ラファエル・マルケス (サッカー選手)
ラファエル・マルケス・アルバレス(スペイン語: Rafael Márquez Álvarez, 1979年2月13日 - )は、メキシコ・サモラ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。元メキシコ代表。現役時代のポジションはDF(センターバック)、MF(センターハーフ)。
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メキシコ代表でのマルケス(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ラファエル・マルケス・アルバレス Rafael Márquez Álvarez | |||||
愛称 | カイザー、アステカの皇帝、ラファ | |||||
ラテン文字 | Rafael Marquez | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
メキシコ スペイン | |||||
生年月日 | 1979年2月13日(45歳) | |||||
出身地 | サモラ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
アトラス | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1999 | アトラス | 77 | (6) | |||
1999-2003 | モナコ | 87 | (5) | |||
2003-2010 | バルセロナ | 163 | (9) | |||
2010-2012 | ニューヨーク・レッドブルズ | 44 | (1) | |||
2013-2014 | クルブ・レオン | 40 | (1) | |||
2014-2016 | エラス・ヴェローナ | 35 | (0) | |||
2016-2018 | アトラス | 58 | (1) | |||
通算 | 504 | (23) | ||||
代表歴 | ||||||
1999 | メキシコ U-20 | 4 | (2) | |||
1997-2018 | メキシコ | 146 | (19) | |||
監督歴 | ||||||
2022- | バルセロナB | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
2001年12月にメキシコの女優と結婚し、2人の子どもをもうけたが、2007年初頭に離婚している[1]。
クラブ経歴
編集CFアトラス
編集1996年、17歳の時にCFアトラスでキャリアをスタートさせ、CFアトラスでは77試合に出場した。
ASモナコ
編集1999年、移籍金600万ユーロでリーグ・アンのASモナコに移籍した。ASモナコのスカウトはチリ代表のパブロ・コントレラスを視察するためにコパ・アメリカに赴き、その試合でマルケスが活躍をしたことから、両者と契約を結んだ。マルケスはすぐに成功を収め、クラブをリーグ制覇に導いた。
FCバルセロナ
編集2003年、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍金500万ユーロで移籍した。FCバルセロナではかつてFWオラシオ・カサリンがプレーしており、クラブ史上2人目のメキシコ人選手となった。2003-04シーズンはリーグ戦21試合に出場し、リーグ戦は2位で終えた。2004-05シーズン途中にはティアゴ・モッタ、エジミウソン、ジェラール・ロペスなど中盤の底を務めていた選手が相次いで離脱したため、本来のポジションであるセンターバックではなく守備的ミッドフィールダーとして起用されたが、チームは17度目のリーグタイトルを獲得した。レバンテUD戦ではリーグ優勝を決めるサミュエル・エトーの得点をアシストしている。2005-06シーズン終盤には左膝を負傷して1ヶ月の間チームを離脱したが、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝ACミラン戦ファーストレグで復帰した。2006年5月17日に行われたアーセナルFCとの決勝にも出場して2-1で勝利し、メキシコ人として初めて同大会優勝を果たした[2]。
2006 FIFAワールドカップ後、マルケスは2010年6月までの延長契約にサインした。2006-07シーズンに負傷したにも関わらず2007年夏には他クラブへの移籍が噂され、クラブでの未来は漠然としたものであった。コパ・アメリカ2007でトップフォームを取り戻し、大会有数のディフェンダーとして3位というまずまずの結果を得た。2007-08シーズンは素晴らしいスタートを切り、キャプテンのカルレス・プジョルの負傷離脱中は新加入のガブリエル・ミリートと強固な信頼関係を築いた。しかし、度重なる怪我によりフォームを崩した後半戦はほとんどチームに貢献できず、チームもビジャレアルCFに追い抜かれてリーグ戦3位に終わった。2008年夏にはアメリカのヒューストンで開催された「フリーキックマスターズ2008」という大会に出場し、ロナウジーニョ、リオネル・メッシ、ロマーリオら多くの名フリーキッカーを抑えて優勝し、優勝トロフィーと共に賞金100万ドル(約1億円)を獲得した。
2008年夏にロナウジーニョがACミランに移籍したことで、フランク・ライカールト前監督が就任時に獲得した選手の最後の生き残りとなったが、ジョゼップ・グアルディオラ新監督はマルケスへの信頼を示した。2008-09シーズンはプジョルとともにセンターバックのファーストチョイスであり、2008年12月13日のレアル・マドリード戦ではFCバルセロナでの公式戦通算200試合出場を達成した。2009年4月28日のUEFAチャンピオンズリーグ準決勝・チェルシーFC戦で左膝を負傷し、チームメイトより一足早くシーズンを終えた[3]。2008-09シーズンはリーグ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成する歴史的なシーズンであったが、マルケスはピッチの外から優勝を喜んだ。2009年夏にはセリエAのACFフィオレンティーナからオファーを受け取ったが[4]、FCバルセロナで選手生活を終えたいと主張して残留した[5]。2009年11月にはクラブとの契約を2012年まで延長した[6]。2010年2月20日、ラシン・サンタンデール戦で復帰後初得点を決めた。7月31日、クラブとの契約を解除してフリーの身になった。FCバルセロナで最も成功を収めた外国人選手のひとりであり、7シーズンの在籍期間中に12個のトロフィーを獲得している。242試合に出場して14得点したが、この試合数は外国人選手としてはクラブ史上8位、非欧州国籍選手としてはクラブ史上最多の記録だった[7]。
ニューヨーク・レッドブルズ
編集2010年8月2日、MLSのニューヨーク・レッドブルズと3年契約を結んだ[8]。マルケスはクラブにとって3人目の特別指定選手(Designated Player)であり、8月3日にティエリ・アンリとともにレッドブル・アリーナでお披露目が行われた。8月8日のシカゴ・ファイアー戦でMLSデビューを飾り、8月21日のトロントFC戦で初得点を決めた。10月21日にニューイングランド・レボリューションに勝利してイースタン・カンファレンス優勝を決めた[9]。
エラス・ヴェローナ
編集2014年8月4日、セリエAのエラス・ヴェローナに移籍することが所属元のクルブ・レオンから発表され[10]、8月7日にエラス・ヴェローナからも移籍が発表された[11]。
アトラスFC
編集2015年12月20日、古巣アトラスFCに復帰することが発表された[12]。
2018年7月自身のインスタグラムにて現役引退を発表した[13]。
代表経歴
編集1999年にはナイジェリアで行われたFIFAワールドユース選手権に出場し、グループリーグのU-20オーストラリア戦とU-20アイルランド戦で得点を挙げた。決勝トーナメントではルシアーノ・ガジェッティらを擁するU-20アルゼンチン代表に勝利したが、累積警告のために準々決勝のU-20日本代表戦には出場できず、チームも敗れた。
1997年2月5日のエクアドル戦でメキシコA代表デビューした。1998年の1998 FIFAワールドカップには招集されなかったが、同年のCONCACAFゴールドカップと1999年のFIFAコンフェデレーションズカップ1999では優勝を勝ち取った。
日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップでは23歳だったにもかかわらずハビエル・アギーレ監督からキャプテンを任され、メキシコ代表の4試合すべてに先発出場した。グループリーグでは力強いプレーを見せたが、アメリカとの決勝トーナメント1回戦ではレッドカードを受けて退場し、0-2で敗れてベスト16に終わった。
2006 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選では必要不可欠な選手であり、リカルド・ラ・ボルペ監督に選出されて本大会にも出場した。グループリーグ3試合すべてに出場し、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦では1-2で敗れたもののメキシコ唯一の得点を決めた。
2010 FIFAワールドカップでもキャプテンを務め、開催国の南アフリカ戦では79分に得点を決め、2-0で勝利したフランス戦ではハビエル・エルナンデスの先制点をアシストした。
2014 FIFAワールドカップのメンバーにも選出され、キャプテンとして4度目のワールドカップ出場を果たした。グループリーグ第3戦のクロアチア戦では自身3大会連続ゴールとなる先制点を挙げ、さらにエルナンデスのゴールをアシスト。大会選定のマンオブザマッチに選定される活躍で、メキシコの6大会連続の16強入りに貢献した。
FIFAコンフェデレーションズカップ2017のメンバーにも選出され、グループリーグ第2戦のニュージーランド戦に途中出場し、準決勝のドイツ戦にも途中出場した。3位決定戦となるポルトガル戦には先発出場し、延長106分までプレイした。
2018 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれた。グループリーグ初戦のドイツ戦に途中出場し、ワールドカップ5大会連続出場を記録した。これは、元メキシコ代表アントニオ・カルバハル、元ドイツ代表ローター・マテウス、元イタリア代表ジャンルイジ・ブッフォンに次ぐ4人目の偉業となった[14]。
監督経歴
編集個人成績
編集クラブでの出場記録
編集クラブ成績 | リーグ | カップ | 国際大会 | 通算 | ||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
メキシコ | リーグ | カップ | 北中米カリブ海 | 通算 | ||||||
1996-97 | CFアトラス | プリメーラ | 24 | 2 | — | — | 24 | 2 | ||
1997-98 | 20 | 1 | — | — | 20 | 1 | ||||
1998-99 | 33 | 3 | — | — | 33 | 3 | ||||
MON | リーグ | カップ | 国際大会 | 通算 | ||||||
1999-00 | ASモナコ | リーグ・アン | 23 | 3 | 2 | 0 | 6 | 0 | 31 | 3 |
2000-01 | 15 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 19 | 1 | ||
2001-02 | 19 | 0 | 3 | 0 | — | 22 | 0 | |||
2002-03 | 30 | 1 | 0 | 0 | — | 30 | 1 | |||
スペイン | リーグ | 国王杯 | ヨーロッパ | 通算 | ||||||
2003-04 | FCバルセロナ | ラ・リーガ | 22 | 1 | 6 | 0 | 3 | 0 | 31 | 1 |
2004-05 | 34 | 3 | 1 | 0 | 6 | 0 | 41 | 3 | ||
2005-06 | 25 | 0 | 4 | 1 | 8 | 0 | 37 | 1 | ||
2006-07 | 21 | 1 | 7 | 0 | 7 | 0 | 35 | 1 | ||
2007-08 | 23 | 2 | 5 | 0 | 8 | 0 | 36 | 2 | ||
2008-09 | 23 | 1 | 4 | 1 | 10 | 1 | 37 | 3 | ||
2009-10 | 15 | 1 | 3 | 0 | 5 | 0 | 23 | 1 | ||
アメリカ | リーグ | USオープン杯 | 北中米カリブ海 | 通算 | ||||||
2010 | ニューヨーク・レッドブルズ | MLS | 10 | 1 | 2 | 0 | - | 12 | 1 | |
2011 | 19 | 0 | 2 | 0 | - | 21 | 0 | |||
2012 | 15 | 0 | 2 | 0 | - | 17 | 0 | |||
メキシコ | リーグ | カップ | 北中米カリブ海 | 通算 | ||||||
2012-13 | クルブ・レオン | リーガMX | 13 | 0 | - | 1 | 0 | 14 | 1 | |
2013-14 | 25 | 1 | - | 7 | 0 | 32 | 1 | |||
2014-15 | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||||
イタリア | リーグ | イタリア杯 | ヨーロッパ | 通算 | ||||||
2014-15 | エラス・ヴェローナ | セリエA | 26 | 0 | 3 | 0 | - | 29 | 0 | |
2015-16 | 9 | 0 | 1 | 0 | - | 10 | 0 | |||
メキシコ | リーグ | カップ | 北中米カリブ海 | 通算 | ||||||
2015-16 | CFアトラス | リーガMX | 14 | 1 | - | - | 14 | 1 | ||
2016-17 | 23 | 0 | - | - | 23 | 0 | ||||
2017-18 | 21 | 0 | - | - | 21 | 0 | ||||
通算 | メキシコ | 135 | 8 | - | 8 | 0 | 143 | 8 | ||
フランス | 87 | 5 | 5 | 0 | 10 | 0 | 102 | 5 | ||
スペイン | 163 | 9 | 30 | 2 | 47 | 1 | 240 | 12 | ||
アメリカ | 44 | 1 | 6 | 0 | - | 50 | 1 | |||
イタリア | 35 | 0 | 5 | 0 | - | 39 | 0 | |||
総通算 | 504 | 23 | 46 | 2 | 65 | 1 | 615 | 26 |
代表での出場記録
編集[17] 国際Aマッチ 147試合 19得点(1997年- 2018年)
国際Aマッチ | ||
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年 | 出場 | 得点 |
1997 | 1 | 0 |
1998 | 0 | 0 |
1999 | 12 | 2 |
2000 | 10 | 2 |
2001 | 12 | 0 |
2002 | 7 | 1 |
2003 | 4 | 1 |
2004 | 8 | 1 |
2005 | 9 | 1 |
2006 | 6 | 1 |
2007 | 9 | 1 |
2008 | 6 | 1 |
2009 | 2 | 0 |
2010 | 11 | 1 |
2011 | 12 | 1 |
2012 | 2 | 0 |
2013 | 4 | 1 |
2014 | 9 | 3 |
2015 | 5 | 0 |
2016 | 7 | 2 |
2017 | 6 | 0 |
2018 | 5 | 0 |
通算 | 147 | 19 |
代表での得点
編集# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
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1. | 1999年2月5日 | 湾仔 | エジプト | 1 – 0 | カールスバーグ・カップ | |
2. | 1999年8月16日 | クサンティ | ギリシャ | 1 – 1 | 親善試合 | |
3. | 2000年2月13日 | サン・ディエゴ | トリニダード・トバゴ | 1 – 0 | 2000 CONCACAFゴールドカップ | |
4. | 2000年9月3日 | メキシコシティ | パナマ | 5 – 1 | 2002 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選 | |
5. | 2002年5月12日 | コロンビア | 2 – 1 | 親善試合 | ||
6. | 2003年7月24日 | コスタリカ | 1 – 0 | 2003 CONCACAFゴールドカップ | ||
7. | 2004年6月19日 | サン・アントニオ | ドミニカ国 | 0 – 3 | 2006 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選 | |
8. | 2005年9月7日 | メキシコシティ | パナマ | 2 – 0 | ||
9. | 2006年6月24日 | ライプツィヒ | アルゼンチン | 0 – 1 | 2006 FIFAワールドカップ | |
10. | 2007年3月28日 | オークランド | エクアドル | 2 – 2 | 親善試合 | |
11. | 2008年8月10日 | トゥストラ・グティエレス | カナダ | 2 – 0 | 2010 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選 | |
12. | 2010年6月11日 | ヨハネスブルク | 南アフリカ共和国 | 1 – 1 | 2010 FIFAワールドカップ | |
13. | 2011年6月12日 | シカゴ | コスタリカ | 1 – 0 | 2011 CONCACAFゴールドカップ | |
14. | 2013年10月30日 | サンディエゴ | フィンランド | 1 – 0 | 非公式試合 | |
15. | 2013年11月13日 | メキシコシティ | ニュージーランド | 5 – 0 | 2014 FIFAワールドカップ・大陸間プレーオフ | |
16. | 2014年4月2日 | グレンデール | アメリカ合衆国 | 2 – 1 | 親善試合 | |
17. | 2014年6月23日 | レシフェ | クロアチア | 0 – 1 | 2014 FIFAワールドカップ | |
18. | 2016年6月5日 | グレンデール | ウルグアイ | 2 – 1 | コパ・アメリカ・センテナリオ | |
19. | 2016年11月11日 | コロンバス | アメリカ合衆国 | 1 – 2 | 2018 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選 |
タイトル
編集クラブ
編集- ASモナコ
- リーグ・アン:1回 (1999-2000)
- トロフェ・デ・シャンピオン:1回 (2000)
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ:1回 (2003)
- FCバルセロナ
- リーガ・エスパニョーラ:4回 (2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:3回 (2005, 2006, 2009)
- UEFAチャンピオンズリーグ:2回 (2005-2006, 2008-2009)
- コパ・デル・レイ:1回 (2009)
- UEFAスーパーカップ:1回 (2009)
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2009)
- ニューヨーク・レッドブルズ
- MLSイースタン・カンファレンス:1回 (2010)
代表
編集- メキシコ代表
- FIFAコンフェデレーションズカップ:1回 (1999)
- CONCACAFゴールドカップ:1回 (2003)
個人
編集脚注
編集- ^ Adriana Lavat y Rafa Márquez firman divorcio por separado/
- ^ ウーゴ・サンチェスはレアル・マドリード時代に優勝を果たせなかった。
- ^ Crawford, Stephen (28 April 2009). “Barcelona Defender Rafael Marquez Out For The Season”. Goal.com. 27 July 2009閲覧。 “Barcelona centre-back Rafael Marquez has been ruled out for the rest of the season after suffering a knee injury in Tuesday night's Champions League clash with Chelsea.”
- ^ “Bueno, bonito y barato ” [Good, pretty and cheap ] (Spanish ). Fox Sports en Español (14 June 2009). 27 July 2009閲覧。 “Florentina ha mostrado su interés formal en el mexicano Rafael Márquez..." ["Florentina have formally demonstrated their interest in the Mexican Rafael Márquez...]”
- ^ “Marquez nears Barça return”. FIFA.com (26 July 2009). 27 July 2009閲覧。 “It would be my wish to retire at Barca. I'm very calm with regards the contract renewal. I know that we will arrive at an agreement, so it's only a question of time.”
- ^ “Marquez signs new Barca deal”. Ontheminute.com (1 December 2009). 1 December 2009閲覧。
- ^ “Adeu al viute estranger amb mes partits”. FCバルセロナ公式サイト (2010年8月1日). 2010年10月11日閲覧。
- ^ New York Red Bulls Sign Rafael Marquez World Soccer Reader.com、2010年8月2日
- ^ Red Bulls beat Revs, clinch Eastern Conference Archived 2010年10月23日, at the Wayback Machine.MLS Soccer.com、2010年10月21日
- ^ “メキシコ代表DFマルケスがヴェローナに移籍…4年ぶりの欧州復帰”. サッカーキング. (2014年8月5日) 2018年6月18日閲覧。
- ^ “ヴェローナがマルケス加入を正式発表、背番号4に”. Goal.com (2014年8月8日). 2018年6月18日閲覧。
- ^ 「メキシコ代表元主将のDFマルケス、17年ぶり古巣復帰が決定」『フットボールチャンネル』2015年12月21日。2018年6月18日閲覧。
- ^ 「メキシコ代表の39歳マルケスが現役引退…W杯5度出場、バルサなどで活躍」『サッカーキング』2018年7月23日。2018年9月23日閲覧。
- ^ “メキシコの英雄がW杯最多タイ記録…5大会連続出場”. 超ワールドサッカー (2018年6月18日). 2018年6月18日閲覧。
- ^ “ラファ・マルケス氏がバルサに帰還! Bチームの監督に2年契約で就任”. サッカーキング. (2022年7月14日) 2022年7月15日閲覧。
- ^ Soccernet player statistics
- ^ FMF player statistics