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上智大学 > 上智大学理工学部

上智大学理工学部(じょうちだいがくりこうがくぶ、英称:Faculty of Science and Technology)は、上智大学に設置される理工学部である。

概要編集

上智大学理工学部は、理工融合、文理融合を理念に、上智大学の特長である少人数教育により、科学技術者の養成を行っている[1]。学科としては、物質生命理工学科機能創造理工学科情報理工学科の3学科が置かれている[2]

1958年、上智大学創立50周年記念事業の一環として、理工学部の創設が計画された。もともとイエズス会の創始者であるイグナチオ・デ・ロヨラが作成した教育の規範「学事規定」には、自然科学を教育に組み込むよう記されており、16世紀府内(現大分市)に作られたイエズス会の高等教育機関であるコレジヨでも天球論などの自然科学教育が行われていた。上智大学では 1958年1月、当時の大泉孝理事長が理工学部開設計画を発表し、学内に設立準備委員会を設置。多額の費用を要する学部新設のため、学内外での募金活動が始まった。1961年1月に発足した理工学部設立後援会には、会長に経団連石坂泰三会長、世話人として吉田茂元首相や石川島播磨重工(現IHI)の土光敏夫社長など、日本の経済界の主導者が肩を並べた。この後援会から約2億円の寄付が寄せられた。また海外では、当時のクラウス・ルーメル理事長がヨーロッパで精力的な活動を行い、ローマ法王庁、イエズス会本部、ケルン教区、ドイツ連邦共和国などから多額の資金援助を受けた。とくにドイツの政府や民間から、資金と高額の機器や機械が寄贈された。そのため 1960年3月にドイツのアデナウアー首相が来学して、理工学校舎となる3号館校舎の敷地に鍬入れを行った[3]

こうして上智大学理工学部は1962年4月に開学。実験施設は 1962年に完成。円筒研削盤、工具研削盤、旋盤、単軸自動版など優秀な工作機械がドイツの重工業メーカー、クルップ社から寄贈された。そのため、この実験棟はクルップ・ホールと命名された。1965年に建設したマシンホールには、電気動力計5台を設置し、電気電子物理化学などの実験を要する学科にも最新鋭の装置が導入された[3]

理工学部は、工学理学の融合を目指し、機械工学科、電気・電子工学科、物理学科、化学科の 4学科で始まった。また語学教育の充実や国際的な視野をもち、教員と学生のきめ細かな指導体制が理念として掲げられた。この教育体制はその後も継続され、2008年、新たな 3学科体制(物質生命理工学科、機能創造理工学科、情報理工学科)になった後も堅持されている。1966年には大学院理工学研究科修士課程を設置し、機械工学専攻、電気・電子工学専攻、物理学専攻、化学専攻、応用化学専攻の5専攻を設けた。また 1968年には同専攻の博士課程を増設して、学部から大学院への一貫した教育体系を整備した。この理工学部の創設により、上智大学は文系理系学部を併せ持つ総合大学となった[3]

沿革編集

学科編集

  • 物質生命理工学科[4]
    • 入学定員125人・収容定員500人[4]
  • 機能創造理工学科[4]
    • 入学定員125人・収容定員500人[4]
  • 情報理工学科 [4]
    • 入学定員130人・収容定員520人[4]

著名な出身者編集

政治、行政編集

経済編集

マスコミ編集

研究編集

芸能編集

アナウンサー編集

その他編集

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ 理工学部上智大学
  2. ^ a b c d 本学の沿革と年譜上智大学
  3. ^ a b c 理工学部の創設 上智大学 2019年9月4日閲覧
  4. ^ a b c d e f [1]上智大学

外部リンク編集