メインメニューを開く

フェミナ賞: Prix Femina)は、フランスで最も権威のある文学賞の一つ。1904年に女性詩人アンナ・ド・ノアイユの提唱のもと、女性向け雑誌『ラ・ヴィ・ウールーズフランス語版(幸せな人生)』(後の『フェミナ』誌)の女性寄稿者22人により創設された。前年の1903年に設立されたゴンクール賞が事実上男性作家のみを対象としているのに対して[1]、女性作家にも贈られる賞であり、ゴンクール賞の性差別への抗議の意図も含まれていた。

その年で最も優れたフランス語の散文もしくは詩作品に贈られる。フランスにおいて、ゴンクール賞ルノードー賞メディシス賞アンテラリエ賞と共に、五大文学賞と呼ばれる。11月の第1週の水曜日に、パリのクリヨンホテルにて、12人の女性の審査員によって選定される。

フェミナ賞とゴンクール賞の結果発表がどちらが先となるかは激しい競争となり、発表を交互に行う協定が結ばれている[2]

目次

歴史編集

この賞は当初はアシェット・リーブル社の雑誌『ラ・ヴィ・ウールーズ』の名前から「ヴィ・ウールーズ賞」と呼ばれ、1904年12月4日に20名(ゴンクール賞の倍)の女性から成る審査員により初の授与が行われた[3]アンナ・ド・ノアイユ、カロリーヌ・ド・ブルテル(編集長)のほか、ピエール・ド・クールヴァン夫人、ジュリア・ドーデフランス語版アルフォンス・ドーデの妻)、ジャンヌ・メットフランス語版カチュール・マンデスの妻)、リュシー・フェリックス=フォール・ゴヨーフランス語版ジョルジュ・ゴヨーの妻)、リュシー・ドラリュー=マルドリュスフランス語版ジャンヌ・デュラフォアフランス語版、マリー・デュクロー、クロード・フェルヴァル、ジュディット・ゴーティエフランス語版アルヴェード・バリーヌフランス語版テレーズ・バンゾンフランス語版ジャンヌ・ロワゾーフランス語版、ジャンヌ・マルニ、ジョルジュ・ド・ペールブリューヌフランス語版、マルグリット・パラドウスカ、ガブリエル・レヴァル、セヴェリーヌフランス語版マルセル・ティナイエールフランス語版ジュリエット・アダムフランス語版ジャン・ベルトロワフランス語版であった。

1901年に雑誌『フェミナ』を創刊したピエール・ラフィットとアシェット社が連携し、1922年に「フェミナ賞」に改名し、審査員は12名とした[4]

ラ・ロシュフコー公爵家のエドメ・フリッシュ・ド・フェルス(エドメ・ド・ラ・ロシュフコーフランス語版)は数十年間に亘って合衆国広場8番地(16区)の邸宅のサロンにパリ中の文学・思想の名士たちを集め「アカデミー・フランセーズの控室」と評判となっており、彼女が長年フェミナ賞の審査員長を務めた。在任中の1953年には日本女性を主人公とした日系フランス人キク・ヤマタフランス語版の『麗しの夫人』を候補に推薦した[5]。娘のソランジュ・ファスケルフランス語版も生涯審査員を務めた。

フェミナ賞受賞作品一覧編集

フェミナ賞・外国小説賞受賞作品一覧編集

フェミナ賞・随筆 (評論) 部門受賞作品一覧編集

1998年まではフェミナ・ヴァカレスコ賞フランス語版という名称であった。

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集