームメイトにパスせず、強引にシュートに持ち込むプレーが目立ち、批判もされた。2018年、ビラスボアスが辞任、後任監督にはFCポルトで師事したヴィトール・ペレイラが就任。フッキはキャプテンに就任した。

ブラジル代表編集

 
2014 FIFAワールドカップに出場したフッキ

2009年10月、ブラジル代表に初選出され、11月14日ドーハでのイングランドとの親善試合で代表デビューを果たした。

2012年5月26日のデンマークとの親善試合で代表初得点となる先制点を挙げるともう1得点も加え、全3得点に絡む活躍をみせた[11]

人物・エピソード編集

  • ブラジル代表に初招集された際の監督であるドゥンガはフッキのことを高く評価しており、ロナウドの後継者になりうると評している[12]
  • 東京ヴェルディ時代のチームメートであった平本一樹に、チームをハチャメチャにした男と評されている[13]
  • ミズノのスパイク「モレリアneo」を使用している。[14]
  • 東北地方太平洋沖地震の3日後、3月14日UDレイリア戦の終了間際にPKを獲得し、自らキッカーとなり得点を決めた。その直後、フッキはゴールを祝福することもなく静かにテレビカメラへと歩み寄り、ユニフォームをめくり上げ「日本、私の心は泣いている。我々は皆さんとともにある。ともに戦おう」というメッセージを送った。[15]
  • 2011年6月には出身地のカンピナグランデに、自身の頭文字と背番号を組み合わせた「H12」という名のサッカースクールを設立した[16]
  • ブラジル代表に選出される以前にポルトガル代表入りのオファーを受けたことがあるが、断ったことを明かしている[17]
  • 2012年11月5日、妹がブラジルで誘拐されるという事件が起きたが[18]、翌日無事に解放された[19]
  • 当該選手を応援する観客は、ニックネームに由来するコミックキャラクターを模したカラーペイントで全身を緑色に塗ったり、キャラクターの厳めしいゴムマスクなどを被って観覧、鼓舞する姿などが国際映像のカメラに映り、配信されている。
  • 白血病を患っているFCゼニト・サンクトペテルブルクサポーターである少年のために、自ら街の中で踊り、募金活動を行った[20]

個人成績編集

クラブ編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2004 ヴィトーリア セリエA
2005 セリエB
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 川崎 19 J1 9 1 1 0 2 2 12 3
2006 札幌 10 J2 38 25 - 3 1 41 26
2007 東京V 9 42 37 - 0 0 42 37
2008 川崎 11 J1 2 0 0 0 - 2 0
東京V 9 11 7 3 1 - 14 8
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
2008-09 ポルト 12 SP 25 8 1 0 7 1 33 9
2009-10 19 5 0 0 3 2 22 7
2010-11 26 23 3 1 7 4 36 28
2011-12 26 16 2 1 1 0 29 17
2012-13 3 2 - - 3 2
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
2012-13 ゼニト 29 プレミア 18 7 3 1 - 21 8
2013-14 7 24 16 0 0 - 24 16
2014-15 28 15 2 0 - 30 15
2015-16 27 17 4 2 - 31 19
通算 ブラジル セリエA
ブラジル セリエB
日本 J1 22 8 4 1 2 2 28 11
日本 J2 80 62 - 3 1 83 63
ポルトガル SP 99 54 6 2 18 7 123 63
ロシア プレミア 97 55 9 3 - 106 58
総通算 298 179 19 6 23 10 340 195
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2008-09 ポルト 12 - 10 0
2009-10 - 8 3
2010-11 15 5 -
2011-12 2 0 6 4
2012-13 ゼニト 29 4 2 5 1
2013-14 7 - 10 5
2014-15 - 10 3
2015-16 - 7 4
通算 UEFA 21 7 56 20
その他の国際公式戦

年表編集

代表編集


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
2009 2 0
2010 2 0
2011 6 0
2012 10 6
2013 12 2
2014 9 1
2015 2 2
通算 43 11

代表での得点編集

獲得タイトル編集

クラブ編集

ポルト
ゼニト・サンクトペテルブルク

代表編集

ブラジル代表

個人編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ O Natal na ESCOLA de futebol do HULK TV Itararé
  2. ^ Maicon: «Hulk e Moutinho? Porto é Porto!» Televisão Independente (TVI)
  3. ^ ワールドサッカーダイジェスト2009年11月5日号[要ページ番号]
  4. ^ この時のフッキの移籍金はJリーグ最高額の5億円と報道された。
  5. ^ FCポルト公式サイトでのプレスリリース 2008年7月26日付(英語)
  6. ^ UEFA.com (2009年3月9日). “Top ten rising stars”. 2011年6月21日閲覧。
  7. ^ FootballWeekly (2010年2月20日). “フッキに4カ月の出場停止処分”. 2011年6月21日閲覧。
  8. ^ FootballWeekly (2010年3月25日). “フッキの処分軽減で、リーグ会長辞任”. 2010年9月3日閲覧。
  9. ^ Goal.com (2012年9月4日). “ゼニト、フッキ獲得を発表”. 2012年9月4日閲覧。
  10. ^ ブラジル代表のフッキがゼニトと2019年までの契約延長で合意 soccerking 2015年2月17日
  11. ^ SOCCER KING (2012年5月27日). “ブラジルがデンマークから3発快勝…フッキが全得点に絡む活躍”. 2012年5月27日閲覧。
  12. ^ SOCCER KING (2011年6月20日). “ブラジルの伝説的FWロナウドの後継者は元Jリーガーのフッキ?”. 2011年6月21日閲覧。
  13. ^ 「懐かしの名(迷!?)選手、覚えてますか? 平本一樹&飯尾一慶×菅原 智&冨樫剛一コーチ 歴代外国籍選手番付」、『Jリーグサッカーキング』、朝日新聞出版東京都、2010年12月、 36頁。
  14. ^ ミズノホームページ・プレイヤー
  15. ^ 元Jリーガーのフッキがメッセージ「私の心は泣いている」
  16. ^ SOCCER KING (2011年6月16日). “元Jリーガーのフッキが出身地にサッカースクールを開校”. 2011年6月21日閲覧。
  17. ^ Goal.com (2011年10月12日). “フッキ:「ポルトガル代表のオファーを断った」”. 2011年10月12日閲覧。
  18. ^ Goal.com (2012年11月6日). “フッキの妹がブラジルで誘拐か”. 2012年11月7日閲覧。
  19. ^ Goal.com (2012年11月7日). “誘拐のフッキ妹が無事に解放される”. 2012年11月7日閲覧。
  20. ^ Goal.com (2015年9月25日). “フッキがロシアの街並みでサプライズ フッキがロシアの街並みでサプライズ”. 2015年9月25日閲覧。

外部リンク編集