寺内貫太郎一家

1974年放送のテレビドラマ

寺内貫太郎一家』(てらうちかんたろういっか)は、1974年TBS系列水曜劇場枠で放送され、平均視聴率31.3%を記録したテレビドラマ昭和の東京下町石屋を営む一家とそれを取り巻く人々との人情味溢れる毎日を、コメディータッチで描いた。向田邦子脚本、久世光彦プロデュース、小林亜星主演。1974年第7回テレビ大賞受賞作品[1][2]

寺内貫太郎一家
ジャンル テレビドラマ
脚本 向田邦子
出演者 小林亜星
加藤治子
西城秀樹
浅田美代子
伴淳三郎
由利徹
梶芽衣子
左とん平
悠木千帆ほか
製作
プロデューサー 久世光彦
制作 TBS
放送
放送国・地域 日本の旗 日本
寺内貫太郎一家
放送期間 1974年1月16日 - 1974年10月9日
放送時間 毎週水曜日21:00 - 21:55
放送枠 水曜劇場 (TBS)
放送分 55分
回数 39
寺内貫太郎一家2
放送期間 1975年4月16日 - 1975年11月9日
放送時間 毎週水曜日21:00 - 21:55
放送枠 水曜劇場 (TBS)
放送分 55分
回数 30
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概要編集

東京・下町(谷中)で三代続く石屋「寺内石材店(石貫)」の主人・寺内貫太郎を中心とし、家族や近隣の人との触れ合いを描いたホームドラマ。家族に手を上げ、何か気に入らない事があるとすぐちゃぶ台をひっくりかえすような、頑固で短気で喧嘩っ早いが、どことなく憎めず、寧ろ共感してしまう、昔ながらの下町の親父を小林亜星が演じている。一貫してコメディーであるものの、その中に「」や「孤独」、「老い」といったテーマ、家族の生活の中に潜む「闇」の部分も描かれており、単なる人情喜劇では終わらない。

ドラマなのに何故かレシピが出たり、お決まりの会話が飛び交うユーモアたっぷりの食事シーンや、アドリブ展開を徴用しつつ、貫太郎と長男の周平(西城秀樹)との大喧嘩(西城はこのシーンの撮影で実際に腕を骨折して入院)、きん(悠木千帆)婆さんが沢田研二のポスター[3]を見て身悶えしながら「ジュリ~!」と叫ぶシーン等が話題になった。また、職人のタメとイワが石を削りながら掛け合うシーンも見所。

平成になってからも、主な出演者が『東京電話』(東京通信ネットワーク)のCMに起用されたり、舞台で公演され、新たにTVドラマスペシャルも3本作られており、その人気の根強さがうかがえる。また、寺内貫太郎の役柄そのままに、小林亜星が全優石のCMに起用された。

シリーズ作品編集

水曜劇場・寺内貫太郎一家編集

放送期間

  • 1974年1月16日 - 1974年10月9日、全39話
  • BS122018年1月4日から3月14日まで再放送されていた。

出演

主人公。49~50歳。寺内家の主人・典型的な石頭の頑固親父。
貫太郎の妻。47~48歳。和服姿で、いつもテキパキ働いている。
寺内家の長女。23歳。4歳の頃の事故で左足が不自由。
寺内家の長男。18歳~19歳。大学浪人中で、何かにつけ貫太郎と衝突する。原作では西城秀樹に似ていると書かれている。
貫太郎の実母。70歳。[4]元々は寺内家の奉公人としてやってきたが、三代目貫太郎に見初められ結婚。新潟県出身。
沢田研二の大ファンで自室のポスターを見つめ、ファイティングポーズのような両手をグーにした格好で左右に振りつつ、
「ジュリィ~」と時には激しく、時には切なく呟くのがお約束。視聴者がよく真似る程、大流行。
寺内家のお手伝い。17歳~18歳。新潟からやってきた。
高校3年の5月に母を亡くして親戚に引き取られたが、その親戚の家の金銭事情を察して高校を中退している。
「石貫」の職人で、職人暦50年のベテラン。66歳。山形出身で大阪に息子夫婦がいる。
基本的に貫太郎からの信頼は厚いが、頑固な性格の為、似た性格の貫太郎と大ゲンカになる事も。また、時には静江や周平が落ち込んだ時にさり気ない思いやりを見せる事もある。若い頃は、きんに想いを寄せて求婚した事もあった…らしい。
「石貫」の職人。27〜28歳。女好きのお調子者。いつも貫太郎に啖呵を切っては、痛い目に遭う。
安アパートに岩次郎と同居している。独身生活が長く、あまり幸せでない家庭で育った為、家族の温かさに憧れた事も。
「石貫」の職人で、花くまの知り合い。第18話より登場。
「石貫」の向かいにある花屋「花くま」の主人。52歳~53歳。独身。
静江の恋人。32歳~33歳。子持ちでバツイチ。
上条の連れ子。フィンガー5のメンバー・玉元妙子のファン。
上条と別れた元妻。上条とは嫁姑問題のもつれから離婚、姑の希望から、マモルとは引き離された。その後、姑が他界した事もあり、上条やマモルには未練を抱いている。しゃぶしゃぶ屋で働いている。
ひと月に一度、マモルと会える事になっているが、我が子恋しさから上条の留守に約束を破って、さつき荘を訪れ、静江を困惑させた事もあった。
貫太郎や岩さん達がよく利用する、居酒屋「霧雨」のおかみ。
居酒屋「霧雨」の常連客。謎多き男。岩さん、タメ等からは「だんまり兄さん」と呼ばれている。
居酒屋「霧雨」の常連客。岩さん、タメのアパートの隣人。
居酒屋「霧雨」の常連客。洋服屋を営む。
周平のガールフレンド。
居酒屋「霧雨」の従業員。
さつき荘(上条の住むアパート)の管理人。上条と静江の仲を応援してはいるが、付き合いの長さから幸子との付き合いの方に重点を置いている。甘いもの好きで、ポケットには常に菓子が入っている。
貫太郎の腹違いの弟。豆腐屋を営んでいる。第26話で豆腐屋が火事となり登場。(実際は、谷の方が早生まれだが、亜星と同い年)
貫次郎の妻。第26話より登場。
貫次郎の長女。第26話より登場。
貫次郎の長男。第26話より登場。
ゲスト出演者
第1話
第2話
第3話
第5話
第6話
第7話
第9話
第10話
第11話
岩さんの大阪にいる息子。岩さんを老人ホームに入れると貫太郎に申し入れるも断られる。
第12話
第13話
第14話
第16話
きんの友人。花くまと見合いをし、第36回では行商をしに寺内家にやってくる。
第17話
第18話
第19話
第20話
第21話
第22話
第23話
第24話
第25話
第27話
第29話
第30話
第31話
第32話
第33話
第34話
第35話
第36話
第37話
  • 霧雨で歌う客:和田浩治(ノンクレジット)
第38話
第39話
挿入歌

水曜劇場・寺内貫太郎一家2編集

放送期間

  • 1975年4月16日-1975年11月5日、全30話

出演

寺内家の次男(前作では長男だったが、家族構成の設定が変わったため次男となった)。
寺内家の長男。過去の淫ら行為で執行猶予が言い渡されたが、何故か被害者と付き合っている。
寺内家の長女。
大助の恋人。
居酒屋「花ぢょうちん」のおかみ。
居酒屋「花ぢょうちん」の主人。トミコの父親。
居酒屋「花ぢょうちん」の常連。

挿入歌

新・寺内貫太郎一家編集

放送時間

出演

寺内貫太郎一家98秋編集

放送時間

出演

寺内貫太郎一家2000編集

放送時間

出演

舞台公演編集

オールスタッフ編集

エピソード編集

脚本を執筆した向田邦子は当時多かったひらがなの軽いドラマタイトルに反して、「四角ばって漢字の多い(中略)左右対称で末広がりに落ちついた」タイトルを望んでいた。しかし『寺内貫太郎一家』はやくざ一家の物語のようなタイトルである、墓石屋は縁起が悪い、親の過失で身体障害者となった娘という設定はまずい、主役の小林亜星は演技経験がない、など諸方面から反対意見が出ていた。また、向田自身も自分の父親をモデルにした貫太郎役に当時髪を伸ばしていた小林を起用することに大変難色を示した[7]プロデューサーの久世光彦は、同局の下にある床屋で小林の髪を坊主にして、黒い丸縁めがね印半纏裁付袴、毛糸の腹巻水天宮守り札を身に着けさせて向田にひき合わせたところ、ようやく向田は納得して起用に承諾した[8]。この時から小林は「タレント作曲家」と呼ばれるようになる[9]。また本人の話では、当時太っている俳優は少なく、最初にフランキー堺、次に若山富三郎、次にザ・ドリフターズ高木ブーに出演依頼したが共に多忙で断られ、その中で小林に白羽の矢が立った[10][11][12][13]

1975年4月3日、赤坂のスタジオでの番組収録中に貫太郎役の小林亜星が次男役の西城秀樹を突き飛ばすシーンで勢いよく突き飛ばしたところ、秀樹が釘の付いた板に手を突いて大怪我をしてしまい救急車が呼ばれた[14]。この件以降2人は心が通い合って本当の親子喧嘩のようにお互いに演技できるようになったという。

後に亜星がアニメ『∀ガンダム』(フジテレビ)の主題歌ターンAターン』を担当した際、歌手として秀樹を指名(この時期、ちょうど秀樹がレコード会社との契約が切れていた“空白の時期”であり、起用しやすかったという点もある)し、作曲者と歌手という形ながら、久々にコンビの復活となった。

『新・寺内貫太郎一家』のみ、寺内きんは既に亡くなった設定になっている。1979年、久世の女性問題を樹木がドラマ「ムー一族」の打ち上げパーティーにおけるスピーチで明かしたことから、一大スキャンダルに発展して以降、1996年放送のドラマ「坊ちゃんちゃん」まで距離を置いた状態にあったためである。

ネット局について編集

  • 関西地区では、第1シリーズのみ朝日放送(ABC)にネットされていたが、東京 - 大阪間の腸捻転解消によるネットチェンジで第2シリーズから毎日放送(MBS)で放送された。
  • 福島県では、第1・第2シリーズは福島テレビ(FTV。当時はJNNFNSクロスネットで現在はFNSマストバイ局)にネットされていたが、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはテレビユー福島(TUF。1983年にJNN系列局として開局)で放送された。
  • 当時TBS系列局がなかった愛媛県では、第1・第2シリーズは南海放送(RNB。NNS系列局)で系列外ながら同時ネットで放送されていたが、1998年に放送された「寺内貫太郎一家98秋」以降のシリーズはあいテレビ(itv。1992年にJNN系列局として開局)で放送された。
  • 現在もTBS系列局がない秋田県では、第1・第2シリーズ共、秋田テレビ(AKT。当時はFNS・ANNのクロスネットで現在はFNSマストバイ局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた。
  • 現在もTBS系列局がない福井県では、第1・第2シリーズ共、福井テレビ(FTB。FNSマストバイ局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていた[15]
  • 当時TBS系列局がなかった山形県では、第1・第2シリーズは山形テレビ(YTS。当時はFNS系列局で現在はANNマストバイ局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていたが、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはテレビユー山形(TUY。1989年にJNN系列局として開局)で同時ネットで放送された。
  • 当時TBS系列局がなかった富山県では、第1・第2シリーズは富山テレビ(T34(現・BBT)。FNSマストバイ局)で、水曜 22:00 - 22:54に時差ネットで放送されていたが[15]、1991年に放送された「新・寺内貫太郎一家」以降のシリーズはチューリップテレビ(TUT。1990年にJNN系列局として開局)で同時ネットで放送された。

DVD編集

  • BOX 第1弾(2006年2月24日):水曜劇場「寺内貫太郎一家」第1話-第12話
  • BOX 第2弾(2006年3月24日):水曜劇場「寺内貫太郎一家」第13話-第24話
  • BOX 第3弾(2006年4月28日):水曜劇場「寺内貫太郎一家」第25話-第39話
  • BOX 第4弾(2006年11月22日):水曜劇場「寺内貫太郎一家2」第1話-第15話
  • BOX 第5弾(2006年12月20日):水曜劇場「寺内貫太郎一家2」第16話-第30話

追悼特番編集

  • 2006年3月2日、このドラマの演出・プロデュースを手掛けた久世光彦が急死した。TBSでは同年3月13日21:00 - 22:54に久世の追悼特別番組として、『久世光彦追悼特別企画・寺内貫太郎一家傑作選』を放送(通常の『月曜ミステリー劇場』の枠)。特番では、『寺内貫太郎一家』(1974年)の第1回と最終回を再放送。スタジオには小林亜星、樹木希林が出演し、在りし日の久世を偲んだ。司会進行は三雲孝江が務めた。

パロディー・同作を引用編集

参考書籍編集

  • 『あの日、夢の箱を開けた!―テレビ黄金時代の立役者12人の告白』(小学館) ISBN 4093437017

外部リンク編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 放送ライブラリー 番組ID:001042
  2. ^ 寺内貫太郎一家 - テレビドラマデータベース
  3. ^ LP『JULIE VI ある青春』の購入特典用のポスターである
  4. ^ 第一話で本人が説明
  5. ^ この設定は『時間ですよ 第3シリーズ』の相馬ミヨコとほぼ同じ
  6. ^ 役名の「相馬」は当時の所属事務所で秀樹と浅田のマネージャーを務めていた相馬一比古より命名
  7. ^ 小林亜星さん、「寺内貫太郎」主演を向田邦子さんにダメ出しされていた
  8. ^ 『寺内貫太郎一家』 向田邦子著 ISBN 978-4101294018 久世光彦による解説(1983年3月)
  9. ^ 本業は作曲家である小林の俳優・タレントデビューでもある
  10. ^ 『あの日、夢の箱を開けた!―テレビ黄金時代の立役者12人の告白』 - 182ページ
  11. ^ 感涙の“名セリフ&名シーン”50年秘史!「寺内貫太郎一家・小林亜星」
  12. ^ 小林亜星が歌謡界にダメ出し「流行歌は滅びたね」
  13. ^ 86歳 小林亜星が語る「僕と寺内貫太郎、それぞれの戦後73年」
  14. ^ 小林亜星、貫太郎=乱暴者だけど「ホントは暴力、大っ嫌い」半世紀超える活動振り返る
  15. ^ a b 北國新聞』1975年10月8日付朝刊、テレビ欄。
  16. ^ 餌食役には松本人志遠藤章造
TBS 水曜劇場
前番組 番組名 次番組
娘はむすめ
(1973.9.12- 1974.1.9)
寺内貫太郎一家
(1974.1.16 - 1974.10.9)
時間ですよ 昭和元年
(1974.10.16 - 1975.4.9)
時間ですよ 昭和元年
(1974.10.16 - 1975.4.9)
寺内貫太郎一家2
(1975.4.16 - 1975.11.5)
花吹雪はしご一家
(1975.11.12 - 1976.5.12)