私は貝になりたい

日本のテレビドラマ、映画作品

私は貝になりたい』(わたしはかいになりたい)は、ラジオ東京テレビ(KRT→TBS)の「サンヨーテレビ劇場」で1958年10月31日22時 - 23時40分に放送された日本テレビドラマ。元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」の遺書部分をもとに創作された橋本忍脚本によるフィクションで、第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が戦後B級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描く。岡本愛彦演出、フランキー堺主演。第13回文部省芸術祭芸術祭賞[注 1](放送部門)受賞作[注 2]

サンヨーテレビ劇場
私は貝になりたい
ジャンル テレビドラマ
原作 加藤哲太郎(題名・遺書)
脚本 橋本忍(物語・構成)
演出 岡本愛彦
出演者 フランキー堺
桜むつ子
佐分利信
南原伸二
河野秋武
オープニング 作曲:土橋啓二
演奏:東京テレビオーケストラ
製作
制作 ラジオ東京テレビ
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1958年10月31日
放送時間22:00 - 23:40
放送枠サンヨーテレビ劇場
放送分100分
回数1

特記事項:
・全編モノクロ作品
VTR生放送を併用
・第13回芸術祭文部大臣賞受賞
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1959年2008年に映画として、1994年にテレビドラマとしてリメイクされた。

概要 編集

TBSの前身、ラジオ東京テレビ(KRT)が1958年に制作したテレビドラマである。三洋電機一社提供による単発ドラマ番組「サンヨーテレビ劇場」の一編(第42回)として、1958年10月31日に放送。通常は22時から30分間の放送枠だったが、このドラマでは22時 - 23時40分に拡大された。主演はフランキー堺テレビ放送黎明期に制作され大きな反響を呼び、“ドラマのTBS”の礎となった作品として、日本のテレビ史に語り継がれている。

冒頭部分には、実際の極東国際軍事裁判の映像(東條英機元首相に判決が言い渡される様子)が使用されている。

あらすじ 編集

第二次世界大戦中の1944年。高知県幡多郡清水在住の清水豊松(しみず とよまつ)は、気の弱い平凡な理髪師。理髪店を営んでいたが、戦争の激化によって赤紙が届き、応召することになる。

内地の某部隊に所属した豊松は、厳しい訓練の日々を送る。ある日、撃墜されたB-29の搭乗員が裏山に降下し、「搭乗員を確保、適当(2008年の映画版では「適切」)な処分をせよ」という命令が豊松の中隊に下る。山中探索の結果、虫の息であった搭乗員を発見し、隊長は搭乗員を銃剣で刺殺するよう豊松に命令するが、気の小さい彼には殺すことができず、実際には負傷させただけに終わる。

終戦後、豊松は除隊して帰郷し、理髪店で再び腕を振るっていた。しかしある日、特殊警察が豊松をBC級戦犯として、捕虜殺害容疑で逮捕する。裁判で彼の主張は認められず、死刑を宣告された豊松は、処刑の日を待ちながら「もう人間には二度と生まれてきたくない。こんな酷い目に遭わされるのなら牛や馬の方が良い。いや、牛や馬になってもきっとまた人間に酷い目に遭わされる。いっそのこと深い深い海の底の貝に…。そうだ、貝が良い。どうしても生まれ変わらなければいけないのなら、深い海の底で戦争も兵隊も無い、家族を心配することもない、私は貝になりたい」と遺書を残すのだった。

登場人物 編集

スタッフ 編集

放送 編集

このドラマは、豊松が逮捕される場面までの前半約30分強がVTR(10月26日深夜に収録)、裁判から最後までの後半が生放送で放送された[1][2]。当時はVTRのコピー編集やテープの手切り編集も出来ない時代であったので、前半の収録は録画状態のVTRを止めること無く、演技を休み無く続けていくいわゆる一発撮りであり、収録過程は生放送と同じであった。

当時の視聴率調査は、年に数回、1週間程度の調査期間を定めて行われるものであったため、このドラマの視聴率は記録に残っていない[3]。ちなみに東京では、ラジオ東京テレビのほかには、NHK日本テレビが開局したのみであった。

スポンサーCMは、ドラマの本編中には一切挟まずに、本編前後で放映され、本編中には6回の提供クレジットが表示されただけであった。また本編後のサンヨー洗濯機の生CMは当時ラジオ東京アナウンサーであった吉村光夫が担当していた。

この1958年テレビ版は日本国外でも放送された[4]。国内ネット局ではラジオ東京のほかに、大阪テレビ放送(現在:朝日放送へ統合)、山陽放送RKB毎日放送の計4局であった[4]。放送の翌日に開局した静岡放送テレビと、テレビ本放送開始4日前でサービス放送期間中だったラジオ新潟テレビ(現在:新潟放送)は、1958年12月21日のラジオ東京での再放送をマイクロネットし、静岡・新潟両県内に向け放送した[4]。本放送の時点で開局済みだったTBS系列の中部日本放送北海道放送信越放送では事実上、日本テレビとのクロスネット、かつ、当時は深夜に準ずる時間帯との理由から放送されていない[4]

映像の現存状況 編集

裁判以降のシーンが生放送という放送形態であったが、1958年に日本国内で導入されたばかりの2インチVTRで、番組の全編が記録されている。この番組全編のVTRは、TBSに現存する最古の番組映像資料として、TBSのアーカイブに保管されている。

全編を収録したテープが存在しているため、何度か再放送されている。

  • 1958年12月21日 16時 - 18時15分 : 芸術祭受賞記念として(静岡放送テレビ、ラジオ新潟テレビでマイクロネット)[注 4]
  • 1959年12月26日 15時50分 - 17時30分 : 橋本脚本・岡本演出の「いろはにほへと」芸術祭大賞受賞記念として
  • 1975年4月5日 24時(4月6日0時): TBS開局20周年「芸術祭受賞ドラマシリーズ」として
  • 1983年1月31日: NHK総合テレビにて、テレビ放送30年を記念した特別番組「ドキュメンタリー ブラウン管の一万日~テレビは何を映してきたか~」第1部の中で放送[5](番組内のスポンサー部分のテロップは"コマーシャル"のロゴでマスキングされた)
  • 1991年10月12日 12時: TBS開局40周年記念の特別企画「テレビ名作シリーズ」として
  • 1996年6月15日 15時30分 : フランキー堺の追悼番組として

そのほか、TBSチャンネルでも年に1回 - 3回のペースで、1994年版とともに再放送が実施されている[注 5]

初の放送からちょうど50年を迎える2008年10月31日には、DVD化されて発売、初のソフト化となった。

これらの映像は本放送時と異なり、スタッフクレジットの「原作」の部分に橋本・加藤、両者の名が併記されており、本編中に提供クレジットの表示がない。また、製作著作のクレジットは「TBS」(1961年 - 1991年に使用された2代目略称ロゴ)に差し替えられているが、理由については、以下の「裁判」の項を参照。

また、横浜放送ライブラリーでは、1994年版とともに保管されており(DVDおよびビデオ・オン・デマンド形式)、無料で閲覧することができる。ここに保管されているオリジナル版では、TBSチャンネルの再放送およびDVD収録の映像とは異なり、本編中に提供クレジットが表示されている。製作著作のクレジットについては、こちらも「TBS」に差し替えられている。この他、Paraviによる動画配信(有料)も行われている。

裁判 編集

劇中の主人公の遺書が、元陸軍中尉で自らも戦犯として裁判を受けた加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚[注 6] の遺言内容と酷似していた。それを友人から伝え聞いた加藤は、ドラマの脚本を執筆した橋本に対して自分の原作権を認めるよう求めたが、橋本はこれを拒否。そこで加藤は、ドラマの映画化(1959年版)が決まった際、配給元の東宝と、自分が原作者としてクレジットされることを条件に契約し、橋本もこれを受諾した。

ところがラジオ東京テレビ(2013年、現在:TBS)がクレジットを改めずにまたドラマを再放送したため、加藤は当時のラジオ東京テレビと橋本を著作権法違反で告訴した。この裁判[注 7] の結果、加藤の訴えは認められた。そのため2013年現在では題名および遺書の原作者として「加藤哲太郎」の名がクレジットされるようになっている。なお、加藤自身も主人公同様に戦犯として巣鴨プリズンに勾留、死刑判決を受けているが、後に再審の末、減刑されて釈放されている。

のちに中野昭夫がドラマの原案者は自分であるとして、橋本を相次いで訴えた。しかし、1975年(昭和50年)に東京地方裁判所で敗訴した損害賠償などの請求をはじめ、ことごとく敗れている。

「狂える戦犯死刑囚」との異同 編集

以下は、加藤が志村郁夫名義で『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(1953年、飯塚浩二編、光文社)に寄稿した「狂える戦犯死刑囚」の一部である。ドラマで削除された部分は、変更された部分は下線で示す。ただし、漢字やカタカナの使い分けなど、細かい異同は除いた。また、この手記での遺書は衛生兵であった赤木曹長のもの、という設定(モデルはいたが、ぼかしてフィクション仕立てにしたもの[注 8])になっており、一介の二等兵であった豊松の設定と異なる。現実には、二等兵で死刑が執行された戦犯はいないとされる[注 9]

けれど、こんど生れかわるならば、

いや、私は人間なりたくありません。
(この間加筆挿入)
牛や馬にも生れません、人間にいじめられますから。
どうしても生れかわらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。
ならば海の深い底の岩にヘバリついて何の心配もありません。

兵隊にとられることもない。戦争もない。
妻や子供を心配することもない。

どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです — 加藤哲太郎(志村郁夫名義)、『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(1953年、飯塚浩二編、光文社)

リメイク作品 編集

1959年2008年には劇場版が制作・公開されている。劇場版は1959年版が1958年版ドラマに引き続きフランキー堺、2008年版は中居正広がそれぞれ主役を務めた。映画の配給はいずれも東宝。また、1994年にはTBSにて所ジョージ主演でテレビドラマとしてリメイクされた。

本作品のリメイク作品以外に、加藤の著書「私は貝になりたい あるBC級戦犯の叫び」を原作として、実話に基づき敗戦後の逃亡生活や投獄など加藤の激動の人生を描いたテレビドラマ「真実の手記 BC級戦犯加藤哲太郎 私は貝になりたい」が2007年日本テレビで放映された。同じ題名だが本項の作品とは別物である。

映画 編集

1959年版 編集

私は貝になりたい
 
監督 橋本忍
脚本 橋本忍
製作 藤本真澄
三輪礼二
出演者 フランキー堺
新珠三千代
菅野彰雄
水野久美
笠智衆
音楽 佐藤勝
撮影 中井朝一
配給 東宝
公開   1959年4月12日
上映時間 113分
製作国   日本
言語 日本語
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東宝の製作・配給により、1959年4月12日より映画版が公開された。モノクロ東宝スコープ。上映時間は113分。橋本忍の初監督作品である[注 10]

キャスト
スタッフ
作品解説
映画化にあたって、橋本自ら脚本に部分的な加筆を行なっており、これ以降のリメイクも、(橋本が脚本の改訂を行なった2008年版の映画も含め)この1959年版の映画をベースにしたものとなっている。フランキー堺以外のキャストは、前年のテレビドラマ版から、その大部分が変更となった[注 11]。同時上映は「おしゃべり奥様」(原作:土岐雄三、監督:青柳信雄、主演:中村メイコ)だが、4月19日からは「孫悟空」(監督:山本嘉次郎、主演:三木のり平)との2本立てに代わった。
ソフト
VHSでソフト化されたが、こちらは廃盤。2008年には、リメイク映画版が公開されるのに合わせてDVD化、10月24日にリリースされた(付属リーフレットに、橋本忍書き下ろし「秋晴れの運動会」[注 12] を収録)。

2008年版 編集

私は貝になりたい
監督 福澤克雄
脚本 橋本忍
製作 瀬戸口克陽
東信弘
和田倉和利
製作総指揮 濱名一哉
出演者 中居正広
仲間由紀恵
石坂浩二
音楽 久石譲
主題歌 Mr.Children花の匂い
撮影 松島孝助
配給 東宝
公開   2008年11月22日
上映時間 139分
製作国   日本
言語 日本語
興行収入 24.5億円[6]
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1959年版と同じく東宝の配給により、2008年11月22日公開。製作委員会にJNN全28社が参加した最初の映画作品。主演は中居正広

2012年8月15日、TBS系列で地上波初放送された。また、2014年7月26日にはBS-TBSで放送された。TBSチャンネルでもドラマの1958年版・1994年版と合わせて放送された[注 13]

キャスト
スタッフ
作品解説
製作費は11億円。この映画化に際して、基本的にシナリオを書き直さない信念を持っている橋本は唯一書き直したい作品であったと語り、自身では初めて脚本の改訂を行った。また、福澤克雄にとっては映画初監督作品となる[注 14]
橋本が脚本の改訂に踏み切った背景の一つには、生前にこの作品の脚本を見た黒澤明が、「橋本よ、これじゃあ貝になれないんじゃないか?」と感想を述べたからだという[注 15][7]。同志であるからこそ率直な意見を述べたであろう黒澤がどの部分を問題視したかは不明だが、後述の通りこの作品の脚本をめぐっては、幾多の裁判などの末、リメイク版テレビドラマの制作された1994年までに、権利者は橋本と加藤哲太郎(題名および遺書の原作者)でようやく確定した経緯もあり[8]、加藤をはじめとする関係者の神経を逆撫でしかねない黒澤の発言に、橋本は長年悩まされていたとも言える。
主なロケ地は島根県西ノ島町国賀海岸など)・奥出雲町。また、清水理髪店のある商店街巣鴨プリズン池袋駅前の闇市の風景などは緑山スタジオ・シティ神奈川県横浜市青葉区)内にオープンセットを作って撮影された。
プロモーション
丸刈りにすれば“Bouz割引”が適用され、1000円で鑑賞可能となった。これは、出征を前に丸刈りにする場面があることから来ている。
テレビ放映
2012年8月15日には、かつてテレビドラマ版を2本制作したTBS系列「水曜プレミアシネマ」で、地上波初放送となった[注 16]
備考
中居と仲間は2006年NHK第57回NHK紅白歌合戦」で両組司会コンビを組んでいる。
本作品公開直後である2008年の「第59回NHK紅白歌合戦」でもこの2人が両組司会を担当[注 17]、11月24日に行われた司会発表会見で中居は「この“夫婦”で、夫婦ゲンカじゃないですが、頑張っていきたい」「勘違いしないでほしいんですけど、映画の宣伝でも何でもございません」と語り、記者たちを笑わせた。また、本作品のPR活動(映画関連のイベントや民放番組への出演)で2人のスケジュールが中々合わなかったため、発表が例年より遅いこの日となった[9][10]
第59回の前半のラストでは中居と仲間が、本作品の音楽を担当した久石のピアノ演奏に合わせて平和へのメッセージを述べ、秋川雅史の「千の風になって」の歌唱に繋げた[11]
なお、第59回の放送後に本作の観客が急増する現象が発生しており、『サンケイスポーツ』2009年1月6日付はこれを「紅白効果」と報じた。

テレビドラマ 編集

1994年版 編集

TBS放送センター完成記念
ドラマ特別企画

私は貝になりたい
ジャンル テレビドラマ
原作 加藤哲太郎(題名・遺書)
脚本 橋本忍(物語・構成)
演出 山泉脩
出演者 所ジョージ
田中美佐子
津川雅彦
柳葉敏郎
渡瀬恒彦
オープニング 小椋佳『藍色の時』
製作
プロデューサー 浅生憲章
制作 TBS
放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域  日本
放送期間1994年10月31日
放送時間21:00 - 23:24
放送分121分
回数1

特記事項:
・第43回日本民間放送連盟賞ドラマ番組部門優秀受賞
・制作協力:テレビ高知(KUTV)
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TBS放送センター(ビッグハット)完成記念として、1994年10月31日21:00 - 23:24にリメイク版を放送。山泉脩演出、橋本忍脚本、浅生憲章プロデュース、所ジョージ主演。

第43回日本民間放送連盟賞ドラマ番組部門優秀、第21回放送文化基金賞ドラマ番組部門奨励賞、第34回日本テレビ技術協会賞(照明)を受賞した。

ドラマの冒頭では、湾岸戦争ベトナム戦争朝鮮戦争など日本の戦後に起こった世界各国の実際の戦争の映像が映し出され、ドラマの随所では真珠湾攻撃東京大空襲広島市への原爆投下などの実際の映像が放映された。

キャスト
スタッフ
  • 遺書・原作・題名:加藤哲太郎
  • 脚本:橋本忍
  • 音楽:小椋佳、川辺真
  • 技術:大場俊
  • カメラ:関巧
  • 映像:浅利敏夫
  • カメラ助手:小林純一
  • 音声:山田紀夫、中前哲夫、小高康太郎
  • 照明:米山晃、松本修一、堀口敦生、石川博章
  • 編集:山下雅史
  • 音響効果:西村喜雄
  • 美術プロデューサー:石本富雄
  • 美術デザイン:竹内誠二、村上仁之
  • 美術制作:島田孝のぞみ
  • 装置:三木憲一、鈴木勲
  • 装飾:中川昌平、片岸雅浩
  • コスチューム:武内修、相川直三
  • ヘアーメイク:伊東亜紀子、中田マリ子、谷口恵美子
  • 持道具:市口正明
  • 建具:樋口一夫
  • 植木装飾:菊地起矢
  • タイトル:仲野美代子
  • 特殊効果:高橋レーシング
  • エキストラ:芸プロ
  • 特殊機材:NK特機
  • 劇用車:サンオフィス
  • 理容機器:盛岡・名久井、日理
  • 構成:樋口祐三、成合由香
  • 番組宣伝:反町浩之
  • スチール:加藤徹
  • 考証:茶園義男
  • 資料提供:内海不二子
  • 軍事指導:矢島玖琅
  • 資料:織田文二
  • 方言指導:渡部猛、松田真知子
  • 制作参考資料:「あれから七年[12]」「壁あつき部屋[13]」「世紀の遺書」「戦争裁判・処刑者一千[14]」「日本占領 スガモプリズン資料[15]
  • 制作協力:橋本信吾
  • 音楽協力:日音
  • プロデューサー:浅生憲章
  • 演出:山泉脩
  • 制作著作:TBS
主題歌
音楽監督
放送
  • 前述のとおり、横浜の放送ライブラリーでも無料で閲覧可能である。TBSチャンネルでも、オリジナル版とともに再放送されている。
  • 平均視聴率は18.2%(関東地区ビデオリサーチ)だった。
  • ドラマの舞台となる高知県JNN系列であるテレビ高知(KUTV)が制作協力に関った。
  • 1958年版は全編スタジオ撮影だったが、1994年版は撮影技術の変化などから、高知県を中心としたロケ撮影も行われた。
反響
リメイク版の提供スポンサーには、オリジナル版の単独スポンサーだった三洋電機がクレジットされていたが、当時の三洋電機のCMに、所がコミカルな調子で出演していたため、放送中に「ドラマ本編とのギャップが激しすぎる」という苦情の電話がテレビ局に殺到した[要出典]。また、清水豊松は1958年版では標準語で喋っているが、1994年版では土佐弁で喋っている。
ソフト
放送後にはビクターエンタテインメントにてビデオソフト化され、発売された(2015年現在、DVDなどのビデオディスク化はされていない)。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2015年現在の大賞。
  2. ^ 岡本と橋本の2人は、翌1959年に同枠で放送された「いろはにほへと」でも同賞を受賞しており、2年連続で芸術祭賞を受賞することとなった。
  3. ^ a b ファーネスは元米陸軍人で、実際に極東国際軍事裁判重光葵の弁護人になった経験を持つ。
  4. ^ 川崎隆章著「まぼろしの大阪テレビ - 1000日の空中博覧会 - 」によると、大阪テレビ放送が録画し、同局の東京支社で保管していたVTRを使用して再放送されたという。
  5. ^ 2014年8月の終戦記念日前後には、2008年版とあわせて放送された。
  6. ^ 当初は志村郁夫名義で発表したもの。2012年現在は加藤の文集『私は貝になりたい』に収録され再刊、春秋社ISBN 4-393-44161-3
  7. ^ この裁判で加藤は自分の文章のほかにも、山口水青・竹谷しげる著「壁厚き部屋」(理論社、復刻版は鷺草発行所)や、巣鴨遺書編纂会編「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会刊行事務所、復刻版は講談社)からの剽窃もあったと主張している。しかし、これらの著者で著作権を主張して名乗り出た者はなく(特に「世紀の遺書」は文字通り処刑された戦犯の遺書である)、版権にも影響していない。なおこの加藤の主張を考慮してか、1994年のドラマ版ではこれらの書籍が制作参考資料としてクレジットされている。
  8. ^ 「狂える戦犯死刑囚」冒頭に、「以下は、かつて戦犯であった一市民の綴り方である。かならずしも事実に基づいてはいないが、全部がフィクションだと考えてもらってはこまる。このへんのことは、やがて時が解明してくれるだろう」と断り書きがある。また、後年の著作権裁判では、一度は死刑判決を受けた加藤が、執行逃れのために一時的に収容されていた精神病院(米軍361病院、同愛病院)で、同室していた者の言動からヒントを得たと述べている。
  9. ^ より正確には、いったん死刑判決を受けたが、減刑された二等兵はいる(林博史『BC級戦犯裁判』、岩波書店岩波新書、2005年、ISBN 978-4004309529)。
  10. ^ 挨拶に黒澤明を訪ねると「橋本よ……これじゃ、何か大事なものが足りなくて、貝にはなれないんじゃないかな」「私もその通りだと思ったので一生懸命考えた。が、どうしても思いつかなかった」と橋本が振り返るという話が残っている(大庭牧子朝日新聞be“今なお足りない「何か」”2014年7月2日)。
  11. ^ 橋本忍の述懐によると、映画化に際して東宝の藤本真澄プロデューサーからは「主役はフランキーで動かないが、女房の役は新珠三千代。これだけは崩せないよ」と言われたという(1959年版映画DVD・封入リーフレットに掲載の「秋晴れの運動会」より)。
  12. ^ この「秋晴れの運動会」によると、「砂の器」や「八甲田山」の製作終了後、橋本プロダクション(1973年、橋本らが設立)で映画化が検討された企画の中に、「私は貝になりたい」のリメイクもあったという。
  13. ^ なお、SMAP解散後は2008年版は放送されず、2020年の終戦記念日に至っては1958年版のみの放送であった。
  14. ^ 本来の初監督作品だった『涙そうそう』は、急病で途中降板していた。
  15. ^ 橋本はいわゆる「黒澤組」のシナリオライターであり、「羅生門」、「七人の侍」などの脚本に参加している。
  16. ^ 19:00 - 21:30に「キリンチャレンジカップ2012」(日本×ベネズエラ戦)が編成されたため、通常より30分遅れの21:30開始となった。
  17. ^ 翌年の『第60回NHK紅白歌合戦』も続投。

出典 編集

  1. ^ 講談社 編『TVグラフィティ : 1953年〜1970年ブラウン管のスター・ヒーロー・名場面1700』講談社、1978年4月3日、167頁。NDLJP:12275878/87 
  2. ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、55 - 57頁。NDLJP:12275392/31 
  3. ^ 引田惣弥「全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した」講談社、2004年、37頁。ISBN 4062122227
  4. ^ a b c d 2002年1月発行「TBS50年史」
  5. ^ NHKクロニクル「テレビ放送開始30周年記念番組 ドキュメンタリー ブラウン管の一万日 - テレビは何を映してきたか - 」 - NHKアーカイブス
  6. ^ 2009年度興収10億円以上番組(日本映画製作者連盟 2010年1月発表)
  7. ^ 2008年11月6日深夜(11月7日午前)放送のTBS『エンタの味方!』より
  8. ^ 1994年10月11日付『朝日新聞』(東京本社管内)夕刊19面の記事などより
  9. ^ 本年度『紅白歌合戦』司会に中居正広&仲間由紀恵が正式決定,ORICON NEWS,2008年11月24日
  10. ^ スポーツニッポン』2008年11月25日
  11. ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』
  12. ^ 飯塚浩二編集『あれから七年―学徒戦犯の獄中からの手紙』ASIN B000JBBGZS
  13. ^ 1956年10月31日公開、松竹映画
  14. ^ 椎野八束編集『別冊歴史読本特別増刊 未公開史料 戦争裁判処刑者一千 勝者は敗者をいかに裁いたか』
  15. ^ 茶園義男編集 ISBN 9784820556565

外部リンク 編集

KRT サンヨーテレビ劇場
前番組 番組名 次番組
愛染天使
(1958.10.10 - 10.24)
私は貝になりたい
(1958.10.31)
風立ちぬ
(1958.11.7 - 11.21)