ターリバーン

アフガニスタンのデオバンド派イスラム教徒の宗教的政治的運動と軍事組織
タリバーンから転送)

ターリバーンタリバーン[14]タリバン[15]パシュトー語: طالبان、Ṭālibān、英語: TalibanまたはTaleban、「学生たち」または「求道者」の意)[16]とは、アフガニスタンで活動するイスラム教スンナ派(多数派)諸派デオバンド派イスラム主義組織である。

タリバン
Tālibān
アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)
アフガニスタン紛争 (2001年-)
2021年ターリバーン攻勢に参加
Flag of Taliban.svg
タリバンの旗
活動期間 1994年 -
活動目的 アフガニスタン・イスラーム首長国の復活
宗教ナショナリズム英語版
デオバンド派
イスラム主義
復古主義
反シオニズム
反共主義
反ユダヤ主義
反西洋主義
外国勢力の排除
氏族 / 部族 パシュトゥーン人タジク人ウズベク人トルクメン人ハザーラ人
指導者 ムハンマド・オマル
アフタル・ムハンマド・マンスール
ハイバトゥラー・アクンザダ
活動地域 アフガニスタン全土[1]
関連勢力
敵対勢力
  • Flag of Afghanistan (1992–2001).svg 北部同盟 (-2001年)
  • アフガニスタン・イスラム共和国の旗 アフガニスタン (2001-2021年8月15日同国大統領の国外への亡命により事実上の共和国政府崩壊[13]
  • Flag of Afghanistan (1978).svg ジュンビッシュ
  • Flag of Hezbe Wahdat.svg イスラム統一党英語版
  • AQMI Flag asymmetric.svg イスラム国ホラサン州
  • AQMI Flag asymmetric.svg ウズベキスタン・イスラム運動(ISIL派)
  • インドの旗 インド
  • アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  • イギリスの旗 イギリス
  • 北大西洋条約機構の旗 NATO
  • オーストラリアの旗 オーストラリア
  • サウジアラビアの旗 サウジアラビア(2013年-)
  • イスラエルの旗 イスラエル
  • ウェブサイト VOICE OF JIHAD
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    指導部はパキスタンのカラチカイバル・パクトゥンクワ州のデオバンド派マドラサで宗教教育を受けたパシュトゥーン人が多数を占める。

    概要編集

    1996年から2001年まで、ターリバーンはアフガニスタンのおよそ4分の3の地域で権力を握り、シャリア(イスラム法)の厳格な法解釈を施行していた[17]。ターリバーンは1994年にアフガン内戦の有力な派閥の一つとして登場し[18]伝統的なイスラム教の学校で教育を受け、ソ連・アフガン戦争で戦ったアフガニスタン東部・南部のパシュトゥーン地域の学生(タリブ)を中心に構成されていた[19][20]ムハンマド・オマルの指導下、この運動はアフガニスタンの大部分に広がり、抗争に明け暮れていたムジャーヒディーン軍閥から権力を奪った。1996年にはアフガニスタン・イスラム首長国を建国し、実質的な首都機能をカンダハールに移した。その後、9月11日の同時多発テロの後、2001年12月にアメリカ合衆国主導でアフガニスタンに侵攻するまで、国の大部分を支配していた。最盛期には、パキスタンサウジアラビアアラブ首長国連邦の3カ国のみがターリバーン政権を正式に認めていた。その後、ターリバーンは反政府運動として再編成され、アメリカの支援を受けたカルザイ政権や北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)とアフガニスタン紛争で戦った。

    ターリバーン政権はイスラム法の法解釈を厳格に実施し、自国民への人権侵害を行った事で、国際的に非難されている[21] 。1996年から2001年までの統治期間中、ターリバーンとその同盟組織はアフガニスタンの民間人に対して虐殺を行い、16万人の飢えた民間人に対する国際連合の食糧供給を拒否し、広範囲の肥沃な土地を焼き、何万もの家屋を破壊する焦土作戦を行った[22][23][24][25][26][27]。また、凧揚げや鳥の飼育などの趣味や活動を禁止し、宗教的・民族的少数派を差別した。国連によると、アフガニスタンの民間人犠牲者の76%(2010年)、80%(2011年)、80%(2012年)がターリバーンとその同盟組織によるものである[28][29][30][31][32][33]。タリバンは文化浄化も行っており、1500年前の有名なバーミヤンの仏像を含む数多くの記念物を破壊している[34][35][36][37]

    パキスタン統合情報局軍部は、国際社会とアフガニスタン政府から、ターリバーンの創設時と政権を握っていた時期に支援を行っていたこと、そして反乱期にも支援を続けていたことが広く疑われている。パキスタンは、9月11日の同時多発テロの後、同グループへの支援を全て取り止めたとしている[38][39][40][41][42][43]。2001年には、アルカイダのリーダーであるウサーマ・ビン・ラーディンの指揮下にある2,500人のアラブ人がタリバンのために戦ったと言われている[44]

    2021年5月に攻勢を開始し、同年8月15日、ターリバーンはアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言し、[45]ガニー政権側もアブドゥル・サタール・ミルザクワル内務相代行が平和裏に権力の移行を進めると表明した[46]。また、8月19日、のメディアにてアフガニスタン・イスラム首長国の建国を宣言した[47]

    名前の由来編集

    「ターリバーン」という語はアラビア語で「学生神学生」を意味する「ターリブ」(طالب)のパシュトー語における複数形であり、イスラム教神学校マドラサ)で軍事的あるいは神学的に教育・訓練された学生から構成される。厳密にはイスラム神学イスラム哲学イスラム法イスラム法学および法解釈を厳格にするべきとする思想・学派)によるイスラム教神学校において、イスラーム過激派の教育を受けた学生らによる、ジハードのための宗教的な学生運動である。このため、ターリバーン構成員を数えるとき、一人なら単数形の「ターリブ」(学生)、三人以上なら複数形の「ターリバーン」(学生たち)が用いられる。

    組織編集

    最高指導者の下に指導者評議会[48]クエッタ・シューラ)があり、軍事委員会や財政委員会などがある[49]。日本のマスメディアでは、評議会は最高評議会とも表記され、構成員は26人で、その下にある部局は軍事、財政、宗教など17と報道されている[50]

    また各州に州知事や州軍事司令官やイスラム法廷を置き、各郡にも郡長や郡軍事司令官を置いている[49]。国旗や国名(アフガニスタン・イスラム首長国)を持ち[51]、パキスタンの都市クエッタに指導者評議会、カタールに外交交渉のための政治事務所を設置している[52]

     
    ターリバン共同創設者の一人アブドゥル・ガニ・バラダル[48]

    2021年時点の最高指導者はハイバトゥラー・アクンザダであり、副指導者としてシラジュディン・ハッカニ英語版ムハンマド・ヤクーブ英語版などが居る[49]。在カタール政治事務所代表はアブドゥル=ガニ・バラダルである[49]

    国際連合によるとタリバンの総数は約4万5000人から6万5000人である[49]。2021年の攻勢において傘下の戦闘員は10万人とも報道されている[50]パシュトゥーン人だけでなくタジク人ウズベク人トルクメン人なども居り、指導部も多様な人種により構成されている[49]

    派閥としてはアフガニスタン東部のペシャワール派、北東部のバダフシャーン派、西部のマシュハド派などがある[49]。また最強硬派としてハッカーニ・ネットワーク、反主流派としてアフガニスタン・イスラム首長国高等評議会などがある[49]

    対外的にはアルカーイダインド亜大陸のアルカイダ(AQIS)、パキスタン・ターリバーン運動(TTP)、ラシュカレ・タイバ(LeT)などと連携しており[49]パキスタン軍統合情報局(ISI)の後援を受けている[53]。アメリカ合衆国やアフガニスタン政府、ISIL(イスラミック・ステート)とは敵対関係にある[49]

    装備編集

    初期の段階では、戦闘員の多くはAK-47RPKRPG-7を装備し、移動にはテクニカルを利用するなど、テロリスト然とした装備であったが、アフガニスタン軍から鹵獲したアメリカ製武器のM16M4カービンや付属する多種多様な光学照準器、M240M249AT-4戦闘服ボディーアーマー防弾ヘルメット暗視ゴーグルなどの個人装備、M2などの支援火器、ハンヴィーMRAPM1117装甲車M113などの近代的な装備を利用し始めている。また、BTR-60BTR-70BTR-80BMP-1T-55などの旧式ながら強力な兵器も入手している。この他にも航空機として、MD-530UH-60CH-47Mi-17C-208/AC-208A-29C-130などを入手しているが、運用能力があるかは不明である。しかし、UH-60やMi-17は飛行している姿が度々撮影されている。

    幹部編集

    歴代政権と同じく、ターリバーン政権期も首都カーブルとされ、中央省庁もカーブルから移転することは無かったが、パシュトゥーン人の組織であるターリバーンは、多民族が暮らすコスモポリタンな都市文化を持つカーブルの風土を嫌い、実際にはターリバーンの本拠地でありパシュトゥーン人の都市であるカンダハールに置かれた評議会から指令が下達される統治方法が採られた。そのためカーブルの省庁はカンダハルの評議会の従属機関に過ぎなくなり、実質的に首都機能の逆転現象が発生した。

    また、各省庁の長である大臣(相)も、管轄する省庁の分野に見識のある者ではなく、内戦で立てた武勲や首長であるムハンマド・オマルへの忠誠心の強さに基づき配属されるケースが多かった。

    歴代の最高指導者編集

    名前 在任期間
    1 ムハンマド・オマル 1994年 - ?
    2 アフタル・ムハンマド・マンスール ? - 2016年5月20日[54]
    3 ハイバトゥラー・アクンザダ 2016年5月25日 - 現職[55]

    2001年当時のターリバーン政権の主要幹部編集

    元首

    内閣

    1996年9月27日発足。2000年3月、8月内閣改造

    • 統治評議会議長(首相) - ムハンマド・ラッバーニー英語版(政権崩壊前の2001年4月に病死)
    • 統治評議会第一副議長(第一副首相) - ムハンマド・ハッサン・アフンド英語版
    • 統治評議会第二副議長(第二副首相) - アブドゥル・カビール英語版(議長の死去後、2001年11月の政権崩壊まで議長職を代行)
    • 外相 - アブドゥル=ワキール・アフマド・ムタワッキル
    • 内相 - アブドゥル=ラザン・アフンド
    • 財務相 - アブドゥル=ワサイ・アガジャン・モタセム
    • 教育相 - アミール・ハーン・ムッタキー
    • 国防相 - ムッラー・ハッジ・ウバイドゥッラー・アフンド
    • 勧善懲悪相 - ムハンマド・ワーリ
    • 航空・観光相 - アフタル・ムハンマド・マンスール(2010年にターリバーンのナンバー2に就任、2015年7月に最高指導者に就任。2016年5月死亡)
    • 通信・労働相 - アフマドゥッラー・モティ
    • 情報・文化相 - クトラドゥッラー・ジャマール
    • 保健相 - ムッラー・ムハンマド・アッバース・アフンド
    • 司法相 - ヌールッディーン・トゥラービー
    • 軽工業相・食糧相 - ハムドラ・ザーヒド
    • 鉱工業相 - ムハンマド・イーサー・アフンド
    • 農相・動物管理相 - アブドゥル=ラティーフ・マンスール
    • 巡礼寄進相 - サイード・ギアスディン・アガー
    • 計画相 - サドルッディーン・サイード
    • 貿易相 - アブドゥル・ラッザーク
    • 難民相 - アブドゥル・ラキブ
    • 国境・部族問題相 - ジャラールッディーン・ハッカーニー英語版
    • 兵站相 - ヤル・ムハンマド
    • 保安相 - ムハンマド・ファーズィル
    • 高等教育相 - カリ・ディーン・ムハンマド

    その他主要幹部

    • 治安担当内務次官 - アブドゥル=サマード・ハクサル
    • 中央軍司令官 - ムラー・アブドゥル・ラウフ
    • 情報文化次官 - アブドゥル=ラフマーン・ハタック
    • 国防次官 - アブドゥル・ガニ・バラダル
    • 最高裁判所長官 - ヌールー・ムハンマド・サキーブ
    • アフガニスタン中央銀行総裁 - ムッラー・ハッジ・アフマディー
    • 駐国際連合使節[注釈 1] - アブドゥル=ハキーム・ムジャーヒド
    • 欧州連合代表 - ラフマトゥッラー・サフィ
    • 駐パキスタン大使 - アブドゥル=サラーム・ザイーフ
    • アフガニスタン赤新月社総裁 - マウラヴィ・エスマトゥッラー・アセム
    • アフガニスタン・オリンピック委員会委員長 - マウラヴィ・カラムッディン

    2021年のターリバーン暫定政権の主要幹部[56]編集

    2021年9月7日発表・9月21日追加発表

    • 首相代行 - ムッラー・ムハンマド・ハッサン・アフンド(元・第一副首相、創設メンバー)
    • 第一副首相代行 - ムッラー・アブドゥル・ガニ・バラダル(副指導者、創設メンバー、元・国防副大臣)
    • 第二副首相代行 - マウラウィー・アブドゥル・サラム・ハナフィ英語版ウズベク人聖職者、元・教育副大臣)
    • 国防大臣代行 - ムッラー・ムハンマド・ヤクーブ(副指導者、ムハンマド・オマルの子)
    • 内務大臣代行 - シラジュディン・ハッカーニ(副指導者、ジャラールッディーン・ハッカーニの子)
    • 外務大臣代行 - アミール・ハーン・ムッタキー英語版(元・情報文化相・教育相)
    • 財務大臣代行 - ムラー・ヘダヤトゥッラー・バドリ
    • 教育大臣代行 - シャイフ・マウラウィー・ヌールラ・ムニル
    • 情報・文化大臣代行 - ムッラー・ハイルッラー・ハイルハワー(元・内相)
    • 経済大臣代行 - カーリ・ディン・ハニフ(タジク人、元・計画相・高等教育相)
    • 巡礼寄進大臣代行 - マウラウィー・マウラウィー・ムハンマド・サキブ
    • 法務大臣代行 - マウラウィー・アブドゥル・ハキム・シャリー
    • 国境・部族問題大臣代行 - ムッラー・ヌールラ・ヌーリ(元・バルフ州知事)
    • 地方リハビリテーション・開発大臣代行 - ムッラー・ムハンマド・ユーヌス・アクンザダ
    • 公共事業大臣代行- ムッラー・アブドゥル・マナン・オマリ
    • 鉱物石油大臣代行 - ムッラー・ムハンマド・エサ・アホンド
    • 水エネルギー大臣代行 -ムッラー・アブドゥル・ラティフ・マンスール(元・農相)
    • 民間航空・運輸大臣代行 - ムッラー・ハミドゥラ・アクンザダ
    • 高等教育大臣代行 - アブドゥル・バキ・ハッカニ
    • 電気・通信大臣代行 - ナジブッラー・ハッカニ
    • 難民大臣代行 - カリル・ユア・ラーマン・ハッカニ
    • 勧善懲悪大臣代行 - シャイフ・ムハンマド・ハーリド英語版
    • 公共保健大臣代行 - カランダル・イバド
    • 商業・産業大臣代行 - ヌールッディン・アジジ(タジク人、非タリバーン)
    • 官房長官代行 - アフマド・ヤン・アフマディー
    • 情報局長官代行 - アブドゥル・ハク・ワシク
    • 中央銀行総裁代行 - ハジ・ムハンマド・イドリス
    • 国防副大臣代行 - ムッラー・ムハンマド・ファズィル
    • 内務副大臣代行 - マウラウィー・ヌール・ジャラル
    • 外務副大臣代行 - モハンマド・アッバース・スタネクザイ(前・カタール政治事務所代表、元・公共保健副大臣)
    • 情報・文化副大臣代行 - ザビフラ・ムジャヒド(タリバーン報道官)
    • 公共保健副大臣代行 - モハンマド・ハッサン・ギアシ(ハザラ人、非タリバーン)
    • 陸軍幕僚長 - カーリ・ファシフディン(タジク人)
    • 国連大使 - スハイル・シャヒーン(タリバーン報道官)

    歴史編集

    1990年代前半編集

    背景編集

    1990年代初頭、アフガニスタンはムジャーヒディーンの軍閥によって領地ごとに分裂し、互いに同盟、裏切りを繰り返し激しい内戦の最中であった。ラッバーニー大統領やマスードを中心とするジャミアテ・イスラミのタジク人政権は首都カーブルと国内の北西部を支配し、ヘラート等の西部三州もジャミアテ・イスラミと深い繋がりを持つタジク人軍閥のイスマーイール・ハーンによって支配されていた。東部パキスタン国境地帯はジャララバードを拠点とするジャラルディン・ハッカニ等のパシュトゥーン人軍閥の評議会の手中にあった。また、南部の限られた地域とカーブルの東側はパシュトゥーン人のグルブッディーン・ヘクマティヤールが支配していた。後にタリバン発祥の地となるカンダハールを中心とするアフガニスタン南部の大半は、何十もの旧ムジャーヒディーン軍閥や強盗集団によって分割支配され荒廃していた。カンダハールを支配する数多の武装グループは、活動の資金源になるものは何でも奪った。電話線を引きちぎり、木を切り倒し、工場の機械や道路用のローラーまでもスクラップにしてパキスタンの商人に売った。軍閥は家々や農場に押し入り、住民を強制退去させ支持者達の手に渡した。司令官らは住民を思いのままに虐待し、少年や少女を誘拐して性欲を満たした。バザールの商人から品物を強奪し、街中で武装グループ同士の喧嘩による銃撃戦が頻繁に発生した。カンダハールの住民の大部分を構成するパシュトゥーン人は、隣国パキスタンのクエッタなどの同じくパシュトゥーン人が多数派を占める都市に難民として脱出し始めた。

    誕生編集

    ターリバーン側の主張によると、ムハンマド・オマルが20人の同志とともに始めたものだとされている。またターリバーン隊士がイスラム教の聖典『クルアーン』を学んだ場所は、国境付近の難民キャンプの教員が整っていないムハンマド・オマルの開いた神学校であった。この神学校出身者が、結集時のターリバーン隊士になる。

    彼らが蜂起したきっかけはムジャーヒディーン軍閥が二人の少女を誘拐したことへの抗議活動であった。彼らは無事少女たちを解放し、この出来事から地元住民らから正義の味方として扱われた。

    発展編集

    内戦が続くアフガニスタンにおいて、ターリバーンは1994年頃から台頭し始めた。彼らはイスラム神学校(マドラサ)の学生たちが中心であり、ターリバーンが快進撃を続け、軍閥を追い散らし、治安を安定させ秩序を回復するようになったので、住民たちは当初ターリバーンを歓迎した。当時、アフガン市民たちは、長年にわたる内戦とそれに伴う無法状態、軍閥たちによる暴行、略奪などにうんざりし、絶望感を抱いていたため、治安を回復するターリバーンの活躍に期待した。 しかしその後、ターリバーンがイスラム教の戒律を極端に厳格に適用し、服装の規制、音楽や写真の禁止、娯楽の禁止、女子の教育の禁止などを強制していくにしたがって、住民たちはターリバーンに失望するようになった[57]

    1998年にターリバーンがマザーリシャリーフを制圧した際に、住民の大虐殺を行った。この虐殺は、前年5月にマザーリシャリーフで起こったターリバーン兵大量殺害に対する報復[58] でもあるのだが、マザーリシャリーフはアフガニスタンの少数民族であるウズベク人やハザーラ人が大きな割合を占め、ターリバーンはこれらの少数民族、特にハザーラ人に対し虐殺を行ったことから、ターリバーンがパシュトゥン人からなり、パシュトゥーン民族運動の性格を併せ持つことを示すエピソードとなったと指摘されている[59]

    外国との関連編集

    ターリバーンは、軍事面および資金面でパキスタン軍諜報機関であるISI(軍統合情報局)を通してCIAの支援を受けていた。特にISI長官を務めたハミド・グル英語版と深く関わり、アメリカが支援を絶った以後も、ISIから援助をもらっていたという[60]。アメリカが国際連合にハミド・グルのテロリスト指定を迫った際はパキスタンの友好国の中華人民共和国拒否権を行使している[61][62]

    パキスタン軍にとり、敵対するインドとの対抗上、アフガニスタンに親パキスタン政権を据え、「戦略的な深み」を得ることは死活的な課題であった[63]。そして「親パキスタン政権」とは、民族的にはアフガニスタンとパキスタンにまたがって存在するパシュトゥン人主体の政権であり、かつ、パシュトゥン民族独立運動につながることを阻止する必要から、イスラム主義を信奉する勢力でなければならなかったという[64]。このためそうした要件を満たすターリバーンがパキスタンの全面的な支援を得て支配地域を拡大していった。 アフガニスタンにパキスタンの傀儡政権が成立することは、中央アジアにおける貿易やアフガニスタン経由のパイプラインを独占するという思惑、またインドとのカシミール紛争で利用するイスラム過激派をパキスタン国外で匿うという目論みにも好都合であった。

    1997年にターリバーン軍がマザーリシャリーフの攻略に失敗し、その主力を一挙に喪失してからはISIはより直接的な関与を深めた。2000年の第二次タロカン攻略戦ではパキスタン正規軍の少なくとも二個旅団以上及び航空機パイロットがターリバーン軍を偽装して戦闘加入したとされている。このため2000年12月にはコフィー・アナン国連事務総長がパキスタンを非難する事態となった。

    また、1990年代半ばにはサウジアラビア総合情報庁もパキスタンを通じてターリバーンに資金援助を行っており[65]、アフガニスタンの安定化に対するターリバーンへの期待は高かった。

    また、強力で安定的な政権は中央アジア安定化につながるとして、アメリカ合衆国の支持を得ていた時期もあった。当時のアメリカのユノカル社が中央アジア石油天然ガスをアフガニスタンを経由したパイプラインインド洋に輸送することを計画していたが、これはロシアイランを避けるルートを取っており、米国政府としては好都合であり、このパイプライン建設計画を支持した。このパイプライン計画実現のためにはアフガニスタンの安定が前提条件であり、米国はターリバーンによるアフガニスタン支配に関心を示した[66]アメリカ合衆国議会関係者やアメリカ合衆国国務省関係者が和平の仲介を行おうとしたが、和平は成立しなかった。

    1996年9月にターリバーンが首都カーブルを制圧し、ナジブラ元大統領を処刑した際、アメリカ国務省の報道官はターリバーンの行為を非難せず、むしろターリバーンによる安定化への期待を示すなどアメリカ政府のターリバーン寄りの姿勢を示した[67]

    ターリバーンによる首都カーブル制圧後、ターリバーンによる人権侵害、特に女性の扱いに世界が注目するようになり、米国もターリバーンへの姿勢を変化させていった。1997年11月にはマデレーン・オルブライト国務長官がターリバーンの人権侵害を批判し、米国のターリバーンへの反対姿勢を明確にした。1998年8月にケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破テロ事件が発生すると、アメリカは人権問題以上にテロの観点からターリバーンへの敵対姿勢を強めていった[68]

    1999年12月カシミールの独立を目指すイスラム過激派によりインド航空機がハイジャックされ、アフガニスタンのターリバーンの本拠地だったカンダハルで着陸し、ハイジャックされた飛行機の乗客乗員155人を人質に立てこもる事件があった(インディアン航空814便ハイジャック事件)。その際に、ムタワッキル外相などターリバーン政権幹部の仲介により、インド当局が獄中にいるイスラム過激派(カシミール独立派)の幹部3人を釈放する代わりに乗員155人が解放された。国際的に孤立を深めるタリバン政権が、テロリストの釈放と引き換えにとはいえ、周辺国と連携して人質解放に尽力したことで、日本国内でも、国際社会もターリバーン政権をイスラム原理主義勢力として単純に敵視するのではなく、歩み寄りを行ってもよいのではないかとする論調があった[69]。また、これにはイスラム過激派支援集団とみなされていたタリバーン側の国際社会での汚名返上の思惑もあった。

    1990年代後半編集

    政権掌握編集

     
    1996年時点のアフガニスタンの勢力地図。赤の部分がアフマド・シャー・マスード軍、緑の部分がラシッド・ドスタム軍、黄色の部分がターリバーンの支配地域。

    ターリバーンは1996年9月に首都カーブルを制圧し、国連施設に幽閉されていた元大統領のムハンマド・ナジーブッラーを引きずりだして公開処刑として惨殺した。カーブル制圧後、アフガニスタン・イスラム首長国を建国したが、すぐにはどの国からも承認されなかった。1997年5月にターリバーンが北部の主要都市マザーリシャリーフを制圧したのを受け、パキスタンが世界で初めて政府承認し、すぐにサウジアラビアアラブ首長国連邦が続いた。この三カ国以外からは承認されることはなかった[70]。国際連合の代表権はブルハーヌッディーン・ラッバーニーを大統領とするアフガニスタン・イスラム国が保持しており、通称「北部同盟」として北部で抵抗を続けた。その後3年ほどでアフガニスタンの90%を支配下に置いた。

    ターリバーンの国内支配編集

     
    ブルカを着る女性を殴打するターリバーンの宗教警察(2001年8月26日)

    しかし、ターリバーンの支配はすべての音楽を禁止するなどイスラム主義に基づいた厳格なものであった。ターリバーンはパシュトゥーン人の部族掟「パシュトゥーンワーリ」に従い、パシュトゥーン人以外の民族の不満を招いた。このパシュトゥーンワーリは実際にはイスラム教のシャリーアの代表的解釈とは相容れない部分があるとも言われている。例えば、ターリバーンは殺人を犯した者に対しその犠牲者の遺族による公開処刑を行ったが、これはイスラム法に基づくというより、パシュトゥーンワーリに基づくものである[71]

    また、アルカーイダと接近してからは、その過激主義の影響を受け、パシュトゥーンワーリからも逸脱した、偏狭頑迷なイスラーム解釈をアフガニスタン人に押し付けるようになった。このことにより、アフガニスタン国民からの支持は低下した。

    政策編集

     
    日常的に行われている公開処刑

    ターリバーンは過度に今までの娯楽や文化を否定し、また公開処刑を日常的に行うなど、過激な活動を行なった。これは市民に対する見せしめであると同時に、娯楽の無い市民を巧妙に操る手口であり、多い時には1万人もの見物客が公開処刑に詰め掛けたといわれる。

    また女性は学ぶ事も働く事も禁止され、親族男性を伴わなければ外出さえも認められなかった。外国人も例外ではなく、女性の国連職員は入国が許可されなかった。

    彼らターリバーンの統治メンバーらの服装は漆黒のターバンに黒と白のモノトーンの服装を組み合わせた独特のデザインでコーディネートされ、戦闘車両の多くもそれに準じた塗装が施されている。

    政権の孤立編集

     
    2001年時点のアフガニスタンの勢力地図。赤の部分が北部同盟の支配下。
     
    ヘラートでピックアップトラックに乗る武装ターリバーン(2001年)

    1996年、ターリバーン政権はウサーマ・ビン・ラーディンとアルカーイダの幹部を客人としてアフガニスタンへの滞在を許した。アルカーイダは、「対米宣戦布告」を行うなどそれまで引き起こされていた数々の反米テロの黒幕と推定されており、またイスラム諸国からも異端視されていた組織であり、ターリバーンは周辺諸国から孤立し始めた。

    アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンはターリバーンに対する政策を転換し、ユノカルのパイプライン計画も破綻した。ターリバーン政権にアルカーイダを引き渡すように要求したが、ターリバーンは拒否した。アメリカはパキスタン政府に圧力を掛け、ターリバーンへの支援を断ち切ろうとした。またサウジアラビア政府もターリバーンへの援助を打ち切ったため、ターリバーンは経済面でも大きな打撃を受けた。しかしターリバーンは国内の他勢力の拠点を次々に攻略し、勢力を拡大し続けた。

    1997年5月から、ターリバーンはアブドゥルラシード・ドーストム派の拠点であったマザーリシャリーフを攻撃したが撃退され、2500人以上の壊滅的な損害を出した。しかしターリバーンはパキスタン軍の支援を受けて立ち直った。

    1998年8月7日、タンザニアケニアにあったアメリカ大使館が爆破される事件が起きた(前述)。この攻撃をうけてアメリカは報復としてスーダンハルツームにあった化学工場と、アフガニスタン国内のアルカーイダの訓練キャンプをトマホーク巡航ミサイルで攻撃した。

    8月8日、ターリバーンはドスタム派の幹部を買収して勢力下に入れ、再度マザーリシャリーフを攻撃し、占領した。この際、5000人以上のハザーラ人市民が殺害され、イラン総領事館の外交官10人とジャーナリストが殺害された。この攻撃はイランや国際社会から激しい非難を受け、一時は国境地帯にイラン軍が集結する事態となった。

    1998年9月、サウジアラビアはアフガニスタン臨時代理大使の国外退去を求め、かつ、自国の在アフガニスタン臨時代理大使を召還させ、事実上ターリバーンと断交した。これはケニアとタンザニアのテロ事件の首謀者と見られたウサーマ・ビン・ラーディンの扱いをめぐる対立が原因であったといわれている[72]

    1999年、国際連合安全保障理事会においてテロ行為の防止を目的とする国際連合安全保障理事会決議1267[73] が採択され、ターリバーン政権に対しビン・ラーディンとアルカーイダ幹部の引渡しを求め、実行されない場合には経済制裁が行われることになった。しかしターリバーンはこれに従わず、経済制裁が行われることになった。

    2000年代前半編集

     
    爆破された石窟仏陀の像

    2000年10月、アルカーイダはアメリカのミサイル駆逐艦コールに自爆テロ攻撃を行った(米艦コール襲撃事件)。このためアメリカはさらに経済制裁を強化することを主張し、12月には追加制裁を定めた国際連合安全保障理事会決議1333[74] が採択された。

    2001年2月26日、ターリバーン政権は、紛争続きのアフガニスタンにあって、それまで徐々に壊れていたバーミヤーンにある石窟仏陀の像(バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群)を、ターリバーンが最終的に、爆弾を用いてこれらを徹底的に破壊。しかし、この行為に対しては、非イスラム圏のみならず、イスラム教諸国に至るまで非難を行い、完全に逆効果となった。支持した者は、ごく少数にとどまった。

    イランの映画監督モフセン・マフマルバフは、著書『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』の中で、アフガニスタンで長年続いている人道的危機を無視し続けながら、大仏の破壊を大きく取り上げた欧米のメディアを批判した(詳しくは脚注参照)。

    2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生すると、アメリカはこのテロの容疑者としてアルカーイダ関係者を引き渡すように要求した。しかしターリバーン政権はこれを拒否したため、アメリカと有志連合諸国は国際連合安全保障理事会決議1368による自衛権の発動として攻撃を開始し、北部同盟も進撃を開始した。11月までにターリバーンはカーブルとカンダハールを含むアフガニスタンの大半の領域を喪失した。しかしクンドゥーズ包囲戦のように包囲されてもパキスタンの飛行機で脱出するなどして、ムハンマド・オマルをはじめとする指導部の多くは失われず、2003年以降、アフガニスタン南部及びパキスタンのトライバルエリアワズィーリスターンを根拠地に勢力を回復した。

    穏健派ターリバーン編集

    ターリバーンには、主にアブドゥル=ワキール・アフマド・ムタワッキル元外相やアブドゥルサマド・ハクサル元内務次官らで構成されるいわゆる「穏健派ターリバーン」という勢力も存在する。彼らは武装闘争を放棄し、政治的な方法、すなわち選挙への参加を通じた議会進出による合法的な支持拡大によってターリバーンの掲げた理想の実現を図ろうと考えている。ハクサルやムタワッキルが中心となって潜伏している元メンバーや武装闘争を続ける仲間に投降を促すなどして、議会選挙参加を呼びかけた。アフガニスタン政府も同じパシュトゥーン人であるカルザイ大統領がこの動きを歓迎して後押ししたが、かつてターリバーンと戦った旧北部同盟勢力などが「ターリバーンの復権につながる」と猛反発した。また、ターリバーン側でも穏健派を裏切り者だとして暗殺をほのめかした。

    2005年の議会選挙では、ムタワッキルやハクサルらは落選したものの、元ターリバーンの中でもムラー・アブドゥル・サラム・ロケッティ元司令官やムハンマド・イスラーム・ムハンマディ元バーミヤン州知事のように下院議員に当選した人物もいる。モハマディ議員は2007年1月に、ハクサル元次官は2006年1月に暗殺された。このようにターリバーンと袂を分かち、当時のハーミド・カルザイ政権に協力することは容易ではない状況にあった[75]

    2000年代後半編集

    ターリバーンは2006年から南部・南東部・東部を中心に攻撃を増加させ[76]、2007年も手を休めなかった[77]。そのため2008年にはアフガンスタンの治安は著しく悪化した。またターリバーンは南部や東部だけでなく首都カーブルの近隣でも攻撃を行った[78]。2009年、ターリバーンは「比較的安定していた地域の不安定化を招き、市民の犠牲を顧みない、より洗練され、かつ複合的な攻撃を増加」し、即席爆発装置(IED)による攻撃を急増させた[79]

    有志連合諸国も反撃を行い、2006年から国際治安支援部隊(ISAF)をアフガニスタン全土に展開させ[76]チョーラの戦い(ウルズガーン州)やパース作戦(ウルズガーン州)などを行った。また2008年のワナトの戦いの結果などを受けて2009年にはアメリカ軍を倍増させ[80]オカブ作戦(クンドゥーズ州)やカカラクの戦い(ウズルガーン州)などを行った。

     
    ターリバーンが活動しているワジリスタン地域

    しかしタリバンは2006年中にはアフガニスタン南部四州で都市部以外の支配権を獲得するに至ったと言われる。これにはパキスタンの原理主義勢力、及びその背後のISIが深く関与していると見る向きが強く、同年末にはアフガニスタン暫定行政政府の大統領ハーミド・カルザイがパキスタンを名指しで非難する事態に至った。国際部隊の治安活動もあり主要都市の陥落などの危機的状況には陥っていないが、国際部隊の展開地域等でケシ栽培を禁じられた、あるいは多国籍軍の攻撃で民間人が死亡したなどの理由により、とりわけパシュトゥーン人の間などで、治安の混乱と経済的苦境からターリバーン復活待望論が広まっているという[57]

    一方、アフガニスタンから逃れてきたターリバーンの影響を受け、パキスタン国内でも過激化した武装勢力(パキスタン・ターリバーン)が誕生した。パキスタン・ターリバーンはアフガニスタンのターリバーンとは別物であり、米軍への攻撃に加え、米国を支援するパキスタン政府に対するジハードも目的としている[81]。2007年12月には、ターリバーンを支持するパキスタン人の武装勢力を統合する目的で、パキスタン国内の13のターリバーン系組織が合体してパキスタン・ターリバーン運動が発足した。発足時の最高指導者はバイトゥッラー・マフスード。パキスタン国内ではパキスタン・ターリバーン運動がアメリカ軍による最大の打倒目標になっている(ワジリスタン紛争)。

    アフガニスタン南部ではターリバーンが独自の知事や裁判所を設置して完全な支配下に置いている地域がある。ヴァルダク州ではターリバーン独自の州知事、軍司令官、シャリーア法廷の設置やカーディー(シャリーア法廷の裁判長)を任命し、道路税などの税金の徴収、徴兵、学校の閉鎖やマドラサでの教育の強制、シャリーアに基づく刑罰の執行などを行い、完全にターリバーンの統治下にある。ローガル州のバラキー・バラク地区はターリバーンによる制圧後、床屋で髭を剃ることとテレビの視聴を禁じ、従わないものは「異教徒と外国人のスパイ」とみなすと住民に脅迫したという。ヘルマンド州の大部分も中央政府の支配が及ばず、ターリバーンの影響下にあり、地元部族長によれば住民も政府を頼りにするのではなく、ターリバーンの"政府"を頼り、90%の住民がカルザイ政権ではなくターリバーンを支持しているという[82]

    また、再起したターリバーンは自爆テロや市街地での無差別テロなどイラク戦争で反米武装勢力が用いた戦術を多用する傾向が顕著になり、アルカーイダとの一体化の進行が指摘されている。またこれら自爆テロでは同様の自爆テロや米軍の空爆で手足を欠損した身体障害者が6割に上るという調査結果が遺体検分に当たったカーブル大学により2008年明らかにされている[83]

    デビッド・スワンソンは、アフガニスタン国内での米軍の軍需物資の輸送のための運輸業者への支払いが、ターリバーン勢力の資金源となっていると主張している[84][85]

    日本人拉致殺人事件編集

    • NGOボランティアで働いていた日本人2008年8月26日に拉致され殺害される事件が発生。ターリバーン広報官は拉致について関与を認め、NHKに対して「たとえ復興支援が目的であっても、アメリカに協力して、アフガニスタンを訪れる外国人はすべて敵だ」と語った。ターリバーンはこの他にも多くの外国人NGO関係者の殺害に関与しているとされる。NHK論説委員山内聡彦の解説によれば、援助関係者を標的にすることでアフガニスタンの復興支援を妨害し、自分たちの武装闘争を有利に運ぶ狙いがある[86]
    • 日本はテロ対策特別措置法(時限立法)に基づいてインド洋において給油活動(自衛隊インド洋派遣)を行なっているが、上記NGO職員殺害事件の結果、2008年10月にこれを延長することへの影響が懸念された。

    2010年代前半編集

     
    客人だったウサーマ・ビン・ラーディン

    2011年5月、アメリカ軍がパキスタンでビン・ラーディンを殺害した(ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害[87]

    2010年代後半編集

    2015年1月、過激派組織ISIL(イスラミック・ステート)が「ホラサン州」(ISIL-K)の設置を宣言し、最高指導者としてハーフェズ・サイード・ハーンを任命した[52]。ハーフェズはパキスタン・ターリバーン運動の元幹部である。4月、イスラム国とターリバーンはお互いに対するジハードを宣言した[52]。5月、ナンガルハール州ファラー州でISILとターリバーンの武力衝突が起き[52]、ナンガルハール州の戦いは6月も続いた[52]。同月、ターリバーンの最高指導者ムハンマド・オマルはイスラム国の最高指導者バグダーディーに書簡を送ったが戦闘は止まらなかった[52]。7月、ヘクマティヤール派がイスラム国への支持を表明した[52]

    2015年5月、中華人民共和国新疆ウイグル自治区の首都ウルムチでターリバーンの代表3名(アブドゥル・ジャリル、アブドゥル・ラザク、ハッサン・ラフマニ)とアフガニスタン政府のマスーム・スタネクザイ大統領顧問による秘密協議が行われたと報じられた[88][89]。前年の2014年にはターリバーンの代表団が訪中したと報じられていた[90]

    2015年7月、パキスタンのイスラマバードでターリバーンとアフガニスタン政府の初の公式和平協議が開催され、オブザーバーとして中国とアメリカも参加した[91]。タリバンの最高指導者ムハンマド・オマルはラマダン明けの声明で「武力によるジハードと同時に、神聖な目標達成のための政治的努力や平和的な道を探ることは正当なイスラムの信条であり、預言者ムハンマドの政見の不可欠な要素だ」と述べ、和平協議に肯定的な態度を示した[92]。そのため第二回の和平協議は中国で行われる予定だった[93]。ところがその直後オマルが2013年に病死していたことが明らかとなり交渉は無期限延期になった[94]。一説によるとオマルの病死説は以前から浮上していたがターリバーンやアフガニスタン政府、交渉を仲介したパキスタン政府、アメリカ合衆国や中華人民共和国にとっては生存説の方が都合が良かったため誰も追及しなかった。しかしターリバーン内の和平協議反対派がオマルの病死に気づいた為、7月下旬にオマルの息子のムハンマド・ヤクーブが幹部をクエッタのマドラサに集めて病死を発表した[95]。7月末、2010年から最高指導者を代行していたアフタル・ムハンマド・マンスールが最高指導者に指名され、ジャラールッディーン・ハッカーニーが副指導者に指名された。しかし反対派はムハンマド・ヤクーブの最高指導者就任を求めて納得せず[96]、アフガニスタン北東部のクンドゥーズ州や西部のヘラート州、南部のザブール州などで武力衝突が起きた。一方、アルカーイダはアフタルを支持した[97]。9月、反対派は選挙を要求し、11月に別の最高指導者としてモッラー・モハンマド・ラスール・アーホンドを選出した[52]。モハンマドはターリバーン設立当初からオマルの信任が厚く、ニームルーズ州ファラー州の知事を務めた人物である[49]

    2016年3月、ヘラート州でマンスール派とラスール派が武力衝突し、約150人が死亡した[98]。バードギース州のラスール派の指揮官はマンスール派をパキスタン情報部の走狗と呼んで非難した。2016年5月、アフタル・ムハンマド・マンスールが米軍の無人機攻撃により殺害された[99]。同月ハイバトゥラー・アクンザダが第3代最高指導者に就任した[100]。8月、ザーブル州のターリバーンがダードゥッラー戦線を立ち上げて独立した[98]。ザブール州の司令官ダードゥッラーは前年マンスール派に攻撃された際にファラー州のISIL軍に援軍を求め、見返りにISILに忠誠を誓っていた[52]

    2020年代編集

     
    ターリバーンと会談した中国外相の王毅

    2020年2月29日、ターリバーンを代表してアブドル・ガニ・バラダル英語版、アメリカ政府を代表してザルメイ・ハリルザドが和平合意に関する文書に署名した[101][102][103][104]。まず135日以内に1万2000人規模のアフガン駐留の米軍を8600人規模に縮小する。そして、アフガン国土をテロ攻撃の拠点にしないなどの和平合意をターリバーンが履行したと判断すれば21年春ごろに完全撤収する予定[105]。なお、アフガニスタン政府の治安部隊は、和平合意の対象外であるとして同年3月2日に攻撃作戦を再開すると発表している[106]

    2020年4月、ターリバーンはサーレポル州の「郡長」にシーア派のハザラ人を任命したと発表した。ターリバーンがシーア派ハザラ人を州知事に任命したのはこれが初である。これは、ターリバーンによるマザーリシャリーフ攻略で悪化した民族対立を緩和させ、国内のハザラコミュニティの支持を集めようとする動きと見なされている[107]

    2020年7月28日イード・アル=アドハーに際して3日間の停戦を発表した[108]。これに引き続き29日最高指導者ハイバトゥラー・アクンザダは純粋なイスラーム政府の樹立と反対勢力にタリバンへの参加を呼び掛けた[109]

    2021年1月、アフガニスタン政府が首都カーブルで武装した中国人集団を逮捕した。一説によると中国人集団は中華人民共和国国家安全部の工作員であり、東トルキスタンイスラム運動に対抗するためにハッカーニ・ネットワークと接触していたと言う[110]

    2021年2月、Pajhwok Afghan Newsの電話調査によると、ターリバーンはアフガニスタンの国土の約5割(52%)を掌握・勢力圏内に収めていると言う[111]。アフガニスタンの388郡のうちターリバーンが郡内を完全に支配しているのは27郡(7%)、政府が完全に支配しているのは67郡(17%)である[111]。またターリンバーンが郡の中心都市を支配しているのは39郡(10%)だと言う[111]

    2021年7月28日、ターリバーンの代表団が訪中し、外交部長(外相)の王毅と会談したアブドゥル・ガニ・バラダルは「中国はアフガン人民が信頼できる友人だ」と述べた[112]

     
    カーブルで警戒中のハンヴィー

    2021年8月15日、ターリバーンはアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言(2021年ターリバーン攻勢[113]アブドゥル・サタール・ミルザクワル内務相代行は、平和裏に権力の移行を進めると表明した[114]

    イデオロギー編集

    ターリバーンのイデオロギーは、デオバンド派原理主義に基づく「革新的な法解釈シャリーア(イスラム法)[115]と、ターリバーンのほとんどがパシュトゥーンの部族民[116]であることから「パシュトゥーンワーリー」と呼ばれるパシュトゥーンの社会的・文化的範を組み合わせたイスラム主義[117]だと言われている[118]

    アメリカの研究所の調査によると、調査対象のアフガニスタン人のうち、99%がシャリーア法による国の統治を望み、85%が姦淫者を石打ちすることを望み、81%が泥棒の手を切断する事を望み、79%が背教者の処刑を望んでいる[119]

    資金編集

    ターリバーンは麻薬鉱物の販売、外国からの寄付、市民からの徴税により多額の収入を得ている[49]。一説によると2011年の収入は3億~5億米ドルに達し、そのうちケシ栽培による収入は約1億ドルと言われている[49]。ターリバーンは2017年頃からヘロインの生産も開始し[120]、現在はターリバーンの収入の半分(4億ドル)が麻薬の生産と輸出によるものという説もある[120][121]

    麻薬問題編集

    アフガニスタンでは、メソポタミア文明以来[122]医薬品抗がん剤モルヒネ鎮痛剤)「植物性アルカロイド」の原料であり、麻薬のアヘンヘロインの原料になるケシの栽培が伝統的に盛んだった。ターリバーンは、1997年終盤にケシ栽培を禁止したものの効力を得ず、2000年までには、アフガニスタン産のケシは、世界の75%に達した。2000年7月27日に再びケシ栽培禁止の法令を出し、国連の調査によれば、ナンガルハル州では12,600エーカーあったケシ畑がターリバーンによって破壊され、17エーカー(以前の0.14%)にまで減少するなどした[123]

    こうした幾度かの禁止令にも関わらず、ターリバーンは実際にはアヘン栽培を積極的に容認したものと考えられている。2001年の国連麻薬取り締まり計画や1999年ウズベキスタンタジキスタンの報告によれば、ターリバーンの支配地域が広がるにつれ周辺諸国への密輸量は跳ね上がり、隣国のパキスタンでは1979年に皆無だった麻薬中毒者が1999年には500万人に達した。イランでは同時期120万人のアヘン中毒患者が報告された。

    アフガニスタンを根源にする麻薬汚染の拡大に国際的な非難が相次ぐ中、ターリバーンは、麻薬使用への死刑適用、生産地でのケシ栽培の取り締まり等、麻薬を取り締まるかのような姿勢を演出した。

    しかしながら、生産量を減らしたとはいえヘロインはターリバーンが支配するただ一つの工場のみで生産が継続され、またケシ栽培の削減開始後も2,800トンに上るアヘン在庫は維持され、出荷が停止することはなかった。このため2000年12月の安全保障理事会決議1333では、ターリバーン政権にアヘン製造を禁止する要請が出されている[74]

    麻薬追放・減産の形を取りながら、生産や輸出そのものの停止には至らず、むしろ麻薬類の国家管理が厳格化されたことを如実に示すこれらの事実により、ターリバーンによる2000年の麻薬禁止令は、実質としては当時供給過剰により下落傾向を見せていたアヘン相場に歯止めを掛けるための一時的な出荷停止措置であったと見られる [124]

    この価格統制政策はターリバーン政権が崩壊した事で崩れ、北部同盟の掌握地域では各軍閥が自派の資金源として、または貧農が生活のためにケシ栽培を再開するケースが続出した。この為に生産量は再び激増、国内総生産(GDP)の50%に相当する産業となっている。これは2005年では全世界の87%に当たる生産量である[125][126]

    アフガニスタン共和国政府はケシからの転作を進めて、2008年には前年に比べてケシ畑の耕作面積を19%減少させた。しかしアフガニスタンのケシ畑はターリバーンの勢力が強いヘルマンド州に全体の3分の2が集中しており、ターリバーンの資金源となっていると見られている[127]。またアヘン生産者が国内の混乱を継続させるためにターリバーンに献金を行っているという指摘もある[128]

    ターリバーン政権の成立後に情報文化大臣になる予定とされるザビフラー・ムジャーヒド報道官は、今後アフガニスタンはいかなる種類の麻薬も作らなくなることを明かし、市民が麻薬に代わる作物を栽培できるようになるためには国際的な支援が必要だと指摘した[129]

    対外関係編集

    イスラム主義組織編集

    アルカーイダ編集

    1996年にスーダンから追放されたビン・ラーディンはターリバーン統治下のアフガニスタン・ジャララバードに亡命した。ビン・ラーディンはターリバーンの最高指導者ムハンマド・オマルと親密な関係を築き、ターリバーンの庇護下で反米テロ活動を続けた。この頃からターリバーンはアルカーイダの過激思想の影響を受け、反米感情を抱くようになり、内政においても過激な政策が増加した。

    ターリバーンはアルカーイダに軍事や資金面で支援を受けていた。1997年にターリバーンがマザーリシャリーフ攻略に失敗し、捕虜となったターリバーン兵数千人がアブドゥル・マリクによって虐殺された際、ビン・ラーディンはISIと共にターリバーンを強化するために新兵採用の資金と軍用車両などを支援した。また、ターリバーンはアフガニスタン・イスラム首長国の外国人精鋭部隊「055旅団」の育成をアルカーイダに任せた[130]

    1990年代にビン・ラーディンはムハンマド・オマルに忠誠を誓い、アルカーイダは形式的にターリバーン傘下の組織となっている[131]。ビン・ラーディン死後もアルカーイダ2代目最高指導者ザワーヒリーがターリバーン2代目最高指導者アフタル・マンスールや3代目ハイバトゥラー・アクンザダに忠誠を誓っているが、ターリバーンはこれを拒否している[132]。2020年に結ばれたアメリカ合衆国-アフガニスタン・イスラム首長国(ターリバーン)間の和平合意で、ターリバーンは国際テロ組織(アルカーイダ等)との関係断絶を受け入れた。

    パキスタン・ターリバーン運動編集

    パキスタン・ターリバーン運動は、主にアフガニスタンと国境を接するパキスタン領土内の連邦直轄部族地域並びにカイバル・パクトゥンクワ州で活動するパシュトゥーン人のイスラム主義組織である。パシュトゥーン人が多数を占める組織という点でターリバーンと類似しているものの、組織・指揮系統及び活動目的は大きく異なる[133]

    パキスタン・ターリバーン運動は、彼ら自身とは民族の異なるパンジャーブ人が多数を占めるイスラマバード中央政府に対する敵意によって、複数のイスラム主義グループが連合して誕生したものであり、中央指導部の運動全体に対する統制力は低いとされる[134][135]。ターリバーンは2010年代まで、最高指導者ムハンマド・オマルが絶対的な権威を持っており、オマルの死後には内紛が起きたものの、連合組織であるパキスタン・ターリバーン運動に比して現在でも指導者評議会の組織に対する統制力は強い。活動目的については、ターリバーンはアフガニスタンをイスラム国家として復興させることであり、他方、パキスタン・ターリバーン運動はパキスタン政府を打倒してイスラム国家に改造することである。

    パキスタン・ターリバーン運動はパキスタン政府とは強い敵対関係にあるものの、ターリバーンはパキスタンと親密な関係にあるとされている。

    2009年、パキスタン・ターリバーン運動の指導者3人がターリバーンの最高指導者オマルの要請を受け、アフガニスタンで協力してジハードを行う事に合意したがすぐに破綻し内紛が起きた。

    2013年には、ターリバーンとパキスタン・ターリバーン運動が武力衝突して後者の司令官が戦死したとする報道があった[136]

    2014年にパキスタン・ターリバーン運動が実行したペシャーワル学校襲撃事件に対し、ターリバーンは「非イスラム的だ」として非難した[137]

    ターリバーンはパキスタン・ターリバーン運動との間に何ら関係を持っていないと主張している[138]

    IS(イスラミック・ステート)編集

    ISとターリバーンは敵対関係にある。ISのアフガニスタン支部である「イスラム国ホラサン州」はパキスタン・ターリバーン運動から分離して誕生した勢力である。イスラム国ホラサン州はウズベキスタン・イスラム運動やターリバーン内の不満分子などを吸収しつつ2016年代頃に勢力を拡大し、ターリバーンと200回以上交戦している[139]。ISはターリバーンが根付いていないアフガニスタン北部や、パキスタン・ターリバーン運動の影響を受けている東部の山岳地帯を中心に活動していた。

    2013年イラクのアルカーイダ支部から発展したISは、アルカーイダ本部からの解散命令を無視し、アルカーイダの統制下にあるシリアのアル=ヌスラ戦線とも衝突を繰り返すようになった。ISとアルカーイダ本部は敵対関係に至り、ターリバーンはISに対して沈黙していた。ISはアフガニスタンもカリフ制の支配下に入るべきだとし、アフガニスタン紛争へ介入する姿勢を見せた。

    2015年にターリバーンの副指導者であったアフタル・マンスールは最高指導者ムハンマド・オマル(2013年に病死)の名義で、IS最高指導者のアブー・バクル・アル=バグダーディー宛に、アフガニスタン紛争への関与を警告する旨の声明を発表した[140]。同年、ISのアフガニスタン支部である「イスラム国ホラサン州」が同国東部で、共和国政府またはターリバーンに同調する「背教者」とする人質を爆殺し、ターリバーンは非難声明を出した[141]

    2017年から2018年にかけてジョウズジャーン州ダルザーブ郡の支配権を巡ってIS-ターリバーン間で激しい戦いが起きた。残虐な振る舞いを理由にターリバーンから追放されたウズベク系のカーリ・ヘクマト[142]とネマットはISに忠誠を誓い、2016年から2018年にかけて地元のターリバーンを駆逐して実権を握っていた[143]。2018年7月初旬、ターリバーンは特殊部隊を投入してISを撃破[144]。司令官ネマットはターリバーンから逃れるために共和国政府に降伏する事を決定し、生き残ったIS戦闘員は政府軍のヘリコプターで州都シェベルガーンまで運ばれ、手厚くもてなされた[145][146]

    2021年4月19日、ISPP(イスラム国パキスタン州)はペシャーワルで、ターリバーン司令官のナイク・ムハンマド・ラーバーを暗殺した[147]。ナイク・ムハンマド・ラーバーは、ナンガルハール州における対IS作戦を率いてきたターリバーン司令官の1人であり、ナンガルハール州のホギャニ地区で行われた葬式には大勢の地元住民が参列した。

    2021年8月16日、ターリバーンは制圧したカーブルの刑務所で、過去にISホラサン州の最高指導者を務めていたZiya ul-Haqを含む約150人のIS収監者を処刑した[148]

    2021年8月26日、ターリバーンの支配下にあるカーブル国際空港で自爆テロを行い、ターリバーン兵28人を含む182人を殺害した[149]

    2021年10月3日、ISホラサン州はカーブルのイードガーモスクで爆弾テロを発生させ、民間人5人を殺害した。同モスクではターリバーン政権の大臣ザビフラ・ムジャヒドが母親の追悼式を行っていた[150]。翌日、ターリバーンはカーブルでISホラサン州の隠れ家を襲撃し関係者10人を全員殺害した[151]

    デオバンド派のターリバーンの一部はサラフィー主義者をISの温床と見なして激しく敵視している。

    2021年9月5日、カーブルでサラフィー主義の聖職者オバイドゥラ・ムタワキルがターリバーンによって殺害された。ムタワキルの教え子の多くはISに参加していた。翌日、ターリバーンはサラフィー主義のモスクやマドラサを36箇所以上も閉鎖した[152]

    2001年以降の主要な事件編集

    2007年以前編集

    • 2006年12月、米軍はターリバーンの軍事評議会議長であるムッラー・アフタール・ムハンマド・ウスマーニーをアフガニスタン南部で殺害したと発表。
    • 2007年5月、同じく軍事司令官で、ターリバーン政権時代に建設相を務めたムッラー・ダードゥッラー・アフンドが戦闘で死亡。同年12月、ターリバーンのスポークスマンであるザビウッラー・ムジャーヒドは「ダードゥッラー兄弟はターリバーンの規約に反して活動していたため、運動から除名されていた」と関係を否定する声明を発表。

    2008年編集

    • 2月11日、パキスタン国軍は、同国南西部のバローチスターン州でダードゥッラーの兄弟であるマンスール・ダードゥッラーを拘束したと発表した。
    • 2月18日、アフガニスタン駐留するNATO傘下の国際治安支援部隊の発表によると、南部ヘルマンド州でターリバーン同州指導者のムッラー・マティーンとムッラー・カリーム・アガーを殺害したと発表した。
    • 3月31日、ヘルマンド州の州都ラシュカルガーにおける戦闘でターリバーン現地指導者の一人、ムッラー・ナキーブッラーをアフガニスタン警察が拘束した。ナキーブッラーは過去2回拘束されているが、その都度に脱走していた。
    • 7月17日、アフガニスタン駐留多国籍軍の発表によると、ヘルマンド州におけるターリバーン指揮官、ビスムッラー・アフンドを7月12日に殺害したと発表した。
    • 8月22日、アフガニスタン国防省報道官の声明によると、ヘラート州において地元の過激派と会合中だったターリバーン現地指導者、ムッラー・ シッディークをアフガン軍が殺害したと発表した。
    • 9月28日、アフガン治安当局者は、ガズニー州にて、同州アンダル地区のターリバーン指導者アブドゥル=ラヒーム・デーシューワら3人が空爆で死亡したと発表した。
    • 11月23日、NATO傘下の多国籍軍の発表によると、ヘルマンド州において同月19日に同州におけるターリバーン指導者、ムッラー・アサドを殺害したと発表した。アサドは、同州ガルムシール地区における攻撃の責任者とされる。

    2009年編集

    • 2月15日、駐留米軍は、トルクメニスタンとの国境近くの民家に潜伏していたターリバーン指導者、ムッラー・ダスタジルを殺害したと発表。ダスタジルは昨年11月にアフガニスタン軍兵士が死亡したゲリラ攻撃を指揮したとされる。ダスタギルは以前、テロ容疑で拘束されていたが、恩赦により出獄していた。
    • 6月23日、ウルーズガーン州タリーン・コート近郊で起きた、ターリバーンとアフガン・ISAF合同軍との戦闘で、同地域のターリバーン指導者ムッラー・イスマーイールが死亡した。
    • 8月6日、パキスタン・ターリバーン運動の最高指導者バイトゥッラー・マフスードがアメリカの無人偵察機による空爆で死亡したとパキスタン情報当局が発表した。後任には弟のハキームッラー・マフスードが就任。

    2010年編集

    • 1月18日、首都カーブル中心部でターリバーンが政府施設や市場などを標的にした自爆や銃などによる攻撃を行った。治安当局と激しい銃撃戦となり、少なくとも一般市民の子ども1人を含む5人が死亡、71人が負傷した。ターリバーン側は7人が死亡。
    • 2月16日、ニューヨーク・タイムズが、ターリバーンの軍事評議会議長で、最高幹部の一人であるムッラー・アブドゥル・ガニ・バラダルがパキスタンカラーチーで拘束されたと報道。バラダルは、ターリバーン創設時からのメンバーで、ムハンマド・ウマルやウサーマ・ビン=ラーディンとも近かった人物とされ、ターリバーン政権では、国防次官の地位にあった。アフガニスタンのカルザイ大統領は、和平派と目されていたバラダルとの交渉を企図していたことから、パキスタン政府に同人の釈放を求めるも拒絶されたとされる[153]

    2011年編集

    2013年編集

    • 6月18日、ターリバーンがカタールの首都ドーハに事務所を開設した[157]。タリバンとアメリカ政府の間で、和平協議が行われることが発表された[158]アフガニスタン政府は、当初、この和平交渉に参加する予定だったが、6月19日、ハーミド・カルザイ大統領が「事務所の開設の仕方とタリバンの声明は、米国がわれわれに保証していたことに明らかに反する」として、交渉がアフガン主導でなければ交渉に参加しないと表明した[159]
    • 6月26日、アメリカは、タリバンとアフガニスタン政府との取りまとめができず、アメリカのアフガニスタン・パキスタン特別代表ジェームズ・ドビンズは、アメリカに帰国した。和平交渉の開始は仕切り直しの必要に迫られている[160]
    • 7月9日、ドーハの連絡事務所の一時閉鎖を発表した[161]

    2014年編集

    • 6月20日-6月28日、ヘルマンド州州都ラシュカルガー北東部のサンギン(Sangin)地区にて、ターリバーンの部隊と政府軍が交戦。同地区は、ターリバーンの攻勢に圧され2010年にはイギリス軍部隊が撤収する難攻の地であったが、政府軍側が800人以上の戦闘員を投入して制圧。政府側は、6月28日に同地における事実上の勝利宣言を行った。政府側の発表では、政府側の死者28人、ターリバーン側の死者およそ260人[162]

    2015年編集

    • 7月8日、イスラマバードでアフガニスタン政府がターリバーンと初の直接の公式和平協議。これまで仲介に関与してきた中国と米国のオブザーバーも参加した[91]
    • 7月30日、消息が不明だったムハンマド・オマルが2013年4月に死亡していたことが確認された。序列2位のアフタル・ムハンマド・マンスールは死後2年間、オマルの権威を利用してオマルの名前で声明を発表していた。後継の指導者はマンスールとなる[163][164]

    2016年編集

    • 1月11日、イスラマバードでパキスタン、アフガニスタン、中国、米国による初の4カ国協議[165]。ターリバーンとの和平を目標に定例会合を行う「4か国調整グループ(QCG)」が設立[166]
    • 3月6日、ターリバーンが和平交渉を拒否[167]
    • 5月21日(または5月20日)、アフタル・ムハンマド・マンスールがアメリカ軍の無人機の空爆を受け死亡したとされる[99][168]
    • 5月25日、ターリバーンがマンスールの死を公式に認め、後継の最高指導者にハイバトゥラー・アクンザダが選ばれたことを発表した[100]
    • 11月29日、ターリバーンが公式サイトで中国企業の中国冶金科工集団英語版が契約したメス・アイナク英語版の銅鉱山開発計画などの保護を発表[169]

    2017年編集

    • 1月– 3月23日、ヘルマンド州州都ラシュカルガ―北東部のサンギン(Sangin)地区がターリバーンに奪還された。特殊部隊を投入しトンネル戦術等を駆使するターリバーンに対し、政府軍は空爆によって対抗したものの攻勢を抑えきれず撤退した[170]

    2018年編集

    • 6月、ラマダーンに合わせて政府側が18日間にわたり停戦。うちラマダーンあけの祭り、イド・アル=フィトルの3日間は、ターリバーン側も停戦に応えてほぼ完全な停戦状態となった。しかし、祭り後はターリバーン側は戦闘を再開。政府軍側も同年6月30日より戦闘を再開している[171]

    2019年編集

    • 1月26日、米アフガン特別代表のザルメイ・ハリルザドがカタールでのターリバーンとの6日間にわたる前例のない和平協議で非常に重要な成果を得たと述べた[172]。米軍撤退で大筋合意があったと報じられた[173]
    • 2月5日、ターリバーンとアフガニスタンのカルザイ前大統領らによるアフガン和平に関する会議がロシアの首都モスクワで開かれた。ターリバーンの代表は米軍撤退後に単独の政権樹立は目指さないとの姿勢を示したと報じられた[174]
    • 4月26日、米アフガン特別代表のザルメイ・ハリルザドがモスクワを訪問してターリバーンとの和平案で中国やロシアと合意した[175]
    • タリバンの勢力が拡大しつつあり、6月時点、アフガニスタンの地区の46.2%を掌握し、または勢力圏内に入っていると報道された[176]
    • 6月20日、中国政府はターリバーンの代表団が訪中して和平交渉やテロ対策などで意見交換したことを発表した[177]
    • 9月7日、ドナルド・トランプ米大統領は、1年近くターリバーンと進めてきた和平交渉を中止することを発表。目前にはキャンプ・デービッドにターリバーン幹部やアシュラフ・ガニ大統領らを招いた極秘会談がセットされていたが、アメリカ兵を目標とした自爆攻撃がやまなかったことが交渉中止の理由とした[178]
    • 9月13日~10月2日、ロシア、イラン、中国、パキスタンをターリバーンの代表団が歴訪した[179]
    • 11月28日、トランプ大統領はアフガニスタンを電撃訪問してターリバーンとの協議を呼びかけ、翌29日にターリバーンは協議再開の受け入れを表明した[180]

    2021年編集

    評価編集

    中村哲編集

    アフガニスタンで支援活動を長年続けた中村哲医師は、「タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです」と評している[181]。中村医師は2019年、アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラーバードにて、イスラーム過激派のパキスタン人に銃撃され死去している。

    脚注編集

    [脚注の使い方]

    注釈編集

    1. ^ ターリバーン政権は国際連合でのアフガニスタン政府としての代表権を主張したが、国際連合は旧政権の北部同盟にアフガンの代表権を引き続き与えたため、ターリバーンは使節(正式な大使ではない)という形式で国連に代表を派遣した。

    出典編集

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    外部サイト編集