チャイニーズタイペイ
チャイニーズタイペイ(英語: Chinese Taipei、フランス語: Taipei chinois、繁体字中国語: 中華台北、IOCコード:TPE)は、オリンピックをはじめとした国際スポーツや国際機関などの国際的な場で中華民国(台湾)を示す呼称として用いられる。国際連合における中国の代表権を失い、事実上追放されるなど外交的孤立に追い込まれていく1970年代以降、同国が国際社会に参加するため、妥協として主権・国家承認問題を棚上げしたもの。
チャイニーズタイペイ | |
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![]() チャイニーズタイペイオリンピック委員会のエンブレム | |
各種表記 | |
繁体字: | 中華臺北/中華台北 |
簡体字: | 中华台北 |
拼音: | Zhōnghuá Táiběi |
日本語漢音読み: | ちゅうかたいほく |
日本語慣用読み: | ちゅうかタイペイ |
中華民国政府が中国全土を代表するという建前により「台湾」の名称を使えない一方で、実際に中華民国が中国全土を実効支配していないことなどから「中華民国(Republic of CHINA)」も国際社会で受け入れられなくなったこと、中華人民共和国が主張する「一つの中国」論との関係により「中華民国」と「台湾」のいずれの名称も用いることができないことが背景にある。
最初にこの名称が使われたのは、台北市に本部を置く台湾の国内オリンピック委員会(NOC)「中華奧林匹克委員會」の英文名称とオリンピックの参加名義としてである。
オリンピック方式 編集
「中華民国」ではなく「Chinese Taipei(中華台北)」名義を用い、国旗である青天白日満地紅旗を使用せずに国際的な場に参画することを奧會模式(オリンピック方式またはオリンピック委員会方式、Olympic model, Olympic Protocol[1])と称する。オリンピックでは国旗の代わりにオリンピック委員会旗を使用する。入場などの順序はNOC名簿の排列とIOCコード「TPE」により「T」グループとして扱う[2][1]。これにより「C」グループに属する中華人民共和国とは離れる。
その後、アジア太平洋経済協力(APEC)、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)へのオブザーバー参加、世界貿易機関(WTO)での加入名義の略称、経済協力開発機構(OECD)の一部委員会への参加など、国際機関(政府間組織)でも用いられるようになった。オリンピック以外の国際競技大会や国際的な民間組織でも、オリンピック方式で参加している事例がある。
オリンピック委員会旗 編集
チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗(中華奧林匹克委員會旗)は、その意匠から梅花旗と呼ばれることがあり、オリンピックやアジア競技大会に中華民国の選手が「中華台北代表」として出場する際に中華民国の国旗の代わりに使用、掲揚される。
白地の旗で、国旗に使われる青白赤で中華民国の国花(中華民國國花)である梅をかたどり、その中に中華民国の国章(青天白日の紋章)とオリンピックシンボルである五輪をあしらったオリンピック委員会のエンブレムを中央に配置している。大会の表彰式などでは中華民国国旗歌が演奏される。
チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗は、オリンピックと直接関係しない大会でも使用される場合がある。バレーボール世界選手権、ワールドベースボールクラシックなどの例がある。
総合競技大会・個別競技の統括団体の旗 編集
パラリンピックやデフリンピック、ユニバーシアードといった特定の人々のための総合競技大会や、個別競技の統括団体・代表チームの旗・エンブレムも、多くがオリンピック委員会旗と共通するデザイン要素を有している。チャイニーズタイペイオリンピック委員会ウェブサイト内のページ[3]に各競技の統括団体のエンブレムとそれぞれのサイトへのリンクがまとめられている。
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中華民國殘障運動體育總會(チャイニーズタイペイパラリンピック委員会)の旗
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中華民國聽障者體育運動協會(中華民国ろう者スポーツ協会)の旗(デフリンピック)
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中華民國大專院校體育總會(チャイニーズタイペイ大学スポーツ連盟)の旗(ユニバーシアード)
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2006年まで使用された中華民国サッカー協会の旗
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中華民國排球協會(中華民国バレーボール協会)の旗
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チャイニーズタイペイeスポーツ代表チームの旗
オリンピックにおける両岸問題 編集
中華民国におけるオリンピック委員会の歴史は、1922年に上海に創設された「中華業餘運動聯合會(China National Amateur Athletic Federation=中華アマチュアスポーツ連合会)」が、同年パリで行われた国際オリンピック委員会 (IOC) 年次総会でNOC「中國奧林匹克委員會(China Olympic Committee=中国オリンピック委員会)」として認められたことに始まる。この時聯合會主席で外相などの要職を歴任した王正廷がIOC委員に就任した。1924年に中華業餘運動聯合會は中華全國體育協進會に改組した。1932年ロサンゼルス、1936年ベルリン、1948年ロンドンの3大会では、中国代表選手はこの体制の下で参加した。
国共内戦の結果、1949年、中国大陸に中華人民共和国が成立し、中華民国政府は台北に逃れた。1951年に「中国オリンピック委員会」は台湾に移転したと通知され、IOCに認められた。中華人民共和国の首都・北京には中華全国体育総会が設立され、「中国オリンピック委員会」としての活動を始めた。1952年のヘルシンキオリンピックでは、台湾海峡両岸双方の参加が決まったが、台北側がこれに反発して参加を取りやめた。開催国フィンランドは1950年1月13日に中華人民共和国を承認している[4]。
1954年にはアテネで開かれたIOC総会で二つの「中国オリンピック委員会」がともに承認された。1956年のメルボルンオリンピックでは、中華民国が国旗・青天白日満地紅旗を掲げて参加することに抗議して、中華人民共和国が直前に参加を取りやめた。1958年には北京のオリンピック委員会が「二つの中国」をつくる動きに抗議するとして、IOCと複数の主要な国際競技連盟(IF)を脱退、関係断絶を宣言した。IOCに不満を持つ国々と共に独自に新興国競技大会も行った。
1959年5月28日IOC総会で、台北のオリンピック委員会について全中国を代表・統括していないとして、「中国オリンピック委員会」名義で承認し続けることはできないとの決議が採択された。台北のオリンピック委員会はこれを受けて即座に名称を「中華民國奧林匹克委員會(Republic of China Olympic Committee)」と改め、IOCに申請した。IOCは1960年にこれを認めたものの、試合では「台湾(Taiwan)」または「フォルモサ(Formosa)」の名義を使用することを求めた。台北側はこれら台湾名義の使用を受け入れず、同年のローマオリンピックでは「Formosa」の呼称が使われたことに対して入場式で抗議を行っている。1964年東京オリンピックには「Taiwan 中華民国」名義で、1968年メキシコシティーオリンピックには「Taiwan」名義で参加した。
1968年、IOCでは中華民国の英語表記Republic Of Chinaの略称であるR.O.C.という名称を使うことで一応の決着を見た。冬季大会初参加となる1972年札幌オリンピックでは「中華民国」名義で、同年のミュンヘンオリンピック、1976年の冬季大会インスブルックオリンピックでは「Republik China(中華民国)」名義で参加した。
1971年、国際連合総会が中国の唯一の合法的代表は中華人民共和国であり「蔣介石の代表」を即時追放するという内容の国連総会決議2758(アルバニア決議)を採択したことにより、中華民国は国際連合脱退を宣言した。1970年にカナダと国交を樹立したことをはじめとして、中華人民共和国は西側諸国との関係改善を続け、中華民国とこれらの国との国交断絶が相次いだ。
こうした動きに対応するため、1973年に台北のオリンピック委員会は日本の日本スポーツ協会に相当する「中華民國體育協進會」を分離して「中華奧林匹克委員會」に改組した。一方、1975年4月、北京側はIOCに復帰を申請した。この復帰申請は書類不備を理由に棚上げされたが、国連と同様に一国一代表の前提に立ち、台湾追放を条件(「国連方式」)としていたために難航した。「中国復帰問題」は当時のIOCと国際スポーツ界における最大の懸案の一つとなった。
1976年のモントリオールオリンピックで、開催国のカナダは、「R.O.C.=中華民国」の呼称とその国旗である青天白日満地紅旗を使う限り、台湾からの選手団を受け入れられないとの方針をとった。IOCは1969年に交わした取り決めに反するとして非難したが、カナダは態度を変えず、この問題によりモントリオール開催の中止も検討された。IOCが示した「台湾」という呼称を使い、五輪旗を掲げる妥協案を台北の中華奧林匹克委員會(R.O.C.オリンピック委員会)は受け入れず、アメリカでカナダ入国を待っていた選手団を呼び戻した。
中華人民共和国側はIOCとIFへの復帰交渉を通じて、段階的に譲歩した。「国連方式」を断念し、台湾除名の主張を撤回、台湾を含む統一チームでの参加を主張して態度を軟化させた。最終的には「中国の一地域」という前提で台湾を別個のチームとすることを認めた。
1979年10月25日、名古屋で開かれたIOC理事会の決議で、台北の中華奧林匹克委員會が「Chinese Taipei Olympic Committee」の名称のもと、旗・歌についてはそれまでのもの(中華民国の国旗・国歌)と異なるIOCが認めたものを使うという条件で残留し、中華人民共和国が「Chinese Olympic Committee(中国奥林匹克委员会=中国オリンピック委員会)」の名義で国旗五星紅旗と国歌義勇軍進行曲を使用してオリンピックに復帰することが認められた(名古屋決議)。
その後、現行のシンボルや他のNOCとの対等な権利・地位、IOCや関連IFでの会員資格の保証が認められたことにより、1981年3月23日、ローザンヌで行われたIOCとの協議の結果(ローザンヌ協定[5])、中華奧林匹克委員會は英文名称・旗・エンブレムの変更を受け入れた。
1984年のサラエボ(冬季)・ロサンゼルス(夏季)両大会から、台湾海峡両岸の選手団が共にオリンピックに参加するようになった。
Chinese Taipeiの中国語名称については、台北側が主張する「中華台北」にするか、北京側の主張する「中国台北」にするかをめぐり、1989年になるまで結論が出なかった。1990年アジア競技大会をはじめとする北京で開催される複数の国際大会を控えてとりまとめる必要があった。1989年4月6日、チャイニーズタイペイオリンピック委員会秘書長(事務局長)李慶華と中国オリンピック委員会主席(会長)何振梁が香港で行った協議で、台湾のスポーツ団体の中国語名称を「中華台北」とすることで合意した。同月20日に開会したアジアユース体操選手権大会に参加するためにチャイニーズタイペイ代表選手が初めて北京に向かったことで、台湾海峡両岸のスポーツ直接交流が始まった。
呼称問題 編集
Chinese Taipeiを中国語でどう表記するかは政治的にデリケートな問題である。
チャイニーズタイペイオリンピック委員会の名称は、対外名称である英語名称はChinese Taipei Olympic Committeeとされるが、国内向けの中国語名称では「台北」の文字を使わず「中華奧林匹克委員會」としている。他の競技統括団体では、オリンピック委員会同様、英語名称にChinese Taipeiを使うが、中国語名称を「中華民國○○協會」としている場合が多い。
台湾では代表チームを「中華隊(隊=チーム)」と呼ぶのが一般的である。台湾本土化を支持する泛緑系のメディア(自由時報など)では「台湾隊」という呼称を使用している。
翻って中国大陸では試合会場などの公式な場では「中華台北」を使用する一方で、報道などでは「中国台北」と呼ぶべきであるとされた[6]。大陸では同じ文脈で香港を「中国香港」、マカオを「中国澳門」と呼ぶ。公式・対外的な場で中国語での呼称として「中国台北」が使われた場合には、台湾側が抗議を申し入れたことがある。
北京オリンピック直前の2008年7月、台湾側がこの呼称問題により、開会式・大会のボイコットを示唆したこと[7]を受けて、大陸側も譲歩し新華通訊社、華僑向けの中国新聞社(中新社)といった国営通信社をはじめ、大陸メディアの配信記事にも「中華台北」の名称が見られるようになった。北京オリンピック以前、「中華台北」という名称がメディアによって使われたのは、香港などに限られた。ただし香港においても大公報・文匯報といった大陸系メディアは「中国台北」を使った。
北京側の「中国台北」への回帰 編集
中華民国外交部は、Chinese Taipeiを中華台北と訳すべきであるとしている。2008年、中華人民共和国国務院台湾事務辦公室(国台辦)のスポークスパーソン楊毅はこれに対し、「中国台北」も「中華台北」もChinese Taipeiの中国語訳であり、オリンピック委員会の取り決めは、その範囲外で大陸の組織団体・個人が「中国台北」を使う権利には及ばず、「中国台北」は台湾の矮小化だとの指摘は当たらないと説明した[8]。同時に楊は、北京オリンピック組織委員会の文書などでは、台湾のスポーツ団体・組織を指す場合「中華台北」の表記に統一されているとした。
2016年5月に蔡英文総統が就任してからしばらくの間は「中華台北」の呼称に変更はなかったが、中華人民共和国政府と中華民国政府との間に九二共識について意見の隔たりが出てくると、両者の関係は緊迫し、中国大陸のメディアは再び「中国台北」を使うようになった。
新華社が出した《新華社新聞信息報導中的禁用詞和慎用詞(2016年7月修訂)》(報道における使用禁止用語と要注意用語〈2016年7月修訂〉)の66番目の項目には「国でなくとも参加できる国際機関や経済貿易・文化・スポーツに関する民間の国際組織の中の台湾の組織は『台湾』または『台北』と呼んではならず、『中国台北』『中国台湾』と呼称しなければならない。特殊な事情で『中華台北』を使う場合には事前に外交部と国台辦の指示を仰ぐこと」とある[9]という。
2017年4月、中国中央電視台など中国の官製メディアがスポーツ中継で台湾を「中華台北」でなく「中国台北」と呼ぶようになったことについて、中華民国行政院大陸委員会の張小月主任委員は「大陸メディアが一方的にわれわれの名称を(「中国台北」と)矮小化しているのを受け入れることは決してできない。台湾は断じて中国大陸の一部ではない。大陸側に正式に抗議する」と発言した[10]。
台湾での状況 編集
蔣介石・蔣経国政権時代、中華民国政府こそが中国全土を代表する正統政府であると主張していた。中華民国(建前上、中国全土)を代表するのに、台湾を称することはその正統性を脅かすこと(「法理独立」)に繫がる。そのため当時の中華民国には「台湾」や「フォルモサ」という名義・名称は受け入れられなかった。当時中華民国では民間団体であっても全国的なものの名称に「台湾」を使うことはできず、「中華民国」、「中国」または「中華」を使用しなければならなかった。
本省人である李登輝総統が政権基盤を固め始め、「來自台灣的總統(台湾から来た総統)」としてシンガポールを訪問し「務實外交(現実外交)」を展開するようになる1989年3月以降、状況に次第に変化が見られるようになる。
2007年4月、陳水扁総統は、台湾在外ビジネス団体の帰国訪問団との会見で「中華台北(チャイニーズタイペイ)」について「奇妙な名称」とし、オリンピックで台湾の名を使用できないことについて「歴史的な要素があり、また当時もさまざまな現実を考慮してのことだった」としながらも「不公平な待遇」と述べ、台湾への改称(台湾正名運動)に意欲を見せた[11]。
2008年4月、馬英九は総統就任を前に中央通訊社とのインタビューで世界保健機関(WHO)加盟問題について、「外交部は『中華台北』を用いるなと言うが、問題は『中華台北』以外の名称で(加盟に)成功したことがあるのか。『中国台北』というさらに受け入れがたい名称のほか、現在『中華台北』より適切な(参加可能な)ものがあるだろうか」と述べ、「中華台北(Chinese Taipei)」について国際社会で受け入れられる「適切な名称」であるとの認識を示し、台湾名義の使用は今後推進しないとの考えを述べた[12]。
2018年11月24日、東京オリンピック・パラリンピックにおける選手団名称を「台湾」に変更し、IOCへ申請する是非を問う国民投票が統一地方選挙と併せて行われた。結果、反対票が賛成票を100万票近く上回り、否決された。IOCは投票前に「チャイニーズタイペイ」は1981年の協定で台湾側も合意して決定した名称であり、その内容に反した名称の変更は外的勢力の干渉とみなすとして、名称変更を認めず、変更した場合には権利を停止または剝奪する可能性があると警告していた[13][14]。台湾のNOCである中華オリンピック委員会は国民投票を政治行為であると位置付け、(「台湾」への名称変更は)IOCとの協定を破ることになり、オリンピック参加資格が停止される可能性を指摘した。また、オリンピックの独立参加選手団として参加した場合、コーチなどのバックアップを受けられないため不利であるとし、出場資格を守るために断固反対する、と反対投票を呼び掛けた[15]。
2021年8月10日、台湾のシンクタンクである台湾制憲基金会が台湾で実施した世論調査の結果を発表し、東京オリンピックで中華民国(台湾)の「国名」を使用できなかったことを「遺憾」とした回答が82.5%だった[16]。台湾は、東京オリンピックでこれまで通り「チャイニーズタイペイ」の名称で参加したが、同調査によると65.1%の人が「台湾」と呼んでおり、「チャイニーズタイペイ」と呼んでいた人は25.7%だった[17]。中華民国の国旗や中華民国国歌を使用できないことを残念に感じている人は80%以上に上った[17]。
日本語での取り扱い 編集
日本語では、公式の場面では「チャイニーズタイペイ」「中華台北」も用いられるが、それ以外では単に「台湾」と表記されることが多い。
2021年7月23日に行われた東京オリンピックの開会式の台湾選手団の入場行進は、プラカードの表記は英語と日本語ともに「チャイニーズタイペイ」で、NHKが放映していた国際映像も字幕は「CHINESE TAIPEI」だったが、開会式を生中継していたNHKの特別番組で司会を担当した和久田麻由子は「チャイニーズタイペイ」選手団を「台湾です」と紹介した[18][19][20][注釈 1]。台湾ではチャイニーズタイペイの呼称に反発があるため、台湾メディアは「台湾に誇りの瞬間をもたらした」と歓迎しており、一方、中国共産党機関紙『人民日報』傘下の『環球時報』は「(NHKは)公共放送として『一つの中国』を損なうような報道はすべきでない」と反発している[19][21]。
使用例 編集
スポーツ 編集
- 国際オリンピック委員会 (IOC) [1]
- 国際パラリンピック委員会 [2]
- 国際大学スポーツ連盟(ユニバーシアード)[3]
- 国際アイスホッケー連盟 (IIHF) [4]
- 世界空手道連盟 (WKF) [5]
- 国際剣道連盟 (FIK) [6]
- 国際サッカー連盟 (FIFA) [7]
- 国際自転車競技連合 (UCI) [22]
- 世界シャンチー連合会 (WXF)
- 国際柔道連盟 (IJF) [8]
- 国際ソフトボール連盟 (ISF)
- 国際綱引連盟 (TWIF) [9]
- 国際テニス連盟 (ITF)
- 国際バスケットボール連盟 (FIBA) [10]
- 国際バドミントン連盟 (IBF) [11][リンク切れ] (PDF)
- 国際バレーボール連盟 (FIVB) [12]
- 世界野球ソフトボール連盟(WBSC)
- ワールド・ベースボール・クラシック (WBC) [13]
- ワールドラグビー (WR) [14]
国際機関 編集
- 経済協力開発機構 (OECD) [15]
- アジア太平洋経済協力 (APEC) [16]
ミス・コンテスト 編集
- ミス・アース [17]
- ミス・インターナショナル [23][18]
- ミス・ユニバース … 台湾代表の名称の変遷がWikipedia中国語版「環球小姐」にまとめられている。
同趣旨で用いられる名称 編集
- 中国台北 (Taipei, China)
- アジア開発銀行 [19][20]
- 中華民国は創設以来のメンバーだったが、1986年に中華人民共和国が加盟した際、「中国台北」名義に変更された。これに抗議して中華民国側は1986年、1987年の総会をボイコット、1988年のマニラ総会から復帰、1989年には北京総会に出席。
- 台澎金馬個別関税領域 (Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu)
- 世界貿易機関 [21]
- 日本語には「台湾・澎湖・金門・馬祖独立関税地域」などと訳される。英文略称として「TPKM」以外に「Chinese Taipei」も使われる。中華民国は、前身であるGATTの1948年創設時のメンバーだったが、1950年に脱退し、国連脱退までオブザーバー参加を続けた。1990年GATT復帰を申請する際、「政治問題化するのを避けるため」として、この名称を使用した。申請から12年後の2002年に加盟。
- 台湾(中華民国)の国民が作成した著作物が日本の著作権法により保護されるかどうかについて、台湾が「台湾、澎湖諸島、金門及び馬祖から成る独立関税地域」としてWTO協定に加入し、これにより著作権を含む知的財産権を保護するTRIPS協定が台湾について効力が生じているため、日本においても保護される旨日本の裁判所で判示されている。
- 「台澎金馬」は、中華民国の実効支配地域としての「台湾地区」「中華民国自由地区」を指す名称として、民間で使われることもある。例えば東立出版社が出版する日本漫画の翻訳本には、販売を台湾地区に限定する旨「僅限台澎金馬地區發行販售」と注記されている。ただし併記されている英文では「TAIWAN」となっている。
- 中国台湾省 (Taiwan, Province of China)
- 国際標準化機構
- ISO 3166-2:TWは「中国台湾省」と登録されている[24]。また「中華人民共和国台湾省」としてはCN-71で登録されている。台湾ではISOに修正を求める運動が起きている[25]。
- 世界保健機関
- 台北経済文化代表処
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- 中華民国(台湾)が国交のない国に設置し、実務関係を処理する窓口機関(在外代表部)。名称は一定しないが多くの場合「台北」を冠する。
脚注 編集
注釈 編集
- ^ 2020東京オリンピックの開会式では、50音順の入場順で大韓民国の直後、チャイニーズタイペイではなくタイペイ、または台湾(たいわん)の位置となった。
出典 編集
- ^ a b 洛桑協議及奧會模式(中華奧林匹克委員會)
- ^ 奧會模式(教育部體育署)
- ^ 中華奧林匹克委員會--承認協會
- ^ 中国同芬兰的关系(中華人民共和国外交部)
- ^ 「【中国時報】市民団体と選手対立 「台湾」巡る国民投票で」(琉球新報)
- ^ 关于正确使用涉台宣传用语的意见 - ウェイバックマシン(2017年8月21日アーカイブ分)(中共潍坊市委台湾工作办公室 潍坊市人民政府台湾事务办公室)
- ^ 『台湾週報』2008年7月11日「台湾の北京五輪参加登録名「中華台北」が「中国台北」へと変更されたことに抗議」(2009年3月17日時点のアーカイブ)
- ^ 国台办:“中国台北”称谓不是矮化台湾(新快报)
- ^ 新華社發佈報導禁用詞:「中華民國、台灣政府」通通不准用,「九二共識」不可提「一中各表」(風傳媒 2017年7月20日)
- ^ 中國官媒稱台灣「中國台北」 張小月:正式提出抗議(台湾『蘋果日報』 2017年4月17日)
- ^ 『台湾週報』2007年4月24日「陳水扁総統が「台湾」の名で国際社会に進む重要性を強調」(2009年3月17日時点のアーカイブ)
- ^ 『台湾週報』2008年4月7日「馬英九・次期総統:「中華台北」名義でWHOオブザーバー参加を」(2009年3月17日時点のアーカイブ)
- ^ “IOCが再度書簡「外的勢力の干渉禁じる」 五輪名義めぐる国民投票で/台湾”. 中央社フォーカス台湾. 2020年6月8日閲覧。
- ^ NHK NEWS WEB (2018年11月25日). “東京五輪 「台湾」名称で参加申請の住民投票は不成立”. 日本放送協会. オリジナルの2019年12月31日時点におけるアーカイブ。 2019年12月31日閲覧。
- ^ “「台湾」名義での東京五輪参加めぐる国民投票に反対票を=中華五輪委”. 中央社フォーカス台湾. 2020年6月8日閲覧。
- ^ “パリ五輪「台湾」で参加を 世論調査で「国名」なしに不満82%”. 毎日新聞. (2021年8月13日). オリジナルの2021年8月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “「私は台湾人」9割、「日本に好感」8割強―台湾世論調査”. Record China. (2021年8月13日). オリジナルの2021年8月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “NHK和久田麻由子アナ「台湾です」と紹介”. 日刊スポーツ. (2021年7月23日). オリジナルの2021年7月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “中国、米の五輪中継に抗議 「台湾抜き」地図表示で”. 時事通信. (2021年7月25日). オリジナルの2021年7月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “台湾、「チ」ではなくタイペイの「タ」で入場 東京五輪開会式”. 毎日新聞. (2021年7月25日) 2021年7月25日閲覧。
- ^ “环时锐评:睁大眼睛,阻止一些势力借东京奥运会舞台做手脚”. 環球時報. (2021年7月24日). オリジナルの2021年7月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ Union Cycliste Internationale(2012年12月17日時点のアーカイブ)
- ^ 2013ミス・インターナショナル世界大会 出場者一覧|ミス・インターナショナル(2014年2月8日時点のアーカイブ)
- ^ “ISO 3166 — Codes for the representation of names of countries and their subdivisions” (英語). ISO. 2018年1月29日閲覧。
- ^ Huang Sheng-feng (2015年8月3日). “It’s Time to Rectify Taiwan’s Country Codes”. Thinking Taiwan. 2015年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月9日閲覧。
- ^ “台湾がWHOに正式抗議、「中国台湾省」の表記に対し”. AFP通信. (2011年5月17日) 2015年12月9日閲覧。
- ^ “【解説】台湾はなぜWHOから排除されるのか? 今後の見通しは?”. AFP通信. (2020年5月19日) 2015年12月9日閲覧。
関連項目 編集
- 台湾の名称の一覧
- チャイニーズタイペイ オリンピック委員会
- 台湾問題
- 中華民国の在外機構の一覧 - 台北経済文化代表処
- 中国香港体育協会及びオリンピック委員会
- 中国マカオ体育及びオリンピック委員会
- 徐亨 (アスリート)
各競技代表チーム 編集
外部リンク 編集
- ウィキメディア・コモンズには、チャイニーズタイペイに関するカテゴリがあります。
- チャイニーズタイペイオリンピック委員会(中国語)(英語)
- 趙麗雲「『中華台北』會籍名稱使用事略」2001年11月 (國家政策研究基金會Webサイト)